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1 わがはいは>ねこである>なつめ>そうせき        >いち >わがはいは>ねこである。>なまえは>まだない。 >どこで>うまれたか>とんと>けんとうが>つかぬ。>なにでも>うすぐらいじ>めじ>めした>ところで>にゃーにゃー>ないていた>ことだけは>きおくしている。>わがはいは>ここで>はじめてにんげんという>ものを>みた。>しかもあとで>きくとそれは>しょせいという>にんげん>ちゅうで>いちばん|>どうあくな>しゅぞくであった>そうだ。>このしょせいという>のは>ときどき>われわれを>とらえてにてくうという>はなしである。>しかしその>とうじは>なにという>こうも>なかったからべつだんおそれ>し>いとも>おもわなかった。>ただかれの>てのひらに>のせ>られてすーと>もちあげ>られた>とき>なんだか>ふわふわした>かんじが>あったばかりである。>てのひらの>うえで>すこしおちついてしょせいの>かおを>みた>のが>いわゆるにんげんという>ものの>みる>はじめであろう。>このとき>みょうな>ものだと>おもった>かんじが>いまでも>のこっている。>だいいち>もうをもって>そうしょくさ>れべき>はずの>かおが>つるつる>してまるで>やかんだ。>そのご>ねこにも>だいぶ>あったがこんな>へん>わには>いちども>であわ>した>ことが>ない。>のみ>ならず>かおの>まんなかが>あまりにとっきしている。>そうしてその>あなの>なかから>ときどき>ぷ>う>ぷ>うと>けむりを>ふく。>どうも>のんど>せ>ぽくてじつに>よわった。>これが>にんげんの>のむ>たばこという>ものである>ことは>ようやく>このころ>しった。 >このしょせいの>てのひらの>うらで>しばらくは>よい>こころもちに>すわっておったが、>しばらくすると>ひじょうな>そくりょくで>うんてんし>はじめた。>しょせいが>うごく>のか>じぶんだけが>うごく>のか>わからないがむ>あんに>めが>めぐる。>むねが>わるく>なる。>とうてい>たすからないと>おもっていると、>どさりと>おとが>してめから>ひが>でた。>それまでは>きおくしているがあとは>なにの>ことやら>いくら>かんがえだそうとしても>わからない。 >ふと>きがついてみるとしょせいは>いない。>たくさん>おった>きょうだいが>いち|>疋も>みえぬ。>かんじんの>ははおや>さえ>すがたを>かくしてしまった。>そのうえ|>いままでの>ところとは>ちがってむ>あんに>あかるい。>めを>あいてい>られぬ>くらいだ。>はてな>なんでもようすが>おかしいと、>のそのそ>はいだしてみるとひじょうに>いたい。>わがはいは>わらの>うえから>きゅうに>ささはらの>なかへ>すて>られた>のである。 >ようやくの>おもいで>ささはらを>はいだすとむこうに>おおきないけが>ある。>わがはいは>いけの>まえに>すわってどうしたら>よかろうと>かんがえてみた。>べつに>これという>ふんべつも>でない。>しばらくしてないたら>しょせいが>またむかえに>きてくれるかと>かんがえついた。>にゃー、>にゃーと>こころみに>やってみたがだれも>こない。>そのうち>いけのうえを>さらさらと>かぜが>わたってにちが>くれ>かかる。>はらが>ひじょうに>へってきた。>なきたくても>こえが>でない。>しかたが>ない、>なにでも>よいからしょくもつの>ある>ところまで>あるこうと>けっしんを>してそろり>そろりと>いけを>ひだりりに>めぐり>はじめた。>どうも>ひじょうに>くるしい。>そこを>がまんしてむりやりに>はっていくとようやくの>ことで>なんとなく>にんげん>におい>しょへ>でた。>ここへ>はいいったら、>どうにか>なると>おもってたけがきの>くずれた>あなから、と>ある>てい>ないに>もぐりこんだ。>えんは>ふしぎな>もので、>もし>このたけがきが>やぶれていなかったなら、>わがはいは>ついに>ろぼうに>がししたかも>しれん>のである。>いちじゅの>かげとは>よく>いった>ものだ。>このかきねの>あなは>きょうに>いたるまで>われ>やからが>りんかの>みけを>ほうもんする>ときの>つうろに>なっている。>さてていへは>しのびこんだもののこれから>さき>どうして>よいか>わからない。>そのうちに>くらく>なる、>はらは>へる、>さむ>さは>さむし、>あめが>ふってくるという>しまつで>もう>いっこくの>ゆうよが>できなく>なった。>しかたが>ないからとにかく>あかるくてあたたか>そうな>ほうへ>かたへと>あるいていく。>いまから>かんがえるとその>ときは>すでに>いえの>うちに>はいいっておった>のだ。>ここで>わがはいは>かれの>しょせい>いがいの>にんげんを>ふたたびみるべき>きかいに>そうぐうした>のである。>だいいちに>あった>のが>おさんである。>これは>まえの>しょせいより>いっそうらんぼうな>ほうで>わがはいを>みる>や>いなや>いきなり頸>すじを>つかんでひょうへ>ほうりだした。>いやこれは>だめだと>おもったからめを>ねぶってうんを>てんに>まかせていた。>しかしひもじい>のと>さむい>のには>どうしても>がまんが>できん。>わがはいは>ふたたびおさんの>すきを>みてだいどころへ>はい>のぼった。>するとまもなくまたなげださ>れた。>わがはいは>なげださ>れては>はい>のぼり、>はい>のぼっては>なげださ>れ、>なにでも>おなじことを>よんご>へんくりかえした>のを>きおくしている。>そのときに>おさんと>いう>ものは>つくづく>いやに>なった。>このかん>おさんの>みんまを>偸>んで>このへんぽうを>してやってから、>やっと>むねの>痞が>おりた。>わがはいが>さいごに>つまみださ>れようと>した>ときに、>このいえの>しゅじんが>そうぞうしい>なにだと>いいながらでてきた。>げじょは>わがはいを>ぶらさげてしゅじんの>ほうへ>むけてこの>やど>なしの>しょうねこが>いくら>だしても>だしても>ごだいどころへ>のぼってきてこまりますという。>しゅじんは>はなの>したの>くろい>けを>よりながらわがはいの>かおを>しばらくながめておったが、>やがて>そんなら>うちへ>おいてやれと>いった>まま>おくへ>はいいってしまった。>しゅじんは>あまりくちを>きかぬ>ひとと>みえた。>げじょは>くちおし>そうに>わがはいを>だいどころへ>ほうりだした。>かくしてわがはいは>ついに>このいえを>じぶんの>じゅう>かと>きわめる>ことに>した>のである。 >わがはいの>しゅじんは>めったに>わがはいと>かおを>あわせる>ことが>ない。>しょくぎょうは>きょうしだ>そうだ。>がっこうから>かえるとひもすがら>しょさいに>はいいっ>たぎり>ほとんど>でてくる>ことが>ない。>いえの>ものは>たいへんな>べんきょうかだと>おもっている。>とうにんも>べんきょうかであるかの>ごとく>みせている。>しかしじっさいは>うちの>ものが>いう>ような>きんべん>かではない。>わがはいは>ときどき>しのびあしに>かれの>しょさいを>のぞいてみるが、>かれは>よく>ひるねを>している>ことが>ある。>ときどき>よみかけてある>ほんの>うえに>よだれを>たらしている。>かれは>いじゃくで>ひふの>いろが>あわ>きいろを>おびてだんりょくの>ない>ふかっぱつな>ちょうこうを>あらわしている。>そのくせに>おおめしを>くう。>おおめしを>くった>あとで>たかじやすたーぜを>のむ。>のんだ>あとで>しょもつを>ひろげる。>にさん>ぺーじよむとねむく>なる。>よだれを>ほんの>うえへ>たらす。>これが>かれの>まいよ>くりかえす>にっかである。>わがはいは>ねこな>がら>ときどき>かんがえる>ことが>ある。>きょうしという>ものは>じつに>らくな>ものだ。>にんげんと>うまれたら>きょうしと>なるに>かぎる。>こんなにねていてつとまる>ものなら>ねこにでも>できぬ>ことはないと。>それでもしゅじんに>いわ>せると>きょうしほど>つらい>ものはない>そうで>かれは>ともだちが>くる>たびに>なんとか>かんとか>ふへいを>ならしている。 >わがはいが>このいえへ>すみこんだ>とうじは、>しゅじん>いがいの>ものには>はなはだ>ふじんぼうであった。>どこへ>おこなっても>はね>つけ>られてあいてに>してくれ>てが>なかった。>いかに>ちんちょうさ>れなかったかは、>きょうに>いたるまで>なまえさえ>つけてくれない>のでも>わかる。>わがはいは>しかたが>ないから、>でき>える>かぎり>わがはいを>いれてくれた>しゅじんの>そばに>いる>ことを>つとめた。>ちょう>しゅじんが>しんぶんを>よむ>ときは>かならずかれの>ひざの>うえに>のる。>かれが>ひるねを>する>ときは>かならずその>せなかに>のる。>これは>あながち>しゅじんが>すきと>いう>わけではないがべつに>かまい>てが>なかったからやむをえん>のである。>そのご>いろいろけいけんの>うえ、>あさは>めしびつの>うえ、>よるは>こたつの>うえ、>てんきの>よい>ひるは>椽>がわへ>ねる>ことと>した。>しかしいちばん>こころもちの>よい>のは>よるに>はいってここの>うちの>しょうともの>ねどこへ>もぐりこんでいっしょに>ねる>ことである。>このしょうともという>のは>いつつと>みっつで>よるに>なると>ににんが>ひとつ>ゆかへ>はいっていっけんへ>ねる。>わがはいは>いつでも>かれらの>ちゅうかんに>おのれれを>よう>るべき>よちを>みいだしてどうにか、>こ>うにか>わりこむ>のであるが、>うんわるく>しょうともの>いちにんが>めを>さますがさいご>たいへんな>ことに>なる。>しょうともは――>ことに>ちいさい>ほうが>しつが>わるい――>ねこが>きた>ねこが>きたと>いってよなかでも>なんでも>おおきなこえで>なき>だす>のである。>するとれいの>しんけい>いじゃく>せいの>しゅじんは>かならずめを>さましてつぎの>へやから>とびだしてくる。>げんに>せんだってなどは>もの>ゆびで>しり>ぺたを>ひどく>たたか>れた。 >わがはいは>にんげんと>どうきょしてかれらを>かんさつすればするほど、>かれらは>わがままな>ものだと>だんげんせざるを>えない>ように>なった。>ことに>わがはいが>ときどき|>どうきんする>しょうともの>ごときに>いたっては>げんご>どうだんである。>じぶんの>かってな>ときは>ひとを>さかさに>したり、>あたまへ>ふくろを>かぶせたり、>ほうりだしたり、>へっ>ついの>なかへ>おしこんだり>する。>しかもわがはいの>ほうで>すこしでも>てだしを>しよう>ものなら>やない>そう>がかりで>おいまわしてはくがいを>くわえる。>このあいだも>ちょっとたたみで>つめを>といだら>さいくんが>ひじょうに>おこってそれから>よういに>ざしきへ>いれない。>だいどころの>いたのまで>たが>顫>えていても>いっこう>へいきな>ものである。>わがはいの>そんけいする>すじ>むこうの>はく>くんなどは>あう>ど>ごとに>にんげんほど>ふにんじょうな>ものはないと>いっておらるる。>はく>くんは>せんじつ>だまの>ような>こねこを>よん疋|>うま>れた>のである。>ところがそこの>いえの>しょせいが>さんにち>めに>そいつを>うらの>いけへ>もっていって>よん疋ながらすててきた>そうだ。>はく>くんは>なみだを>ながしてその>いちぶしじゅうを>はなした>うえ、>どうしても>われ>とう|>ねこ>ぞくが>おやこの>あいを>かん>くして>うつくしい>かぞく>てき>せいかつを>するには>にんげんと>たたかってこれを>そうめつせねばならぬと>いわ>れた。>いちいち>もっともの>ぎろんと>おもう。>またとなりの>みけ>くんなどは>にんげんが>しょゆうけんという>ことを>かいしていないと>いってだいに>ふんがいしている。>がんらい>われわれ>どうぞく>かんでは>め>とげの>あたまでも>ぼらの>ほぞでも>いちばん>さきに>みつけた>ものが>これを>くう>けんりが>ある>ものと>なっている。>もし>あいてが>このきやくを>まもらなければわんりょくに>うったえてよいくらいの>ものだ。>しかるに>かれら>にんげんは>ごうも>このかんねんが>ないと>みえてわれ>とうが>みつけた>ごちそうは>かならずかれらの>ために>りゃくだつせらるる>のである。>かれらは>そのきょうりょくを>たよんで>せいとうに>われ>じんが>くい>うべき>ものを>うばってすましている。>はく>くんは>ぐんじんの>いえに>おり>みけ>くんは>だいげんの>しゅじんを>もっている。>わがはいは>きょうしの>いえに>すんでいるだけ、>こんなことにかんするとりょうくんよりも>むしろ>らくてんである。>ただその>ひ>そのひが>どうにか>こ>うにか>おくら>れればよい。>いくら>にんげんだって、>そういつまでも>さかえる>こともあるまい。>まあ>きを>ながく>ねこの>じせつを>まつがよかろう。 >わがままで>おもいだしたからちょっとわがはいの>いえの>しゅじんが>このわがままで>しっぱいした>はなしを>しよう。>がんらい>このしゅじんは>なにと>いってひとに>すぐれてできる>ことも>ないが、>なににでも>よく>てを>だした>がる。>はいくを>やってほととぎすへ>とうしょを>したり、>しんたいしを>みょうじょうへ>だしたり、>まちがい>だらけの>えいぶんを>かいたり、>ときに>よるとゆみに>こったり、>うたいを>ならったり、>またある>ときは>ヴぁいおりんなどを>ぶーぶー>ならしたり>するが、>きのどくな>ことには、>どれも>これも>ものに>なっておらん。>そのくせ>やり>だすといじゃくの>くせに>いやに>ねっしんだ。>こうかの>なかで>うたいを>うたって、>きんじょで>こうか>せんせいと>あだなを>つけ>られているにも>かんせず>いっこう>へいきな>もので、>やはり>これは>たいらの>むね>さかりにて>こうを>くりかえしている。>みんなが>そら>たかし>さかりだと>ふきだすくらいである。>このしゅじんが>どういうこうに>なった>ものか>わがはいの>すみこんでから>いちつきばかり>あとの>ある>つきの>げっきゅう>びに、>おおきなつつみを>さげてあわただしく>かえってきた。>なにを>かってきた>のかと>おもうとすいさい>えのぐと>もうひつと>わっとまんという>かみで>きょうから>うたいや>はいくを>やめてえを>かく>けっしんと>みえた。>はたして>よくじつから>とうぶんの>あいだと>いう>ものは>まいにち>まいにち>しょさいで>ひるねも>しないでえばかり>かいている。>しかしその>かき>あげた>ものを>みるとなにを>かいた>ものや>ら>だれにも>かんていが>つかない。>とうにんも>あまりあまくないと>おもった>ものか、>あるひ>そのゆうじんで>びがくとかを>やっている>ひとが>きた>ときに>したの>ような>はなしを>している>のを>きいた。「>どうも>あまく>かけない>ものだね。>ひと>のを>みるとなにでも>ない>ようだがみずから>ひつを>とってみるといまさらの>ように>むずかしく>かん>ずる」>これは>しゅじんの>じゅっかいである。>なるほど>いつわりの>ない>ところだ。>かれの>ともは>きんぶちの>めがね>えつに>しゅじんの>かおを>みながら、「>そうはじめから>じょうずには>かけ>ないさ、>だいいち>しつないの>そうぞうばかりで>えが>かける>わけの>ものではない。>むかし>し>以>ふとし>りの>おおや>あんどれあ・>でる・>さるとが>いった>ことが>ある。>えを>かくなら>なにでも>しぜん>そのものを>うつせ。>てんに>せいしん>あり。>ちに>ろ>はな>あり。>とぶに>禽>あり。>はしるに>しし>あり。>いけに>きんぎょ>あり。>かれきに>かん>からす>あり。>しぜんは>これ>いちはばの>だいかつ>えなりと。>どうだ>きみも>えらしい>えを>かこうと>おもうなら>ちと>しゃせいを>したら」「>へえ>あんどれあ・>でる・>さるとが>そんなことを>いった>ことが>あるかい。>ちっとも>しらなかった。>なるほど>こりゃ>もっともだ。>じつに>そのとおりだ」と>しゅじんは>む>あんに>かんしんしている。>きんぶちの>うらには>あざけ>ける>ような>えみが>みえた。 >そのよくじつ>わがはいは>れいのごとく>椽>がわに>でてこころもち>よく>ひるねを>していたら、>しゅじんが>れいに>なく>しょさいから>でてきてわがはいの>うしろで>なにか>しきりに>やっている。>ふと>めが>さめてなにを>しているかと>いちふんばかり>ほそめに>めを>あけてみると、>かれは>よねんも>なく>あんどれあ・>でる・>さるとを>きめこんでいる。>わがはいは>このありさまを>みておぼえず>しっしょうする>のを>きんじ>えなかった。>かれは>かれの>ともに>やゆせら>れ>たる>けっかとして>まず>てはじめに>わがはいを>しゃせいしつつある>のである。>わがはいは>すでに>じゅうぶん>ねた。>あくびが>したくてたまらない。>しかしせっかく>しゅじんが>ねっしんに>ふでを>とっている>のを>うごいては>きのどくだと>おもって、>じっと>からし>ぼう>しておった。>かれは>いま>わがはいの>りんかくを>かき>あげてかおの>あたりを>いろ>いろどっている。>わがはいは>じはくする。>わがはいは>ねことして>けっして>じょうじょうの>できではない。>せと>いい>けなみと>いい>かおの>ぞうさと>いい>あえて>たの>ねこに>まさるとは>けっして>おもっておらん。>しかしいくら>ぶきりょうの>わがはいでも、>いま>わがはいの>しゅじんに>えがきださ>れつつある>ような>みょうな>すがたとは、>どうしても>おもわ>れない。>だいいち>しょくが>ちがう。>わがはいは>なみ>斯>さんの>ねこのごとく>きを>ふくめる>あわ>はいいろに>うるしのごとき>ふいりの>ひふを>ゆうしている。>これだけは>だれが>みても>うたがうべからざる>こと>みと>おもう。>しかるに>こんしゅじんの>さいしきを>みると、>きでもなければくろでもない、>はいいろでもなければかっしょくでもない、>さればとてこれらを>まぜた>いろでもない。>ただいっしゅの>いろであると>いうより>ほかに>ひょうし>かたの>ない>いろである。>そのうえ>ふしぎな>ことは>めが>ない。>もっともこれは>ねている>ところを>しゃせいした>のだからむりも>ないがめらしい>ところさえ>みえないからめくら>ねこだか>ねている>ねこだか>はんぜんしない>のである。>わがはいは>しんじゅうひそかに>いくら>あんどれあ・>でる・>さるとでも>これでは>しようがないと>おもった。>しかしその>ねっしんには>かんぷくせざるを>えない。>なるべくなら>うごかずに>おってやりたいと>おもったが、>さっきから>しょうべんが>催>うしている。>みうちの>きんにくは>むずむず>する。>もはや>いちふんも>ゆうよが>できぬ>しぎと>なったから、>やむをえず>しっけいしてりょうあしを>まえへ>ぞんぶんの>して、>くびを>ひくく>おしだしてあーあ>と>だいなる>あくびを>した。>さてこうなってみると、>もう>おとなしく>していても>しかたが>ない。>どうせ>しゅじんの>よていは>うち>壊>わ>した>のだから、>ついでに>うらへ>おこなってようを>たそうと>おもってのそのそ>はいだした。>するとしゅじんは>しつぼうと>いかりを>かき>まぜた>ような>こえを>して、>ざしきの>なかから「>このばか>やろう」と>どなった。>このしゅじんは>ひとを>ののしる>ときは>かならずばか>やろうという>のが>くせである。>ほかに>わるぐちの>いいようを>しらない>のだからしかたが>ないが、>いままで>からし>ぼう>した>ひとの>きも>しらないで、>む>あんに>ばか>やろう|>こ>わりは>しっけいだと>おもう。>それも>へいぜい>わがはいが>かれの>せなかへ>のる>ときに>すこしは>よい>かおでも>するなら>このまんばも>あまんじてうけるが、>こっちの>べんりに>なる>ことは>なにひとつ>こころよく>してくれた>ことも>ないのに、>しょうべんに>たった>のを>ばか>やろうとは>ひどい。>がんらい>にんげんという>ものは>じこの>りきりょうに>慢じて>みんな>ぞうちょうしている。>すこしにんげんより>つよい>ものが>でてきてたしなめてやらなくては>このさき>どこまで>ぞうちょうするか>わからない。 >わがままも>このくらいなら>がまんするがわがはいは>にんげんの>ふとくについて>これよりも>すうばい>かなしむべき>ほうどうを>みみに>した>ことが>ある。 >わがはいの>いえの>うらに>じゅうつぼばかりの>ちゃえんが>ある。>ひろくはないがしょうしゃと>した>こころもち>すく>ひの>あたる>ところだ。>うちの>しょうともが>あまりさわいでらくらく>ひるねの>できない>ときや、>あまりたいくつで>はら>かげんの>よくない>おりなどは、>わがはいは>いつでも>ここへ>でてこうぜんの>きを>やしなう>のが>れいである。>あるこはるの>穏かな>ひの>にじ>ころであったが、>わがはいは>ひるめし>ご>かいよく>いっすいした>あと、>うんどうかたがた>このちゃえんへと>ふを>はこば>した。>ちゃの>きのねを>いちほん>いちほん>かぎながら、>にしがわの>すぎ>かきの>そばまで>くると、>枯>きくを>おしたおしてその>うえに>おおきなねこが>ぜんごふかくに>ねている。>かれは>わがはいの>ちかづく>のも>いっこう>こころづかざるごとく、>またこころづくも>むとんじゃく>なる>ごとく、>おおきないびきを>してながながと>からだを>よこ>えてねむっている。>たの>にわ>ないに>しのび>はいりたる>ものが>かくまで>へいきに>ねむら>れる>ものかと、>わがはいは>ひそかに>そのだいたんなる>どきょうに>おどろかざるを>えなかった。>かれは>じゅんすいの>くろ>ねこである。>わずかに>うまを>すぎたる>たいようは、>とうめいなる>こうせんを>かれの>ひふの>うえに>ほう>げ>かけて、>きらきら>する>やわら>けの>あいだより>めに>みえぬ>ほのおでも>もえ>で>ずる>ように>おもわ>れた。>かれは>ねこ>ちゅうの>だいおうとも>いうべき>ほどの>いだいなる>たいかくを>ゆうしている。>わがはいの>ばいは>たしかに>ある。>わがはいは>たんしょうの>ねんと、>こうきの>こころに>ぜんごを>わすれてかれの>まえに>ちょりつしてよねんも>なく>ながめていると、>しずかなる>こはるの>かぜが、>すぎ>かきの>うえから>でたる>あおぎりの>えだを>かるく>さそってばらばらと>にさん>まいの>はが>枯>きくの>しげみに>おちた。>だいおうは>かっと>そのまんまるの>めを>ひらいた。>いまでも>きおくしている。>そのめは>にんげんの>ちんちょうする>こはくという>ものよりも>はるかに>うつくしく>かがやいていた。>かれは>みうごきも>しない。>そうぼうの>おくから>いる>ごとき>ひかりを>わがはいの>わいしょうなる>がくの>うえに>あつめて、>ごめ>えは>いったい>なにだと>いった。>だいおうに>しては>しょうしょうことばが>いやしいと>おもったがなにしろ>そのこえの>そこに>いぬをも>挫>し>ぐべき>ちからが>こもっているのでわがはいは>すくなからず>おそれを>いだいた。>しかしあいさつを>しないと>けん>呑だと>おもったから「>わがはいは>ねこである。>なまえは>まだない」と>なるべく>へいきを>よそおってれいぜんと>こたえた。>しかしこの>とき>わがはいの>しんぞうは>たしかに>へいじよりも>はげしく>こどうしておった。>かれは>だいに>けいべつせる>ちょうしで「>なに、>ねこだ? >ねこが>きいてあきれ>ら>あ。>すべて>え>どこに>すん>でる>んだ」>ずいぶん|>ぼうじゃくぶじんである。「>わがはいは>ここの>きょうしの>いえに>いる>のだ」「>どうせ>そんなことだろうと>おもった。>いやに>やせ>てるじゃねえか」と>だいおうだけに>きえんを>ふきかける。>ことば>づけから>さっすると>どうも>りょうかの>ねことも>おもわ>れない。>しかしその>あぶら>きってひまんしている>ところを>みると>ごちそうを>くっ>てるらしい、>ゆたかに>くらしているらしい。>わがはいは「>そういう>きみは>いったい>だれ>だい」と>きかざるを>えなかった。「>おのれれ>あ>くるまやの>くろよ」>こうぜんたる>ものだ。>くるまやの>くろは>このきんぺんで>しらぬ>もの>なき>らんぼうねこである。>しかしくるまやだけに>つよいばかりで>ちっとも>きょういくが>ないからあまりだれも>こうさいしない。>どうめいけいえんしゅぎの>てきに>なっている>やつだ。>わがはいは>かれの>なを>きいてしょうしょうしり>こそばゆき>かんじを>おこすとどうじに、>いっぽうでは>しょうしょう|>けいぶの>ねんも>しょうじた>のである。>わがはいは>まず>かれが>どのくらい>むがくであるかを>ためしてみようと>おもってひだりの>もんどうを>してみた。「>いったい>くるまやと>きょうしとは>どっちが>えらいだろう」「>くるまやの>ほうが>つよいに>きょくって>い>ら>あな。>ごめ>えの>うちの>しゅじんを>みねえ、>まるで>ほねと>かわばかりだぜ」「>きみも>くるまやの>ねこだけに>だいぶ>つよ>そうだ。>くるまやに>いると>ごちそうが>くえると>みえるね」「>なにに>おれ>なん>ざ、>どこの>くにへ>おこなったって>くいものに>ふじゆうは>しねえ>つもりだ。>ごめ>え>なんかも>ちゃ>はたばかり>ぐる>ぐる>めぐっていね>え>で、>ちっと>おのれの>あとへ>くっ>ついてきてみねえ。>いちと>つきと>たたねえ>うちに>みちがえる>ように>ふとれるぜ」「>おってそうねがう>ことに>しよう。>しかしかは>きょうしの>ほうが>くるまやより>おおきい>のに>すんでいる>ように>おもわ>れる」「>へら>ぼう>め、>うち>なんか>いくら>おおきく>たってはらの>たしに>なる>もんか」 >かれは>だいに>きも>しゃくに>さわった>ようすで、>かんちくを>そいだ>ような>みみを>しきりと>ぴ>く>づけ>かせてあら>らかに>たちさった。>わがはいが>くるまやの>くろと>ちきに>なった>のは>これからである。 >そのご>わがはいは>たびたびくろと>かいこうする。>かいこうする>ごとに>かれは>くるまや>そうとうの>きえんを>はく。>さきに>わがはいが>みみに>したという>ふとく>じけんも>じつはくろから>きいた>のである。 >あるる>にち>れいのごとく>われ>やからと>くろは>あたたかい>ちゃ>はたの>なかで>ねころびながらいろいろざつだんを>していると、>かれは>いつもの>じまんはなししを>さも>あたらし>そうに>くりかえした>あとで、>わがはいに>むかってしたのごとく>しつもんした。「>ごめ>えは>いままでに>ねずみを>なんひき>とった>ことが>ある」>ちしきは>くろよりも>よほど>はったつしている>つもりだがわんりょくと>ゆうきとに>いたっては>とうてい>くろの>ひかくには>ならないと>かくごは>していたものの、>このといに>せっしたる>ときは、>さすがに>きまりが>よくはなかった。>けれどもじじつは>じじつで>詐>る>わけには>いかないから、>わがはいは「>じつはとろうと>ろうと>おもってまだとらない」と>こたえた。>くろは>かれの>はなの>さきから>ぴんと>突>はっている>ながい>ひげを>びりびりと>ふるわせてひじょうに>わらった。>がんらい>くろは>じまんを>する>たけに>どこか>たりない>ところが>あって、>かれの>きえんを>かんしんした>ように>いんこうを>ころころ>ならしてきんちょうしていればはなはだ>ごし>やすい>ねこである。>わがはいは>かれと>ちか>づけに>なってから>じかに>このこきゅうを>のみこんだから>このばあいにも>なまじい>おのれれを>べんごしてますますけいせいを>わるく>する>のも>ぐで>ある、>いっその>こと>かれに>じぶんの>てがら>はなしを>しゃべら>してごちゃを>にごすに>わかくはないと>しあんを>さだめた。>そこでおとなしく「>くんなどは>としが>としであるからだいぶ>とったろう」と>そそのかしてみた。>かぜん>かれは>墻>かべの>けつ>しょに>とっかんしてきた。「>たんとでもね>えが>さんよん>じゅうは>とったろう」とは>とくいげなる>かれの>こたえであった。>かれは>なお>かたりを>つづけて「>ねずみの>ひゃくや>にひゃくは>いちにんで>いつでも>ひきうける>がい>たちって>え>やつは>てに>あわねえ。>いちど>い>たちに>むかってひどい>めに>あった」「>へえ>なるほど」と>あいづちを>うつ。>くろは>おおきなめを>ぱちつかせていう。「>きょねんの>だいそうじの>ときだ。>うちの>ていしゅが>せっかいの>ふくろを>もって椽の>したへ>はい>こんだら>ごめ>え>おおき>ない>たちの>やろうが>めん>くってとびだしたと>おもいねえ」「>ふん」と>かんしんしてみせる。「>い>たちって>けども>なに>ねずみの>すこしおおきい>ぐれ>えの>ものだ。>こん>ちくしょうって>きで>おっかけてとうとう>どろ>みぞの>なかへ>おいこんだと>おもいねえ」「>うまく>やったね」と>かっさいしてやる。「>ところがごめ>え>いざってえ>だんに>なるとやつ>め>さいごっぺを>こきゃ>がった。>におい>えの>くさくねえ>のって>それからって>え>ものは>い>たちを>みるとむねが>わるく>ならあ」>かれは>ここに>いたってあたかも>きょねんの>しゅうきを>いま>なお>かん>ずる>ごとく>まえあしを>あげてはなの>あたまを>にさん>へんなで>まわり>わ>した。>わがはいも>しょうしょうきのどくな>かんじが>する。>ちっと>けいきを>つけてやろうと>おもって「>しかしねずみなら>きみに>にらま>れては>ひゃくねん>めだろう。>きみは>あまりねずみを>とる>のが>めいじんで>ねずみばかり>くう>ものだからそんなに>ふとっていろつやが>よい>のだろう」>くろの>ごきげんを>とる>ための>このしつもんは>ふしぎにも>はんたいの>けっかを>ていしゅつした。>かれは>喟>しかとして>たいそくしていう。「>こう>げ>えると>つまらねえ。>いくら>かせいでねずみを>とったって――>いちて>え>にんげんほど>ふて>え>やつは>よのなかに>いねえぜ。>ひとの>とった>ねずみを>みんな>とりあげや>がってこうばんへ>もっていきゃ>あがる。>こうばん>じゃだれが>とったか>わからねえ>から>そのたんびに>ごせんずつ>くれるじゃねえか。>うちの>ていしゅ>なんか>おのれの>おかげで>もう>いち>えん>ごじゅう>せんくらい>もうけていやがる>くせに、>ろくな>ものを>くわせた>ことも>ありゃ>しねえ。>おい>にんげんてもの>あ>からだの>よい>どろぼうだぜ」>さすが>むがくの>くろも>このくらいの>りくつは>わかると>みえてすこぶる>おこった>ようすで>せなかの>けを>さかだてている。>わがはいは>しょうしょうきみがわるく>なったからよい>かげんに>そのばを>えびす>ま>かしていえへ>かえった。>このときから>わがはいは>けっして>ねずみを>とるまいと>けっしんした。>しかしくろの>こぶんに>なってねずみ>いがいの>ごちそうを>りょうって>あるく>ことも>しなかった。>ごちそうを>くうよりも>ねていた>ほうが>きらくで>いい。>きょうしの>いえに>いるとねこも>きょうしの>ような>せいしつに>なると>みえる。>ようじんしないと>いまに>いじゃくに>なるかも>しれない。 >きょうしと>いえばわがはいの>しゅじんも>ちかごろに>いたっては>とうてい>すいさい>がにおいて>もちの>ない>ことを>さとった>ものと>みえてじゅうにがつ>いちにちの>にっきに>こんなことを>かきつけた。○○と>いう>ひとに>きょうの>かいで>はじめてであった。>あのひとは>だいぶ>ほうとうを>した>ひとだと>いうがなるほど>つうじんらしい>ふうさいを>している。>こういう>しつの>ひとは>おんなに>すか>れる>ものだから○○が>ほうとうを>したと>いうよりも>ほうとうを>するべく>よぎなく>せら>れたと>いう>のが>てきとうであろう。>あのひとの>さいくんは>げいしゃだ>そうだ、>うらやましい>ことである。>がんらい>ほうとうかを>わるく>いう>ひとの>だいぶぶんは>ほうとうを>する>しかくの>ない>ものが>おおい。>またほうとうかをもって>じにんする>れんちゅうの>うちにも、>ほうとうする>しかくの>ない>ものが>おおい。>これらは>よぎなく>さ>れない>のに>むりに>すすんでやる>のである。>あたかも>わがはいの>すいさい>がに>おけ>るがごとき>もので>とうてい>そつぎょうする>きづかいはない。>しかるにも>かんせず、>じぶんだけは>つうじんだと>おもってなしている。>りょうりやの>さけを>のんだり>まちあいへ>はいいるからつうじんと>なり>えると>いう>ろんが>たつなら、>わがはいも>ひとかどの>すいさい>がかに>なり>える>りくつだ。>わがはいの>すいさい>がのごときは>かかない>ほうが>ましであると>おなじように、>ぐまいなる>つうじんよりも>やまだしの>だいやぼの>ほうが>はるかに>じょうとうだ。 >つうじん>ろんは>ちょっとしゅこうし>かねる。>またげいしゃの>さいくんを>ともし>いなどという>ところは>きょうしとしては>くちに>すべからざる>ぐれつの>こうであるが、>じこの>すいさい>がにおける>ひひょうめだけは>たしかな>ものだ。>しゅじんは>かくの>ごとく>じちの>めい>あるにも>かんせず>そのじ惚>しんは>なかなかぬけない。>ちゅうに>にちおいてじゅうにがつ>よんにちの>にっきに>こんなことを>かいている。>さくやは>ぼくが>すいさい>がを>かいてとうてい>ものに>ならんと>おもって、>そこらに>ほうっておいた>のを>だれかが>りっぱな>がくに>してらんまに>かけてくれた>ゆめを>みた。>さてがくに>なった>ところを>みるとわれながらきゅうに>じょうずに>なった。>ひじょうに>うれしい。>これなら>りっぱな>ものだと>ひとりで>ながめ>くらしていると、>よるが>あけてめが>さめてやはり>もとの>とおり>へたである>ことが>あさひとともに>めいりょうに>なってしまった。 >しゅじんは>ゆめの>うらまで>すいさい>がの>みれんを>せおってあるいていると>みえる。>これでは>すいさい>がかは>むろん|>ふうしの>ところ>いい>つうじんにも>なれない>しつだ。 >しゅじんが>すいさい>がを>ゆめに>みた>よくじつ>れいの>きんぶち|>めがねの>びがく>しゃが>ひさしぶりで>しゅじんを>ほうもんした。>かれは>ざに>つくとへきとう>だいいちに「>えは>どうかね」と>くちを>きった。>しゅじんは>へいきな>かおを>して「>きみの>ちゅうこくにしたがって>しゃせいを>りきめて>いるが、>なるほど>しゃせいを>するといままで>きの>つかなかった>ものの>かたちや、>いろの>せいさいな>へんかなどが>よく>わかる>ようだ。>せいようでは>むかし>しから>しゃせいを>しゅちょうした>けっか|>きょうの>ように>はったつした>ものと>おもわ>れる。>さすが>あんどれあ・>でる・>さるとだ」と>にっきの>ことは>おくびにも>ださないで、>またあんどれあ・>でる・>さるとに>かんしんする。>びがく>しゃは>わらいながら「>じつはきみ、>あれは>でたらめだよ」と>あたまを>かく。「>なにが」と>しゅじんは>まだ※>わら>れた>ことに>きがつかない。「>なに>がってきみの>しきりに>かんぷくしている>あんどれあ・>でる・>さるとさ。>あれは>ぼくの>ちょっとねつぞうした>はなしだ。>きみが>そんなに>まじめに>しんじようとは>おもわなかった>はははは」と>だいきえつの>からだである。>わがはいは>椽>がわで>このたいわを>きいてかれの>きょうの>にっきには>いかなることが>しるさるるであろうかと>あらかじめ>そうぞうせざるを>えなかった。>このびがく>しゃは>こんなこうかげんな>ことを>ふき>ちらしてひとを>かつぐ>のを>ゆいいつの>らくに>している>おとこである。>かれは>あんどれあ・>でる・>さると>じけんが>しゅじんの>じょう>せんに>いかなるひびきを>つたえたかを>ごうも>こりょせざる>もののごとく>とくいに>なってしたの>ような>ことを>じょうぜつ>った。「>いやときどき|>じょうだんを>いうとひとが>しんに>うけるのでだいに>こっけい>てき>びかんを>ちょうはつする>のは>おもしろい。>せんだって>ある>がくせいに>にこら>す・>にっくるべーが>ぎぼんに>ちゅうこくしてかれの>いっせいの>だいちょじゅつなる>ふつ>こく>かくめい>しを>ふつごで>かく>のを>やめに>してえいぶんで>しゅっぱんさ>せたと>いったら、>そのがくせいが>またばかに>きおくの>よい>おとこで、>にっぽん>ぶんがく>かいの>えんぜつかいで>まじめに>ぼくの>はなしした>とおりを>くりかえした>のは>こっけいであった。>ところがその>ときの>ぼうちょうしゃは>やくひゃく>めいばかりであったが、>みな>ねっしんに>それを>けいちょうしておった。>それからまだおもしろい>はなしが>ある。>せんだって>あるる>ぶんがく>しゃの>いる>せきで>はりそんの>れきし>しょうせつ>せ>おふぁーのの>はなししが>でたからぼくは>あれは>れきし>しょうせつの>なかで>はくびである。>ことに>おんな>しゅじんこうが>しぬ>ところは>きき>じんを>おそう>ようだと>ひょうしたら、>ぼくの>むこうに>すわっている>しらんと>いった>ことの>ない>せんせいが、>そうそう>あすこは>じつに>めいぶんだと>いった。>それでぼくは>このおとこも>やはり>ぼく>どうよう>このしょうせつを>よんでおらないと>いう>ことを>しった」>しんけい>いじゃく>せいの>しゅじんは>めを>まるく>してといかけた。「>そんなでたらめを>いってもし>あいてが>よんでいたら>どうする>つもりだ」>あたかも>ひとを>あざむく>のは>さ>支>ない、>ただ>かの>かわが>あらわれた>ときは>こまるじゃないかと>かんじた>ものの>ごとくである。>びがく>しゃは>すこしも>どうじない。「>なに>そのとき>ゃ>べつの>ほんと>まちがえたとか>なんとか>いう>ばかりさ」と>いってけら>けら>わらっている。>このびがく>しゃは>きんぶちの>めがねは>かけているがその>せいしつが>くるまやの>くろに>にた>ところが>ある。>しゅじんは>だまってひのでを>わに>ふいてわがはいには>そんなゆうきはないと>いわんばかりの>かおを>している。>びがく>しゃは>それだからえを>かいても>だめだという>めつけで「>しかしじょうだんは>じょうだんだがえという>ものは>じっさいむずかしい>ものだよ、>れおなるど・>だ・>ヴぃんちは>もんかせいに>じいんの>かべの>しみを>うつせと>おしえた>ことが>ある>そうだ。>なるほど>せっちんなどに>はいいってあめの>もる>かべを>よねん>なく>ながめていると、>なかなかうまい>もよう>がが>しぜんに>できているぜ。>きみ>ちゅういしてしゃせいしてみ>きゅうえ>きっと>おもしろい>ものが>できるから」「>また欺>す>のだろう」「>いえこれだけは>たしかだよ。>じっさいきけいな>かたりじゃないか、>だ・>ヴぃんちでも>いい>そうな>ことだ>あね」「>なるほど>きけいには>そういないな」と>しゅじんは>はんぶん>こうさんを>した。>しかしかれは>まだせっちんで>しゃせいは>せぬ>ようだ。 >くるまやの>くろは>そのご>ちんばに>なった。>かれの>こうたく>ある>けは>すすむ々>いろが>さめてぬけてくる。>わがはいが>こはくよりも>うつくしいと>ひょうした>かれの>めには>め>あぶらが>いっぱい>たまっている。>ことに>しる>る>しく>わがはいの>ちゅういを>ひいた>のは>かれの>げんきの>しょうちんと>そのたいかくの>わるく>なった>ことである。>わがはいが>れいの>ちゃえんで>かれに>あった>さいごの>ひ、>どうだと>いってたずねたら「>い>たちの>さいご>へと>さかな>やの>てんびんぼうには>懲々だ」と>いった。 >あかまつの>あいだに>にさん>だんの>べにを>つづった>こうようは>むかし>しの>ゆめのごとく>ちってつくばいに>ちかく>かわるがわる>はなびらを>こぼした>こうはくの>さざんかも>のこり>なく>おち>つくした。>さんげん>はんの>みなみ>むこうの>椽>がわに>ふゆの>ひあしが>はやく>かたむいてき>枯の>ふかない>ひは>ほとんど>まれに>なってから>わがはいの>ひるねの>じかんも>せばめ>られた>ような>きが>する。 >しゅじんは>まいにち>がっこうへ>いく。>かえるとしょさいへ>たて>こもる。>ひとが>くると、>きょうしが>いやだ>いやだと>いう。>すいさい>がも>めったに>かかない。>たかじやすたーぜも>こう>のうが>ないと>いってやめてしまった。>しょうともは>かんしんに>やすまないでようちえんへ>かよう。>かえるとしょうかを>うたって、>かさを>ついて、>ときどき>わがはいを>しっぽで>ぶらさげる。 >わがはいは>ごちそうも>くわないからべつだん|>ふとりも>しないが、>まずまずけんこうで>ちんばにも>ならずに>そのひ>そのひを>くらしている。>ねずみは>けっして>とらない。>おさんは>いまだに>きらいである。>なまえは>まだつけてくれないが、>よくを>いっても>さいげんが>ないからしょうがい>このきょうしの>いえで>むめいの>ねこで>おわる>つもりだ。        >に >わがはいは>しんねん>らい>たしょうゆうめいに>なった>ので、>ねこながらちょっとはなが>たかく>かんぜ>ら>るるのは>ありがたい。 >がんちょう>そうそうしゅじんの>もとへ>いちまいの>え>はしがきが>きた。>これは>かれの>こうゆう>ぼうがかからの>ねんし>じょうであるが、>じょうぶを>あか、>かぶを>ふかみどりりで>ぬって、>そのまんなかに>いちの>どうぶつが>そんきょって>いる>ところを>ぱすてるで>かいてある。>しゅじんは>れいの>しょさいで>このえを、>よこから>みたり、>たてから>ながめたり>して、>うまい>いろだなと>いう。>すでに>いちおうかんぷくした>ものだから、>もう>やめに>するかと>おもうとやはり>よこから>みたり、>たてから>みたり>している。>からだを>ねじ>むけたり、>てを>のばしてとしよりが>さんぜそうを>みる>ように>したり、>またはまどの>ほうへ>むいてはなの>さきまで>もってきたり>してみている。>はやく>やめてくれないと>ひざが>ゆれてけん>呑で>たまらない。>ようやくの>ことで>どうようが>あまりげき>しく>なく>なったと>おもったら、>ちいさなこえで>いったい>なにを>かいた>のだろうと>いう。>しゅじんは>え>はしがきの>いろには>かんぷくしたが、>かいてある>どうぶつの>しょうたいが>わからぬ>ので、>さっきから>くしんを>した>ものと>みえる。>そんなわからぬ>え>はしがきかと>おもいながら、>ねていた>めを>じょうひんに>なかば>ひらいて、>おちつき>はらってみるとまぎれも>ない、>じぶんの>しょうぞうだ。>しゅじんの>ように>あんどれあ・>でる・>さるとを>きめこんだ>ものでもあるまいが、>がかだけに>けいたいも>しきさいも>ちゃんと>ととのってできている。>だれが>みたって>ねこに>そういない。>すこしがんしきの>ある>ものなら、>ねこの>なかでも>たの>ねこじゃない>わがはいである>ことが>はんぜんと>わかる>ように>りっぱに>えがいてある。>このくらい>めいりょうな>ことを>わからずに>かくまで>くしんするかと>おもうと、>すこしにんげんが>きのどくに>なる。>できる>ことなら>そのえが>わがはいであると>いう>ことを>しらしてやりたい。>わがはいであると>いう>ことは>よし>わからないに>しても、>せめて>ねこであると>いう>ことだけは>わから>してやりたい。>しかしにんげんという>ものは>とうてい>わがはい|>ねこ>しょくの>げんごを>かいし>えるくらいに>てんの>めぐみに>よくしておらん>どうぶつであるから、>ざんねんながらその>ままに>しておいた。 >ちょっとどくしゃに>ことわっておきたいが、>がんらい>にんげんが>なぞと>いうと>ねこ々と、>こともなげに>けいぶの>くちょうをもって>わがはいを>ひょうかする>くせが>あるは>はなはだ>よくない。>にんげんの>かすから>うしと>うまが>できて、>うしと>うまの>くそから>ねこが>せいぞうさ>れた>ごとく>かんがえる>のは、>じぶんの>むさとしに>こころづかんで>こうまんな>かおを>する>きょうしなどには>あり>がちの>ことでもあろうが、>はたから>みてあまりみ>っとも>いい>しゃじゃない。>いくら>ねこだって、>そうそまつ>かんべんには>できぬ。>よそめには>いちれつ>いったい、>びょうどう>むさべつ、>どのねこも>じか>こゆうの>とくしょくなどはない>ようであるが、>ねこの>しゃかいに>はいいってみるとなかなかふくざつな>もので>じゅうにん|>じゅうしょくという>にんげん>かいの>かたりは>そのまま>ここにも>おうようが>できる>のである。>めつけでも、>はな>づけでも、>けなみでも、>あしなみでも、>みんな>ちがう。>ひげの>はり>ぐあいから>みみの>たち>あんばい、>しっぽの>たれ>かげんに>いたるまで>おなじものは>ひとつも>ない。>きりょう、>ぶきりょう、>すききらい、>いき>ぶすいの>かずを>ことごとく>してせんさばんべつと>いっても>さしつかえないくらいである。>そのように>はんぜんたる>くべつが>そんしているにも>かかわらず、>にんげんの>めは>ただ>こうじょうとか>なんとか>いって、>そらばかり>みている>ものだから、>わがはいの>せいしつは>むろん|>そうぼうの>すえを>しきべつする>こと>す>ら>とうてい>できぬ>のは>きのどくだ。>どうるい>しょう>もとむとは>むかし>しから>ある>かたりだ>そうだがその>とおり、>もちやは>もちや、>ねこは>ねこで、>ねこの>ことなら>やはり>ねこでなくては>わからぬ。>いくら>にんげんが>はったつしたって>こればかりは>だめである。>いわんや>じっさいを>いうとかれらが>みずから>しんじている>ごとく>えらくも>なんとも>ない>のだからなおさらむずかしい。>またいわんや>どうじょうに>とぼしい>わがはいの>しゅじんのごときは、>そうごを>のこり>なく>かいすると>いうがあいの>だいいちぎであるという>ことすら>わからない>おとこな>のだからしかたが>ない。>かれは>せいの>わるい>かきのごとく>しょさいに>すい>ついて、>かつて>がいかいに>むかってくちを>ひらいた>ことが>ない。>それで>じぶんだけは>すこぶる>たっかんした>ような>めん>構を>している>のは>ちょっとおかしい。>たっかんしない>しょうこには>げんに>わがはいの>しょうぞうが>めの>まえに>ある>のに>すこしも>さとった>ようすも>なく>ことしは>ただし>ろの>だいに>ねんめだからおおかたくまの>えだ>ろうなどと>きの>しれぬ>ことを>いってすましている>のでも>わかる。 >わがはいが>しゅじんの>ひざの>うえで>めを>ねむりながらかく>かんがえていると、>やがて>げじょが>だいにの>え>はしがきを>もってきた。>みるとかっぱんで>はくらいの>ねこが>よんご|>疋>ずらりと>ぎょうれつしてぺんを>にぎったり>しょもつを>ひらいたり>べんきょうを>している。>そのうちの>いっぴきは>せきを>はなれてつくえの>かくで>せいようの>ねこじゃ>ねこ>じゃを>おどっている。>そのうえに>にっぽんの>すみで「>わがはいは>ねこである」と>くろ々と>かいて、>みぎの>がわに>しょを>よむや>おどる>や>ねこの>はる>いちにちという>はいくさえ>みとめ>られてある。>これは>しゅじんの>きゅうもんかせい>より>きたのでだれが>みたって>いっけんしていみが>わかる>はずであるのに、>まが>濶な>しゅじんは>まださとらないと>みえてふしぎ>そうに>くびを>ひねって、>はてな>ことしは>ねこの>としかなと>ひとりごとを>いった。>わがはいが>これほど>ゆうめいに>なった>のを>いまだ>きが>つかずに>いると>みえる。 >ところへ>げじょが>また>だいさんの>はしがきを>もってくる。>こんどは>え>はしがきではない。>きょうがしんねんと>かいて、>かたわらに>乍>きょうしゅくかの>ねこへも>よろしく>ごでん>こえ>まつ>ねがい>じょう>こうと>ある。>いかに>うえんな>しゅじんでも>こうめい>ら>さまに>かいてあればわかる>ものと>みえてようやく>きがついた>ように>ふんと>いいながらわがはいの>かおを>みた。>そのめ>づけが>いままでとは>ちがってたしょうそんけいの>いを>ふくんでいる>ように>おもわ>れた。>いままで>せけんから>そんざいを>みとめ>られなかった>しゅじんが>きゅうに>いちこの>しんめんぼくを>施>こした>のも、>まったくわがはいの>おかげだと>おもえばこのくらいの>め>づけは>しとうだろうと>かんがえる。 >おりから>もんの>こうしが>ちり>ん、>ちり>ん、>ちり>り>り>りんと>なる。>おおがた>らいきゃくであろう、>らいきゃくなら>げじょが>とりつぎに>でる。>わがはいは>さかな>やの>うめ>おおやけが>くる>ときの>ほかは>でない>ことに>きわめている>のだから、>へいきで、>もとのごとく>しゅじんの>ひざに>すわっておった。>するとしゅじんは>こうりかしにでも>とびこま>れた>ように>ふあんな>かお>づけを>してげんかんの>ほうを>みる。>なにでも>ねんがの>きゃくを>うけてさけの>あいてを>する>のが>いやらしい。>にんげんも>このくらい>へんくつに>なればもうしぶんはない。>そんなら>はやくから>がいしゅつでも>すればよいのにそれほどの>ゆうきも>ない。>いよいよ>かきの>こんじょうを>あらわしている。>しばらくすると>げじょが>きてかんげつ>さんが>おいでに>なりましたと>いう。>このかんげつという>おとこは>やはり>しゅじんの>きゅうもんかせいであった>そうだが、>いまでは>がっこうを>そつぎょうして、>なにでも>しゅじんより>りっぱに>なっているという>はなししである。>このおとこが>どういうわけか、>よく>しゅじんの>ところへ>あそびに>くる。>くると>じぶんを>こいって>いる>おんなが>あり>そうな、>な>さ>そうな、>よのなかが>おもしろ>そうな、>つまらな>そうな、>すごい>ような>つや>っぽい>ような>もんくばかり>ならべては>かえる。>しゅじんの>ような>しなび>かけた>にんげんを>もとめて、>わざわざこんな>はなししを>しに>くる>のから>してがてんが>いかぬが、>あのかき>てき>しゅじんが>そんなだんわを>きいてときどき|>あいづちを>うつ>のは>なお>おもしろい。「>しばらくごぶさたを>しました。>じつはきょねんの>くれから>だいに>かつどうしている>ものですから、>で>よう>でようと>おもっても、>つい>このほうがくへ>あしが>むかないので」と>はおりの>ひもを>ひねくりながらなぞ>みた>ような>ことを>いう。「>どっちの>ほうがくへ>あしが>むくかね」と>しゅじんは>まじめな>かおを>して、>くろき>わたの>もんつき>はおりの>そでぐちを>ひっぱる。>このはおりは>もめんで>ゆきが>たん>かい、>したからべん>べら>しゃが>さゆうへ>ごふん>くらい>ずつ>はみだしている。「>えへへへ>すこしちがった>ほうがくで」と>かんげつ>くんが>わらう。>みるときょうは>まえばが>いちまい>かけている。「>きみ>はを>どうか>したかね」と>しゅじんは>もんだいを>てんじた。「>え>え>じつはある>ところで>しいたけを>くいましてね」「>なにを>くったって?」「>その、>すこししいたけを>くった>んで。>しいたけの>かさを>まえばで>かみ>きろうと>したら>ぼろりと>はが>かけましたよ」「>しいたけで>まえばが>かける>なん>ざ、>なんだか>じい々>くさいね。>はいくには>なるかも>しれないが、>こいには>ならんよ>うだな」と>ひらてで>わがはいの>あたまを>かるく>たたく。「>ああ>そのねこが>れい>のですか、>なかなかふとっ>てるじゃ>ありませんか、>それなら>くるまやの>くろにだって>まけ>そうも>ありませんね、>りっぱな>ものだ」と>かんげつ>くんは>だいに>わがはいを>しょう>める。「>ちかごろ|>だいぶ>おおきく>なった>の>さ」と>じまんそうに>あたまを>ぽかぽか>なぐる。>しょう>め>られた>のは>とくいであるがあたまが>しょうしょういたい。「>いちさくやも>ちょいと>がっそうかいを>やりましてね」と>かんげつ>くんは>またはなしを>もとへ>もどす。「>どこで」「>どこでも>そりゃごききに>ならんでも>よいでしょう。>ヴぁいおりんが>さん|>ていと>ぴやのの>ばんそうで>なかなかおもしろかったです。>ヴぁいおりんも>さんていくらいに>なるとへたでも>きか>れる>ものですね。>ににんは>おんなで>わたしが>そのなかへ>まじりましたが、>じぶんでも>よく>はじけたと>おもいました」「>ふん、>そしてその>おんなという>のは>なにものかね」と>しゅじんは>うらやまし>そうに>といかける。>がんらい>しゅじんは>へいじょう|>かれき>かん>いわおの>ような>かお>づけは>している>ものの>みの>ところは>けっして>ふじんに>れいたんな>ほうではない、>かつて>せいようの>あるる>しょうせつを>よんだら、>そのなかに>ある>いちじんぶつが>でてきて、>それが>たいていの>ふじんには>かならずちょっとほれる。>かんじょうを>してみると>おうらいを>とおる>ふじんの>ななわり>じゃくには>れんちゃくすると>いう>ことが>ふうしてきに>かいてあった>のを>みて、>これは>しんりだと>かんしんした>くらいな>おとこである。>そんなうわきな>おとこが>なぜ>かき>てき>しょうがいを>おくっているかと>いう>のは>わがはい>ねこなどには>とうてい>わからない。>あるひとは>しつれんの>ためだとも>いうし、>あるひとは>いじゃくの>せいだとも>いうし、>またある>ひとは>きんが>なくておくびょうな>せいしつだからだとも>いう。>どっちに>したって>めいじの>れきしに>かんけいするほどな>じんぶつでもない>のだからかまわない。>しかしかんげつ>くんの>おんな>づれを>うらやまし>げに>たずねた>ことだけは>じじつである。>かんげつ>くんは>おもしろ>そうに>くちとりの>かまぼこを>はしで>はさんではんぶん>まえばで>くいきった。>わがはいは>またかけは>せぬかと>しんぱいしたがこんどは>だいじょうぶであった。「>なに>ににんとも>さるところの>れいじょうですよ、>ごぞんじの>ほうじゃ>ありません」と>よそ>よそ>しい>へんじを>する。「>なーる」と>しゅじんは>ひっぱったが「ほど」を>りゃくしてかんがえている。>かんげつ>くんは>もう>よい>かげんな>じぶんだと>おもった>ものか「>どうも>よい>てんきですな、>ご閑>なら>ごいっしょに>さんぽでも>しましょうか、>りょじゅんが>おちたのでしちゅうは>たいへんな>けいきですよ」と>促が>してみる。>しゅじんは>りょじゅんの>かんらくより>うなつらの>みもとを>ききたいと>いう>かおで、>しばらくかんがえこんでいたがようやく>けっしんを>した>ものと>みえて「>それじゃでると>しよう」と>おもいきってたつ。>やはり>くろ>もめんの>もんつき>はおりに、>あにの>きの>ねんとかいう>にじゅう>ねんらい|>き>ふる>した>ゆうきつむぎの>わた>いりを>きた>ままである。>いくら>ゆうきつむぎが>じょうぶだって、>こうき>つづけでは>たまらない。>ところどころが>うすく>なってにちに>すかしてみるとうらから>つぎを>あてた>はりの>めが>みえる。>しゅじんの>ふくそうには>しわすも>しょうがつも>ない。>ふだん>ぎも>よそ>ゆきも>ない。>でる>ときは>ふところでを>してぶらりと>でる。>ほかに>きる>ものが>ないからか、>あっても>めんどうだからき>かえない>のか、>わがはいには>わからぬ。>ただしこれだけは>しつれんの>ためとも>おもわ>れない。 >りょうにんが>でていった>あとで、>わがはいは>ちょっとしっけいしてかんげつ>くんの>くいきった>かまぼこの>のこりを>ちょうだいした。>わがはいも>このころでは>ふつう>いっぱんの>ねこではない。>まず>ももかわ>如>つばめ>いごの>ねこか、>ぐれーの>きんぎょを>偸>んだ>ねこくらいの>しかくは>じゅうぶん>あると>おもう。>くるまやの>くろなどは>かたより>がんちゅうに>ない。>かまぼこの>いっさいくらい>ちょうだいしたって>ひとから>かれこれ>いわ>れる>ことも>なかろう。>それにこの>ひとめを>しのんでかんしょくを>するという>くせは、>なにも>われ>とう>ねこ>ぞくに>かぎった>ことではない。>うちの>ご>さんなどは>よく>さいくんの>るすちゅうに>もちがしなどを>しっけいしては>ちょうだいし、>ちょうだいしては>しっけいしている。>ご>さんばかりじゃない>げんに>じょうひんな>しつけを>うけつつあるとさいくんから>ふいちょうせら>れている>しょうにですら>この>けいこうが>ある。>よんご>にちまえの>ことであったが、>ににんの>しょうともが>ばかに>はやくから>めを>さまして、>まだしゅじん>ふうふの>ねている>あいだに>たいい>あうて>しょくたくに>ついた。>かれらは>まいあさ>しゅじんの>くう>めん>麭の>いくぶんに、>さとうを>つけてくう>のが>れいであるが、>このひは>ちょうど>さとう>つぼが>しょくの>うえに>おか>れてさじさえ>そえてあった。>いつもの>ように>さとうを>ぶんぱいしてくれる>ものが>ないので、>おおきい>ほうが>やがて>つぼの>なかから>いちさじの>さとうを>すくい>だしてじぶんの>さらの>うえへ>あけた。>するとちいさい>のが>あねの>した>とおり>どうぶんりょうの>さとうを>どうほうほうで>じぶんの>さらの>うえに>あけた。>しょうらくりょうにんは>にらみあっていたが、>おおきい>のが>またさじを>とっていっぱいを>わがさらの>うえに>くわえた。>ちいさい>のも>すぐさじを>とってわが>ぶんりょうを>あねと>どういつに>した。>するとあねが>またいっぱい>すくった。>いもうとも>まけずに>いっぱいを>ふかした。>あねが>またつぼへ>てを>かける、>いもうとが>またさじを>とる。>みている>あいだに>いっぱい>いっぱい>いっぱいと>かさなって、>ついには>りょうにんの>さらには>やま>さかりの>さとうが>うずたかく>なって、>つぼの>なかには>いちさじの>さとうも>あまっておらんよ>うに>なった>とき、>しゅじんが>ねぼけ>めを>こすりながらしんしつを>でてきてせっかく>しゃくい>だした>さとうを>もとのごとく>つぼの>なかへ>いれてしまった。>こんなところを>みると、>にんげんは>りこ>しゅぎから>わりだした>こうへいという>ねんは>ねこより>まさっているかも>しれぬが、>ちえは>かえって>ねこより>おとっている>ようだ。>そんなに>やま>さかりに>しない>うちに>はやく>甞>めてしまえばいいにと>おもったが、>れいのごとく、>わがはいの>いう>ことなどは>つうじない>のだから、>きのどくな>がら>ごひつの>うえから>だまってけんぶつしていた。 >かんげつ>くんと>でかけた>しゅじんは>どこを>どうほこういた>ものか、>そのばん>おそく>かえってきて、>よくじつ>しょくたくに>ついた>のは>きゅうじ>ころであった。>れいの>ごひつの>うえから>はいけんしていると、>しゅじんは>だまってぞうにを>くっている。>かえては>くい、>かえては>くう。>もちの>きれは>ちいさいが、>なにでも>ろくせつか>ななせつ>くって、>さいごの>いちきれを>わんの>なかへ>のこして、>もう>よ>そうと>はしを>おいた。>たにんが>そんなわがままを>すると、>なかなかしょうちしない>のであるが、>しゅじんの>いこうを>ふり>まわり>わして>とくいなる>かれは、>にごった>しるの>なかに>こげ>ただれた>もちの>しがいを>みてへいきで>すましている。>さいくんが>ふくろどの>おくから>たかじやすたーぜを>だしてしょくの>うえに>おくと、>しゅじんは「>それは>きかないからのまん」と>いう。「>でもあなた>でんぷん>しつの>ものには>たいへん>こう>のうが>ある>そうですから、>めし>のぼったら>いいでしょう」と>のま>せた>がる。「>でんぷんだろうがなにだろうがだめだよ」と>がんこに>でる。「>あなたは>ほんとに>あき>っぽい」と>さいくんが>ひとりごとの>ように>いう。「>あき>っぽい>のじゃない>くすりが>きかん>のだ」「>それ>だってせんだって>じゅうは>たいへんに>よく>きく>よく>きくと>おっしゃってまいにち>まいにち>のぼった>じゃありませんか」「>こないだ>うちは>きいた>のだよ、>このころは>きかない>のだよ」と>ついくの>ような>へんじを>する。「>そんなに>のんだり>とめたり>しちゃ、>いくら>こう>のうの>ある>くすりでも>きく>きづかいは>ありません、>もうすこしからし>ぼうが>よくなくっちゃあいじゃく>なんぞは>ほかの>びょうきた>あ>ちがってなおらな>いわねえ」と>おぼんを>もってひかえた>ご>さんを>かえりみる。「>それは>ほんとうの>ところでございます。>もうすこしめし>のぼってごらんに>ならないと、>とてもよい>くすりか>わるい>くすりか>わかり>ますまい」と>ご>さんは>いちも>にも>なく>さいくんの>かたを>もつ。「>なにでも>いい、>のまん>のだからのまん>のだ、>おんなな>んかに>なにが>わかる>ものか、>だまっていろ」「>どうせ>おんなですわ」と>さいくんが>たかじやすたーぜを>しゅじんの>まえへ>つきつけてぜひ|>つめばらを>きら>せようと>する。>しゅじんは>なににも>いわず>たってしょさいへ>はいいる。>さいくんと>ご>さんは>かおを>みあわせてにやにやと>わらう。>こんなときに>あと>からくっ>ついていってひざの>うえへ>のると、>たいへんな>めに>あわ>さ>れるから、>そっと>にわから>めぐってしょさいの>椽>がわへ>のぼってしょうじの>すきから>のぞいてみると、>しゅじんは>えぴくてたすとか>いう>ひとの>ほんを>披>いてみておった。>もし>それが>へいじょうの>とおり>わかるなら>ちょっとえらい>ところが>ある。>ごろく>ふんするとその>ほんを>たたきつける>ように>つくえの>うえへ>ほうりだす。>おおかたそんな>ことだろうと>おもいな>がらな>おちゅういしていると、>こんどは>にち>きちょうを>だしてしたの>ような>ことを>かきつけた。>かんげつと、>ねづ、>うえの、>いけの>たん、>かんだ|>あたりを>さんぽ。>いけの>たんの>まちあいの>まえで>げいしゃが>すそもようの>はるぎを>きてはねを>ついていた。>いしょうは>うつくしいがかおは>すこぶる>まずい。>なんとなく>うちの>ねこに>にていた。 >なにも>かおの>まずい>れいに>とくに>わがはいを>ださなくっても、>よ>さ>そうな>ものだ。>わがはいだって>きた>ゆかへ>おこなってかおさえ>すってもらい>やあ、>そんなに>にんげんと>いった>ところは>ありゃ>しない。>にんげんは>こううぬぼれているからこまる。>たから>まことの>かくを>まがるとまた>いちにん>げいしゃが>きた。>これは>せの>すらりと>した>撫>かたの>かっこう>よく>でき>のぼった>おんなで、>きている>うすむらさきの>いふくも>すなおに>きこなさ>れてじょうひんに>みえた。>しろい>はを>だしてわらいながら「>みなもと>ちゃん>さくゆうは――>つい>忙が>しかった>もんだから」と>いった。>ただしその>こえは>たびからすのごとく>しわ>かれておった>ので、>せっかくの>ふうさいも>だいに>げらくした>ように>かんぜ>られたから、>いわゆるみなもと>ちゃん>なる>ものの>いかなるひと>なるかを>ふりむいてみるも>めんどうに>なって、>ふところでの>まま>おなり>みちへ>でた。>かんげつは>なんとなく>そわそわしている>ごとく>みえた。 >にんげんの>しんりほど>かいし>がたい>ものはない。>このしゅじんの>いまの>こころは>おこっている>のだか、>うか>れている>のだか、>またはてつじんの>いしょに>いちどうの>いあんを>もとめつつある>のか、>ちっとも>わからない。>よのなかを>れいしょうしている>のか、>よのなかへ>交りたい>のだか、>くだらぬ>ことに>きも>しゃくを>おこしている>のか、>もの>がいに>ちょうぜんと>している>のだか>さっぱりけんとうが>つかぬ。>ねこなどは>そこへ>いくとたんじゅんな>ものだ。>くいたければくい、>ねたければねる、>おこる>ときは>いっしょうけんめいに>おこり、>なく>ときは>ぜったいぜつめいに>なく。>だいいち>にっきなどという>むようの>ものは>けっして>つけない。>つける>ひつようが>ないからである。>しゅじんの>ように>うらおもての>ある>にんげんは>にっきでも>かいてせけんに>ださ>れない>じこの>めんぼくを>あんしつ>ないに>はっきする>ひつようが>あるかも>しれないが、>われ>とう|>ねこ>しょくに>いたるとぎょうじゅうざが、>ぎょう>屎>おく>にょう>ことごとく>しんせいの>にっきであるから、>べつだんそんな>めんどうな>てすうを>して、>おのれれの>まじめを>ほぞんするには>およばぬと>おもう。>にっきを>つける>ひまが>あるなら>椽>がわに>ねているまでの>こと>さ。>かんだの>ぼう>ていで>ばんさんを>くう。>ひさしぶりで>まさむねを>にさん>はいのんだら、>けさは>いの>ぐあいが>たいへん>いい。>いじゃくには>ばんしゃくが>いちばんだと>おもう。>たかじやすたーぜは>むろん>いかん。>だれが>なんと>いっても>だめだ。>どうしたって>きかない>ものは>きかない>のだ。 >む>あんに>たかじやすたーぜを>こうげきする。>ひとりで>けんかを>している>ようだ。>けさの>きも>しゃくが>ちょっとここへ>おを>だす。>にんげんの>にっきの>ほん>しょくは>こういう>へんに>そんする>のかも>しれない。>せんだって○○は>あさめしを>はいすると>いが>よく>なると>いうたから>にさん>にちあさめしを>やめてみたがはらが>ぐ>う>ぐ>う>なるばかりで>こう>のうはない。△△は>ぜひ|>こうのものを>たてと>ちゅうこくした。>かれの>せつに>よるとすべて>いびょうの>みなもと>いんは>つけものに>ある。>つけものさえ>たてばいびょうの>みなもとを>からす>わけだからほんぷくは>うたぐ>なしという>ろんぽうであった。>それから>いちしゅうかんばかり>こうのものに>はしを>ふれなかったがべつだんの>げんも>みえなかったからちかごろは>またくい>だした。かけるかけるに>きくとそれは>あんぷく揉>りょうじに>かぎる。>ただしふつうの>ではゆかぬ。>みなかわ>りゅうという>こりゅうな>もみ>かたで>いちに>どやら>せればたいていの>いびょうは>こんじできる。>やすい>そっけんも>たいへん>このあんまじゅつを>あいしていた。>さかもと>りょうまの>ような>ごうけつでも>ときどきは>ちりょうを>うけたと>いうから、>さっそく|>かみねぎしまで>でかけてもま>してみた。>ところがほねを>もまなければ癒>らぬとか、>ぞうふの>いちを>いちど|>てんとうしなければこんじが>し>にくいとか>いって、>それは>それは>ざんこくな>もみ>かたを>やる。>あとで>しんたいが>わたの>ように>なってこんすいびょうに>かかった>ような>こころもちが>した>ので、>いちどで>へいこうしてやめに>した。えい>くんは>ぜひこけい>からだを>くうなと>いう。>それから、>いちにち>ぎゅうにゅうばかり>のんでくらしてみたが、>このときは>ちょうの>なかで>どぼり>どぼりと>おとが>しておおみずでも>でた>ように>おもわ>れてしゅうや>ねむれなかった。びー>しは>よこ>かくまくで>こきゅうしてないぞうを>うんどうさ>せればしぜんと>いの>はたらきが>けんぜんに>なる>わけだからためしに>やってごらんと>いう。>これも>たしょうやったがなんとなく>ふくちゅうが>ふあんで>こまる。>それにときどき>おもいだした>ように>いっしんふらんに>かかりは>する>ものの>ごろく>ふんたつと>わすれてしまう。>わすれまいと>すると>よこ>かくまくが>きに>なってほんを>よむ>ことも>ぶんしょうを>かく>ことも>できぬ。>びがく>しゃの>迷>ていが>このからだを>みて、>さんけの>ついた>おとこじゃあるまいしよすがいいと>ひやかしたからこのごろは>はいしてしまった。しー>せんせいは>そばを>くったら>よかろうと>いうから、>さっそくかけ>ともりを>かわるがわる>くったが、>これは>はらが>くだるばかりで>なんらの>こう>のうも>なかった。>よは>ねんらいの>いじゃくを>なおす>ために>でき>える>かぎりの>ほうほうを>こうじてみたがすべて>だめである。>たださくや>かんげつと>かたむけた>さんはいの>まさむねは>たしかに>ききめが>ある。>これからは>まいばん>にさん>はいずつ>のむ>ことに>しよう。 >これも>けっして>ながく>つづく>ことはあるまい。>しゅじんの>こころは>わがはいの>がんきゅうの>ように>かんだん>なく>へんかしている。>なにを>やっても>えい>じの>しない>おとこである。>そのうえ>にっきの>うえで>いびょうを>こんなにしんぱいしている>くせに、>ひょう>むこうは>だいに>やせがまんを>するからおかしい。>せんだって>そのゆうじんで>ぼうという>がくしゃが>たずねてきて、>いっしゅの>けんちから、>すべての>びょうきは>ふその>ざいあくと>じこの>ざいあくの>けっかに>ほかならないと>いう>ぎろんを>した。>おおいた>けんきゅうした>ものと>みえて、>じょうりが>めいせきで>ちつじょが>せいぜんと>してりっぱな>せつであった。>きのどくながらうちの>しゅじんなどは>とうてい>これを>はんばくするほどの>ずのうも>がくもんも>ない>のである。>しかしじぶんが>いびょうで>くるしんでいる>さいだから、>なんとか>かんとか>べんかいを>してじこの>めんぼくを>たもとうと>おもった>ものと>みえて、「>きみの>せつは>おもしろいが、>あのかーらいるは>いじゃくだったぜ」と>あたかも>かーらいるが>いじゃくだからじぶんの>いじゃくも>めいよであると>いった>ような、>けんとうちがいの>あいさつを>した。>するとゆうじんは「>かーらいるが>いじゃくだって、>いじゃくの>びょうにんが>かならずかーらいるに>はなれ>ないさ」と>きめつけたのでしゅじんは>もくぜんと>していた。>かくのごとく>きょえい>こころに>とんでいるもののじっさいは>やはり>いじゃくでない>ほうが>いいと>みえて、>こんやから>ばんしゃくを>はじめるなどと>いう>のは>ちょっとこっけいだ。>かんがえてみるとけさ|>ぞうにを>あんなにたくさん>くった>のも>さくや>かんげつ>くんと>まさむねを>ひっくりかえした>えいきょうかも>しれない。>わがはいも>ちょっとぞうにが>くってみたく>なった。 >わがはいは>ねこではあるがたいていの>ものは>くう。>くるまやの>くろの>ように>よこちょうの>さかな>やまで>えんせいを>する>きりょくはないし、>しんどうの>にげんきんの>ししょうの>ところの>みけの>ように>ぜいたくは>むろん>いえる>みぶんでない。>したがってぞんがい|>いやは>すくない>ほうだ。>しょうともの>くい>こぼした>めん>麭も>くうし、>もちがしの※も>なめる。>こうのものは>すこぶる>まずいがけいけんの>ため>たくあんを>にきばかり>やった>ことが>ある。>くってみるとみょうな>もので、>たいていの>ものは>くえる。>あれは>いやだ、>これは>いやだと>いう>のは>ぜいたくな>わがままで>とうてい>きょうしの>いえに>いる>ねこなどの>くちに>すべき>ところでない。>しゅじんの>はなしに>よるとふらんすに>ばるざっくという>しょうせつ>かが>あった>そうだ。>このおとこが>だいの>ぜいたく>やで――>もっともこれは>くちの>ぜいたく>やではない、>しょうせつ>かだけに>ぶんしょうの>ぜいたくを>つくしたと>いう>ことである。>ばるざっくが>あるる>にち>じぶんの>かいている>しょうせつ>ちゅうの>にんげんの>なを>つけようと>おもっていろいろつけてみたが、>どうしても>きにいらない。>ところへ>ゆうじんが>あそびに>きたのでいっしょに>さんぽに>でかけた。>ゆうじんは>かたより>なにも>しらずに>つれださ>れた>のであるが、>ばるざっくは>かねてじぶんの>くしんしている>なを>めつけ>ようという>かんがえだからおうらいへ>でるとなにも>しないでみせさきの>かんばんばかり>みてほこういている。>ところがやはり>きにいった>なが>ない。>ゆうじんを>つれてむ>あんに>あるく。>ゆうじんは>わけが>わからずに>くっ>ついていく。>かれらは>ついに>あさから>ばんまで>ともえ>りを>たんけんした。>そのかえりがけに>ばるざっくは>ふと>ある>さいほうやの>かんばんが>めに>ついた。>みるとその>かんばんに>まーか>すという>なが>かいてある。>ばるざっくは>てを>はくって「>これだ>これだ>これに>かぎる。>まーか>すは>よい>なじゃないか。>まーか>すの>うえへずぃーと>いう>かしらもじを>つける、>するともうしぶんの>ない>なが>できる。ずぃーでなくては>いかん。>Z.えむえいあーるしーゆーえすは>じつに>うまい。>どうも>じぶんで>つくった>なは>うまく>つけた>つもりでも>なんとなく>こいとらしい>ところが>あっておもしろくない。>ようやくの>ことで>きにいった>なが>できた」と>ゆうじんの>めいわくは>まるで>わすれて、>いちにん>うれし>がったと>いうが、>しょうせつ>ちゅうの>にんげんの>なまえを>つけるに>いちにち>ともえ>りを>たんけんしなくては>ならぬ>ようでは>ずいぶん|>てすうの>かかる>はなしだ。>ぜいたくも>このくらい>できればけっこうな>ものだがわがはいの>ように>かき>てき>しゅじんを>もつ>みのうえでは>とてもそんな>きは>でない。>なにでも>いい、>くえ>さえ>すれば、と>いう>きに>なる>のも>きょうぐうの>しから>しむ>る>ところであろう。>だからいま|>ぞうにが>くいたく>なった>のも>けっして>ぜいたくの>けっかではない、>なにでも>くえる>ときに>くっておこうという>こうから、>しゅじんの>くい>あま>した>ぞうにが>もしや>だいどころに>のこっていは>すまいかと>おもいだしたからである。……>だいどころへ>めぐってみる。 >けさ>みた>とおりの>もちが、>けさ>みた>とおりの>いろで>わんの>そこに>こうちゃくしている。>はくじょうするがもちという>ものは>いままで>いち|>あたりも>くちに>いれた>ことが>ない。>みるとうま>そうにも>あるし、>またすこしは>きみが>わるくもある。>まえあしで>うえに>かかっている>なっぱを>かき>よせる。>つめを>みるともちの>じょうひが>ひき>かかってねばねばする。>かいでみるとかまの>そこの>めしを>ごひつへ>うつす>ときの>ような>こうが>する。>くおうかな、>やめようかな、と>あたりを>みまわす。>こうか>ふこうか>だれも>いない。>ご>さんは>くれも>はるも>おなじような>かおを>してはねを>ついている。>しょうともは>おく>ざしきで「>なにと>おっしゃる>うさぎ>さん」を>うたっている。>くうと>すればいまだ。>もし>このきを>はずすとらいねんまでは>もちという>ものの>あじを>しらずに>くらしてしまわねばならぬ。>わがはいは>このせつなに>ねこながら>いちの>しんりを>かんとくした。「>えがたき>きかいは>すべての>どうぶつを>して、>このまざる>ことをも>敢て>せ>しむ」>わがはいは>みを>いうとそんなに>ぞうにを>しょく>いたくはない>のである。>いな|>わん>そこの>ようすを>じゅくしすればするほど>きみがわるく>なって、>くう>のが>いやに>なった>のである。>このとき>もし>ご>さんでも>かってぐちを>あけたなら、>おくの>しょうともの>あしおとが>こちらへ>ちかづく>のを>きき>えたなら、>わがはいは>惜>きも>なく>わんを>みすてたろう、>しかもぞうにの>ことは>らいねんまで>ねんとうに>うかばなかったろう。>ところがだれも>こない、>いくら※>躇>していても>だれも>こない。>はやく>くわぬか>くわぬかと>さいそくさ>れる>ような>こころもちが>する。>わがはいは>わんの>なかを>のぞき>こみながら、>はやく>だれか>きてくれればいいと>ねんじた。>やはり>だれも>きてくれない。>わがはいは>とうとう>ぞうにを>くわなければならぬ。>さいごに>からだ>ぜんたいの>じゅうりょうを>わんの>そこへ>おとす>ように>して、>あぐりと>もちの>かくを>いっすんばかり>くいこんだ。>このくらい>ちからを>こめてくい>ついた>のだから、>たいていな>ものなら>かみ>きれる>わけだが、>おどろいた! >もう>よかろうと>おもってはを>ひこうと>すると>ひけない。>もう>いち|>あたり>かみ>なおそうと>すると>うごきが>とれない。>もちは>まものだなと>かん>づいた>ときは>すでに>おそかった。>ぬまへでも>おちた>ひとが>あしを>ぬこうと>しょうりょる>たびに>ぶくぶく>ふかく>しずむ>ように、>かめばかむほど>くちが>おもく>なる、>はが>うごかなく>なる。>は>こたえは>あるが、>は>こたえが>あるだけで>どうしても>しまつを>つける>ことが>できない。>びがく>しゃ>迷>てい>せんせいが>かつて>わがはいの>しゅじんを>ひょうしてきみは>わりきれない>おとこだと>いった>ことが>あるが、>なるほど>うまい>ことを>いった>ものだ。>このもちも>しゅじんと>おなじように>どうしても>わりきれない。>かんでも>かんでも、>さんで>じゅうを>わる>ごとく>じんみらい>ぎわ>かたの>つく>きはあるまいと>おもわ>れた。>このはんもんの>さい>わがはいは>おぼえず>だいにの>しんりに>ほうちゃくした。「>すべての>どうぶつは>ちょっかくてきに>じぶつの>てきふてきを>よちす」>しんりは>すでに>ふたつまで>はつめいしたが、>もちが>くっ>ついているのでごうも>ゆかいを>かんじない。>はが>もちの>にくに>きゅうしゅうさ>れて、>ぬける>ように>いたい。>はやく>くいきってにげないと>ご>さんが>くる。>しょうともの>しょうかも>やんだ>ようだ、>きっと>だいどころへ>馳け>で>してくるに>そういない。>はんもんの>きょく>しっぽを>ぐるぐる>ふってみたがなんらの>こう>のうも>ない、>みみを>たてたり>ねかしたり>したがだめである。>かんがえてみるとみみと>しっぽは>もちと>なんらの>かんけいも>ない。>ようするに>ふり>そんの、>たて>そんの、>ねかし>そんであると>きがついたからやめに>した。>ようやくの>こと>これは>まえあしの>たすけを>かりてもちを>はらい>おとすに>かぎると>かんがえついた。>まず>みぎの>ほうを>あげてくちの>しゅういを>なで>まわす。>なでた>くらいで>わりきれる>わけの>ものではない。>こんどは>ひだりりの>ほうを>のしてくちを>ちゅうしんとして>きゅうげきに>えんを>かくしてみる。>そんなのろいで>まは>おちない。>からし>ぼうが>かんじんだと>おもってさゆう|>交る>交>るに>うごかしたがやはり>いぜんとして>はは>もちの>なか>にぶ>ら>くだっている。>え>え>めんどうだと>りょうあしを>いちどに>つかう。>するとふしぎな>ことに>このときだけは>あとあし>にほんで>たつ>ことが>できた。>なんだか>ねこでない>ような>かんじが>する。>ねこであろうが、>あるまいがこうなった>ひにゃ>あ>かまう>ものか、>なにでも>もちの>まが>おちるまで>やるべしと>いう>いきごみで>むちゃくちゃに>かお>ちゅう>ひっかき>まわす。>まえあしの>うんどうが>もうれつなのでやや>ともすると>ちゅうしんを>うしなってたおれ>かかる。>たおれ>かかる>たびに>あとあしで>ちょうしを>とらなくては>ならぬから、>ひとつ>しょに>いる>わけにも>いかんので、>だいどころ>なか>あちら、>こちらと>とんでめぐる。>われながらよく>こんなにきように>たってい>られた>ものだと>おもう。>だいさんの>しんりが>まっしぐらに>げんぜんする。「>ききに>のぞめばへいじょうなし>あたわざる>ところの>ものを>なし>あたう。>これを>てんゆうと>いう」>こうに>てんゆうを>とおる>けたる>わがはいが>いっしょうけんめい>もちの>まと>たたかっていると、>なんだか>あしおとが>しておくより>ひとが>くる>ような>きあいである。>ここで>ひとに>こ>られては>たいへんだと>おもって、>いよいよ>やっきと>なってだいどころを>かけ>めぐる。>あしおとは>だんだんちかづいてくる。>ああ>ざんねんだがてんゆうが>すこしたりない。>とうとう>しょうともに>みつけ>られた。「>あら>ねこが>ごぞうにを>たべておどりを>おどっている」と>おおきなこえを>する。>このこえを>だいいちに>ききつけた>のが>ご>さんである。>はねも>はごいたも>うち>つかってかってから「>あら>まあ」と>とびこんでくる。>さいくんは>ちりめんの>もんつきで「>いやな>ねこねえ」と>おおせ>られる。>しゅじん>さえ>しょさいから>でてきて「>このばか>やろう」と>いった。>おもしろい>おもしろいと>いう>のは>しょうともばかりである。>そうしてみんな>もうしあわせた>ように>げらげら>わらっている。>はらは>たつ、>くるしくは>ある、>おどりは>やめる>わけに>ゆかぬ、>よわった。>ようやく>わらいが>やみ>そうに>なったら、>いつつに>なる>おんなのこが「>ごか>あ>よう、>ねこも>ずいぶんね」と>いったのできょうらんを>きとうに>なんとかするという>ぜいで>またたいへん>わらわ>れた。>にんげんの>どうじょうに>とぼしい>じっこうも>だいぶ>けんぶんしたが、>このときほど>うらめしく>かんじた>ことはなかった。>ついに>てんゆうも>どっかへ>きえうせて、>ざいらいの>とおり>よっつ>這に>なって、>めを>しろくろする>の>しゅうたいを>えんずるまでに>へいこうした。>さすが>みごろしに>する>のも>きのどくと>みえて「>まあ>もちを>とってやれ」と>しゅじんが>ご>さんに>めいずる。>ご>さんは>もっと>おどら>せようじゃ>ありませんかという>め>づけで>さいくんを>みる。>さいくんは>おどりは>みたいが、>ころしてまで>みる>きはないのでだまっている。「>とってやらんと>しんでしまう、>はやく>とってやれ」と>しゅじんは>ふたたびげじょを>かえりみる。>ご>さんは>ごちそうを>はんぶん>たべ>かけてゆめから>おこさ>れた>ときの>ように、>きの>ない>かおを>してもちを>つかんでぐいと>ひく。>かんげつ>きみじゃないがまえばが>みんな>おれるかと>おもった。>どうも>いたい>の>いたくない>のって、>もちの>なかへ>かたく>くいこんでいる>はを>なさけ>ようしゃも>なく>ひっぱる>のだからたまらない。>わがはいが「>すべての>あんらくは>こんくを>つうかせざるべからず」と>いう>だいよんの>しんりを>けいけんして、>けろけろと>あたりを>みまわした>ときには、>かじんは>すでに>おく>ざしきへ>はいいってしまっておった。 >こんなしっぱいを>した>ときには>うちに>いてご>さんなんぞに>かおを>み>られる>のも>なんとなく>ばつが>わるい。>いっその>こと>きを>えき>えてしんどうの>にげんきんの>ごししょう>さんの>ところの>みけ>こでも>ほうもんしようと>だいどころから>うらへ>でた。>みけ>こは>このきんぺんで>ゆうめいな>びぼう>かである。>わがはいは>ねこには>そういないがものの>なさけは>いちとおり>こころえている。>うちで>しゅじんの>にがい>かおを>みたり、>ご>さんの>けん>突を>くってきぶんが>すぐれん>ときは>かならずこの>いせいの>ほうゆうの>もとを>ほうもんしていろいろな>はなしを>する。>すると、>いつのまにか>こころが>はればれしていままでの>しんぱいも>くろうも>なにもかも>わすれて、>うまれかわった>ような>こころもちに>なる。>じょせいの>えいきょうという>ものは>じつに>ばくだいな>ものだ。>すぎ>かきの>すきから、>いるかなと>おもってみわたすと、>みけ>こは>しょうがつだからくびわの>あたらしい>のを>してぎょうぎ>よく>椽>がわに>すわっている。>そのせなかの>まる>さ>かげんが>いうに>いわ>れん>ほど>うつくしい。>きょくせんの>びを>つくしている。>しっぽの>まがり>かげん、>あしの>おり>ぐあい、>ものう>げに>みみを>ちょいちょい>ふる>けしきなども>とうてい>けいようが>できん。>ことに>よく>ひの>あたる>ところに>あたたか>そうに、>しな>よく>ひかえている>ものだから、>しんたいは>せいしゅく>たんせいの>たいどを>ゆうするにも>かんらず、>てん>がもうを>あざむくほどの>なめらかな>まんしんの>けは>はるの>ひかりを>はんしゃしてかぜ>なきに>むらむらと>びどうする>ごとくに>おもわ>れる。>わがはいは>しばらくこうこつとして>ながめていたが、>やがて>われに>かえるとどうじに、>ひくい>こえで「>みけ>こ>さん>みけ>こ>さん」と>いいながらまえあしで>まねいた。>みけ>こは「>あら>せんせい」と>椽を>おりる。>あかい>くびわに>つけた>すずが>ちゃ>ら>ちゃ>らと>なる。>おや>しょうがつに>なったら>すずまで>つけたな、>どうも>いい>おとだと>かんしんしている>あいだに、>わがはいの>そばに>きて「>あら>せんせい、>おめでとう」と>おを>ひだりりへ>ふる。>われ>とう|>ねこ>しょくかんで>ごかたみに>あいさつを>する>ときには>おを>ぼうのごとく>たてて、>それを>ひだりりへ>ぐるりと>まわす>のである。>ちょうないで>わがはいを>せんせいと>よんでくれる>のは>このみけ>こばかりである。>わがはいは>ぜんかい>ことわった>とおり>まだなはない>のであるが、>きょうしの>いえに>いる>ものだからみけ>こだけは>そんけいしてせんせい>せんせいと>いってくれる。>わがはいも>せんせいと>いわ>れてまんざら>わるい>こころもちも>しないから、>はい>はいと>へんじを>している。「>やあ>おめでとう、>たいそう>りっぱに>ごけしょうが>できましたね」「>え>え>きょねんの>くれ|>ごししょう>さんに>かっていただいた>の、>むべ>いでしょう」と>ちゃ>ら>ちゃ>ら>ならしてみせる。「>なるほど>よい>おとですな、>われ>やからなどは>うまれてから、>そんなりっぱな>ものは>みた>ことが>ないですよ」「>あら>いやだ、>みんな>ぶらさげるのよ」と>またちゃ>ら>ちゃ>ら>ならす。「>いい>おとでしょう、>あたし>うれしいわ」と>ちゃ>ら>ちゃ>ら>ちゃ>ら>ちゃ>ら>つづけざまに>ならす。「>あなたの>うちの>ごししょう>さんは>たいへん>あなたを>かわいがっていると>みえますね」と>われ>みに>ひき>くらべてあんに>欣>ともの>いを>もらす。>みけ>こは>むじゃきな>ものである「>ほんとよ、>まるで>じぶんの>しょうともの>ようよ」と>あどけなく>わらう。>ねこだって>わらわないとは>かぎらない。>にんげんは>じぶんより>ほかに>わらえる>ものが>ない>ように>おもっている>のは>まちがいである。>わがはいが>わらう>のは>はなの>あなを>さんかくに>していんこう>ほとけを>しんどうさ>せてわらう>のだからにんげんには>わからぬ>はずである。「>いったい>あなたの>ところの>ごしゅじんは>なにですか」「>あら>ごしゅじんだって、>みょうなのね。>ごししょう>さんだわ。>にげんきんの>ごししょう>さんよ」「>それは>わがはいも>しっていますがね。>そのおんみ>ぶんは>なにな>んです。>いずれ>むかし>しは>りっぱな>ほうな>んで>しょうな」「>ええ」  >きみを>まつ>あいだの>ひめこまつ…………… >しょうじの>うちで>ごししょう>さんが>にげんきんを>はじきだす。「>むべ>い>こえでしょう」と>みけ>こは>じまんする。「>むべ>い>ようだが、>わがはいには>よく>わからん。>ぜんたい>なにという>ものですか」「>あれ? >あれは>なんとかって>ものよ。>ごししょう>さんは>あれが>だいすきな>の。……>ごししょう>さんは>あれで>ろくじゅう>によ。>ずいぶんじょうぶだわね」>ろくじゅう>にで>いきているくらいだからじょうぶと>いわねばなるまい。>わがはいは「>はあ」と>へんじを>した。>すこしかんが>ぬけた>ようだがべつに>めいとうも>でてこなかったからしかたが>ない。「>あれでも、>もとは>みぶんが>たいへん>よかった>んだって。>いつでも>そうおっしゃる>の」「>へえ>もとは>なにだった>んです」「>なんでもてんしょういん>さまの>ごゆうひつの>いもうとの>ごよめに>いった>さき>きの>ごっ>かさん>の>おいの>むすめな>んだって」「>なにで>すって?」「>あのてんしょういん>さまの>ごゆうひつの>いもうとの>ごよめに>いった……」「>なるほど。>すこしまってください。>てんしょういん>さまの>いもうとの>ごゆうひつの……」「>あらそうじゃない>の、>てんしょういん>さまの>ごゆうひつの>いもうとの……」「>よろしい>わかりました>てんしょういん>さま>のでしょう」「>ええ」「>ごゆうひつ>のでしょう」「>そうよ」「>ごよめに>いった」「>いもうとの>ごよめに>いったですよ」「>そうそう>まちがった。>いもうとの>ごよめに>はいった>さき>きの」「>ごっ>かさん>の>おいの>むすめな>んですとさ」「>ごっ>かさん>の>おいの>むすめな>んですか」「>ええ。>わかったでしょう」「>いいえ。>なんだか>こんざつしてようりょうを>えないですよ。>つまる>ところ>てんしょういん>さまの>なにに>なる>んですか」「>あなたも>よっぽど>わからないのね。>だからてんしょういん>さまの>ごゆうひつの>いもうとの>ごよめに>いった>さき>きの>ごっ>かさん>の>おいの>むすめな>んだって、>さき>っ>きっからいっ>てる>んじゃ>ありませんか」「>それは>すっかり>わかっている>んですがね」「>それが>わかりさえ>すればいい>んでしょう」「>ええ」と>しかたが>ないからこうさんを>した。>われ々は>ときと>すると>りづめの>きょげんを>はかねばならぬ>ことが>ある。 >しょうじの>なかで>にげんきんの>おとが>ぱったり>やむと、>ごししょう>さんの>こえで「>みけや>みけや>ごはんだよ」と>よぶ。>みけ>こは>うれし>そうに「>あら>ごししょう>さんが>よんでいらっしゃるから、>わたし>し>かえるわ、>よくって?」>わるいと>いったって>しかたが>ない。「>それじゃまたあそびに>いらっしゃい」と>すずを>ちゃ>ら>ちゃ>ら>ならしてにわさきまで>かけていったがきゅうに>もどってきて「>あなた>たいへん>しょくが>わるくってよ。>どうか>し>や>しなくって」と>しんぱいそうに>といかける。>まさか>ぞうにを>くっておどりを>おどったとも>いわ>れないから「>なに>べつだんの>ことも>ありませんが、>すこしかんがえごとを>したら>ずつうが>してね。>あなたと>はなしでも>したら>なおるだろうと>おもってじつは>でかけてきた>のですよ」「>そう。>ごだいじに>なさいまし。>さようなら」>すこしは>な>のこりおし>げに>みえた。>これで>ぞうにの>げんきも>さっぱりと>かいふくした。>いい>こころもちに>なった。>かえりに>れいの>ちゃえんを>とおりぬけようと>おもってしもばしらの>とけ>かかった>のを>ふみつけな>がら>けんにんじの>くずれから>かおを>だすとまたくるまやの>くろが>枯>きくの>うえに>せを>やまに>してあくびを>している。>ちかごろは>くろを>みてきょうふする>ような>わがはいではないが、>はなしを>さ>れると>めんどうだからしらぬかおを>していきすぎようと>した。>くろの>せいしつとして>たが>おのれれを>けいぶしたと>認>むるや>いなや>けっして>だまっていない。「>おい、>な>なしの>ごんべえ、>ちかごろじゃ>おつ>う>たかく>とまっ>てる>じゃあ>ねえか。>いくら>きょうしの>めしを>くったって、>そんなこうまんちきな>めん>ら>あ>するねえ。>ひと>つけ>おもしろくもねえ」>くろは>わがはいの>ゆうめいに>なった>のを、>まだしらんと>みえる。>せつめいしてやりたいがとうてい>わかる>やつではないから、>まず>いちおうの>あいさつを>してでき>える>かぎり>はやく>ごめん>こうむるに>わかくはないと>けっしんした。「>いやくろ>くん>おめでとう。>ふそう>へん>げんきが>いいね」と>しっぽを>たててひだりへ>くるりと>まわり>わ>す。>くろは>しっぽを>たて>たぎり>あいさつも>しない。「>なに>おめでてえ? >しょうがつで>おめでたけりゃ、>ごめ>え>なん>ざ>あ>としが>ねんじゅうおめでてえ>かただろう。>きを>つけろ>い、>このふい>この>むこう>めん>め」>ふい>この>むこう>づらという>くは>ばりの>げんごである>ようだが、>わがはいには>りょうかいが>できなかった。「>ちょっと伺がうが>ふい>この>むこう>づらと>いう>のは>どういう>いみかね」「>へん、>て>め>えが>わる>たいを>つか>れ>てる>くせに、>そのわけを>ききゃ>せわあねえ、>だからしょうがつ>やろうだって>ことよ」>しょうがつ>やろうは>してきであるが、>そのいみに>いたると>ふい>この>なんとかよりも>いっそうふめいりょうな>もんくである。>さんこうの>ため>ちょっときいておきたいが、>きいたって>めいりょうな>とうべんは>え>られぬ>に>きわまっているから、>めんと>たいった>まま>むごんで>たっておった。>いささか>てもちぶさたの>からだである。>するととつぜんくろの>うちの>かみ>さんが>おおきなこえを>はり>あげて「>おや>たなへ>あげておいた>さけが>ない。>たいへんだ。>またあの>くろの>ちくしょうが>とった>んだよ。>ほんとに>にくらしい>ねこだっちゃありゃ>あし>ない。>いまに>かえってきたら、>どうするか>みていやがれ」と>どなる。>しょしゅんの>のどかな>くうきを>ぶえんりょに>しんどうさ>せて、>えだを>ならさぬ>きみが>みよを>だいに>ぞく>りょう>してしまう。>くろは>どなるなら、>どなり>たいだけ>どなっていろと>いわぬ>ば>かりに>おうちゃくな>かおを>して、>しかくな>顋を>まえへ>だしながら、>あれを>きいたかと>あいずを>する。>いままでは>くろとの>おうたいで>きがつかなかったが、>みるとかれの>あしの>したには>いちきれ>にせん>さんりんに>そうとうする>さけの>ほねが>どろ>だらけに>なってころがっている。「>きみ|>ふそう>へん>やっ>てるな」と>いままでの>ゆきがかりは>わすれて、>つい>かん>とう>しを>ほうていした。>くろは>そのくらいな>ことでは>なかなかきげんを>なおさない。「>なにが>やっ>てるで>え、>このやろう。>しゃけの>いっさいや>にせつで>そう>かわらずた>あ>なんだ。>ひとを>みくび>び>った>ことを>いうねえ。>はばかりながら>くるまやの>くろだ>あ」と>うでまくりの>かわりに>みぎの>まえあしを>ぎゃくかに>かたの>あたりまで>かき>あげた。「>きみが>くろ>くんだと>いう>ことは、>はじめから>しっ>てるさ」「>しっ>てるのに、>あいかわらず>やっ>てるた>あ>なんだ。>なにだて>え>ことよ」と>あつい>のを>しきりに>ふき>かける。>にんげんなら>むなぐらを>とら>れてこづき>まわさ>れる>ところである。>しょうしょう|>へきえきしてないしん>こまった>ことに>なったなと>おもっていると、>ふたたびれいの>かみ>さんの>おおごえが>きこえる。「>ちょいと>にしかわ>さん、>おい>にしかわ>さんて>ば、>ようが>ある>んだよ>この>ひと>あ。>ぎゅうにくを>いち|>きん>すぐもってくる>んだよ。>いい>かい、>わかった>かい、>ぎゅうにくの>かたくない>ところを>いちきんだよ」と>ぎゅうにく>ちゅうもんの>こえが>しりんの>せきばくを>やぶる。「>へん>としに>いっぺん>ぎゅうにくを>あつらえると>おもって、>いやに>おおきなこえを>だしゃ>あ>がら>あ。>ぎゅうにく>いちきんが>となり>きんじょへ>じまんなんだからしまつに>つい>え>ねえ>おもね>まだ」と>くろは>あざけりながらよっつ>あしを>踏>はる。>わがはいは>あいさつの>しようも>ないからだまってみている。「>いちきん>くらい>じゃあ、>しょうちが>できねえ>んだが、>しかたが>ね>え、>いいからとっ>ときゃ、>いまに>くってやら>あ」と>じぶんの>ために>あつらえた>もののごとく>いう。「>こんどは>ほんとうの>ごちそうだ。>けっこう>けっこう」と>わがはいは>なるべくかれを>きそうと>する。「>ごめ>っ>ちの>しった>ことじゃねえ。>だまっていろ。>うる>せ>え>や」と>いいながらとつぜん|>あとあしで>しもばしらの>くずれた>やつを>わがはいの>あたまへ>ば>さりと>あびせ>かける。>わがはいが>おどろき>ろ>いて、>からだの>どろを>はらっている>あいだに>くろは>かきねを>もぐって、>どこかへ>すがたを>かくした。>おおがた>にしかわの>うしを>覘に>いった>ものであろう。 >いえへ>かえるとざしきの>なかが、>いつに>なく>はるめいてしゅじんの>わらいごえ>さえ>ようきに>きこえる。>はてなと>あけはなした>椽>がわから>のぼってしゅじんの>そばへ>よってみると>みなれぬ>きゃくが>きている。>あたまを>きれいに>わけて、>もめんの>もんつきの>はおりに>こくらの>はかまを>つけてしごく>まじめ>そうな>しょ>せいたいの>おとこである。>しゅじんの>て>あぶりの>かくを>みるとしゅんけい>ぬりの>まきたばこ>はいれと>ならんでおち>こち>くんを>しょうかい致|>こう>みずしま>かんげつという>めいしが>ある>ので、>このきゃくの>なまえも、>かんげつ>くんの>ゆうじんであると>いう>ことも>しれた。>しゅきゃくの>たいわは>とちゅうからであるからぜんごが>よく>わからんが、>なにでも>わがはいが>ぜんかいに>しょうかいした>びがく>しゃ>迷>てい>くんの>ことに>かんしているらしい。「>それでおもしろい>しゅこうが>あるからぜひいっしょに>らいいと>おっしゃるので」と>きゃくは>おちついていう。「>なにですか、>そのせいよう>りょうりへ>おこなってうま>めしを>くう>のについて>しゅこうが>あると>いう>のですか」と>しゅじんは>ちゃを>ぞくぎ>たしてきゃくの>まえへ>おしやる。「>さあ、>そのしゅこうという>のが、>そのときは>わたしにも>わからなかった>んですが、>いずれ>あのほうの>ことですから、>なにか>おもしろい>たねが>ある>のだろうと>おもいまして……」「>いっしょに>いきましたか、>なるほど」「>ところがおどろいた>のです」>しゅじんは>それ>みたかと>いわぬ>ば>かりに、>ひざの>うえに>のった>わがはいの>あたまを>ぽかと>たたく。>すこしいたい。「>またばかな>ちゃばん>みた>ような>ことな>んでしょう。>あのおとこは>あれが>くせでね」と>きゅうに>あんどれあ・>でる・>さると>じけんを>おもいだす。「>へ>へー。>きみ>なにか>かわった>ものを>くおうじゃないかと>おっしゃるので」「>なにを>くいました」「>まず>こんだてを>みながらいろいろりょうりについての>ごはなししが>ありました」「>あつらえ>ら>えない>まえ>にですか」「>ええ」「>それから」「>それからくびを>ひねってぼいの>ほうを>ごらんに>なって、>どうも>かわった>ものもない>ようだなと>おっしゃると>ぼいは>まけぬ>きで>かもの>ろーすか>こうじの>ちゃっぷなどは>いかがですというと、>せんせいは、>そんなつきなみを>くいに>わざわざここまで>らいやしないと>おっしゃる>んで、>ぼいは>つきなみという>いみが>わからん>ものですからみょうな>かおを>してだまっていましたよ」「>そうでしょう」「>それからわたしの>ほうを>ごむきに>なって、>きみ|>ふらんすや>えい>よしとしへ>いくとずいぶん|>てんめい>ちょうや>まんよう>ちょうが>くえる>んだが、>にち>ほんじゃどこへ>おこなったって>ばんで>おした>ようで、>どうも>せいよう>りょうりへ>はいいる>きが>しないと>いう>ような>たいき※で――>ぜんたい>あのほうは>ようこうなすった>ことが>ある>のですかな」「>なに>迷>ていが>ようこうなんか>する>もんですか、>そりゃきんもあり、>ときもあり、>いこうと>おもえばいつでも>いか>れる>んですがね。>おおかたこれから>いく>つもりの>ところを、>かこに>みたてた>しゃらくな>んでしょう」と>しゅじんは>じぶんながらうまい>ことを>いった>つもりで>さそい>で>ししょうを>する。>きゃくは>さまで>かんぷくした>ようすも>ない。「>そうですか、>わたしは>またいつのまに>ようこうなさったかと>おもって、>つい>まじめに>はいちょうしていました。>それに>みてきた>ように>なめくじの>そっぷの>ごはなしや>かえるの>しちゅの>けいようを>なさる>ものですから」「>そりゃだれかに>きいた>んでしょう、>うそを>つく>ことは>なかなかめいじんですからね」「>どうも>そうの>ようで」と>かびんの>すいせんを>ながめる。>すこしく>ざんねんの>きしょくにも>とら>れる。「>じゃしゅこうという>のは、>それな>んですね」と>しゅじんが>ねんを>おす。「>いえそれは>ほんのぼうとうなので、>ほんろんは>これからな>のです」「>ふーん」と>しゅじんは>こうき>てきな>かん>とう>しを>はさむ。「>それから、>とてもなめくじや>かえるは>くおうっても>くえ>やしないから、>まあ>とち>めん>ぼーくらいな>ところで>まけ>とく>ことに>しようじゃないか>きみと>ごそうだんなさる>ものですから、>わたしは>つい>なにの>き>なしに、>それが>いいでしょう、と>いってしまったので」「>へー、>とち>めん>ぼうは>みょうですな」「>え>え>まったくみょうな>のですが、>せんせいが>あまりまじめだ>ものですから、>つい>きがつきませんでした」と>あたかも>しゅじんに>むかって麁>忽を>わびている>ように>みえる。「>それからどうしました」と>しゅじんは>むとんじゃくに>きく。>きゃくの>しゃざいには>いっこう>どうじょうを>あらわしておらん。「>それからぼい>におい>とち>めん>ぼーを>ににん>まえ>もってこいと>いうと、>ぼいが>めんち>ぼーですかと>きき>なおしましたが、>せんせいは>ますますまじめな>貌で>めんち>ぼーじゃない>とち>めん>ぼーだと>ていせいさ>れました」「>な>ある。>そのとち>めん>ぼーという>りょうりは>いったい>ある>んですか」「>さあわたしも>すこしおかしいとは>おもいましたがいかにも>せんせいが>ちんちゃくで>あるし、>そのうえ>あのとおりの>せいよう>どおりで>いらっしゃるし、>ことに>そのときは>ようこうなすった>ものと>しんじ>きっていた>ものですから、>わたしも>くちを>そえてとち>めん>ぼーだ>とち>めん>ぼーだと>ぼいに>おしえてやりました」「>ぼいは>どうしました」「>ぼいが>ね、>いま>かんがえるとじつに>こっけいな>んですがね、>しばらくしあんしていましてね、>はなはだ>ごきのどく>さまですがきょうは>とち>めん>ぼーは>ごあいにく>さまで>めんち>ぼーな>ら>ご>ににん>まえ>すぐに>できますというと、>せんせいは>ひじょうに>ざんねんな>ようすで、>それじゃせっかく>ここまで>きた>かいが>ない。>どうか>とち>めん>ぼーを>つごう>してくわせてもらう>わけには>いくまいかと、>ぼいに>にじゅう>せんぎんかを>やら>れると、>ぼいは>それでは>ともかくも>りょうりばんと>そうだんしてまいりましょうと>おくへ>いきましたよ」「>たいへん>とち>めん>ぼーが>くいたかったと>みえますね」「>しばらくしてぼいが>でてきてしんに>ごあいにくで、>ごあつらえなら>こしらえますがしょうしょうじかんが>かかります、と>いうと>迷>てい>せんせいは>おちついた>もので、>どうせ>われわれは>しょうがつで>ひま>なんだから、>すこしまってくっていこうじゃないかと>いいながらぽっけっとから>はまきを>だしてぷ>かり>ぷ>かり>ふかし>はじめ>られた>ので、>わたし>しも>しかたが>ないから、>ふところから>にっぽん>しんぶんを>だしてよみ>だしました、>するとぼいは>またおくへ>そうだんに>いきましたよ」「>いやに>てすうが>かかります>な」と>しゅじんは>せんそうの>つうしんを>よむくらいの>いき>こみで>せきを>まえ>める。「>するとぼいが>またでてきて、>ちかごろは>とち>めん>ぼーの>ざいりょうが>ふっていで>かめやへ>おこなっても>よこはまの>じゅうご>ばんへ>おこなっても>かわ>れませんからとうぶんの>あいだは>ごあいにく>さまでと>きのどく>そうに>いうと、>せんせいは>そりゃこまったな、>せっかく>きた>のになあと>わたしの>ほうを>ごらんに>なってしきりに>くりかえさるる>ので、>わたしも>だまっている>わけにも>まいりませんから、>どうも>いかんですな、>いかん|>きょくるですなと>ちょうしを>あわせた>のです」「>ごもっともで」と>しゅじんが>さんせいする。>なにが>ごもっともだか>わがはいには>わからん。「>するとぼいも>きのどくだと>みえて、>そのうち>ざいりょうが>まいりましたら、>どうか>ねがいますって>んでしょう。>せんせいが>ざいりょうは>なにを>つかうかねと>とわ>れると>ぼいは>へへ>へへと>わらってへんじを>しない>んです。>ざいりょうは>にっぽん>はの>はいじんだろうと>せんせいが>おしかえしてきくと>ぼいは>へえ>さようで、>それだ>ものだからちかごろは>よこはまへ>おこなっても>かわ>れませんので、>まことに>おきのどく>さまと>いいましたよ」「>あははは>それが>おちな>んですか、>こりゃ>おもしろい」と>しゅじんは>いつに>なく>おおきなこえで>わらう。>ひざが>ゆれてわがはいは>おち>かかる。>しゅじんは>それにも>とんじゃくなく>わらう。>あんどれあ・>でる・>さるとに>かかった>のは>じぶん>いちにんでないと>いう>ことを>しったのできゅうに>ゆかいに>なった>ものと>みえる。「>それから>ににんで>ひょうへ>でると、>どうだ>きみ>うまく>おこなったろう、>とち>めん>ぼうを>たねに>つかった>ところが>おもしろかろうと>だいとくいな>んです。>けいふくの>いたりですといっておわかれ>した>ようなもののじつは>うま>めしの>じこくが>のびたのでたいへん>くうふくに>なってよわりましたよ」「>それは>ごめいわくでしたろう」と>しゅじんは>はじめてどうじょうを>ひょうする。>これには>わがはいも>いぞんはない。>しばらくはなしが>とぎれてわがはいの>いんこうを>ならす>おとが>しゅきゃくの>みみに>はいる。 >こち>くんは>さめたく>なった>ちゃを>ぐっと>のみほして「>じつはきょう>まいりました>のは、>しょうしょうせんせいに>ごがんが>あってまいったので」と>あらたまる。「>はあ、>なにか>ごようで」と>しゅじんも>まけずに>すます。「>ごしょうちの>とおり、>ぶんがく>びじゅつが>すきな>ものですから……」「>けっこうで」と>あぶらを>さす。「>どうしだけが>よりましてせんだってから>ろうどくかいという>のを>そしきしまして、>まいつき>いちかい>かいごうしてこの>ほうめんの>けんきゅうを>これからつづけたい>つもりで、>すでに>だいいち>かいは>きょねんの>くれに>ひらいた>くらいであります」「>ちょっとうかがっておきますが、>ろうどくかいと>いうとなにか>せっそうでも>つけて、>しいか>ぶんしょうの>るいを>よむ>ように>きこえますが、>いったい>どんなかぜに>やる>んです」「>まあ>はじめは>こじんの>さくから>はじめて、>つい々は>どうひとの>そうさくな>んかも>やる>つもりです」「>こじんの>さくと>いうとはくらくてんの>びわ>いきの>ような>ものででもある>んですか」「>いいえ」「>ぶそんの>しゅんぷう>ば>つつみ>きょくの>しゅるいですか」「>いいえ」「>それじゃ、>どんなものを>やった>んです」「>せんだっては>ちかまつの>しんじゅうぶつを>やりました」「>ちかまつ? >あのじょうるりの>ちかまつですか」>ちかまつに>ににんはない。>ちかまつと>いえばぎきょく>かの>ちかまつに>きょくって>いる。>それを>きき>なおす>しゅじんは>よほど>ぐだと>おもっていると、>しゅじんは>なににも>わからずに>わがはいの>あたまを>ていねいに>なでている。>やぶ>にらみから>ほれ>られたと>じにんしている>にんげんも>ある>よのなかだから>このくらいの>ごびゅうは>けっして>おどろくに>たらんと>なで>ら>るるが>ままに>すましていた。「>ええ」と>こたえてこち>こは>しゅじんの>かおいろを>うかがう。「>それじゃ>いちにんで>ろうどくする>のですか、>またはやくわりを>きわめてやる>んですか」「>やくを>きわめて>かか>ごうで>やってみました。>そのしゅいは>なるべく>さくちゅうの>じんぶつに>どうじょうを>もってその>せいかくを>はっきする>のを>だいいちとして、>それに>てまねや>みぶりを>そえます。>しろは>なるべくその>じだいの>ひとを>うつしだす>のが>おもで、>ごじょう>さんでも>でっちでも、>そのじんぶつが>でてきた>ように>やる>んです」「>じゃ、>まあ>しばいみた>ような>ものじゃ>ありませんか」「>え>え>いしょうと>かきわりが>ないくらいな>ものですな」「>しつれいながらうまく>いきますか」「>まあ>だいいち>かいとしては>せいこうした>ほうだと>おもいます」「>それでこの>まえ>やったと>おっしゃる>しんじゅうぶつと>いうと」「>その、>せんどうが>ごきゃくを>のせてよしはらへ>いく>ところなんで」「>たいへんな>まくを>やりましたな」と>きょうしだけに>ちょっとくびを>かたむける。>はなから>ふきだした>ひのでの>けむりが>みみを>かすめてかおの>よこでへ>めぐる。「>なあに、>そんなに>たいへんな>ことも>ない>んです。>とうじょうの>じんぶつは>ごきゃくと、>せんどうと、>おいらんと>なかいと>やりてと>けんばんだけですから」と>こち>こは>へいきな>ものである。>しゅじんは>おいらんという>なを>きいてちょっとにがい>かおを>したが、>なかい、>やりて、>けんばんという>じゅつごについて>めいりょうの>ちしきが>なかったと>みえてまず>しつもんを>ていしゅつした。「>なかいという>のは>しょうかの>かひにあたる>ものですかな」「>まだよく>けんきゅうは>してみませんがなかいは>ちゃやの>げじょで、>やりてという>のが>おんな>へやの>じょやく>みた>ような>ものだろうと>おもいます」>あずま>ふうこは>さっき、>そのじんぶつが>でてくる>ように>かりいろを>つかうと>いった>くせに>やりてや>なかいの>せいかくを>よく>かいしておらんらしい。「>なるほど>なかいは>ちゃやに>れいぞくする>もので、>やりては>しょうかに>きがする>ものですね。>つぎに>けんばんと>いう>のは>にんげんですか>またはいっていの>ばしょを>さす>のですか、>もし>にんげんと>すればおとこですか>おんなですか」「>けんばんは>なんでも>おとこの>にんげんだと>おもいます」「>なにを>つかさ>どっている>んですかな」「>さあそこまでは>まだしらべが>とどいておりません。>そのうち>しらべてみましょう」>これで>かか>ごうを>やった>ひには>とんちんかんな>ものが>できるだろうと>わがはいは>しゅじんの>かおを>ちょっとみあげた。>しゅじんは>ぞんがい>まじめである。「>それで>ろうどくかは>きみの>ほかに>どんなひとが>くわわった>んですか」「>いろいろおりました。>おいらんが>ほうがく>しのけい>くんでしたが、>くち>ひげを>はやして、>おんなの>あまったるい>せりふを>し>かう>のですからちょっとみょうでした。>それにその>おいらんが>しゃくを>おこす>ところが>ある>ので……」「>ろうどくでも>しゃくを>おこさなくっちゃ、>いけない>んですか」と>しゅじんは>しんぱいそうに>たずねる。「>え>え>とにかく>ひょうじょうが>だいじですから」と>こち>こは>どこまでも>ぶんげい>かの>きで>いる。「>うまく>しゃくが>おこりましたか」と>しゅじんは>けいくを>はく。「>しゃくだけは>だいいち>かいには、>ちと>むりでした」と>こち>こも>けいくを>はく。「>ところできみは>なにの>やくわりでした」と>しゅじんが>きく。「>わたし>しは>せんどう」「>へー、>きみが>せんどう」>くんに>してせんどうが>つとまる>ものなら>ぼくにも>けんばんくらいは>やれると>いった>ような>ごきを>もらす。>やがて「>せんどうは>むりでしたか」と>ごせじの>ない>ところを>うちあける。>あずま>ふうこは>べつだんしゃくに>さわった>ようすも>ない。>やはり>ちんちゃくな>くちょうで「>そのせんどうで>せっかくの>もよおしも>りゅうとうだびに>おわりました。>じつはかいじょうの>となりに>じょがくせいが>よんご>にんげしゅくしていましてね、>それが>どうして>きいた>ものか、>そのひは>ろうどくかいが>あると>いう>ことを、>どこかで>たんちしてかいじょうの>まど>かへ>きてぼうちょうしていた>ものと>みえます。>わたし>しが>せんどうの>かりいろを>つかって、>ようやく>ちょうしづいてこれなら>だいじょうぶと>おもってとくいに>やっていると、……>つまり>みぶりが>あまりすぎた>のでしょう、>いままで>耐>ら>えていた>じょがくせいが>いちどに>わっと>わらい>だした>ものですから、>おどろき>ろ>いたことも>おどろき>ろ>いたし、>きまりが>あくるい>ごとも>あくるい>し、>それで>こしを>おら>れてから、>どうしても>あとが>つづけ>られないので、>とうとう>それ>かぎりで>さんかいしました」>だいいち>かいとしては>せいこうだと>しょうする>ろうどくかいが>これでは、>しっぱいは>どんなものだろうと>そうぞうすると>わらわずに>はいら>れない。>おぼえず>いんこう>ほとけが>ごろごろ>なる。>しゅじんは>いよいよ>やわらかに>あたまを>なでてくれる。>ひとを>わらってかわいがら>れる>のは>ありがたいが、>いささか>ぶきみな>ところもある。「>それは>とんだ>ことで」と>しゅじんは>しょうがつ>そうそう|>ちょうしを>のべている。「>だいに>かいからは、>もっと>ふんぱつしてせいだいに>やる>つもりなので、>きょう>でました>のも>まったくその>ためで、>じつはせんせいにも>ひとつ>ごにゅうかいの>うえ>ごじんりょくを>あおぎたいので」「>ぼくには>とてもしゃくなんか>おこせませんよ」と>しょうきょく>てきの>しゅじんは>すぐに>ことわり>かける。「>いえ、>しゃくなどは>おこしていただかんでも>よろしいので、>ここに>さんじょいんの>めいぼが」と>いいながらむらさきの>ふろしきから>だいじ>そうに>こぎく>ばんの>ちょうめんを>だす。「>これへ>どうか>ごしょめいの>うえ|>ごなついんを>ねがいたいので」と>ちょうめんを>しゅじんの>ひざの>まえへ>ひらいた>まま>おく。>みるとげんこん>ちめいな>ぶんがく>はかせ、>ぶんがく>し>れんちゅうの>なが>ぎょうぎ>よく>ぜい>そろいを>している。「>はあ>さんせいいんに>ならん>ことも>ありませんが、>どんなぎむが>ある>のですか」と>かき>せんせいは>かけ>ねんの>からだに>みえる。「>ぎむと>もうしてべつだんぜひねがう>こともないくらいで、>ただごなまえだけを>ごきにゅうくださってさんせいの>い>さえ>ごあらわし>ひくだればそれで>けっこうです」「>そんなら>はいいります」と>ぎむの>かからぬ>ことを>しる>や>いなや>しゅじんは>きゅうに>きがるに>なる。>せきにんさえ>ないと>いう>ことが>わかっておればむほんの>れんばんじょうへでも>なを>かきいれますという>かお>づけを>する。>か>これ>こうちめいの>がくしゃが>なまえを>つらねている>なかに>せいめいだけでも>にゅうせきさ>せる>のは、>いままで>こんなことに>であった>ことの>ない>しゅじんにとっては>むじょうの>こうえいであるからへんじの>ぜいの>ある>のも>むりはない。「>ちょっとしっけい」と>しゅじんは>しょさいへ>しるしを>とりに>はいいる。>わがはいは>ぼたりと>たたみの>うえへ>おちる。>あずま>ふうこは>かし>さらの>なかの>かすてらを>つまんでひとくちに>ほおばる。>もごもご>しばらくは>くるし>そうである。>わがはいは>けさの>ぞうに>じけんを>ちょっとおもいだす。>しゅじんが>しょさいから>いんぎょうを>もってでてきた>ときは、>あずま>ふうこの>いの>なかに>かすてらが>おちついた>ときであった。>しゅじんは>かし>さらの>かすてらが>いっさい>たりなく>なった>ことには>きが>つかぬらしい。>もし>きがつくと>すれば>だいいちに>うたがわ>れる>ものは>わがはいであろう。 >あずま>ふうこが>かえってから、>しゅじんが>しょさいに>はいってつくえの>うえを>みると、>いつのまにか>迷>てい>せんせいの>てがみが>きている。「>しんねんの>ぎょけい>めで>ど>さる>おさめ>こう。……」 >いつに>なく>でが>まじめだと>しゅじんが>おもう。>迷>てい>せんせいの>てがみに>まじめな>のは>ほとんど>ないので、>このあいだなどは「>其>ご>べつに>こい>きせる>ふじんも>む>これ、>いず>かたより>つや>しょも>まいらず、>まず>まず>ぶじに>しょうこう|>まかり>あり>こう>かん、>乍>憚>ごきゅうしん|>かひした>こう」と>いう>のが>きた>くらいである。>それに>くらべるとこの>ねんし>じょうは>れいがいにも>せけん>てきである。「>いっすん>さんどうつかまつり>ど>こう>え>ども、>たいけいの>しょうきょく>しゅぎに>はんして、>でき>える>かぎり>せっきょく>てき>ほうしんをもって、>此>せんこ|>みぞうの>しんねんを>むかえ>うる>けいかくゆえ、>まいにち>まいにち>めの>めぐる>ほどの>たぼう、>ごすいさつねがい>じょう|>こう……」 >なるほど>あの>おとこの>ことだからしょうがつは>あそび>めぐる>のに>忙が>しいに>ちがいないと、>しゅじんは>はらのうちで>迷>てい>くんに>どういする。「>きのうは>いっこくの>ひまを>偸>み、>こち>こに>とち>めん>ぼーの>ごちそうを>いたさんと>ぞんじ>こう>しょ、>あいにく>ざいりょう>ふっていの>ため>め>其>いを>はたさず、>いかん>せんばんに>そんこう。……」 >そろそろれいの>とおりに>なってきたと>しゅじんは>むごんで>びしょうする。「>あしたは>其>だんしゃくの>かるた>かい、>みょうごにちは>しんび>がく>きょうかいの>しんねん>えんかい、>其>あしたは>とり>ぶ>きょうじゅ>かんげいかい、>其>また>あしたは……」 >うるさいなと、>しゅじんは>よみ>とばす。「>みぎのごとく>ようきょく>かい、>はいく>かい、>たんか>かい、>しんたいし>かい>とう、>かいの>れんぱつにてとうぶんの>あいだは、>のべつ>まく>なしに>しゅっきんいたし>こう>ため>め、>ふとく>已>がじょうをもって>はいすうの>れいに>えき>え>こう>だん>ふあくごゆうじょひした>ど>こう。……」 >べつだんくるにも>およばん>さと、>しゅじんは>てがみに>へんじを>する。「>こんど>ごこうらいの>ふしは>ひさしぶりにて>ばんさんでも>きょうし>ど>こころえに>ぎょざ|>こう。>かん>くりや>なにの>ちんみも>む>これ>こう>え>ども、>せめては>とち>めん>ぼーで>もと>ただいまより>こころ>かけ|>いそうろう。……」 >まだとち>めん>ぼーを>ふり>まわしている。>しっけいなと>しゅじんは>ちょっとむっと>する。「>しかしとち>めん>ぼーは>ちかごろ>ざいりょう>ふっていの>ため>め、>ことに>よると>まにあい>けんこうも>はかりが>たきに>つき、>其>ぶしは>くじゃくの>したでも>ごふうみに>はいれ>か>さる>こう。……」 >りょうてんびんを>かけたなと>しゅじんは、>あとが>よみたく>なる。「>ごしょうちの>とおり>くじゃく>いちわに>つき、>した>にくの>ぶんりょうは>こゆびの>なかばにも>たらぬ>ほど>こ|>けんたん>なる>たいけいの>い>嚢を>みたす>ためには……」 >うそを>つけと>しゅじんは>うち>つかった>ように>いう。「>ぜひとも>にさん>じゅうわの>くじゃくを>ほかくいたさざる>か>らずと>そんこう。>しか>る>ところ>くじゃくは>どうぶつ>えん、>あさくさ>はなやしき>とうには、>ちらほら>みうけ>こう>え>ども、>ふつうの>とりや|>抔には>いっこう>みあたり>ふさる、>くしん此>ごとに>ぎょざ|>こう。……」 >ひとりで>かってに>くしんしている>のじゃないかと>しゅじんは>ごうも>かんしゃの>いを>ひょうしない。「>此>くじゃくの>したの>りょうりは>おうせき>ら>うま>ぜんせいの>みぎりり、>いちじ>ひじょうに>りゅうこういたし>こうもの>にて、>ごうしゃ>ふりゅうの>きょくどと>へいぜいより>ひそかに>しょくしを>うごかし>いそうろう>しだい|>ごりょうさつか>ひした>こう。……」 >なにが>ごりょうさつだ、>ばかなと>しゅじんは>すこぶる>れいたんである。「>ふって>じゅうろく>ななせいきの>ころまでは>ぜんおうをつうじて>くじゃくは>えんせきに>かくべからざる>よしみ>あじと>そう>なる>いそうろう。>れ>すたー>はくが>えりざべす>おんな>すめらぎを>けにるうぉーすに>しょうたいいたし>こう>ぶしも>たしか>くじゃくを>しよういたし>こう>さま>きおく|>致>こう。>ゆうめい>なる>れんぶらんとが>えがき>こう>きょうえんの>ずにも>くじゃくが>おを>ひろげたる>儘>たくじょうに>よこ>わり>おり>こう……」 >くじゃくの>りょうりしを>かくくらいなら、>そんなに>たぼうでもな>さ>そうだと>ふへいを>こぼす。「>とにかく>ちかごろのごとく>ごちそうの>たべ>つづけ>にては、>さすがの>しょうせいも>とおからぬ>うちに>たいけいのごとく>いじゃくと>あいなるは>ひつじょう……」 >たいけいの>ごとくは>よけいだ。>なにも>ぼくを>いじゃくの>ひょうじゅんに>しなくても>すむとしゅじんは>つぶやいた。「>れきし>かの>せつに>よればら>うま>じんは>にちに>にど>さんども>えんかいを>ひらき>こう>よし。>にちに>にども>さんども>ほうじょうの>しょく>饌に>つき>そうろえばいかなる>けん>いの>ひと>にても>しょうかきのうに>ふちょうを>かもすべく、>したがってしぜんは>たいけいの>ごとく……」 >またたいけいの>ごとくか、>しっけいな。「>しかるに>ぜいたくと>えいせいとを>りょうりつせし>めんと>けんきゅうを>つくし>たる>かれらは>ふそうとうに>たりょうの>じみを>むさぼるとどうじに>いちょうを>じょうたいに>ほじする>の>ひつようを>みとめ、>ここに>いちの>ひほうを>あんしゅついたし>こう……」 >はてねと>しゅじんは>きゅうに>ねっしんに>なる。「>かれらは>しょくご>かならずにゅうよく|>致>こう。>にゅうよくご>いっしゅの>ほうほうに>よりてよくまえに>えんかせる>ものを>ことごとく>おうとし、>い>ないを>そうじいたし>こう。>い>ない>かくせいの>こうを>そうしたる>あと>また>しょくたくに>つき、>あくまで>ちんみを>かぜ>よし、>かぜ>よしみ>し>りょう>ればまた>ゆに>はいりてこれを>としゅつ致>こう。>かくのごとく>すればこうぶつは>むさぼ>ぼり>しだい>むさぼり>こうも>ごうも>ないぞうの>しょきかんに>しょうがいを>しょうぜず、>いっきょりょうとくとは>此>とうの>ことを>かさるかと>ぐこう|>致>こう……」 >なるほど>いっきょりょうとくに>そういない。>しゅじんは>うらやまし>そうな>かおを>する。「>にじゅう>せいきの>きょう>こうつうの>ひんぱん、>えんかいの>ぞうかは>もうすまでも>なく、>ぐんこく>たじ>せいろの>だいに>ねんとも>しょう>なる|>こう>おり>がら、>われ>じん>せんしょうこくの>こくみんは、>ぜひとも|>ら>うま>じんに>傚って>此>にゅうよくおうとの>すべを>けんきゅうせざるべからざる>きかいに>とうちゃくいたし>こう>ごとと>じしん|>致>こう。>ひだりも>なく>ば>せつ>かくの>だいこくみんも>ちかき>しょう>らいに>於て>ことごとく>たいけいのごとく>いびょう>かんじゃと>あいなる>ことと>ひそかに>しんつう|>まかり>あり>こう……」 >またたいけいの>ごとくか、>しゃくに>さわる>おとこだと>しゅじんが>おもう。「>此>ぎわ>われ>じん>せいようの>じじょうに>つうずる>ものが>こし>でんせつを>こうきゅうし、>すでに>はいぜつせる>ひほうを>はっけんし、>これを>めいじの>しゃかいに>おうよういたし>こう>わ>ば>しょ>いい>かを>みもえに>ふせぐの>くどくにも>あいなり>へいそ|>いつらくを>擅に>いたし>こう>ごおん>かえも>あいたち>かさると>そんこう……」 >なんだか>みょうだなと>くびを>ひねる。「>よて此>かん|>ちゅうより>ぎぼん、>もん>せん、>すみす>ひとし>しょかの>ちょじゅつを>しょうりょういたし>いそうろう>え>ども>いまだに>はっけんの>たんしょをも>みだし>とく>ざるは>ざんねんの>いたりに>そんこう。>しかしごぞんじの>しく>しょうせいは>いちど>おもいたち>こう>ごとは>せいこうするまでは>けっして>ちゅうぜつ|>つかまつらざる>せいしつに>そうろえばおうとかたを>さいこういたし>こうも>とおからぬ>うちと>しんじ>おり>こう>しだい。>みぎは>はっけんしだい>ごほうどう|>かつかまつ>こうに>つき、>さよう>ごしょうち|>かひした>こう。>就ては>さきに>さる>じょう|>こう>とち>めん>ぼー>およびくじゃくの>したの>ごちそうも>か>しょう>なるは>みぎ>はっけんごに>いたし>ど、>ひだり>すればしょうせいの>つごうは>もちろん、>すでに>いじゃくに>なやみ>おらるる>たいけいの>ためにも>ごべんぎかと>そんこう>そうそう>ふび」 >なにだ>とうとう>かつが>れた>のか、>あまりかきかたが>まじめだ>ものだからつい>しまいまで>ほんきに>してよんでいた。>しんねん|>そうそう>こんなあくぎを>やる>迷>ていは>よっぽど>ひま>じんだなあと>しゅじんは>わらいながらいった。 >それから>よんご>にちは>べつだんの>ことも>なく>すぎさった。>はくじの>すいせんが>だんだんしぼんで、>あお>じくの>うめが>びんながらだんだんひらき>かかる>のを>ながめ>くらしてばかり>いても>つまらんと>おもって、>いちりょうど>みけ>こを>ほうもんしてみたがあわ>れない。>さいしょは>るすだと>おもったが、>に|>かえ>めには>びょうきで>ねていると>いう>ことが>しれた。>しょうじの>なかで>れいの>ごししょう>さんと>げじょが>はなしを>している>のを>て>すいばちの>はらんの>かげに>かくれてきいているとこうであった。「>みけは>ごはんを>たべる>かい」「>いいえ>けさから>まだなににも>たべません、>あったかに>してごこたつに>ねかしておきました」>なんだか>ねこらしく>ない。>まるで>にんげんの>とりあつかいを>うけている。 >いっぽうでは>じぶんの>きょうぐうと>くらべてみてうらやましくもあるが、>いっぽうでは>おのれが>あいしている>ねこが>かくまで>こうぐうを>うけていると>おもえばうれしくもある。「>どうも>こまるね、>ごはんを>たべないと、>しんたいが>つかれるばかりだからね」「>そうでございますとも、>わたし>ともでさえ>いちにち|>ご※を>いただかないと、>あくるひは>とてもはたらけません>もの」 >げじょは>じぶんより>ねこの>ほうが>じょうとうな>どうぶつである>ような>へんじを>する。>じっさいこの>いえでは>げじょより>ねこの>ほうが>たいせつかも>しれない。「>ごいしゃ>さまへ>つれていった>のか>い」「>ええ、>あのごいしゃは>よっぽど>みょうでございますよ。>わたしが>みけを>だいてしんさつじょうへ>いくと、>かぜでも>ひいた>のかって>わたしの>みゃくを>とろうと>する>んでしょう。>いえ>びょうにんは>わたしではございません。>これですって>みけを>ひざの>うえへ>なおしたら、>にやにや>わらいながら、>ねこの>びょうきは>わしにも>わからん、>ほうっておいたら>いまに>癒るだろうって>んです>もの、>あんまり苛>い>じゃございませんか。>はらが>たったから、>それじゃみていただかなくっても>ようございます>これでも>だいじの>ねこな>んですって、>みけを>ふところへ>いれてさっさと>かえってまいりました」「>ほんにねえ」「>ほんにねえ」は>とうてい>わがはいの>うちなどで>きか>れる>ことばではない。>やはり>てんしょういん>さまの>なんとかの>なんとかでなくては>つかえない、>はなはだ>みやびであると>かんしんした。「>なんだか>しくしく>いう>ようだが……」「>え>え>きっと>かぜを>ひいていんこうが>いたむ>んでございますよ。>かぜを>ひくと、>どなたでも>ごせきが>でますからね……」 >てんしょういん>さまの>なんとかの>なんとかの>げじょだけに>ばか|>ていねいな>ことばを>つかう。「>それに>ちかごろは>はいびょうとか>いう>ものが>できてのう」「>ほんとに>このころの>ように>はいびょうだの>ぺすとだ>のって>あたらしい>びょうきばかり>ふえた>ひにゃ>ゆだんも>すきも>なりゃ>しません>のでございますよ」「>きゅうばく>じだいに>ない>ものに>ろくな>ものはないからおまえも>きを>つけないと>いかんよ」「>そうでございましょうかねえ」 >げじょは>だいに>かんどうしている。「>かぜを>ひくと>いっても>あまりで>あるきも>しない>ようだったに……」「>いえね、>あなた、>それが>ちかごろは>わるい>ともだちが>できましてね」 >げじょは>こくじの>ひみつでも>かたる>ときの>ように>だいとくいである。「>わるい>ともだち?」「>ええ>あの>おもてどおりの>きょうしの>ところに>いる>うすぎたない>ゆう>ねこでございますよ」「>きょうしと>いう>のは、>あのまいあさ>ぶさほうな>こえを>だす>ひとか>え」「>え>え>かおを>あらう>たんびに>鵝>とりが>しめころさ>れる>ような>こえを>だす>ひとでござん>す」 >鵝>とりが>しめころさ>れる>ような>こえは>うまい>けいようである。>わがはいの>しゅじんは>まいあさ>ふろ>じょうで>がんそうを>やる>とき、>ようじで>いんこうを>つっ>ついてみょうな>こえを>ぶえんりょに>だす>くせが>ある。>きげんの>わるい>ときは>やけにが>あ>があ>やる、>きげんの>よい>ときは>もときづいてなおが>あ>があ>やる。>つまりきげんの>いい>ときも>わるい>ときも>やすみ>なく>ぜい>よくが>あ>があ>やる。>さいくんの>はなししでは>ここへ>ひっこす>まえまでは>こんなくせはなかった>そうだが、>あるとき>ふと>やり>だしてから>きょうまで>いちにちも>やめた>ことが>ないと>いう。>ちょっとやっかいな>くせであるが、>なぜこんな>ことを>こんき>よく>つづけている>のか>われ>とう>ねこなどには>とうてい>そうぞうも>つかん。>それも>まず>よいとして「>うすぎたない>ねこ」とは>ずいぶんこくひょうを>やる>ものだと>なお>みみを>たててあとを>きく。「>あんな>こえを>だしてなにの>のろいに>なるか>しらん。>ごいしん>まえは>ちゅうかんでも>ぞうりとりでも>そうおうの>さほうは>こころえた>もので、>やしき>まちなどで、>あんな>かおの>あらい>かたを>する>ものは>いちにんも>おらなかったよ」「>そうでございましょうともねえ」 >げじょは>む>あんに>かんぷくしては、>む>あんに>ねえを>しようする。「>あんな>しゅじんを>もっている>ねこだから、>どうせ>のらねこ>さ、>こんど>きたら>すこしたたいておやり」「>たたいてやりますとも、>みけの>びょうきに>なった>のも>まったくあいつの>おかげに>そういございません>もの、>きっと>讐を>とってやります」 >とんだ>えんざいを>こうむった>ものだ。>こいつは>めったに>こんか>よれないと>みけ>こには>とうとう>あわずに>かえった。 >かえってみるとしゅじんは>しょさいの>なかで>なにか>ちんぎんの>からだで>ふでを>とっている。>にげんきんの>ごししょう>さんの>ところで>きいた>ひょうばんを>はなしたら、>さぞ>おこるだろうが、>しらぬがほとけとやらで、>うん>うん>いいながらしんせいな>しじんに>なりすましている。 >ところへ>とうぶん>たぼうで>いか>れないと>いって、>わざわざねんし>じょうを>よこした>迷>てい>くんが>ひょうぜんと>やってくる。「>なにか>しんたいしでも>つくっている>のかね。>おもしろい>のが>できたら>みせ>たまえ」と>いう。「>うん、>ちょっとうまい>ぶんしょうだと>おもったからいま>ほんやくしてみようと>おもってね」と>しゅじんは>おもた>そうに>くちを>ひらく。「>ぶんしょう? >だれれの>ぶんしょう>だい」「>だれれのか>わからんよ」「>むめいしか、>むめいしの>さくにも>ずいぶんよい>のが>あるからなかなかばかに>できない。>ぜんたい>どこに>あった>のか」と>とう。「>だいに>どくほん」と>しゅじんは>おちつき>はらってこたえる。「>だいに>どくほん? >だいに>どくほんが>どうした>んだ」「>ぼくの>ほんやくしている>めいぶんと>いう>のは>だいに>どくほんの>なかに>あると>いう>こと>さ」「>じょうだんじゃない。>くじゃくの>したの>讐を>きわどい>ところで>うとうと>いう>すんぽう>なんだろう」「>ぼくは>きみの>ような>ほらふきとは>ちがうさ」と>くち>ひげを>ひねる。>たいぜんたる>ものだ。「>むかし>し>ある>ひとが>さんように、>せんせい>ちかごろ>めいぶんは>ござらぬかと>いったら、>さんようが>まごの>かいた>しゃっきんの>さいそくじょうを>しめしてきんらいの>めいぶんは>まず>これでしょうと>いったという>はなしが>あるから、>きみの>しんび>めも>ぞんがい>たしかかも>しれん。>どれ>よんでみ>たまえ、>ぼくが>ひひょうしてやるから」と>迷>てい>せんせいは>しんび>めの>ほんけの>ような>ことを>いう。>しゅじんは>ぜん>ぼうずが>だい燈>こくしの>いかいを>よむ>ような>こえを>だしてよみ>はじめる。「>きょじん、>いんりょく」「>なんだ>いその>きょじん>いんりょくと>いう>のは」「>きょじん>いんりょくと>いう>だい>さ」「>みょうな>だいだな、>ぼくには>いみが>わからんね」「>いんりょくと>いう>なを>もっている>きょじんという>つもり>さ」「>すこしむりな>つもりだがひょうだいだからまず>まけておくと>しよう。>それからそうそうほんぶんを>よむさ、>きみは>こえが>よいからなかなかおもしろい」「>ざつぜ>かえしては>いかんよ」と>予じ>め>ねんを>おしてまたよみ>はじめる。>けーとは>まどから>がいめんを>ながめる。>しょうにが>たまを>なげてあそんでいる。>かれらは>たかく>たまを>くうちゅうに>なげうつ。>たまは>うえへ>うえへと>のぼる。>しばらくすると>おちてくる。>かれらは>またたまを>たかく>なげうつ。>ふたたび>さんど。>なげうつ>たびに>たまは>おちてくる。>なぜおちる>のか、>なぜうえへ>うえへと>のみ>のぼらぬかと>けーとが>きく。「>きょじんが>ちちゅうに>すむ>ゆえに」と>ははが>こたえる。「>かれは>きょじん>いんりょくである。>かれは>つよい。>かれは>ばんぶつを>おのれれの>ほうへと>ひく。>かれは>かおくを>ちじょうに>ひく。>ひかねばとんでしまう。>しょうにも>とんでしまう。>はが>おちる>のを>みたろう。>あれは>きょじん>いんりょくが>よぶ>のである。>ほんを>おとす>ことが>あろう。>きょじん>いんりょくが>らいいと>いうからである。>たまが>そらに>あがる。>きょじん>いんりょくは>よぶ。>よぶと>おちてくる」「>それ>ぎ>りか>い」「>む>む、>あまいじゃないか」「>いやこれは>おそれいった。>とんだ>ところで>とち>めん>ぼーの>ごへんれいに>あずかった」「>ごへんれいでも>なんでも>ないさ、>じっさいうまいからやくしてみた>の>さ、>きみは>そうおもわんかね」と>きんぶちの>めがねの>おくを>みる。「>どうも>おどろき>ろ>いたね。>きみに>してこの>ぎりょう>あらんとは、>まったく此>どという>こんどは>かつが>れたよ、>こうさんこうさん」と>いちにんで>しょうちして>いちにんで>ちょう>したる。>しゅじんには>いっこう>つうじない。「>なにも>きみを>こうさんさ>せる>かんがえは>ないさ。>ただおもしろい>ぶんしょうだと>おもったからやくしてみ>たばかり>さ」「>いやじつに>おもしろい。>そうこなくっちゃほん>ものでない。>すごい>ものだ。>きょうしゅくだ」「>そんなに>きょうしゅくするには>およばん。>ぼくも>ちかごろは>すいさい>がを>やめたから、>そのかわりに>ぶんしょうでも>やろうと>おもってね」「>どうして>えんきん>むさべつ>くろしろ>びょうどうの>すいさい>がの>ひじゃない。>かんぷくの>いたりだよ」「>そうほめてくれると>ぼくも>のりきに>なる」と>しゅじんは>あくまでも>かん>ちがいを>している。 >ところへ>かんげつ>くんが>せんじつは>しつれいしましたと>はいいってくる。「>いやしっけい。>いま>たいへんな>めいぶんを>はいちょうしてとち>めん>ぼーの>ぼうこんを>たいじられた>ところで」と>迷>てい>せんせいは>わけの>わからぬ>ことを>ほのめかす。「>はあ、>そうですか」と>これも>わけの>わからぬ>あいさつを>する。>しゅじんだけは>ひだりのみ>うか>れた>きしょくも>ない。「>せんじつは>きみの>しょうかいで>おち>こちと>いう>ひとが>きたよ」「>ああ>のぼりましたか、>あのおち>こちと>いう>おとこは>いたって>しょうじきな>おとこですがすこしかわっている>ところが>ある>ので、>あるいはごめいわくかと>おもいましたが、>ぜひしょうかいしてくれと>いう>ものですから……」「>べつに>めいわくの>ことも>ないがね……」「>こちらへ>のぼっても>じぶんの>せいめいの>ことについて>なにか>べんじていきゃ>しませんか」「>いいえ、>そんなはなしも>なかった>ようだ」「>そうですか、>どこへ>おこなっても>しょたいめんの>ひとには>じぶんの>なまえの>こうしゃくを>する>のが>くせでしてね」「>どんなこうしゃくを>する>ん>だい」と>こと>あれ>かしと>まちかまえた>迷>てい>くんは>くちを>いれる。「>あのこちと>いう>のを>おとで>よま>れると>たいへん>きに>するので」「>はてね」と>迷>てい>せんせいは>きむ>からかわの>たばこ>いりから>たばこを>つまみだす。「>わたし>しの>なは>おち>こちではありません、>おち>こ>ちですとかならずことわりますよ」「>みょうだね」と>くもいを>はらの>そこまで>のみこむ。「>それが>まったくぶんがく>ねつから>きた>ので、>こ>ちと>よむとえんきんと>いう>せいごに>なる、>のみ>ならず>そのせいめいが>いんを>ふんでいると>いう>のが>とくいな>んです。>それだからこちを>おとで>よむとぼくが>せっかくの>くしんを>ひとが>かってくれないと>いってふへいを>いう>のです」「>こりゃ>なるほど>かわっ>てる」と>迷>てい>せんせいは>ずに>のってはらの>そこから>くもいを>はなの>あなまで>はき>かえす。>とちゅうで>けむりが>と>まよいを>していんこうの>でぐちへ>ひき>かかる。>せんせいは>えんかんを>にぎってごほん>ごほんとむせび>かえる。「>せんじつ>きた>ときは>ろうどくかいで>せんどうに>なってじょがくせいに>わらわ>れたと>いっていたよ」と>しゅじんは>わらいながらいう。「>うむ>それ>それ」と>迷>てい>せんせいが>えんかんで>ひざがしらを>たたく。>わがはいは>けん>呑に>なったからすこしそばを>はなれる。「>そのろうどくかいさ。>せんだって>とち>めん>ぼーを>ごちそうした>ときにね。>そのはなししが>でたよ。>なにでも>だいに>かいには>ちめいの>ぶんしを>しょうたいしてたいかいを>やる>つもりだから、>せんせいにも>ぜひ>ごりんせきを>ねがいたいって。>それからぼくが>こんども>ちかまつの>せわものを>やる>つもりか>いと>きくと、>いえこの>つぎは>ずっと>あたらしい>ものを>えらんできんいろ>やしゃに>しましたと>いうから、>くんにゃ>なにの>やくが>あたっ>てるかと>きいたら>わたしは>おみやですといった>の>さ。>こちの>おみやは>おもしろかろう。>ぼくは>ぜひしゅっせきしてかっさいしようと>おもっ>てるよ」「>おもしろいでしょう」と>かんげつ>くんが>みょうな>わらい>かたを>する。「>しかしあの>おとこは>どこまでも>せいじつで>けいはくな>ところがないからよい。>迷>ていなどとは>だいちがいだ」と>しゅじんは>あんどれあ・>でる・>さるとと>くじゃくの>したと>とち>めん>ぼーの>ふくしゅうを>いちどに>とる。>迷>てい>くんは>きにも>とめない>ようすで「>どうせ>しもべなどは>ぎょうとくの>まないたと>いう>かくだからなあ」と>わらう。「>まず>そんなところだろう」と>しゅじんが>いう。>じつはぎょうとくの>まないたと>いう>かたりを>しゅじんは>かいさない>のであるが、>さすが>えいねん>きょうしを>してえびす>ま>かし>つけている>ものだから、>こんなときには>きょうじょうの>けいけんを>しゃこう>じょうにも>おうようする>のである。「>ぎょうとくの>まないたという>のは>なにの>ことですか」と>かんげつが>しんそつに>きく。>しゅじんは>ゆかの>ほうを>みて「>あのすいせんは>くれに>ぼくが>ふろの>かえりがけに>かってきてさした>のだが、>よく>もつじゃないか」と>ぎょうとくの>まないたを>むりに>ねじふせる。「>くれと>いえば、>きょねんの>くれに>ぼくは>じつに>ふしぎな>けいけんを>したよ」と>迷>ていが>えんかんを>だいかぐらのごとく>ゆびの>とがで>まわり>わ>す。「>どんなけいけんか、>きかし>たま>え」と>しゅじんは>ぎょうとくの>まないたを>とおく>ごに>みすてた>きで、>ほっと>いきを>つく。>迷>てい>せんせいの>ふしぎな>けいけんという>のを>きくとひだりの>ごとくである。「>たしか>くれの>にじゅう>ななにちと>きおくしているがね。>れいの>こちから>さんどうの>うえ>ぜひぶんげい>じょうの>ごこうわを>うかがいたい>から>ございしゅくを>ねがうと>いう>さき>き>ふれが>あった>ので、>あさから>こころまちに>まっていると>せんせい>なかなか>らいな>いやね。>ひるめしを>くってすとーぶの>まえで>ばりー・>ぺーんの>こっけい>ぶつを>よんでいる>ところ>へ>しずおかの>ははから>てがみが>きたからみると、>としよりだけに>いつまでも>ぼくを>しょうともの>ように>おもってね。>かんちゅうは>やかん>がいしゅつを>するなとか、>れいすい>よくも>いいが>すとーぶを>たいてしつを>煖かに>してやらないと>かぜを>ひくとか>いろいろの>ちゅういが>ある>の>さ。>なるほど>おやは>ありがたい>ものだ、>たにんでは>とてもこうは>いかないと、>のんきな>ぼくも>そのときだけは>だいに>かんどうした。>それに>つけても、>こんなにのらくら>していては>もったいない。>なにか>だいちょじゅつでも>してかめいを>あげなくては>ならん。>ははの>いきている>うちに>てんかを>してめいじの>ぶんだんに>迷>てい>せんせい>あるを>ち>ら>しめたいと>いう>きに>なった。>それからなお>よんでいくとおまえ>なんぞは>じつに>しあわせ>しゃだ。>ろしあと>せんそうが>はじまってわかい>ひとたちは>たいへんな>しんくを>しておくにの>ために>働>ら>いているのにせっき>しわすでも>おしょうがつの>ように>きらくに>あそんでいると>かいてある。――>ぼくは>これでも>ははの>おもっ>てる>ように>あそん>じゃいな>いやね――>そのあとへ>以てきて、>ぼくの>しょうがっこう>じだいの>ほうゆうで>こんどの>せんそうに>でてしんだり>まけ>きず>したもののなまえが>れっきょしてある>の>さ。>そのなまえを>いちいち>よんだ>ときには>なんだか>よのなかが>あじけなく>なってにんげんも>つまらないと>いう>きが>たったよ。>いちばん|>しまいに>ね。>わたし>しも>とる>としに>そうろえばしょしゅんの>ごぞうにを>いわいこうも>こんど>かぎりかと……>なんだか>こころぼそい>ことが>かいてある>んで、>なおのこと>きが>くさくさ>してしまってはやく>こちが>くればよいと>おもったが、>せんせい>どうしても>こない。>そのうち>とうとう>ばん>めしに>なったから、>ははへ>へんじでも>かこうと>おもってちょいと>じゅうに>さんこう>かいた。>ははの>てがみは>ろくしゃく>いじょうも>ある>のだがぼくには>とてもそんな>げいは>できんから、>いつでも>じゅうこう>ないがいで>ごめん|>こうむる>ことに>きわめて>ある>の>さ。>すると>いちにち>うごかずに>おった>ものだから、>いの>ぐあいが>みょうで>くるしい。>こちが>きたら>また>せておけと>いう>きに>なって、>ゆうびんを>いれながらさんぽに>でかけたと>おもい>たまえ。>いつに>なく>ふじみちょうの>ほうへは>あしが>むかないでどて>さんばん>まちの>ほうへ>われれ>しらず>でてしまった。>ちょうど>そのばんは>すこしくもって、>から>ふうが>ごほりの>むこうから>ふきつける、>ひじょうに>さむい。>かぐらざかの>ほうから>きしゃが>ひゅーと>なってどてしたを>とおりすぎる。>たいへん|>さびしい>かんじが>する。>くれ、>せんし、>ろうすい、>むじょう>じんそくなどと>いう>やつが>あたまの>なかを>ぐるぐる>馳>け>めぐる。>よく>ひとが>くびを>縊ると>いうが>こんなときに>ふと>さそわ>れてしぬ>きに>なる>のじゃないかと>おもいだす。>ちょいと>くびを>あげてどての>うえを>みると、>いつのまにか>れいの>まつの>ましたに>きている>の>さ」「>れいの>まつた、>なに>だい」と>しゅじんが>だん>くを>なげいれる。「>くび>かかの>まつ>さ」と>迷>ていは>りょうを>ちぢめる。「>くび>かかの>まつは>おおとりの>だいでしょう」>かんげつが>はもんを>ひろげる。「>おおとりの>だい>のは>かね>かかの>まつで、>どて>さんばん>まちのは>くび>かかの>まつ>さ。>なぜこういう>なが>ついたかと>いうと、>むかし>しからの>いいつたえで>だれでも>このまつの>したへ>くると>くびが>縊りたく>なる。>どての>うえに>まつは>なんじゅう>ほんと>なく>あるが、>そら>くびくくりだと>きてみるとかならずこの>まつへ>ぶらさがっている。>としに>にさん|>かえは>きっと>ぶらさがっている。>どうしても>たの>まつでは>しぬ>きに>ならん。>みると、>うまい>ぐあいに>えだが>おうらいの>ほうへ>よこに>でている。>ああ>よい>えだぶりだ。>あのままに>しておく>のは>おしい>ものだ。>どうか>してあすこの>ところへ>にんげんを>さげてみたい、>だれか>こない>かしらと、>しへんを>みわたすとあいにく>だれも>こない。>しかたが>ない、>じぶんで>さがろうか>しらん。>いやいや>じぶんが>さがっては>いのちが>ない、>あぶないからよ>そう。>しかしむかしの>まれ>臘>じんは>えんかいの>せきで>くびくくりの>まねを>してよきょうを>そえたと>いう>はなししが>ある。>いちにんが>だいの>うえへ>のぼってなわの>むすびめへ>くびを>いれる>とたんに>たの>ものが>だいを>けかえす。>くびを>いれた>とうにんは>だいを>ひか>れるとどうじに>なわを>ゆるめてとびおりるという>しゅこうである。>はたして>それが>じじつなら>べつだんおそれ>るるにも>およばん、>ぼくも>ひとつ>こころみようと>えだへ>てを>かけてみるとよい>ぐあいに>しわる。>しわり>あんばいが>じつに>びてきである。>くびが>かかってふわふわする>ところを>そうぞうしてみるとうれしくてたまらん。>ぜひ>やる>ことに>しようと>おもったが、>もし>こちが>きてまっていると>きのどくだと>かんがえだした。>それではまず>こちに>あってやくそくどおり>はなししを>して、>それから>でなおそうと>いう>きに>なってついに>うちへ>かえった>の>さ」「>それで>しが>さかえた>のか>い」と>しゅじんが>きく。「>おもしろいですな」と>かんげつが>にやにや>しながらいう。「>うちへ>かえってみるとこちは>きていない。>しかしきょうは>むよりどころ>しょさしつかえが>あってで>られぬ、>いずれ>えいじつ>ごめんごを>きすという>はしがきが>あった>ので、>やっと>あんしんして、>これなら>こころおき>なく>くびが>くびれる>うれしいと>おもった。>でさっそくげたを>ひき>かけて、>いそぎあしで>もとの>ところへ>ひきかえしてみる……」と>いってしゅじんと>かんげつの>かおを>みてすましている。「>みるとどうした>ん>だい」と>しゅじんは>すこしじれる。「>いよいよ>かきょうに>はいりますね」と>かんげつは>はおりの>ひもを>ひねくる。「>みると、>もう>だれか>きてさきへ>ぶらさがっている。>たったひとあし>ちがいでねえ>くん、>ざんねんな>ことを>したよ。>かんがえるとなんでも>そのときは>しにがみに>とり>つか>れた>んだね。>ぜーむすなどに>いわ>せると>ふくいしきかの>ゆうめい>かいと>ぼくが>そんざいしている>げんじつ>かいが>いっしゅの>いんが>ほうによって>かたみに>かんのうした>んだろう。>じつに>ふしぎな>ことが>ある>ものじゃないか」>迷>ていは>すまし>かえっている。 >しゅじんは>またやら>れたと>おもいながらなにも>いわずに>くうや>もちを>ほおばってくちを>もごもご>いわ>している。 >かんげつは>ひばちの>はいを>ていねいに>かき>ならして、>俯>むいてにやにや>わらっていたが、>やがて>くちを>ひらく。>きわめて>しずかな>ちょうしである。「>なるほど>うかがってみるとふしぎな>ことで>ちょっとあり>そうにも>おもわ>れませんが、>わたしなどは>じぶんで>やはり>にた>ような>けいけんを>つい>ちかごろ>した>ものですから、>すこしも>うたぐが>う>げに>なりません」「>おや>きみも>くびを>縊りたく>なった>のか>い」「>いえわたし>のは>くびじゃないんで。>これも>ちょうど>あければさくねんの>くれの>ことで>しかもせんせいと>どうじつ>どうこくくらいに>たった>できごとですからなおさらふしぎに>おもわ>れます」「>こりゃ>おもしろい」と>迷>ていも>くうや>もちを>ほおばる。「>そのひは>むこうじまの>ちじんの>いえで>ぼうねんかい|>けんがっそうかいが>ありまして、>わたしも>それへ>ヴぁいおりんを>たずさえていきました。>じゅうご>ろくにん>れいじょうやら>れいふじんが>つどってなかなかせいかいで、>きんらいの>かいじと>おもうくらいに>ばんじが>ととのっていました。>ばんさんも>すみ>がっそうも>すんで>しほうの>はなししが>でてじこくも>だいぶ>おそく>なったから、>もう>いとまごいを>してかえろうかと>おもっていますと、>ぼうはかせの>ふじんが>わたしの>そばへ>きてあなたは○○>こ>さんの>ごびょうきを>ごしょうちですかと>こごえで>ききますので、>じつはその>りょうさんにち>まえに>あった>ときは>へいじょうの>とおり>どこも>わるい>ようには>みうけませんでしたから、>わたしも>おどろき>ろ>いてくわしく>ようすを>きいてみますと、>わたし>しの>あった>そのばんから>きゅうに>はつねつして、>いろいろな>譫>ごを>たえま>なく>くちばしる>そうで、>それだけなら>むべ>いですがその>譫>ごの>うちに>わたしの>なが>ときどき>でてくると>いう>のです」 >しゅじんは>むろん、>迷>てい>せんせいも「>おやすくないね」などという>つきなみは>いわず、>せいしゅくに>きんちょうしている。「>いしゃを>よんでみてもらうと、>なんだか>びょうめいは>わからんが、>なにしろ>ねつが>げき>しい>ので>のうを>おかしているから、>もし>すいみんざいが>おもう>ように>こうを>そうしないと>きけんであると>いう>しんだんだ>そうで>わたしは>それを>きく>や>いなや>いっしゅ>いやな>かんじが>たった>のです。>ちょうど>ゆめで>うなされる>ときの>ような>かさね>くるしい>かんじで>しゅういの>くうきが>きゅうに>こけい>たいに>なってしほうから>わがみを>しめつける>ごとく>おもわ>れました。>かえりみちにも>そのことばかりが>あたまの>なかに>あってくるしくてたまらない。>あのきれいな、>あのかいかつな>あのけんこうな○○>こ>さんが……」「>ちょっとしっけいだがまってくれ>たまえ。>さっきから>うかがっていると○○>こ>さんと>いう>のが>に|>かえばかり>きこえる>ようだが、>もし>さしつかえが>なければうけたまわ>わりたいね、>きみ」と>しゅじんを>かえりみると、>しゅじんも「>うむ」と>なまへんじを>する。「>いやそれだけは>とうにんの>めいわくに>なるかも>しれませんからはいしましょう」「>すべて>曖々>しかとして>昧々>しか>たる>かたで>いく>つもりかね」「>れいしょうな>さっては>いけません、>ごく>まじめな>はなししな>んですから……>とにかく>あのふじんが>きゅうに>そんなびょうきに>なった>ことを>かんがえると、>じつに>ひからくようの>かんがいで>むねが>いっぱいに>なって、>そうしんの>かっきが>いちどに>すとらいきを>おこした>ように>げんきが>にわかに>めいってしまいまして、>ただ蹌々として>踉々という>かたち>ちで>あづまばしへ>きかかった>のです。>らんかんに>倚って>したを>みるとまんちょうか>かんちょうか>わかりませんが、>くろい>みずが>かたまってただ>うごいている>ように>みえます。>はなかわどの>ほうから>じんりきしゃが>いちだい|>馳>けてきてはしの>うえを>とおりました。>そのちょうちんの>ひを>みおくっていると、>だんだんしょう>く>なってさっぽろ>びーるの>ところで>きえました。>わたしは>またみずを>みる。>するとはるかの>かわかみの>ほうで>わたしの>なを>よぶ>こえが>きこえる>のです。>はてな>いまじぶん>じんに>よば>れる>わけはないがだれだろうと>みずの>めんを>すかしてみましたがくらくてなににも>わかりません。>きの>せいに>ちがいない>そうそうかえろうと>おもっていっそく>にそく>あるき>だすと、>またかすかな>こえで>とおくから>わたしの>なを>よぶ>のです。>わたしは>またたち>とまってみみを>たててききました。>さんどめに>よば>れた>ときには>らんかんに>つかまっていながらひざがしらが>がくがく>悸>え>だした>のです。>そのこえは>とおくの>ほうか、>かわの>そこから>でる>ようですがまぎれも>ない○○>この>こえな>んでしょう。>わたしは>おぼえず「>はーい」と>へんじを>した>のです。>そのへんじが>おおきかった>ものですからしずかな>みずに>ひびいて、>じぶんで>じぶんの>こえに>おどろかさ>れて、>はっと>しゅういを>みわたしました。>ひとも>いぬも>つきも>なににも>みえません。>そのときに>わたしは>この「>よる」の>なかに>まきこま>れて、>あのこえの>でる>ところへ>いきたいと>いう>きが>むらむらと>たった>のです。○○>この>こえが>またくるし>そうに、>うったえる>ように、>救を>もとめる>ように>わたしの>みみを>さしとおした>ので、>こんどは「>いま|>じかに>いきます」と>こたえてらんかんから>はんしんを>だしてくろい>みずを>ながめました。>どうも>わたしを>よぶ>こえが>なみの>したから>むりに>もれてくる>ように>おもわ>れましてね。>このみずの>しただなと>おもいながらわたしは>とうとう>らんかんの>うえに>のりましたよ。>こんど>よんだら>とびこもうと>けっしんしてりゅうを>みつめているとまたあわれな>こえが>いとの>ように>ういてくる。>ここだと>おもってちからを>こめていったん>とびあがっておいて、>そしてこいしか>なぞの>ように>みれん>なく>おちてしまいました」「>とうとう>とびこんだ>のか>い」と>しゅじんが>めを>ぱちつかせてとう。「>そこまで>いこうとは>おもわなかった」と>迷>ていが>じぶんの>はなの>あたまを>ちょいと>つまむ。「>とびこんだ>あとは>きが>とおく>なって、>しばらくは>むちゅうでした。>やがて>めが>さめてみるとさむくは>あるが、>どこも>ぬれた>ところも>なにも>ない、>みずを>のんだ>ような>かんじも>しない。>たしかに>とびこんだ>はずだがじつに>ふしぎだ。>こりゃ>へんだと>きがついてそこ>い>らを>みわたすと>おどろきましたね。>みずの>なかへ>とびこんだ>つもりでいた>ところが、>つい>まちがってはしの>まんなかへ>とびおりた>ので、>そのときは>じつに>ざんねんでした。>まえと>うしろの>あいだ>違だけで>あのこえの>でる>ところへ>いく>ことが>できなかった>のです」>かんげつは>にやにや>わらいながられいのごとく>はおりの>ひもを>にやっかいに>している。「>はははは>これは>おもしろい。>ぼくの>けいけんと>よく>にている>ところが>きだ。>やはり>ぜーむす>きょうじゅの>ざいりょうに>なるね。>にんげんの>かんのうと>いう>だいで>しゃせいぶんに>したら>きっと>ぶんだんを>おどろかすよ。……>そしてその○○>こ>さんの>びょうきは>どうなったかね」と>迷>てい>せんせいが>ついきゅうする。「>にさん>にちまえ>ねんしに>いきましたら、>もんの>うちで>げじょと>はねを>ついていましたからびょうきは>ぜんかいした>ものと>みえます」 >しゅじんは>さいぜんから>ちんしの>からだであったが、>このとき>ようやく>くちを>ひらいて、「>ぼくにもある」と>まけぬ>きを>だす。「>あるって、>なにが>ある>ん>だい」>迷>ていの>がんちゅうに>しゅじんなどは>むろん>ない。「>ぼく>のも>きょねんの>くれの>ことだ」「>みんな>きょねんの>くれは>あんごうで>みょうですな」と>かんげつが>わらう。>かけた>まえばの>うちに>くうや>もちが>ついている。「>やはり>どうじつ>どうこくじゃないか」と>迷>ていが>まぜかえす。「>いやにちは>ちがう>ようだ。>なにでも>にじゅう>にちころだよ。>さいくんが>おせいぼの>かわりに>せっつ>だいじょうを>きかしてくれろと>いうから、>つれていってやらん>ことも>ないがきょうの>かたりものは>なにだと>きいたら、>さいくんが>しんぶんを>さんこうしてうなぎだにだと>いう>の>さ。>うなぎだには>きらいだからきょうは>よそうと>そのひは>やめに>した。>よくじつに>なるとさいくんが>またしんぶんを>もってきてきょうは>ほりかわだからいいでしょうと>いう。>ほりかわは>しゃみせん>もので>にぎわいや>かなばかりで>みが>ないからよ>そうと>いうと、>さいくんは>ふへいな>かおを>してひきさがった。>そのよくじつに>なるとさいくんが>いうには>きょうは>さんじゅう>さんけん>どうです、>わたしは>ぜひ|>せっつの>さんじゅう>さんけん>どうが>ききたい。>あなたは>さんじゅう>さんけん>どうも>ごきらいか>しらないが、>わたしに>きか>せる>のだからいっしょに>いってくだすっても>むべ>いでしょうと>て>つめの>だんぱんを>する。>おまえが>そんなに>いきたい>なら>おこなっても>むべ>ろ>しい、>しかしいっせいちだいと>いうのでたいへんな>おおいりだからとうてい>突>かけに>いったって>はいいれる>きづかいはない。>がんらい>ああ>いう>ばしょへ>いくには>ちゃやと>いう>ものが>あってそれと>こうしょうしてそうとうの>せきを>よやくする>のが>せいとうの>てつづきだから、>それを>ふまないでつねただしを>だっした>ことを>する>のは>よくない、>ざんねんだがきょうは>やめようと>いうと、>さいくんは>すごい>め>づけを>して、>わたしは>おんな>ですからそんな>むずかしい>てつづきなんか>しりませんが、>おおはらの>おはは>あ>さんも、>すずきの>きみよ>さんも>せいとうの>てつづきを>ふまないでりっぱに>きいてきた>んですから、>いくら>あなたが>きょうしだからって、>そうてすうの>かかる>けんぶつを>しないでも>すみましょう、>あなたは>あんまりだと>なく>ような>こえを>だす。>それじゃだめでも>まあ>いく>ことに>しよう。>ばん>めしを>くってでんしゃで>いこうと>こうさんを>すると、>いくなら>よんじまでに>むこうへ>つく>ように>しなくっちゃいけません、>そんなぐずぐずしてはいら>れませんと>きゅうに>ぜいが>いい。>なぜ>よんじまでに>いかなくては>だめな>んだと>ききかえすと、>そのくらい>はやく>おこなってばしょを>とらなくちゃはいいれないからですとすずきの>きみよ>さんから>おしえ>られた>とおりを>のべる。>それじゃ>よんじを>すぎればもう>だめな>んだねと>ねんを>おしてみたら、>ええ>だめですともと>こたえる。>するときみ>ふしぎな>ことには>そのときから>きゅうに>おかんが>し>だしてね」「>おくさん>がですか」と>かんげつが>きく。「>なに>さいくんは>ぴんぴん>してい>ら>あね。>ぼくが>さ。>なんだか>あなの>あいた>ふうせん>だまの>ように>いちどに>いしゅくする>かんじが>おこると>おもうと、>もう>めが>ぐらぐら>してうごけなく>なった」「>きゅうびょうだね」と>迷>ていが>ちゅうしゃくを>くわえる。「>ああ>こまった>ことに>なった。>さいくんが>としに>いちどの>がんだからぜひ|>かなえてやりたい。>へいぜい>しかりつけたり、>くちを>きかなかったり、>しんじょうの>くろうを>さ>せたり、>しょうともの>せわを>さ>せたり>するばかりで>なにひとつ>洒>掃>しんすいの>ろうに>むくいた>ことはない。>きょうは>さいわいじかんも>ある、>のうちゅうには>よんご>まいの>と>ぶつもある。>つれていけばいか>れる。>さいくんも>いき>たいだろう、>ぼくも>つれていってやりたい。>ぜひつれていってやりたいがこうおかんが>してめが>くらんでは>でんしゃへ>のるどころか、>くつ>だっへ>おりる>ことも>できない。>ああ>きのどくだ>きのどくだと>おもうとなお>おかんが>してなお>めが>くらんでくる。>はやく>いしゃに>みてもらってふくやくでも>したら>よんじ>まえには>ぜんかいするだろうと、>それから>さいくんと>そうだんを>してあまぎ>いがく>しを>むかいに>やるとあいにく>さくやが>とうばんで>まだだいがくから>かえらない。>にじ>ころには>ごかえりに>なりますから、>かえり>しだい>すぐあげますという>へんじである。>こまったなあ、>いま|>きょうにん>みずでも>のめば>よんじ>まえには>きっと>癒>るに>きょくって>いる>んだが、>うんの>わるい>ときには>なにごとも>おもう>ように>いかん>もので、>たまさか>さいくんの>よろこぶ>えがおを>みてらく>もうと>いう>よさんも、>がらりと>はずれ>そうに>なってくる。>さいくんは>うらめしい>かお>づけを>して、>とうてい>いらっしゃれませんかと>きく。>いくよ>かならずいくよ。>よんじまでには>きっと>なおってみせるからあんしんしているがいい。>はやく>かおでも>あらってきものでも>き>かえてまっているがいい、と>くちでは>いった>ような>ものの>きょうちゅうは>むげんの>かんがいである。>おかんは>ますますげき>しく>なる、>めは>いよいよ>ぐらぐら>する。>もしや>よんじまでに>ぜんかいしてやくそくを>りこうする>ことが>できなかったら、>きの>せまい>おんなの>ことだからなにを>するかも>しれない。>なさけない>しぎに>なってきた。>どうしたら>よかろう。>まんいちの>ことを>かんがえるといまの>うちに>ういてんぺんの>り、>しょうじゃひつめつの>みちを>とき>きかして、>もしもの>へんが>たった>とき>とりみださないくらいの>かくごを>さ>せる>のも、>おっとの>つまにたいする>ぎむではあるまいかと>かんがえだした。>ぼくは>そくかに>さいくんを>しょさいへ>よんだよ。>よんでおまえは>おんな>だけれどもえむえいえぬわいえいえすえるあいぴー>'twixtてぃーえっちいーしーゆーぴーえいえぬでぃーてぃーえっちいーえるあいぴーと>いう>せいようの>ことわざくらいは>こころえているだろうと>きくと、>そんなよこもじ>なんか>だれが>しる>もんですか、>あなたは>ひとが>えいごを>しらない>のを>ごぞんじの>くせに>わざと>えいごを>つかってひとに>からかう>のだから、>むべ>しゅう>ございます、>どうせ>えいごな>んかは>できない>んですから、>そんなに>えいごが>ごすきなら、>なぜ耶>そ>がっこうの>そつぎょうせいかな>んかを>おもらい>なさらなかった>んです。>あなたくらい>れいこくな>ひとは>ありは>しないと>ひじょうな>けんまく>なんで、>ぼくも>せっかくの>けいかくの>こしを>おら>れてしまった。>きみ>とうにも>べんかいするがぼくの>えいごは>けっして>あくいで>つかった>わけじゃない。>まったくつまを>あいする>しじょうから>でた>ので、>それを>つまの>ように>かいしゃくさ>れては>ぼくも>たつせが>ない。>それに>さっきからの>おかんと>めまいで>すこしのうが>みだれていた>ところへ>もってきて、>はやく>ういてんぺん、>しょうじゃひつめつの>りを>のみこま>せようと>すこしせきこんだ>ものだから、>つい>さいくんの>えいごを>しらないと>いう>ことを>わすれて、>なにの>きも>つかずに>つかってしまった>わけ>さ。>かんがえるとこれは>ぼくが>あくるい、>まったくておちであった。>このしっぱいで>おかんは>ますますつよく>なる。>めは>いよいよ>ぐらぐら>する。>さいくんは>めいぜ>られた>とおり>ふろ>じょうへ>おこなってりょうはだを>ぬいでごけしょうを>して、>たんすから>きものを>だしてき>かえる。>もう>いつでも>でかけ>られますという>ふぜいで>まちかまえている。>ぼくは>きが>きでない。>はやくあまぎ>くんが>きてくれればよいがと>おもってとけいを>みるともう>さんじだ。>よんじには>もう>いちじかんしか>ない。「>そろそろでかけましょうか」と>さいくんが>しょさいの>ひらきどを>あけてかおを>だす。>じぶんの>つまを>ほめる>のは>おかしい>ようであるが、>ぼくは>このときほど>さいくんを>うつくしいと>おもった>ことはなかった。>もろはだを>ぬいでせっけんで>みがき>あげた>ひふが>ぴか>ついてくろ>ちりめんの>はおりと>はんえいしている。>そのかおが>せっけんと>せっつ>だいじょうを>きこうと>いう>きぼうとの>ふたつで、>ゆうけい>むけいの>りょうほうめんから>てるや>いてみえる。>どうしても>そのきぼうを>まんぞくさ>せてでかけてやろうと>いう>きに>なる。>それじゃふんぱつしていこうかな、と>いっぷくふかしていると>ようやく>あまぎ>せんせいが>きた。>うまい>ちゅうもんどおりに>いった。>がようだいを>はなすと、>あまぎ>せんせいは>ぼくの>したを>ながめて、>てを>にぎって、>むねを>たたいてせを>なでて、>まぶちを>ひっくりかえして、>ずがいこつを>さすって、>しばらくかんがえこんでいる。「>どうも>すこしけん>呑の>ような>きが>しまして」と>ぼくが>いうと、>せんせいは>おちついて、「>いえ>かくべつの>ことも>ござい>ますまい」と>いう。「>あの>ちょっとくらい>がいしゅついたしても>さしつかえはございます>ま>いね」と>さいくんが>きく。「>さよう」と>せんせいは>またかんがえこむ。「>ごきぶん>さえ>ごわるくなければ……」「>きぶんは>わるいですよ」と>ぼくが>いう。「>じゃともかくも>とんぷくと>みずぐすりを>あげますから」「>へえ>どうか、>なんだか>ちと、>あぶない>ように>なり>そうですな」「>いやけっして>ごしんぱいに>なるほどの>こと>じゃございません、>しんけいを>ごおこしに>なるといけませんよ」と>せんせいが>かえる。>さんじは>さんじゅう>ふんすぎた。>げじょを>くすり>とりに>やる。>さいくんの>げんめいで>馳け>で>していって、>馳け>で>してかえってくる。>よんじ>じゅうご>ふんまえである。>よんじには>まだ>じゅうご>ふんある。>すると>よんじ>じゅうご>ふんまえ>ころから、>いままで>なんとも>なかったのに、>きゅうに>嘔>きを>催>おしてきた。>さいくんは>みずぐすりを>ちゃわんへ>そそいでぼくの>まえへ>おいてくれたから、>ちゃわんを>とりあげてのもうと>すると、>いの>なか>からげ>ーと>いう>ものが>とっかんしてでてくる。>やむをえず>ちゃわんを>したへ>おく。>さいくんは「>はやくごのみに>なったら>むべ>いでしょう」と>逼る。>はやく>のんではやく>でかけなくては>ぎりが>わるい。>おもいきってのんでしまおうと>またちゃわんを>くちびるへ>つけるとまたげーが>しゅうねんぶかく>ぼうがいを>する。>のもうとしては>ちゃわんを>おき、>のもうとしては>ちゃわんを>おいていると>ちゃのまの>はしらどけいが>ちんちんちんちんと>よんじを>うった。>さあ>よんじだ>ぐず>ぐず>してはおら>れんと>ちゃわんを>またとりあげると、>ふしぎだね>え>きみ、>じつに>ふしぎとは>このことだろう、>よんじの>おととともに>はきけが>すっかり>とまってみずぐすりが>なにの>く>なしに>のめたよ。>それから>よんじ>じゅうふん>ころに>なると、>あまぎ>せんせいの>めいいという>ことも>はじめてりかいする>ことが>できた>んだが、>せなかが>ぞくぞくする>のも、>めが>ぐらぐら>する>のも>ゆめの>ように>きえて、>とうぶん>たつ>ことも>できまいと>おもった>びょうきが>たちまちぜんかいした>のは>うれしかった」「>それからかぶきざへ>いっしょに>いった>のか>い」と>迷>ていが>ようりょうを>えんと>いう>かお>づけを>してきく。「>いきたかったが>よんじを>すぎちゃ、>はいいれないと>いう>さいくんの>いけんなんだからしかたが>ない、>やめに>したさ。>もう>じゅうご>ふんばかり>はやく>あまぎ>せんせいが>きてくれたら>ぼくの>ぎりも>たつし、>つまも>まんぞくしたろうに、>わずか>じゅうご>ぶんのさでね、>じつに>ざんねんな>ことを>した。>かんがえだすとあぶない>ところだったと>いまでも>おもう>の>さ」 >かたり>りょう>った>しゅじんは>ようやく>じぶんの>ぎむを>すました>ような>かぜを>する。>これで>りょうにんにたいして>かおが>たつと>いう>きかも>しれん。 >かんげつは>れいのごとく>かけた>はを>だしてわらいながら「>それは>ざんねんでしたな」と>いう。 >迷>ていは>とぼけた>かおを>して「>きみの>ような>しんせつな>おっとを>もった>さいくんは>じつに>しあわせだな」と>ひとりごとの>ように>いう。>しょうじの>かげで>えへんと>いう>さいくんの>せきばらいが>きこえる。 >わがはいは>おとなしく>さんにんの>はなししを>じゅんばんに>きいていたがおかしくも>かなしくも>なかった。>にんげんという>ものは>じかんを>つぶす>ために>しいてくちを>うんどうさ>せて、>おかしくも>ない>ことを>わらったり、>おもしろくも>ない>ことを>うれし>がったり>する>ほかに>のうも>ない>ものだと>おもった。>わがはいの>しゅじんの>わがままで>へんきょうな>ことは>まえから>しょうちしていたが、>へいじょうは>ことば>すうを>つかわないのでなんだか>りょうかいし>かねる>てんが>ある>ように>おもわ>れていた。>そのりょうかいし>かねる>てんに>すこしは>おそれ>し>いと>いう>かんじも>あったが、>いまの>はなしを>きいてから>きゅうに>けいべつしたく>なった。>かれは>なぜりょうにんの>はなししを>ちんもくしてきいてい>られない>のだろう。>まけぬ>きに>なってぐにも>つかぬ>だべんを>ろうすればなにの>しょとくが>あるだろう。>えぴくてたすに>そんなことを>しろと>かいてある>のか>しらん。>ようするに>しゅじんも>かんげつも>迷>ていも>たいへいの>いつみんで、>かれらは>へちまのごとく>かぜに>ふか>れてちょうぜんと>すまし>きっている>ようなものの、>そのみは>やはり>しゃばけも>あり>よく>きもある。>きょうそうの>ねん、>かとう>かち>とうの>こころは>かれらが>にちじょうの>だんしょうちゅうにも>ちらちらと>ほのめいて、>いちほ>すすめばかれらが>へいじょう|>ばとうしている>ぞっこつ>ともと>ひとつあなの>どうぶつに>なる>のは>ねこより>みてきのどくの>いたりである。>ただその>げんご>どうさが>ふつうの>はんかつうのごとく、>ぶん>ぎり>かたちの>いやみを>おび>てない>のは>いささかの>とりどくでもあろう。 >こうかんがえるときゅうに>さんにんの>だんわが>おもしろくなく>なった>ので、>みけ>この>ようすでも>みてこようかと>にげんきんの>ごししょう>さんの>にわぐちへ>めぐる。>かどまつ>ちゅうもくかざりは>すでに>とりはらわ>れてしょうがつも>はやや>じゅうにちと>なったが、>うららかな>しゅんじつは>いちながれの>くもも>みえぬ>ふかき>そらより>しかい>てんかを>いちどに>てらして、>じゅうつぼに>たらぬ>にわの>めんも>がんじつの>しょこうを>うけた>ときより>鮮かな>かっきを>ていしている。>椽>がわに>ざぶとんが>ひとつ>あってひとかげも>みえず、>しょうじも>たて>きってある>のは>ごししょう>さんは>ゆにでも>おこなった>のか>しらん。>ごししょう>さんは>るすでも>かまわんが、>みけ>こは>すこしは>むべ>い>ほうか、>それが>きがかりである。>ひっそりしてひとの>きあいも>しないから、>どろあしの>まま>椽>がわへ>のぼってざぶとんの>まんなかへ>ね>てん>ろ>んで>みると>いい>こころもちだ。>つい>うとうとと>して、>みけ>この>ことも>わすれてうたたねを>していると、>きゅうに>しょうじの>うちで>ひとごえが>する。「>ごくろうだった。>できたか>え」>ごししょう>さんは>やはり>るすではなかった>のだ。「>はい>おそく>なりまして、>ぶっし>やへ>まいりましたら>ちょうど>でき>のぼった>ところだと>もうしまして」「>どれ>おみせ>なさい。>ああ>きれいに>できた、>これで>みけも>うかば>れましょう。>きんは>はげる>ことはあるまいね」「>え>え>ねんを>おしましたら>じょうとうを>つかったからこれなら>にんげんの>いはいよりも>もつと>もうしておりました。……>それからねこ>ほまれ>しんにょの>ほまれの>じは>くずした>ほうが>かっこうが>いいからすこし劃を>えき>えたと>もうしました」「>どれどれ>さっそくごぶつだんへ>あげてごせんこうでも>あげましょう」 >みけ>こは、>どうか>した>のかな、>なんだか>ようすが>へんだと>ふとんの>うえへ>たちのぼる。>ちー>ん>みなみ>むねこ>ほまれ>しんにょ、>なむあみだぶつ>なむあみだぶつと>ごししょう>さんの>こえが>する。「>おまえも>えこうを>しておやり>なさい」 >ちー>ん>みなみ>むねこ>ほまれ>しんにょ>なむあみだぶつ>なむあみだぶつと>こんどは>げじょの>こえが>する。>わがはいは>きゅうに>どうきが>してきた。>ざぶとんの>うえに>たった>まま、>きぼりの>ねこの>ように>めも>うごかさない。「>ほんとに>ざんねんな>ことを>いたしましたね。>はじめは>ちょいと>かぜを>ひいた>んでございましょうがねえ」「>あまぎ>さんが>くすりでも>くださると、>よかったかも>しれないよ」「>いったい>あの>あまぎ>さんが>あく>うございますよ、>あんまりみけを>ばかに>し>すぎ>ま>さあね」「>そうひとさまの>ことを>わるく>いう>ものではない。>これも>じゅみょうだから」 >みけ>こも>あまぎ>せんせいに>しんさつしてもらった>ものと>みえる。「>つまるところおもてどおりの>きょうしの>うちの>のらねこが>む>あんに>さそいだしたからだと、>わたしは>おもうよ」「>ええ>あの>ちくしょうが>みけ>のか>たきでございますよ」 >すこしべんかいしたかったが、>ここが>がまんの>しどころと>つばを>のんできいている。>はなしは>しばしとぎれる。「>よのなかは>じゆうに>ならん>ものでの>う。>みけの>ような>きりょう>よしは>はやじにを>するし。>ぶきりょうな>のらねこは>たっしゃで>いたずらを>しているし……」「>そのとおりでございますよ。>みけの>ような>かわいらしい>ねこは>かねと>たいこで>さがしてある>いたって、>ににんと>はおりませんからね」 >にひきと>いう>かわりに>にたりと>いった。>げじょの>かんがえでは>ねこと>にんげんとは>どうしゅぞく>ものと>おもっているらしい。>そういえばこの>げじょの>かおは>われ>とう|>ねこ>しょくと>はなはだ>るいじしている。「>できる>ものなら>みけの>かわりに……」「>あのきょうしの>ところの>のらが>しぬとごあつらえ>どおりに>まいった>んでございますがねえ」 >ごあつらえ>どおりに>なっては、>ちと>こまる。>しぬと>いう>ことは>どんなものか、>まだけいけんした>ことが>ないからすきとも>きらいとも>うん>えないが、>せんじつ>あまりさむいのでひけし>つぼの>なかへ>もぐりこんでいたら、>げじょが>わがはいが>いる>のも>しらんでうえから>ふたを>した>ことが>あった。>そのときの>くるし>さは>かんがえても>おそれ>しく>なるほどであった。>はく>くんの>せつめいに>よるとあの>くるしみが>いま>すこしつづくと>しぬ>ので>ある>そうだ。>みけ>この>みがわりに>なる>のなら>くじょうも>ないが、>あのくるしみを>うけなくては>しぬ>ことが>できない>のなら、>だれの>ためでも>しに>たくはない。「>しかしねこでも>ぼうさんの>ごけいを>よんでもらったり、>かいみょうを>こしらえてもらった>のだからこころのこりはあるまい」「>そうでございますとも、>まったくかほうものでございますよ。>ただよくを>いうとあの>ぼうさんの>ごけいが>あまりけいしょうだった>ようでございますね」「>すこしたんか>すぎた>ようだったから、>たいへん>ごはや>うございますねと>ごたずねを>したら、>げっけいじ>さんは、>ええ>ききめの>ある>ところを>ちょいと>やっておきました、>なに>ねこだから>あのくらいで>じゅうぶん>じょうどへ>いか>れますとおっしゃったよ」「>あら>まあ……>しかしあの>のらな>んかは……」 >わがはいは>なまえはないとしばしば>ことわっておくのに、>このげじょは>のら>のらと>わがはいを>よぶ。>しっけいな>やっこだ。「>つみが>ふかい>んですから、>いくら>ありがたい>ごけいだって>うかば>れる>ことはございませんよ」 >わがはいは>そのご>のらが>なんひゃく>へんくりかえさ>れたかを>しらぬ。>わがはいは>このさいげん>なき>だんわを>ちゅうとで>きき>すてて、>ふとんを>すべり>おちて椽>がわから>とびおりた>とき、>はちまん>はちせん>はちひゃく>はちじゅう>ほんの>もうはつを>いちど>にたててみぶるいを>した。>そのご>にげんきんの>ごししょう>さんの>きんじょへは>よりついた>ことが>ない。>いまごろは>ごししょう>さん>じしんが>げっけいじ>さんから>けいしょうな>ごえこうを>うけているだろう。 >ちかごろは>がいしゅつする>ゆうきも>ない。>なんだか>せけんが>慵>うく>かんぜ>ら>るる。>しゅじんに>おとらぬ>ほどの>むせい>ねこと>なった。>しゅじんが>しょさいにのみ>とじ>こもっている>のを>ひとが>しつれんだ>しつ>こいだと>ひょうする>のも>むりはないと>おもう>ように>なった。 >ねずみは>まだとった>ことが>ないので、>いちじは>ご>さんから>ほうちくろんさえ>ていしゅつさ>れた>ことも>あったが、>しゅじんは>わがはいの>ふつう>いっぱんの>ねこでないと>いう>ことを>しっている>ものだからわがはいは>やはり>のらくら>してこの>いえに>きがしている。>このてんについては>ふかく>しゅじんの>おんを>かんしゃするとどうじに>そのかつがんにたいして>けいふくの>いを>ひょう>するに>ちゅうちょしない>つもりである。>ご>さんが>わがはいを>しらず>してぎゃくたいを>する>のは>べつに>はらも>たたない。>いまに>ひだり>じんごろうが>でてきて、>わがはいの>しょうぞうを>ろうもんの>はしらに>きざみ、>にっぽんの>す>たん>らんが>このんでわがはいの>にがおを>かんヴぁすの>うえに>えがく>ように>なったら、>かれら|>どん瞎>かんは>はじめてじこの>ふめいを>はじ>ずるであろう。        >さん >みけ>こは>しぬ。>くろは>あいてに>ならず、>いささか>せきばくの>かんは>あるが、>さいわいにんげんに>ちきが>できたのでさほど>たいくつとも>おもわぬ。>せんだっては>しゅじんの>もとへ>わがはいの>しゃしんを>おくってくれと>てがみで>いらいした>おとこが>ある。>このあいだは>おかやまの>めいさん|>きび>だんごを>わざわざわがはいの>なあてで>とどけてくれた>ひとが>ある。>だんだんにんげんから>どうじょうを>よせ>ら>るるにしたがって、>おのれが>ねこである>ことは>ようやく>ぼうきゃくしてくる。>ねこよりは>いつのまにか>にんげんの>ほうへ>せっきんしてきた>ような>こころもちに>なって、>どうぞくを>きゅうごうして>にほん>あしの>せんせいと>しゆうを>けっし>ようなどと>いう>りょう>みは>さっこんの>ところ>もうとうない。>それの>みか>おりおりは>わがはいも>またにんげん>せかいの>いちにんだと>おもう>おりさえ>あるくらいに>しんかした>のは>たのもしい。>あえて>どうぞくを>けいべつする>しだいではない。>ただせいじょうの>ちかき>ところに>むかっていっしんの>やすきを>おくは>ぜいの>しから>しむ>る>ところで、>これを>へんしんとか、>けいはくとか、>うらぎりとか>ひょうせら>れては>ちと>めいわく>する。>かような>げんごを>ろうしてひとを>ばりする>ものに>かぎってゆうずうの>きかぬ>びんぼうしょうの>おとこが>おおい>ようだ。>こうねこの>しゅうへきを>だっかしてみるとみけ>こや>くろの>ことばかり>にやっかいに>している>わけには>いかん。>やはり>にんげん>どうとうの>きぐらいで>かれらの>しそう、>げんこうを>ひょう隲>したく>なる。>これも>むりはあるまい。>ただそのくらいな>けんしきを>ゆうしている>わがはいを>やはり>いっぱん|>ねこ>じの>けの>はえた>ものくらいに>おもって、>しゅじんが>わがはいに>ひとことの>あいさつも>なく、>きび>だんごを>わがものがおに>くい>つくした>のは>ざんねんの>しだいである。>しゃしんも>まだとっておくらぬ>ようすだ。>これも>ふへいと>いえばふへいだが、>しゅじんは>しゅじん、>わがはいは>わがはいで、>そうごの>けんかいが>しぜん|>ことなる>のは>いたしかたもあるまい。>わがはいは>どこまでも>にんげんに>なりすましている>のだから、>こうさいを>せぬ>ねこの>どうさは、>どうしても>ちょいと>ふでに>のぼり>にくい。>迷>てい、>かんげつ>しょせんせいの>ひょうばんだけで>ごめん|>こうむる>ことに>いたそう。 >きょうは>うえ>てんきの>にちようなので、>しゅじんは>のそのそ>しょさいから>でてきて、>わがはいの>そばへ>ひっけんと>げんこう>ようしを>ならべてはら>這に>なって、>しきりに>なにか>うなっている。>おおがた>そうこうを>かき>おろす>じょびらきとして>みょうな>こえを>はっする>のだろうと>ちゅうもくしていると、>やや>しばらくしてふでぶとに「>こう>いち※」と>かいた。>はてな>しに>なるか、>はいくに>なるか、>こう>いち※とは、>しゅじんに>しては>すこししゃれ>すぎているがと>おもう>まもなく、>かれは>こう>いち※を>かき>はなしに>して、>あらたに>ぎょうを>あらためて「>さっきから>てんねん>こじの>ことを>かこうと>かんがえている」と>ふでを>はしら>せた。>ふでは>それだけで>はたと>とまっ>たぎり>うごかない。>しゅじんは>ふでを>もってくびを>ひねったがべつだんめいあんも>ない>ものと>みえてふでの>ほを>甞>め>だした。>くちびるが>まっくろに>なったと>みていると、>こんどは>そのしたへ>ちょいと>まるを>かいた。>まるの>なかへ>てんを>ふたつ>うってめを>つける。>まなかへ>こばなの>ひらいた>はなを>かいて、>まいちもんじに>くちを>よこへ>ひっぱった、>これでは>ぶんしょうでも>はいくでもない。>しゅじんも>じぶんで>あいそが>つきたと>みえて、>そこそこに>かおを>ぬり>けしてしまった。>しゅじんは>またぎょうを>あらためる。>かれの>こうに>よるとぎょうさえ>あらためればしか>さんか>ごか>ろくか>なにかに>なるだろうと>ただ>あても>なく>かんがえているらしい。>やがて「>てんねん>こじは>くうかんを>けんきゅうし、>ろんごを>よみ、>しょういもを>くい、>はなしるを>たらす>ひとである」と>げんぶん>いっちたいで>いっきかせいに>かきながした、>なんとなく>ごたごたした>ぶんしょうである。>それからしゅじんは>これを>えんりょなく>ろうどくして、>いつに>なく「>はははは>おもしろい」と>わらったが「>はなしるを>たらす>のは、>ちと>こくだからけそう」と>そのくだけ>へ>ぼうを>ひく。>いちほんで>すむ>ところを>にほん>びき>さんほん>ひき、>きれいな>へいこうせんを>えがく、>せんが>ほかの>ぎょうまで>はみだしても>かまわず>ひいている。>せんが>はちほん>ならんでも>あとの>くが>できないと>みえて、>こんどは>ふでを>すててひげを>ひねってみる。>ぶんしょうを>ひげから>ひねりだしてごらんに>いれますという>けんまくで>もうれつに>ひねっては>ねじあげ、>ねじ>おろしている>ところへ、>ちゃのまから>さいくんが>でてきてぴたりと>しゅじんの>はなの>さきへ>すわ>わる。「>あなた>ちょっと」と>よぶ。「>なんだ」と>しゅじんは>すいちゅうで>どらを>たたく>ような>こえを>だす。>へんじが>きにいらないと>みえてさいくんは>また「>あなた>ちょっと」と>でなおす。「>なんだよ」と>こんどは>はなの>あなへ>おやゆびと>ひとさしゆびを>いれてはなげを>ぐっと>ぬく。「>こんげつは>ちっと>たりませんが……」「>たりん>はずはない、>いしゃへも>やくれいは>すましたし、>ほんやへも>せんげつ>はらった>じゃないか。>こんげつは>あまらなければならん」と>すましてぬきとった>はなげを>てんかの>きかんのごとく>ながめている。「>それでもあなたが>ごはんを>めし>のぼらんでめん>麭を>おたべに>なったり、>じゃむを>おなめに>なる>ものですから」「>がんらい>じゃむは>いくかん>なめた>のか>い」「>こんげつは>やっつ>はいりましたよ」「>やっつ? >そんなに>なめた>おぼえはない」「>あなたばかりじゃありません、>こどもも>なめます」「>いくら>なめたって>ごろく>えんくらいな>ものだ」と>しゅじんは>へいきな>かおで>はなげを>いちほん>いちほん>ていねいに>げんこう>しの>うえ>へ>しょく>つける。>にくが>ついているのでぴんと>はりを>たてた>ごとくに>たつ。>しゅじんは>おもわぬ>はっけんを>してかんじいった>からだで、>ふっと>ふいてみる。>ねんちゃくりょくが>つよいのでけっして>とばない。「>いやに>がんこだな」と>しゅじんは>いっしょうけんめいに>ふく。「>じゃむばかりじゃない>んです、>ほかに>かわなけりゃ、>ならない>ものも>あります」と>さいくんは>だいに>ふへいな>きしょくを>りょうほおに>みなぎら>す。「>あるかも>しれ>ないさ」と>しゅじんは>またゆびを>つっこんでぐいと>はなげを>ぬく。>あかい>のや、>くろい>のや、>しゅじゅの>いろが>交>る>なかに>いちほん>まっしろな>のが>ある。>だいに>おどろいた>ようすで>あなの>ひらくほど>ながめていた>しゅじんは>ゆびの>こへ>はさんだ>まま、>そのはなげを>さいくんの>かおの>まえへ>だす。「>あら、>いやだ」と>さいくんは>かおを>しかめて、>しゅじんの>てを>つきもどす。「>ちょっとみ>ろ、>はなげの>はくはつだ」と>しゅじんは>だいに>かんどうした>ようすである。>さすがの>さいくんも>わらいながらちゃのまへ>はいいる。>けいざい>もんだいは>だんねんしたらしい。>しゅじんは>またてんねん>こじに>とり>かかる。 >はなげで>さいくんを>おいはらった>しゅじんは、>まず>これで>あんしんと>いわぬ>ば>かりに>はなげを>ぬいては>げんこうを>かこうと>あせる>からだであるがなかなかふでは>うごかない。「>しょういもを>くうも>だそくだ、>かつあいしよう」と>ついに>このくも>まっさつする。「>こう>いち※」に>ぼうてん]も>あまりとうとつだからやめろ」と>惜>きも>なく>ひっちゅうする。>あます>ところは「>てんねん>こじは>くうかんを>けんきゅうし>ろんごを>よむ>ひとである」と>いう>いっくに>なってしまった。>しゅじんは>これでは>なんだか>かんたん>すぎる>ようだなと>かんがえていたが、>ええ>めんどうくさい、>ぶんしょうは>ごはいしに>して、>めいだけに>しろと、>ふでを>じゅうもんじに>ふるってげんこう>しの>うえへ>へたな>ぶんじん>がの>らんを>ぜい>よく>かく。>せっかくの>くしんも>いちじ>のこらず>らくだいと>なった。>それからうらを>かえして「>くうかんに>うまれ、>くうかんを>きわめ、>くうかんに>しす。>そら>たり>かん>たり>てんねん>こじ>噫」と>いみふめいな>かたりを>つらねている>ところへ>れいのごとく>迷>ていが>はいいってくる。>迷>ていは>ひとの>いえも>じぶんの>いえも>おなじものと>こころえている>のか>あんないも>こわず、>ずかずか>のぼってくる、>のみ>ならず>ときには>かってぐちから>ひょうぜんと>まいこむ>ことも>ある、>しんぱい、>えんりょ、>き>けん>、くろう、を>うまれる>とき>どこかへ>ふり>おとした>おとこである。「>またきょじん>いんりょくかね」と>たった>まま>しゅじんに>きく。「>そう、>いつでも>きょじん>いんりょくばかり>かいては>おらん>さ。>てんねん>こじの>はか>めいを>せんしている>ところ>なんだ」と>おおげさな>ことを>いう。「>てんねん>こじと>いうな>あ>やはり>ぐうぜん>どうじの>ような>かいみょうかね」と>迷>ていは>ふそう>へん>でたらめを>いう。「>ぐうぜん>どうじと>いう>のも>ある>のか>い」「>なに>ありゃ>しないがまず>そのけんとうだろうと>おもってい>ら>あね」「>ぐうぜん>どうじと>いう>のは>ぼくの>しった>ものじゃない>ようだがてんねん>こじと>いう>のは、>きみの>しっ>てる>おとこだぜ」「>いったい>だれが>てんねん>こじなんて>なを>つけてすましている>ん>だい」「>れいの>曾>りょ>さきの>ことだ。>そつぎょうしてだいがくいんへ>はいいってくうかん>ろんと>いう>だいもくで>けんきゅうしていたが、>あまりべんきょうし>すぎてふくまくえんで>しんでしまった。>曾>りょ>さきは>あれでも>ぼくの>しんゆう>なんだからな」「>しんゆうでも>いい>さ、>けっして>わるいと>うんや>しない。>しかしその>曾>りょ>さきを>てんねん>こじに>へんかさ>せた>のは>いったい>だれの>しょさ>だい」「>ぼくさ、>ぼくが>つけてやった>んだ。>がんらい>ぼうずの>つける>かいみょうほど>ぞくな>ものは>ないからな」と>てんねん>こじは>よほど>みやびな>なの>ように>じまんする。>迷>ていは>わらいながら「>まあ>そのぼひめいと>いう>やっこを>みせ>たまえ」と>げんこうを>とりあげて「>なんだ……>くうかんに>うまれ、>くうかんを>きわめ、>くうかんに>しす。>そら>たり>かん>たり>てんねん>こじ|>噫」と>おおきなこえで>よみ>のぼる。「>なるほど>こりゃ>あ>よい、>てんねん>こじ>そうとうの>ところだ」>しゅじんは>うれし>そうに「>よいだろう」と>いう。「>このはか>めいを>たくあん>せきへ>ほり>つけてほんどうの>うらてへ>ちから>せきの>ように>ほうりだしておく>んだね。>みやびで>いいや、>てんねん>こじも>うかば>れる>わけだ」「>ぼくも>そうしようと>おもっている>の>さ」と>しゅじんは>しごく>まじめに>こたえたが「>ぼく>あ>ちょっとしっけいするよ、>じき>かえるからねこにでも>からかっていてくれ>たまえ」と>迷>ていの>へんじも>またず>かぜ>しかと>でていく。 >はからずも>迷>てい>せんせいの>せったいかかりを>めいぜ>られてぶあいそうな>かおも>してい>られないから、>にゃーにゃーと>あいきょうを>ふり>まいてひざの>うえへ>はい>のぼってみた。>すると迷>ていは「>いよー>だいぶ>ふとったな、>どれ」と>ぶさほうにも>わがはいの>えりがみを>つかんでちゅうへ>つる>す。「>あと>あしを>こうぶらさげては、>ねずみは>とれ>そうも>ない、……>どうです>おくさん>このねこは>ねずみを>とりますかね」と>わがはいばかりでは>ふそくだと>みえて、>となりの>しつの>さいくんに>はなしかける。「>ねずみ>どころじゃございません。>ごぞうにを>たべておどりを>おどる>んです>もの」と>さいくんは>とんだ>ところで>きゅうあくを>あばく。>わがはいは>ちゅうのりを>しながらも>しょうしょうきまりが>わるかった。>迷>ていは>まだわがはいを>おろしてくれない。「>なるほど>おどりでも>おどり>そうな>かおだ。>おくさん>このねこは>ゆだんの>ならない>そうごうですぜ。>むかし>しの>くさぞうしに>ある>ねこまたに>にていますよ」と>かってな>ことを>いいながら、>しきりに>さいくんに>はなしかける。>さいくんは>めいわく>そうに>はりしごとの>てを>やめてざしきへ>でてくる。「>どうも>ごたいくつ>さま、>もう>かえりましょう」と>ちゃを>そそぎ>えき>えて迷>ていの>まえへ>だす。「>どこへ>おこなった>んですかね」「>どこへ>まいるにも>ことわっていった>ことの>ない>おとこですからわかり>かねますが、>おおかたごいしゃへでも>おこなった>んでしょう」「>あまぎ>さんですか、>あまぎ>さんも>あんな>びょうにんに>つかまっちゃさいなんですな」「>へえ」と>さいくんは>あいさつの>しようも>ないと>みえてかんたんな>こたえを>する。>迷>ていは>いっこう>とんじゃくしない。「>ちかごろは>どうです、>すこしは>いの>かげんが>あたい>んですか」「>あたいか>わるいか>とみと>わかりません、>いくら>あまぎ>さんに>かかったって、>あんなにじゃむばかり>甞>めては>いびょうの>なおる>わけが>ないと>おもいます」と>さいくんは>せんこくの>ふへいを>あんに>迷>ていに>もらす。「>そんなに>じゃむを>甞>め>る>んですか>まるで>しょうともの>ようですね」「>じゃむばかりじゃない>んで、>このころは>いびょうの>くすりだとか>いってだいこんおろし>しを>む>あんに>甞>め>ます>ので……」「>おどろき>ろ>いたな」と>迷>ていは>かんたんする。「>なにでも>だいこんおろしの>なかには>じやすたーぜが>あるとか>いう>はなししを>しんぶんで>よんでからです」「>なるほど>それでじゃむの>そんがいを>つぐなおうと>いう>しゅこうですな。>なかなかかんがえてい>ら>あ>はははは」と>迷>ていは>さいくんの>訴を>きいてだいに>ゆかいな>きしょくである。「>このあいだなどは>あかんぼうにまで>甞>めさ>せまして……」「>じゃむを>で>すか」「>いいえ>だいこんおろしを……>あなた。>ぼうや>ごとうさまが>うまい>ものを>やるからおいで>てって、――>たまに>しょうともを>かわいがってくれるかと>おもうとそんな>ばかな>ことばかり>する>んです。>にさん>にちまえには>ちゅうの>むすめを>いだいてたんすの>うえへ>あげましてね……」「>どういう>しゅこうが>ありました」と>迷>ていは>なにを>きいても>しゅこう>ずくめに>かいしゃくする。「>なに>しゅこうも>なにも>ありゃ>しません、>ただその>うえから>とびおりてみろと>いう>んですわ、>みっつや>よっつの>おんなのこです>もの、>そんなごてん>ばばな>ことが>できる>はずが>ないです」「>なるほど>こりゃ>しゅこうが>な>さ>すぎましたね。>しかしあれで>はらのうちは>どくの>ない>ぜんにんですよ」「>あのうえ>はらのうちに>どくが>あっちゃ、>からし>ぼうは>できません>わ」と>さいくんは>だいに>きえんを>あげる。「>まあ>そんなに>ふへいを>いわんでも>よいで>さあ。>こうやってふそくなく>そのひ>そのひが>くらしていか>れればうえの>ぶんですよ。>く>さや>くんなどは>どうらくは>せず、>ふくそうにも>かまわず、>じみに>せたい>むきに>でき>のぼった>ひとで>さあ」と>迷>ていは>えに>ない>せっきょうを>ようきな>ちょうしで>やっている。「>ところがあなた>だい>ちがいで……」「>なにか>ないないで>やりますかね。>ゆだんの>ならない>よのなかだからね」と>ひょうぜんと>ふわふわした>へんじを>する。「>ほかの>どうらくはないですが、>む>あんに>よみも>しない>ほんばかり>かいましてね。>それも>よい>かげんに>みはからってかってくれると>よい>んですけれど、>かってに>まるぜんへ>おこなっちゃ>なんさつでも>とってきて、>げつまつに>なるとしらんかおを>している>んです>もの、>きょねんの>くれなんか、>つきづき>のが>たまってたいへん>こまりました」「>なあに>しょもつなんか>とってくるだけ>とってきてかまわんですよ。>はらいを>とりに>きたら>いまに>やる>いまに>やると>いっていりゃ>かえってしまい>ま>さあ」「>それでも、>そういつまでも>ひっぱる>わけにも>まいりませんから」と>さいくんは>ぶぜんと>している。「>それじゃ、>わけを>はなしてしょせき>ひを>さくげんさ>せるさ」「>どうして、>そんなげんを>いったって、>なかなかきく>ものですか、>このあいだなどは>きさまは>がくしゃの>つまにも>にあわん、>ごうも>しょせきの>かちを>かいしておらん、>むかし>し>ら>うまに>こういう>はなししが>ある。>こうがくの>ため>きいておけと>いう>んです」「>そりゃおもしろい、>どんなはなししですか」>迷>ていは>の>きに>なる。>さいくんに>どうじょうを>あらわしていると>いうより>むしろ>こうき>こころに>から>れている。「>なに>んでも>むかし>し>ら>うまに>たる>きんとか>いう>おうさまが>あって……」「>たる>きん? >たる>きんは>ちと>みょうですぜ」「>わたしは>とうじんの>なな>んか>むずかしくておぼえ>られません>わ。>なにでも>ななだいめ>なんだ>そうです」「>なるほど>ななだいめ>たる>きんは>みょうですな。>ふん>その>ななだいめ>たる>きんが>どうか>しましたかい」「>あら、>あなたまで>ひやかしては>たつせが>ありません>わ。>しっていらっしゃるなら>おしえてくださればいいじゃ>ありませんか、>ひとの>わるい」と、>さいくんは>迷>ていへ>くってかかる。「>なに>ひやかすなんて、>そんなひとの>わるい>ことを>する>ぼくじゃない。>ただ>ななだいめ>たる>きんは>ふっ>てると>おもってね……>ええ>おまちな>さいよ>ら>うまの>ななだいめの>おうさまですね、>こうっとたしかには>おぼえていないがたーくいん・>ぜ・>ぷらう>どの>ことでしょう。>まあ>だれでも>いい、>そのおうさまが>どうしました」「>そのおうさまの>ところへ>いちにんの>おんなが>ほんを>きゅうさつ>もってきてかってくれないかと>いった>んだ>そうです」「>なるほど」「>おうさまが>いくらなら>うると>いってきいたら>たいへんな>たかい>ことを>いう>んですって、>あまりたかい>もんだからすこしまけないかと>いうとその>おんなが>いきなり>きゅうさつの>うちの>さんさつを>ひに>くべてたいてしまった>そうです」「>おしい>ことを>しましたな」「>そのほんの>うちには>よげんか>なにか>ほかで>み>られない>ことが>かいてある>んですって」「>へえー」「>おうさまは>きゅうさつが>ろくさつに>なったからすこしは>あたいも>へったろうと>おもって>ろくさつで>いくらだと>きくと、>やはり>もとの>とおり>いちぶんも>ひかない>そうです、>それは>らんぼうだと>いうと、>そのおんなは>また>さんさつを>とってひに>くべた>そうです。>おうさまは>まだみれんが>あったと>みえて、>あまった>さんさつを>いくらで>うると>きくと、>やはり>きゅうさつ>ぶんの>ねだ>んを>くれと>いう>そうです。>きゅうさつが>ろくさつに>なり、>ろくさつが>さんさつに>なっても>だいかは、>もとの>とおり>いちりんも>ひかない、>それを>ひか>せようと>すると、>のこっ>てる>さんさつも>ひに>くべるかも>しれないので、>おうさまは>とうとう>たかい>ごきんを>だしてたけ>あまりの>さんさつを>かった>んですって……>どうだ>このはなししで>すこしは>しょもつの>ありがたみが>わかったろう、>どうだと>ちから>あじ>む>のですけれど、>わたしにゃ>なにが>ありがたい>んだか、>まあ>わかりませんね」と>さいくんは>いっかの>けんしきを>たてて迷>ていの>へんとうを>促が>す。>さすがの>迷>ていも>しょうしょうきゅうしたと>みえて、>たもとから>はんけちを>だしてわがはいを>じゃらしていたが「>しかしおくさん」と>きゅうに>なにか>かんがえついた>ように>おおきなこえを>だす。「>あんなにほんを>かってや>たらに>つめこむ>ものだからひとから>すこしは>がくしゃだとか>なんとか>いわ>れる>んですよ。>このあいだ>ある>ぶんがく>ざっしを>みたら>く>さや>くんの>ひょうが>でていましたよ」「>ほんとに?」と>さいくんは>むきなおる。>しゅじんの>ひょうばんが>きに>かかる>のは、>やはり>ふうふと>みえる。「>なんとか>いてあった>んです」「>なあに>にさん>こうばかりですがね。>く>さや>くんの>ぶんは>こううんりゅうすいのごとしと>ありましたよ」>さいくんは>すこしにこにこして「>それ>ぎりで>すか」「>そのつぎにね――>で>ずるかと>おもえばたちまち>きえ、>ゆいては>ながえに>かえるを>忘ると>ありましたよ」>さいくんは>みょうな>かおを>して「>しょう>め>たんでしょうか」と>こころ>もとない>ちょうしである。「>まあ>しょう>めた>ほうで>しょうな」と>迷>ていは>すましてはんけちを>わがはいの>めの>まえに>ぶらさげる。「>しょもつは>しょう>がい>どうぐで>しかたもござん>すまいが、>よっぽど>へんくつでし>てねえ」>迷>ていは>またべっとの>ほうめんから>きたなと>おもって「>へんくつは>しょうしょうへんくつですね、>がくもんを>する>ものは>どうせ>あん>なですよ」と>ちょうしを>あわせる>ような>べんごを>する>ような>ふそくふりの>みょう>こたえを>する。「>せんだってなどは>がっこうから>かえってすぐわきへ>でる>のに>きものを>き>かえる>のが>めんどうだ>ものですから、>あなた>がいとうも>ぬがないで、>つくえへ>こしを>かけてごはんを>たべる>のです。>ごぜんを>こたつ>やぐらの>うえへ>のせまして――>わたしは>ごひつを>かかえてすわっておりましたがおかしくって……」「>なんだか>はいからの>くびじっけんの>ようですな。>しかしそんな>ところが>く>さや>くんの>く>さや>くん>たる>ところで――>とにかく>つきなみでない」と>せつない>ほめ>かたを>する。「>つきなみか>つきなみでないか>おんなには>わかりませんが、>なんぼなにでも、>あまりらんぼうですわ」「>しかしつきなみより>よいですよ」と>む>あんに>かせいすると>さいくんは>ふまんな>ようすで「>いったい、>つきなみ>つきなみと>みなさんが、>よく>おっしゃいますが、>どんなのが>つきなみな>んです」と>ひらきなおってつきなみの>ていぎを>しつもんする、「>つきなみですか、>つきなみと>いうと――>さよ>うちと>せつめいし>にくい>のですが……」「>そんなあいまいな>ものなら>つきなみだって>よ>さ>そうな>ものじゃ>ありませんか」と>さいくんは>にょにん>いちりゅうの>ろんり>ほうで>つめ>よせる。「>あいまいじゃ>ありませんよ、>ちゃんと>わかっています、>ただせつめいし>にくいだけの>ことで>さあ」「>なにでも>じぶんの>きらいな>ことを>つきなみと>いう>んでしょう」と>さいくんは>われ>しらず>うがった>ことを>いう。>迷>ていも>こうなるとなんとか>つきなみの>しょちを>つけなければならぬ>しぎと>なる。「>おくさん、>つきなみと>いう>のはね、>まず>としは>にはちか>にきゅう>からぬと>いわず>かたらず>ものおもいの>あいだに>ねころんでいて、>このひや>てんき>せいろうと>くるとかならずいっぴょうを>たずさえてすみ>つつみに>あそぶ>れんちゅうを>いう>んです」「>そんなれんちゅうが>あるでしょうか」と>さいくんは>わからん>ものだから>こうかげんな>あいさつを>する。「>なんだか>ごたごたしてわたしには>わかりません>わ」と>ついに>われを>おる。「>それじゃばきんの>どうへ>めじょお・>ぺん>でにすの>くびを>つけて>いちに>ねんおうしゅうの>くうきで>つつんでおく>んですね」「>そうするとつきなみが>できるでしょうか」>迷>ていは>へんじを>しないでわらっている。「>なに>そんなてすうの>かかる>ことを>しないでも>できます。>ちゅうがっこうの>せいとに>しらきやの>ばんがしらを>くわえて>にで>わるとりっぱな>つきなみが>でき>のぼります」「>そうでしょうか」と>さいくんは>くびを>ひねった>まま>なっとくし>かねたと>いう>ふぜいに>みえる。「>きみ>まだいる>のか」と>しゅじんは>いつのまにや>ら>かえってきて迷>ていの>そばへ>すわ>わる。「>まだいる>のかは>ちと>こくだな、>すぐかえるからまってい>たまえと>いった>じゃないか」「>ばんじ>あれな>んです>もの」と>さいくんは>迷>ていを>かえりみる。「>いま>くんの>るすちゅうに>きみの>いつわを>のこらず>きいてしまったぜ」「>おんなは>とかく>たべんで>いかん、>にんげんも>このねこくらい>ちんもくを>まもるといいがな」と>しゅじんは>わがはいの>あたまを>なでてくれる。「>きみは>あかんぼうに>だいこんおろし>しを>甞>めさ>した>そうだな」「>ふむ」と>しゅじんは>わらったが「>あかんぼうでも>ちかごろの>あかんぼうは>なかなかりこうだぜ。>それ>いらい、>ぼうや>つらい>のは>どこと>きくときっと>したを>だすからみょうだ」「>まるで>いぬに>げいを>しこむ>きでいるからざんこくだ。>ときに>かんげつは>もう>き>そうな>ものだな」「>かんげつが>くる>のか>い」と>しゅじんは>ふしんな>かおを>する。「>くる>んだ。>ごご>いちじまでに>く>さやの>いえへ>らいいと>はしがきを>だしておいたから」「>ひとの>つごうも>きかんで>かってな>ことを>する>おとこだ。>かんげつを>よんでなにを>する>ん>だい」「>なあに>きょうのは>こっちの>しゅこうじゃない>かんげつ>せんせい>じしんの>ようきゅうさ。>せんせい>なんでもりがく>きょうかいで>えんぜつを>するとか>いう>のでね。>そのけいこを>やるからぼくに>きいてくれと>いうから、>そりゃちょうど>いい>く>さやにも>きかしてやろうと>いう>のでね。>そこできみの>いえへ>よぶ>ことに>しておいた>の>さ――>なあに>きみは>ひま>じんだからちょうど>い>いやね――>さしつかえ>なんぞ>ある>おとこじゃない、>きくがいい>さ」と>迷>ていは>ひとりで>のみこんでいる。「>ぶつり>がくの>えんぜつなんか>しもべにゃ>わからん」と>しゅじんは>しょうしょう迷>ていの>せんだんを>いきどおった>ものの>ごとくに>いう。「>ところがその>もんだいが>まぐね>つけ>られた>のっずるに>ついてなどと>いう>かんそうむみな>ものじゃない>んだ。>くびくくりの>りきがくと>いう>だつぞくちょうぼんな>えんだいな>のだからけいちょうする>かちが>あるさ」「>きみは>くびを>縊り>そん>く>なった>おとこだからけいちょうするがよいがぼくな>ん>ざ>あ……」「>かぶきざで>おかんが>するくらいの>にんげんだからきか>れないと>いう>けつろんは>で>そうも>ないぜ」と>れいのごとく>かるくちを>たたく。>さいくんは>ほ>ほと>わらってしゅじんを>かえりみながらつぎのまへ>しりぞく。>しゅじんは>むごんの>まま>わがはいの>あたまを>なでる。>このとき>のみは>ひじょうに>ていねいな>なで>かたであった。 >それから>やくなな>ふんくらい>すると>ちゅうもんどおり>かんげつ>くんが>くる。>きょうは>ばんに>演>したを>すると>いうのでれいに>なく>りっぱな>ふろっくを>きて、>せんたくし>だての>しろ>えりを>そびやかして、>おとこぶりを>にわり>かた>あげて、「>すこしおくれまして」と>おちつき>はらって、>あいさつを>する。「>さっきから>ににんで>だいまちに>まった>ところ>なんだ。>さっそくねがおう、な>あ>きみ」と>しゅじんを>みる。>しゅじんも>やむをえず「>うむ」と>なまへんじを>する。>かんげつ>くんは>いそがない。「>こっぷへ>みずを>いっぱい>ちょうだいしましょう」と>いう。「>いよー>ほんしきに>やる>のか>つぎには>はくしゅの>せいきゅうと>おいで>なさるだろう」と>迷>ていは>ひとりで>さわぎたてる。>かんげつ>くんは>うちかくしから>そうこうを>とりだしてじょ>ろに「>けいこですから、>ごえんりょなく>ごひひょうを>ねがいます」と>ぜん置を>して、>いよいよ>演>したの>ごさらいを>はじめる。「>つみびとを>しぼ>ざいの>けいに>しょすると>いう>ことは>おもに>あんぐろさくそん>みんぞく>かんに>おこなわ>れた>ほうほうでありまして、>それより>こだいに>さかのぼってかんがえますとくびくくりは>おもに>じさつの>ほうほうとして>おこなわ>れた>ものであります。>なお>ふと>じん>ちゅうに>あっては>つみびとを>いしを>ほう>げ>つけてころす>しゅうかんであった>そうでございます。>きゅうやく>ぜんしょを>けんきゅうしてみますといわゆる>はんぎんぐ>なる>かたりは>つみびとの>したいを>つる>してやじゅう>またはにくしょくとりの>えじきと>する>いぎと>みとめ>られます。>へろどたすの>せつにしたがって>みますとなお>ふと>じんは>えじぷとを>さる>いぜんから>よなか>しがいを>さらさ>れる>ことを>いたく>いみきらった>ように>おもわ>れます。>えじぷと>じんは>つみびとの>くびを>きってどうだけを>じゅうじかに>くぎづけに>してよなか>さらし>ぶつに>した>そうでございます。>なみ>斯>じんは……」「>かんげつ>くん>くびくくりと>えんが>だんだんとおく>なる>ようだがだいじょうぶ>かい」と>迷>ていが>くちを>いれる。「>これからほんろんに>はいいる>ところですから、>しょうしょう|>ごからし>ぼうを>ねがいます。……>さてなみ>斯>じんは>どうかと>もうしますとこれも>やはり>しょけいには>はりつけを>もちいた>ようでございます。>ただしいきている>うちに>はりつけに>いたした>ものか、>しんでから>くぎを>うった>ものか>そのへんは>ちと>わかり>かねます……」「>そんなことは>わからんでも>いいさ」と>しゅじんは>たいくつ>そうに>あくびを>する。「>まだいろいろごはなしし>いたしたい>こともございますが、>ごめいわくで>あ>らっしゃいましょうから……」「>あ>らっしゃいましょうより、>いらっしゃいましょう>の>かたが>きき>いいよ、>ねえ>く>さや>くん」と>また迷>ていが>とがめ>りつを>すると>しゅじんは「>どっちでも>おなじことだ」と>きの>ない>へんじを>する。「>さていよいよ>ほんだいに>はいりましてべんじます」「>べんじます>なんか>こうしゃくしの>うん>いぐさだ。>演>した>かは>もっと>じょうひんな>しを>つかってもらいたいね」と>迷>てい>せんせい>またまぜかえす。「>べんじますがげひんなら>なにと>いったら>いいでしょう」と>かんげつ>くんは>しょうしょうむっと>した>ちょうしで>といかける。「>迷>ていのは>きいている>のか、>まぜかえしている>のか>はんぜんしない。>かんげつ>くん>そんなわたる>つぎ>ばに>かまわず、>さっさと>やるがよい」と>しゅじんは>なるべく>はやく>なんかんを>きりぬけようと>する。「>むっと>してべんじ>まし>たる>やなぎかな、>かね」と>迷>ていは>あいかわらず>ひょうぜんたる>ことを>いう。>かんげつは>おもわずふきだす。「>しんに>しょけいとして>こうさつを>もちいました>のは、>わたしの>しらべました>けっかにより>ますると、>おでぃせーの>にじゅう>にかん>めに>でております。>すなわちかれの>てれまかすが>ぺねろぴーの>じゅうに>にんの>じじょを>こうさつするという>じょうりでございます。>まれ>臘>ごで>ほんぶんを>ろうどくしても>むべ>しゅう>ございますが、>ちと>てらう>ような>きみにも>なりますからやめに>いたします。>よんひゃく>ろくじゅう>ごこうから、>よんひゃく>ななじゅう>さんこうを>ごらんに>なると>わかります」「>まれ>臘>ご|>しかじかは>よした>ほうが>いい、>さも>まれ>臘>ごが>できますといわんばかりだ、>ねえ>く>さや>くん」「>それは>ぼくも>さんせいだ、>そんなものほしそうな>ことは>いわん>ほうが>おくゆかしくてよい」と>しゅじんは>いつに>なく>ただちに>迷>ていに>かたんする。>りょうにんは>ごうも>まれ>臘>ごが>よめない>のである。「>それではこの>りょうさん>くは>こんばん>ぬく>ことに>いたしましてつぎを>べんじ――>ええ>もうしあげます。 >このこうさつを>いまから>そうぞうしてみますと、>これを>しっこうするに>ふたつの>ほうほうが>あります。>だいいちは、>かれの>てれまかすが>ゆーみあす>およびふ※>りーしゃすの>援を>藉りてなわの>いったんを>はしらへ>くくり>つけます。>そしてその>なわの>ところどころへ>むすびめを>あなに>あけてこの>あなへ>おんなの>あたまを>ひとつずつ>いれておいて、>かたほうの>たんを>ぐいと>ひっぱってつり>し>あげた>ものと>みる>のです」「>つまりせいよう>せんたくやの>しゃつの>ように>おんなが>ぶら>くだったと>みればよい>んだろう」「>そのとおりで、>それから>だいには>なわの>いったんを>まえのごとく>はしらへ>くくり>つけてたの>いったんも>はじめから>てんじょうへ>たかく>つる>のです。>そしてその>たかい>なわから>なんほんか>べつの>なわを>さげて、>それに>むすびめの>わに>なった>のを>つけておんなの>頸を>いれておいて、>いざと>いう>ときに>おんなの>あし>だいを>とりはずすと>いう>しゅこうな>のです」「>たとえていうとなわのれんの>さきへ>ちょうちん>だまを>つり>した>ような>けしきと>おもえばあいだ>違はあるまい」「>ちょうちん>だまと>いう>たまは>みた>ことが>ないからなんとも>もうさ>れませんが、>もし>あると>すればその>あたりの>ところかと>おもいます。――>それで>これからりきがく>てきに>だいいちの>ばあいは>とうてい>せいりつすべき>ものでないと>いう>ことを>しょうこだててごらんに>いれます」「>おもしろいな」と>迷>ていが>いうと「>うん>おもしろい」と>しゅじんも>いっちする。「>まず>おんなが>どうきょりに>つら>れると>かていします。>またいちばん>じめんに>ちかい>ににんの>おんなの>くびと>くびを>つないでいる>なわは>ほりぞん>たると>かていします。>そこであるふぁ>いちあるふぁ>に……あるふぁ>ろくを>なわが>ちへいせんと>かたちづくる>かくどと>し、てぃー>いちてぃー>に……てぃー>ろくを>なわの>かくぶが>うける>ちからと>み>做>し、てぃー>なな=えっくすは>なわの>もっとも>ひくい>ぶぶんの>うける>ちからと>します。だぶりゅーは>もちろん>おんなの>たいじゅうと>ごしょうちください。>どうで>すごわかりに>なりましたか」 >迷>ていと>しゅじんは>かおを>みあわせて「>たいてい>わかった」と>いう。>ただしこの>たいていと>いう>どあいは>りょうにんが>かってに>つくった>のだからたにんの>ばあいには>おうようが>できないかも>しれない。「>さてたかく>かたちにかんする>ごぞんじの>へいきんせい>りろんに>よりますと、>したの>ごとく>じゅうにの>ほうていしきが>たちます。てぃー>いちしーおーえすあるふぁ>1=T2cosあるふぁ>に……>いちてぃー>にしーおーえすあるふぁ>2=T3cosあるふぁ>さん……>に……]」「>ほうていしきは>そのくらいで>たくさんだろう」と>しゅじんは>らんぼうな>ことを>いう。「>じつはこの>しきが>えんぜつの>しゅのうな>んですが」と>かんげつ>くんは>はなはだ>のこりおし>げに>みえる。「>それじゃしゅのうだけは>おってうかがう>ことに>しようじゃないか」と>迷>ていも>しょうしょうきょうしゅくの>からだに>みうけ>られる。「>このしきを>りゃくしてしまうとせっかくの>りきがく>てき>けんきゅうが>まるで>だめに>なる>のですが……」「>なに>そんなえんりょはいらんから、>ずんずん>りゃく>すさ……」と>しゅじんは>へいきで>いう。「>それではおおせにしたがって、>むりですがりゃくしましょう」「>それが>よかろう」と>迷>ていが>みょうな>ところで>てを>ぱちぱちと>たたく。「>それからえいこくへ>うつってろんじますと、>べおうるふの>なかに>こうしゅ>かすなわち>がる>がと>もうす>じが>みえますからしぼ>ざいの>けいは>このじだいから>おこなわ>れた>ものに>違>ないと>おもわ>れます。>ぶら>くす>とーんの>せつに>よるともし>しぼ>ざいに>しょせ>られる>つみびとが、>まんいちなわの>ぐあいで>しに>きれぬ>ときは>さいどどうようの>けいばつを>受>くべ>き>ものだと>してありますが、>みょうな>ことには>ぴやーす・>ぷろーまんの>なかには>たとえ>きょうかんでも>にど|>しめる>ほうはないと>いう>くが>ある>のです。>まあ>どっちが>ほんとうか>しりませんが、>わるく>すると>いちどで>しねない>ことが>おうおう>じつれいに>あるので。>せんなな>ひゃくはち>じゅうろく>ねんに>ゆうめいな>ふ※>つ・>ぜらるどと>いう>あっかんを>しめた>ことが>ありました。>ところがみょうな>はずみで>いちどめには>だいから>とびおりる>ときに>なわが>きれてしまった>のです。>またやりなおすとこんどは>なわが>なが>すぎてあしが>じめんへ>ついたのでやはり>しねなかった>のです。>とうとう>さんかえ>めに>けんぶつにんが>てつだっておうじょうさしたと>いう>はなししです」「>やれやれ」と>迷>ていは>こんなところへ>くると>きゅうに>げんきが>でる。「>ほんとうに>しに>そん>いだな」と>しゅじんまで>うかれだす。「>まだおもしろい>ことが>あります>くびを>縊ると>せが>いっすんばかり>のびる>そうです。>これは>たしかに>いしゃが>はかってみた>のだからあいだ>違は>ありません」「>それは>しんくふうだね、>どうだい>く>さやなどは>ちと>つってもらっちゃあ、>ちょっと>のびたら>にんげんなみに>なるかも>しれ>ないぜ」と>迷>ていが>しゅじんの>ほうを>むくと、>しゅじんは>あんがいまじめで「>かんげつ>くん、>いっすんくらい>せが>のびていきかえる>ことが>あるだろうか」と>きく。「>それは>だめに>きょくって>います。>つら>れてせきずいが>のびるからなんで、>はやく>いうとせが>のびると>いうより>こわれる>んですからね」「>それじゃ、>まあ>とめよう」と>しゅじんは>だんねんする。 >えんぜつの>つづきは、>まだなかなかながく>あってかんげつ>くんは>くびくくりの>せいり>さようにまで>ろんきゅうする>はずでいたが、>迷>ていが>む>あんに>ふうらいぼうの>ような>ちん>ごを>はさむ>のと、>しゅじんが>ときどき>えんりょなく>あくびを>する>ので、>ついに>ちゅうとで>やめてかえってしまった。>そのばんは>かんげつ>くんが>いかなるたいどで、>いかなるゆうべんを>ふったか>とお>かたで>たった>できごとの>ことだからわがはいには>しれよう>わけが>ない。 >にさん>にちは>ことも>なく>すぎたが、>あるる>ひの>ごご>にじ>ころ>また迷>てい>せんせいは>れいのごとく>くうくうとして>ぐうぜん>どうじのごとく>まいこんできた。>ざに>つくと、>いきなり「>きみ、>おち>こちの>たかなわ>じけんを>きいたかい」と>りょじゅん>かんらくの>ごうがいを>しらせに>きたほどの>ぜいを>しめす。「>しらん、>ちかごろは>あわんから」と>しゅじんは>へいぜいの>とおり>いんきである。「>きょうは>そのこち>この>しっさくものがたりを>ごほうどうに>およぼうと>おもっていそがしい>ところを>わざわざきた>んだよ」「>またそんな>ぎょうさんな>ことを>いう、>きみは>ぜんたい|>ふらちな>おとこだ」「>ははははは>ふらちと>うん>わんより>むしろ>むらちの>ほうだろう。>それだけは>ちょっとくべつしておいてもらわんと>めいよに>かんけいするからな」「>おんな>し>ことだ」と>しゅじんは>うそぶいている。>じゅんぜんたる>てんねん>こじの>さいらいだ。「>このまえの>にちように>こち>こが>たかなわ>せんがくじに>いった>んだ>そうだ。>このさむい>のに>よせばいいのに――>だいいち|>いまどき>せんがくじなどへ>まいる>のは>さも>とうきょうを>しらない、>いなかものの>ようじゃないか」「>それは>こちの>かって>さ。>きみが>それを>とめる>けんりはない」「>なるほど>けんりは>まさに>ない。>けんりは>どうでも>いいが、>あのてらうちに>ぎし>いぶつ>ほぞんかいと>いう>みせものが>あるだろう。>きみ>しっ>てるか」「>うんにゃ」「>しらない? >だってせんがくじへ>おこなった>ことは>あるだろう」「>いいや」「>ない? >こりゃ>おどろき>ろ>いた。>どうりで>たいへん>こちを>べんごすると>おもった。>えど>っこが>せんがくじを>しらない>のは>なさけない」「>しらなくても>きょうしは>つとまるからな」と>しゅじんは>いよいよ>てんねん>こじに>なる。「>そりゃよいが、>そのてんらんじょうへ>こちが>はいいってけんぶつしていると、>そこ>へ>どいつ>じんが>ふうふ|>れんで>きた>んだって。>それが>さいしょは>にほんごで>こちに>なにか>しつもんした>そうだ。>ところがせんせい>れいの>とおり>どいつ>ごが>つかってみたくてたまらん>おとこだろう。>そら>ふたくち>みつくち>べらべら>やってみたと>さ。>するとぞんがい>うまく>できた>んだ――>あとで>かんがえるとそれが>わざわいの>ほん>さね」「>それからどうした」と>しゅじんは>ついに>つりこま>れる。「>どいつ>じんが>おおたか>はじめ>われの>まきえの>いんろうを>みて、>これを>かいたいがうってくれるだろうかと>きく>んだ>そうだ。>そのとき>こちの>へんじが>おもしろいじゃないか、>にっぽんじんは>せいれんの>くんしばかりだからとうてい>だめだと>いった>んだと>さ。>そのへんは>おおいた>けいきが>よかったが、>それからどいつ>じんの>ほうでは>かっこうな>つうべんを>えた>つもりで>しきりに>きく>そうだ」「>なにを?」「>それが>さ、>なんだか>わかるくらいなら>しんぱいはない>んだが、>はやくちで>む>あんに>といかける>ものだからすこしも>ようりょうを>えない>の>さ。>たまに>わかるかと>おもうととびぐちや>かけやの>ことを>きか>れる。>せいようの>とびぐちや>かけやは>せんせい>なんと>ほんやくしてよい>のか>ならった>ことが>ない>んだからじゃく>わら>あね」「>もっともだ」と>しゅじんは>きょうしの>みのうえに>ひき>くらべてどうじょうを>ひょうする。「>ところへ>ひまじんが>ものめずらし>そうに>ぽつぽつ>つどってくる。>しまいには>こちと>どいつ>じんを>しほうから>とりまいてけんぶつする。>こちは>かおを>あかく>してへどもど>する。>はじめの>ぜいに>ひき>えき>えてせんせい>だいよわりの>からだ>さ」「>けっきょく>どうなった>ん>だい」「>しまいに>こちが>がまんできなく>なったと>みえてさいならと>にほんごで>いってぐんぐん>かえってきた>そうだ、>さいな>らは>すこしへんだ>きみの>くにでは>さよならを>さいならと>いうかって>きいてみたら>なに>やっぱり>さよならですがあいてが>せいよう>じんだからちょうわを>はかる>ために、>さいな>らに>した>んだって、>あずま>ふうこは>くるしい>ときでも>ちょうわを>わすれない>おとこだと>かんしんした」「>さいな>らは>いいが>せいよう>じんは>どうした」「>せいよう>じんは>あっけに>とら>れてぼうぜんと>みていた>そうだはははは>おもしろいじゃないか」「>べつだんおもしろい>こともない>ようだ。>それを>わざわざほうちに>くる>くんの>ほうが>よっぽど>おもしろいぜ」と>しゅじんは>まきたばこの>はいを>ひおけの>なかへ>はたき>おとす。>おり>がら>こうしどの>べるが>とび>のぼるほど>なって「>ごめん>なさい」と>するど>どい>おんなの>こえが>する。>迷>ていと>しゅじんは>おもわずかおを>みあわせてちんもくする。 >しゅじんの>うちへ>おんな>きゃくは>けうだなと>みていると、>かのするど>どい>こえの>しょゆうぬしは>ちりめんの>にまいがさねを>たたみへ>すりつけながらはいいってくる。>としは>よんじゅうの>うえを>すこしこした>くらいだろう。>ぬけ>のぼった>はえぎわから>まえがみが>ていぼう>こうじの>ように>たかく>そびえて、>すくなくとも>かおの>なが>さの>にふんの>はじめだけ>てんに>むかってせりだしている。>めが>きりどおしの>さかくらいな>こうばいで、>ちょくせんに>つるしあげ>られてさゆうに>たいりつする。>ちょくせんとは>くじらより>ほそいという>けいようである。>はなだけは>む>あんに>おおきい。>ひとの>はなを>ぬすんできてかおの>まんなかへ>すえつけた>ように>みえる。>さんつぼほどの>しょうにわへ>しょうこん>しゃの>いし>とう>かごを>うつした>ときのごとく、>ひとりで>はばを>きかしているが、>なんとなく>おちつかない。>そのはなは>いわゆるかぎ>はなで、>ひとたびは>せいいっぱい>たかく>なってみたが、>これでは>あんまりだと>ちゅうとから>けんそんして、>さきの>ほうへ>いくと、>はじめの>ぜいに>にず>たれ>かかって、>したに>ある>くちびるを>のぞき>こんでいる。>かく>ちょるし>い>はなだから、>このおんなが>ものを>いう>ときは>くちが>ものを>いうとうん>わんより、>はなが>くちを>きいているとしか>おもわ>れない。>わがはいは>このいだいなる>はなに>けいいを>ひょうする>ため、>いらいは>このおんなを>しょうしてはな>こ>はな>こと>よぶ>つもりである。>はな>こは>まず>しょたいめんの>あいさつを>おわって「>どうも>けっこうな>ごじゅうきょです>こと」と>ざしき>ちゅうを>にらめ>まわり>わ>す。>しゅじんは「>うそを>つけ」と>はらのうちで>いった>まま、>ぷかぷか>たばこを>ふかす。>迷>ていは>てんじょうを>みながら「>きみ、>ありゃ>あめ>もりか、>いたの>もくめか、>みょうな>もようが>でているぜ」と>あんに>しゅじんを>促が>す。「>むろん>あめの>もり>さ」と>しゅじんが>こたえると「>けっこうだなあ」と>迷>ていが>すましていう。>はな>こは>しゃこうを>しらぬ>ひとたちだと>はらのうちで>いきどおる。>しばらくは>さんにん|>ていざの>まま>むごんである。「>ちと>うかがいたい>ことが>あって、>まいった>んですが」と>はな>こは>ふたたびはなしの>くちを>きる。「>はあ」と>しゅじんが>きわめて>れいたんに>うける。>これでは>ならぬと>はな>こは、「>じつはわたしは>つい>ごきんじょで――>あのむこう>よこちょうの>かどやしきな>んですが」「>あの>おおきなせいよう>かんの>くらの>ある>うちですか、>どうりで>あすこには>かねでんと>いう>ひょうさつが>でています>な」と>しゅじんは>ようやく>かねでんの>せいよう>かんと、>かねでんの>くらを>にんしきした>ようだがかねだ>ふじんにたいする>そんけいの>どあいは>まえと>どうようである。「>じつはやどが>でまして、>ごはなしを>うかがう>んですがかいしゃの>ほうが>たいへん>忙が>しい>もんですから」と>こんどは>すこしきいたろうという>め>づけを>する。>しゅじんは>いっこう>どうじない。>はな>この>せんこくからの>ことばづかいが>しょたいめんの>おんなとしては>あまりそんざいすぎるのですでに>ふへいな>のである。「>かいしゃでも>ひとつじゃない>んです、>ふたつも>みっつも>かねている>んです。>それにどの>かいしゃでも>じゅうやく>なんで――>たぶん>ごぞんじでしょうが」>これでも>おそれいらぬかと>いう>かお>づけを>する。>がんらい>ここの>しゅじんは>はかせとか>だいがく>きょうじゅとか>いうと>ひじょうに>きょうしゅくする>おとこであるが、>みょうな>ことには>じつぎょう>かにたいする>そんけいの>たびは>きわめて>ひくい。>じつぎょう>かよりも>ちゅうがっこうの>せんせいの>ほうが>えらいと>しんじている。>よし>しんじておらんでも、>ゆうずうの>きかぬ>せいしつとして、>とうてい>じつぎょう>か、>きんまん>かの>おんこを>こうむる>ことは>さとし>たば>ないと>たい>ら>めている。>いくら>せんぽうが>せいりょく>かでも、>ざいさん>かでも、>じぶんが>せわに>なる>みこみの>ないと>おもいきった>ひとの>りがいには>きわめて>むとんじゃくである。>それだからがくしゃ>しゃかいを>のぞいてたの>ほうめんの>ことには>きわめて>まが>濶で、>ことに>じつぎょう>かいなどでは、>どこに、>だれが>なにを>しているか>いっこう>しらん。>しっても>そんけいいふくの>ねんは>ごうも>おこらん>のである。>はな>この>ほうでは>あめがしたの>いちぐうに>こんなへんじんが>やはり>にっこうに>てらさ>れてせいかつしていようとは>ゆめにも>しらない。>いままで>よのなかの>にんげんにも>だいぶ>せっしてみたが、>かねでんの>つまですとなのって、>きゅうに>とりあつかいの>かわらない>ばあいはない、>どこの>かいへ>でても、>どんなみぶんの>たかい>ひとの>まえでも>りっぱに>かねでん>ふじんで>とおしていか>れる、>いわんや>こんな>いぶり>かえった>ろうしょせいに>おいてを>やで、>わたしの>いえは>むかう>よこちょうの>かどやしきですとさえ>いえばしょくぎょうなどは>きかぬ>さきから>おどろくだろうと>よきしていた>のである。「>かなだって>ひとを>しっ>てるか」と>しゅじんは>むぞうさに>迷>ていに>きく。「>しっ>てるとも、>かねだ>さんは>ぼくの>おじの>ともだちだ。>このあいだな>ん>ざ>えんゆうかいへ>おいでに>なった」と>迷>ていは>まじめな>へんじを>する。「>へえ、>きみの>おじ>さんて>えな>だれ>だい」「>まきやま>だんしゃく>さ」と>迷>ていは>いよいよ>まじめである。>しゅじんが>なにか>いおうとして>いわぬ>さきに、>はな>こは>きゅうに>むきなおって迷>ていの>ほうを>みる。>迷>ていは>おおしまつむぎに>ふっと>さらさか>なにか>かさねてすましている。「>おや、>あなたが>まきやま>さまの――>なにで>いらっしゃいますか、>ちっとも>ぞんじませんで、>はなはだ>しつれいを>いたしました。>まきやま>さまには>しじゅうごせわに>なると、>やどで>まいまい|>ごうわさを>いたしております」と>きゅうに>ていねいな>ことば>しを>して、>おまけにごじぎまで>する、>迷>ていは「>へええ>なに、>はははは」と>わらっている。>しゅじんは>あっけに>とら>れてむごんで>ににんを>みている。「>たしか>むすめの>えんぺんの>ことにつきましても>いろいろまきやま>さまへ>ごしんぱいを>ねがいました>そうで……」「>へえー、>そうですか」と>こればかりは>迷>ていにも>ちと>とうとつ>すぎたと>みえてちょっとたまげた>ような>こえを>だす。「>じつはかたがたから>くれ>くれと>もうし>こみはございますが、>こちらの>みぶんも>ある>ものでございますから、>めったな>ところへも>かたづけ>られません>ので……」「>ごもっともで」と>迷>ていは>ようやく>あんしんする。「>それについて、>あなたに>うかがおうと>おもってあがった>んですがね」と>はな>こは>しゅじんの>ほうを>みてきゅうに>そんざいな>ことばに>かえる。「>あなたの>ところへ>みず>しま>かんげつという>おとこが>たびたびあがる>そうですが、>あのひとは>ぜんたい>どんなかぜな>ひとでしょう」「>かんげつの>ことを>きいて、>なにに>する>んです」と>しゅじんは>にがにがしく>いう。「>やはり>ごれいじょうの>ごこんぎ>じょうの>かんけいで、>かんげつ>くんの>せいこうの>いちまだらを>ごしょうちに>なりたいと>いう>わけでしょう」と>迷>ていが>きてんを>きかす。「>それが>うかがえればたいへん>つごうが>よろしい>のでございますが……」「>それじゃ、>ごれいじょうを>かんげつに>おやりに>なりたいと>おっしゃるんで」「>やり>たいなんて>えんじゃない>んです」と>はな>こは>きゅうに>しゅじんを>まいらせる。「>ほかにも>だんだんくちが>ある>んですから、>むりに>もらっていただかないだって>こまりゃ>しません」「>それじゃかんげつの>ことなんか>きかんでも>よいでしょう」と>しゅじんも>やっきと>なる。「>しかしごかくし>なさる>わけも>ないでしょう」と>はな>こも>しょうしょうけんかごしに>なる。>迷>ていは>そうほうの>あいだに>すわって、>ぎん>えんかんを>ぐんばい>うちわの>ように>もって、>こころの>うらで>はっけよ>いや>よいやと>どなっている。「>じゃあかんげつの>ほうで>ぜひ>もらいたいとでも>いった>のですか」と>しゅじんが>しょうめんから>てっぽうを>くわ>せる。「>もらいたいと>いった>んじゃない>んで>すけれども……」「>もらい>たいだろうと>おもっていらっしゃる>んですか」と>しゅじんは>このふじん>てっぽうに>かぎると>さとったらしい。「>はなしは>そんなに>はこん>でる>んじゃ>ありませんが――>かんげつ>さんだって>まんざら>うれしくない>ことも>ないでしょう」と>どひょうぎわで>もちなおす。「>かんげつが>なにか>そのごれいじょうに>れんちゃくしたと>いう>ような>ことでもありますか」>あるなら>いってみろと>いう>けんまくで>しゅじんは>そりかえる。「>まあ、>そんなけんとうでしょうね」>こんどは>しゅじんの>てっぽうが>すこしも>こうを>そうしない。>いままで>おもじろ>きに>ぎょうじ>きどりで>けんぶつしていた>迷>ていも>はな>この>ひとことに>こうき>こころを>ちょうはつさ>れた>ものと>みえて、>えんかんを>おいてまえへ>のりだす。「>かんげつが>ごじょう>さんに>つけぶみでも>した>んですか、>こりゃ>ゆかいだ、>しんねんに>なっていつわが>またひとつ>ふえてはなしの>こうざいりょうに>なる」と>いちにんで>よろこんでいる。「>つけぶみじゃない>んです、>もっと>はげしい>んで>さあ、>ご>ににんとも>ごしょうちじゃ>ありませんか」と>はな>こは>おつに>からまってくる。「>きみ>しっ>てるか」と>しゅじんは>きつねつきの>ような>かおを>して迷>ていに>きく。>迷>ていも>ばか>きた>ちょうしで「>ぼくは>しらん、>しっていりゃ>くんだ」と>つまらん>ところで>けんそんする。「>いえ>ごりょうにん>とも>ごぞんじの>ことですよ」と>はな>こだけ>だい>とくいである。「>へえー」と>ごりょうにんは>いちどに>かんじいる。「>ごわすれに>なったら>わたし>しから>ごはなしを>しましょう。>きょねんの>くれ>むこうじまの>あべ>さんの>ごやしきで>えんそうかいが>あってかんげつ>さんも>でかけた>じゃありませんか、>そのばん>がえりに>あづまばしで>なにか>あったでしょう――>くわしい>ことは>いい>ますまい、>とうにんの>ごめいわくに>なるかも>しれませんから――>あれだけの>しょうこが>ありゃ>じゅうぶんだと>おもいますが、>どんなものでしょう」と>こんごうせき>いりの>ゆび>わの>はまった>ゆびを、>ひざの>うえへ>併べて、>つんと>いず>まいを>なおす。>いだいなる>はなが>ますますいさいを>はなって、>迷>ていも>しゅじんも>あれどもむ>きがごとき>ありさまである。 >しゅじんは>むろん、>さすがの>迷>ていも>このふい>撃には>たんを>ぬか>れた>ものと>みえて、>しばらくは>ぼうぜんと>しておこりの>おちた>びょうにんの>ように>すわっていたが、>きょうがくの>たがが>ゆるんでだんだんもちまえの>ほんたいに>ふくするとともに、>こっけいと>いう>かんじが>いちどに>とっかんしてくる。>りょうにんは>もうしあわせた>ごとく「>ははははは」と>わらい>くずれる。>はな>こばかりは>すこしあてが>はずれて、>このさい>わらう>のは>はなはだ>しつれいだと>りょうにんを>にらみつける。「>あれが>ごじょう>さんですか、>なるほど>こりゃ>いい、>おっしゃる>とおりだ、>ねえ>く>さや>くん、>まったくかんげつは>おじょうさんを>こい>っ>てるに>そういないね……>もう>かくしたって>しようがないからはくじょうしようじゃないか」「>うふん」と>しゅじんは>いった>ままである。「>ほんとうに>ごかくし>なさっても>いけませんよ、>ちゃんと>たねは>のぼっ>てる>んですからね」と>はな>こは>またとくいに>なる。「>こうなりゃ>しかたが>ない。>なんでも>かんげつ>くんにかんする>じじつは>ごさんこうの>ために>ちんじゅつするさ、>おい>く>さや>くん、>きみが>しゅじんだ>のに、>そう、>にやにや>わらっていては>らちが>あかんじゃないか、>じつに>ひみつという>ものは>おそろしい>ものだねえ。>いくら>かくしても、>どこからか>ろけんするからな。――>しかしふしぎと>いえばふしぎですねえ、>かねでんの>おくさん、>どうして>このひみつを>ごたんちに>なった>んです、>じつに>おどろき>ろ>きます>な」と>迷>ていは>いちにんで>ちょう>したる。「>わたし>しの>ほうだって、>ぬかりは>ありま>せんやね」と>はな>こは>したりがおを>する。「>あんまり、>ぬかりが>な>さ>すぎる>ようですぜ。>いったい>だれに>ごききに>なった>んです」「>じき>このうらに>いる>くるまやの>かみ>さんからです」「>あのくろ>ねこの>いる>くるま>やですか」と>しゅじんは>めを>まるく>する。「>ええ、>かんげつ>さんの>ことじゃ、>よっぽど>つかいましたよ。>かんげつ>さんが、>ここへ>くる>たびに、>どんなはなししを>するかと>おもってくるまやの>かみ>さんを>たのんでいちいち>しら>せてもらう>んです」「>そりゃ苛>い」と>しゅじんは>おおきなこえを>だす。「>なあに、>あなたが>なにを>なさろうと>おっしゃろうと、>それに>かまっ>てる>んじゃない>んです。>かんげつ>さんの>ことだけですよ」「>かんげつの>ことだって、>だれの>ことだって――>ぜんたい>あのくるま>やの>かみ>さんは>きに>くわん>やつだ」と>しゅじんは>いちにん|>おこり>だす。「>しかしあなたの>かきねの>そと>へ>きてたっている>のは>むこうの>かってじゃ>ありませんか、>はなししが>きこえてわるけりゃ>もっと>ちいさい>こえで>なさるか、>もっと>おおきなうちへ>ごはいいんな>さるが>いいでしょう」と>はな>こは>すこしも>せきめんした>ようすが>ない。「>くるま>やばかりじゃありません。>しんどうの>にげんきんの>ししょうからも>だいぶ>いろいろな>ことを>きいています」「>かんげつの>ことを>で>すか」「>かんげつ>さんばかりの>ことじゃ>ありません」と>すこしすごい>ことを>いう。>しゅじんは>おそれいるかと>おもうと「>あのししょうは>いやに>じょうひん>ぶってじぶんだけ>にんげんらしい>かおを>している、>ばか>やろうです」「>はばかりさま、>おんなですよ。>やろうは>みかど>ちがいです」と>はな>この>ことば>づかいは>ますますごさとを>あらわしてくる。>これでは>まるで>けんかを>しに>きた>ような>ものであるが、>そこへ>いくと>迷>ていは>やはり>迷>ていで>このだんぱんを>おもしろ>そうに>きいている。>てつ>枴>せんにんが>しゃもの>けあいを>みる>ような>かおを>してへいきで>きいている。 >わるぐちの>こうかんでは>とうてい>はな>この>てきでないと>じかくした>しゅじんは、>しばらくちんもくを>まもる>の>やむをえ>ざるに>いたり>ら>しめ>られていたが、>ようやく>おもいついたか「>あなたは>かんげつの>ほうから>ごじょう>さんに>れんちゃくしたよ>うにばかり>おっしゃるが、>わたしの>きいた>んじゃ、>すこしちがい>ますぜ、>ねえ>迷>てい>くん」と>迷>ていの>すくいを>もとめる。「>うん、>あのときの>はなししじゃごじょう>さんの>ほうが、>はじめ>びょうきに>なって――>なんだか>譫>ごを>いった>ように>きいたね」「>なに>そんなことは>ありません」と>かねだ>ふじんは>はんぜんたる>ちょくせん>りゅうの>ことば>づかいを>する。「>それでもかんげつは>たしかに○○>はかせの>ふじんから>きいたと>いっていましたぜ」「>それが>こっちの>て>なんで>さあ、○○>はかせの>おくさんを>たよんで>かんげつ>さんの>きを>ひいてみた>んで>さあね」「○○の>おくさんは、>それを>しょうちで>ひきうけた>んですか」「>ええ。>ひきうけてもらう>たって、>ただじゃできませんやね、>それ>や>これ>やで>いろいろ>ぶつを>つかっている>んですから」「>ぜひ>かんげつ>くんの>ことを>ねほりり>ようほりり>おききに>ならなくっちゃごかえりに>ならないと>いう>けっしんですかね」と>迷>ていも>すこしきもちを>わるく>したと>みえて、>いつに>なく>て>さわりの>あらい>ことばを>つかう。「>いい>や>くん、>はなしたって>そんの>いく>ことじゃ>なし、>はなそうじゃないか>く>さや>くん――>おくさん、>わたしでも>く>さやでも>かんげつ>くんにかんする>じじつで>さしつかえの>ない>ことは、>みんな>はなしますからね、――>そう、>じゅんを>たててだんだんきいてくださるとつごうが>いいですね」 >はな>こは>ようやく>なっとくしてそろそろしつもんを>ていしゅつする。>いちじ>あらだてた>ことば>づかいも>迷>ていにたいしては>またもとのごとく>ていねいに>なる。「>かんげつ>さんも>りがく>しだ>そうですが、>ぜんたい>どんなことを>せんもんに>している>のでございます」「>だいがくいんでは>ちきゅうの>じきの>けんきゅうを>やっています」と>しゅじんが>まじめに>こたえる。>ふこうに>してその>いみが>はな>こには>わからん>ものだから「>へえー」とは>いったがけげんな>かおを>している。「>それを>べんきょうすると>はかせに>なれましょうか」と>きく。「>はかせに>ならなければやれないと>おっしゃる>んですか」と>しゅじんは>ふゆかい>そうに>たずねる。「>ええ。>ただの>がくし>じゃね、>いくらでも>ありますからね」と>はな>こは>へいきで>こたえる。>しゅじんは>迷>ていを>みていよいよ>いやな>かおを>する。「>はかせに>なるか>ならんかは>ぼく>とうも>ほしょうする>ことが>できんから、>ほかの>ことを>きいていただく>ことに>しよう」と>迷>ていも>あまりよい>きげんではない。「>ちかごろでも>そのちきゅうの――>なにかを>べんきょうしている>んでございましょうか」「>にさん>にちまえは>くびくくりの>りきがくと>いう>けんきゅうの>けっかを>りがく>きょうかいで>えんぜつしました」と>しゅじんは>なにの>きも>つかずに>いう。「>おや>いやだ、>くびくくりだなんて、>よっぽど>へんじんですねえ。>そんなくびくくりや>なにか>やっ>てた>んじゃ、>とてもはかせに>はなれ>ますまいね」「>ほんにんが>くびを>縊>っちゃあむずかしいですが、>くびくくりの>りきがくなら>なれないとも>かぎらんです」「>そうでしょうか」と>こんどは>しゅじんの>ほうを>みてかおいろを>うかがう。>かなしい>ことに>りきがくと>いう>いみが>わからんのでおちつき>かねている。>しかしこれしきの>ことを>たずねては>かねでん>ふじんの>めんぼくにかんするとおもってか、>ただあいての>かおいろで>はっけを>たててみる。>しゅじんの>かおは>しぶい。「>そのほかに>なにか、>わかり>やすい>ものを>べんきょうしており>ますまいか」「>そうですな、>せんだって>どんぐりの>すたびりちーを>ろんじてあわせててんたいの>うんこうに>およぶと>いう>ろんぶんを>かいた>ことが>あります」「>どんぐり>なんぞでも>だいがっこうで>べんきょうする>ものでしょうか」「>さあぼくも>しろうとだからよく>わからんが、>なにしろ、>かんげつ>くんが>やるくらい>なんだから、>けんきゅうする>かちが>あると>みえます>な」と>迷>ていは>すましてひやかす。>はな>こは>がくもんじょうの>しつもんは>てに>あわんと>だんねんした>ものと>みえて、>こんどは>わだいを>てんずる。「>ごはなしは>ちがいますが――>このごしょうがつに>しいたけを>たべてまえばを>にまい>おった>そう>じゃございませんか」「>え>え>そのかけた>ところに>くうや>もちが>くっ>ついていましてね」と>迷>ていは>このしつもんこそ>われ|>なわばり>ないだと>きゅうに>うかれだす。「>いろけの>ない>ひと>じゃございませんか、>なにだって>ようじを>つかわない>んでしょう」「>こんど|>あったら>ちゅういしておきましょう」と>しゅじんが>くすくす>わらう。「>しいたけで>はが>かける>くらいじゃ、>よほど>はの>せいが>わるいと>おもわ>れますが、>いかがな>ものでしょう」「>よいとは>いわ>れます>ま>いな――>ねえ>迷>てい」「>よい>ことはないがちょっとあいきょうが>あるよ。>あれ>ぎり、>まだはめない>ところが>みょうだ。>こんだに>くうや>もち|>引>かけ>しょに>なっ>てるな>あ>きかんだぜ」「>はを>はめる>こづかいが>ないのでかけ>なりに>しておく>んですか、>またはものずきで>かけ>なりに>しておく>んでしょうか」「>なにも>ながく>まえば>けつ>なるを>なのる>わけでもないでしょうか>ら>ごあんしんな>さ>いよ」と>迷>ていの>きげんは>だんだんかいふくしてくる。>はな>こは>またもんだいを>あらためる。「>なにか>ごたくに>てがみか>なんぞ>とうにんの>かいた>ものでもございます>ならちょっとはいけんしたい>もんでございますが」「>はしがきなら>たくさん>あります、>ごらん>なさい」と>しゅじんは>しょさいから>さんよん>じゅうまい>もってくる。「>そんなに>たくさん>はいけんしないでも――>そのうちの>にさん>まいだけ……」「>どれどれ>ぼくが>よい>のを>せんって>やろう」と>迷>てい>せんせいは「>これな>ざ>あ>おもしろいでしょう」と>いちまいの>えはがきを>だす。「>おや>えも>かく>んでございますか、>なかなかきようですね、>どれ>はいけんしましょう」と>ながめていたが「>あら>いやだ、>たぬきだよ。>なにだって>せんりに>せんって>たぬき>なんぞ>かく>んでしょうね――>それでもたぬきと>みえるからふしぎだよ」と>すこしかんしんする。「>そのもんくを>よんでごらん>なさい」と>しゅじんが>わらいながらいう。>はな>こは>げじょが>しんぶんを>よむ>ように>よみ>だす。「>きゅうれきの>としの>よる、>やまの>たぬきが>えんゆうかいを>やってさかりに>ぶとうします。>そのうたに>いわく、>らいい>さ、と>しの>よるで、>おやま>ふみも>らいまいぞ。>すっぽこぽんのぽん」「>なにです>こりゃ、>ひとを>ばかに>している>じゃございませんか」と>はな>こは>ふへいの>からだである。「>このてんにょは>ごきにいりませんか」と>迷>ていが>また>いちまい>だす。>みるとてんにょが>はごろもを>きてびわを>ひいている。「>このてんにょの>はなが>すこしちいさ>すぎる>ようですが」「>なに、>それが>ひとなみですよ、>はなより>もんくを>よんでごらん>なさい」>もんくには>こうある。「>むかし>し>ある>ところに>いちにんの>てんもんがく>しゃが>ありました。>あるよる>いつもの>ように>たかい>だいに>のぼって、>いっしんに>ほしを>みていますと、>そらに>うつくしい>てんにょが>あらわれ、>このよでは>きか>れぬ>ほどの>びみょうな>おんがくを>そうし>だした>ので、>てんもんがく>しゃは>みに>しむ>さむ>さも>わすれてききほれてしまいました。>あさ>みるとその>てんもんがく>しゃの>しがいに>しもが>まっしろに>ふっていました。>これは>ほんとうの>はなしだと、>あのうそ>つきの>じい>やが>もうしました」「>なにの>ことです>こりゃ、>いみも>なにもないじゃありませんか、>これでも>りがく>しで>とおる>んですかね。>ちっと>ぶんげい>くらぶでも>よんだら>よ>さ>そうな>ものですがねえ」と>かんげつ>くん>さんざんに>やら>れる。>迷>ていは>おもしろ>はんぶんに「>こりゃ>どうです」と>さんまいめを>だす。>こんどは>かっぱんで>ほ>かか>ふねが>いんさつしてあって、>れいの>ごとく>そのしたに>なにか>かきちらしてある。「>よべの>とまりの>じゅうろく>しょうじょろう、>おやが>ないとて、>ありその>ちどり、>さよの>ね>さとしの>ちどりに>ないた、>おやは>ふなのり>なみの>そこ」「>うまいのねえ、>かんしんだ>こと、>はなせるじゃ>ありませんか」「>はなせますかな」「>え>え>これなら>しゃみせんに>のりますよ」「>しゃみせんに>のりゃ>ほんものだ。>こりゃ>いかがです」と>迷>ていは>む>あんに>だす。「>いえ、>もう>これだけ>はいけんすれば、>ほかのは>たくさんで、>そんなに>やぼでない>んだと>いう>ことは>わかりましたから」と>いちにんで>がてんしている。>はな>こは>これで>かんげつにかんする>たいていの>しつもんを>そつ>えた>ものと>みえて、「>これは>はなはだ>しつれいを>いたしました。>どうか>わたしの>まいった>ことは>かんげつ>さんへは>ないないに>ねがいます」と>えてかってな>ようきゅうを>する。>かんげつの>ことは>なにでも>きかなければならないが、>じぶんの>ほうの>ことは>いっさい>かんげつへ>しらしては>ならないと>いう>ほうしんと>みえる。>迷>ていも>しゅじんも「>はあ」と>きの>ない>へんじを>すると「>いずれ>そのうち>おんれいは>いたしますから」と>ねんを>いれていいながらたつ。>みおくりに>でた>りょうにんが>せきへ>かえる>や>いなや>迷>ていが「>ありゃ>なんだ>い」と>いうとしゅじんも「>ありゃ>なんだ>い」と>そうほうから>おなじといを>かける。>おくの>へやで>さいくんが>怺>え>きれなかったと>みえてくつくつ>わらう>こえが>きこえる。>迷>ていは>おおきなこえを>だして「>おくさん>おくさん、>つきなみの>ひょうほんが>きましたぜ。>つきなみも>あのくらいに>なるとなかなかふっています>な>あ。>さあえんりょはいらんから、>ぞんぶん>ごわらい>なさい」 >しゅじんは>ふまんな>こうきで「>だいいち>きに>くわん>かおだ」と>わる>ら>し>そうに>いうと、>迷>ていは>すぐひき>うけて「>はなが>かおの>ちゅうおうに>じんどっておつに>かまえているなあ」と>あとを>つける。「>しかもまがってい>ら>あ」「>すこしねこぜだね。>ねこぜの>はなは、>ちと>きばつ>すぎる」と>おもしろ>そうに>わらう。「>おっとを>剋>する>かおだ」と>しゅじんは>なお>くちおし>そうである。「>じゅうきゅう>せいきで>うれのこって、>にじゅう>せいきで>みせ>さらしに>あうと>いう>そうだ」と>迷>ていは>みょうな>ことばかり>いう。>ところへ>さいくんが>おくの>あいだから>でてきて、>おんなだけに「>あんまりわるぐちを>おっしゃると、>またくるまやの>かみ>さんに>い>つけ>られますよ」と>ちゅういする。「>すこしい>つける>ほうが>くすりですよ、>おくさん」「>しかしかおの>ざんそなどを>なさる>のは、>あまりかとうですわ、>だれだって>このんであんな>はなを>もっ>てる>わけでもありませんから――>それに>あいてが>ふじんですからね、>あんまり苛>い>わ」と>はな>この>はなを>べんごすると、>どうじに>じぶんの>ようぼうも>かんせつに>べんごしておく。「>なに>ひどい>ものか、>あんな>のは>ふじんじゃない、>ぐじんだ、>ねえ>迷>てい>くん」「>ぐじんかも>しれんが、>なかなかえら>しゃだ、>だいぶ>ひき>かか>れた>じゃないか」「>ぜんたい>きょうしを>なんと>こころえている>んだろう」「>うらの>くるま>やくらいに>こころえている>の>さ。>ああ>いう>じんぶつに>そんけいさ>れるには>はかせに>なるに>かぎるよ、>いったい>はかせに>なっておかん>のが>きみの>ふりょうけんさ、>ねえ>おくさん、>そうでしょう」と>迷>ていは>わらいながらさいくんを>かえりみる。「>はかせなんて>とうてい>だめですよ」と>しゅじんは>さいくんにまで>みはなさ>れる。「>これでも>いまに>なるかも>しれん、>けいべつするな。>きさま>なぞは>しるまいがむかし>し>あいそくらちすと>いう>ひとは>きゅうじゅう>よんさいで>だいちょじゅつを>した。>そふぉくりすが>けっさくを>だしててんかを>おどろかした>のは、>ほとんど>ひゃくさいの>こうれいだった。>しもにじすは>はちじゅうで>みょう>しを>つくった。>おれ>だって……」「>ばかばかしいわ、>あなたの>ような>いびょうで>そんなに>ながく>いき>られる>ものですか」と>さいくんは>ちゃんと>しゅじんの>じゅみょうを>よさん>している。「>しっけいな、――>あまぎ>さんへ>おこなってきいてみろ――>がんらい>おまえが>こんなしわ>く>ちゃな>くろ>もめんの>はおりや、>つぎ>だらけの>きものを>きせておくから、>あんな>おんなに>ばかに>さ>れる>んだ。>あしたから>迷>ていの>きている>ような>やっこを>きるからだしておけ」「>だしておけって、>あんな>りっぱな>おめしはござん>せん>わ。>かねでんの>おくさんが>迷>てい>さんに>ていねいに>なった>のは、>おじ>さんの>なまえを>きいてからですよ。>きものの>とが>じゃございません」と>さいくん>うまく>せきにんを>逃が>れる。 >しゅじんは>おじ>さんと>いう>ことばを>きいてきゅうに>おもいだした>ように「>きみに>おじが>あると>いう>ことは、>きょう>はじめてきいた。>いままで>ついに>うわさを>した>ことが>ないじゃないか、>ほんとうに>ある>のか>い」と>迷>ていに>きく。>迷>ていは>まっ>てたと>いわぬ>ば>かりに「>うん>そのおじ>さ、>そのおじが>ばかに>頑>ぶつでねえ――>やはり>その>じゅうきゅう>せいきから>れんめんと>きょうまで>いきのびている>んだがね」と>しゅじん>ふうふを>はんはんに>みる。「>おほほほほほ>おもしろい>ことばかり>おっしゃって、>どこに>いきていらっしゃる>んです」「>しずおかに>いき>てますがね、>それが>ただいき>てる>んじゃないです。>あたまに>ちょんまげを>いただいていき>てる>んだからきょうしゅく>しま>さあ。>ぼうしを>こうむれって>えと、>おれは>このとしに>なるが、>まだぼうしを>こうむるほど>さむ>さを>かんじた>ことはないと>いばっ>てる>んです――>さむいから、>もっと>ねていらっしゃいと>いうと、>にんげんは>よんじかん>ねればじゅうぶんだ。>よんじかん>いじょう>ねる>のは>ぜいたくの>さただって>あさ>くらい>うちから>おきてくる>んです。>それでね、>おれも>すいみんじかんを>よんじかんに>ちぢめるには、>えいねん>しゅうぎょうを>した>もんだ、>わかい>うちは>どうしても>ねむたくていか>なんだが、>ちかごろに>いたってはじめてずいしょ>にんいの>庶>さかいに>はいってはなはだ>うれしいと>じまんする>んです。>ろくじゅう>ななに>なってね>られなく>なるな>あ>あたりまえで>さあ。>しゅうぎょうも>へちまも>はいった>ものじゃないのにとうにんは>まったくこっきの>ちからで>せいこうしたと>おもっ>てる>んですからね。>それで>がいしゅつする>ときには、>きっと>てっせんを>もってでる>んですがね」「>なにに>する>ん>だい」「>なにに>する>んだか>わからない、>ただもってでる>んだね。>まあ>すてっきの>かわりくらいに>かんがえ>てるかも>しれんよ。>ところがせんだって>みょうな>ことが>ありましてね」と>こんどは>さいくんの>ほうへ>はなしかける。「>へえー」と>さいくんが>さし>ごうの>ない>へんじを>する。「>此>としの>はる>とつぜんてがみを>よこしてやまたかぼうしと>ふろっく>こーとを>しきゅう>おくれと>いう>んです。>ちょっとおどろき>ろ>いたから、>ゆうびんで>といかえした>ところが>ろうじん>じしんが>きると>いう>へんじが>きました。>にじゅう>さんにちに>しずおかで>しゅくしょう>かいが>あるからそれまでに>まにあう>ように、>しきゅう>ちょうたつしろと>いう>めいれいな>んです。>ところがおかしい>のは>めいれいちゅうに>こうある>んです。>ぼうしは>いいかげんな>だいきさのを>かってくれ、>ようふくも>すんぽうを>みはからってだいまるへ>ちゅうもんしてくれ……」「>ちかごろは>だいまるでも>ようふくを>したてる>のか>い」「>なあに、>せんせい、>しらきやと>まちがえた>んだ>あね」「>すんぽうを>み>はかってくれたって>むりじゃないか」「>そこが>おじの>おじたる>ところ>さ」「>どうした?」「>しかたが>ないからみはからっておくってやった」「>きみも>らんぼうだな。>それで>まにあった>のか>い」「>まあ、>どうにか、>こうに>かおっ>ついた>んだろう。>くにの>しんぶんを>みたら、>とうじつ>まきやま>おきなは>ちんらしく>ふろっく>こーとにて、>れいの>てっせんを>もち……」「>てっせんだけは>はなさなかったと>みえるね」「>うん>しんだら>かんの>なかへ>てっせんだけは>いれてやろうと>おもっているよ」「>それでもぼうしも>ようふくも、>うまい>ぐあいに>き>られてよかった」「>ところがだいま>違さ。>ぼくも>ぶじに>おこなってありがたいと>おもっ>てると、>しばらくしてくにから>こづつみが>とどいたから、>なにか>れいでも>くれた>ことと>おもってあけてみたら>れいの>やまたかぼうし>さ、>てがみが>そえてあってね、>せっかく>ごもとめ>ひした>こう>え>ども>しょうしょうおおきく>こう>かん、>ぼうし>やへ>ごつかわしの>うえ、>おちぢめ>ひした>ど>こう。>ちぢめ>ちんは>こがわせにて>此>かたより>ごおく>かさる>じょう>こうと>ある>の>さ」「>なるほど>まが>濶だな」と>しゅじんは>おのれれ>より>まが>濶な>ものの>てんかに>ある>ことを>はっけんしてだいに>まんぞくの>からだに>みえる。>やがて「>それから、>どうした」と>きく。「>どうする>ったって>しかたが>ないからぼくが>ちょうだいしてこうむってい>ら>あ」「>あのぼうしか>あ」と>しゅじんが>にやにや>わらう。「>そのほうが>だんしゃくで>いらっしゃる>んですか」と>さいくんが>ふしぎ>そうに>たずねる。「>だれ>がです」「>そのてっせんの>おじ>さまが」「>なあに>かんがく>しゃで>さあ、>わかい>とき|>せいどうで>しゅしがくか、>なにか>にこり>かたまった>ものだから、>でんき>とうの>したで>うやうやしく>ちょんまげを>いただいている>んです。>しかたが>ありません」と>やたらに>顋を>なで>まわす。「>それでもきみは、>さっきの>おんなに>まきやま>だんしゃくと>いった>ようだぜ」「>そうおっしゃいましたよ、>わたしも>ちゃのまで>きいておりました」と>さいくんも>これだけは>しゅじんの>いけんに>どういする。「>そうでしたかな>あははははは」と>迷>ていは>わけも>なく>わらう。「>そりゃうそですよ。>ぼくに>だんしゃくの>おじが>ありゃ、>いまごろは>きょくちょうくらいに>なっていま>さあ」と>へいきな>ものである。「>なんだか>へんだと>おもった」と>しゅじんは>うれし>そうな、>しんぱいそうな>かお>づけを>する。「>あら>まあ、>よく>まじめで>あんな>うそが>つけますねえ。>あなたも>よっぽど>ほらが>ごじょうずで>いらっしゃる>こと」と>さいくんは>ひじょうに>かんしんする。「>ぼくより、>あのおんなの>ほうが>うえ>わ>しゅで>さあ」「>あなただって>ごまけ>なさる>きづかいは>ありません」「>しかしおくさん、>ぼくの>ほらは>たんなるほらですよ。>あのおんな>のは、>みんな>こんたんが>あって、>いわくつきの>うそですぜ。>たちが>わるいです。>さる>ちえから>わりだした>じゅっすうと、>てんらいの>こっけい>しゅみと>こんどうさ>れちゃ、>こめでぃーの>かみさまも>かつがんの>し>なきを>たんぜざるを>えざる>わけに>たちいたりますからな」>しゅじんは>俯>めに>なって「>どうだか」と>いう。>さいくんは>わらいながら「>おなじことですわ」と>いう。 >わがはいは>いままで>むかう>よこちょうへ>あしを>ふみこんだ>ことはない。>かどやしきの>かねだとは、>どんなかまえか>みた>ことは>むろん>ない。>きいた>こと>さえ>いまが>はじめてである。>しゅじんの>いえで>じつぎょう>かが>わとうに>のぼった>ことは>いちかえも>ないので、>しゅじんの>めしを>くう>わがはいまでが>このほうめんには>たんに>むかんけい>なるのみ>ならず、>はなはだ>れいたんであった。>しかるに>せんこく|>はからずも>はな>この>ほうもんを>うけて、>よそながらその>だんわを>はいちょうし、>そのれいじょうの>つや>びを>そうぞうし、>またその>ふうき、>けんせいを>おもい>うかべてみると、>ねこながらあんかんとして>椽>がわに>ねころんでい>られなく>なった。>しかのみ>ならず>わがはいは>かんげつ>くんにたいして>はなはだ>どうじょうの>いたりに>こたえん。>せんぽうでは>はかせの>おくさんやら、>くるまやの>かみ>さんや>ら、>にげんきんの>てんしょういんまで>ばいしゅうしてしらぬ>あいだに、>まえばの>かけた>のさえ>たんていしているのに、>かんげつ>くんの>ほうでは>ただにやにやしてはおりの>ひもばかり>きに>している>のは、>いかに>そつぎょうしたての>りがく>しに>せよ、>あまりのうが>な>さ>すぎる。と>いって、>ああいう>いだいな>はなを>かおの>なかに>あんちしている>おんなの>ことだから、>めったな>ものでは>よりつける>わけの>ものではない。>こういう>じけんにかんしては>しゅじんは>むしろ>むとんじゃくで>かつあまりにせんが>な>さ>すぎる。>迷>ていは>ぜにに>ふじゆうは>しないが、>あんな>ぐうぜん>どうじだから、>かんげつに>援>けを>あたえる>べんぎは>尠>かろう。>してみるとかわいそうな>のは>くびくくりの>りきがくを>えんぜつする>せんせいばかりと>なる。>わがはいでも>ふんぱつして、>てき>じょうへ>のりこんでその>どうせいを>ていさつしてやらなくては、>あまりふこうへいである。>わがはいは>ねこだけれど、>えぴくてたすを>よんでつくえの>うえへ>たたきつけるくらいな>がくしゃの>いえに>きぐうする>ねこで、>せけん>いっぱんの>痴>ねこ、>ぐ>ねことは>すこしく>せんを>ことに>している。>このぼうけんを>あえて>するくらいの>ぎきょう>しんは>かたより>しっぽの>さきに>たたみこんである。>なにも>かんげつ>くんに>おんに>なったと>いう>わけも>ないが、>これは>ただに>こじんの>ために>する>けっき>そうきょうの>さたではない。>おおきく>いえばこうへいを>このみ>ちゅうようを>あいする>てんいを>げんじつに>する>てん>はれな>びきょだ。>ひとの>きょだくを>へず>してあづまばし>じけんなどを>いたる>ところに>ふり>まわり>わ>す>いじょうは、>ひとの>のきしたに>いぬを>しのばして、>そのほうどうを>とくとくとして>あう>ひとに>ふいちょうする>いじょうは、>しゃふ、>ばてい、>ぶらいかん、>ごろつき>しょせい、>ひやとい>ばば、>さんば、>妖>ばば、>あんま、>とみ>ばに>いたるまでを>しようしてこっか>ゆうようの>ざいに>はんを>およぼしてかえりみ>ざる>いじょうは――>ねこにも>かくごが>ある。>さいわいてんきも>よい、>しも>かいは>しょうしょうへいこうするがみちの>ためには>いちめいも>すてる。>あしの>うらへ>どろが>ついて、>椽>がわへ>うめの>はなの>しるしを>おすくらいな>ことは、>ただご>さんの>めいわくには>なるか>しれんが、>わがはいの>くつうとは>もうさ>れない。>よくじつとも>いわず>これから>でかけようと>ゆうもう>しょうじんの>だいけっしんを>おこしてだいどころまで>とんででたが「>まてよ」と>かんがえた。>わがはいは>ねことして>しんかの>きょくどに>たっしている>のみ>ならず、>のう>りょくの>はったつにおいては>あえて>ちゅうがくの>さんねんせいに>おとらざる>つもりであるが、>かなしいかな>いんこうの>こうぞうだけは>どこまでも>ねこなのでにんげんの>げんごが>じょうぜつ>れない。>よし>しゅび>よく>かねでん>ていへ>しのびこんで、>じゅうぶん>てきの>じょうせいを>みとどけた>ところで、>かんじんの>かんげつ>くんに>おしえてやる>わけに>いかない。>しゅじんにも>迷>てい>せんせいにも>はなせない。>はなせないと>すればどちゅうに>ある>こんごうせきの>ひを>うけてひからぬと>おなじことで、>せっかくの>ちしきも>むようの>ちょうぶつと>なる。>これは>ぐだ、>やめようか>しらんと>のぼり>くちで>たたずんでみた。 >しかしいちど>おもいたった>ことを>ちゅうとで>やめる>のは、>はくうが>くるかと>まっている>とき>くろくも|>きょうりんごくへ>とおりすぎた>ように、>なんとなく>のこりおしい。>それも>ひが>こっちに>あればかくべつだが、>いわゆるせいぎの>ため、>じんどうの>ためなら、>たとい>むだ>しを>やるまでも>すすむ>のが、>ぎむを>しる>だんじの>ほんかいであろう。>むだぼねを>おり、>むだあしを>よごすくらいは>ねことして>てきとうの>ところである。>ねこと>うまれた>いんがで>かんげつ、>迷>てい、>く>さや>しょせんせいと>さんずんの>ぜっとうに>そうごの>しそうを>こうかんする>わざ>倆はないが、>ねこだけに>しのびの>すべは>しょせんせいより>たっしゃである。>たにんの>できぬ>ことを>じょうじゅする>のは>それ>じしんにおいて>ゆかいである。>われ>いち箇でも、>かねでんの>うちまくを>しる>のは、>だれも>しらぬ>より>ゆかいである。>ひとに>つげ>られんでも>ひとに>しら>れているなと>いう>じかくを>かれらに>あずか>うるだけが>ゆかいである。>こんなにゆかいが>ぞくぞくでてきては>いかずに>はいら>れない。>やはり>いく>ことに>いたそう。 >むこう>よこちょうへ>きてみると、>きいた>とおりの>せいよう>かんが>かどち>めんを>われ>ぶつ>かおに>せんりょうしている。>このしゅじんも>このせいよう>かんのごとく>ごうまんに>かまえている>んだろうと、>もんを>はいいってその>けんちくを>ながめてみたがただひとを>いあつしようと、>にかい>づくりが>むいみに>つったっている>ほかに>なんらの>のうも>ない>こうぞうであった。>迷>ていの>いわゆるつきなみとは>これであろうか。>げんかんを>みぎに>みて、>うえ>こみの>なかを>とおりぬけて、>かってぐちへ>めぐる。>さすがに>かっては>ひろい、>く>さや>せんせいの>だいどころの>じゅうばいは>たしかに>ある。>せんだって>にっぽん>しんぶんに>くわしく>かいてあった>おおくま>はくの>かってにも>おとるまいと>おもうくらい>せいぜんと>ぴかぴか>している。「>もはん>かってだな」と>はいいり>こむ。>みるとしっくいで>たたきあげた>につぼほどの>どまに、>れいの>くるまやの>かみ>さんが>たちながら、>ごはん>たきと>しゃふを>あいてに>しきりに>なにか>べんじている。>こいつは>けんのんだと>みず>おけの>うらへ>かくれる。「>あのきょうし>あ、>うちの>だんなの>なを>しらない>のかね」と>めし>焚が>いう。「>しらねえ>ことが>ある>もんか、>このかいわいで>かねだ>さんの>ごやしきを>ち>ら>なけりゃ>めも>みみもねえ>かた>わだ>あ>な」>これは>かかえ>しゃふの>こえである。「>なんとも>うん>えないよ。>あのきょうしと>きたら、>ほんより>ほかに>なににも>しらない>へんじん>なんだからねえ。>だんなの>ことを>すこしでも>しっ>てりゃ>おそれるかも>しれないが、>だめだよ、>じぶんの>しょうともの>としさえ>しらない>んだ>もの」と>かみ>さんが>いう。「>かねだ>さんでも>おそれねえ>かな、>やっかいな>とうへんぼくだ。>構>あ>こと>あねえ、>みんなで>いかくか>してやろうじゃねえか」「>それが>よいよ。>おくさまの>はなが>おおき>すぎる>の、>かおが>きに>くわない>のって――>そりゃあ>ひどい>ことを>いう>んだよ。>じぶんの>めん>あ>いまど>しょうの>たぬき>みた>ような>くせに――>あれで>いちにんまえだと>おもっている>んだからやれ>きれないじゃないか」「>かおばかりじゃない、>てぬぐいを>さげてゆに>いく>ところから>して、>いやに>こうまんちきじゃないか。>じぶん>くらい>えらい>ものは>ない>つもりでいる>んだよ」と>く>さや>せんせいは>めし>焚にも>だいに>ふじんぼうである。「>なにでも>たいせいで>あいつの>かきねの>そばへ>おこなってわるぐちを>さんざんいってやる>んだね」「>そうしたら>きっと>おそれいるよ」「>しかしこっちの>すがたを>みせちゃあおもしろくねえ>から、>こえだけ>きかして、>べんきょうの>じゃまを>した>うえに、>できるだけ>じらしてやれって、>さっきおくさまが>いいつけておいで>なすったぜ」「>そりゃわかっているよ」と>かみ>さんは>わるぐちの>さんぶんの>いちを>ひきうけると>いう>いみを>しめす。>なるほど>このてあいが>く>さや>せんせいを>ひやかしに>くるなと>さんにんの>よこを、>そっと>とおりぬけておくへ>はいいる。 >ねこの>あしは>あれどもむ>きがごと>し、>どこを>あるいても>ぶきような>おとの>した>ためしが>ない。>そらを>ふむがごとく、>くもを>いくがごとく、>すいちゅうに>かおるを>うつがごとく、>ほら>うらに>瑟を>こするがごとく、>だいごの>みょうみを>甞>めて>げん>せんの>ほかに>ひや>だんを>じち>するがごとし。>つきなみな>せいよう>かんも>なく、>もはん>かっても>なく、>くるまやの>かみ>さんも、>ごんすけも、>めし>焚も、>ごじょう>さまも、>なかばたらきも、>はな>こ>ふじんも、>ふじんの>だんな>さまも>ない。>いきたい>ところへ>おこなってききたい>はなしを>きいて、>したを>だし>しっぽを>掉って、>ひげを>ぴんと>たててゆうゆうと>かえるのみである。>ことに>わがはいは>このみちに>かけては>にっぽんいちの>かんのうである。>くさぞうしに>ある>ねこまたの>けちみゃくを>うけておりは>せぬかと>みずから>うたがうくらいである。>ひきがえるの>がくには>やこうの>あきら>たまが>あると>いうが、>わがはいの>しっぽには>じんぎ>しゃっきょう>こい>むじょうは>むろんの>こと、>まんてんかの>にんげんを>ばかに>する>いっか>そうでんの>みょうやくが>つめこんである。>かねでん>かの>ろうかを>ひとの>しらぬ>あいだに>おうこうするくらいは、>ひとし>おうさまが>ところてんを>ふみ>つぶすよりも>よういである。>このとき>わがはいは>われながら、>わがりきりょうに>かんぷくして、>これも>ふだん>だいじに>する>しっぽの>おかげだなと>きがついてみるとただおか>れない。>わがはいの>そんけいする>しっぽ>だいみょうじんを>れいはいしてにゃん>うん>ちょうきゅうを>いのら>ば>やと、>ちょっとていとうしてみたが、>どうも>すこしけんとうが>ちがう>ようである。>なるべくしっぽの>ほうを>みて>さんはいしなければならん。>しっぽの>ほうを>みようと>しんたいを>まわすとしっぽも>しぜんと>めぐる。>おいつこうと>おもってくびを>ねじると、>しっぽも>おなじかんかくを>とって、>さきへ>馳>け>だす。>なるほど>てんちげんこうを>さんずん|>うらに>おさめるほどの>れい>ぶつだけ>あって、>とうてい>わがはいの>てに>あわない、>しっぽを>わ>る>こと|>ななど>び>はんに>してくたびれたからやめに>した。>しょうしょうめが>くらむ。>どこに>いる>のだか>ちょっとほうがくが>わからなく>なる。>かまう>ものかと>めちゃくちゃに>あるき>めぐる。>しょうじの>うらで>はな>この>こえが>する。>ここだと>たち>とまって、>さゆうの>みみを>はすに>きって、>いきを>こらす。「>びんぼう>きょうしの>くせに>なまいきじゃ>ありませんか」と>れいの>かなきりごえを>ふりたてる。「>うん、>なまいきな>やっこだ、>ちと>こらしめの>ために>いじめてやろう。>あのがっこうにゃ>こくの>ものも>いるからな」「>だれが>いるの?」「>つ>き>ぴん>すけや>ふくじ>きしゃごが>いるから、>たのんでから>かわしてやろう」>わがはいは>かねだ>くんの>しょうごくは>わからんが、>みょうな>なまえの>にんげんばかり>そろった>ところだと>しょうしょうおどろいた。>かねだ>くんは>なお>かたりを>ついで、「>あいつは>えいごの>きょうし>かい」と>きく。「>はあ、>くるまやの>かみ>さんの>はなしでは>えいごの>りー>どるか>なにか>せんもんに>おしえる>んだって>いいます」「>どうせ>ろくな>きょうしじゃ>ある>め>え」>ある>め>えにも>尠>なからず>かんしんした。「>このあいだ>ぴんすけに>あったら、>わたしの>がっこうにゃ>みょうな>やっこが>おります。>せいとから>せんせい>ばんちゃは>えいごで>なんと>いいますときか>れて、>ばんちゃはえすえいぶいえいじーいーてぃーいーえいであると>まじめに>こたえた>んで、>きょういん>かんの>ものわらいと>なっています、>どうも>あんな>きょういんが>あるから、>ほかの>ものの、>めいわくに>なってこまりますといったが、>おおかたあいつの>ことだぜ」「>あいつに>きょくって>いま>さあ、>そんなことを>いい>そうな>つらがまえですよ、>いやに>ひげなんか>はやして」「>あやしからん>やつだ」>ひげを>はやしてかい>しからなければねこなどは>いっぴきだって>かい>しかり>ようが>ない。「>それにあの>迷>ていとか、>へべれけとか>いう>やつは、>まあ>なにて>え、>とんきょうな>跳>かえりな>んでしょう、>おじの>まきやま>だんしゃくだなんて、>あんな>かおに>だんしゃくの>おじな>ん>ざ、>ある>はずが>ないと>おもった>んです>もの」「>おまえが>どこの>うまのほねだか>わからん>ものの>いう>ことを>しんに>うける>のも>わるい」「>あくいって、>あんまりひとを>ばかに>し>すぎるじゃ>ありませんか」と>たいへん>ざんねん>そうである。>ふしぎな>ことには>かんげつ>くんの>ことは>いちごんはんくも>でない。>わがはいの>しのんでくる>まえに>ひょうばん>きは>すんだ>ものか、>またはすでに>らくだいと>ことが>きょくって>ねんとうに>ない>ものか、>そのへんは>けねんもあるがしかたが>ない。>しばらくたたずんでいると>ろうかを>へだててむこうの>ざしきで>べるの>おとが>する。>そら>あすこにも>なにか>ことが>ある。>おくれぬ>さきに、と>そのほうがくへ>ふを>むける。 >きてみるとおんなが>ひとりで>なにか>おおごえで>はなしている。>そのこえが>はな>こと>よく>にている>ところを>もっておすと、>これが>すなわち>とうけの>れいじょう>かんげつ>くんを>してみすい>じゅすいを>あえて>せしめたる>しろものだろう。>惜>哉>しょうじ>ごしで>たまの>ごすがたを>はいする>ことが>できない。>したがってかおの>まんなかに>おおきなはなを>まつり>こんでいるか、>どうだか>うけあえない。>しかしだんわの>もようから>はないきの>あらい>ところなどを>そうごうしてかんがえてみると、>まんざら>ひとの>ちゅういを>ひかぬ>獅>はなとも>おもわ>れない。>おんなは>しきりに>ちょう>したって>いるがあいての>こえが>すこしも>きこえない>のは、>うわさに>きく>でんわという>ものであろう。「>おまえは>やまと>かい。>あしたね、>いく>んだからね、>うずらの>さんを>とっておいておくれ、>いいかえ――>わかった>かい――>なに>わからない? >おや>いやだ。>うずらの>さんを>とる>んだよ。――>なんだって、――>とれない? >とれない>はずはない、>とる>んだよ――へ>へへ>へへ>ごじょうだんを>だって――>なにが>ごじょうだん>なんだよ――>いやに>ひとを>おひゃらかすよ。>ぜんたい>おまえは>だれ>だい。>ちょうきちだ? >ちょうきち>なんぞじゃ>わけが>わからない。>おかみ>さんに>でんわぐちへ>しゅつろって>ごいいな――>なに? >わたし>しで>なんでも>べんじます?――>おまえは>しっけいだよ。>そばめ>しを>だれだか>しっ>てる>のか>い。>かなだだよ。――へ>へへ>へへ>よく>ぞんじております>だって。>ほんとに>ばかだよ>この>ひと>あ。――>かねだだって>え>ば>さ。――>なに?――>まいど|>ごひいきに>あずかりましてありがとうございます?――>なにが>ありがたい>んだね。>おんれいなんか>ききたか>あな>いやね――>おや>またわらっ>てるよ。>おまえは>よっぽど>ぐぶつだね。――>おおせの>とおりだって?――>あんまりひとを>ばかに>すると>でんわを>きってしまうよ。>いい>のか>い。>こまらない>のかよ――>だまっ>てちゃわからないじゃないか、>なんとか>ごいい>なさいな」>でんわは>ちょうきちの>ほうから>きった>ものか>なにの>へんじも>ないらしい。>れいじょうは>かんしゃくを>おこしてやけに>べるを>じゃらじゃらと>まわす。>あしもとで>ちんが>おどろき>ろ>いてきゅうに>ほえ>だす。>これは>まが>濶に>できないと、>きゅうに>とびおりて椽の>したへ>もぐりこむ。 >おり>がら>ろうかを>ちかく>あしおとが>してしょうじを>あける>おとが>する。>だれか>きたなと>いっしょうけんめいに>きいていると「>ごじょう>さま、>だんな>さまと>おくさまが>よんでいらっしゃいます」と>こまづかいらしい>こえが>する。「>しらないよ」と>れいじょうは>けんつくを>くわせる。「>ちょっとようが>あるからじょうを>よんでこいと>おっしゃいました」「>うるさいね、>しらないて>ば」と>れいじょうは>だいにの>けんつくを>くわせる。「……>みずしま>かんげつ>さんの>ことで>ごようが>ある>んだ>そうでございます」と>こまづかいは>きを>きかしてきげんを>なおそうと>する。「>かんげつでも、>すいげつでも>しらない>んだよ――>だいきらいだわ、>へちまが>と>まよいを>した>ような>かおを>して」>だいさんの>けんつくは、>あわれ>なる>かんげつ>くんが、>るすちゅうに>ちょうだいする。「>おや>おまえ>いつ>そくはつに>ゆった>の」>こまづかいは>ほっと>ひといき>ついて「>きょう」と>なるべくたんかんな>あいさつを>する。「>なまいきだねえ、>こまづかいの>くせに」と>だいよんの>けんつくを>べつ>ほうめんから>くわす。「>そうしてあたらしい>はんえりを>かけた>じゃないか」「>へえ、>せんだって>ごじょう>さまから>いただきました>ので、>けっこう>すぎてもったいないと>おもってこうりの>なかへ>しまっておきましたが、>いままで>のが>あまりよごれましたからかけ>えき>えました」「>いつ、>そんなものを>あげた>ことが>ある>の」「>このごしょうがつ、>しらきやへ>いらっしゃいまして、>おもとめ>あそばした>ので――>うぐいす>ちゃへ>すもうの>ばん>ふを>そめだした>のでございます。>そばめ>しには>じみ>すぎていやだからおまえに>あげようと>おっしゃった、>あれでございます」「>あら>いやだ。>よく>にあうのね。>にくらしいわ」「>おそれいります」「>ほめた>んじゃない。>にくらしい>んだよ」「>へえ」「>そんなに>よく>にあう>ものを>なぜだまってもらった>ん>だい」「>へえ」「>おまえにさえ、>そのくらい>にあうなら、>そばめ>しに>だっておかしい>こと>あ>ないだろうじゃないか」「>きっと>よく>ごにあい>あそばします」「>に>あう>のが>わかっ>てる>くせに>なぜだまっている>ん>だい。>そうしてすましてかけている>んだよ、>ひとの>わるい」>けんつくは>とめ>めども>なく>れんぱつさ>れる。>このさき、>こと>きょくは>どうはってんするかと>きんちょうしている>とき、>むこうの>ざしきで「>とみこや、>とみこ>や」と>おおきなこえで>かねだ>くんが>れいじょうを>よぶ。>れいじょうは>やむをえず「>はい」と>でんわしつを>でていく。>わがはいより>すこしおおきな>ちんが>かおの>ちゅうしんに>めと>くちを>ひき>あつめた>ような>めんを>してついていく。>わがはいは>れいの>しのびあしで>ふたたびかってから>おうらいへ>でて、>いそいでしゅじんの>いえに>かえる。>たんけんは>まず>じゅうにぶんの>せいせきである。 >かえってみると、>きれいな>いえから>きゅうに>きたな>ない>ところへ>うつった>ので、>なんだか>ひあたりの>よい>やまのうえから>うすくろい>どうくつの>なかへ>はいりこんだ>ような>こころもちが>する。>たんけんちゅうは、>ほかの>ことに>きを>うばわ>れてへやの>そうしょく、>ふすま、>しょうじの>ぐあいなどには>めも>とまらなかったが、>わがじゅうきょの>かとうなるを>かんずると>どうじに>かれの>いわゆるつきなみが>こいしく>なる。>きょうしよりも>やはり>じつぎょう>かが>えらい>ように>おもわ>れる。>わがはいも>すこしへんだと>おもって、>れいの>しっぽに>うかがいを>たててみたら、>そのとおり>そのとおりと>しっぽの>さきから>ごたくせんが>あった。>ざしきへ>はいいってみると>おどろいた>のは>迷>てい>せんせい>まだかえらない、>まきたばこの>すいがらを>はちのすのごとく>ひばちの>なかへ>つきたてて、>だいこざで>なにか>はなし>たてている。>いつのまにか>かんげつ>きみ>さえ>きている。>しゅじんは>てまくらを>しててんじょうの>あめ>もを>よねんも>なく>ながめている。>あいかわらず>たいへいの>いつみんの>かいごうである。「>かんげつ>くん、>きみの>ことを>譫>ごにまで>いった>ふじんの>なは、>とうじ>ひみつであった>ようだが、>もう>はなしても>よかろう」と>迷>ていが>からかい>だす。「>ごはなししを>しても、>わたしだけにかんする>ことなら>さしつかえない>んですが、>せんぽうの>めいわくに>なる>ことですから」「>まだだめかなあ」「>それに○○>はかせ>ふじんに>やくそくを>してしまった>もんですから」「>たごんを>しないと>いう>やくそくかね」「>ええ」と>かんげつ>くんは>れいのごとく>はおりの>ひもを>ひねくる。>そのひもは>ばいひんに>あるまじき>むらさきいろである。「>そのひもの>いろは、>ちと>てんぽう>ちょうだな」と>しゅじんが>ねながらいう。>しゅじんは>かねでん>じけんなどには>むとんじゃくである。「>そうさ、>とうてい>にち>ろ>せんそうじだいの>ものではないな。>じんがさに>たちあおいの>もんの>つけ>いたぶっ>さき>はおりでも>きなくっちゃおさまりの>つかない>ひもだ。>おだ>のぶながが>むこ>いりを>する>とき>あたまの>かみを>ちゃせんに>ゆったと>いうが>そのせつよう>いた>のは、>たしか>そんなひもだよ」と>迷>ていの>もんくは>あいかわらず>ながい。「>じっさいこれは>じいが>ちょうしゅう>せいばつの>ときに>もちいた>のです」と>かんげつ>くんは>まじめである。「>もう>いいかげんに>はくぶつかんへでも>けんのうしては>どうだ。>くびくくりの>りきがくの>えんじゃ、>りがく>し>みずしま>かんげつ>くんとも>あろう>ものが、>うれのこりの>はたもとの>ような>しゅつで>たつを>する>のは>ちと>たいめんにかんする>わけだから」「>ごちゅうこくの>とおりに>いたしても>いい>のですが、>このひもが>たいへん>よく>にあうと>いってくれる>ひとも>あります>ので――」「>だれ>だい、>そんなしゅみの>ない>ことを>いう>のは」と>しゅじんは>ねがえりを>うちながらおおきな>こえを>だす。「>それは>ごぞんじの>ほうな>んじゃない>んで――」「>ごぞんじでなくても>いいや、>いったい>だれ>だい」「>さるじょせいな>んです」「>ははははは>よほど>ちゃじんだなあ、>あててみようか、>やはり>すみだがわの>そこから>きみの>なを>よんだ>おんな>なんだろう、>そのはおりを>きてもう>いちかえ|>ご>だほとけを>きめこんじゃどうだい」と>迷>ていが>よこ>ごうから>とびだす。「>へへ>へ>へへ>もう>すいていから>よんではおりません。>ここから>いぬいの>ほうがくにあたる>せいじょうな>せかいで……」「>あんまりせいじょうでもな>さ>そうだ、>どくどくしい>はなだぜ」「>へえ?」と>かんげつは>ふしんな>かおを>する。「>むこう>よこちょうの>はなが>さっきおしかけてきた>んだよ、>ここへ、>じつに>ぼく>とう>ににんは>おどろいたよ、>ねえ>く>さや>くん」「>うむ」と>しゅじんは>ねながらちゃを>のむ。「>はなって>だれの>ことです」「>きみの>しんあい>なる>くおんの>じょせいの>ごぼどう>さまだ」「>へえー」「>かねでんの>つまという>おんなが>きみの>ことを>ききに>きたよ」と>しゅじんが>まじめに>せつめいしてやる。>おどろくか、>うれし>がるか、>はずかし>がるかと>かんげつ>くんの>ようすを>うかがってみるとべつだんの>ことも>ない。>れいの>とおり>しずかな>ちょうしで「>どうか>わたしに、>あのむすめを>もらってくれと>いう>いらいな>んでしょう」と、>またむらさきの>ひもを>ひねくる。「>ところがだい違さ。>そのごぼどう>なる>ものが>いだいなる>はなの>しょゆう|>おもでね……」>迷>ていが>なかば>いい>かけると、>しゅじんが「>おい>くん、>ぼくは>さっきから、>あのはなについて>俳>からだ>しを>かんがえている>んだがね」と>きに>たけを>ついだ>ような>ことを>いう。>となりの>しつで>さいくんが>くすくす>わらい>だす。「>ずいぶんきみも>のんきだな>あ>できた>のか>い」「>すこしできた。>だいいち>くが>このかおに>はな>まつりと>いう>のだ」「>それから?」「>つぎが>このはなに>みき>そなえというの>さ」「>つぎの>くは?」「>まだそれ>ぎりしか>できておらん」「>おもしろいですな」と>かんげつ>くんが>にやにや>わらう。「>つぎへ>あな>ふたつ>かすかなりと>つけちゃどうだ」と>迷>ていは>すぐできる。>するとかんげつが「>おくふかく>けも>みえずは>いけ>ますまいか」と>おのおの>でたらめを>ならべていると、>かきねに>ちかく、>おうらいで「>いまど>しょうの>たぬき>いまど>しょうの>たぬき」と>よんご>にんわいわい>いう>こえが>する。>しゅじんも>迷>ていも>ちょっとおどろき>ろ>いてひょうの>ほうを、>かきの>すきから>すかしてみると「>わははははは」と>わらう>こえが>してとおくへ>ちる>あしの>おとが>する。「>いまど>しょうの>たぬきと>いうな>なに>だい」と>迷>ていが>ふしぎ>そうに>しゅじんに>きく。「>なんだか>わからん」と>しゅじんが>こたえる。「>なかなかふっています>な」と>かんげつ>くんが>ひひょうを>くわえる。>迷>ていは>なにを>おもいだしたか>きゅうに>たちのぼって「>わがはいは>ねんらい>びがく>じょうの>けんちから>このはなについて>けんきゅうした>ことが>ございますから、>その>いちまだらを>ひれきして、>ごりょうくんの>せいちょうを>わずらわしたいと>おもいます」と>演>したの>まねを>やる。>しゅじんは>あまりの>とつぜんに>ぼんやりしてむごんの>まま>迷>ていを>みている。>かんげつは「>ぜひ|>うけたまわりたい>ものです」と>こごえで>いう。「>いろいろしらべてみましたがはなの>きげんは>どうも>確と>わかりません。>だいいちの>ふしんは、>もし>これを>じつようじょうの>どうぐと>かていすればあなが>ふたつで>たくさんである。>なにも>こんなにおうふうに>まんなかから>つきだしてみる>ひつようが>ない>のである。>ところがどうして>だんだんごらんの>ごとく>かように>せりだしてまいったか」と>じぶんの>はなを>つまんでみせる。「>あんまりせりだしても>おらんじゃないか」と>しゅじんは>ごせじの>ない>ところを>いう。「>とにかく>ひっこんではおりませんからな。>ただ>にこの>あなが>併>んで>いる>じょう>からだと>こんどうなすっては、>ごかいを>なまずるに>いたるかも>はから>れませんから、>あらかじめ>ごちゅういを>しておきます。――で>ぐけんに>よりますとはなの>はったつは>われ々>にんげんが>はなしるを>かむと>もうす>びさいなる>こういの>けっかが>しぜんと>ちくせきしてかく>ちょ>めい>なる>げんしょうを>ていしゅつした>ものでございます」「>佯りの>ない>ぐけんだ」と>またしゅじんが>すんぴょうを>そうにゅうする。「>ごしょうちの>とおり>はなしるを>かむ>ときは、>ぜひはなを>つまみます、>はなを>つめんで、>ことに>このきょくぶだけに>しげきを>あたえますと、>しんかろんの>だいげんそくによって、>このきょくぶは>このしげきに>おうずる>がた>め>たに>ひれいしてふそうとうな>はったつを>いたします。>かわも>しぜん>かたく>なります、>にくも>しだいに>かたく>なります。>ついに>こってほねと>なります」「>それは>すこし――>そうじゆうに>にくが>ほねに>ひとあし>ひに>へんかは>でき>ますまい」と>りがく>しだけ>あってかんげつ>くんが>こうぎを>もうしこむ。>迷>ていは>なに>くわぬ>かおで>のべ>つづける。「>いやごふしんは>ごもっともですがろんより>しょうこ>このとおり>ほねが>あるからしかたが>ありません。>すでに>ほねが>できる。>ほねは>できても>はなしるは>でます>な。>でればかまずに>はいら>れません。>このさようで>ほねの>さゆうが>けずりとら>れてほそい>たかい>りゅうきと>へんかしてまいります――>じつに>おそろしい>さようです。>てんてきの>いしを>うがつがごとく、>賓>あたま>顱の>あたまが>じから>こうみょうを>はなつがごとく、>ふしぎ>かおる>ふしぎ>しゅうの>喩のごとく、>かように>はなすじが>とおってかたく>なります。「>それでもきみのなんぞ、>ぶくぶくだぜ」「>えんじゃ>じしんの>きょくぶは>かい>まもるの>おそれが>ありますから、>わざと>ろんじません。>かのかねでんの>ごぼどうの>もた>せ>ら>るる>はなのごときは、>もっとも>はったつせる>もっとも>いだいなる>てんかの>ちんぴんとして>ごりょうくんに>しょうかいしておきたいと>おもいます」>かんげつ>くんは>おもわずひやややと>いう。「>しかしぶつも>きょくどに>たっしますといかんには>そういございませんが>なんとなく>こわし>くて>ちかづき>がたい>ものであります。>あのびりょうなどは>もと>はれ>しいには>ちがいございませんが、>しょうしょう|>しゅんけん>すぎるかと>おもわ>れます。>こじんの>うち>にても>そくらちす、>ごーる>どす>みすもしくはさっかれーの>はななどは>こうぞうの>うえから>いうとずいぶんもうしぶんはございましょうが>そのもうしぶんの>ある>ところに>あいきょうが>ございます。>はなだか>きがゆえに>とうとからず、>き>なるが>ために>とうとしとは>このゆえでもございましょうか。>げせわにも>はなより>だんごと>さる>しま>すればびてき>かちから>もうしますとまず>迷>ていくらいの>ところが>てきとうかと>ぞんじます」>かんげつと>しゅじんは「>ふふふふ」と>わらい>だす。>迷>てい>じしんも>ゆかい>そうに>わらう。「>さてただいままで>べんじました>のは――」「>せんせい>べんじ>ま>したは>すこしこうしゃくしの>ようで>げひんですから、>よしていただきましょう」と>かんげつ>くんは>せんじつの>ふくしゅうを>やる。「>さよう>しから>ば>かおを>あらってでなおしましょうかな。――>ええ――>これからはなと>かおの>けんこうに>ひとこと>ろんきゅうしたいと>おもいます。>たに>かんけいなく>たんどくに>はな>ろんを>やりますと、>かのごぼどうなどは>どこへ>だしても>はずかしからぬ>はな――>くらまやまで>てんらんかいが>あっても>おそらく>いっとう>しょうだろうと>おもわ>れるくらいな>はなを>しょゆうしていらせられますが、>かなしいかな>あれは>め、>くち、>そのたの>しょせんせいと>なんらの>そうだんも>なく>でき>のぼった>はなであります。>じゅりあ>す・>しーざーの>はなは>たいしたものに>そういございません。>しかししーざーの>はなを>鋏で>ちょん>きって、>とうけの>ねこの>かおへ>あんちしたら>どんなものでございましょうか。>たとえにも>ねこの>がくと>いうくらいな>じめんへ、>えいゆうの>はなばしらが>突>兀として>そびえたら、>ごばんの>うえ>へ>ならの>だいぶつを>すえつけた>ような>もので、>すこしく>ひれいを>しっする>の>ごく、>そのびてき>かちを>おとす>ことだろうと>おもいます。>ごぼどうの>はなは>しーざーの>それのごとく、>まさしく>えいし>さっそうたる>りゅうきに>そういございません。>しかしその>しゅういを>いにょうする>がんめん>てき>じょうけんは>いかがな>ものでありましょう。>むろん>とうけの>ねこのごとく>れっとうではない。>しかしてんかん>やみの>ごかめのごとく>まゆの>ねに>はちじを>きざんで、>ほそい>めを>つるしあげ>ら>るるのは>じじつであります。>しょくん、>このかおに>してこの>はな>ありと>たんぜざるを>えんではありませんか」>迷>ていの>ことばが>すこしとぎれる>とたん、>うらの>ほうで「>まだはなの>はなししを>している>んだよ。>なにて>え>ごう>つく>はりだろう」と>いう>こえが>きこえる。「>くるまやの>かみ>さんだ」と>しゅじんが>迷>ていに>おしえてやる。>迷>ていは>またやり>そめる。「>はからざる>うらてにあたって、>あらたに>いせいの>ぼうちょうしゃの>ある>ことを>はっけんした>のは>えんじゃの>ふかく>めいよと>おもう>ところであります。>ことに>あて>てんたる>嬌>おんをもって、>かんそうなる>こうえんに>いちてんの>つや>あじを>そえ>られた>のは>じつに>ぼうがいの>こうふくであります。>なるべくつうぞく>てきに>ひき>なおしてかじん>しゅくじょの>けんこに>せ>かざらん>ことを>きする>わけでありますが、>これからは>しょうしょうりきがく>じょうの>もんだいに>たちいりますので、>ぜい>ごふじん>かたには>ごわかり>にくいかも>しれません、>どうか>ごからし>ぼうを>ねがいます」>かんげつ>くんは>りきがくと>いう>かたりを>きいてまたにやにや>する。「>わたしの>しょうこだてようと>する>のは、>このはなと>このかおは>とうてい>ちょうわしない。>つぁいしんぐの>おうごん>りつを>しっしていると>いう>ことな>んで、>それを>げんかくに>りきがく>じょうの>こうしきから>えんえきしてごらんに>いれようと>いう>のであります。>まずえいちを>はなの>たか>さと>します。あるふぁは>はなと>かおの>へいめんの>こうさより>しょうずる>かくどであります。だぶりゅーは>むろん>はなの>じゅうりょうと>ごしょうちください。>どうです>たいてい>おわかりに>なりましたか。……」「>わかる>ものか」と>しゅじんが>いう。「>かんげつ>くんは>どうだい」「>わたしに>もちと>わかり>かねます>な」「>そりゃこまったな。>く>さやは>とにかく、>きみは>りがく>しだからわかるだろうと>おもったのに。>このしきが>えんぜつの>しゅのう>なんだからこれを>りゃくしては>いままで>やった>かいが>ない>のだが――>まあ>しかたが>ない。>こうしきは>りゃくしてけつろんだけ>はなそう」「>けつろんが>あるか」と>しゅじんが>ふしぎ>そうに>きく。「>あたりまえ>さ>けつろんの>ない>演>したは、>でざーとの>ない>せいよう>りょうりの>ような>ものだ、――>いいか>りょうくん|>のう>く>きき>たまえ、>これからが>けつろんだぜ。――>さていじょうの>こうしきに>うぃるひょう、>わいす>まん>しょかの>せつを>さんしゃくしてかんがえてみますと、>せんてんてき>けいたいの>いでんは>むろんの>こと>ゆるさねばなりません。>またこの>けいたいに>つい陪>しておこる>しんい>てき>じょうきょうは、>たとい>こうてん>せいは>いでんする>ものに>あらずとの>ゆうりょくな>るせつあるにも>かんせず、>あるていどまでは>ひつぜんの>けっかと>みとめねばなりません。>したがってかくのごとく>みぶんに>ふにあい>なる>はなの>もちぬしの>うんだ>こには、>そのはなにも>なにか>いじょうが>ある>ことと>さっせ>られます。>かんげつ>くんなどは、>まだとしが>ごわかいから>かねでん>れいじょうの>はなの>こうぞうにおいて>とくべつの>いじょうを>みとめ>られんかも>しれませんが、>かかる>いでんは>せんぷくきの>ながい>ものでありますから、>いつ>いつ>きこうの>げきへんとともに、>きゅうに>はったつしてごぼどうの>それのごとく、>とっさの>あいだに>ぼうちょうするかも>しれません、>それ>ゆえにこの>ごこんぎは、>迷>ていの>がくり>てき>ろんしょうに>よりますと、>いまの>なか>ごだんねんに>なった>ほうが>あんぜんかと>おもわ>れます、>これには>とうけの>ごしゅじんは>むろんの>こと、>そこに>ねておらるる>ねこ>また>しんがりにも>ごいぞんは>なかろうと>ぞんじます」>しゅじんは>ようよう>おき>かえって「>そりゃむろん>さ。>あんな>ものの>むすめを>だれが>もらう>ものか。>かんげつ>くん>もらっちゃいかんよ」と>たいへん>ねっしんに>しゅちょうする。>わがはいも>いささか>さんせいの>いを>ひょうする>ためににゃ>ーにゃ>ーと>にこえばかり>ないてみせる。>かんげつ>くんは>べつだんさわいだ>ようすも>なく「>せんせい>かたの>ごいこうが>そうなら、>わたしは>だんねんしても>いい>んですが、>もし>とうにんが>それを>きに>してびょうきにでも>なったら>つみですから――」「>ははははは>つや>ざいと>いう>わけだ」>しゅじんだけは>だいに>むきに>なって「>そんなばかが>ある>ものか、>あいつの>むすめなら>ろくな>ものでないに>きょくって>ら>あ。>はじめて>ひとの>うちへ>きておれを>やりこめに>かかった>やつだ。>ごうまんな>やっこだ」と>ひとりで>ぷんぷん>する。>するとまたかきねの>そばで>さんよん>にんが「>わははははは」と>いう>こえが>する。>いちにんが「>こうまんちきな>とうへんぼくだ」と>いうと>いちにんが「>もっと>おおきないえへ>はいいりてえだろう」と>いう。>また>いちにんが「>ごきのどくだが、>いくら>いばったって>かげ>べんけいだ」と>おおきなこえを>する。>しゅじんは>椽>がわへ>でてまけない>ような>こえで「>やかましい、>なんだ>わざわざそんな>へいの>したへ>きて」と>どなる。「>わはははははさヴぇじ・>ちーだ、>さヴぇじ・>ちーだ」と>くちぐちに>ののし>しる。>しゅじんは>だいに>げきりんの>からだで>とつぜん|>たってすてっきを>もって、>おうらいへ>とびだす。>迷>ていは>てを>はくって「>おもしろい、>やれやれ」と>いう。>かんげつは>はおりの>ひもを>よってにやにや>する。>わがはいは>しゅじんの>あとを>つけてかきの>くずれから>おうらいへ>でてみたら、>まんなかに>しゅじんが>てもちぶさたに>すてっきを>ついてたっている。>ひとどおりは>いちにんも>ない、>ちょっときつねに>つまま>れた>からだである。        >よん >れいによって>かねでん>ていへ>しのびこむ。 >れいに>よってとは>いまさら>かいしゃくする>ひつようも>ない。>しばしばを>じじょうしたほどの>どあいを>しめす>かたりである。>いちど>やった>ことは>にど>やりたい>もので、>にど>こころみた>ことは>さんど>こころみたい>のは>にんげんにのみ>かぎらるる>こうき>こころではない、>ねこと>いえどもこの>しんり>てき>とっけんを>ゆうしてこの>せかいに>うまれ>で>でた>ものと>にんていしていただかねばならぬ。>さんど>いじょう>くりかえす>とき>はじめてしゅうかん>なる>かたりを>かんせ>られて、>このこういが>せいかつじょうの>ひつようと>しんかする>のも>またにんげんと>そういはない。>なにの>ために、>かくまで>あし>しげく>かねだ>ていへ>かよう>のかと>ふしんを>おこすなら>そのまえに>ちょっとにんげんに>はんもんしたい>ことが>ある。>なぜにんげんは>くちから>けむりを>すいこんではなから>はきだす>のであるか、>はらの>たしにも>ちのみちの>くすりにも>ならない>ものを、>はじ>かし>きも>なく>吐>呑>して憚から>ざる>いじょうは、>わがはいが>かねでんに>しゅつにゅうする>のを、>あまりおおきな>こえで>とがめだてを>してもらいたくない。>かねでん>ていは>わがはいの>たばこである。 >しのびこむと>いうとごへいが>ある、>なんだか>どろぼうか>まおとこの>ようで>ききぐるしい。>わがはいが>かねでん>ていへ>いく>のは、>しょうたいこそ>うけないが、>けっして>かつおの>きりみを>ちょろまかしたり、>め>はなが>かおの>ちゅうしんに>けいれんてきに>みっちゃくしている>ちん>くんなどと>みつだんする>ためではない。――>なんたんてい?――>もってのほかの>ことである。>およそよのなかに>なにが>賤>し>い>かぎょうだと>いってたんていと>こうりかしほど>かとうな>しょくはないと>おもっている。>なるほど>かんげつ>くんの>ために>ねこに>あるまじき>ほどの>ぎきょう>こころを>おこして、>いちどは>かねでん>かの>どうせいを>よそながらうかがった>ことは>あるが、>それは>ただの>いっぺんで、>そのごは>けっして>ねこの>りょうしんに>はじ>ずる>ような>ろうれつな>ふるまいを>いたした>ことはない。――>そんなら、>なぜしのびこむと>いう>ような>うろんな>もじを>しようした?――>さあ、>それが>すこぶる>いみの>ある>ことだて。>がんらい>わがはいの>こうに>よるとおおぞらは>ばんぶつを>おおう>ため>だいちは>ばんぶつを>のせる>ために>できている――>いかに>しつような>ぎろんを>このむ>にんげんでも>このじじつを>ひていする>わけには>いくまい。>さてこの>おおぞら>だいちを>せいぞうする>ために>かれら>じんるいは>どのくらいの>ろうりょくを>ついやしているかと>いうとしゃくすんの>て>でんも>しておらぬではないか。>じぶんが>せいぞうしておらぬ>ものを>じぶんの>しょゆうと>きわめる>ほうはなかろう。>じぶんの>しょゆうと>きわめても>さしつかえないがたの>しゅつにゅうを>きんずる>りゆうはあるまい。>このぼうぼうたる>だいちを、>こざかしくも>かきを>囲>ら>し>ぼう>くいを>たててぼうぼう>しょゆうちなどと>かくし>かぎる>のは>あたかも>かのそうてんに>なわばり>して、>このぶぶんは>われの>てん、>あのぶぶんは>かれの>てんと>とどけでる>ような>ものだ。>もし>とちを>きりきざんで>いちつぼ>いくらの>しょゆうけんを>ばいばいするなら>われ>とうが>こきゅうする>くうきを>いちしゃく>りっぽうに>わってきりうりを>しても>よい>わけである。>くうきの>きりうりが>できず、>そらの>なわばりが>ふとうなら>じめんの>しゆうも>ふごうりではないか。>にょぜ>かんに>よりて、>にょぜ>ほうを>しんじている>わがはいは>それだからどこへでも>はいいっていく。>もっともいきたくない>ところへは>いかぬが、>こころざす>ほうがくへは>とうざい>なんぼくの>さべつは>はいらぬ、>へいきな>かおを>して、>のそのそと>まいる。>かねでん>ごと>きものに>えんりょを>する>わけが>ない。――>しかしねこの>かなし>さは>ちからずくでは>とうてい>にんげんには>かなわない。>つよ>ぜいは>けんりなりとの>かくげんさえ>ある>このうきよに>そんざいする>いじょうは、>いかに>こっちに>どうりが>あっても>ねこの>ぎろんは>とおらない。>むりに>とおそうと>するとくるまやの>くろのごとく>ふいに>さかな>やの>てんびんぼうを>くう>おそれが>ある。>りは>こっちに>あるがけんりょくは>むこうに>あると>いう>ばあいに、>りを>まげて>いちも>にも>なく>くつじゅうするか、>またはけんりょくの>めを>かすめてわれ>りを>つらぬくかと>いえば、>わがはいは>むろん>こうしゃを>えらぶ>のである。>てんびんぼうは>さけざるべからざるが>ゆえに、>しのばざるべからず。>ひとの>てい>ないへは>はいいり>こんでさしつかえ>なき>ゆえ>こまざるを>えず。>このゆえに>わがはいは>かねでん>ていへ>しのびこむ>のである。 >しのびこむ>たびが>かさなるにつけ、>たんていを>する>きはないがしぜん>かねだ>くん>いっかの>じじょうが>みたくも>ない>わがはいの>めに>えいじておぼえたくも>ない>わがはいの>のうりに>いんしょうを>とめ>む>るに>いたる>のは>やむをえない。>はな>こ>ふじんが>かおを>あらう>たんびに>ねんを>いれてはなだけ>ふく>ことや、>とみこ>れいじょうが>あべ>かわ>もちを>む>あんに>めしあがらるる>ことや、>それから>かねだ>くん>じしんが――>かねだ>くんは>さいくんに>にあわず>はなの>ひくい>おとこである。>たんに>はなのみではない、>かお>ぜんたいが>ひくい。>しょうともの>じぶん>けんかを>して、>がきだいしょうの>ために>頸>すじを>捉>まえ>られて、>うんと>せいいっぱいに>どべいへ>おし>つけ>られた>ときの>かおが>よんじゅう>ねんごの>きょうまで、>いんがを>なしておりは>せぬかと>かい>ま>るる>くらい>へいたんな>かおである。>しごく>穏かで>きけんの>ない>かおには>そういないが、>なんとなく>へんかに>とぼしい。>いくら>おこっても>たいら>かな>かおである。――>そのかねだ>くんが>まぐろの>さしみを>くってじぶんで>じぶんの>はげあたまを>ぴちゃぴちゃ>たたく>ことや、>それから>かおが>ひくいばかりでなく>せが>ひくいので、>む>あんに>たかい>ぼうしと>たかい>げたを>はく>ことや、>それを>しゃふが>おかし>がってしょせいに>はなす>ことや、>しょせいが>なるほど>くんの>かんさつは>きびんだと>かんしんする>ことや、――>いちいち>かぞえきれない。 >ちかごろは>かってぐちの>よこを>にわへ>とおりぬけて、>つくやまの>かげから>むこうを>みわたしてしょうじが>たて>きってものしずかで>あるなと>みきわめが>つくと、>じょじょ>のぼり>こむ。>もし>ひとごえが>にぎわいかであるか、>ざしきから>みすかさるる>おそれが>あると>おもえばいけを>ひがしへ>めぐってせっちんの>よこから>しらぬ>あいだに>椽の>したへ>でる。>わるい>ことを>した>さとしはないからなにも>かくれる>ことも、>おそれる>ことも>ない>のだが、>そこが>にんげんと>いう>むほうものに>あっては>ふうんと>あきらめる>より>しかたが>ないので、>もし>せけんが>くまさか>ちょう>はんばかりに>なったら>いかなるせいとくの>くんしも>やはり>わがはいの>ような>たいどに>で>ずるであろう。>かねだ>くんは>どうどうたるじつぎょう>かであるからかた>より>くまさか>ながのりの>ように>ごしゃく>さんずんを>ふり>まわす>き>やはあるまいが、>うけたまわる>ところに>よればひとを>ひとと>おもわぬ>びょうきが>ある>そうである。>ひとを>ひとと>おもわないくらいなら>ねこを>ねことも>おもうまい。>してみればねこたる>ものは>いかなるせいとくの>ねこでも>かれの>てい>ないで>けっして>ゆだんは>できぬ>わけである。>しかしその>ゆだんの>できぬ>ところが>わがはいには>ちょっとおもしろいので、>わがはいが>かくまでに>かねでん>かの>もんを>しゅつにゅうする>のも、>ただこの>きけんが>おかしてみた>いばかりかも>しれぬ。>それは>おってとくと>かんがえた>うえ、>ねこの>のうりを>のこり>なく>かいぼうし>えた>とき>あらためて>ごふいちょうつかまつろう。 >きょうは>どんなもようだなと、>れいの>つきやまの>しばふの>うえに>あごを>おしつけてぜんめんを>みわたすと>じゅうご>じょうの>きゃくまを>やよいの>はるに>あけはなって、>ちゅうには>かねでん>ふうふと>いちにんの>らいきゃくとの>ごはなしさいちゅうである。>あいにく>はな>こ>ふじんの>はなが>こっちを>むいていけ>ごしに>わがはいの>がくの>うえを>しょうめんから>ねめ>つけている。>はなに>にらま>れた>のは>うまれてきょうが>はじめてである。>かねだ>くんは>さいわいよこがおを>むけてきゃくと>あいたいしているかられいの>へいたんな>ぶぶんは>はんぶん>かくれてみえぬが、>そのかわり>はなの>ざいしょが>はんぜんしない。>ただごましお>しょくの>くち>ひげが>いいかげんな>ところから>らんざつに>しげる>しょうしているので、>あのうえに>あなが>ふたつ>ある>はずだと>けつろんだけは>くも>なく>できる。>しゅんぷうも>ああいう>なめら>かな>かおばかり>ふいていたら>さだめて>らくだろうと、>ついでながらそうぞうを>たくましゅうしてみた。>ごきゃく>さんは>さんにんの>なかで>いちばん>ふつうな>ようぼうを>ゆうしている。>ただしふつうなだけに、>これぞと>とりたててしょうかいするに>たる>ような>ぞうさは>ひとつも>ない。>ふつうと>いうとけっこうな>ようだが、>ふつうの>きょく>へいぼんの>どうに>のぼり、>いさお>ぞくの>しつに>はいった>のは>むしろ>びんぜんの>いたりだ。>かかる>むいみな>めん>構を>ゆうすべき>しゅくめいを>おびてめいじの>しょうだいに>うまれてきた>のは>だれだろう。>れいのごとく>椽の>したまで>いってその>だんわを>うけたまわ>わらなくては>わからぬ。「……>それで>つまが>わざわざあの>おとこの>ところまで>でかけていってようすを>きいた>んだがね……」と>かねだ>くんは>れいのごとく>よこ>ふうな>ことば>しである。>おうふうではあるがごうも>しゅんけんな>ところがない。>げんごも>かれの>がんめんのごとく>へいばん>むく>だいである。「>なるほど>あの>おとこが>みずしま>さんを>おしえた>ことが>ございます>ので――>なるほど、>よい>ごおもいつきで――>なるほど」と>なる>ほど>ずくめのは>ごきゃく>さんである。「>ところがなんだか>ようりょうを>えんので」「>え>え>く>さや>じゃようりょうを>えない>わけで――>あのおとこは>わたしが>いっしょに>げしゅくを>している>じぶんから>じつに>にえ>きらない――>そりゃごこまりでございましたろう」と>ごきゃく>さんは>はな>こ>ふじんの>ほうを>むく。「>こまる>の、>こまらない>のって>あなた、>わたし>しゃこの>としに>なるまで>ひとの>うちへ>おこなって、>あんな>ふとりあつかいを>うけた>ことは>ありゃ>しません」と>はな>こは>れいによって>はな>あらしを>ふく。「>なにか>ぶれいな>ことでも>もうしましたか、>むかし>しから>がんこな>しょうぶんで――>なにしろ>じゅうねんいちじつの>ごとく>りー>どる>せんもんの>きょうしを>している>のでも>だいたい>ごわかりに>なりましょう」と>ごきゃく>さんは>からだ>よく>ちょうしを>あわせている。「>いやごはなしにも>な>ら>んくらいで、>つまが>なにか>きくとまるで>けんも>ほろ>ろの>あいさつだ>そうで……」「>それは>あやしからん>わけで――>いったい>すこしがくもんを>していると>とかく>まんしんが>きざす>もので、>そのうえ>びんぼうを>すると>まけおしみが>でますから――>いえ>よのなかには>ずいぶんむほうな>やっこが>おりますよ。>じぶんの>はたらきの>ない>のにゃ>きがつかないで、>む>あんに>ざいさんの>ある>ものに>くってかかるなんて>え>のが――>まるで>かれらの>ざいさんでも>まき>あげた>ような>きぶんですからおどろきますよ、>あは>はは」と>ごきゃく>さんは>だいきょうえつの>からだである。「>いや、>まことに>げんご>どうだんで、>ああいう>のは>必>竟>せけん>みずの>わがままから>おこる>のだから、>ちっと>こらしめの>ために>いじめてやるがよかろうと>おもって、>すこしあたってやったよ」「>なるほど>それではだいぶ>こたえましたろう、>まったくほんにんの>ためにも>なる>ことですから」と>ごきゃく>さんは>いかなるあたり>ほうか>うけたまわらぬ>さきから>すでに>かねだ>くんに>どういしている。「>ところがすずき>さん、>まあ>なんて>がんこな>おとこな>んでしょう。>がっこうへ>でても>ふくち>さんや、>つ>き>さんには>くちも>きかない>んだ>そうです。>おそれいってだまっている>のかと>おもったら>このあいだは>つみも>ない、>たくの>しょせいを>すてっきを>もっておっ>かけたって>んです――>さんじゅう|>めん>さげて、>よく、>まあ、>そんなばかな>まねが>できた>もんじゃ>ありませんか、>まったくやけで>すこしきが>へんに>なっ>てる>んですよ」「>へえ>どうして>またそんな>らんぼうな>ことを>やった>んで……」と>これには、>さすがの>ごきゃく>さんも>すこしふしんを>おこしたと>みえる。「>なあに、>ただあの>おとこの>まえを>なんとか>いってとおった>んだ>そうです、>すると、>いきなり、>すてっきを>もってはだし>あしで>とびだしてきた>んだ>そうです。>よしんば、>ちっとや>そっと、>なにか>いったって>しょうともじゃ>ありませんか、>ひげ>めんの>だいそうの>くせに>しかもきょうしじゃ>ありませんか」「>さよう>きょうしですからな」と>ごきゃく>さんが>いうと、>かねだ>くんも「>きょうしだからな」と>いう。>きょうしたる>いじょうは>いかなるぶじょくを>うけても>もくぞうの>ように>おとなしく>しておらねばならぬとは>この>さんにんの>き>せず>していっちした>ろんてんと>みえる。「>それに、>あの迷>ていって>おとこは>よっぽどな>よい>こうじんですね。>やくにも>たたない>うそはっぴゃくを>ならべたてて。>わたしゃ>あんな>へん>てこな>ひとにゃ>そめてあいましたよ」「>ああ>迷>ていですか、>あいかわらず>ほらを>ふくと>みえますね。>やはり>く>さやの>ところで>ごあいに>なった>んですか。>あれに>かかっちゃたまりません。>あれも>むかし>し>じすいの>なかまでしたがあんまりひとを>ばかに>する>ものですからのう>く>けんかを>しましたよ」「>だれだって>いかり>ま>さあね、>あんな>じゃ。>そりゃうそを>つく>のも>むべ>うござん>しょうさ、ね、>ぎりが>あくるいとか、>ばつを>あわせなくっちゃあならないとか――>そんなときには>だれ>しも>こころに>ない>ことを>いう>もんで>さあ。>しかしあの>おとこ>のは>はかなくってすむ>のに>や>たらに>はく>んだからしまつに>りょう>えないじゃありませんか。>なにが>ほしくって、>あんな>でたらめを――>よく>まあ、>しらじらしく>いえると>おもいますよ」「>ごもっともで、>まったくどうらくから>くる>うそだからこまります」「>せっかく>あなた>まじめに>ききに>いった>みずしまの>ことも>めちゃめちゃに>なってしまいました。>わたしゃ>ごうふくで>いまいましくって――>それでもぎりは>ぎりで>さあ、>ひとの>うちへ>ものを>ききに>いってしらんかおの>はんべえも>あんまりですから、>あとで>しゃふに>びーるを>いちだーす>もた>せてやった>んです。>ところがあなた>どうでしょう。>こんなものを>うけとる>りゆうが>ない、>もってかえれって>いう>んだ>そうで。>いえ>おれいだから、>どうか>ごとり>した>さ>いってしゃふが>いったら――>わるく>い>じゃあ>ありませんか、>おれは>じゃむは>まいにち|>なめるがびーるの>ような>にがい>ものは>のんだ>ことがな>いって、>ふいと>おくへ>はいいってしまったって――>いいぐさに>ことを>かいて、>まあ>どうでしょう、>しつれいじゃ>ありませんか」「>そりゃ、>ひどい」と>ごきゃく>さんも>こんどは>ほんきに>苛>いと>かんじたらしい。「>そこできょう>わざわざきみを>まねいた>のだがね」と>しばらくとぎれてかねだ>くんの>こえが>きこえる。「>そんなばか>しゃは>かげから、>からかってさえ>いればすむ>ようなものの、>しょうしょうそれでも>こまる>ことが>ある>じゃて……」と>まぐろの>さしみを>くう>ときのごとく>はげあたまを>ぴちゃぴちゃ>たたく。>もっともわがはいは>椽の>したに>いるからじっさいたたいたか>たたかないか>みえよう>はずが>ないが、>このはげあたまの>おとは>きんらい|>おおいた>聞>なれている。>びくにが>もくぎょの>おとを>ききわける>ごとく、>椽の>したからでも>おと>さえ>たしかであればすぐはげあたまだなと>しゅっしょを>かんていする>ことが>できる。「>そこでちょっときみを>わずらわしたいと>おもってな……」「>わたしに>できます>ことなら>なんでもおえんりょなく>どうか――>こんど>とうきょう>きんむと>いう>ことに>なりました>のも>まったくいろいろごしんぱいを>かけた>けっかに>ほかならん>わけでありますから」と>ごきゃく>さんは>かいよく>かねだ>くんの>いらいを>しょうだくする。>このくちょうで>みるとこの>ごきゃく>さんは>やはり>かねだ>くんの>せわに>なる>ひとと>みえる。>いや>だんだんじけんが>おもしろく>はってんしてくるな、>きょうは>あまりてんきが>むべ>い>ので、>くる>きも>なしに>きた>のであるが、>こういう>こうざいりょうを>えようとは>まったくおもい>かけ>なんだ。>ごひがんに>おてら>まいりを>してぐうぜん|>ほうじょうで>ぼたもちの>ごちそうに>なる>ような>ものだ。>かねだ>くんは>どんなことを>きゃくじんに>いらいするかなと、>椽の>したから>みみを>すまして>きいている。「>あのく>さやと>いう>へんぶつが、>どういう>わけか>みずしまに>はいれ>ちえを>する>ので、>あのかねでんの>むすめを>もらっては>ぎょう>かんなどと>ほのめかす>そうだ――な>あ>はな>こ>そうだな」「>ほのめかす>どころじゃない>んです。>あんな>やつの>むすめを>もらう>ばかが>どこの>くにに>ある>ものか、>かんげつ>くん>けっしてもらっちゃいかん>よっていう>んです」「>あんな>やつとは>なんだ>しっけいな、>そんならんぼうな>ことを>いった>のか」「>いった>どころじゃ>ありません、>ちゃんと>くるまやの>かみ>さんが>しらせに>きてくれた>んです」「>すずき>くん>どうだい、>ご聞の>とおりの>しだい>さ、>ずいぶんやっかいだろうが?」「>こまりますね、>ほかの>ことと>ちがって、>こういう>ことには>たにんが>みだりに>ようかいするべき>はずの>ものではありませんからな。>そのくらいな>ことは>いかな>く>さやでも>こころえている>はずですが。>いったい>どうした>わけな>んでしょう」「>それでの、>きみは>がくせい>じだいから>く>さやと>どうやどを>していて、>いまは>とにかく、>むかしは>しんみつな>あいだがらであった>そうだから>ごいらいする>のだが、>きみ>とうにんに>あってな、>よく>りがいを>さとしてみてくれんか。>なにか>おこっているかも>しれんが、>おこる>のは>むかいが>あくるいからで、>せんぽうが>おとなしく>してさえ>いればいっしんじょうの>べんぎも>じゅうぶん>はかってやるし、>きに>さわ>わる>ような>ことも>やめてやる。>しかしむかいが>むかいなら>こっちも>こっちと>いう>きに>なるからな――>つまりそんな>われを>はる>のは>とうにんの>そんだからな」「>え>え>まったくおっしゃる>とおり>ぐな>ていこうを>する>のは>ほんにんの>そんに>なるばかりで>なにの>えきも>ない>ことですから、>よく>もうしきけましょう」「>それからむすめは>いろいろと>もうし>こみも>ある>ことだから、>かならずみずしまに>やると>きわめる>わけにも>いかんが、>だんだんきいてみると>がくもんも>じんぶつも>わるくもない>ようだから、>もし>とうにんが>べんきょうしてちかい>うちに>はかせにでも>なったら>ある>いは>もらう>ことが>できるかも>しれ>んくらいは>それとなく>ほのめかしても>かまわん」「>そういってやったら>とうにんも>はげみに>なってべんきょうする>ことでしょう。>むべ>しゅう>ございます」「>それから、>あのみょうな>ことだが――>みずしまにも>にあわん>ことだと>おもうが、>あのへんぶつの>く>さやを>せんせい>せんせいと>いってく>さやの>いう>ことは>たいてい>きく>ようすだからこまる。>なに>そりゃなにも>みずしまに>かぎる>わけでは>むろん>ない>のだからく>さやが>なんと>いってじゃまを>しようと、>わしの>ほうは>べつに>さしつかえも>せんが……」「>みずしま>さんが>かわいそうですからね」と>はな>こ>ふじんが>くちを>だす。「>みずしまと>いう>ひとには>あった>こともございませんが、>とにかく>こちらと>ごえんぐみが>できればしょうがいの>こうふくで、>ほんにんは>むろん>いぞんはない>のでしょう」「>ええ>みずしま>さんは>もらいた>がっている>んですが、>く>さやだ>の>迷>ていだ>のって>かわりものが>なにだとか、>かんだとか>いう>ものですから」「>そりゃ、>よくない>ことで、>そうとうの>きょういくの>ある>ものにも>にあわん>しょさですな。>よく>わたしが>く>さやの>ところへ>まいってだんじ>ま>しょう」「>ああ、>どうか、>ごめんどうでも、>ひとつ>ねがいたい。>それからじつはみずしまの>ことも>く>さやが>いちばん|>くわしい>のだがせんだって>つまが>おこなった>ときは>いまの>しまつで>ろくろく>きく>ことも>できなかった>わけだから、>きみから>いま>いちおうほんにんの>せいこう>がくさい>とうを>よく>きいてもらいたいて」「>かしこまりました。>きょうは>どようですからこれからめぐったら、>もう>かえっておりましょう。>ちかごろは>どこに>すんでおりますか>しらん」「>ここの>まえを>みぎへ>つきあたって、>ひだりへ>いちちょうばかり>いくと>くずれ>かかった>くろ>へいの>ある>うちです」と>はな>こが>おしえる。「>それじゃ、>つい>きんじょですな。>わけは>ありません。>かえりに>ちょっとよってみましょう。>なあに、>だいたい>わかりましょう>ひょうさつを>みれば」「>ひょうさつは>ある>ときと、>ない>ときと>ありますよ。>めいしを>ご饌>つぶで>もんへ>はり>つける>のでしょう。>あめが>ふると>はがれてしまいましょう。>するとごてんきの>ひに>またはり>つける>のです。>だからひょうさつは>とうにゃ>なりませんよ。>あんな>めんどうくさい>ことを>するより>せめて>きふだでも>かけたら>よ>さ>そうな>もんですがねえ。>ほんとうに>どこまでも>きの>しれない>ひとですよ」「>どうも>おどろきます>な。>しかしくずれた>くろ>へいの>うちと>きいたら>たいがい>わかるでしょう」「>ええ>あんな>きたな>ない>うちは>ちょうないに>いちけんしか>ないから、>すぐわかりますよ。>あ、>そうそう>それで>わからなければ、>よい>ことが>ある。>なにでも>やねに>くさが>はえた>うちを>さがしていけばまちがっ>こありませんよ」「>よほど>とくしょくの>ある>いえで>すな>あはははは」 >すずき>くんが>ごこうらいに>なる>まえに>かえらないと、>すこしつごうが>わるい。>だんわも>これだけ>きけばだいじょうぶ>だくさんである。>椽の>したを>つたわってせっちんを>にしへ>めぐってつきやまの>かげから>おうらいへ>でて、>いそぎあしで>やねに>くさの>はえている>うちへ>かえってきてなに>くわぬ>かおを>してざしきの>椽へ>めぐる。 >しゅじんは>椽>がわへ>しろ>もうふを>しいて、>はら>這に>なってうららかな>しゅんじつに>こうらを>ほしている。>たいようの>こうせんは>ぞんがい>こうへいな>もので>やねに>ぺんぺんぐさの>もくひょうの>ある>陋>やでも、>かねだ>くんの>きゃくまのごとく>ようきに>あたたか>そうであるが、>きのどくな>ことには>もうふだけが>はるらしく>ない。>せいぞうもとでは>しろの>つもりで>おり>だして、>とうぶつ>やでも>しろの>きで>うりさばいたのみ>ならず、>しゅじんも>しろと>いう>ちゅうもんで>かってきた>のであるが――>なにしろ>じゅうに>さんねん>いぜんの>ことだからしろの>じだいは>とくに>とおりこしてただいまは>こ>はいいろ>なる>へんしょくの>じきに>そうぐうしつつある。>このじきを>けいかしてたの>あんこく>しょくに>ばけるまで>もうふの>いのちが>つづくか>どうだかは、>ぎもんである。>いまでも>すでに>まんへん>なく>すりきれて、>たて>よこの>すじは>あきらかに>よま>れるくらいだから、>もうふと>しょうする>のは>もはやせんじょうの>さたであって、>けの>じは>はぶいてたんに>っ>ととでも>もうす>のが>てきとうである。>しかししゅじんの>かんがえでは>いちねん>もち、>にねん>もち、>ごねん>もち>じゅうねん>もった>いじょうは>しょうがい>もたねばならぬと>おもっているらしい。>ずいぶん|>のんきな>ことである。>さてその>いんねんの>ある>もうふの>うえへ>まえ>もうす>とおり>はら>這に>なってなにを>しているかと>おもうとりょうてで>でばった>顋を>ささえて、>みぎての>ゆびの>こに>まきたばこを>はさんでいる。>ただそれだけである。>もっともかれが>ふけ>だらけの>あたまの>うらには>うちゅうの>だいしんりが>ひのくるまのごとく>かいてんしつつあるかも>しれないが、>がいぶから>はいけんした>ところでは、>そんなこととは>ゆめにも>おもえない。 >たばこの>ひは>だんだんすいくちの>ほうへ>逼って、>いっすんばかり>もえ>つくした>はいの>ぼうが>ぱたりと>もうふの>うえに>おつ>る>のも>かまわず>しゅじんは>いっしょうけんめいに>たばこから>たちのぼる>けむりの>ぎょうまつを>みつめている。>そのけむりは>しゅんぷうに>うきつ>しずみつ、>ながれる>わを>いくえにも>えがいて、>むらさき>ふかき>さいくんの>せんぱつの>こんぽんへ>ふき>よせつつある。――>おや、>さいくんの>ことを>はなしておく>はずだった。>わすれていた。 >さいくんは>しゅじんに>しりを>むけて――>なに>しつれいな>さいくんだ? >べつに>しつれいな>ことは>ないさ。>れいも>ひれいも>そうごの>かいしゃくしだいで>どうでも>なる>ことだ。>しゅじんは>へいきで>さいくんの>しりの>ところへ>ほおづえを>つき、>さいくんは>へいきで>しゅじんの>かおの>さきへ>そうごんなる>しりを>すえたまでの>ことで>ぶれいも>へちまも>ない>のである。>ごりょうにんは>けっこんご>いちかねんも>たたぬ>あいだに>れいぎ>さほうなどと>きゅうくつな>きょうぐうを>だっきゃくせら>れた>ちょうぜん>てき>ふうふである。――>さてかくのごとく>しゅじんに>しりを>むけた>さいくんは>どういう>りょうけんか、>きょうの>てんきに>じょうじて、>しゃくに>あまる>みどりの>くろかみを、>ふすま>のりと>なまたまごで>ごしごし>せんたくせら>れた>ものと>みえてくせの>ない>やっこを、>みよが>しに>かたから>せへ>ふりかけて、>むごんの>まま>しょうともの>そで>なしを>ねっしんに>ぬっている。>じつはその>せんぱつを>かわかす>ために>とうちりめんの>ふとんと>はりばこを>椽>がわへ>だして、>うやうやしく>しゅじんに>しりを>むけた>のである。>あるいはしゅじんの>ほうで>しりの>ある>けんとうへ>かおを>もってきた>のかも>しれない。>そこでせんこく>ごはなししを>した>たばこの>けむりが、>ゆたかに>なびく>くろかみの>あいだに>ながれ>ながれて、>とき>ならぬ>かげろうの>もえる>ところを>しゅじんは>よねんも>なく>ながめている。>しかしながらけむりは>かたより>いっしょに>とま>まるものではない、>そのせいしつとして>うえへ>うえへと>たち>のぼる>のだからしゅじんの>めも>このけむりの>かみ>けと>もつれ>あう>きかんを>おちなく>みようと>すれば、>ぜひとも>めを>うごかさなければならない。>しゅじんは>まず>こしの>あたりから>かんさつを>はじめてじょじょと>せなかを>つたって、>かたから>頸>すじに>かかったが、>それを>とおりすぎてようよう>のうてんに>たっした>とき、>おぼえず>あっと>おどろいた。――>しゅじんが>かいろうどうけつを>ちぎった>ふじんの>のうてんの>まんなかには>まんまるな>おおきなかむろが>ある。>しかもその>かむろが>あたたかい>にっこうを>はんしゃして、>いまや>ときを>え>かおに>かがやいている。>おもわざる>へんに>このふしぎな>だいはっけんを>なした>ときの>しゅじんの>めは>まばゆ>ゆい>ちゅうに>じゅうぶんの>おどろきを>しめして、>はげしい>こうせんで>どうこうの>ひらく>のも>かまわず>いっしんふらんに>みつめている。>しゅじんが>このかむろを>みた>とき、>だいはじめ>かれの>のうりに>うかんだ>のは>かのいえ>でんらいの>ぶつだんに>いくよと>なく>かざりつけ>られ>たる>ごとうみょう>さらである。>かれの>いっかは>しんしゅうで、>しんしゅうでは>ぶつだんに>みぶん>ふそうおうな>きんを>かける>のが>これいである。>しゅじんは>ようしょうの>とき>そのいえの>くらの>なかに、>うすぐらく>かざりつけ>られ>たる>きんぱく>あつき>ずしが>あって、>そのずしの>なかには>いつでも>しんちゅうの>とうみょう>さらが>ぶら>くだって、>そのとうみょう>さらには>ひるでも>ぼんやりした>あかりが>ついていた>ことを>きおくしている。>しゅういが>くらい>なかに>このとうみょう>さらが>ひかくてき>めいりょうに>てるや>いていたのでしょうとも>こころに>このあかりを>なんへんと>なく>みた>ときの>いんしょうが>さいくんの>かむろに>よび>おこさ>れてとつぜんとびだした>ものであろう。>とうみょう>さらは>いちふん>たたぬ>あいだに>きえた。>このたびは>かんのん>さまの>はとの>ことを>おもいだす。>かんのん>さまの>はとと>さいくんの>かむろとは>なんらの>かんけいもない>ようであるが、>しゅじんの>あたまでは>ふたつの>あいだに>みっせつな>れんそうが>ある。>おなじく>しょうともの>じぶんに>あさくさへ>いくとかならずはとに>まめを>かってやった。>まめは>いちさらが>ぶんきゅう>ふたつで、>あかい>どきへ>はいいっていた。>そのどきが、>いろと>いい>だいさと>いい>このかむろに>よく>にている。「>なるほど>にているな」と>しゅじんが、>さも>かんしんしたらしく>いうと「>なに>がです」と>さいくんは>みむきも>しない。「>なにだって、>おまえの>あたまにゃ>おおきなかむろが>あるぜ。>しっ>てるか」「>ええ」と>さいくんは>いぜんとして>しごとの>てを>やめずに>こたえる。>べつだんろけんを>おそれた>ようすも>ない。>ちょうぜんたるもはん>さいくんである。「>よめに>くる>ときから>ある>のか、>けっこんご>あらたに>できた>のか」と>しゅじんが>きく。>もし>よめに>くる>まえから>はげているなら>欺>さ>れた>のであると>くちへは>ださないがこころの>なかで>おもう。「>いつ>できた>んだか>おぼえ>ちゃいません>わ、>かむろな>ん>ざ>どうだって>むべ>いじゃ>ありませんか」と>だいに>さとった>ものである。「>どうだって>むべ>いって、>じぶんの>あたまじゃないか」と>しゅじんは>しょうしょうどきを>おびている。「>じぶんの>あたまだから、>どうだって>むべ>いんだわ」と>いったが、>さすが>すこしは>きに>なると>みえて、>みぎの>てを>あたまに>のせて、>くるくる>かむろを>なでてみる。「>おや>だいぶ>おおきく>なった>こと、>こんなじゃないと>おもっていた」と>いった>ところをもって>みると、>としに>あわしてかむろが>あまりおおき>すぎると>いう>ことを>ようやく>じかくしたらしい。「>おんなは>まげに>ゆうと、>ここが>つれますからだれでも>はげる>んですわ」と>すこしく>べんごし>だす。「>そんなそくどで、>みんな>はげたら、>よんじゅうくらいに>なれば、>から>やかんばかり>できなければならん。>そりゃびょうきに>ちがいない。>でんせんするかも>しれん、>いまの>うち>はやくあまぎ>さんに>みてもらえ」と>しゅじんは>しきりに>じぶんの>あたまを>なで>まわしてみる。「>そんなに>ひとの>ことを>おっしゃるが、>あなただって>はなの>あなへ>はくはつが>はえ>てるじゃ>ありませんか。>かむろが>でんせんするなら>はくはつだって>でんせんし>ますわ」と>さいくん>しょうしょうぷりぷり>する。「>はなの>なかの>はくはつは>みえんからがいはないが、>のうてんが――>ことに>わかい>おんなの>のうてんが>そんなに>はげちゃみぐるしい。>ふぐだ」「>ふぐなら、>なぜごもらいに>なった>のです。>ごじぶんが>すきで>もらっておいてふぐだなんて……」「>しらなかった>から>さ。>まったくきょうまで>しらなかった>んだ。>そんなに>いばるなら、>なぜよめに>くる>とき>あたまを>みせなかった>んだ」「>ばかな>ことを! >どこの>くにに>あたまの>しけんを>してきゅうだいしたら>よめに>くるなんて、>ものが>ある>もんですか」「>かむろは>まあ>がまんも>するが、>おまえは>せ>いが>ひとなみ|>はずれてひくい。>はなはだ>みぐるしくていかん」「>せ>いは>みればすぐわかるじゃ>ありませんか、>せの>ひくい>のは>さいしょから>しょうちで>ごもらいに>なった>んじゃ>ありませんか」「>それは>しょうちさ、>しょうちには>そういないがまだのびるかと>おもったからもらった>の>さ」「>にじゅうにも>なってせ>いが>のびるなんて――>あなたも>よっぽど>じんを>ばかに>なさるのね」と>さいくんは>そで>なしを>ほうりだしてしゅじんの>ほうに>ねじ>むく。>へんとうしだいでは>そのぶんには>すまさんと>いう>けんまくである。「>にじゅうに>なったって>せ>いが>のびてならんと>いう>ほうはあるまい。>よめに>きてから>じよう>ぶんでも>くわしたら、>すこしは>のびる>みこみが>あると>おもった>んだ」と>まじめな>かおを>してみょうな>りくつを>のべていると>かどぐちの>べるが>ぜい>よく>なり>たててたのむと>いう>おおきなこえが>する。>いよいよ>すずき>くんが>ぺんぺんぐさを>もくてきに>く>さや>せんせいの>がりょう>窟を>たずね>あてたと>みえる。 >さいくんは>けんかを>ごじつに>ゆずって、>そうこう>はりばこと>そで>なしを>かかえてちゃのまへ>にげこむ。>しゅじんは>ねずみいろの>もうふを>まるめてしょさいへ>なげこむ。>やがて>げじょが>もってきた>めいしを>みて、>しゅじんは>ちょっとおどろき>ろ>いた>ような>かお>づけであったが、>こちらへ>ごとおし>もうしてと>いい>すてて、>めいしを>にぎった>まま>こうかへ>はいいった。>なにの>ために>こうかへ>きゅうに>はいいったか>いっこう>ようりょうを>えん、>なにの>ために>すずき>とうじゅうろう>くんの>めいしを>こうかまで>もっていった>のか>なおさらせつめいに>くるしむ。>とにかく>めいわくな>のは>くさい>ところへ>ずいこうを>めいぜ>られた>めいし>くんである。 >げじょが>さらさの>ざぶとんを>ゆかの>まえへ>なおして、>どうぞ>これへと>ひきさがった、>あとで、>すずき>くんは>いちおうしつないを>み>まわり>わ>す。>ゆかに>かけた>はな>ひらき>ばんこく>はると>ある>き>菴の>にせものや、>きょう>せいの>やすせいじに>いけた>ひがんざくらなどを>いちいち>じゅんばんに>てんけんした>あとで、>ふと>げじょの>すすめた>ふとんの>うえを>みるといつのまにか>いち|>疋の>ねこが>すましてすわっている。>もうすまでも>なく>それは>かく>もうす>わがはいである。>このとき>すずき>くんの>むねの>うちに>ちょっとの>あいだ>かおいろにも>でぬ>ほどの>ふうはが>たった。>このふとんは>うたがいも>なく>すずき>くんの>ために>しか>れた>ものである。>じぶんの>ために>しか>れた>ふとんの>うえに>じぶんが>のらぬ>さきから、>ことわりも>なく>みょうな>どうぶつが>へいぜんと>そんきょしている。>これが>すずき>くんの>こころの>へいきんを>やぶる>だいいちの>じょうけんである。>もし>このふとんが>すすめ>られた>まま、>おも>なく>してしゅんぷうの>ふくに>まかせてあったなら、>すずき>くんは>わざと>けんそんの>いを>あらわして、>しゅじんが>さあどうぞと>いうまでは>かたい>たたみの>うえで>がまんしていたかも>しれない。>しかしそうばん>じぶんの>しょゆうすべき>ふとんの>うえに>あいさつも>なく>のった>ものは>だれであろう。>にんげんなら>ゆずる>ことも>あろうがねことは>あやしからん。>のりてが>ねこであると>いう>のが>いちだんと>ふゆかいを>かんぜ>しめる。>これが>すずき>くんの>こころの>へいきんを>やぶる>だいにの>じょうけんである。>さいごに>そのねこの>たいどが>もっとも>しゃくに>さわる。>すこしは>きのどく>そうにでも>している>ことか、>のる>けんりも>ない>ふとんの>うえに、>ごうぜんと>かまえて、>まるい>ぶあいきょうな>めを>ぱちつかせて、>おまえは>だれ>だいと>いわぬ>ば>かりに>すずき>くんの>かおを>みつめている。>これが>へいきんを>はかいする>だいさんの>じょうけんである。>これほど>ふへいが>あるなら、>わがはいの>頸>ねっこを>とらえてひきずり>おろしたら>むべ>さそうな>ものだが、>すずき>くんは>だまってみている。>どうどうたるにんげんが>ねこに>おそれててだしを>せぬと>いう>ことは>あろう>はずが>ないのに、>なぜはやく>わがはいを>しょぶんしてじぶんの>ふへいを>もらさないかと>いうと、>これは>まったくすずき>くんが>いちこの>にんげんとして>じこの>たいめんを>いじする>じじゅう>こころの>ゆえであると>さっせらるる。>もし>わんりょくに>うったえたなら>さんじゃくの>どうじも>わがはいを>じゆうに>じょうげし>えるであろうが、>たいめんを>おもんずる>てんより>かんがえるといかに>かねだ>くんの>ここう>たる>すずき>とうじゅうろう>そのひとも>この>にしゃく>しほうの>まんなかに>ちんざまします>ねこ>だいみょうじんを>いかがとも>する>ことが>できぬ>のである。>いかに>ひとの>みていぬ>ばしょでも、>ねこと>ざせき>あらそいを>したと>あっては>いささか>にんげんの>いげんにかんする。>まじめに>ねこを>あいてに>してきょくちょくを>あらそう>のは>いかにも>おとなげない。>こっけいである。>このふめいよを>さける>ためには>たしょうの>ふべんは>しのばねばならぬ。>しかししのばねばならぬ>だけ>それだけねこにたいする>ぞうおの>ねんは>ます>わけであるから、>すずき>くんは>ときどき>わがはいの>かおを>みては>にがい>かおを>する。>わがはいは>すずき>くんの>ふへいな>かおを>はいけんする>のが>おもしろいからこっけいの>ねんを>おさえてなるべくなに>くわぬ>かおを>している。 >わがはいと>すずき>くんの>あいだに、>かくのごとき>むごん>げきが>おこなわ>れつつある>あいだに>しゅじんは>えもんを>つくろってこうかから>でてきて「>やあ」と>せきに>ついたが、>てに>もっていた>めいしの>かげさえ>みえぬ>ところをもって>みると、>すずき>とうじゅうろう>くんの>なまえは>くさい>ところへ>むき>とけいに>しょせ>られた>ものと>みえる。>めいしこそ>とんだ>わざわい>うんに>さいかいした>ものだと>おもう>まもなく、>しゅじんは>このやろうと>わがはいの>えりが>みを>つかんで>えいとばかりに>椽>がわへ>擲>きつけた。「>さあ>しき>たまえ。>ちん>ら>しいな。>いつ>とうきょうへ>でてきた」と>しゅじんは>きゅうゆうに>むかってふとんを>すすめる。>すずき>くんは>ちょっとこれを>うらがえした>うえで、>それへ>すわる。「>つい>まだ忙が>しい>ものだからほうちも>しなかったが、>じつはこの>あいだから>とうきょうの>ほんしゃの>ほうへ>かえる>ように>なってね……」「>それは>けっこうだ、>だいぶ>ながく>あわなかったな。>きみが>いなかへ>おこなってから、>はじめて>じゃないか」「>うん、>もう>じゅうねん>ちかくに>なるね。>なに>そのご>ときどき>とうきょうへは>でてくる>ことも>ある>んだが、>つい>ようじが>おおい>もんだから、>いつでも>しっけいする>ような>わけ>さ。>わる>る>く>おもってくれた>もうな。>かいしゃの>ほうは>きみの>しょくぎょうとは>ちがってずいぶん忙が>し>いんだから」「>じゅうねん>たつ>うちには>だいぶ>ちがう>もんだな」と>しゅじんは>すずき>くんを>みあげたり>みおろしたり>している。>すずき>くんは>あたまを>びれいに>わけて、>えいこく>したての>とうぃーどを>きて、>はでな>えりかざりを>して、>むねに>きむ>くさり>りさ>え>ぴか>つか>せている>ていさい、>どうしても>く>さや>くんの>きゅうゆうとは>おもえない。「>うん、>こんなものまで>ぶらさげなくちゃ、>ならんよ>うに>なってね」と>すずき>くんは>しきりに>きん>くさりりを>きに>してみせる。「>そりゃほんもの>かい」と>しゅじんは>ぶさほうな>しつもんを>かける。「>じゅうはち>きんだよ」と>すずき>くんは>わらいながらこたえたが「>きみも>おおいた>としを>とったね。>たしか>しょうともが>ある>はずだったが>いちにん>かい」「>いいや」「>ににん?」「>いいや」「>まだある>のか、>じゃ>さんにんか」「>うん>さんにん>ある。>このさき|>いくにん>できるか>わからん」「>そう>かわらず>きらくな>ことを>いっ>てるぜ。>いちばん>おおきい>のは>いくつに>なるかね、>もう>よっぽどだろう」「>うん、>いくつか>のう>く>しらんがおおかた>むっつか、>ななつかだろう」「>ははは>きょうしは>のんきで>いいな。>ぼくも>きょういんにでも>なればよかった」「>なってみ>ろ、>さんにちで>いやに>なるから」「>そうかな、>なんだか>じょうひんで、>きらくで、>かんかが>あって、>すきな>べんきょうが>できて、>よ>さ>そうじゃないか。>じつぎょう>かも>わるくも>ないがわれわれの>うちは>だめだ。>じつぎょう>かに>なるなら>ずっと>うえに>ならなくっちゃいかん。>したの>ほうに>なるとやはり>つまらん>ごせじを>ふりまいたり、>こうかん>ちょこを>いただきに>でたり>ずい>ぶん|>ぐな>もんだよ」「>ぼくは>じつぎょう>かは>がっこう>じだいから>だいいやだ。>きんさえ>とれればなんでもする、>むかしで>いえばもと>ちょうにんだからな」と>じつぎょう>かを>まえに>ひかえてたいへいらくを>ならべる。「>まさか――>そうば>かりも>うん>えんがね、>すこしは>げひんな>ところも>ある>の>さ、>とにかく>きんと>じょうしを>する>かくごでなければやり>とおせないから――>ところがその>きんと>いう>やつが>くせもので、――>いまも>ある>じつぎょう>かの>ところへ>おこなってきいてきた>んだが、>きんを>つくるにも>さんかく>じゅつを>つかわなくちゃいけないと>いう>の>さ――>ぎりを>かく、>にんじょうを>かく、>はじを>かく>これで>さんかくに>なる>そうだおもしろいじゃないか>あはははは」「>だれだ>そんなばかは」「>ばかじゃない、>なかなかりこうな>おとこ>なんだよ、>じつぎょう>かいで>ちょっとゆうめいだがね、>きみ>しらんか>しら、>つい>このさきの>よこちょうに>いる>んだが」「>かなだか? >なに>んだ>あんなやっこ」「>たいへん>おこっ>てるね。>なあに、>そりゃ、>ほんのじょうだんだろうがね、>そのくらいに>せんと>きんは>たまらんと>いう>喩さ。>きみの>ように>そうまじめに>かいしゃくしちゃこまる」「>さんかく>じゅつは>じょうだんでも>いいが、>あすこの>にょうぼうの>はなは>なんだ。>きみ>おこなった>んなら>みてきたろう、>あのはなを」「>さいくんか、>さいくんは>なかなかさばけた>ひとだ」「>はなだよ、>おおきなはなの>ことを>いっ>てる>んだ。>せんだって>ぼくは>あのはなについて>俳>からだ>しを>つくったがね」「>なんだ>い>俳>からだ>しと>いう>のは」「>俳>からだ>しを>しらない>のか、>きみも>ずいぶんじせいに>くらいな」「>ああ>ぼくの>ように>忙が>し>いと>ぶんがくなどは>とうてい>だめ>さ。>それにいぜんから>あまりすうきでない>ほうだから」「>きみ>しゃーれ>まんの>はなの>かっこうを>しっ>てるか」「>あはははは>ずいぶんきらくだな。>しらんよ」「>える>りん>とんは>ぶかの>ものから>はな々と>いみょうを>つけ>られていた。>きみ>しっ>てるか」「>はなの>ことばかり>きに>して、>どうした>ん>だい。>よいじゃないか>はなな>んか>まるくても>とがん>がっ>てても」「>けっして>そうでない。>きみ>ぱすかるの>ことを>しっ>てるか」「>またしっ>てるかか、>まるで>しけんを>うけに>きた>ような>ものだ。>ぱすかるが>どうした>ん>だい」「>ぱすかるが>こんなことを>いっている」「>どんなことを」「>もし>くれおぱとらの>はなが>すこしたん>かかったならばせかいの>ひょうめんに>たいへん>かを>きたしたろうと」「>なるほど」「>それだからきみの>ように>そうむぞうさに>はなを>ばかに>しては>いかん」「>まあ>いい>さ、>これからだいじに>するから。>そりゃそうと>して、>きょう>きた>のは、>すこしきみに>ようじが>あってきた>んだがね――>あのはじめ>くんの>おしえたとか>いう、>みずしま――>ええ>みず>しま>え>え>ちょっとおもいだせない。――>そら>きみの>ところへ>しじゅうくると>いうじゃないか」「>かんげつか」「>そうそう>かんげつ>かんげつ。>あのひとの>ことについて>ちょっとききたい>ことが>あってきた>んだがね」「>けっこんじけんじゃないか」「>まあ>たしょうそれに>るいじの>こと>さ。>きょう>かねでんへ>おこなったら……」「>このまはなが>じぶんで>きた」「>そうか。>そうだって、>さいくんも>そういっていたよ。>く>さや>さんに、>よく>うかがおうと>おもってのぼったら、>あいにく>迷>ていが>きていてちゃちゃを>いれてなにが>なんだか>わからなく>してしまったって」「>あんな>はなを>つけてくるからあく>るいや」「>いえきみの>ことを>いう>んじゃないよ。>あの迷>てい>くんが>おった>もんだから、>そうたちいった>ことを>きく>わけにも>いかなかったのでざんねんだったから、>もう>いっぺん>ぼくに>いってよく>きいてきてくれないかって>たのま>れた>ものだからね。>ぼくも>いままで>こんなせわは>した>ことはないが、>もし>とうにん>どうしが>いや>やでないなら>ちゅうへ>たってまとめる>のも、>けっして>わるい>ことはないからね――>それで>やってきた>の>さ」「>ごくろう>さま」と>しゅじんは>れいたんに>こたえたが、>はらの>うちでは>とうにん>どうしと>いう>かたりを>きいて、>どういう>わけか>わからんが、>ちょっとこころを>うごかした>のである。>むし>あつい>なつの>よるに>いちるの>れいふうが>そでぐちを>もぐった>ような>きぶんに>なる。>がんらい>このしゅじんは>ぶっ>きら>ぼうの、>がんこ>こうたく>けしを>むねとして>せいぞうさ>れた>おとこであるが、>さればと>いってれいこく>ふにんじょうな>ぶんめいの>さんぶつとは>じから>そのせんを>ことに>している。>かれが>なぞと>いうと、>むかっぱらを>たててぷんぷん>する>のでも>這>うらの>しょうそくは>えとくできる。>せんじつ>はなと>けんかを>した>のは>はなが>きに>くわぬからで>はなの>むすめには>なにの>つみも>ない>はなししである。>じつぎょう>かは>きらいだから、>じつぎょう>かの>かたわれ>なる>かねでん>ぼうも>いやに>そういないがこれも>むすめ>そのひととは>ぼっこうしょうの>さたと>いわねばならぬ。>むすめには>おんも>うらみも>なくて、>かんげつは>じぶんが>みの>おとうとよりも>あいしている>もんかせいである。>もし>すずき>くんの>いう>ごとく、>とうにん>どうしが>すいた>なかなら、>かんせつにも>これを>ぼうがいする>のは>くんしの>なすべき>しょさでない。――>く>さや>せんせいは>これでも>じぶんを>くんしと>おもっている。――>もし>とうにん>どうしが>すいているなら――>しかしそれが>もんだいである。>このじけんにたいして>じこの>たいどを>あらためるには、>まず>そのしんそうから>確>め>なければならん。「>きみ>そのむすめは>かんげつの>ところへ>らいたがっ>てる>のか。>かねでんや>はなは>どうでも>かまわんが、>むすめ>じしんの>いこうは>どうなんだ」「>そりゃ、>その――>なにだね――>なんでも――>え、>らいたがっ>てる>んだろうじゃないか」>すずき>くんの>あいさつは>しょうしょう|>あいまいである。>じつはかんげつ>くんの>ことだけ>きいてふくめいさえ>すればいい>つもりで、>ごじょう>さんの>いこうまでは>たしかめてこなかった>のである。>したがってえんてん|>かつだつの>すずき>くんも>ちょっとろうばいの>きみに>みえる。「だろ>うた>はんぜんしない>ことばだ」と>しゅじんは>なにごとに>よらず、>しょうめんから、>どやし>つけないと>きが>すまない。「>いや、>これ>ゃ>ちょっとぼくの>いい>ようが>わるかった。>れいじょうの>ほうでも>たしかに>いが>ある>んだよ。>いえ>まったくだよ――>え?――>さいくんが>ぼくに>そういったよ。>なにでも>ときどきは>かんげつ>くんの>わるぐちを>いう>ことも>ある>そうだがね」「>あのむすめがか」「>ああ」「>あやしからん>やつだ、>わるぐちを>いうなんて。>だいはじめ>それじゃかんげつに>いが>ない>んじゃないか」「>そこが>さ、>よのなかは>みょうな>もので、>じぶんの>すいている>ひとの>わるぐちなどは>ことさら>いってみる>ことも>あるからね」「>そんなぐな>やっこが>どこの>くにに>いる>ものか」と>しゅじんは>かような>にんじょうの>きびに>たちいった>ことを>いわ>れても>とみと>かんじが>ない。「>そのぐな>やっこが>ずいぶんよのなかにゃ>あるからしかたが>ない。>げんに>かねでんの>さいくんも>そうかいしゃくしている>の>さ。>とまどいを>した>へちまの>ようだなんて、>ときどき>かんげつ>さんの>わるぐちを>いいますから、>よっぽど>こころの>なかでは>おもっ>てるに>そういありませんと」 >しゅじんは>このふかしぎな>かいしゃくを>きいて、>あまりおもい>かけない>ものだから、>めを>まるく>して、>へんとうも>せず、>すずき>くんの>かおを、>おおみち>えきしゃの>ように>眤と>みつめている。>すずき>くんは>こいつ、>このようすでは、>ことに>よると>やり>そこなうなと>かん>づいたと>みえて、>しゅじんにも>はんだんの>でき>そうな>ほうめんへと>わとうを>うつす。「>きみ>かんがえても>わかるじゃないか、>あれだけの>ざいさんが>あってあれだけの>きりょうなら、>どこ>へだって>そうおうの>いえへ>やれるだろうじゃないか。>かんげつだって>えらいかも>しれんがみぶんから>うん>や――>いやみぶんと>いっちゃしつれいかも>しれない。――>ざいさんと>いう>てんから>うんや、>まあ、>だれが>みたって>つりあわん>のだからね。>それを>ぼくが>わざわざしゅっちょうするくらい>りょうしんが>きを>もん>でる>のは>ほんにんが>かんげつ>くんに>いが>あるからの>こと>じゃあ>ないか」と>すずき>くんは>なかなかうまい>りくつを>つけてせつめいを>あたえる。>こんどは>しゅじんにも>なっとくが>できたらしい>ので>ようやく>あんしんしたが、>こんなところに>まごまごしているとまたとっかんを>くう>きけんが>あるから、>はやく>はなしの>ふを>すすめて、>いっこくも>はやく>しめいを>かん>う>する>ほうが>ばんぜんの>さくと>こころづいた。「>それでね。>いま>いう>とおりの>わけであるから、>せんぽうで>いうには>なにも>きんせんや>ざいさんは>いらんからその>かわり>とうにんに>ふぞくした>しかくが>ほしい――>しかくと>いうと、>まあ>かたがきだね、――>はかせに>なったら>やっても>いいなんて>いばっ>てる>しだいじゃない――>ごかいしちゃいかん。>せんだって>さいくんの>きた>ときは>迷>てい>くんが>いてみょうな>ことばかり>いう>ものだから――>いえ>くんが>わるい>のじゃない。>さいくんも>きみの>ことを>ごせじの>ない>しょうじきな>いい>ほうだと>しょう>めていたよ。>まったく迷>てい>くんが>わるかった>んだろう。――>それでさ>ほんにんが>はかせにでも>なってくれればせんぽうでも>せけんへ>たいしてかたみが>ひろい、>めんぼくが>あると>いう>んだがね、>どうだろう、>ちかぢかの>うちみずしま>くんは>はかせ>ろんぶんでも>ていしゅつして、>はかせの>がくいを>うける>ような>はこびには>いくまいか。>なあに――>かねでんだけなら>はかせも>がくしも>いらん>の>さ、>ただせけんと>いう>ものが>あるとね、>そうてがるにも>いかんからな」 >こういわ>れてみると、>せんぽうで>はかせを>せいきゅうする>のも、>あながち>むりでもない>ように>おもわ>れてくる。>むりではない>ように>おもわ>れてくれば、>すずき>くんの>いらいどおりに>してやりたく>なる。>しゅじんを>いかす>のも>ころす>のも>すずき>くんの>いの>ままである。>なるほど>しゅじんは>たんじゅんで>しょうじきな>おとこだ。「>それじゃ、>こんど>かんげつが>きたら、>はかせ>ろんぶんを>かく>ように>ぼくから>すすめてみよう。>しかしとうにんが>かねでんの>むすめを>もらう>つもりか>どうだか、>それからまず>とい>ただしてみなくちゃいかんからな」「>とい>ただすなんて、>きみ>そんなかくばった>ことを>してものが>まとまる>ものじゃない。>やっぱり>ふつうの>だんわの>さいに>それとなく>きを>ひいてみる>のが>いちばん>ちかみちだよ」「>きを>ひいてみる?」「>うん、>きを>ひくと>いうとごへいが>あるかも>しれん。――>なに>きを>ひかんでもね。>はなしを>していると>しぜん>わかる>もんだよ」「>くんにゃ>わかるかも>しれんが、>しもべにゃ>はんぜんと>きかん>ことは>わからん」「>わからなけりゃ、>まあ>よいさ。>しかし迷>てい>きみ>みた>ように>よけいな>ちゃちゃを>いれてうち>壊>わ>す>のは>よくないと>おもう。>たとえ>すすめないまでも、>こんなことは>ほんにんの>ずいいに>すべき>はずの>ものだからね。>こんど>かんげつ>くんが>きたら>なるべく>どうか>じゃまを>しない>ように>してくれ>たまえ。――>いえ>くんの>ことじゃない、>あの迷>てい>くんの>こと>さ。>あのおとこの>くちに>かかるととうてい>たすかり>っ>こない>んだから」と>しゅじんの>だいりに>迷>ていの>わるぐちを>きいていると、>うわさを>すればかげの>喩に>もれず>迷>てい>せんせい>れいのごとく>かってぐちから>ひょうぜんと>しゅんぷうに>じょうじてまいこんでくる。「>いやー>ちんきゃくだね。>ぼくの>ような>狎>きゃくに>なるとく>さやは>とかく>そりゃくに>した>がっていかん。>なにでも>く>さやの>うちへは>じゅうねんに>いっぺんくらい>くるに>かぎる。>このかしは>いつも>より>じょうとうじゃないか」と>ふじむらの>ようかんを>むぞうさに>ほおばる。>すずき>くんは>もじもじ>している。>しゅじんは>にやにや>している。>迷>ていは>くちをもが>もが>さ>している。>わがはいは>このしゅんじの>こうけいを>椽>がわから>はいけんしてむごん>げきと>いう>ものは>ゆうに>せいりつし>えると>おもった。>ぜんけで>むごんの>もんどうを>やる>のが>いしんでんしんで>あるなら、>このむごんの>しばいも>あきらかに>いしんでんしんの>まくである。>すこぶる>たん>かい>けれどもすこぶる>するど>どい>まくである。「>きみは>いっしょう|>たびがらすかと>おもっ>てたら、>いつのまにか>まいもどったね。>ちょうせいは>したい>もんだな。>どんなぎょうこうに>めぐり>あわんとも>かぎらんからね」と>迷>ていは>すずき>くんにたいしても>しゅじんにたいする>ごとく>ごうも>えんりょと>いう>ことを>しらぬ。>いかに>じすいの>なかまでも>じゅうねんも>あわなければ、>なんとなく>きの>おける>ものだが迷>てい>くんに>かぎって、>そんなもと>ふも>みえぬ>のは、>えらい>のだか>ばかな>のか>ちょっとけんとうが>つかぬ。「>かわいそうに、>そんなに>ばかに>した>ものでもない」と>すずき>くんは>あたらず>さわらずの>へんじは>したが、>なんとなく>おちつき>かねて、>れいの>きむ>くさりを>しんけい>てきに>いじっている。「>きみ>でんき>てつどうへ>のったか」と>しゅじんは>とつぜんすずき>くんにたいして>きもんを>はっする。「>きょうは>しょくんから>ひやかさ>れ>に>きた>ような>ものだ。>なんぼいなかものだって――>これでも>まち>てつを>ろくじゅう>かぶもっ>てるよ」「>そりゃばかに>できないな。>ぼくは>はちひゃく>はちじゅう>はちかぶ>はん>もっていたが、>おしい>ことに>おおかた>むしが>くってしまって、>いまじゃ>はん>かぶばかり>しかない。>もうすこしはやく>きみが>とうきょうへ>でてくれば、>むしの>くわない>ところを>じゅうかぶばかり>やる>ところだったがおしい>ことを>した」「>そう>かわらず>くちが>あくるい。>しかしじょうだんは>じょうだんとして、>ああいう>かぶは>もっ>ててそんはないよ、>ねんねん>たかく>なるばかりだから」「>そうだ>たとえ>はんかぶだって>ちとせも>もっ>てる>うちにゃ>くらが>みっつくらい>たつからな。>きみも>ぼくも>そのあたりに>ぬかりはない>とうせいの>さいしだが、>そこへ>いくとく>さやなどは>あわれな>ものだ。>かぶと>いえばだいこんの>きょうだいぶんくらいに>かんがえている>んだから」と>またようかんを>つまんでしゅじんの>ほうを>みると、>しゅじんも>迷>ていの>くいけが>でんせんしておのずから>かし>さらの>ほうへ>てが>でる。>よのなかでは>ばんじ>せっきょく>てきの>ものが>ひとから>まねら>るる>けんりを>ゆうしている。「>かぶなどは>どうでも>かまわんが、>ぼくは>曾>りょ>さきに>いちどで>いいからでんしゃへ>のら>してやりたかった」と>しゅじんは>くい>かけた>ようかんの>は>こんを>撫>しかとして>ながめる。「>曾>りょ>さきが>でんしゃへ>のったら、>のる>たんびに>しながわまで>いってしまうは、>それより>やっぱり>てんねん>こじで>たくあん>せきへ>ほり>つけ>られ>てる>ほうが>ぶじで>いい」「>曾>りょ>さきと>いえばしんだ>そうだな。>きのどくだねえ、>いい>あたまの>おとこだったがおしい>ことを>した」と>すずき>くんが>いうと、>迷>ていは>ただちに>ひきうけて「>あたまは>よかったが、>めしを>たく>ことは>いちばん>へただったぜ。>曾>りょ>さきの>とうばんの>ときには、>ぼく>あいつでも>がいしゅつを>してそばで>しのいでいた」「>ほんとに>曾>りょ>さきの>たいた>めしは>こげくさくってこころが>あってぼくも>よわった。>ごまけに>ごなに>かならずとうふを>な>まで>くわせる>んだから、>つめたくてくわ>れ>やせん」と>すずき>くんも>じゅうねん>まえの>ふへいを>きおくの>そこから>よび>おこす。「>く>さやは>あのじだいから>曾>りょ>さきの>しんゆうで>まいばん>いっしょに>しるこを>くいに>でたが、>そのたたりで>いまじゃ>まんせい>いじゃくに>なってくるしんでいる>んだ。>みを>いうとく>さやの>ほうが>しるこの>かずを>よけい>くっ>てるから曾>りょ>さきより>さきへ>しんでむべ>い>やく>なんだ」「>そんなろんりが>どこの>くにに>ある>ものか。>おれの>しるこより>きみは>うんどうと>ごうして、>まいばん|>しないを>もってうらの>たまご>とうばへ>でて、>せきとうを>たたい>てる>ところを>ぼうずに>みつかってけんつくを>くった>じゃないか」と>しゅじんも>まけぬ>きに>なって迷>ていの>きゅうあくを>曝>く。「>あははは>そうそう>ぼうずが>ふつ>さまの>あたまを>たたいては>あんみんの>ぼうがいに>なるからよしてくれって>いったっけ。>しかしぼく>のは>しないだが、>このすずき>しょうぐん>のは>て>暴だぜ。>いしどうと>すもうを>とってだいしょう>さんこばかり>ころがしてしまった>んだから」「>あのときの>ぼうずの>いかり>かたは>じつに>はげしかった。>ぜひもとの>ように>おこせと>いうからにんそくを>やとうまで>まってくれと>いったら>にんそくじゃ>いかん>ざんげの>いを>ひょうする>ために>あなたが>じしんで>おこさなくては>ふつの>いに>そむくと>いう>んだからね」「>そのときの>きみの>ふうさいはなかったぜ、>かなきん>のしゃつ>に>えっちゅうふんどしで>あめあがりの>みず>たまりの>なかで>うん>うん>うなって……」「>それを>きみが>すました>かおで>しゃせいする>んだから苛>い。>ぼくは>あまりはらを>たてた>ことの>ない>おとこだが、>あのときばかりは>しっけいだと>こころからおもったよ。>あのときの>きみの>げん>そうを>まだおぼえているがきみは>しっ>てるか」「>じゅうねん>まえの>げん>くさ>なんか>だれが>おぼえている>ものか、>しかしあの>せきとうに>きいずみ>いん>しんがり>き>つる>だいこじ>やすなが>ごねん|>たつ>しょうがつと>ほってあった>のだけは>いまだに>きおくしている。>あのせきとうは>こがに>できていたよ。>ひき>こす>ときに>ぬすんでいきたかった>くらいだ。>じつに>びがく>じょうの>げんりに>かなって、>ごしっく>しゅみな>せきとうだった」と>迷>ていは>またいいかげんな>びがくを>ふり>まわす。「>そりゃいいが、>きみの>げん>くさ>がさ。>こうだぜ――>わがはいは>びがくを>せんこうする>つもりだからてんち>かんの>おもしろい>できごとは>なるべくしゃせいしておいてしょうらいの>さんこうに>とも>さ>なければならん、>きのどくだの、>かわいそうだ>のと>いう>しじょうは>がくもんに>ちゅうじつなる>わがはい>ごと>きものの>くちに>すべき>ところでないと>へいきで>いう>のだろう。>ぼくも>あんまりな>ふにんじょうな>おとこだと>おもったからどろ>だらけの>てで>きみの>しゃせいじょうを>ひきさいてしまった」「>ぼくの>ゆうぼうな>がさいが>とんざしていっこう>ふ>わ>なく>なった>のも>まったくあの>ときからだ。>きみに>きほうを>おら>れた>のだね。>ぼくは>きみに>恨が>ある」「>ばかに>しちゃいけない。>こっちが>うらめしいくらいだ」「>迷>ていは>あのじぶんから>ほら>吹だったな」と>しゅじんは>ようかんを>くい>りょうって>ふたたび>ににんの>はなしの>なかに>わりこんでくる。「>やくそくな>んか>りこうした>ことが>ない。>それで>きつもんを>うけるとけっして>わびた>ことが>ない>なんとかかとか>いう。>あのてらの>けいだいに>さるすべりが>さいていた>じぶん、>このさるすべりが>ちるまでに>びがく>げんろんと>いう>ちょじゅつを>すると>いうから、>だめだ、>とうてい>できる>き>やはないと>いった>の>さ。>すると迷>ていの>こたえに>ぼくは>こうみえても>みかけに>よらぬ>いしの>つよい>おとこで>ある、>そんなに>うたがうなら>かけを>しようと>いうからぼくは>まじめに>うけてなにでも>かんだの>せいよう>りょうりを>おごり>っ>こか>なにかに>きわめた。>きっと>しょもつなんか>かく>き>やはないと>おもったからかけを>した>ような>ものの>ないしんは>しょうしょうおそろしかった。>ぼくに>せいよう>りょうりなんか>おごる>きんはない>んだからな。>ところがせんせい|>いっこう>こうを>おこす>けしきが>ない。>ななにち>たっても>にじゅう>にちたっても>いちまいも>かかない。>いよいよ>さるすべりが>ちっていちりんの>はなも>なく>なっても>とうにん>へいきで>いるから、>いよいよ>せいよう>りょうりに>あり>ついたなと>おもってけいやくりこうを>逼ると>迷>てい>すましてとりあわない」「>またなんとか>りくつを>つけた>のかね」と>すずき>くんが>そうの>てを>いれる。「>うん、>じつに>ずうずうしい>おとこだ。>わがはいは>ほかに>のうはないがいしだけは>けっして>きみ>かたに>まけは>せんと>ごう>じょうを>はる>の>さ」「>いちまいも>かかんのにか」と>こんどは>迷>てい>くん>じしんが>しつもんを>する。「>むろん>さ、>そのとき>きみは>こういったぜ。>わがはいは>いしの>いちてんにおいては>あえて>なにびとにも>いっぽも>ゆずらん。>しかしざんねんな>ことには>きおくが>ひといちばい>ない。>びがく>げんろんを>ちょ>わ>そうと>する>いしは>じゅうぶん>あった>のだがその>いしを>きみに>はっぴょうした>よくじつから>わすれてしまった。>それだからさるすべりの>ちるまでに>ちょしょが>できなかった>のは>きおくの>つみで>いしの>つみではない。>いしの>つみでない>いじょうは>せいよう>りょうりなどを>おごる>りゆうが>ないと>いばっている>の>さ」「>なるほど>迷>てい>くん>いちりゅうの>とくしょくを>はっきしておもしろい」と>すずき>くんは>なぜだか>おもしろ>がっている。>迷>ていの>おらぬ>ときの>ごきとは>よほど>ちがっている。>これが>りこうな>ひとの>とくしょくかも>しれない。「>なにが>おもしろい>ものか」と>しゅじんは>いまでも>おこっている>ようすである。「>それは>ごきのどく>さま、>それだからその>うま>あわせを>する>ために>くじゃくの>したなんかを>きんと>たいこで>さがしているじゃないか。>まあ>そうおこらずに>まっているさ。>しかしちょしょと>いえばきみ、>きょうは>いちだい>ちん>ほうを>齎>ら>してきた>んだよ」「>きみは>くる>たびに>ちん>ほうを>齎>ら>すおとこだからゆだんが>できん」「>ところがきょうの>ちん>ほうは>しんの>ちん>ほうさ。>しょうふだ>づけ>いちりんも>ひけ>なしの>ちん>ほうさ。>きみ>かんげつが>はかせ>ろんぶんの>こうを>おこした>のを>しっているか。>かんげつは>あんな>みょうに>けんしきばった>おとこだからはかせ>ろんぶんなんて>むしゅみな>ろうりょくは>やるまいと>おもったら、>あれで>やっぱり>いろけが>あるからおかしいじゃないか。>きみ>あのはなに>ぜひつうちしてやるがいい、>このころは>どんぐり>はかせの>ゆめでも>みているかも>しれない」 >すずき>くんは>かんげつの>なを>きいて、>はなしては>いけぬ>はなしては>いけぬと>顋と>めで>しゅじんに>あいずする。>しゅじんには>いっこう>いみが>つうじない。>さっきすずき>くんに>あってせっぽうを>うけた>ときは>かねでんの>むすめの>ことばかりが>きのどくに>なったが、>いま>迷>ていから>はな々と>いわ>れるとまたせんじつ>けんかを>した>ことを>おもいだす。>おもいだすとこっけいでもあり、>またしょうしょうは>わる>ら>しくも>なる。>しかしかんげつが>はかせ>ろんぶんを>くさ>し>かけた>のは>なによりの>ごみ>や>げで、>こればかりは>迷>てい>せんせい>じさんのごとく>まず>まず>きんらいの>ちん>ほうである。>ただに>ちん>ほうのみ>ならず、>うれしい>かいよい>ちん>ほうである。>かねでんの>むすめを>もらおうが>もらうまいが>そんなことは>まず>どうでも>よい。>とにかく>かんげつの>はかせに>なる>のは>けっこうである。>じぶんの>ように>でき>そん>いの>もくぞうは>ぶっし>やの>すみで>むしが>くうまで>しろきの>まま>いぶっていても>いかんはないが、>これは>うまく>しあがったと>おもう>ちょうこくには>いちにちも>はやく>はくを>ぬってやりたい。「>ほんとうに>ろんぶんを>かき>かけた>のか」と>すずき>くんの>あいずは>そっち>のけに>して、>ねっしんに>きく。「>よく>ひとの>いう>ことを>うたぐ>ぐる>おとこだ。――>もっとも>もんだいは>どんぐりだか>くびくくりの>りきがくだか>確と>わからんがね。>とにかく>かんげつの>ことだからはなの>きょうしゅくする>ような>ものに>ちがいない」 >さっきから>迷>ていが>はな々と>ぶえんりょに>いう>のを>きく>たんびに>すずき>くんは>ふあんの>ようすを>する。>迷>ていは>すこしも>きがつかないからへいきな>ものである。「>そのご>はなについて>またけんきゅうを>したが、>このころ>とり>すと>らむ・>しゃん>でーの>なかに>はな>ろんが>ある>のを>はっけんした。>かねでんの>はななども>すたーんに>みせたら>よい>ざいりょうに>なった>ろうに>ざんねんな>ことだ。>はな>めいを>せんざいに>たれる>しかくは>じゅうぶん>ありながら、>あのままで>くち>はて>つるとは>ふびん>せんばんだ。>こんど>ここへ>きたら>びがく>じょうの>さんこうの>ために>しゃせいしてやろう」と>そう>かわらず>くちから>でまかせに>ちょう>したり>たてる。「>しかしあの>むすめは>かんげつの>ところへ>きた>い>のだ>そうだ」と>しゅじんが>いま>すずき>くんから>きいた>とおりを>のべると、>すずき>くんは>これは>めいわくだと>いう>かお>づけを>してしきりに>しゅじんに>め>くば>せを>するが、>しゅじんは>ふどうたいのごとく>いっこう>でんきに>かんせんしない。「>ちょっとおつだな、>あんな>ものの>こでも>こいを>する>ところが、>しかしたいした>こいじゃなかろう、>おおがた|>はな>こいくらいな>ところだぜ」「>はな>こいでも>かんげつが>もらえばいいが」「>もらえばい>いがって、>きみは>せんじつ>だいはんたいだった>じゃないか。>きょうは>いやに>なんかしているぜ」「>なんかは>せん、>ぼくは>けっして>なんかは>せん>しかし……」「>しかしどうか>した>んだろう。>ねえ>すずき、>きみも>じつぎょう>かの>まっせきを>よごす>いちにんだからさんこうの>ために>いってきか>せるがね。>あの>かねでん>ぼう>なる>しゃさ。>あの>ぼうなる>ものの>そくじょなどを>てんかの>しゅうさい>みずしま>かんげつの>れいふじんと>あがめ>まつる>のは、>しょうしょう|>ちょうちんと>つりがねと>いう>しだいで、>われわれ|>ほうゆうたる>ものが>ひや々>もっかする>わけに>いかん>ことだと>おもう>んだが、>たとい>じつぎょう>かの>きみでも>これには>いぞんはあるまい」「>そう>かわらず>げんきが>いいね。>けっこうだ。>きみは>じゅうねん>まえと>ようすが>すこしも>かわっていないからえらい」と>すずき>くんは>やなぎに>うけて、>ごま>かそうと>する。「>えらいと>ほめるなら、>もうすこしはくがくな>ところを>ごめに>かけるがね。>むかし>しの>まれ>臘>じんは>ひじょうに>たいいくを>おもんじた>もので>あらゆるきょうぎに>きちょうなる>けんしょうを>だしてひゃっぽう>しょうれいの>さくを>こうじた>ものだ。>しかるに>ふしぎな>ことには>がくしゃの>ちしきにたいして>のみは>なんらの>ほうびも>あたえたと>いう>きろくが>なかった>ので、>きょうまで>みは>だいに>あやしんでいた>ところ>さ」「>なるほど>すこしみょうだね」と>すずき>くんは>どこまでも>ちょうしを>あわせる。「>しかるに>つい>りょう>さんにち>まえに>いたって、>びがく>けんきゅうの>さい>ふと>そのりゆうを>はっけんしたのでたねんの>ぎだんは>いちどに>ひょうかい。>うるし>おけを>ぬくがごとく>つうかい>なる>さとりを>えて歓>てん>き>ちの>しきょうに>たっした>の>さ」 >あまり迷>ていの>ことばが>ぎょうさんなので、>さすが>ごじょうずものの>すずき>くんも、>こりゃ>てに>あわないと>いう>かお>づけを>する。>しゅじんは>またはじまったなと>いわぬ>ば>かりに、>ぞうげの>はしで>かし>さらの>えんを>かんかん>たたいて俯つ>むいている。>迷>ていだけは>だいとくいで>べんじ>つづける。「>そこでこの>むじゅんなる>げんしょうの>せつめいを>めいきして、>あんこくの>ふちから>われ>じんの>うたぐを>せんざいの>したに>すくいだしてくれた>ものは>だれだと>おもう。>がくもんあっていらいの>がくしゃと>しょうせらるる>かれの>まれ>臘の>てつじん、>しょうようはの>がんそ>ありすとーとる>その>ひとである。>かれの>せつめいに>いわく>さ――>おい>かし>さらなどを>たたかんできんちょうしていなくちゃいかん。――>かれら>まれ>臘>じんが>きょうぎにおいて>える>ところの>しょうよは>かれらが>えんずる>ぎげい>そのものより>きちょうな>ものである。>それ>ゆえに>ほうびにも>なり、>しょうれいの>ぐとも>なる。>しかしちしき>そのものに>いたっては>どうである。>もし>ちしきにたいする>ほうしゅうとして>なに>ぶつをか>あたえんと>するならばちしき>いじょうの>かち>ある>ものを>あたえざるべからず。>しかしちしき>いじょうの>ちんぽうが>よのなかに>あろうか。>むろん>ある>はずが>ない。>へたな>ものを>やればちしきの>いげんを>そんする>わけに>なるばかりだ。>かれらは>ちしきにたいして>せんりょうばこを>おりむぱすの>やまほど>つみ、>くりーさすの>とみを>かたむけ>つくしても>そうとうの>ほうしゅうを>あたえんと>した>のであるが、>いかに>かんがえても>とうてい>つりあう>はずが>ないと>いう>ことを>み>やぶ>して、>それより>いらいと>いう>ものは>きれい>さっぱりなににも>やらない>ことに>してしまった。>こうはく>あお>ぜにが>ちしきの>ひってきでない>ことは>これで>じゅうぶん>りかいできるだろう。>さてこの>げんりを>ふくようした>うえで>じじ>もんだいに>のぞんでみるがいい。>かねでん>ぼうは>なに>だい>しへいに>め>はなを>つけただけの>にんげんじゃないか、>きけいなる>かたりをもって>けいようするならばかれは>いちこの>かつどうしへいに>よぎん>のである。>かつどうしへいの>むすめなら>かつどうきってくらいな>ところだろう。>ひるがえって>かんげつ>くんは>いかがと>みればどうだ。>辱>け>なくも>がくもんさいこうの>ふを>だいいち>いに>そつぎょうしてごうも>けんたいの>ねん>なく>ちょう>しゅう>せいばつじだいの>はおりの>ひもを>ぶらさげて、>にちや|>どんぐりの>すたびりちーを>けんきゅうし、>それでもなお>まんぞくする>ようすも>なく、>ちかぢかの>ちゅう>ろーど・>けるヴぃんを>あっとうするほどな>だいろんぶんを>はっぴょうしようと>しつつあるではないか。>たまたま>あづまばしを>とおりかかってみなげの>げいを>しそんじた>ことは>あるが、>これも>ねっせい>なる>せいねんに>あり>がちの>ほっさ>てき>しょいで>ごうも>かれが>ちしきの>とんや>たるに>わずらいを>およぼすほどの>できごとではない。>迷>てい>いちりゅうの>喩をもって>かんげつ>くんを>ひょうすればかれは>かつどうとしょかんである。>ちしきを>もってこね>あげ>たる>にじゅう>はち|>珊の>だんがんである。>このだんがんが>いちたび>じきを>えてがっかいに>ばくはつするなら、――>もし>ばくはつしてみ>たまえ――>ばくはつするだろう――」>迷>ていは>ここに>いたって迷>てい>いちりゅうと>じしょうする>けいようしが>おもう>ように>でてこないのでぞくに>いう>りゅうとうだびの>かんに>たしょうひるんでみえたがたちまち「>かつどうきってなどは>なんせん>まんまい>あったって>こなな>みじんに>なってしまうさ。>それだからかんげつには、>あんな>つりあわない>じょせいは>だめだ。>ぼくが>ふしょうちだ、>ひゃくじゅうの>なかで>もっとも>そうめい>なる>だいぞうと、>もっとも>どんらん>なる>しょうぶたと>けっこんする>ような>ものだ。>そうだろう>く>さや>くん」と>いってしりぞけると、>しゅじんは>まただまってかし>さらを>たたき>だす。>すずき>くんは>すこしへこんだ>きみで「>そんなことも>なかろう」と>すべな>げに>こたえる。>さっきまで>迷>ていの>わるぐちを>ずいぶんついた>あげく>ここで>むくら>な>ことを>いうと、>しゅじんの>ような>むほうものは>どんなことを>すっぱぬくか>しれない。>なるべくここは>こうかげんに>迷>ていの>えいほうを>あしらってぶじに>きりぬける>のが>じょうふんべつな>のである。>すずき>くんは>りこう>しゃである。>い>ら>ざる>ていこうは>さけ>ら>るるだけ>さける>のが>とうせいで、>むようの>こうろんは>ほうけん>じだいの>いぶつと>こころえている。>じんせいの>もくてきは>こうぜつではない>じっこうに>ある。>じこの>おもいどおりに>ちゃくちゃくじけんが>しんちょくすれば、>それで>じんせいの>もくてきは>たっせ>られた>のである。>くろうと>しんぱいと>そうろんとが>なくてじけんが>しんちょくすればじんせいの>もくてきは>ごくらく>りゅうに>たっせ>られる>のである。>すずき>くんは>そつぎょうご>このごくらく>しゅぎによって>せいこうし、>このごくらく>しゅぎによって>きむ>とけいを>ぶらさげ、>このごくらく>しゅぎで>かねでん>ふうふの>いらいを>うけ、>おなじく>このごくらく>しゅぎで>まんまと>しゅび>よく>く>さや>くんを>とき>おとしてとうがい>じけんが>じゅっちゅうはっくまで>じょうじゅした>ところへ、>迷>てい>なる>つねただしをもって>りつ>すべから>ざる、>ふつうの>にんげん>いがいの>しんり>さようを>ゆうするかと>かい>ま>るる>ふうらいぼうが>とびこんできたのでしょうしょうその>とつぜんなるに>めん>くっている>ところである。>ごくらく>しゅぎを>はつめいした>ものは>めいじの>しんしで、>ごくらく>しゅぎを>じっこうする>ものは>すずき>とうじゅうろう>くんで、>いま>このごくらく>しゅぎで>こんきゃくしつつある>ものも>またすずき>とうじゅうろう>くんである。「>きみは>なににも>しらんからそうでも>なか>ろうなどと>すまし>かえって、>れいに>なく>ことば>寡>なに>じょうひんに>ひかえ>こむが、>せんだって>あのはなの>おもが>きた>ときの>ようすを>みたら>いかに>じつぎょう>か|>贔>まけの>そんこうでも>へきえきするに>きょく>っ>てるよ、>ねえ>く>さや>くん、>きみ|>だいに>ふんとうした>じゃないか」「>それでもきみより>ぼくの>ほうが>ひょうばんが>いい>そうだ」「>あははは>なかなかじしんが>つよい>おとこだ。>それでなくては>さヴぇじ・>ちーな>んて>せいとや>きょうしに>からかわ>れてすましてがっこうへ>でちゃい>られん>わけだ。>ぼくも>いしは>けっして>ひとに>おとらん>つもりだが、>そんなに>ずぶとくは>できん>けいふくの>いたりだ」「>せいとや>きょうしが>しょうしょうぐず>ぐず>いったって>なにが>おそろしい>ものか、>さんとぶーヴは>ここん>どっぽの>ひょうろんかであるがぱり>だいがくで>こうぎを>した>ときは>ひじょうに>ふひょうばんで、>かれは>がくせいの>こうげきに>おうずる>ため>がいしゅつの>さい>かならずひしゅを>そでのしたに>もってぼうぎょの>ぐと>なした>ことが>ある。>ぶるぬちぇるが>やはり>ぱりの>だいがくで>ぞらの>しょうせつを>こうげきした>ときは……」「>だってきみ>ゃ>だいがくの>きょうしでも>なにでも>ないじゃないか。>こうが>りー>どるの>せんせいで>そんなおおやを>れいに>ひく>のは>じゃこが>くじらをもって>みずから>たとえる>ような>もんだ、>そんなことを>いうとなお>からかわ>れるぜ」「>だまっていろ。>さんとぶーヴだって>おれ>だっておなじくらいな>がくしゃだ」「>たいへんな>けんしきだな。>しかしかいけんをもって>ふ>いくだけは>あぶないからまねない>ほうが>いいよ。>だいがくの>きょうしが>かいけんなら>りー>どるの>きょうしは>まあ>こがたなくらいな>ところだな。>しかしそれにしてもはものは>けんのんだからなかみせへ>おこなっておもちゃの>くうき>じゅうを>かってきてせおってあるくがよかろう。>あいきょうが>あっていい。>ねえ>すずき>くん」と>いうと>すずき>くんは>ようやく>はなしが>かねでん>じけんを>はなれたのでほっと>ひといき>つきながら「>そう>かわらず>むじゃきで>ゆかいだ。>じゅうねん>ふりで>はじめてきみ>とうに>あった>んで>なんだか>きゅうくつな>ろじから>ひろい>のはらへ>でた>ような>きもちが>する。>どうも>われわれ>なかまの>だんわは>すこしも>ゆだんが>ならなくてね。>なにを>いうにも>きを>おかなくちゃならんからしんぱいで>きゅうくつで>じつに>くるしいよ。>はなしは>つみが>ない>のが>いいね。>そしてむかし>しの>しょせい>じだいの>ともだちと>はなす>のが>いちばん>えんりょが>なくっていい。>ああ>きょうは>はからず>迷>てい>くんに>あってゆかいだった。>ぼくは>ちと>ようじが>あるからこれで>しっけいする」と>すずき>くんが>たち>かけると、>迷>ていも「>ぼくも>いこう、>ぼくは>これからにほんばしの>えんげい>きょうふう>かいに>いかなくっちゃならんから、>そこまで>いっしょに>いこう」「>そりゃちょうど>いい>ひさしぶりで>いっしょに>さんぽしよう」と>りょうくんは>てを>たずさえてかえる。        >ご >にじゅう>よんじかんの>できごとを>もれなく>かいて、>もれなく>よむには>すくなくも>にじゅう>よんじかん>かかるだろう、>いくら>しゃせいぶんを>こすいする>わがはいでも>これは>とうてい>ねこの>くわだて>およぶべからざる>げいとうと>じはくせざるを>えない。>したがっていかに>わがはいの>しゅじんが、>にろくじちゅう>せいさい>なる>びょうしゃに>あたいする>き>げん>きこうを>ろうするにも>かんらず>ちくいち>これを>どくしゃに>ほうちする>の>のうりょくと>こんきの>ない>のは>はなはだ>いかんである。>いかんではあるがやむをえない。>きゅうようは>ねこと>いえ>ども>ひつようである。>すずき>くんと>迷>てい>くんの>かえった>あとは>こがらしの>はたと>ふき>いきんで、>しんしんと>ふる>ゆきの>よるのごとく>せいかに>なった。>しゅじんは>れいのごとく>しょさいへ>ひき>こもる。>しょうともは>ろくじょうの>あいだへ>まくらを>ならべてねる。>いっけん>はんの>ふすまを>へだててみなみ>むこうの>しつには>さいくんが>かぞえどし>みっつに>なる、>めん>こ>さんと>そえじ>してよこに>なる。>はなぐもりに>くれを>いそいだ>ひは>とく>おちて、>ひょうを>とおる>こまげたの>おと>さえ>てに>とる>ように>ちゃのまへ>ひびく。>となり>まちの>げしゅくで>みんてきを>ふく>のが>たえたり>つづいたり>してねむい>みみ>そこに>おりおりにぶい>しげきを>あたえる。>がいめんは>おおかた|>おぼろであろう。>ばんさんに>はんぺんの>にじるで>あわび>かいを>からに>した>はらでは>どうしても>きゅうようが>ひつようである。 >ほのかに>うけたまわ>わればせけんには>ねこの>こいとか>しょうする>はいかい>しゅみの>げんしょうが>あって、>はるさきは>ちょうないの>どうぞく>ともの>ゆめ>やすからぬまで>うか>れ>ふる>く>よるも>あるとか>いうが、>わがはいは>まだかかる>こころ>てき>へんかに>遭>逢>した>ことはない。>そもそもこいは>うちゅう>てきの>かつりょくである。>うえは>ざいてんの>かみ>じゅぴたーより>したは>どちゅうに>なく>みみず、>おけらに>いたるまで>このみちにかけて>うきみを>やつす>のが>ばんぶつの>ならいであるから、>わがはい>どもが>おぼろ>うれしと、>ぶっそうな>ふりゅう>きを>だす>のも>むりの>ない>はなししである。>かいこすればかく>いう>わがはいも>みけ>こに>おもい>こがれた>こともある。>みすみ>しゅぎの>ちょうほん>かねだ>くんの>れいじょう>あべ>かわの>とみこ>さえ>かんげつ>くんに>れんぼしたと>いう>うわさである。>それだからせんきんの>しゅんしょうを>こころも>そらに>まんてんかの>めす>ねこ>ゆう>ねこが>くるい>めぐる>のを>ぼんのうの>迷>のと>けいべつする>ねんは>もうとうない>のであるが、>いかんせん>さそわ>れても>そんなこころが>でないからしかたが>ない。>わがはい>もっかの>じょうたいは>ただ>きゅうようを>ほっするのみである。>こうねむくては>こいも>できぬ。>のそのそと>しょうともの>ふとんの>すそへ>めぐってここち>こころよく>ねむる。…… >ふと>めを>ひらいてみるとしゅじんは>いつのまにか>しょさいから>しんしつへ>きてさいくんの>となりに>のべてある>ふとんの>なかに>いつのまにか>もぐりこんでいる。>しゅじんの>くせとして>ねる>ときは>かならずよこもじの>おもとを>しょさいから>たずさえてくる。>しかしよこに>なってこの>ほんを>に|>ぺーじと>つづけてよんだ>ことはない。>あるときは>もってきてまくらもとへ>おいた>なり、>まるで>てを>ふれぬ>ことさえ>ある。>いっこうも>よまぬ>くらいなら>わざわざさげてくる>ひつようも>な>さ>そうな>ものだが、>そこが>しゅじんの>しゅじんたる>ところで>いくら>さいくんが>わらっても、>よせと>いっても、>けっして>しょうちしない。>まいよ>よまない>ほんを>ごくろう>せんばんにも>しんしつまで>はこんでくる。>あるときは>よく>はって>さんよん>さつも>かかえてくる。>せんだって>じゅうは>まいばん>うぇぶすたーの>だいじてんさえ>かかえてきた>くらいである。>おもうに>これは>しゅじんの>びょうきで>ぜいたくな>ひとが>たつふみ>どうに>なる>まつかぜの>おとを>きかないと>ねつか>れない>ごとく、>しゅじんも>しょもつを>まくらもとに>おかないと>ねむれない>のであろう、>してみるとしゅじんに>とっては>しょもつは>よむ>ものではない>ねむりを>さそう>きかいである。>かっぱんの>すいみんざいである。 >こんやも>なにか>あるだろうと>のぞいてみると、>あかい>うすい>ほんが>しゅじんの>くち>ひげの>さきに>つかえるくらいな>ちいに>はんぶん>ひらか>れてころがっている。>しゅじんの>ひだりの>ての>ぼしが>ほんの>あいだに>はさまった>ままである>ところから>おすときとくにも>こんやは>ごろく>こうよんだ>ものらしい。>あかい>ほんと>ならんでれいのごとく>にっけるの>たもと>とけいが>はるに>にあわぬ>さむき>いろを>はなっている。 >さいくんは>ちちのみ>じを>いちしゃくばかり>さきへ>ほうりだしてくちを>ひらいていびきを>かいてまくらを>はずしている。>およそにんげんにおいて>なにが>みぐるしいと>いってくちを>あけてねるほどの>ふていさいはあるまいと>おもう。>ねこなどは>しょうがい>こんなはじを>かいた>ことが>ない。>がんらい>くちは>おとを>だす>ため>はなは>くうきを>吐>呑>する>ための>どうぐである。>もっともきたのかたへ>いくとにんげんが>ぶしょうに>なってなるべく>くちを>あくまいと>けんやくを>する>けっか>はなで>げんごを>つかう>ような>ずーずーもあるが、>はなを>へいそくしてくちばかりで>こきゅうの>ようを>べんじている>のは>ずーずーよりも>みとも>ないと>おもう。>だいいち>てんじょうから>ねずみの>くそでも>おちた>とき>きけんである。 >しょうともの>ほうはと>みるとこれも>おやに>おとらぬ>ていたらくで>ねそべっている。>あねの>とん>こは、>あねの>けんりは>こんなものだと>いわぬ>ば>かりに>うんと>みぎの>てを>のばしていもうとの>みみの>うえへ>のせている。>いもうと>のす>ん>こは>そのふくしゅうに>あねの>はらの>うえに>かたあしを>あげて踏>そりかえっている。>そうほう>とも>ねた>ときの>しせいより>きゅうじゅう>どは>たしかに>かいてんしている。>しかもこの>ふしぜんなる>しせいを>いじしつつりょうにんとも>ふへいも>いわず>おとなしく>じゅくすいしている。 >さすがに>はるの>とうかは>かくべつである。>てんしん|>らんまんながらぶふうりゅう>きわまる>このこうけいの>うらに>りょうやを>おしめとばかり>ゆか>し>げに>てるや>いてみえる。>もう>いつだろうと>しつの>なかを>みまわすとしりんは>しんとして>ただ>きこえる>ものは>はしらどけいと>さいくんの>いびきと>とお>かたで>げじょの>はぎしりを>する>おとのみである。>このげじょは>ひとから>はぎしりを>すると>いわ>れるといつでも>これを>ひていする>おんなである。>わたしは>うまれてから>きょうに>いたるまで>はぎしりを>した>さとしはございませんと>ごうじょうを>はってけっして>なおしましょうとも>ごきのどくでございますとも>いわず、>ただそんな>さとしはございませんと>しゅちょうする。>なるほど>ねていてする>げいだから>さとしはないに>違>ない。>しかしじじつは>さとしが>なくても>そんざいする>ことが>あるからこまる。>よのなかには>わるい>ことを>しておりながら、>じぶんは>どこまでも>ぜんにんだと>かんがえている>ものが>ある。>これは>じぶんが>つみが>ないと>じしん>している>のだからむじゃきで>けっこうではあるが、>ひとの>こまる>じじつは>いかに>むじゃきでも>めっきゃくする>わけには>いかぬ。>こういう>しんし>しゅくじょは>このげじょの>けいとうに>ぞくする>のだと>おもう。――>よるは>だいぶ>ふけた>ようだ。 >だいどころの>あまどに>とん>とんと>にかえばかり>かるく>あたった>ものが>ある。>はてな>いまごろ>じんの>くる>はずが>ない。>おおがた>れいの>ねずみだろう、>ねずみなら>とらん>ことに>きわめているからかってに>あばれるがよろしい。――>またとん>とんと>あたる。>どうも>ねずみらしく>ない。>ねずみとしても>たいへん>ようじんぶかい>ねずみである。>しゅじんの>うちの>ねずみは、>しゅじんの>でる>がっこうの>せいとのごとく>にっちゅうでも>よる>ちゅうでも>らんぼう|>ろうぜきの>ねり>おさむに>よねん>なく、>びんぜん>なる>しゅじんの>ゆめを>おどろき>やぶ>する>のを>てんしょくのごとく>こころ>えている>れんちゅうだから、>かくのごとく>えんりょする>わけが>ない。>いまのは>たしかに>ねずみではない。>せんだってなどは>しゅじんの>しんしつにまで>ちんにゅうしてたかからぬ>しゅじんの>はなの>あたまを>囓>んで>がいかを>そうしてひきあげた>くらい>の>ねずみに>しては>あまりおくびょう>すぎる。>けっして>ねずみではない。>こんどは>ぎーと>あまどを>したから>うえへ>もちあげる>おとが>する、>どうじに>こししょうじを>できるだけ>ゆるやかに、>みぞに>そうて>すべら>せる。>いよいよ>ねずみではない。>にんげんだ。>このしんやに>にんげんが>あんないも>こわず>と>しめを>そと>ずして>ごこうらいに>なると>すれば迷>てい>せんせいや>すずき>くんではないに>きょくって>いる。>ごこうみょうだけは>かねて>うけたまわ>わっている>どろぼう>かげ>しではないか>しらん。>いよいよ>かげ>しと>すればはやく>そんがんを>はいしたい>ものだ。>かげ>しは>いまや>かっての>うえに>おおいなるどろあしを>あげて>にそくばかり>すすんだ>もようである。>さんそく>めと>おもう>ころ|>あげいたに>け>いてか、>がたりと>よるに>ひびく>ような>おとを>たてた。>わがはいの>せなかの>けが>くつ>はけで>ぎゃくに>こす>すら>れた>ような>こころもちが>する。>しばらくは>あしおとも>しない。>さいくんを>みるといまだ>くちを>あいてたいへいの>くうきを>むちゅうに>吐>呑>している。>しゅじんは>あかい>ほんに>ぼしを>はさま>れた>ゆめでも>みている>のだろう。>やがて>だいどころで>まちを>こする>おとが>きこえる。>かげ>しでも>わがはいほど>やいんに>めは>きかぬと>みえる。>かってが>わるくてさだめし>ふつごうだろう。 >このとき>わがはいは>そんきょまりながらかんがえた。>かげ>しは>かってから>ちゃのまの>ほうめんへ>むけてしゅつげんする>のであろうか、>またはひだりへ>おれ>げんかんを>つうかしてしょさいへと>ぬけるであろうか。――>あしおとは>ふすまの>おととともに>椽>がわへ>でた。>かげ>しは>いよいよ>しょさいへ>はいいった。>それ>ぎり>おとも>さたも>ない。 >わがはいは>このあいだに>はやく>しゅじん>ふうふを>おこしてやりたい>ものだと>ようやく>きがついたが、>さてどうしたら>おきる>や>ら、>いっこう>ようりょうを>えん>こうのみが>あたまの>なかに>すいしゃの>ぜいで>かいてんするのみで、>なんらの>ふんべつも>でない。>ふとんの>すそを>啣>えてふってみたらと>おもって、>にさん>どやってみたがすこしも>こうようが>ない。>つめたい>はなを>ほおに>すりつけたらと>おもって、>しゅじんの>かおの>さきへ>もっていったら、>しゅじんは>ねむった>まま、>てを>うんと>のばして、>わがはいの>はな>づらを>いなやと>いうほど>つきとばした。>はなは>ねこにとっても>きゅうしょである。>いたむ>こと>おびただしい。>此>どは>しかたがな>いからにゃ>ーにゃ>ーと>にかえばかり>ないておこそうと>したが、>どういう>ものか>このときばかりは>いんこうに>ものが>痞>えておもう>ような>こえが>でない。>やっとの>おもいで>しぶりながらひくい>やつを>しょうしょうだすと>おどろいた。>かんじんの>しゅじんは>さめる>きしょくも>ないのにとつぜんかげ>しの>あしおとが>し>だした。>みち>り>み>ちりと>椽>がわを>つたってちかづいてくる。>いよいよ>きたな、>こうなっては>もう>だめだと>たい>ら>めて、>ふすまと>やなぎごうりの>あいだに>しばしの>あいだ>みを>しのばせてどうせいを>窺がう。 >かげ>しの>あしおとは>しんしつの>しょうじの>まえへ>きてぴたりと>已>む。>わがはいは>いきを>こらして、>このつぎは>なにを>するだろうと>いっしょうけんめいに>なる。>あとで>かんがえたがねずみを>とる>ときは、>こんなきぶんに>なればわけはない>のだ、>たましいが>りょうほうの>めから>とびだし>そうな>ぜいである。>かげ>しの>おかげで>にどとな>い>さとるを>ひらいた>のは>じつに>ありがたい。>たちまちしょうじの>桟の>みっつ>めが>あめに>ぬれた>ように>まんなかだけ>いろが>かわる。>それを>とおしてうすべにな>ものが>だんだんこく>うつったと>おもうと、>かみは>いつか>やぶれて、>あかい>したが>ぺろりと>みえた。>したは>しばしの>あいだに>くらい>なかに>きえる。>いれ>かわってなんだか>おそれ>しく>ひかる>ものが>ひとつ、>やぶれた>あなの>むこう>がわに>あらわ>れる。>うたがいも>なく>かげ>しの>めである。>みょうな>ことには>そのめが、>へやの>なかに>ある>なに>ぶつをも>みないで、>ただやなぎごうりの>あとに>かくれていた>わがはいのみを>みつめている>ように>かんぜ>られた。>いちふんにも>たらぬ>あいだではあったが、>こうにらま>れては>じゅみょうが>ちぢまると>おもった>くらいである。>もう>がまんできんからこうりの>かげから>とびだそうと>けっしんした>とき、>しんしつの>しょうじが>すーと>あいてまちかねた>かげ>しが>ついに>がんぜんに>あらわ>れた。 >わがはいは>じょじゅつの>じゅんじょとして、>ふじの>ちんきゃく>なる>どろぼう>かげ>し>そのひとを>このさい>しょくんに>ごしょうかいする>の>えいよを>ゆうする>わけであるが、>そのまえ>ちょっとひけんを>かいちんしてごこうおもんばかを>わずらわしたい>ことが>ある。>こだいの>かみは>ぜんち>ぜんのうと>あがめ>られている。>ことに>やそきょうの>かみは>にじゅう>せいきの>きょうまでも>このぜんち>ぜんのうの>めんを>こうむっている。>しかしぞくじんの>こう>うる>ぜんち>ぜんのうは、>ときに>よるとむさとし>むのうとも>かいしゃくが>できる。>こういう>のは>あきらかに>ぱらどっくすである。>しかるに>このぱらどっくすを>どうはした>ものは>てんちかいびゃく>いらい>わがはいのみであろうと>かんがえると、>じぶんな>がら>まんざらな>ねこでもないと>いう>きょえい>こころも>でるから、>ぜひとも>ここに>そのりゆうを>もうしあげて、>ねこも>ばかに>できないと>いう>ことを、>こうまんなる>にんげん>しょくんの>のうりに>たたきこみたいと>かんがえる。>てんち>ばんゆうは>かみが>つくった>そうな、>してみればにんげんも>かみの>ごせいさくであろう。>げんに>せいしょとか>いう>ものには>そのとおりと>めいきしてある>そうだ。>さてこの>にんげんについて、>にんげん>じしんが>すうせん>ねんらいの>かんさつを>つんで、>だいに>げんみょう>ふしぎ>がる>とどうじに、>ますますかみの>ぜんち>ぜんのうを>しょうにんする>ように>かたむいた>じじつが>ある。>それは>そとでもない、>にんげんも>かように>うじゃうじゃ>いるが>おなじかおを>している>ものは>せかいじゅうに>いちにんも>いない。>かおの>どうぐは>むろん|>きょくって>いる、>だい>さも>たいがいは>にたり>よったりである。>かんげんすればかれらは>みな>おなじざいりょうから>つくりあげ>られている、>おなじざいりょうで>できているにも>かんらず>いちにんも>おなじけっかに>でき>のぼっておらん。>よく>まあ>あれだけの>かんたんな>ざいりょうで>かくまで>いような>かおを>おもいついた>ものだと>おもうと、>せいぞうかの>ぎりょうに>かんぷくせざるを>えない。>よほど>どくそうてきな>そうぞうりょくが>ないと>こんなへんかは>できん>のである。>いちだいの>がこうが>せいりょくを>しょうもうしてへんかを>もとめた>かおでも>じゅうに>さんしゅ>いがいに>でる>ことが>できん>のを>もっておせば、>にんげんの>せいぞうを>いってで>受>おった>かみの>てぎわは>かくべつな>ものだと>きょうたんせざるを>えない。>とうてい>にんげん>しゃかいにおいて>もくげきし>えざる>そこの>ぎりょうであるから、>これを>ぜんのう>てき>ぎりょうと>いっても>さしつかえないだろう。>にんげんは>このてんにおいて>だいに>かみに>おそれいっている>ようで>ある、>なるほど>にんげんの>かんさつてんから>いえばもっともな>おそれいり>かたである。>しかしねこの>たちばから>いうとどういつの>じじつが>かえって>かみの>むのうりょくを>しょうめいしているとも>かいしゃくが>できる。>もし>ぜんぜんむのうでなくともにんげん>いじょうの>のうりょくは>けっして>ない>ものであると>だんていが>できるだろうと>おもう。>かみが>にんげんの>かず>だけ>それだけおおくの>かおを>せいぞうしたと>いうが、>とうしょから>きょうちゅうに>せいさんが>あってかほどの>へんかを>しめした>ものか、>またはねこも>しゃくしも>おなじかおに>つくろうと>おもってやり>かけてみたが、>とうてい>うまく>いかなくてできる>のも>できる>のも>つくり>そこねてこの>らんざつな>じょうたいに>おちいった>ものか、>わからんではないか。>かれら>がんめんの>こうぞうは>かみの>せいこうの>きの>ねんと>み>ら>るる>とどうじにしっぱいの>あと>迹とも>はんぜ>ら>るるではないか。>ぜんのうとも>うん>えようが、>むのうと>ひょうしたって>さしつかえはない。>かれら>にんげんの>めは>へいめんの>うえに>ふたつ>ならんでいるのでさゆうを>いちじに>みる>ことが>できんからじぶつの>はんめんだけ>しか>しせん>ないに>はいいらん>のは>きのどくな>しだいである。>たちばを>かえてみればこのくらい>たんじゅんな>じじつは>かれらの>しゃかいに>にちや>かんだん>なく>おこりつつある>のだが、>ほんにん|>ぎゃく>せ>あがって、>かみに>のま>れているからさとり>ようが>ない。>せいさくの>うえに>へんかを>あらわす>のが>こんなんで>あるならば、>そのうえに>てっとうてつびの>かたぎ>傚を>しめす>のも>どうように>こんなんである。>ら>ふぁ>えるに>すんぶん>ちがわぬ>せいぼの>ぞうを>にまい>かけと>ちゅうもんする>のは、>ぜんぜんに>よらぬ>まどんなを>そうふく>みせろと>逼ると>おなじく、>ら>ふぁ>えるにとっては>めいわくであろう、>いなおなじ>ものを>にまい>かく>かたが>かえって>こんなんかも>しれぬ。>こうぼうだいしに>むかってきのう>かいた>とおりの>ひっぽうで>くうかいと>ねがいますという>ほうが>まるで>しょたいを>かえてと>ちゅうもんさ>れるよりも>くるしいかも>わからん。>にんげんの>よう>うる>こくごは>ぜんぜん|>かたぎ>傚>しゅぎで>でんしゅうする>ものである。>かれら>にんげんが>ははから、>おんばから、>たにんから>じつようじょうの>げんごを>ならう>ときには、>ただきいた>とおりを>くりかえすより>ほかに>もうとうの>やしんはない>のである。>できるだけの>のうりょくで>ひとまねを>する>のである。>かように>ひとまねから>せいりつする>こくごが>じゅうねん>にじゅう>ねんと>たつ>うち、>はつおんに>しぜんと>へんかを>しょうじてくる>のは、>かれらに>かんぜんなる>かたぎ>傚の>のうりょくが>ないと>いう>ことを>しょうめいしている。>じゅんすいの>かたぎ>傚は>かくのごとく>しなんな>ものである。>したがってかみが>かれら>にんげんを>くべつの>できぬ>よう、>しっかい>やきいんの>ごかめのごとく>つくり>えたならばますますかみの>ぜんのうを>ひょうめいし>える>もので、>どうじに>きょうの>ごとく>かってしだいな>かおを>てんじつに>曝>ら>さして、>めまぐるしきまでに>へんかを>しょうぜ>しめた>のは>かえって>そのむのうりょくを>すいちし>える>の>ぐとも>なり>える>のである。 >わがはいは>なにの>ひつようが>あってこんな>ぎろんを>したか>わすれてしまった。>ほんを>ぼうきゃくする>のは>にんげんにさえ>あり>がちの>ことであるからねこには>とうぜんの>こと>さと>おおめに>みてもらいたい。>とにかく>わがはいは>しんしつの>しょうじを>あけてしきいの>うえに>ぬっと>あらわれた>どろぼう>かげ>しを>べっけんした>とき、>いじょうの>かんそうが>しぜんと>きょうちゅうに>わきで>でた>のである。>なぜわいた?――>なぜと>いう>しつもんが>でれば、>いま>いちおうかんがえなおしてみなければならん。――>ええと、>そのわけは>こうである。 >わがはいの>がんぜんに>ゆうぜんと>あらわれた>かげ>しの>かおを>みるとその>かおが――>へいじょう>しんの>せいさくについて>そのでき>えいを>あるいはむのうの>けっかではあるまいかと>うたがっていたのに、>それを>いちじに>うちけすに>たるほどな>とくちょうを>ゆうしていたからである。>とくちょうとは>ほかではない。>かれの>びもくが>わがしんあい>なる>こうだんし>みずしま>かんげつ>くんに>うり>ふたつであると>いう>じじつである。>わがはいは>むろん>どろぼうに>おおくの>ちきは>もたぬが、>そのこういの>らんぼうな>ところから>へいじょうそうぞうしてわたしかに>きょうちゅうに>えがいていた>かおはないでも>ない。>こばなの>さゆうに>てんかいした、>いっせん>どうかくらいの>めを>つけた、>いがぐり>あたまに>きまっていると>じぶんで>かってに>きわめた>のであるが、>みると>かんがえるとは>てんちの>そうい、>そうぞうは>けっして>逞>く>する>ものではない。>このかげ>しは>せの>すらりと>した、>いろの>あさぐろい>いちの>じ>まゆの、>いきで>りっぱな>どろぼうである。>としは>にじゅう>ろくなな>さいでもあろう、>それ>す>ら>かんげつ>くんの>しゃせいである。>かみも>こんなにた>かおを>にこ>せいぞうし>える>てぎわが>あると>すれば、>けっして>むのうをもって>もくする>わけには>いかぬ。>いや>じっさいの>ことを>いうと>かんげつ>くん>じしんが>きが>へんに>なってしんやに>とびだしてきた>のではあるまいかと、>はっと>おもった>くらい>よく>にている。>ただはなの>したに>うすくろく>ひげの>めばえが>うえつけ>てないのでさては>べつじんだと>きがついた。>かんげつ>くんは>にがみ>ば>しったこうだんしで、>かつどうこぎってと>迷>ていから>しょうせ>られ>たる、>かねだ>とみこ>じょうを>ゆうに>きゅうしゅうするに>たるほどな>ねん>いれの>せいさくぶつである。>しかしこの>かげ>しも>ひと>しょうから>かんさつするとその>ふじんにたいする>いんりょく>じょうの>さようにおいて>けっして>かんげつ>くんに>いちほも>ゆずらない。>もし>かねでんの>れいじょうが>かんげつ>くんの>め>づけや>くちさきに>まよった>のなら、>どうとうの>ねつどをもって>このどろぼう>くんにも>ほれこまなくては>ぎりが>わるい。>ぎりは>とにかく、>ろんりに>あわない。>ああ>いう>さいきの>ある、>なにでも>はやわかりの>する>せいしつだから>このくらいの>ことは>ひとから>きかんでも>きっと>わかるであろう。>してみると>かんげつ>くんの>かわりに>このどろぼうを>さしだしても>かならずまんしんの>あいを>ささげてきんしつ>ちょうわの>みを>あげ>ら>るるに>そういない。>まんいちかんげつ>くんが>迷>ていなどの>せっぽうに>うごかさ>れて、>このせんこの>りょうえんが>やぶれるとしても、>このかげ>しが>けんざいである>うちは>だいじょうぶである。>わがはいは>みらいの>じけんの>はってんを>ここまで>よそうして、>とみこ>じょうの>ために、>やっと>あんしんした。>このどろぼう>くんが>てんちの>あいだに>そんざいする>のは>とみこ>じょうの>せいかつを>こうふくなら>しむる>いちだい>ようけんである。 >かげ>しは>こわきに>なにかかかえている。>みるとせんこく>しゅじんが>しょさいへ>ほうりこんだ>こもうふである。>とうざんの>はんてんに、>ごなんどの>はかたの>おびを>しりの>うえに>むすんで、>なまっちろい>すねは>ひざから>した>むきだしの>まま>いまや>かたあしを>あげてたたみの>うえへ>いれる。>せんこくから>あかい>ほんに>ゆびを>かま>れた>ゆめを>みていた、>しゅじんは>このとき>ねがえりを>どうと>うちながら「>かんげつだ」と>おおきなこえを>だす。>かげ>しは>もうふを>おとして、>だした>あしを>きゅうに>ひきこま>す。>しょうじの>かげに>ほそながい>こうすねが>にほん>たった>まま>かすかに>うごく>のが>みえる。>しゅじんは>うーん、>むにゃむにゃと>いいながられいの>あかほんを>つきとばして、>くろい>うでを>ひぜん>やみの>ように>ぼり>ぼり>かく。>そのあとは>しずまりかえって、>まくらを>はずした>なり>ねてしまう。>かんげつだと>いった>のは>まったくわれ>しらずの>ねごとと>みえる。>かげ>しは>しばらく椽>がわに>たった>まま>しつないの>どうせいを>うかがっていたが、>しゅじん>ふうふの>じゅくすいしている>のを>み>なしてまたかたあしを>たたみの>うえに>いれる。>こんどは>かんげつだと>いう>こえも>きこえぬ。>やがて>のこる>かたあしも>ふみこむ。>いちほの>はる>とうで>ゆたかに>てらさ>れていた>ろくじょうの>あいだは、>かげ>しの>かげに>するど>どく>にぶんせら>れてやなぎごうりの>あたりから>わがはいの>あたまの>うえを>こえてかべの>なかばが>まっくろに>なる。>ふりむいてみるとかげ>しの>かおの>かげが>ちょうど>かべの>たか>さの>さんぶんの>にの>ところに>ばくぜんとうごいている。>こうだんしも>かげだけ>みると、>やっつ>あたまの>ばけもののごとく>まことに>みょうな>かっこうである。>かげ>しは>さいくんの>ねがおを>うえから>のぞき>こんでみたがなにの>ためか>にやにやと>わらった。>わらい>かたまでが>かんげつ>くんの>もしゃであるには>わがはいも>おどろいた。 >さいくんの>まくらもとには>よんすん>かくの>いちしゃく>ごろく>すんばかりの>くぎづけに>した>はこが>だいじ>そうに>おいてある。>これは>ひぜんの>くには>からつの>じゅうにん|>たたら>さんぺい>くんが>せんじつ>きせいした>とき|>ごみやげに>もってきた>やまのいもである。>やまのいもを>まくらもとへ>かざってねる>のは>あまりれいの>ない>はなししでは>あるが>このさいくんは>にものに>つかう>さんぼんを>ようだんすへ>いれるくらい>ばしょの>てきふてきと>いう>かんねんに>とぼしい>おんなであるから、>さいくんに>とれば、>やまのいもは>おろか、>たくあんが>しんしつに>あっても>へいきかも>しれん。>しかしかみ>ならぬ>かげ>しは>そんなおんなと>しろう>はずが>ない。>かくまで>ていちょうに>はだみに>ちかく>おいてある>いじょうは>たいせつな>しなものであろうと>かんていする>のも>むりはない。>かげ>しは>ちょっとやまのいもの>はこを>あげてみたがその>おも>さが>かげ>しの>よきと>あわしておおいた>めかたが>かかり>そうなのですこぶる>まんぞくの>からだである。>いよいよ>やまのいもを>ぬすむなと>おもったら、>しかもこの>こうだんしに>してやまのいもを>ぬすむなと>おもったら>きゅうに>おかしく>なった。>しかしめったに>こえを>たてるときけんであるからじっと>怺>えている。 >やがて>かげ>しは>やまのいもの>はこを>うやうやしく>ふる>もうふに>くるみ>そめた。>なにかからげる>ものはないかと>あたりを>みまわす。と、>さいわいしゅじんが>ねる>ときに>とき>すてた>ちりめんの>へい>ふる>たいが>ある。>かげ>しは>やまのいもの>はこを>このおびで>しっかりくくって、>くも>なく>せなかへ>しょう。>あまりおんなが>すく>ていさいではない。>それからしょうともの>ちゃんちゃんを>にまい、>しゅじん>のめり>やすの>ももひきの>なかへ>おしこむと、>この>あたりが>まるく>ふくれてあおだいしょうが>かえるを>のんだ>ような――>あるいはあおだいしょうの>りんげつと>いう>ほうが>よく>けいようし>えるかも>しれん。>とにかく>へんな>かっこうに>なった。>うそだと>おもうなら>ためしに>やってみるがよろしい。>かげ>し>はめり>やすを>ぐるぐる>くび>っ>たまきへ>まき>つけた。>そのつぎは>どうするかと>おもうとしゅじんの>つむぎの>うわぎを>だいふろしきの>ように>ひろげてこれに>さいくんの>おびと>しゅじんの>はおりと>繻>きずなと>そのた>あらゆるざつ>ぶつを>きれいに>たたんでくるみ>こむ。>そのじゅくれんと>きような>やりくちにも>ちょっとかんしんした。>それからさいくんの>おび>あげと>しごきとを>ぞくぎ>あわせてこの>つつみを>くくってかたてに>さげる。>まだちょうだいする>ものは>ないかなと、>あたりを>みまわしていたが、>しゅじんの>あたまの>さきに「>あさひ」の>ふくろが>ある>のを>みつけて、>ちょっとたもとへ>なげこむ。>またその>ふくろの>なかから>いちほん>だしてらんぷに>かざしてひを>つける。>むね>ま>そうに>ふかく>すってはきだした>けむりが、>ちち>しょくの>ほやを>にょうって>まだきえぬ>あいだに、>かげ>しの>あしおとは>椽>がわを>しだいに>とおのいてきこえなく>なった。>しゅじん>ふうふは>いぜんとして>じゅくすいしている。>にんげんも>ぞんがい|>まが>濶な>ものである。 >わがはいは>またざんじの>きゅうようを>ようする。>のべつに>ちょう>したって>いては>しんたいが>つづかない。>ぐっと>ねこんでめが>さめた>ときは>やよいの>そらが>ほがらかに>はれわたってかってぐちに>しゅじん>ふうふが>じゅんさと>たいだんを>している>ときであった。「>それでは、>ここから>はいいってしんしつの>ほうへ>めぐった>んですな。>あなた>かたは>すいみんちゅうで>いっこう>きがつかなかった>のですな」「>ええ」と>しゅじんは>すこしきまりが>わる>そうである。「>それで>とうなんに>かかった>のは>なんじ>ころですか」と>じゅんさは>むりな>ことを>きく。>じかんが>わかるくらいなら>なににも>ぬすま>れる>ひつようはない>のである。>それに>きがつかぬ>しゅじん>ふうふは>しきりに>このしつもんにたいして>そうだんを>している。「>なんじ>ころかな」「>そうですね」と>さいくんは>かんがえる。>かんがえればわかると>おもっているらしい。「>あなたは>ゆうべ>いつに>ごやすみに>なった>んですか」「>おれの>ねた>のは>おまえより>あとだ」「>え>え>わたし>しの>ふせった>のは、>あなたより>まえです」「>めが>さめた>のは>いつだったかな」「>ななじはんでしたろう」「>するととうぞくの>はいいった>のは、>なんじ>ころに>なるかな」「>なんでも>よる>なかでしょう」「>よなかは>わかり>きっているが、>なんじ>ころかと>いう>んだ」「>たしかな>ところは>よく>かんがえてみないと>わかりません>わ」と>さいくんは>まだかんがえる>つもりでいる。>じゅんさは>ただけいしき>てきに>きいた>のであるから、>いつ>はいいった>ところが>いっこう>つうようを>かんじない>のである。>うそでも>なにでも、>いいかげんな>ことを>こたえてくれればむべ>いと>おもっているのにしゅじん>ふうふが>ようりょうを>えない>もんどうを>している>ものだからしょうしょう|>じれたく>なったと>みえて「>それじゃとうなんの>じこくは>ふめいな>んですな」と>いうと、>しゅじんは>れいのごとき>ちょうしで「>まあ、>そうですな」と>こたえる。>じゅんさは>わらいも>せずに「>じゃあね、>めいじ>さんじゅう>はちねん>なんつき>なんにち>とじまりを>してねた>ところが>とうぞくが、>どこ>そこの>あまどを>はずしてどこ>そこに>しのびこんでしなものを>なんてん>ぬすんでおこなったからみぎ>こくそ及>こう>也という>しょめんを>おだし>なさい。>とどけではない>こくそです。>なあてはない>ほうが>いい」「>しなものは>いちいち>かく>んですか」「>え>え>はおり>なんてん>だいか>いくらと>いう>かぜに>ひょうに>してだす>んです。――>いや>はいいってみたって>しかたが>ない。>とら>れた>あと>なんだから」と>へいきな>ことを>いってかえっていく。 >しゅじんは>ひっけんを>ざしきの>まんなかへ>もちだして、>さいくんを>まえに>よびつけて「>これからとうなん>こくそを>かくから、>とら>れた>ものを>いちいち>いえ。>さあ>いえ」と>あたかも>けんかでも>する>ような>くちょうで>いう。「>あら>いやだ、>さあうん>えだなんて、>そんなけんぺいずくで>だれが>いう>もんですか」と>ほそ>たいを>まきつけた>まま>どっかと>こしを>すえる。「>そのかぜは>なんだ、>しゅくば>じょろうの>でき>そん>い>みた>ようだ。>なぜおびを>しめてでてこん」「>これで>わる>る>ければかってください。>しゅくば>じょろうでも>なんでもとら>れりゃ>しかたが>ないじゃ>ありませんか」「>おびまで>とっていった>のか、>苛>い>やつだ。>それじゃたいから>かきつけてやろう。>おびは>どんなおびだ」「>どんなおびって、>そんなに>なんほんも>ある>もんですか、>くろ>しゅすと>ちりめんの>はらあわせの>おびです」「>くろ>しゅすと>ちりめんの>はらあわせの>おび>ひとすじ――>あたいは>いくらくらいだ」「>ろくえんくらいでしょう」「>なまいきに>たかい>おびを>しめ>てるな。>こんどから>いちえん>ごじゅう>せんくらい>のに>しておけ」「>そんなおびが>ある>ものですか。>それだからあなたは>ふにんじょうだと>いう>んです。>にょうぼう>なんどは、>どんなきたな>ない>かぜを>していても、>じぶん>さい>むべ>けりゃ、>かまわない>んでしょう」「>まあ>いいや、>それからなにだ」「>いとおりの>はおりです、>あれは>こうのの>おばさんの>かたち>みに>もらった>んで、>おなじいとおりでも>いまの>いとおりとは、>たちが>ちがいます」「>そんなこうしゃくは>きかんでも>いい。>ねだんは>いくらだ」「>じゅうご>えん」「>じゅうご>えんの>はおりを>きるなんて>みぶん>ふそうとうだ」「>いいじゃ>ありませんか、>あなたに>かっていただ>きゃあ>しまいし」「>そのつぎは>なにだ」「>くろ>たびが>ひとあし」「>おまえ>のか」「>あなた>んで>さあね。>だいかが>にじゅう>ななせん」「>それから?」「>やまのいもが>いちはこ」「>やまのいもまで>もっていった>のか。>にてくう>つもりか、>とろろ>じるに>する>つもりか」「>どうする>つもりか>しりません。>どろぼうの>ところへ>おこなってきいていらっしゃい」「>いくら>するか」「>やまのいもの>ねだ>んまでは>しりません」「>そんなら>じゅうに>えんご>じゅうせんくらいに>しておこう」「>ばかばかしいじゃ>ありませんか、>いくら>からつから>ほってきたって>やまのいもが>じゅうに>えんご>じゅうせん>してたまる>もんですか」「>しかしおまえは>しらんと>いうじゃないか」「>しりません>わ、>しりませんが>じゅうに>えんご>じゅうせん>なんて>ほうがいです>もの」「>しらんけれども>じゅうに>えんご>じゅうせんは>ほうがいだとは>なにだ。>まるで>ろんりに>あわん。>それだからきさまは>おたんちん・>ぱ>れお>ろ>がすだと>いう>んだ」「>なにですって」「>おたんちん・>ぱ>れお>ろ>がすだよ」「>なにで>すその>おたんちん・>ぱ>れお>ろ>がすって>いう>のは」「>なにでも>いい。>それからあとは――>おれの>きものは>いっこう>でてく>んじゃないか」「>あとは>なにでも>むべ>うござん>す。>おたんちん・>ぱ>れお>ろ>がすの>いみを>きかしてちょうだい」「>いみも>なににも>ある>もんか」「>おしえてくだすっても>いいじゃ>ありませんか、>あなたは>よっぽど>わたしを>ばかに>していらっしゃる>のね。>きっと>ひとが>えいごを>しらないと>おもってわるぐちを>おっしゃった>んだよ」「>ぐな>ことを>いわんで、>はやく>あとを>いうがよい。>はやく>こくそを>せんと>しなものが>かえらんぞ」「>どうせ>いまから>こくそを>したってまにあい>や>しません。>それ>よりか、>おたんちん・>ぱ>れお>ろ>がすを>おしえてちょうだい」「>うるさい>おんなだな、>いみも>なににも>ないと>いうに」「>そんなら、>しなものの>ほうも>あとは>ありません」「>がんぐだな。>それではかってに>するがいい。>おれは>もう>とうなん>こくそを>かいてやらんから」「>わたしも>しなかずを>おしえてあげません。>こくそは>あなたが>ごじぶんで>なさる>んですから、>わたしは>かいていただかないでも>こまりません」「>それじゃはいそう」と>しゅじんは>れいのごとく>ふいと>たってしょさいへ>はいいる。>さいくんは>ちゃのまへ>ひきさがってはりばこの>まえへ>すわる。>りょうにん>とも>じゅうふんかんばかりは>なににも>せずに>だまってしょうじを>ねめ>つけている。 >ところへ>いせい>よく>げんかんを>あけて、>やまのいもの>きぞうしゃ|>たたら>さんぺい>くんが>のぼってくる。>たたら>さんぺい>くんは>もと>このいえの>しょせいであったがいまでは>ほうか>だいがくを>そつぎょうしてある>かいしゃの>こうざん>ぶに>やとわ>れている。>これも>じつぎょう>かの>めむで、>すずき>とうじゅうろう>くんの>こうしんせいである。>さんぺい>くんは>いぜんの>かんけいから>ときどき>きゅうせんせいの>くさ>いおりを>ほうもんしてにちようなどには>いちにち>あそんでかえるくらい、>このかぞくとは>えんりょの>ない>あいだがらである。「>おくさん。>よか>てんきで>ござります」と>からつ>なまりか>なにかで>さいくんの>まえに>ずぼんの>まま>たて>ひざを>つく。「>おや>たたら>さん」「>せんせいは>どこぞ>でな>すったか」「>いいえ>しょさいに>います」「>おくさん、>せんせいの>ごと>べんきょうし>なさるとどくです>ばい。>たまの>にちようだ>もの、>あなた」「>わたしに>いっても>だめだから、>あなたが>せんせいに>そうおっしゃい」「>それ>ばってんが……」と>いい>かけた>さんぺい>くんは>ざしき>ちゅうを>み>まわり>わして「>きょうは>ごじょう>さんも>み>えんな」と>はんぶん>さいくんに>きいている>や>いなや>つぎのま>からと>ん>こと>すん>こが>馳け>で>してくる。「>たたら>さん、>きょうは>ごすしを>もってきて?」と>あねの>とん>こは>せんじつの>やくそくを>おぼえていて、>さんぺい>くんの>かおを>みる>や>いなや>さいそくする。>たたら>くんは>あたまを>かきながら「>よう>おぼえている>のう、>このつぎは>きっと>もってきます。>きょうは>わすれた」と>はくじょうする。「>いやーだ」と>あねが>いうといもうとも>すぐまねを>して「>いやーだ」と>つける。>さいくんは>ようやく>ごきげんが>なおってしょうしょうえがおに>なる。「>すしは>もってこんが、>やまのいもは>あげたろう。>ごじょう>さん>喰べ>なさったか」「>やまのいもって>なあに?」と>あねが>きくといもうとが>こんども>またまねを>して「>やまのいもって>なあに?」と>さんぺい>くんに>たずねる。「>まだくい>なさらんか、>はやくごはは>あ>さんに>にておもらい。>からつの>やまのいもは>とうきょう>のとは>ちがってうまか>あ」と>さんぺい>くんが>くに>じまんを>すると、>さいくんは>ようやく>きがついて「>たたら>さん>せんだっては>ごしんせつに>たくさん>ありがとう」「>どうです、>喰べてみな>すったか、>おり>れん>ように>はこを>あつらえ>ら>えて>かたく>つめてきたから、>ながい>ままでありましたろう」「>ところがせっかく>した>すった>やまのいもを>ゆうべ>どろぼうに>とら>れてしまって」「ぬ>す>とうが? >ばかな>やつですなあ。>そげんやまのいもの>すきな>おとこが>おりますか?」と>さんぺい>くん|>だいに>かんしんしている。「>ごはは>あ>さま、>ゆうべ>どろぼうが>はいいったの?」と>あねが>たずねる。「>ええ」と>さいくんは>かるく>こたえる。「>どろぼうが>はいいって――>そうして――>どろぼうが>はいいって――>どんなかおを>してはいいったの?」と>こんどは>いもうとが>きく。>このきもんには>さいくんも>なんと>こたえてよいか>わからんので「>こわい>かおを>してはいいりました」と>へんじを>してたたら>くんの>ほうを>みる。「>こわい>かおって>たたら>さん>みた>ような>かおな>の」と>あねが>きのどく>そうにも>なく、>おしかえしてきく。「>なにですね。>そんなしつれいな>ことを」「>はははは>わたしの>かおは>そんなに>こわいですか。>こまったな」と>あたまを>かく。>たたら>くんの>あたまの>こうぶには>ちょっけい>いっすんばかりの>かむろが>ある。>いちかげつ>まえから>でき>だしていしゃに>みてもらったが、>まだよういに>癒り>そうも>ない。>このかむろを>だいいち>ばんに>みつけた>のは>あねの>とん>こである。「>あら>たたら>さんの>あたまは>ごはは>さまの>ように>ひかり>かってよ」「>だまっていらっしゃいと>いうのに」「>ごはは>あ>さま>ゆうべの>どろぼうの>あたまも>ひかり>かっ>てて」と>これは>いもうとの>しつもんである。>さいくんと>たたら>くんとは>おもわずふきだしたが、>あまりわずらわしくてはなしも>なにも>できぬ>ので「>さあ>さあごぜん>さん>たちは>すこしごにわへ>でておあそび>なさい。>いまに>ごはは>あ>さまが>よい>ごかしを>あげるから」と>さいくんは>ようやく>こどもを>おいやって「>たたら>さんの>あたまは>どうした>の」と>まじめに>きいてみる。「>むしが>くいました。>なかなか癒りません。>おくさんも>あんな>さるか」「>やだわ、>むしが>くうなんて、>そりゃまげで>つる>ところは>おんなだからすこしは>はげ>ますさ」「>かむろは>みんな>ばく>てりやです>ばい」「>わたし>のは>ばく>てりやじゃ>ありません」「>そりゃおくさん>いじ>はりたい」「>なにでも>ばく>てりやじゃ>ありません。>しかしえいごで>かむろの>ことを>なんとか>いうでしょう」「>かむろは>ぼーるどとか>いいます」「>いいえ、>それじゃない>の、>もっと>ながい>なが>あるでしょう」「>せんせいに>きいたら、>すぐわかりましょう」「>せんせいは>どうしても>おしえてくださらないから、>あなたに>きく>んです」「>わたしは>ぼーるどより>しりませんが。>ちょうかって、>どげんですか」「>おたんちん・>ぱ>れお>ろ>がすと>いう>んです。>おたんちんと>いう>のが>かむろと>いう>じで、>ぱ>れお>ろ>がすが>あたまな>んでしょう」「>そうかも>しれません>たい。>いまに>せんせいの>しょさいへ>おこなってうぇぶすたーを>ひいてしらべてあげましょう。>しかしせんせいも>よほど>かわってい>なさいます>な。>このてんきの>よいのに、>うちに>じっと>して――>おくさん、>あれじゃ>いびょうは>癒りませんな。>ちと>うえのへでも>はなみに>でかけ>なさる>ごと>すすめ>なさい」「>あなたが>つれだしてください。>せんせいは>おんなの>いう>ことは>けっして>きかない>ひとですから」「>このころでも>じゃむを>なめ>なさるか」「>え>え>そう>かわらず>で>す」「>せんだって、>せんせい>こぼしてい>なさいました。>どうも>つまが>おれの>じゃむの>なめ>かたが>はげしいと>いってこまるが、>おれは>そんなに>なめる>つもりはない。>なにか>かんじょうちがいだろうと>いい>なさるから、>そりゃごじょう>さんや>おくさんが>いっしょに>なめ>なさるに>違>ない――」「>いやな>たたら>さんだ、>なにだって>そんな>ことを>いう>んです」「>しかしおくさんだって>なめ>そうな>かおを>してい>なさる>ばい」「>かおで>そんなことが>どうして>わかります」「>わからん>ばってんが――>それじゃおくさん>すこしも>なめ>なさらんか」「>そりゃすこしは>なめ>ますさ。>なめたって>よいじゃ>ありませんか。>うちの>ものだ>もの」「>はははは>そうだろうと>おもった――>しかしほんの>こと、>どろぼうは>とんだ>さいなんでしたな。>やまのいもばかり>もってぎょうた>のですか」「>やまのいもばかりなら>こまりゃ>しませんが、>ふだん>ぎを>みんな>とっていきました」「>さっそくこまりますか。>またしゃっきんを>しなければならんですか。>このねこが>いぬなら>よかったに――>おしい>ことを>したなあ。>おくさん>いぬの>だいか>やつを>ぜひいっちょう>かい>なさい。――>ねこは>だめです>ばい、>めしを>くうばかりで――>ちっとは>ねずみでも>とりますか」「>いちひきも>とった>ことは>ありません。>ほんとうに>おうちゃくな>ず々>ずうずうしい>ねこですよ」「>いや>そりゃ、>どうも>こうも>ならん。>そうそうすて>なさい。>わたしが>もらっていってにてくおうか>しらん」「>あら、>たたら>さんは>ねこを>たべる>の」「>くいました。>ねこは>むねう>ござります」「>ずいぶんごうけつね」 >かとうな>しょせいの>うちには>ねこを>くう>ような>やばん>じんが>ある>よしは>かねて>でんぶんしたが、>わがはいが>ひろ|>けんこを>辱>う>する>たたら>くん>そのひとも>またこの>どうるい>ならんとは>いまが>いままで>ゆめにも>しらなかった。>いわんや>どうくんは>すでに>しょせいではない、>そつぎょうの>ひは>あさきにも>かかわらず>どうどうたる>いちこの>ほうがく>しで、>むっつ>い>ぶっさん>かいしゃの>やくいんである>のだからわがはいの>きょうがくも>また>いちと>とおりではない。>ひとを>みたら>どろぼうと>おもえと>いう>かくげんは>かんげつ>だいに>せいの>こういによって>すでに>しょうこだて>られたが、>ひとを>みたら>ねこ>ぐいと>おもえとは>わがはいも>たたら>くんの>おかげによって>はじめてかんとくした>しんりである。>よに>すめばことを>しる、>ことを>しるは>うれしいがひにひに>きけんが>おおくて、>ひにひに>ゆだんが>ならなく>なる。>こうかつに>なる>のも>ひれつに>なる>のも>ひょうり>にまい>あわせの>ごしん>ふくを>つける>のも>みな>ごとを>しる>の>けっかであって、>ことを>しる>のは>としを>とる>の>つみである。>ろうじんに>ろくな>ものが>いない>のは>このりだな、>わがはいな>ども>あるいはいまの>うちに>たたら>くんの>なべの>なかで>たまねぎとともに>じょうぶつする>ほうが>とくさくかも>しれんと>かんがえてすみの>ほうに>ちいさく>なっていると、>さいぜん>さいくんと>けんかを>していったん>しょさいへ>ひきあげた>しゅじんは、>たたら>くんの>こえを>ききつけて、>のそのそ>ちゃのまへ>でてくる。「>せんせい>どろぼうに>あい>なさった>そうですな。>なん>ち>ゅ>ぐな>ことです」と>へきとう>いちばんに>やりこめる。「>はいいる>やつが>ぐ>なんだ」と>しゅじんは>どこまでも>けんじんをもって>じにんしている。「>はいいる>ほうも>ぐだ>ばってんが、>とら>れた>ほうも>あまりけん>こく>はな>かごたる」「>なににも>とら>れる>ものの>ない>たたら>さんの>ような>のが>いちばん>けん>こい>んでしょう」と>さいくんが>此>どは>りょうじんの>かたを>もつ。「>しかしいちばん>ぐな>のは>このねこです>ばい。>ほんに>まあ、>どういう>りょうけんじゃ>ろう。>ねずみは>とらず>どろぼうが>きても>しらんかおを>している。――>せんせい>このねこを>わたしに>くんな>さらんか。>こうしておいたっちゃなにの>やくにも>たちません>ばい」「>やっても>よい。>なにに>する>んだ」「>にて喰べます」 >しゅじんは>もうれつなる>このひとことを>きいて、>う>ふと>きみの>わるい>いじゃく>せいの>えみを>もらしたが、>べつだんの>へんじも>しないので、>たたら>くんも>ぜひ>くいたいとも>いわなかった>のは>わがはいにとって>ぼうがいの>こうふくである。>しゅじんは>やがて>わとうを>てんじて、「>ねこは>どうでも>よいが、>きものを>とら>れた>ので>さむくていかん」と>だいに>しょうちんの>からだである。>なるほど>さむい>はずである。>きのうまでは>わた>いりを>にまい>かさねていた>のに>きょうは>あわせに>はんそでの>しゃつだけで、>あさから>うんどうも>せず>枯>ざし>たぎりであるから、>ふじゅうぶんな>けつえきは>ことごとく>いの>ために>はたらいててあしの>ほうへは>すこしも>じゅんかいしてこない。「>せんせい>きょうしなどを>しておった>ちゃ>とうてい>あかんです>ばい。>ちょっとどろぼうに>あっても、>すぐこまる――>いちちょう>いまから>こうを>かえてじつぎょう>かにでも>なんな>さらんか」「>せんせいは>じつぎょう>かは>いやだから、>そんなことを>いったって>だめよ」 と>さいくんが>そばから>たたら>くんに>へんじを>する。>さいくんは>むろん>じつぎょう>かに>なってもらいたい>のである。「>せんせい>がっこうを>そつぎょうして>なんねんに>なんな>さるか」「>ことしで>きゅうねん>めでしょう」と>さいくんは>しゅじんを>かえりみる。>しゅじんは>そうだとも、>そうで>ないとも>いわない。「>きゅうねん>たっても>げっきゅうは>あがらず。>いくら>べんきょうしても>ひとは>ほめちゃくれず、>ろう>きみ>どく>せきばくです>たい」と>ちゅうがく>じだいで>おぼえた>しの>くを>さいくんの>ために>ろうぎんすると、>さいくんは>ちょっとわかり>かねた>ものだからへんじを>しない。「>きょうしは>むろん|>いやだが、>じつぎょう>かは>なお>きらいだ」と>しゅじんは>なにが>すきだか>こころの>うらで>かんがえているらしい。「>せんせいは>なにでも>いやな>んだから……」「>いやでない>のは>おくさんだけですか」と>たたら>くん|>えに>にあわぬ>じょうだんを>いう。「>いちばん>いやだ」>しゅじんの>へんじは>もっとも>かんめいである。>さいくんは>よこを>むいてちょっときよし>したが>ふたたびしゅじんの>ほうを>みて、「>いきていらっしゃる>のも>ごいやな>んでしょう」と>じゅうぶん>しゅじんを>へこました>つもりで>いう。「>あまりすいてはおらん」と>ぞんがい|>のんきな>へんじを>する。>これでは>ての>つけようがない。「>せんせい>ちっと>かっぱつに>さんぽでも>し>なさらんと、>からだを>こわしてしまいます>ばい。――>そうしてじつぎょう>かに>なんな>さ>い。>きんなんか>もうける>のは、>ほんに>ぞうさも>ない>ことで>ござります」「>すこしも>もうけも>せん>くせに」「>まだあなた、>きょねん>やっと>かいしゃへ>はいいったばかりです>もの。>それでもせんせいより>ちょちくが>あります」「>どのくらい>ちょちくしたの?」と>さいくんは>ねっしんに>きく。「>もう>ごじゅう>えんに>なります」「>いったい>あなたの>げっきゅうは>どのくらいな>の」>これも>さいくんの>しつもんである。「>さんじゅう>えんです>たい。>そのうちを>まいつき>ごえん|>あて>かいしゃの>ほうで>あずかってつんでおいて、>いざと>いう>ときに>やります。――>おくさん>こづかい>ぜにで>そとぼり>せんの>かぶを>すこしかい>なさらんか、>いまから>さんよん>かげつすると>ばいに>なります。>ほんに>すこしきんさえ>あれば、>すぐ>にばいにでも>さんばいにでも>なります」「>そんなごきんが>あればどろぼうに>あったって>こまりゃ>しないわ」「>それだからじつぎょう>かに>かぎると>いう>んです。>せんせいも>ほうかでも>やってかいしゃか>ぎんこうへでも>で>なされば、>いまごろは>つきに>さんよん>ひゃくえんの>しゅうにゅうは>あります>のに、>おしい>ことで>ござんしたな。――>せんせい>あのすずき>とうじゅうろうと>いう>こうがく>しを>しっ>て>なさるか」「>うん>きのう>きた」「>そうでござん>すか、>せんだって>ある>えんかいで>あいました>とき>せんせいの>ごはなしを>したら、>そうか>きみは>く>さや>くんの>ところの>しょせいを>していた>のか、>ぼくも>く>さや>くんとは>むかし>し>こいしかわの>てらで>いっしょに>じすいを>しておった>ことが>ある、>こんど>おこなったら>よろしく>いうて>くれ、>ぼくも>そのうち>たずねるからと>いっていました」「>ちかごろ>とうきょうへ>きた>そうだな」「>え>え>いままで>きゅうしゅうの>たんこうに>おりましたが、>こないだ>とうきょう|>つめに>なりました。>なかなかうまいです。>わたし>なぞにでも>ほうゆうの>ように>はなします。――>せんせい>あのおとこが>いくら>もらっ>てると>おもい>なさる」「>しらん」「>げっきゅうが>にひゃく>ごじゅう>えんで>ぼんくれに>はいとうが>つきますから、>なにでも>へいきん>よんご>ひゃくえんに>なります>ばい。>あげな>おとこが、>よ>かしこ>とっておるのに、>せんせいは>りーだー>せんもんで>じゅうねん|>いちきつね>裘>じゃばか>きております>な>あ」「>じっさいばか>きているな」と>しゅじんの>ような>ちょうぜん>しゅぎの>ひとでも>きんせんの>かんねんは>ふつうの>にんげんと>ことなる>ところはない。>いなこんきゅうするだけに>ひといちばい>きんが>ほしい>のかも>しれない。>たたら>くんは>じゅうぶん>じつぎょう>かの>りえきを>ふいちょうしてもう>いう>ことが>なくなった>ものだから「>おくさん、>せんせいの>ところへ>みず>しま>かんげつと>いう>ひとが>きますか」「>ええ、>よく>いらっしゃいます」「>どげんな>じんぶつですか」「>たいへん>がくもんの>できる>ほうだ>そうです」「>こうだんしですか」「>ほ>ほ>ほ>ほ>たたら>さん>くらいな>ものでしょう」「>そうですか、>わたしくらいな>ものですか」と>たたら>くん>まじめである。「>どうして>かんげつの>なを>しっている>のか>い」と>しゅじんが>きく。「>せんだって>あるる>ひとから>たのま>れました。>そんなことを>きくだけの>かちの>ある>じんぶつでしょうか」>たたら>くんは>きかぬ>さきから>すでに>かんげつ>いじょうに>かまえている。「>きみより>よほど>えらい>おとこだ」「>そうでございますか、>わたしより>えらいですか」と>わらいも>せず>いかりも>せぬ。>これが>たたら>くんの>とくしょくである。「>ちかぢか>はかせに>なりますか」「>こんろんぶんを>かい>てる>そうだ」「>やっぱり>ばかですな。>はかせ>ろんぶんを>かくなんて、>もうすこしはなせる>じんぶつかと>おもったら」「>そう>かわらず、>えらい>けんしきですね」と>さいくんが>わらいながらいう。「>はかせに>なったら、>だれとかの>むすめを>やるとか>やらんとか>いうて>いましたから、>そんなばかが>あろうか、>むすめを>もらう>ために>はかせに>なるなんて、>そんなじんぶつに>くれるより>ぼくに>くれる>ほうが>よほど>ましだと>いってやりました」「>だれに」「>わたしに>みずしまの>ことを>きいてくれと>たのんだ>おとこです」「>すずきじゃないか」「>いいえ、>あのひとにゃ、>まだそんな>ことは>いい>きりません。>むこうは>だいあたまですから」「>たたら>さんは>かげ>べんけい>ね。>うちへ>なんぞ>きちゃたいへん>いばっても>すずき>さんなどの>まえへ>でるとちいさく>なっ>てる>んでしょう」「>ええ。>そうせんと、>あぶないです」「>たたら、>さんぽを>しようか」と>とつぜんしゅじんが>いう。>せんこくから>あわせ>いちまいで>あまりさむいのですこしうんどうでも>したら>あたたかに>なるだろうと>いう>こうから>しゅじんは>このせんれいの>ない>どうぎを>ていしゅつした>のである。>ゆきあたりばったりの>たたら>くんは>むろん|>しゅんじゅんする>わけが>ない。「>いきましょう。>うえのに>しますか。>いも>ざかへ>おこなってだんごを>くいましょうか。>せんせい>あすこの>だんごを>くった>ことが>ありますか。>おくさん>いちかえ>いってくってごらん。>やわらかくてやすいです。>さけも>のま>せます」と>れいによって>ちつじょの>ない>だべんを>ふるっ>てる>うちに>しゅじんは>もう>ぼうしを>こうむってくつ>だっへ>おりる。 >わがはいは>またしょうしょうきゅうようを>ようする。>しゅじんと>たたら>くんが>うえのこうえんで>どんなまねを>して、>いも>ざかで>だんごを>いくさら>くったか>そのあたりの>いつじは>たんていの>ひつようも>なし、>またびこうする>ゆうきも>ないからずっと>りゃくしてその>あいだ>きゅうようせん>ければならん。>きゅうようは>ばんぶつの>みん>てんから>ようきゅうしてしかるべき>けんりである。>このよに>せいそくすべき>ぎむを>ゆうしてしゅんどうする>ものは、>せいそくの>ぎむを>はたす>ために>きゅうようを>えねばならぬ。>もし>かみ>ありてなんじは>はたらく>ために>うまれ>たり>ねる>ために>なれ>たるに>ひずと>いわばわがはいは>これに>こたえていわん、>わがはいは>おおせのごとく>はたらく>ために>うまれたり>ゆえに>はたらく>ために>きゅうようを>こうと。>しゅじんのごとく>きかいに>ふへいを>ふきこんだまでの>ぼっきょうかんで>す>ら、>ときどきは>にちよう>いがいに>じべんきゅうようを>やるではないか。>たかん>たこんに>してにちや>しんしんを>ろう>する>わがはい>ごとき>しゃは>たとえ>ねこと>いえどもしゅじん>いじょうに>きゅうようを>よう>するは>もちろんの>ことである。>ただせんこく>たたら>くんが>わがはいを>め>してきゅうよういがいに>なんらの>のうも>ない>ぜいぶつの>ごとくに>ののしった>のは>しょうしょうきがかりである。>とかくぶっしょうにのみ>しえきせらるる>ぞくじんは、>ごかんの>しげきいがいに>なんらの>かつどうも>ないので、>たを>ひょうかする>のでも>けいがい>いがいに>わたる>らん>のは>やっかいである。>なにでも>しりでも>はしょって、>あせでも>ださないと>働>ら>いていない>ように>かんがえている。>だるまと>いう>ぼうさんは>あしの>くさるまで>ざぜんを>してすましていたと>いうが、>たとえ>かべの>すきから>つたが>はい>こんでだいしの>め>ぐちを>ふさぐまで>うごかないに>しろ、>ねている>んでも>しんでいる>んでもない。>あたまの>なかは>つねに>かつどうして、>くるわ>しか>むひじりなどと>おつな>りくつを>かんがえこんでいる。>じゅかにも>せいざの>くふうと>いう>のが>ある>そうだ。>これだって>いっしつの>なかに>へいきょしてあんかんと>いざりの>しゅぎょうを>する>のではない。>のう>ちゅうの>かつりょくは>ひといちばい|>おきに>もえている。>ただがいけん>じょうは>しごく>ちんせいたん>粛の>たいであるから、>てんかの>ぼんがんは>これらの>ちしき>きょしょうをもって>こんすいかしの>いさお>ひとと>み>做>してむようの>ちょうぶつとか>ごくつぶしとか>いり>ら>ざる>ひぼうの>こえを>たてる>のである。>これらの>ぼんがんは>かいかたちを>みてこころを>みざる>ふぐ>なる>しかくを>ゆうしてうまれ>ついた>もので、――>しかもかれの>たたら>さんぺい>くんのごときは>かたちを>みてこころを>みざる>だいいちりゅうの>じんぶつであるから、>このさんぺい>くんが>わがはいを>め>していぬい>屎※>どうとうに>こころえる>のも>もっともだが、>うらむ>らくは>すこしく>ここんの>しょせきを>よんで、>やや>じぶつの>しんそうを>かいし>えたる>しゅじんまでが、>せんばく>なる>さんぺい>くんに>いちも>にも>なく>どういして、>ねこ>なべに>こしょうを>はさむ>けしきの>ない>ことである。>しかしいっぽ>しりぞいてかんがえてみると、>かくまでに>かれらが>わがはいを>けいべつする>のも、>あながち>むりではない。>おおごえは>りじに>はいらず、>ようしゅん>しろ>ゆきの>しには>わ>する>もの>しょうなしの>喩も>ふるい>むかしから>ある>ことだ。>けいたい>いがいの>かつどうを>みる>あたわざる>ものに>むかってき>れいの>こうきを>みよと>つとむ>ゆるは、>ぼうずに>かみを>ゆえと>逼>るがごとく、>まぐろに>えんぜつを>してみろと>いうがごとく、>でんてつに>だっせんを>ようきゅうするがごとく、>しゅじんに>じしょくを>かんこくする>ごとく、>さんぺいに>きんの>ことを>かんがえるなと>いうがごとき>ものである。>必>竟>むりな>ちゅうもんに>すぎん。>しかしながらねこと>いえどもしゃかい>てき>どうぶつである。>しゃかい>てき>どうぶつである>いじょうは>いかに>たかく>みずから>しるべ>置>するとも、>あるる>ていどまでは>しゃかいと>ちょうわしていかねばならん。>しゅじんや>さいくんや>ないしごさん、>さんぺい|>れんが>わがはいを>わがはい>そうとうに>ひょうかしてくれん>のは>ざんねんながらいたしかたが>ないとして、>ふめいの>けっか>かわを>はいでしゃみせん>やに>うりとばし、>にくを>きざんでたたら>くんの>ぜんに>うえ>す>ような>むふんべつを>やら>れては>ゆゆしきだいじである。>わがはいは>あたまをもって>かつどうすべき>てんめいを>うけてこの>しゃばに>しゅつげんしたほどの>ここん>らいの>ねこであれば、>ひじょうに>だいじな>しんたいである。>ちがねの>こは>どう>陲に>ざせずとの>ことわざも>ある>こと>なれば、>このんで>ちょうまいを>むねとして、>と>らに>われ>みの>きけんを>もとむ>る>のは>たんに>じこの>わざわい>なるのみ>ならず、>またおおいに>てんいに>そむく>わけである。>もうこも>どうぶつ>えんに>はいればくそ>ぶたの>となりに>いを>しめ、>おおとり>かりも>とりやに>なまとりこ>らるればひよこ>にわとりと>まないたを>どうじゅう>す。>いさお>ひとと>そうご>する>いじょうは>くだっていさお>ねこと>かせ>ざるべからず。>いさお>ねこ>たらんと>すればねずみを>とらざるべからず。――>わがはいは>とうとう>ねずみを>とる>ことに>きわめた。 >せんだって>じゅうから>にっぽんは>ろしあと>だいせんそうを>している>そうだ。>わがはいは>にっぽんの>ねこだからむろん>にっぽん|>贔>まけである。>でき>うべくん>ば>こんせいねこ>りょだんを>そしきしてろしあ>へいを>ひっかいてやりたいと>おもうくらいである。>かくまでに>げんき|>おうせいな>わがはいの>ことであるからねずみの>いっぴきや>に疋は>とろうと>する>いしさえ>あれば、>ねていても>わけ>なく>とれる。>むかし>し>ある>ひと>とうじ>ゆうめいな>ぜんじに>むかって、>どうしたら>さとれましょうと>きいたら、>ねこが>ねずみを>覘>う>ように>さしゃれと>こたえた>そうだ。>ねこが>ねずみを>とる>ようにとは、>かくさえ>すればそと>ずれ>っ>こは>ござらぬと>いう>いみである。>おんな|>けん>しゅう>してと>いう>ことわざは>あるがねこ|>けん>しゅう>してねずみ|>とり>そんうと>いう>かくげんは>まだない>はずだ。>してみればいかに>けん>こい>わがはいのごとき>ものでも>ねずみの>とれん>はずはあるまい。>とれん>はずはあるまい>どころか>とり>そんう>はずはあるまい。>いままで>とらん>のは、>とりたくないからの>こと>さ。>はるの>びは>きのうのごとく>くれて、>おりおりの>かぜに>さそわるる>はなふぶきが>だいどころの>こししょうじの>やぶれから>とびこんでておけの>なかに>うかぶ>かげが、>うすぐらき>かって>ようの>らんぷの>ひかりに>しろく>みえる。>こんやこそ>おおて>がらを>して、>うち>じゅう>おどろかしてやろうと>けっしんした>わがはいは、>あらかじめ>せんじょうを>みまわってちけいを>のみこんでおく>ひつようが>ある。>せんとうせんは>もちろん>あまりひろかろう>はずが>ない。>たたみ>すうに>したら>よんじょう>しきも>あろうか、>その>いちじょうを>しきってはんぶんは>ながし、>はんぶんは>さかや>やおやの>ごようを>きく>どまである。>へっ>ついは>びんぼう>かってに>にあわぬ>りっぱな>もので>あかの>どう>つぼが>ぴかぴか>して、>うしろは>はめいたの>あいだを>にしゃく|>のこしてわがはいの>あわび>かいの>しょざいちである。>ちゃのまに>ちかき>ろくしゃくは>ぜん>わん>さら>こばちを>いれる>とだなと>なってせまき>だいどころを>いとど>せまく>しきって、>よこに>さしだす>むきだしの>たなと>すれすれの>たか>さに>なっている。>そのしたに>すり>はちが>あおむけに>おか>れて、>すり>はちの>なかには>しょうおけの>しりが>わがはいの>ほうを>むいている。>だいこんおろし>し、>すり>こうぎが>ならんでかけてある>かたわらに>ひけし>つぼだけが>しょうぜんと>ひかえている。>まっくろに>なった>たる>きの>こうさした>まんなかから>いちほんの>じざいを>おろして、>さきへは>ひらたい>おおきなかごを>かける。>そのかごが>ときどき>かぜに>ゆれておうように>うごいている。>このかごは>なにの>ために>つる>す>のか、>このいえへ>きた>てには>いっこう>ようりょうを>えなかったが、>ねこの>ての>とどかぬ>ため>わざと>しょくもつを>ここへ>いれると>いう>ことを>しってから、>にんげんの>いじの>わるい>ことを>しみじみかんじた。 >これからさくせん>けいかくだ。>どこで>ねずみと>せんそうするかと>いえばむろん>ねずみの>でる>ところでなければならぬ。>いかに>こっちに>べんぎな>ちけいだからと>いって>いちにんで>まちかまえていては>てんで>せんそうに>ならん。>ここにおいてか>ねずみの>でぐちを>けんきゅうする>ひつようが>しょうずる。>どのほうめんから>くるかなと>だいどころの>まんなかに>たってしほうを>み>まわり>わ>す。>なんだか>とうごう>たいしょうの>ような>こころもちが>する。>げじょは>さっきゆに>いってもどってこん。>しょうともは>とくに>ねている。>しゅじんは>いも>ざかの>だんごを>くってかえってきてあいかわらず>しょさいに>ひき>こもっている。>さいくんは――>さいくんは>なにを>しているか>しらない。>おおかた>いねむりを>してやまいもの>ゆめでも>みている>のだろう。>ときどき>もんぜんを>じんりきが>とおるが、>とおりすぎた>あとは>いちだんと>さびしい。>わがけっしんと>いい、>わがいきと>いい>だいどころの>こうけいと>いい、>しへんの>せきばくと>いい、>ぜんたいの>かんじが>ことごとく>ひそうである。>どうしても>ねこ>ちゅうの>とうごう>たいしょうとしか>おもわ>れない。>こういう>きょうかいに>はいるとものすごい>うちに>いっしゅの>ゆかいを>おぼえる>のは>だれ>しも>おなじことであるが、>わがはいは>このゆかいの>そこに>いちだい>しんぱいが>よこ>わっている>のを>はっけんした。>ねずみと>せんそうを>する>のは>かくごの>まえだからなに>疋>らいても>こわくはないが、>でてくる>ほうめんが>めいりょうでない>のは>ふつごうである。>しゅうみつなる>かんさつから>えた>ざいりょうを>そうごうしてみるとそぞくの>いっしゅつする>のには>みっつの>こうろが>ある。>かれ>れ>らが>もし>どぶ>ねずみで>あるならばどかんを>そうて>ながしから、>へっ>ついの>うらてへ>めぐるに>そういない。>そのときは>ひけし>つぼの>かげに>かくれて、>かえりみちを>たってやる。>あるいはみぞへ>ゆを>ぬく>しっくいの>あなより>ふろ>じょうを>うかいしてかってへ>ふいに>とびだすかも>しれない。>そうしたら>かまの>ふたの>うえに>じんどってめの>したに>きた>とき>うえから>とびおりて>いちつかみに>する。>それからと>またあたりを>みまわすととだなの>との>みぎの>したすみが>はんつき>かたちに>くい>やぶら>れて、>かれらの>しゅつにゅうに>びん>なるかの>うたぐが>ある。>はなを>つけてにおいで>みるとしょうしょうねずみ|>におい。>もし>ここから>とっかんしてでたら、>はしらを>たてに>やりすごしておいて、>よこ>ごうから>あっと>つめを>かける。>もし>てんじょうから>きたらと>うえを>あおぐとまっくろな>すすが>らんぷの>ひかりで>てるや>いて、>じごくを>うらがえしに>つる>した>ごとく>ちょっとわがはいの>てぎわでは>のぼる>ことも、>くだる>ことも>できん。>まさか>あんな>たかい>ところから>おちてくる>ことも>なかろうからと>このほうめんだけは>けいかいを>とく>ことに>する。>それにしてもみかたから>こうげきさ>れる>けねんが>ある。>ひとくちなら>かた>めでも>たいじしてみせる。>にくちなら>どうにか、>こうに>かやって>のける>じしんが>ある。>しかしみつくちと>なるといかに>ほんのう>てきに>ねずみを>とるべく>よきせらるる>わがはいも>ての>つけようがない。>さればと>いってくるまやの>くろ>ごと>きものを>じょせいに>たのんでくる>のも>わがはいの>いげんにかんする。>どうしたら>よかろう。>どうしたら>よかろうと>かんがえてよい>ちえが>でない>ときは、>そんなことは>おこる>き>やはないと>きめる>のが>いちばん>あんしんを>える>ちかみちである。>またほうの>つかない>ものは>おこらないと>かんがえたく>なる>ものである。>まず>せけんを>みわたしてみ>たまえ。>きのう>もらった>はなよめも>きょう>しなんとも>かぎらんではないか、>しかしむこ>どのは>たまつばき>ちよも>やちよもなど、>おめでたい>ことを>ならべてしんぱいらしい>かおも>せんではないか。>しんぱいせん>のは、>しんぱいする>かちが>ないからではない。>いくら>しんぱいしたって>ほうが>つかんからである。>わがはいの>ばあいでも>さんめん>こうげきは>かならずおこらぬと>だんげんすべき>そうとうの>ろんきょはない>のであるが、>おこらぬと>する>ほうが>あんしんを>えるに>べんりである。>あんしんは>ばんぶつに>ひつようである。>わがはいも>あんしんを>ほっする。>よって>さんめん>こうげきは>おこらぬと>きわめる。 >それでもまだしんぱいが>とれぬ>から、>どういう>ものかと>だんだんかんがえてみるとようやく>わかった。>さんこの>けいりゃくの>うち>いずれを>えらんだ>のが>もっとも>とくさくであるかの>もんだいにたいして、>みずから>めいりょうなる>とうべんを>えるに>くるしむからの>はんもんである。>とだなから>でる>ときには>わがはい>これに>おうずる>さくが>ある、>ふろ>じょうから>あらわれる>ときは>これにたいする>けいが>ある、>またながしから>はい>のぼる>ときは>これを>むかえ>うる>せいさんもあるが、>そのうち>どれか>ひとつに>きわめねばならぬと>なるとだいに>とうわくする。>とうごう>たいしょうは>ばる>ちっく>かんたいが>つしまかいきょうを>とおるか、>つがるかいきょうへ>でるか、>あるいはとおく>そうやかいきょうを>めぐるかについて>だいに>しんぱいさ>れた>そうだが、>いま>わがはいが>わがはい>じしんの>きょうぐうから>そうぞうしてみて、>ごこんきゃくの>だん>じつに>ごさっしもうす。>わがはいは>ぜんたいの>じょうきょうにおいて>とうごう>かっかに>にている>のみ>ならず、>このかくだんなる>ちいにおいても>またとうごう>かっかと>よく>くしんを>どうじゅう>する>ものである。 >わがはいが>かく>むちゅうに>なってちぼうを>めぐらしていると、>とつぜんやぶれた>こししょうじが>ひらいてご>さんの>かおが>ぬうと>でる。>かおだけ>でると>いう>のは、>てあしが>ないと>いう>わけではない。>ほかの>ぶぶんは>よめで>よく>みえんのに、>かおだけが>しる>る>しく>つよい>いろを>してはんぜん|>ひとみ>そこに>おつ>るからである。>ご>さんは>そのへいじょうより>あかき>ほおを>ますますあかく>してせんとうから>かえった>ついでに、>さくやに>こりてか、>はやくから>かっての>と>しめを>する。>しょさいで>しゅじんが>おれの>すてっきを>まくらもとへ>だしておけと>いう>こえが>きこえる。>なにの>ために>ちんとうに>すてっきを>かざる>のか>わがはいには>わからなかった。>まさか>えき>みずの>そうしを>きどって、>りゅう>なを>きこうと>いう>すいきょうでもあるまい。>きのうは>やまのいも、>きょうは>すてっき、>あしたは>なにに>なるだろう。 >よるは>まだあさい>ねずみは>なかなかで>そうに>ない。>わがはいは>たいせんの>まえに>いちと>きゅうようを>ようする。 >しゅじんの>かってには>ひきまどが>ない。>ざしきなら>らんまと>いう>ような>ところが>はば>いちしゃくほど>きりぬか>れてなつ>ふゆ>ふき>とおしに>ひきまどの>だいりを>つとめている。>おし>きも>なく>ちる>ひがんざくらを>さそうて、>さっと>ふきこむ>かぜに>おどろき>ろ>いてめを>さますと、>おぼろづきさえ>いつの>あいだに>さしてか、>かまどの>かげは>ななめに>あげいたの>うえに>かかる。>ねすごしは>せぬかと>にさん>どみみを>ふってかないの>ようすを>うかがうと、>しんと>してさくやのごとく>はしらどけいの>おとのみ>きこえる。>もう>ねずみの>でる>じぶんだ。>どこから>でるだろう。 >とだなの>なかで>こと>ことと>おとが>し>だす。>こざらの>えんを>あしで>おさえて、>ちゅうを>あら>しているらしい。>ここから>でる>わいと>あなの>よこへ>すくんでまっている。>なかなかでてくる>けしきはない。>さらの>おとは>やがて>やんだがこんどは>どんぶりか>なにかに>かかったらしい、>おもい>おとが>ときどき>ごと>ごとと>する。>しかもとを>へだててすぐむこうがわで>やっている、>わがはいの>はな>づらと>きょりに>したら>さんずんも>はなれておらん。>ときどきは>ちょろちょろと>あなの>くちまで>あしおとが>ちかよるが、>またとおのいて>いちひきも>かおを>だす>ものはない。>と>いちまい>むこうに>げんざい>てきが>ぼうこうを>たくましく>しているのに、>わがはいは>じっと>あなの>でぐちで>まっておらねばならん>ずいぶん>きの>ながい>はなしだ。>ねずみは>りょじゅん>わんの>なかで>さかりに>ぶとうかいを>催>うしている。>せめて>わがはいの>はいいれるだけ>ご>さんが>このとを>あけておけばよいのに、>きの>きかぬ>やまだしだ。 >こんどは>へっ>ついの>かげで>わがはいの>あわび>かいが>こ>とりと>なる。>てきは>このほうめんへも>きたなと、>そ>ー>っと>しのびあしで>ちかよるとておけの>あいだから>しっぽが>ちらと>みえ>たぎり>ながしの>したへ>かくれてしまった。>しばらくすると>ふろ>じょうで>う>がい>ちゃわんが>かなだらいに>かちりと>あたる。>こんどは>こうほうだと>ふり>むく>とたんに、>ごすん>ちかく>ある>だいな>やっこが>ひらりと>はみがきの>ふくろを>おとして椽の>したへ>馳>け>こむ。>にがす>ものかと>つづいてとびおりたら>もう>かげも>すがたも>みえぬ。>ねずみを>とる>のは>おもったより>むずかしい>ものである。>わがはいは>せんてんてき>ねずみを>とる>のうりょくが>ない>のか>しらん。 >わがはいが>ふろ>じょうへ>めぐると、>てきは>とだなから>馳け>で>し、>とだなを>けいかいすると>ながしから>とび>のぼり、>だいどころの>まんなかに>がんばっていると>さんほうめん>とも>しょうしょうずつ>さわぎたてる。>こしゃくと>いおうか、>ひきょうと>いおうか>とうてい>かれらは>くんしの>てきでない。>わがはいは>じゅうご>ろくかいは>あちら、>こちらと>きを>つからし>こころを>ろう>ら>してほんそうどりょくしてみたがついに>いちども>せいこうしない。>ざんねんではあるがかかる>こどもを>てきに>しては>いかなるとうごう>たいしょうも>施>こすべき>さくが>ない。>はじめは>ゆうきも>あり>てきがいしんもあり>ひそうと>いう>すうこうな>びかんさえ>あったがついには>めんどうと>ばか>きている>のと>ねむい>のと>つかれたのでだいどころの>まんなかへ>すわった>なり>うごかない>ことに>なった。>しかしうごかんでも>はっぽうにらみを>きめこんでいればてきは>こどもだからだい>した>ことは>できん>のである。>めざす>てきと>おもった>やつが、>ぞんがい>けちな>やろうだと、>せんそうが>めいよだと>いう>かんじが>きえてわるく>いと>いう>ねんだけ>のこる。>わるく>いと>いう>ねんを>とおり>すごすと>はり>ごうが>ぬけてぼ>ーと>する。>ぼ>ーと>した>あとは>かってに>しろ、>どうせ>きの>きいた>ことは>できない>のだからと>けいべつの>ごく>ねむたく>なる。>わがはいは>いじょうの>けいろを>たどって、>ついに>ねむく>なった。>わがはいは>ねむる。>きゅうようは>てき>ちゅうに>あっても>ひつようである。 >よこ>むこうに>ひさしを>むいてひらいた>ひきまどから、>またはなふぶきを>いちかたまりりな>げ>こんで、>はげしき>かぜの>われを>遶ると>おもえば、>とだなの>くちから>だんがんのごとく>とびだした>ものが、>避>くる>あいだも>あら>ばこそ、>かぜを>きってわがはいの>ひだりの>みみへ>くい>つく。>これに>つづく>くろい>かげは>うしろに>めぐるかと>おもう>まもなくわがはいの>しっぽへ>ぶらさがる。>まばたく>あいだの>できごとである。>わがはいは>なにの>もくてきも>なく>きかい>てきに>跳>のぼる。>まんしんの>ちからを>けあなに>こめてこの>かいぶつを>ふりおとそうと>する。>みみに>くい>さがった>のは>ちゅうしんを>うしなってだらりと>わがよこがおに>かかる。>ごむ>かんのごとき>やわら>かき>しっぽの>さきが>おもい>かけ>なく>わがはいの>くちに>はいいる。>屈>竟の>てがかりに、>くだけよとばかり>おを>啣>えながらさゆうに>ふると、>お>のみは>まえばの>あいだに>のこってどうたいは>こしんぶんで>はった>かべに>あたって、>あげいたの>うえに>はねかえる。>おきあがる>ところを>すきま>なく>のしかかれば、>かさを>けたるごとく、>わがはいの>はな>づらを>かすめてつり>だんの>えんに>あしを>ちぢめてたつ。>かれは>たなの>うえから>わがはいを>みおろす、>わがはいは>いたのまから>かれを>みあぐる。>きょりは>ごしゃく。>そのなかに>つきの>ひかりが、>おおはばの>おびを>そらに>はる>ごとく>よこに>さしこむ。>わがはいは>まえあしに>ちからを>こめて、>やっと>ば>かり>たなの>うえに>とびあがろうと>した。>まえあしだけは>しゅび>よく>たなの>えんに>かかったがあとあしは>ちゅうに>もがいている。>しっぽには>さいぜんの>くろい>ものが、>しぬとも>はなれ>る>ま>じき>ぜいで>くい>くだっている。>わがはいは>あやうい。>まえあしを>かけ>えき>えてあし>かかりを>ふかく>しようと>する。>かけ>えき>える>たびに>しっぽの>おもみで>あさく>なる。>にさん>ふんすべればおちねばならぬ。>わがはいは>いよいよ>あやうい。>たな>ばんを>つめで>かきむしる>おとが>がりがりと>きこえる。>これでは>ならぬと>ひだりの>まえあしを>ぬき>えき>える>ひょうしに、>つめを>みごとに>かけ>そんじたのでわがはいは>みぎの>つめ>いちほんで>たなから>ぶら>くだった。>じぶんと>しっぽに>くい>つく>ものの>おもみで>わがはいの>からだが>ぎりぎりと>まわり>わる。>このときまで>みうごきも>せずに>覘>いを>つけていた>たなの>うえの>かいぶつは、>ここぞと>わがはいの>がくを>め>かけてたなの>うえから>いしを>とう>ぐるが>ごとく>とびおりる。>わがはいの>つめは>いちるの>かかりを>うしなう。>みっつの>かたまり>まりが>ひとつと>なってつきの>ひかりを>たてに>きってしたへ>おちる。>つぎの>だんに>のせてあった>すり>はちと、>すり>はちの>なかの>しょうおけと>じゃむの>そら>かんが>おなじく>いちかたまりと>なって、>したに>ある>ひけし>つぼを>さそって、>はんぶんは>みずがめの>なか、>はんぶんは>いたのまの>うえへ>ころがり>だす。>すべてが>しんやに>ただならぬものおとを>たててしにものぐるいの>わがはいの>たましいを>さえ>かんから>しめた。「>どろぼう!」と>しゅじんは>どうまごえを>はりあげてしんしつから>とびだしてくる。>みるとかたてには>らんぷを>さげ、>かたてには>すてっきを>もって、>ねぼけ>めよりは>み>ぶんそうおうの>けいけいたる>ひかりを>はなっている。>わがはいは>あわび>かいの>そばに>おとなしく>してつくばい>うずくまる。>に疋の>かいぶつは>とだなの>なかへ>すがたを>かくす。>しゅじんは>てもちぶさたに「>なんだ>だれだ、>おおきなおとを>さ>せた>のは」と>どきを>おびてあいても>いない>のに>きいている。>つきが>にしに>かたむいた>ので、>しろい>ひかりの>いったいは>はんせつほどに>ほそく>なった。        >ろく >こうあつくては>ねこと>いえ>ども>やりきれない。>かわを>ぬいで、>にくを>ぬいでほねだけで>すずみたい>ものだと>えい>よしとしの>しどにー・>すみすとか>いう>ひとが>くるし>がったと>いう>はなしが>あるが、>たとい>ほねだけに>ならなく>とも>よいから、>せめて>このあわ>はいいろの>まだら>いりの>け>ころもだけは>ちょっとあらいはりでも>するか、>もしくはとうぶんの>なか>しつにでも>いれたい>ような>きが>する。>にんげんから>みたら>ねこなどは>としが>ねんじゅうおなじ>かおを>して、>しゅんかしゅうとう>いちまい>かんばんで>おしとおす、>いたって>たんじゅんな>ぶじな>ぜにの>かからない>しょうがいを>おくっている>ように>おもわ>れるかも>しれないが、>いくら>ねこだって>そうおうに>あつ>さ>さむ>さの>かんじはある。>たまには>ぎょうずいの>いちどくらい>あびたくない>ことも>ないが、>なにしろ>このけ>ころもの>うえから>ゆを>つかった>ひには>かわかす>のが>よういな>ことでないからあせ>くさい>のを>がまんしてこの>としに>なるまで>せんとうの>のれんを>もぐった>ことはない。>おりおりは>うちわでも>つかってみようと>いう>きも>おこらんではないが、>とにかく>にぎる>ことが>できない>のだからしかたが>ない。>それを>おもうとにんげんは>ぜいたくな>ものだ。なまで>くってしかるべき>ものを>わざわざにてみたり、>やいてみたり、>すに>つけてみたり、>みそを>つけてみたり>このんでよけいな>てすうを>かけておかたみに>きょうえつしている。>きものだって>そうだ。>ねこの>ように>いちねんじゅう>おなじものを>き>とおせと>いう>のは、>ふかんぜんに>うまれ>ついた>かれらにとって、>ちと>むりかも>しれんが、>なにも>あんなにざったな>ものを>ひふの>うえへ>のせてくらさなくてもの>ことだ。>ひつじの>ごやっかいに>なったり、>この>ごせわに>なったり、>わた>はたの>ごなさけさえ>うけるに>いたっては>ぜいたくは>むのうの>けっかだと>だんげんしても>よいくらいだ。>いしょくは>まず>おおめに>みてかんべんすると>した>ところで、>せいぞんじょう>ちょくせつの>りがいも>ない>ところまで>このちょうしで>おしていく>のは>ごうも>がてんが>いかぬ。>だいいち>とうの>けなどと>いう>ものは>しぜんに>はえる>ものだから、>はなっておく>ほうが>もっとも>かんべんで>とうにんの>ために>なるだろうと>おもうのに、>かれらは>はいらぬ>さんだんを>してしゅじゅ>ざったな>かっこうを>こしらえてとくいである。>ぼうずとか>じしょうする>ものは>いつ>みても>あたまを>あおく>している。>あついと>そのうえへ>ひがさを>かぶる。>さむいと>ときんで>つつむ。>これでは>なにの>ために>あおい>ものを>だしている>のか>しゅいが>たたんではないか。>そうかと>おもうとくしとか>しょうする>むいみな>のこ>さまの>どうぐを>もちいてあたまの>けを>さゆうに>とうぶんしてうれし>がっ>てる>のもある。>とうぶんに>しないと>ななふん>さんふんの>わりあいで>ずがいこつの>うえへ>じんい>てきの>くかくを>たてる。>ちゅうには>このしきりが>つむじを>とおり>すごしてうしろまで>はみだしている>のが>ある。>まるで>がんぞうの>ばしょう>はの>ようだ。>そのつぎには>のうてんを>たいらに>かってさゆうは>まっすぐに>きりおとす。>まるい>あたまへ>しかくな>わくを>はめているから、>うえき>やを>いれた>すぎ>かきねの>しゃせいとしか>うけとれない。>このほか>ごふん>かり、>さんふん>かり、>いちふん>かりさえ>あると>いう>はなしだから、>しまいには>あたまの>うらまで>かりこんでまいなす>いちふん>かり、>まいなす>さんふん>かりなどと>いう>しんきな>やっこが>りゅうこうするかも>しれない。>とにかく>そんなに>うきみを>やつしてどうする>つもりか>わからん。>だいいち、>あしが>よんほん>ある>のに>にほんしか>つかわないと>いう>のから>ぜいたくだ。>よんほん>であるけばそれだけは>かも>いく>わけだ>のに、>いつでも>にほんで>すまして、>のこる>にほんは>とうらいの>ぼうだらの>ように>てもちぶさたに>ぶらさげている>のは>ばかばかしい。>これで>みるとにんげんは>よほど>ねこより>閑な>もので>たいくつの>あまりかような>いたずらを>こうあんしてらくんでいる>ものと>さっせ>られる。>ただおかしい>のは>このひまじんが>よると>さわ>わるとたぼうだ>たぼうだと>さわれ>まわり>わるのみ>ならず、>そのかおいろが>いかにも>たぼうらしい、>わるく>すると>たぼうに>くい>ころさ>れ>はしまいかと>おもわ>れるほど>こせついている。>かれらの>ある>ものは>わがはいを>みてときどき>あんなになったら>きらくで>よかろうなどと>いうが、>きらくで>よければなるがよい。>そんなに>こせこせしてくれと>だれも>たのんだ>わけでもなかろう。>じぶんで>かってな>ようじを>てに>おえぬ>ほど>せいぞうしてくるしい>くるしいと>いう>のは>じぶんで>ひを>かんかん>おこしてあつい>あついと>いう>ような>ものだ。>ねこだって>あたまの>かり>かたを>にじゅう>とおりも>かんがえだす>ひには、>こうきらくに>してはおら>れんさ。>きらくに>なりたければわがはいの>ように>なつでも>け>ころもを>きてとおさ>れるだけの>しゅうぎょうを>するがよろしい。――とは>いう>ものの>しょうしょうあつい。>もう>ころもでは>まったくあつつ>すぎる。 >これでは>いって>せんばいの>ひるねも>できない。>なにか>ないかな、>ながらく>にんげん>しゃかいの>かんさつを>おこたったから、>きょうは>ひさしぶりで>かれらが>よい>きょうに>あくせくする>ようすを>はいけんしようかと>かんがえてみたが、>あいにく>しゅじんは>このてんにかんして>すこぶる>ねこに>ちかい>しょうぶんである。>ひるねは>わがはいに>おとらぬ>くらい>やるし、>ことに>しょちゅう>きゅうか>ごに>なってからは>なにひとつ>にんげんらしい>しごとを>せんので、>いくら>かんさつを>しても>いっこう>かんさつする>ちょう>ごうが>ない。>こんなときに>迷>ていでも>くると>いじゃく>せいの>ひふも>いくぶんか>はんのうを>ていして、>しばらくでも>ねこに>とおざかるだろうに、>せんせい>もう>きても>よい>ときだと>おもっていると、>だれとも>しらず>ふろ>じょうで>ざ>あ>ざ>あ>みずを>あびる>ものが>ある。>みずを>あびる>おとばかりではない、>おりおりおおきな>こえで>そうの>てを>いれている。「>いやけっこう」「>どうも>よい>こころもちだ」「>もう>いっぱい」などと>いえじゅうに>ひびき>わたる>ような>こえを>だす。>しゅじんの>うちへ>きてこんな>おおきなこえと、>こんなぶさほうな>まねを>やる>ものは>ほかにはない。>迷>ていに>きょくって>いる。 >いよいよ>きたな、>これで>きょう>はんにちは>つぶせると>おもっていると、>せんせい>あせを>ふいてかたを>いれてれいのごとく>ざしきまで>ずかずか>のぼってきて「>おくさん、>く>さや>くんは>どうしました」と>よばわりながらぼうしを>たたみの>うえへ>ほうりだす。>さいくんは>となり>ざしきで>はりばこの>がわへ>つっぷしてよい>こころもちに>ねている>さいちゅうに>わん>わんと>なんだか>こまくへ>こたえるほどの>ひびきが>したのではっと>おどろき>ろ>いて、>さめぬ>めを>わざと※って>ざしきへ>でてくると>迷>ていが>さつまじょうふを>きてかってな>ところへ>じんどってしきりに>おうぎ>づかいを>している。「>おや>いら>しゃ>いまし」と>いったがしょうしょう|>ろうばいの>きみで「>ちっとも>ぞんじませんでした」と>はなの>あたまへ>あせを>かいた>まま>ごじぎを>する。「>いえ、>いま>きたばかりな>んですよ。>こんふろ>じょうで>ご>さんに>みずを>かけてもらってね。>ようやく>いき>かえった>ところで――>どうも>あついじゃ>ありませんか」「>このりょうさんにちは、>ただじっと>しておりましても>あせが>でるくらいで、>たいへん>ごあつうございます。――でも>ごかわりもございませんで」と>さいくんは>いぜんとして>はなの>あせを>とらない。「>ええ>ありがとう。>なに>あついくらいで>そんなに>かわりゃ>しませんや。>しかしこの>あつ>さは>べつものですよ。>どうも>からだが>だるくってね」「>わたし>しなども、>ついに>ひるねなどを>いたした>ことが>ない>んでございますが、>こうあついと>つい――」「>やりますかね。>よいですよ。>ひる>ね>られて、>よる>ね>られりゃ、>こんなけっこうな>ことはないでさあ」と>あいかわらず>のんきな>ことを>ならべてみたがそれだけでは>ふそくと>みえて「>わたしな>ん>ざ、>ねたくない、>しつでね。>く>さや>くんなどの>ように>くる>たんびに>ねている>ひとを>みるとともし>いですよ。>もっともいじゃくに>このあつ>さは>こたえるからね。>じょうぶな>ひとでも>きょうな>んかは>くびを>かたの>うえに>のせ>てる>のが>しさ>ぎで>さあ。>さればと>いってのっ>てる>いじょうは>もぎとる>わけにも>いかず>ね」と>迷>てい>くん>いつに>なく>くびの>しょちに>きゅうしている。「>おくさんな>ん>ざ>くびの>うえへ>まだのっけておく>ものが>ある>んだから、>すわっちゃい>られない>はずだ。>まげの>おもみだけでも>よこに>なりたく>なりますよ」と>いうとさいくんは>いままで>ねていた>のが>まげの>かっこうから>ろけんしたと>おもって「>ほ>ほ>ほ>ぐちの>わるい」と>いいながらあたまを>いじってみる。 >迷>ていは>そんなことには>とんじゃくなく「>おくさん、>きのう>はね、>やねの>うえで>たまごの>ふらいを>してみましたよ」と>みょうな>ことを>いう。「>ふらいを>どうなさった>んでございます」「>やねの>かわらが>あまりみごとに>やけていましたから、>ただおく>のも>もったいないと>おもってね。>ばたを>とかしてたまごを>おとした>んで>さあ」「>あら>まあ」「>ところがやっぱり>てんじつは>おもう>ように>いきませんや。>なかなかはんじゅくに>ならないから、>したへ>おりてしんぶんを>よんでいると>きゃくが>きた>もんだからつい>わすれてしまって、>けさに>なってきゅうに>おもいだして、>もう>だいじょうぶだろうと>のぼってみたら>ね」「>どうなっておりました」「>はんじゅくどころか、>すっかり>ながれてしまいました」「>おや>おや」と>さいくんは>はちの>じを>よせながらかんたんした。「>しかしどよう>ちゅう>あんなにすずしくって、>いまごろから>あつく>なる>のは>ふしぎですね」「>ほんとでございますよ。>せんだって>じゅうは>たんころもでは>さむいくらいでございましたのに、>おとといから>きゅうに>あつく>なりましてね」「>かになら>よこに>はう>ところだがことしの>きこう>はあ>とび>さりを>する>んですよ。>倒>ぎょう>してぎゃく>ほどこす>またかならず>やと>いう>ような>ことを>いっているかも>しれない」「>なんでござん>す、>それは」「>いえ、>なにでも>ない>のです。>どうも>このきこうの>ぎゃくもどりを>する>ところは>まるで>はーきゅりすの>うしですよ」と>ずに>のっていよいよ>へん>ちきり>んな>ことを>いうと、>おおせるかな>さいくんは>わからない。>しかしさいぜんの>倒>ぎょう>してぎゃく>ほどこすで>しょうしょう|>こりているから、>こんどは>ただ「>へえー」と>いったのみで>といかえさなかった。>これを>といかえさ>れないと>迷>ていは>せっかく>もちだした>かいが>ない。「>おくさん、>はーきゅりすの>うしを>ごぞんじですか」「>そんなうしは>ぞんじません>わ」「>ごぞんじ>ないですか、>ちょっとこうしゃくを>しましょうか」と>いうとさいくんも>それには>およびませんとも>いいかねた>ものだから「>ええ」と>いった。「>むかし>し>はーきゅりすが>うしを>ひっぱってきた>んです」「>そのはーきゅりすと>いう>のは>うしかいででもござん>すか」「>うしかいじゃ>ありませんよ。>うしかいや>いろはの>ていしゅじゃ>ありません。>そのふしは>まれ>臘に>まだぎゅうにく>やが>いっけんも>ない>じぶんの>ことですからね」「>あら>まれ>臘の>おはなししなの? >そんなら、>そうおっしゃればいいのに」と>さいくんは>まれ>臘と>いう>こくめいだけは>こころえている。「>だってはーきゅりすじゃ>ありませんか」「>はーきゅりすなら>まれ>臘な>んですか」「>え>え>はーきゅりすは>まれ>臘の>えいゆうで>さあ」「>どうりで、>しらないと>おもいました。>それでその>おとこが>どうした>んで――」「>そのおとこが>ね>おくさん>みた>ように>ねむく>なってぐ>う>ぐ>う>ねている――」「>あら>いやだ」「>ねている>あいだに、>ヴぁるかんの>こが>きましてね」「>ヴぁるかんて>なにです」「>ヴぁるかんは>かじやですよ。>このかじやの>せがれが>そのうしを>ぬすんだ>んで>さあ。>ところがね。>うしの>しっぽを>もってぐいぐいひいていった>もんだからはーきゅりすが>めを>さましてうしや>ー>い>うしや>ー>いと>たずねてあるいても>わからない>んです。>わからない>はずで>さあ。>うしの>あしあとを>つけたって>まえの>ほうへ>あるか>してつれていった>んじゃ>ありません>もの、>うしろへ>うしろへと>ひきずっていった>んですからね。>かじやの>せがれに>しては>だいできですよ」と>迷>てい>せんせいは>すでに>てんきの>はなしは>わすれている。「>ときに>ごしゅじんは>どうしました。>そう>かわらず>ごすいですかね。>ごすいも>支>那>じんの>しに>でてくるとふうりゅうだが、>く>さや>くんの>ように>にっかと>してやる>のは>しょうしょうぞくきが>ありますね。>なにの>こと>あ>ない>まいにち>すこしずつ>しんでみる>ような>ものですぜ、>おくさん>ごてすうだがちょっとおこしていらっしゃい」と>さいそくすると>さいくんは>どうかんと>みえて「>ええ、>ほんとに>あれでは>こまります。>だいいち>あなた、>からだが>わる>る>く>なるばかりですから。>こんごはんを>いただいたばかりだ>のに」と>たち>かけると>迷>てい>せんせいは「>おくさん、>ごはんと>うん>やあ、>ぼくは>まだごはんを>いただかない>んですがね」と>へいきな>かおを>してききも>せぬ>ことを>ふいちょうする。「>おや>まあ、>じぶん>どきだ>のに>ちっとも>きがつきませんで――>それじゃなにもございませんがごちゃづけでも」「>いえごちゃづけな>んか>ちょうだいしなくっても>よいですよ」「>それでも、>あなた、>どうせ>ごくちに>あう>ような>ものはございませんが」と>さいくん>しょうしょういやみを>ならべる。>迷>ていは>さとった>もので「>いえごちゃづけでも>ごゆづけでも>ごめん>こうむる>んです。>いま>とちゅうで>ごちそうを>あつらえ>ら>えてきましたから、>そいつを>ひとつ>ここで>いただきますよ」と>とうてい>しろうとには>でき>そうも>ない>ことを>のべる。>さいくんは>たったひとこと「>まあ!」と>いったがその>まあの>なかには>おどろき>ろ>いた>まあと、>きを>わるる>くし>たま>あと、>てすうが>はぶけてありがたいと>いう>まあが>がっぺいしている。 >ところへ>しゅじんが、>いつに>なく>あまりやかましいので、>ねつき>かかった>ねむりを>さかに>しごか>れた>ような>こころもちで、>ふらふらと>しょさいから>でてくる。「>そう>かわらず>やかましい>おとこだ。>せっかく>よい>こころもちに>ねようと>した>ところを」と>あくび交りに>ぶっちょうづらを>する。「>いやごめざめ>かね。>おおとり>ねむりを>おどろかし>まつってはなはだ>そう>すまん。>しかしたまには>よかろう。>さあ>すわり>たまえ」と>どっちが>きゃくだか>わからぬ>あいさつを>する。>しゅじんは>むごんの>まま>ざに>ついてよせぎ>ざいくの>まきたばこ>いりから「>あさひ」を>いちほん>だしてすぱすぱ>すい>はじめたが、>ふと>むこうの>すみに>ころがっている>迷>ていの>ぼうしに>めを>つけて「>きみ>ぼうしを>かったね」と>いった。>迷>ていは>すぐさま「>どうだい」と>じまんらしく>しゅじんと>さいくんの>まえに>さしだす。「>まあ>きれいだ>こと。>たいへん>めが>こまかくってやわらかい>んですね」と>さいくんは>しきりに>なで>まわり>わ>す。「>おくさん>このぼうしは>ちょうほうですよ、>どうでも>いう>ことを>ききますからね」と>げんこつを>かためてぱなまの>よこ>っ>はらを>ぽかりと>はりつけると、>なるほど>いのごとく>こぶしほどな>あなが>あいた。>さいくんが「>へえ」と>おどろく>まもなく、>このたびは>げんこつを>うらがわへ>いれてうんと>突>っ>はるとかまの>あたまが>ぽかりと>とがん>がる。>つぎには>ぼうしを>とってつばと>つばとを>りょうがわから>おし>つぶしてみせる。>つぶれた>ぼうしは>めんぼうで>のばした>そばの>ように>ひらたく>なる。>それを>かたわから>むしろでも>まく>ごとく>ぐるぐる>たたむ。「>どうです>この>とおり」と>まるめた>ぼうしを>かいちゅうへ>いれてみせる。「>ふしぎです>ことねえ」と>さいくんは>きてん>とき>しょういちの>てじなでも>けんぶつしている>ように>かんたんすると、>迷>ていも>そのきに>なった>ものと>みえて、>みぎから>かいちゅうに>おさめた>ぼうしを>わざと>ひだりの>そでぐちから>ひっぱり>だして「>どこにも>きずは>ありません」と>もとの>ごとくに>なおして、>ひとさしゆびの>さきへ>かまの>そこを>のせてくるくると>まわす。>もう>やすめるかと>おもったら>さいごに>ぽんと>うしろへ>ほう>げて>そのうえへ>どう>っ>さりと>しりもちを>ついた。「>きみ>だいじょうぶ>かい」と>しゅじんさえ>けねんらしい>かおを>する。>さいくんは>むろんの>こと>しんぱいそうに「>せっかく>みごとな>ぼうしを>もし>壊>わしでも>しちゃあたいへんですから、>もう>いいかげんに>なすったら>むべ>うござん>しょう」と>ちゅういを>する。>とくいな>のは>もちぬしだけで「>ところが壊>われないからみょうでしょう」と、>くちゃくちゃに>なった>のを>しりの>したから>とりだしてそのまま>あたまへ>のせると、>ふしぎな>ことには、>あたまの>かっこうに>たちまちかいふくする。「>じつに>じょうぶな>ぼうしです>ことねえ、>どうした>んでしょう」と>さいくんが>いよいよ>かんしんすると「>なに>どうも>した>んじゃ>ありません、>もとから>こういう>ぼうしな>んです」と>迷>ていは>ぼうしを>こうむった>まま>さいくんに>へんじを>している。「>あなたも、>あんな>ぼうしを>ごがいに>なったら、>いいでしょう」と>しばらくしてさいくんは>しゅじんに>すすめ>かけた。「>だってく>さや>くんは>りっぱな>むぎわらの>やっこを>もっ>てるじゃ>ありませんか」「>ところがあなた、>せんだって>しょうともが>あれを>ふみ>つぶしてしまいまして」「>おや>おや>そりゃおしい>ことを>しましたね」「>だからこんどは>あなたの>ような>じょうぶで>きれいな>のを>かったら>よかろうと>おもいますんで」と>さいくんは>ぱなまの>あたい>だんを>しらない>ものだから「>これ>に>なさいよ、>ねえ、>あなた」と>しきりに>しゅじんに>かんこくしている。 >迷>てい>くんは>こんどは>みぎの>たもとの>なかから>あかい>けーす>いりの>鋏を>とりだしてさいくんに>みせる。「>おくさん、>ぼうしは>そのくらいに>してこの>鋏を>ごらん>なさい。>これが>またすこぶる>ちょうほうな>やっこで、>これで>じゅうよん>とおりに>つかえる>んです」>この鋏が>でないと>しゅじんは>さいくんの>ために>ぱなま>せめに>なる>ところであったが、>こうに>さいくんが>おんなとして>もってうまれた>こうき>こころの>ために、>このわざわい>うんを>めん>かれた>のは>迷>ていの>きてんと>うん>わんより>むしろ>ぎょうこうの>しあわせだと>わがはいは>かんぱした。「>その鋏が>どうして>じゅうよん>とおりに>つかえます」と>きく>や>いなや>迷>てい>くんは>だいとくいな>ちょうしで「>いま>いちいち>せつめいしますからきいていらっしゃい。>いいですか。>ここに>みかつき>かたちの>かけめが>ありましょう、>ここへ>はまきを>いれてぷ>つりと>くちを>きる>んです。>それからこの>ねに>ち>ょと>ざいくが>ありましょう、>これで>はりがねを>ぽつぽつ>やりますね。>つぎには>ひらたく>してかみの>うえへ>よこに>おくとじょうぎの>ようを>する。>またはの>うらには>ど>さかりが>してあるからもの>ゆびの>だいようも>できる。>こちらの>ひょうには>やす>りが>ついている>これで>つめを>すり>ま>さあ。>ようが>すか。>このさき>きを>らせん>びょうの>あたまへ>さし>こんでぎりぎりまわすとかなづちにも>つかえる。>うんと>つき>こんでこじあけるとたいていの>くぎ>づけの>はこな>ん>ざ>あ>くも>なく>ふたが>とれる。>まった、>こちらの>はの>さきは>きりに>できている。>ここん>ところは>かき>そん>いの>じを>けずる>ばしょで、>ばらばらに>はなすと、>ないふと>なる。>いちばん>しまいに――>さあおくさん、>このいちばん>しまいが>たいへん>おもしろい>んです、>ここに>はえの>め>だまくらいな>おおき>さの>たまが>ありましょう、>ちょっと、>のぞいてごらん>なさい」「>いやです>わ>またきっと>ばかに>なさる>んだから」「>そうしんようが>なくっちゃこまったね。>だが欺>さ>れたと>おもって、>ちょいと>のぞいてごらん>なさいな。>え? >いやですか、>ちょっとで>いいから」と>鋏を>さいくんに>わたす。>さいくんは>さとし>たばな>げに>鋏を>とりあげて、>れいの>はえの>め>だまの>ところへ>じぶんの>め>だまを>つけてしきりに>覘を>つけている。「>どうです」「>なんだか>まっくろですわ」「>まっくろじゃいけませんね。も>すこししょうじの>ほうへ>むいて、>そう鋏を>ねかさずに――>そうそう>それなら>みえるでしょう」「>おや>まあ>しゃしんですねえ。>どうして>こんなちいさな>しゃしんを>はりつけた>んでしょう」「>そこが>おもしろい>ところで>さあ」と>さいくんと>迷>ていは>しきりに>もんどうを>している。>さいぜんから>だまっていた>しゅじんは>このとき>きゅうに>しゃしんが>みたく>なった>ものと>みえて「>おい>おれにも>ちょっとらん>せろ」と>いうとさいくんは>鋏を>かおへ>おしつけた>まま「>じつに>きれいです>こと、>らたいの>びじんですね」と>いってなかなかはなさない。「>おい>ちょっとごみせと>いうのに」「>まあ>まっていらっしゃいよ。>よし>くし>い>かみですね。>こしまで>ありますよ。>すこしあおむいておそろしい>せの>たかい>おんなだ>こと、>しかしびじんですね」「>おい>ごみせと>いったら、>たいていに>してみせるがいい」と>しゅじんは>だいに>せきこんでさいくんに>くってかかる。「>へえ>ごまち>とお>さま、>たんと>ごらん>あそばせ」と>さいくんが>鋏を>しゅじんに>わたす>ときに、>かってから>ご>さんが>ごきゃく>さまの>ごあつらえが>まいりましたと、>にこの>ざるそばを>ざしきへ>もってくる。「>おくさん>これが>ぼくの>じべんの>ごちそうですよ。>ちょっとごめん>こうむって、>ここで>ぱくつく>ことに>いたしますから」と>ていねいに>ごじぎを>する。>まじめな>ような>ふざけた>ような>どうさだからさいくんも>おうたいに>きゅうしたと>みえて「>さあ>どうぞ」と>かるく>へんじを>し>たぎり>はいけんしている。>しゅじんは>ようやく>しゃしんから>めを>はなして「>きみ>このあつい>のに>そばは>どくだぜ」と>いった。「>なあに>だいじょうぶ、>すきな>ものは>めったに>あたる>もんじゃない」と>蒸>かごの>ふたを>とる。「>うちたては>ありがたいな。>そばの>のびた>のと、>にんげんの>あいだが>ぬけた>のは>ゆらい>たのもしくない>もんだよ」と>やくみを>つゆの>なかへ>いれてむちゃくちゃに>かき>まわり>わ>す。「>きみ>そんなに>わさびを>いれるとからし>らいぜ」と>しゅじんは>しんぱいそうに>ちゅういした。「>そばは>つゆと>わさびで>くう>もんだ>あね。>きみは>そばが>きらい>なんだろう」「>ぼくは>うどんが>すきだ」「>うどんは>まごが>くう>もんだ。>そばの>あじを>かいしない>ひとほど>きのどくな>ことはない」と>いいながらすぎ>はしを>む>ざと>つき>こんでできるだけ>おおくの>ぶんりょうを>にすんばかりの>たか>さに>しゃくい>あげた。「>おくさん>そばを>くうにも>いろいろりゅうぎが>ありますがね。>しょしんの>ものに>かぎって、>む>あんに>つゆを>つけて、>そうしてくちの>うちで>くちゃくちゃ>やっていますね。>あれじゃ>そばの>あじはないですよ。>なにでも、>こう、>いちと>しゃくいに>ひっかけてね」と>いいつつはしを>あげると、>ながい>やつが>せいぞろいを>して>いちしゃくばかり>くうちゅうに>つるしあげ>られる。>迷>てい>せんせい>もう>よかろうと>おもってしたを>みると、>まだ>じゅうに>さんほんの>おが>蒸>かごの>そこを>はなれないです>たれの>うえに>てんめんしている。「>こいつは>ながいな、>どうです>おくさん、>このなが>さ>かげんは」と>またおくさんに>そうの>てを>ようきゅうする。>おくさんは「>ながい>ものでございますね」と>さも>かんしんしたらしい>へんじを>する。「>このながい>やっこ>へ>つゆを>さんぶいち>つけて、>ひとくちに>のんでしまう>んだね。>かんじゃいけない。>かんじゃそばの>あじが>なくなる。>つるつると>いんこうを>すべりこむ>ところがね>うちだよ」と>おもいきってはしを>たかく>あげるとそばは>ようやくの>ことで>ちを>はなれた。>ひだりてに>うける>ちゃわんの>なかへ、>はしを>すこしずつ>おとして、>しっぽの>さきから>だんだんに>ひたすと、>あーきみじすの>りろんによって、>そばの>ひたった>ぶんりょう>だけ>つゆの>かさが>ましてくる。>ところがちゃわんの>なかには>もとから>つゆが>はちぶんめ|>はいいっているから、>迷>ていの>はしに>かかった>そばの>しはんぶんも>ひたらない>さきに>ちゃわんは>つゆで>いっぱいに>なってしまった。>迷>ていの>はしは>ちゃわんを>さる>ごすんの>うえに>いたってぴたりと>とまった>きり>しばらくうごかない。>うごかない>のも>むりはない。>すこしでも>おろせばつゆが>あふれるばかりである。>迷>ていも>ここに>いたってすこし※>躇の>からだであったが、>たちまちだっとの>ぜいをもって、>くちを>はしの>ほうへ>もっていったなと>おもう>まもなく、>つるつる>ち>ゅ>うと>おんが>していんこう>ふえが>いちに>ど|>じょうかへ>むりに>うごいたら>はしの>さきの>そばは>きえ>てなく>なっておった。>みると>迷>てい>くんの>りょうめから>なみだの>ような>ものが>いちに>てき|>め>しりから>ほおへ>ながれだした。>わさびが>きいた>ものか、>のみこむ>のに>ほねが>おれた>ものか>これは>いまだに>はんぜんしない。「>かんしんだなあ。>よく>そんなに>いちどきに>のみこめた>ものだ」と>しゅじんが>けいふくすると「>ごみごとです>ことねえ」と>さいくんも>迷>ていの>てぎわを>げきしょうした。>迷>ていは>なににも>いわないではしを>おいてむねを>にさん>ど|>たたいたが「>おくさん>ざるは>たいてい>みつくち>はんか>よんくちで>くう>んですね。>それより>てすうを>かけちゃうまく>くえませんよ」と>はんけちで>くちを>ふいてちょっとひといき>いれている。 >ところへ>かんげつ>くんが、>どういう>りょうけんか>このあつい>のに>ごくろうにも>ふゆ>ぼうを>こうむってりょうあしを>ほこり>だらけに>してやってくる。「>いやこうだんしの>ごじゅらいだが、>くい>かけた>ものだからちょっとしっけいしますよ」と>迷>てい>くんは>しゅうじん>かんざの>うらに>あっておくめんも>なく>のこった>蒸>かごを>たいら>げる。>こんどは>せんこくの>ように>めざましい>しょく>かたも>しなかった>かわりに、>はんけちを>つかって、>ちゅうとで>いきを>いれると>いう>ふていさいも>なく、>蒸>かご>ふたつを>やす々と>やってのけた>のは>けっこうだった。「>かんげつ>くん>はかせ>ろんぶんは>もう>だっこうする>のかね」と>しゅじんが>きくと>迷>ていも>そのごから「>かねでん>れいじょうが>おまちかねだからそうそうていしゅつした>ま>え」と>いう。>かんげつ>くんは>れいのごとく>うす>ぎみの>あくい>えみを>もらして「>つみですからなるべく>はやく>だしてあんしんさ>せてやりたい>のですが、>なにしろ>もんだいが>もんだいで、>よほど>ろうりょくの>はいる>けんきゅうを>ようする>のですから」と>ほんきの>さたとも>おもわ>れない>ことを>ほんきの>さたらしく>いう。「>そうさもんだいが>もんだいだから、>そうはなの>いう>とおりにも>ならないね。>もっともあの>はななら>じゅうぶん>はないきを>うかがうだけの>かちは>あるがね」と>迷>ていも>かんげつ>りゅうな>あいさつを>する。>ひかくてきに>まじめな>のは>しゅじんである。「>きみの>ろんぶんの>もんだいは>なんとか>いったっけな」「>かえるの>がんきゅうの>でんどう>さようにたいする>むらさき>がい>こうせんの>えいきょうと>いう>のです」「>そりゃきだね。>さすがは>かんげつ>せんせいだ、>かえるの>がんきゅうは>ふっ>てるよ。>どうだろう>く>さや>くん、>ろんぶん>だっこうまえに>そのもんだいだけでも>かねでん>かへ>ほうちしておいては」>しゅじんは>迷>ていの>いう>ことには>とりあわないで「>きみ>そんなことが>ほねの>おれる>けんきゅうかね」と>かんげつ>くんに>きく。「>ええ、>なかなかふくざつな>もんだいで>す、>だいいち>かえるの>がんきゅうの>れんずの>こうぞうが>そんなたんかんな>ものでありませんからね。>それで>いろいろ>じっけんも>しなくちゃなりませんが>まず>まるい>がらすの>たまを>こしらえてそれから>やろうと>おもっています」「>がらすの>たまなんか>がらす>やへ>いけばわけ>ないじゃないか」「>どうして――>どうして」と>かんげつ>せんせい>しょうしょう|>そりみに>なる。「>がんらい|>えんとか>ちょくせんとか>いう>のは>きか>がくてきの>もので、>あのていぎに>あった>ような>りそう>てきな>えんや>ちょくせんは>げんじつ>せかいにはない>もんです」「>ない>もんなら、>はいしたら>よかろう」と>迷>ていが>くちを>だす。「>それでまず>じっけんじょう|>さしつかえないくらいな>たまを>つくってみようと>おもいましてね。>せんだってから>やり>はじめた>のです」「>できたかい」と>しゅじんが>わけの>ない>ように>きく。「>できる>ものですか」と>かんげつ>くんが>いったが、>これでは>しょうしょうむじゅんだと>きがついたと>みえて「>どうも>むずかしいです。>だんだんすってすこしこっち>がわの>はんけいが>なが>すぎるからと>おもってそっちを>こころもち>おとすと、>さあたいへん>こんどは>むこう>がわが>ながく>なる。>そいつを>ほねを>おってようやく>すりつぶしたかと>おもうとぜんたいの>かたちが>いびつに>なる>んです。>やっとの>おもいで>このいびつを>とるとまたちょっけいに>くるいが>できます。>はじめは>りんごほどな>おおき>さの>ものが>だんだんちいさく>なっていちごほどに>なります。>それでもこんき>よく>やっていると>だいずほどに>なります。>だいずほどに>なっても>まだかんぜんな>えんは>できませんよ。>わたしも>ずいぶんねっしんに>すりましたが――>このしょうがつから>がらす>だまを>だいしょう>ろくこ>すりつぶしましたよ」と>うそだか>ほんとうだか>けんとうの>つかぬ>ところを>ちょうちょうと>のべる。「>どこで>そんなに>すっている>ん>だい」「>やっぱり>がっこうの>じっけんしつです、>あさ>すり>はじめて、>ひるめしの>とき>ちょっとやすんでそれからくらく>なるまで>する>んですが、>なかなからくじゃ>ありません」「>それじゃきみが>ちかごろ>忙が>しい>忙が>しいと>いってまいにち>にちようでも>がっこうへ>いく>のは>そのたまを>すりに>いく>んだね」「>まったくもっかの>ところは>あさから>ばんまで>たまばかり>すっています」「>たま>づくりの>はかせと>なってはいりこみしは――と>いう>ところだね。>しかしその>ねっしんを>きか>せたら、>いかな>はなでも>すこしは>ありがたがるだろう。>じつはせんじつ>ぼくが>ある>ようじが>あってとしょかんへ>おこなってかえりに>もんを>でようと>したら>ぐうぜん|>ろううめ>くんに>であった>の>さ。>あのおとこが>そつぎょうご>としょかんに>あしが>むくとは>よほど>ふしぎな>ことだと>おもってかんしんに>べんきょうするねと>いったら>せんせい>みょうな>かおを>して、>なに>ほんを>よみに>きた>んじゃない、>こんもんぜんを>とおりかかったら>ちょっとしょうようが>したく>なったからはいしゃくに>たちよった>んだと>いった>んで>だいえみを>したが、>ろううめ>くんと>きみとは>はんたいの>こうれいとして>しんせん>こうむ>もとめに>ぜひいれた>いよ」と>迷>てい>くん>れいのごとく>ながたらしい>ちゅうしゃくを>つける。>しゅじんは>すこしまじめに>なって「>きみ>そうまいにち>まいにち>たまばかり>すっ>てる>のも>よかろうが、>がんらい>いつ>ころ>でき>のぼる>つもりかね」と>きく。「>まあ>このようすじゃ>じゅうねんくらい>かかり>そうです」と>かんげつ>くんは>しゅじんより>のんきに>みうけ>られる。「>じゅうねんじゃ――>もうすこしはやく>すり>あげたら>よかろう」「>じゅうねんじゃはやい>ほうです、>ことに>よるとにじゅう>ねんくらい>かかります」「>そいつは>たいへんだ、>それじゃよういに>はかせにゃ>なれないじゃないか」「>え>え>いちにちも>はやく>なってあんしんさ>してやりたい>のですがとにかく>たまを>すり>あげなくっちゃかんじんの>じっけんが>できませんから……」 >かんげつ>くんは>ちょっとくを>きって「>なに、>そんなに>ごしんぱいには>およびませんよ。>かねでんでも>わたしの>たまばかり>すっ>てる>ことは>よく>しょうちしています。>じつは>にさん>にちまえ>おこなった>ときにも>よく>じじょうを>はなしてきました」と>したりがおに>のべ>たてる。>するといままで>さんにんの>だんわを>わからぬな>がら>けいちょうしていた>さいくんが「>それでもかねだ>さんは>かぞく>ちゅう>のこらず、>せんげつから>おおいそへ>おこなっていらっしゃるじゃ>ありませんか」と>ふしん>そうに>たずねる。>かんげつ>くんも>これには>すこしへきえきの>からだであったが「>そりゃみょうですな、>どうした>んだろう」と>とぼけている。>こういう>ときに>ちょうほうな>のは>迷>てい>くんで、>はなしの>とぎれた>とき、>きまりの>わるい>とき、>ねむく>なった>とき、>こまった>とき、>どんなときでも>かならずよこ>ごうから>とびだしてくる。「>せんげつ>おおいそへ>おこなった>ものに>りょうさんにち>ぜんとうきょうで>あうなどは>しんぴ>てきで>いい。>いわゆるれいの>こうかんだね。>そうしの>じょうの>せつな>ときには>よく>そういう>げんしょうが>おこる>ものだ。>ちょっときくとゆめの>ようだが、>ゆめに>しても>げんじつより>たしかな>ゆめだ。>おくさんの>ように>べつに>おもいも>おもわれも>しない>く>さや>くんの>ところへ>かたづいてしょうがい>こいの>なに>ぶつ>たるを>おかいしに>ならん>ほうには、>ごふしんも>もっともだが……」「>あら>なにを>しょうこに>そんなことを>おっしゃる>の。>ずいぶん|>けいべつなさるのね」と>さいくんは>ちゅうとから>ふいに>迷>ていに>きりつける。「>きみだって>こいわずらいなんか>した>ことはな>さそうじゃないか」と>しゅじんも>しょうめんから>さいくんに>すけだちを>する。「>そりゃぼくの>えんぶんなどは、>いくら>あっても>みんな>ななじゅう>ごにち>いじょう>けいかしているから、>きみ>かたの>きおくには>のこっていないかも>しれないが――>じつはこれでも>しつれんの>けっか、>このとしに>なるまで>どくしんで>くらしている>んだよ」と>いちじゅん>れつざの>かおを>こうへいに>み>まわり>わ>す。「>ほ>ほ>ほ>ほ>おもしろい>こと」と>いった>のは>さいくんで、「>ばかに>してい>ら>あ」と>にわの>ほうを>むいた>のは>しゅじんである。>ただかんげつ>くんだけは「>どうか>そのかいきゅう>だんを>こうがくの>ために>うかがいたい>もので」と>そう>かわらず>にやにや>する。「>ぼく>のも>おおいた>しんぴ>てきで、>ここいずみ>やくも>せんせいに>はなしたら>ひじょうに>うける>のだが、>おしい>ことに>せんせいは>えいみんさ>れたから、>みの>ところ>はなす>ちょう>ごうも>ない>んだが、>せっかくだからうち>あけるよ。>そのかわり>しまいまで>きんちょうしなくっちゃいけないよ」と>ねんを>おしていよいよ>ほんぶんに>とりかかる。「>かいこするといまを>さる>こと――>ええと――>なんねん>まえだったかな――>めんどうだからほぼ>じゅうご>ろくねん>まえと>しておこう」「>じょうだんじゃない」と>しゅじんは>はなから>ふんと>いきを>した。「>たいへん>ものおぼえが>ごわるいのね」と>さいくんが>ひやかした。>かんげつ>くんだけは>やくそくを>まもってひとことも>いわずに、>はやく>あとが>ききたいと>いう>かぜを>する。「>なにでも>ある>としの>ふゆの>ことだが、>ぼくが>えちごの>くには>かんばら>ぐん>たけのこ>たにを>とおって、>たこ>つぼ>とうげへ>かかって、>これからいよいよ>あいづ>りょうへ>でようと>する>ところだ」「>みょうな>ところだな」と>しゅじんが>またじゃまを>する。「>だまってきいていらっしゃいよ。>おもしろいから」と>さいくんが>せいする。「>ところがにちは>くれる、>みちは>わからず、>はらは>へる、>しかたが>ないからとうげの>まんなかに>ある>いっけんやを>たたいて、>これこれ>かようか>よう>しかじかの>しだいだから、>どうか>とめてくれと>いうと、>ごやすい>ごようです、>さあごあがんな>さ>いと>はだか>ろうそくを>ぼくの>かおに>さし>つけた>むすめの>かおを>みてぼくは>ぶるぶると>悸>えたがね。>ぼくは>そのときから>こいと>いう>くせものの>まりょくを>せつじつに>じかくしたね」「>おや>いやだ。>そんなやまの>なかにも>うつくしい>ひとが>ある>んでしょうか」「>やまだって>うみだって、>おくさん、>そのむすめを>ひとめ>あなたに>みせたいと>おもうくらいですよ、>ぶんきんの>たかしまだに>かみを>ゆいましてね」「>へえー」と>さいくんは>あっけに>とら>れている。「>はいいってみると>はちじょうの>まんなかに>おおきないろりが>きってあって、>そのまわりに>むすめと>むすめの>じいさんと>ばあさんと>ぼくと>よんにん>すわった>んですがね。>さぞ>ごはらが>おへりでしょうと>いいますから、>なにでも>よいからはやく>くわせ>たまえと>せいきゅうした>んです。>するとじいさんが>せっかくの>ごきゃく>さまだからへび>めしでも>たいてあげようと>いう>んです。>さあ>これからが>いよいよ>しつれんに>とりかかる>ところだからしっかりしてきき>たまえ」「>せんせい>しっかりしてきく>ことは>ききますが、>なんぼえちごの>くにだって>ふゆ、>へびが>いやし>ますまい」「>うん、>そりゃいちおうもっともな>しつもんだよ。>しかしこんな>してきな>はなししに>なるとそうりくつにばかり>こうでいしてはいら>れないからね。>きょうかの>しょうせつにゃ>ゆきの>なかから>かにが>でてくるじゃないか」と>いったら>かんげつ>くんは「>なるほど」と>いった>きり>またきんちょうの>たいどに>ふくした。「>そのじぶんの>ぼくは>ずいぶん|>わるもの>ぐいの>たいちょうで、>いなご、>なめくじ、>あかがえるなどは>くい>あきていた>くらいな>ところだから、>へび>めしは>おつだ。>さっそくごちそうに>なろうと>じいさんに>へんじを>した。>そこでじいさん>いろりの>うえへ>なべを>かけて、>そのなかへ>こめを>いれてぐずぐずに>だした>ものだね。>ふしぎな>ことには>そのなべの>ふたを>みるとだいしょう>じゅうこばかりの>あなが>あいている。>そのあなから>ゆげが>ぷ>う>ぷ>う>ふくから、>うまい>くふうを>した>ものだ、>いなかに>しては>かんしんだと>みていると、>じいさん>ふと>たって、>どこかへ>でていったがしばらくすると、>おおきなざるを>こわきに>いだい>こんでかえってきた。>なにげなく>これを>いろりの>そばへ>おいたから、>そのなかを>のぞいてみると――>いたね。>ながい>やつが、>さむい>もんだから>ごかたみに>とぐろの>まき>くらを>やってかたまり>まっていましたね」「>もう>そんなごはなしは>はいしに>な>さ>いよ。>いやらしい」と>さいくんは>まゆに>はちの>じを>よせる。「>どうして>これが>しつれんの>だいみなもと>いんに>なる>んだからなかなかはいせませんや。>じいさんは>やがて>ひだりてに>なべの>ふたを>とって、>みぎてに>れいの>かたまり>まった>ながい>やつを>むぞうさに>つかまえて、>いきなりなべの>なかへ>ほうりこんで、>すぐうえから>ふたを>したが、>さすがの>ぼくも>そのときばかりは>はっと>いきの>あなが>塞>ったかと>おもったよ」「>もう>ごやめに>な>さ>いよ。>きみの>あくるい」と>さいくん>しきりに>こわ>がっている。「>もうすこしで>しつれんに>なるからしばらくしんぼうしていらっしゃい。>すると>いちふん>たつか>たたない>うちに>ふたの>あなから>かまくびが>ひょいと>ひとつ>でました>のには>おどろき>ろ>きましたよ。>やあ>でたなと>おもうと、>となりの>あなからも>またひょいと>かおを>だした。>またでたよと>いう>うち、>あちらからも>でる。>こちらからも>でる。>とうとう>なべ>ちゅう>へびの>めん>だらけに>なってしまった」「>なんで、>そんなに>くびを>だす>ん>だい」「>なべの>なかが>あついから、>くるしまぎれに>はいだそうと>する>の>さ。>やがて>じいさんは、>もう>よかろう、>ひっぱ>らっしとか>なんとか>いうと、>ばあさんはは>あーと>こたえる、>むすめは>あいと>あいさつを>して、>な々に>へびの>あたまを>もってぐいと>ひく。>にくは>なべの>なかに>のこるが、>ほねだけは>きれいに>はなれて、>あたまを>ひくとともに>ながい>のが>おもしろい>ように>ぬけだしてくる」「>へびの>ほねぬきですね」と>かんげつ>くんが>わらいながらきくと「>まったくの>こと>ほね>抜だ、>きような>ことを>やるじゃないか。>それからふたを>とって、>しゃくしで>もってめしと>にくを>や>たらに>かき>まぜて、>さあめしあがれと>きた」「>くった>のか>い」と>しゅじんが>れいたんに>たずねると、>さいくんは>にがい>かおを>して「>もう>はいしに>なさいよ、>むねが>わる>る>くってごはんも>なにも>たべ>られ>やしない」と>ぐちを>こぼす。「>おくさんは>へび>めしを>めしあがらんから、>そんなことを>おっしゃるが、>まあ>いっぺん>たべてごらん>なさい、>あのあじばかりは>しょうがい>わすれ>られませんぜ」「>おお、>いやだ、>だれが>たべる>もんですか」「>そこでじゅうぶん|>ご饌も>ちょうだいし、>さむ>さも>わすれるし、>むすめの>かおも>えんりょなく>みるし、>もう>おもい>おく>ことはないと>かんがえていると、>おやすみ>なさい>ましと>いう>ので、>たびの>ろうれも>ある>ことだから、>おっしゃにしたがって、>ごろりと>よこに>なると、>すまん>わけだがぜんごを>ぼうきゃくしてねてしまった」「>それからどうなさいました」と>こんどは>さいくんの>ほうから>さいそくする。「>それからみょうちょうに>なってめを>さましてからが>しつれんで>さあ」「>どうか>なさった>んですか」「>いえべつに>どうもしや>しませんがね。>あさ>おきてまきたばこを>ふかしながらうらの>まどから>みていると、>むこうの>かけひの>そばで、>やかん>あたまが>かおを>あらっている>んで>さあ」「>じいさんか>ばあさんか」と>しゅじんが>きく。「>それが>さ、>ぼくにも>しきべつし>にくかったから、>しばらくはいけんしていて、>そのやかんが>こちらを>むく>だんに>なっておどろき>ろ>いたね。>それが>ぼくの>はつこいを>した>さくやの>むすめ>なんだ>もの」「>だってむすめは>しまだに>ゆっているとさっきいった>じゃないか」「>ぜんやは>しまだ>さ、>しかもみごとな>しまだ>さ。>ところがよくあさは>がんやく>かん>さ」「>ひとを>ばかに>してい>ら>あ」と>しゅじんは>れいによって>てんじょうの>ほうへ>しせんを>そらす。「>ぼくも>ふしぎの>きょく>ないしん>しょうしょう|>こわく>なったから、>なお>よそながらようすを>うかがっていると、>やかんは>ようやく>かおを>あらい>りょうって、>そば>えの>いしの>うえに>おいてあった>たかしまだの>かつらを>むぞうさに>こうむって、>すましてうちへ>はいいった>んで>なるほどと>おもった。>なるほどとは>おもった>ような>ものの>そのときから、>とうとう>しつれんの>はかなき>うんめいを>かこつ>みと>なってしまった」「>くだらない>しつれんも>あった>もんだ。>ねえ、>かんげつ>くん、>それだから、>しつれんでも、>こんなにようきで>げんきが>いい>んだよ」と>しゅじんが>かんげつ>くんに>むかって迷>てい>くんの>しつれんを>ひょうすると、>かんげつ>くんは「>しかしその>むすめが>がんやく>かんでなくってめで>たく>とうきょうへでも>つれておかえりに>なったら、>せんせいは>なお>げんきかも>しれませんよ、>とにかく>せっかくの>むすめが>かむろであった>のは>せんしゅうの>こんじですねえ。>それにしても、>そんなわかい>おんなが>どうして、>けが>ぬけてしまった>んでしょう」「>ぼくも>それについては>だんだんかんがえた>んだがまったくへび>めしを>くい>すぎた>せいに>そういないと>おもう。>へび>めして>え>やつは>のぼせるからね」「>しかしあなたは、>どこも>なんとも>なくてけっこうでございましたね」「>ぼくは>かむろには>ならずに>すんだが、>そのかわりに>このとおり>そのときから>きんがんに>なりました」と>きんぶちの>めがねを>とってはんけちで>ていねいに>ふいている。>しばらくしてしゅじんは>おもいだした>ように「>ぜんたい>どこが>しんぴ>てきな>ん>だい」と>ねんの>ために>きいてみる。「>あのかつらは>どこで>かった>のか、>ひろった>のか>どうかんがえても>いまだに>わからないからそこが>しんぴ>さ」と>迷>てい>くんは>まためがねを>もとのごとく>はなの>うえへ>かける。「>まるで>はなし>し>かの>はなしを>きく>ようでござん>すね」とは>さいくんの>ひひょうであった。 >迷>ていの>だべんも>これで>いちだんらくを>つげたから、>もう>やめるかと>おもいのほか、>せんせいは>さるぐつわでも>はめ>られない>うちは>とうてい>だまっている>ことが>できぬ>せいと>みえて、>またつぎの>ような>ことを>しゃべり>だした。「>ぼくの>しつれんも>にがい>けいけんだが、>あのとき>あのやかんを>しらずに>もらったがさいご>しょうがいの>めざわりに>なる>んだから、>よく>かんがえないと>けん>呑だよ。>けっこんな>んかは、>いざと>いう>まぎわに>なって、>とんだ>ところに>きずぐちが>かくれている>のを>みいだす>ことが>ある>ものだから。>かんげつ>くんなども>そんなに>どうけいしたり※※>したり>ひとりで>むずかし>がら>ないで、>とくと>きを>おちつけてたまを>するがいいよ」と>いやに>いけん>めいた>ことを>のべると、>かんげつ>くんは「>え>え>なるべくたまばかり>すっていたい>んですが、>むこうで>そうさ>せない>んだからよわり>きります」と>わざと>へきえきした>ような>かお>づけを>する。「>そうさ、>くんなどは>せんぽうが>さわぎたてる>んだが、>ちゅうには>こっけいな>のが>あるよ。>あのとしょかんへ>しょうべんを>しに>きた>ろううめ>くんなどに>なるとすこぶる>きだからね」「>どんなことを>した>ん>だい」と>しゅじんが>ちょうしづいてうけたまわ>わる。「>なあに、>こういう>わけ>さ。>せんせい>そのむかし>しずおかの>とうざい>かんへ>とまった>ことが>ある>の>さ。――>たった>いちと>ばんだぜ――>それでその>ばん>すぐに>そこの>げじょに>けっこんを>もうしこんだ>の>さ。>ぼくも>ずいぶん|>のんきだが、>まだあれほどには>しんかしない。>もっともその>じぶんには、>あのやどやに>ごなつ>さんと>いう>ゆうめいな>べっぴんが>いてろううめ>くんの>ざしきへ>でた>のが>ちょうど>そのごなつ>さんな>のだからむりはないがね」「>むりが>ない>どころか>きみの>なんとかとうげと>まるで>おなじじゃないか」「>すこしにているね、>みを>いうとぼくと>ろううめとは>そんなに>さいはないからな。>とにかく、>そのごなつ>さんに>けっこんを>もうしこんで、>まだへんじを>きかない>うちに>みず>うりが>くいたく>なった>んだがね」「>なに>だって?」と>しゅじんが>ふしぎな>かおを>する。>しゅじんばかりではない、>さいくんも>かんげつも>もうしあわせた>ように>くびを>ひねってちょっとかんがえてみる。>迷>ていは>かまわず>どん>どん>はなしを>しんこうさ>せる。「>ごなつ>さんを>よんでしずおかに>みず>うりはあるまいかと>きくと、>ごなつ>さんが、>なんぼしずおかだって>みず>うりくらいは>ありますよと、>ごぼんに>みず>うりを>やまもりに>してもってくる。>そこでろううめ>くん>くった>そうだ。>やまもりの>みず>うりを>ことごとく>たいらげて、>ごなつ>さんの>へんじを>まっていると、>へんじの>こない>うちに>はらが>いたみ>だしてね、>うーん>うーんと>うなったがすこしも>ききめが>ないからまたごなつ>さんを>よんでこんどは>しずおかに>いしゃはあるまいかと>きいたら、>ごなつ>さんが>また、>なんぼしずおかだって>いしゃくらいは>ありますよと>いって、>てんちげんこうとかいう>せんじ>ぶんを>ぬすんだ>ような>なまえの>どくとるを>つれてきた。>よくあさに>なって、>はらの>いたみも>おかげで>とれてありがたいと、>しゅったつする>じゅうご>ふんまえに>ごなつ>さんを>よんで、>きのう>もうしこんだ>けっこんじけんの>だくひを>たずねると、>ごなつ>さんは>わらいな>がら>しずおかには>みず>うりも>あります、>ごいしゃも>ありますがいちやづくりの>ごよめは>ありませんよと>でていった>きり>かおを>みせなかった>そうだ。>それからろううめ>くんも>ぼく>どうよう>しつれんに>なって、>としょかんへは>しょうべんを>する>ほか>こなく>なった>んだって、>かんがえるとおんなは>つみな>ものだよ」と>いうとしゅじんが>いつに>なく>ひきうけて「>ほんとうに>そうだ。>せんだって>みゅっせの>きゃくほんを>よんだら>そのうちの>じんぶつが>ら>うまの>しじんを>いんようしてこんな>ことを>いっていた。――>はねより>かるい>ものは>ちりである。>ちりより>かるい>ものは>かぜである。>かぜより>かるい>ものは>おんなである。>おんなより>かるい>ものは>むである。――>よく>うがっ>てるだろう。>おんな>なんか>しかたが>ない」と>みょうな>ところで>ちから>あじ>んで>みせる。>これを>うけたまわった>さいくんは>しょうちしない。「>おんなの>かるい>のが>いけないと>おっしゃる>けれども、>おとこの>おもい>んだって>よい>ことはないでしょう」「>じゅういた、>どんなことだ」「>おもいと>いうな>おもい>ことですわ、>あなたの>ような>のです」「>おれが>なんで>おもい」「>おもいじゃ>ありませんか」と>みょうな>ぎろんが>はじまる。>迷>ていは>おもしろ>そうに>きいていたが、>やがて>くちを>ひらいて「>そうあかく>なってかたみに>べんなんこうげきを>する>ところが>ふうふの>しんそうと>いう>ものかな。>どうも>むかしの>ふうふなんて>ものは>まるで>むいみな>ものだったに>ちがいない」と>ひやかす>のだか>しょう>め>る>のだか>あいまいな>ことを>いったが、>それで>やめておいても>よい>ことを>またれいの>ちょうしで>ぬの>衍>して、>したの>ごとく>のべ>られた。「>むかしは>ていしゅに>くち>へんとうなんか>した>おんなは、>いちにんも>なかった>んだって>いうが、>それなら>おしを>にょうぼうに>していると>おなじことで>しもべなどは>いっこう>ありがたくない。>やっぱり>おくさんの>ように>あなたは>おもいじゃ>ありませんかとか>なんとか>いわ>れてみたいね。>おなじにょうぼうを>もつくらいなら、>たまには>けんかの>ひとつ>ふたつ>しなくっちゃたいくつで>しようがないからな。>ぼくの>ははなどと>きたら、>おやじの>まえへ>でてはいと>へいでもち>きっていた>ものだ。>そうして>にじゅう>ねんも>いっしょに>なっている>うちに>てらまいりより>ほかに>そとへ>でた>ことが>ないと>いう>んだからなさけないじゃないか。>もっともおかげで>せんぞ>だいだいの>かいみょうは>ことごとく>あんきしている。>だんじょ>かんの>こうさいだって>そうさ、>ぼくの>しょうともの>じぶんなどは>かんげつ>くんの>ように>いちゅうの>ひとと>がっそうを>したり、>れいの>こうかんを>やってもうろう>たいで>であってみたり>する>ことは>とうてい>できなかった」「>ごきのどく>さまで」と>かんげつ>くんが>あたまを>さげる。「>じつに>ごきのどく>さ。>しかもその>じぶんの>おんなが>かならずしも>いまの>おんなより>ひんこうが>いいと>かぎらんからね。>おくさん>ちかごろは>じょがくせいが>だらくした>の>なにだ>のと>やかましく>いいますがね。>なに>むかしは>これより>はげしかった>んですよ」「>そうでしょうか」と>さいくんは>まじめである。「>そうですとも、>でたらめじゃない、>ちゃんと>しょうこが>あるからしかたが>ありませんや。>く>さや>くん、>きみも>おぼえているかも>しれんがぼく>とうの>ごろく>さいの>ときまでは>おんなのこを>とうなすの>ように>かごへ>いれててんびんぼうで>かついでうってあるいた>もんだ、>ねえ>きみ」「>ぼくは>そんなことは>おぼえておらん」「>きみの>くに>じゃどうだか>しらないが、>しず>おか>じゃたしかに>そうだった」「>まさか」と>さいくんが>ちいさい>こえを>だすと、「>ほんとうですか」と>かんげつ>くんが>ほんとう>ら>しからぬ>ようすで>きく。「>ほんとう>さ。>げんに>ぼくの>おやじが>あたいを>つけた>ことが>ある。>そのとき>ぼくは>なんでも>むっつくらいだったろう。>おやじと>いっしょに>あぶら>まちから>とおり>まちへ>さんぽに>でると、>むこうから>おおきなこえを>しておんなのこは>よし>かな、>おんなのこは>よしかなと>どなってくる。>ぼく>とうが>ちょうど>にちょうめの>かくへ>くると、>いせ>げんと>いう>ごふく>やの>まえで>そのおとこに>で>っ>くわした。>いせ>げんと>いう>のは>まぐちが>じゅうかんで>ぞうが>いつつ>とまえ>あってしずおか>だいいちの>ごふく>やだ。>こんど>おこなったら>みてらいたまえ。>いまでも>れきぜんと>のこっている。>りっぱな>うちだ。>そのばんがしらが>じんべえと>いってね。>いつでも>ごふくろが>さんにち>まえに>なくなりましたと>いう>ような>かおを>してちょうばの>ところへ>ひかえている。>じんべえ>くんの>となりには>はつ>さんという>にじゅう>よんごの>わかいしゅが>すわっているが、>このはつ>さんが>またうんしょう>りっしに>きえして>さんなな>にじゅう>いちにちの>あいだ|>そばゆだけで>とおしたと>いう>ような>あおい>かおを>している。>はつ>さんの>となりが>ながどんで>これは>きのう>かじで>たき>ださ>れたかのごとく>しゅうぜんと>そろばんに>みを>凭>している。>ながどんと併>んで……」「>きみは>ごふく>やの>はなしを>する>のか、>ひと>うりの>はなしを>する>のか」「>そうそう>ひと>うりの>はなししを>やっていた>んだっけ。>じつはこの>いせ>げんについても>すこぶる>き>たんが>ある>んだが、>それは>かつあいしてきょうは>ひと>うりだけに>しておこう」「>ひと>うりも>ついでに>やめるがいい」「>どうして>これが>にじゅう>せいきの>きょうと>めいじ>はつとしごろの>じょしの>ひんせいの>ひかくについて>だいなる>さんこうに>なる>ざいりょうだから、>そんなに>たやすく>やめ>られる>ものか――>それでぼくが>おやじと>いせ>げんの>まえまで>くると、>れいの>ひと>うりが>おやじを>みてだんな>おんなのこの>しまい>ぶつは>どうです、>やすく>まけておくからかっておく>んな>さいと>いいながらてんびんぼうを>おろしてあせを>ふいている>の>さ。>みるとかごの>なかには>まえに>いちにん|>うしろに>いちにん>りょうほうとも>にさいばかりの>おんなのこが>いれてある。>おやじは>このおとこに>むかってやすければかっても>いいが、>もう>これ>ぎ>りか>いと>きくと、>へえ>あいにく>きょうは>みんな>うり>つくしてたったふたつに>なっ>ちまいました。>どっちでも>よいからとっ>とく>ん>な>さ>いなと>おんなのこを>りょうてで>もってとうなすか>なぞの>ように>おやじの>はなの>さきへ>だすと、>おやじは>ぽんぽんと>あたまを>たたいてみて>、は>はあ>かなりな>おとだと>いった。>それからいよいよ>だんぱんが>はじまってさんざん>か>きった>すえ>おやじが、>かっても>よいがしなは>たしかだ>ろうなと>きくと、>ええ>まえの>やつは>しじゅうみているからあいだ>違は>ありませんがね>うしろに>かつい>でる>ほうは、>なにしろ>めが>ない>んですから、>ことに>よるとひびが>はいっ>てるかも>しれません。>こいつの>ほうなら>うけあえない>かわりに>あたい>だんを>ひいておきますといった。>ぼくは>このもんどうを>いまだに>きおくしている>んだがそのとき>しょうとも>こころに>おんなと>いう>ものは>なるほど>ゆだんの>ならない>ものだと>おもったよ。――>しかしめいじ>さんじゅう>はちねんの>きょう>こんなばかな>まねを>しておんなのこを>うってあるく>ものも>なし、>めを>はなしてうしろへ>かついだ>ほうは>けん>呑だなどと>いう>ことも>きかない>ようだ。>だから、>ぼくの>こうでは>やはり>たいせい>ぶんめいの>おかげで>おんなの>ひんこうも>よほど>しんぽした>ものだろうと>だんていする>のだが、>どうだろう>かんげつ>くん」 >かんげつ>くんは>へんじを>する>まえに>まず>おうような>せき>払を>ひとつ>してみせたが、>それからわざと>おちついた>ひくい>こえで、>こんなかんさつを>のべ>られた。「>このころの>おんなは>がっこうの>ゆきかえりや、>がっそうかいや、>じぜんかいや、>えんゆうかいで、>ちょいと>かってちょうだいな、>あら>お>いや? などと>じぶんで>じぶんを>うりに>あるいていますから、>そんなやおやの>おあまりを>やとって、>おんなのこは>よしか、なんて>げひんな>よ>たくはんばいを>やる>ひつようはないですよ。>にんげんに>どくりつしんが>はったつしてくるとしぜん>こんな>ふうに>なる>ものです。>ろうじん>なんぞ>はいらぬ>とりこしぐろうを>してなんとかかとか>いいますが、>じっさいを>いうとこれが>ぶんめいの>すうせいですから、>わたしなどは>だいに>よろこばしい>げんしょうだと、>ひそかに>けいがの>いを>あらわしている>のです。>かう>ほうだって>あたまを>たたいてしなものは>たしかかなんて>きく>ような>やぼは>いちにんも>いない>んですからその>あたりは>あんしんな>もので>さあ。>またこの>ふくざつな>よのなかに、>そんなてすうを>する>ひにゃ>あ、>さいげんが>ありませんからね。>ごじゅうに>なったって>ろくじゅうに>なったって>ていしゅを>もつ>ことも>よめに>いく>ことも>でき>や>しません」>かんげつ>くんは>にじゅう>せいきの>せいねんだけ>あって、>だいに>とうせい>りゅうの>こうを>かいちんしておいて、>しきしまの>けむりを>ふう>ーと>迷>てい>せんせいの>かおの>ほうへ>ふきつけた。>迷>ていは>しきしまの>けむりくらいで>へきえきする>おとこではない。「>おおせの>とおり>ほうこんの>おんな>せいと、>れいじょうなどは>じそん>じしんの>ねんから>ほねも>にくも>かわまで>できていて、>なにでも>だんしに>まけない>ところが>けいふくの>いたりだ。>ぼくの>きんじょの>じょがっこうの>せいとなどと>きたら>えらい>ものだぜ。>つつそでを>はいててつぼうへ>ぶらさがるからかんしんだ。>ぼくは>にかいの>まどから>かれらの>たいそうを>もくげきする>たんびに>こだい|>のぞみ>臘の>ふじんを>ついかいするよ」「>またまれ>臘か」と>しゅじんが>れいしょうする>ように>いい>はなつと「>どうも>びな>かんじの>する>ものは>たいてい>まれ>臘から>みなもとを>はっしているからしかたが>ない。>びがく>しゃと>まれ>臘とは>とうてい>はなれ>られないやね。――>ことに>あのいろの>くろい>じょがくせいが>いっしんふらんに>たいそうを>している>ところを>はいけんすると、>ぼくは>いつでもえいじーえぬおーでぃーあいしーいーの>いつわを>おもいだす>の>さ」と>ものしり>かおに>しゃべり>たてる。「>またむずかしい>なまえが>でてきましたね」と>かんげつ>くんは>いぜんとして>にやにや>する。「えいじーえぬおーでぃーあいしーいーは>えらい>おんなだよ、>ぼくは>じつに>かんしんしたね。>とうじ|>あ>てんの>ほうりつで>おんなが>さんばを>えいぎょうする>ことを>きんじてあった。>ふべんな>こと>さ。えいじーえぬおーでぃーあいしーいーだって>そのふべんを>かん>ずるだろうじゃないか」「>なんだ>い、>その――>なんとか>いう>のは」「>おんな>さ、>おんなの>なまえだよ。>このおんなが>つらつら>かんがえるには、>どうも>おんなが>さんばに>なれない>のは>なさけない、>ふべん>きわまる。>どうか>してさんばに>なりたい>もんだ、>さんばに>なる>くふうはあるまいかと>さんにち>さんばん>しゅを>こまぬいてかんがえこんだね。>ちょうど>さんにち>めの>あかつき>かたに、>となりの>いえで>あかんぼうが>おぎゃあと>ないた>こえを>きいて、>うんそうだと>かつぜん>たいごして、>それから>さっそくながい>かみを>きっておとこの>きものを>きてHierophilusの>こうぎを>ききに>いった。>しゅび>よく>こうぎを>きき>つい>せて、>もう>だいじょうぶと>いう>ところで>もって、>いよいよ>さんばを>かいぎょうした。>ところが、>おくさん>はやりましたね。>あちらでも>お>ぎゃあと>うまれる>こちらでも>お>ぎゃあと>うまれる。>それが>みんなえいじーえぬおーでぃーあいしーいーの>せわなんだからたいへん|>もうかった。>ところがにんげん>ばんじ|>塞>おきなの>うま、>ななころびやおき、>よわりめに>たたりめで、>つい>このひみつが>ろけんに>およんでついに>おかみの>ごはっとを>やぶったと>いう>ところで、>おもき>ご|>しおきに>おおせつけ>られ>そうに>なりました」「>まるで>こうしゃくみた>ようです>こと」「>なかなかうまいでしょう。>ところがあ>てんの>うなつらが>いちどう>れんしょしてたんがんに>およんだから、>ときの>ごぶぎょうも>そうきで>はなを>くくった>ような>あいさつも>できず、>ついに>とうにんは>むざい>ほうめん、>これからは>たとい>おんなたりとも>さんば>えいぎょうかって>たるべき>ことと>いう>ごふれいさえ>でてめでたく>らくちゃくを>つげました」「>よく>いろいろな>ことを>しっていらっしゃる>のね、>かんしんねえ」「>え>え>たいがいの>ことは>しっていますよ。>しらない>のは>じぶんの>ばかな>ことくらいな>ものです。>しかしそれも>うすうすは>しっ>てます」「>ほ>ほ>ほ>ほ>おもしろい>ことばかり……」と>さいくん|>しょう>かたちを>くずしてわらっていると、>こうしどの>べるが>あいかわらず>つけた>ときと>おなじような>おとを>だしてなる。「>おや>またごきゃく>さまだ」と>さいくんは>ちゃのまへ>ひきさがる。>さいくんと>いれちがいに>ざしきへ>はいいってきた>ものは>だれかと>おもったら>ごぞんじの>おち>こち>くんであった。 >ここへ>こち>きみさえ>くれば、>しゅじんの>いえへ>しゅつにゅうする>へんじんは>ことごとく>もうらし>つくしたとまで>いかずとも、>すくなくとも>わがはいの>ぶりょうを>なぐさむ>るに>たるほどの>とうすうは>ご>そろいに>なったと>いわねばならぬ。>これで>ふそくを>いっては>もったいない。>うん>わるる>く>ほかの>いえへ>かわ>れたがさいご、>しょうがい>にんげん>ちゅうに>かかる>せんせい>かたが>いちにんでもあろうとさえ>きがつかずに>しんでしまうかも>しれない。>こうに>してく>さや>せんせい>もんかの>ねこ>じと>なってあさゆう>とら>かわの>まえに>はべべ>るのでせんせいは>むろんの>こと>迷>てい、>かんげつ|>ないしこちなどと>いう>ひろい>とうきょうに>さえ>あまりれいの>ない>いっきとうせんの>ごうけつ>れんの>きょしどうさを>ねながらはいけんする>のは>わがはいにとって>せんざいいちぐうの>こうえいである。>おかげさまで>このあつい>のに>け>ぶくろで>つつま>れていると>いう>なんぎも>わすれて、>おもしろく>はんにちを>しょうこうする>ことが>できる>のは>かんしゃの>いたりである。>どうせ>これだけ>あつまればただごとでは>すまない。>なにか>もちあがるだろうと>ふすまの>かげから>つつしんで>はいけんする。「>どうも>ごぶさたを>いたしました。>しばらく」と>ごじぎを>する>こち>くんの>かおを>みると、>せんじつのごとく>やはり>きれいに>ひかっている。>あたまだけで>ひょうするとなにか>どんちょうやくしゃの>ようにも>みえるが、>しろい>おぐらの>はかまの>ごわごわする>のを>ごくろうにも>しか>つめらしく>はいている>ところは>さかきばら>けんきちの>うちでしとしか>おもえない。>したがってこち>くんの>しんたいで>ふつうの>にんげんらしい>ところは>かたから>こしまでの>あいだだけである。「>いやあついのに、>よく>ごで>かけだね。>さあずっと、>こっちへ>とおり>たまえ」と>迷>てい>せんせいは>じぶんの>いえらしい>あいさつを>する。「>せんせいには>おおいた>ひさ>しく>ごめに>かかりません」「>そうさ、>たしか>このはるの>ろうどくかい>ぎりだったね。>ろうどくかいと>いえばちかごろは>やはり>ごもり>かね。>そのご>ごみやにゃ>なりませんか。>あれは>うまかったよ。>ぼくは>だいに>はくしゅしたぜ、>きみ>きがつい>てたかい」「>え>え>おかげで>おおきに>ゆうきが>でまして、>とうとう>しまいまで>こぎつけました」「>こんどは>いつ>ごもよおしが>ありますか」と>しゅじんが>くちを>だす。「>ななはち|>わちは>やすんでくがつには>なにか>にぎやかに>やりたいと>おもっております。>なにか>おもしろい>しゅこうは>ござい>ますまいか」「>さよう」と>しゅじんが>きの>ない>へんじを>する。「>こち>きみ>ぼくの>そうさくを>ひとつ>やらないか」と>こんどは>かんげつ>くんが>あいてに>なる。「>きみの>そうさくなら>おもしろい>ものだろうが、>いったい>なにかね」「>きゃくほん>さ」と>かんげつ>くんが>なるべく>おしを>つよく>でると、>あんのごとく、>さんにんは>ちょっとどくけを>ぬか>れて、>もうしあわせた>ように>ほんにんの>かおを>みる。「>きゃくほんは>えらい。>きげき>かい>ひげき>かい」と>こち>くんが>ふを>すすめると、>かんげつ>せんせいな>おすまし>かえって「>なに>きげきでも>ひげきでも>ないさ。>ちかごろは>きゅうげきとか>しんげきとか>たいぶ>やかましいから、>ぼくも>ひとつ>しんきじくを>だして俳>げきと>いう>のを>つくってみた>の>さ」「>俳>げき>たどんな>もの>だい」「>はいく>しゅみの>げきと>いう>のを>つめて俳>げきの>にじに>した>の>さ」と>いうとしゅじんも>迷>ていも>たしょう|>けむりに>まか>れてひかえている。「>それでその>しゅこうと>いう>のは?」と>ききだした>のは>やはり>こち>くんである。「>ねが>はいく>しゅみから>くる>のだから、>あまりながたらしくって、>どく>あくな>のは>よくないと>おもってひとまく>ぶつに>しておいた」「>なるほど」「>まず>どうぐだてから>はなすが、>これも>ごく>かんたんな>のが>いい。>ぶたいの>まんなか>へ>おおきなやなぎを>いちほん>うえつけてね。>それからその>やなぎの>みきから>いちほんの>えだを>みぎの>ほうへ>ぬっと>ださ>せて、>そのえだへ>からすを>いちわ>とまら>せる」「>からすが>じっと>していればいいが」と>しゅじんが>ひとりごとの>ように>しんぱいした。「>なに>わけは>ありません、>からすの>あしを>いとで>えだへ>しばりつけておく>んです。>でその>したへ>ぎょうずいたらいを>だしましてね。>びじんが>よこむきに>なっててぬぐいを>つかっている>んです」「>そいつは>すこしでかだんだね。>だいはじめ>だれが>そのおんなに>なる>ん>だい」と>迷>ていが>きく。「>なに>これも>すぐできます。>びじゅつ>がっこうの>もでるを>やとってくる>んです」「>そりゃけいしちょうが>やかましく>いい>そうだな」と>しゅじんは>またしんぱいしている。「>だってこうぎょうさえ>しなければかまわんじゃ>ありませんか。>そんなことを>とやかく>いった>ひにゃ>がっこうで>らたい>がの>しゃせいな>ん>ざ>で>きたっ>こありません」「>しかしあれは>けいこの>ためだから、>ただみている>のとは>すこしちがうよ」「>せんせい>かたが>そんなことを>いった>ひには>にっぽんも>まだだめです。>かいがだって、>えんげきだって、>おんなじげいじゅつです」と>かんげつ>きみ>おおいに>きえんを>ふく。「>まあ>ぎろんは>いいが、>それから>どうする>の>だい」と>こち>くん、>ことに>よると、>やる>りょうけんと>みえてすじを>ききた>がる。「>ところへ>かどうから>はいじん|>たかはま>きょしが>すてっきを>もって、>しろい>とうしん>いりの>ぼうしを>こうむって、>すきやの>はおりに、>さつま>ひはくの>しり>はしょりの>はんくつと>うん>う>こしらえで>でてくる。>きつけは>りくぐんの>ごようたつ>みた>よう>だけれどもはいじんだからなるべくゆうゆうとして>はらのうちでは>く>あんに>よねんの>ない>からだ>であるかなくっちゃいけない。>それできょしが>かどうを>いき>きっていよいよ>ほんぶたいに>かかった>とき、>ふと>く>あんの>めを>あげてぜんめんを>みると、>おおきなやなぎが>あって、>やなぎの>かげで>しろい>おんなが>ゆを>あびている、>はっと>おもってうえを>みるとながい>やなぎの>えだに>からすが>いちわ>とまっておんなの>ぎょうずいを>みおろしている。>そこできょし>せんせい|>だいに>はいみに>かんどうしたと>いう>おもいいれが>ごじゅう>びょうばかり>あって、>ぎょうずいの>おんなに>ほれる>からすかなと>おおきなこえで>いっく>ろうぎんする>のを>あいずに、>ひょうしぎを>いれてまくを>ひく。――>どうだろう、>こういう>しゅこうは。>ごきにいりませんかね。>きみ|>おみやに>なるより>きょ>こに>なる>ほうが>よほど>いいぜ」>こち>くんは>なんだか>もの>たらぬと>いう>かお>づけで「>あんまり、>あっけない>ようだ。>もうすこしにんじょうを>かみした>じけんが>ほしい>ようだ」と>まじめに>こたえる。>いままで>ひかくてき>おとなしく>していた>迷>ていは>そういつまでも>だまっている>ような>おとこではない。「>たったそれだけで>俳>げきは>すさまじいね。>うえだ>さとし>くんの>せつに>よるとはいみとか>こっけいとか>いう>ものは>しょうきょく>てきで>ぼうこくの>おとだ>そうだが、>さとし>くんだけ>あってうまい>ことを>いったよ。>そんなつまらない>ものを>やってみ>たまえ。>それこそ>うえだ>くんから>わらわれるばかりだ。>だいいち>げきだか>ちゃばんだか>なんだか>あまりしょうきょく>てきで>わからないじゃないか。>しつれいだがかんげつ>くんは>やはり>じっけんしつで>たまを>みがい>てる>ほうが>いい。>俳>げき>なんぞ>ひゃくつくったって>にひゃく>つくったって、>ぼうこくの>おと>じゃだめだ」>かんげつ>くんは>しょうしょう|>いきどおとして、「>そんなに>しょうきょく>てきでしょうか。>わたしは>なかなかせっきょく>てきな>つもりな>んですが」>どっちでも>かまわん>ことを>べんかいし>かける。「>きょし>がですね。>きょし>せんせいが>おんなに>ほれる>からすかなと>からすを>とらえておんなに>ほれ>さ>した>ところが>だいに>せっきょく>てきだろうと>おもいます」「>こりゃ>しんせつだね。>ぜひ>ごこうしゃくを>伺が>いましょう」「>りがく>しとして>かんがえてみるとからすが>おんなに>ほれるなどと>いう>のは>ふごうりでしょう」「>ごもっとも」「>そのふごうりな>ことを>むぞうさに>いいはなってすこしも>むりに>きこえません」「>そうかしら」と>しゅじんが>うたがった>ちょうしで>わりこんだがかんげつは>いっこう>とんじゃくしない。「>なぜむりに>きこえないかと>いうと、>これは>しんり>てきに>せつめいするとよく>わかります。>みを>いうと>ほれるとか>ほれないとか>いう>のは>はいじん>そのひとに>そんする>かんじょうで>からすとは>ぼっこうしょうの>さたであります。>しかる>ところ>あのからすは>ほれ>てるなと>かんじる>のは、>つまりからすが>どうのこうのと>いう>わけじゃない、>必>竟>じぶんが>ほれている>んで>さあ。>きょし>じしんが>うつくしい>おんなの>ぎょうずいしている>ところを>みてはっと>おもう>とたんに>ずっと>ほれこんだに>そういないです。>さあじぶんが>ほれた>めで>からすが>えだの>うえで>うごきも>しないでしたを>みつめている>のを>みた>ものだから>、は>はあ、>あいつも>おれと>おなじく>まいっ>てるなと>かん>ちがいを>した>のです。>かん>ちがいには>そういないですがそこが>ぶんがく>てきで>かつ>せっきょく>てきな>ところな>んです。>じぶんだけ>かんじた>ことを、>ことわりも>なく>からすの>うえに>かくちょうしてしらんかおを>してすましている>ところ>なんぞは、>よほど>せっきょく>しゅぎじゃ>ありませんか。>どうです>せんせい」「>なるほど>ごめいろんだね、>きょしに>きかしたら>おどろくに>ちがいない。>せつめいだけは>せっきょくだが、>じっさいあの>げきを>やら>れた>ひには、>けんぶつにんは>たしかに>しょうきょくに>なるよ。>ねえ>こち>くん」「>へえ>どうも>しょうきょく>すぎる>ように>おもいます」と>まじめな>かおを>してこたえた。 >しゅじんは>しょうしょうだんわの>きょくめんを>てんかいしてみたく>なったと>みえて、「>どうです、>こち>さん、>ちかごろは>けっさくも>ありませんか」と>きくとこち>くんは「>いえ、>べつだんこれと>いってごめに>かけるほどの>ものも>できませんが、>きんじつ>ししゅうを>だしてみようと>おもいまして――>こうほんを>さいわいもってまいりましたから>ごひひょうを>ねがいましょう」と>ふところから>むらさきの>ふくさ>つつみを>だして、>そのなかから>ごろく>じゅうまいほどの>げんこう>しの>ちょうめんを>とりだして、>しゅじんの>まえに>おく。>しゅじんは>もっともらしい>かおを>してはいけんと>いってみると>だいいち>ぺーじに>よの>ひとに>にず>あえ>かに>みえ>たまう   >とみこ>じょうに>ささぐ>と>にこうに>かいてある。>しゅじんは>ちょっとしんぴ>てきな>かおを>してしばらく>いちぺーじを>むごんの>まま>ながめているので、>迷>ていは>よこ>ごうから「>なんだ>い>しんたいしかね」と>いいながらのぞき>こんで「>やあ、>ささげたね。>こち>くん、>おもいきってとみこ>じょうに>ささげた>のは>えらい」と>しきりに>しょう>める。>しゅじんは>なお>ふしぎ>そうに「>こち>さん、>このとみこと>いう>のは>ほんとうに>そんざいしている>ふじんな>のですか」と>きく。「>へえ、>このまえ>迷>てい>せんせいと>ごいっしょに>ろうどくかいへ>しょうたいした>ふじんの>いちにんです。>つい>このごきんじょに>すんでおります。>じつはただいま>ししゅうを>みせようと>おもってちょっとよってまいりましたが、>あいにく>せんげつから>おおいそへ>ひしょに>いってるすでした」と>まじめくさってのべる。「>く>さや>くん、>これが>にじゅう>せいき>なんだよ。>そんなかおを>しないで、>はやく>けっさくでも>ろうどくするさ。>しかしこち>くん>このささげ>かたは>すこしまずかったね。>このあえ>かにと>いう>がげんは>ぜんたい>なにと>いう>いみだと>おもっ>てるかね」「>か>よわいと>かたよ>わくと>いう>じだと>おもいます」「>なるほど>そうも>とれん>ことはないがほんらいの>じぎを>いうとあやう>げにと>いう>ことだぜ。>だからぼくなら>こうは>かかないね」「>どうかいたら>もっと>してきに>なりましょう」「>ぼくなら>こうさ。>よの>ひとに>にず>あえ>かに>みえ>たまう>とみこ>じょうの>はなの>したに>ささぐと>するね。>わずかに>さんじの>ゆき>さ>つ>だがはなの>したが>ある>のと>ない>のとでは>たいへん>かんじに>そういが>あるよ」「>なるほど」と>こち>くんは>かいし>かねた>ところを>むりに>なっとくした>からだに>もてなす。 >しゅじんは>むごんの>まま>ようやく>いちぺーじを>はぐっていよいよ>かんとう>だいいち>しょうを>よみ>だす。>うんじて>くんずる>こう>うらに>きみの>れいか>そうしの>けむりの>たなびき>おお>われ、>ああわれ、>つらき>このよに>あまく>えてしか>あつき>くちづけ「>これは>しょうしょうぼくには>かいし>かねる」と>しゅじんは>たんそくしながら迷>ていに>わたす。「>これは>しょうしょうふ>い>すぎ>てる」と>迷>ていは>かんげつに>わたす。>かんげつは「>な>あ>あるほど」と>いってこち>くんに>かえす。「>せんせい>ごわかりに>ならん>のは>ごもっともで、>じゅうねん>まえの>し>かいと>きょうの>し>かいとは>みちがえるほど>はったつしておりますから。>このころの>しは>ねころんでよんだり、>ていしゃじょうで>よんでは>とうてい>わかり>ようが>ないので、>つくった>ほんにんですら>しつもんを>うけると>へんとうに>きゅうする>ことが>よく>あります。>まったくいんすぴれーしょんで>かくのでしじんは>そのたには>なんらの>せきにんも>ない>のです。>ちゅうしゃくや>くん>ぎは>がっきゅうの>やる>ことで>わたし>ともの>ほうでは>とみと>かまいません。>せんだっても>わたしの>ゆうじんで>そうせきと>いう>おとこが>いちやという>たんぺんを>かきましたが、>だれが>よんでも>もうろうとして>とりとめが>つかないので、>とうにんに>あってとくと>しゅいの>ある>ところを>ただしてみた>のですが、>とうにんも>そんなことは>しらないよと>いってとりあわない>のです。>まったくその>へんが>しじんの>とくしょくかと>おもいます」「>しじんかも>しれないがずいぶんみょうな>おとこですね」と>しゅじんが>いうと、>迷>ていが「>ばかだよ」と>たんかんに>そうせきくんを>うち>とめた。>こち>くんは>これだけでは>まだべんじ>たりない。「>そうせきは>われ々>なかまの>うちでも>と>のけですが、>わたしの>しも>どうか>こころもち>そのきで>よんでいただきたいので。>ことに>ごちゅういを>ねがいたい>のは>からき>このよと、>あまき>くちづけと>ついを>とった>ところが>わたしの>くしんです」「>よほど>くしんを>なすった>あと>迹が>みえます」「>あまいと>からいと>はんしょう>する>ところ>なんか>じゅうしちみ>ちょう>とうがらし>ちょうで>おもしろい。>まったくこち>くん>どくとくの>ぎりょうで>たかし々>ふく々の>いたりだ」と>しきりに>しょうじきな>ひとを>まぜかえしてよろこんでいる。 >しゅじんは>なんと>おもったか、>ふいと>たってしょさいの>ほうへ>おこなったがやがて>いちまいの>はんしを>もってでてくる。「>こち>くんの>みつくりも>はいけんしたから、>こんどは>ぼくが>たんぶんを>よんでしょくんの>ごひひょうを>ねがおう」と>いささか>ほんきの>さたである。「>てんねん>こじの>ぼひめいなら>もう>にさん>へんはいちょうしたよ」「>まあ、>だまってい>なさい。>こち>さん、>これは>けっして>とくいの>ものではありませんが、>ほんのざきょうですからきいてください」「>ぜひ伺が>いましょう」「>かんげつ>くんも>ついでに>きき>たまえ」「>ついででなくても>ききますよ。>ながい>ものじゃないでしょう」「>僅々>ろくじゅう>よじ>さ」と>く>さや>せんせい>いよいよ>てせいの>めいぶんを>よみ>はじめる。「>やまとだましい! と>さけんでにっぽんじんが>はいびょう>やみの>ような>せきを>した」「>おこし>えて突>兀ですね」と>かんげつ>くんが>ほめる。「>やまとだましい! と>しんぶん>やが>いう。>やまとだましい! と>すりが>いう。>やまとだましいが>いちやくしてうみを>わたった。>えいこくで>やまとだましいの>えんぜつを>する。>どいつで>やまとだましいの>しばいを>する」「>なるほど>こりゃ>てんねん>こじ>いじょうの>さくだ」と>こんどは>迷>てい>せんせいが>そりかえってみせる。「>とうごう>たいしょうが>やまとだましいを>あっている。>さかな>やの>ぎん>さんも>やまとだましいを>あっている。>さぎ>し、>やまし、>ひとごろしも>やまとだましいを>あっている」「>せんせい>そこへ>かんげつも>あっていると>つけてください」「>やまとだましいは>どんなものかと>きいたら、>やまとだましい>さと>こたえていきすぎた。>ごろく>けんおこなってから>えへんと>いう>こえが>きこえた」「>そのいっくは>だいできだ。>きみは>なかなかぶんさいが>あるね。>それからつぎの>くは」「>さんかくな>ものが>やまとだましいか、>しかくな>ものが>やまとだましいか。>やまとだましいは>なまえの>しめす>ごとく>たましいである。>たましいであるからつねに>ふらふら>している」「>せんせい>だいぶ>おもしろ>うございますが、>ちと>やまとだましいが>たすぎは>しませんか」と>こち>くんが>ちゅういする。「>さんせい」と>いった>のは>むろん>迷>ていである。「>だれも>くちに>せぬ>ものはないが、>だれも>みた>ものはない。>だれも>きいた>ことは>あるが、>だれも>あった>ものが>ない。>やまとだましいは>それ>てんぐの>るいか」 >しゅじんは>いちゆい>杳>しかと>いう>つもりで>よみ>おわったが、>さすがの>めいぶんも>あまりたんか>すぎる>のと、>しゅいが>どこに>ある>のか>わかり>かねるので、>さんにんは>まだあとが>ある>ことと>おもってまっている。>いくら>まっていても、>うんとも、>すんとも、>いわないので、>さいごに>かんげつが「>それ>ぎりで>すか」と>きくとしゅじんは>かるく「>うん」と>こたえた。>うんは>すこしきらく>すぎる。 >ふしぎな>ことに>迷>ていは>このめいぶんにたいして、>いつもの>ように>あまりだべんを>ふ>わ>なかったが、>やがて>むきなおって、「>きみも>たんぺんを>あつめていっかんとして、>そうしてだれかに>ささげては>どうだ」と>きいた。>しゅじんは>こともなげに「>きみに>ささげてやろうか」と>きくと>迷>ていは「>まっぴらだ」と>こたえ>たぎり、>せんこく>さいくんに>みせびらかした>鋏を>ちょき>ちょき>いわ>してつめを>とっている。>かんげつ>くんは>こち>くんに>むかって「>きみは>あのかねでんの>れいじょうを>しっ>てる>のか>い」と>たずねる。「>このはる>ろうどくかいへ>しょうたいしてから、>こんいに>なってそれからは>しじゅうこうさいを>している。>ぼくは>あのれいじょうの>まえへ>でると、>なんとなく>いっしゅの>かんに>うた>れて、>とうぶんの>うちは>しを>つくっても>うたを>よんでも>ゆかいに>きょうが>のってでてくる。>このしゅうちゅうにも>こいの>しが>おおい>のは>まったくああいう>いせいの>ほうゆうから>いんすぴれーしょんを>うけるからだろうと>おもう。>それでぼくは>あのれいじょうにたいしては>せつじつに>かんしゃの>いを>ひょうしなければならんからこの>きを>りようして、>わがしゅうを>ささげる>ことに>した>の>さ。>むかし>しから>ふじんに>しんゆうの>ない>もので>りっぱな>しを>かいた>ものはない>そうだ」「>そうかなあ」と>かんげつ>くんは>かおの>おくで>わらいながらこたえた。>いくら>だべん>かの>よりあいでも>そうながくは>つづかん>ものと>みえて、>だんわの>ひのては>おおいた>したびに>なった。>わがはいも>かれらの>へんかなき>ざつだんを>ひもすがら>きかねばならぬ>ぎむも>ないから、>しっけいしてにわへ>かまきりを>さがしに>でた。>あおぎりの>みどりを>つづる>あいだから>にしに>かたむく>ひが>まだら>らに>もれて、>みきには>つくつくぼうしが>けんめいに>ないている。>ばんは>ことに>よるとひとあめ>かかるかも>しれない。        >なな >わがはいは>ちかごろ>うんどうを>はじめた。>ねこの>くせに>うんどうなんて>きいた>かぜだと>いちがいに>れいばし>さる>てあいに>ちょっともうしきけるが、>そういう>にんげんだって>つい>きんねんまでは>うんどうの>なにもの>たるを>ほぐせずに、>くってねる>のを>てんしょくの>ように>こころえていたではないか。>ぶじ>ぜ>きじんとか>たたえて、>ふところでを>してざぶとんから>くされ>かかった>しりを>はなさざるを>もってだんなの>めいよと>あぶら>くだってくらした>のは>おぼえている>はずだ。>うんどうを>しろの、>ぎゅうにゅうを>のめの>れいすいを>あび>ろの、>うみの>なかへ>とびこめの、>なつに>なったら>やまの>なかへ>こもってとうぶん>かすみを>くえ>のと>くだらぬ>ちゅうもんを>れんぱつする>ように>なった>のは、>せいようから>しんこくへ>でんせんし>した>ばんきんの>びょうきで、>やはり>ぺすと、>はいびょう、>しんけい>すいじゃくの>いちぞくと>こころえていいくらいだ。>もっともわがはいは>きょねん>うまれたばかりで、>とうねん>とって>いちさいだからにんげんが>こんなびょうきに>かかり>だした>とうじの>ありさまは>きおくに>そんしておらん、>のみ>ならず>そのみぎりりは>うきよの>かぜ>ちゅうに>ふわつ>いておらなかったに>そういないが、>ねこの>いちねんは>にんげんの>じゅうねんに>かけ>あうと>いっても>よろしい。>われ>とうの>じゅみょうは>にんげんより>にばいも>さんばいも>みじかいに>かからず、>そのたんじつげつの>あいだに>ねこ>いっぴきの>はったつは>じゅうふん|>つかまつる>ところをもって>すいろんすると、>にんげんの>としつきと>ねこの>せいそうを>おなじわりあいに>ださんする>のは>はなはだしき>ごびゅうである。>だいいち、>いちさい>なんかげつに>たらぬ>わがはいが>このくらいの>けんしきを>ゆうしている>のでも>わかるだろう。>しゅじんの>だいさん>おんななどは>かぞえどしで>みっつだ>そうだが、>ちしきの>はったつから>いうと、>いやはや>にぶい>ものだ。>なく>ことと、>ねしょうべんを>する>ことと、>おっぱいを>のむ>ことより>ほかに>なににも>しらない。>よを>うい>ときを>いきどおる>われ>やからなどに>くらべると、>から>たわいの>ない>ものだ。>それだからわがはいが>うんどう、>かいすいよく、>てんちりょうようの>れきしを>ほうすんの>うちに>たたみこんでいたって>ごうも>おどろくに>たりない。>これしきの>ことを>もし>おどろき>ろ>く>しゃが>あったなら、>それは>にんげんと>いう>あしの>にほん>たりない>のろ>かんに>きょくって>いる。>にんげんは>むかしから>のろ>かんである。であるからちかごろに>いたってすすむ々>うんどうの>こう>のうを>ふいちょうしたり、>かいすいよくの>りえきを>ちょうちょう>してだいはつめいの>ように>かんがえる>のである。>われ>やからなどは>うまれない>まえから>そのくらいな>ことは>ちゃんと>こころえている。>だいいち>かいすいが>なぜくすりに>なるかと>いえばちょっとかいがんへ>いけばすぐわかる>ことじゃないか。>あんな>ひろい>ところに>さかなが>なん|>疋>おるか>わからないが、>あのさかなが>いっぴきも>びょうきを>していしゃに>かかった>ためしが>ない。>みんな>けんぜんに>およいでいる。>びょうきを>すれば、>からだが>きかなく>なる。>しねばかならずうく。>それだからさかなの>おうじょうを>あがると>いって、>とりの>こうきょを、>おちると>となえ、>にんげんの>じゃくめつを>ごねると>ごうしている。>ようこうを>していんど>ようを>おうだんした>ひとに>きみ、>さかなの>しぬ>ところを>みた>ことが>ありますかと>きいてみるがいい、>だれでも>い>いえと>こたえるに>きょくって>いる。>それは>そうこたえる>わけだ。>いくら>おうふくしたって>いちひきも>なみの>うえに>こん|>こきゅうを>ひきとった――>こきゅうでは>いかん、>さかなの>ことだからしおを>ひきとったと>いわなければならん――>しおを>ひきとってういている>のを>みた>ものはないからだ。>あのびょうびょうたる、>あのまんまんたる、>たいかいを>にちと>なく>よると>なく>つづけざまに>せきたんを>たいてさぐが>してあるいても>こ往|>こんらい>いちひきも>さかなが>あがっておらん>ところをもって>すいろんすれば、>さかなは>よほど>じょうぶな>ものに>違>ないと>いう>だんあんは>すぐに>くだす>ことが>できる。>それなら>なぜさかなが>そんなに>じょうぶな>のかと>いえばこれ>またにんげんを>まってしかる>あとに>しらざる>なりで、>わけはない。>すぐわかる。>まったくしおみずを>のんでしじゅうかいすいよくを>やっているからだ。>かいすいよくの>こう>のうは>しかく>さかなに>とってけんちょである。>さかなに>とってけんちょである>いじょうは>にんげんに>とっても>けんちょでなくては>ならん。>いちなな>ごれい>ねんに>どくとる・>りちゃーど・>らっせるが>ぶらいとんの>かいすいに>とびこめばしひゃくしびょう|>そくせき>ぜんかいと>おおげさな>こうこくを>だした>のは>おそい>おそいと>わらっても>よろしい。>ねこと>いえどもそうとうの>じきが>とうちゃくすれば、>みんな>かまくら>あたりへ>でかける>つもりでいる。>ただしいまは>いけない。>ものには>じきが>ある。>ごいしん>まえの>にっぽんじんが>かいすいよくの>こう>のうを>あじわう>ことが>できずに>しんだ>ごとく、>きょうの>ねこは>いまだらたいで>うみの>なかへ>とびこむべき>きかいに>そうぐうしておらん。>せいては>ことを>つかまつ>そんん>ずる、>きょうの>ように>つきじへ>うっちゃられ>に>いった>ねこが>ぶじに>きたくせん>かんは>む>あんに>とびこむ>わけには>いかん。>しんかの>ほうそくで>われ>とう>ねこ>やからの>きのうが>きょうらん>おこ>濤にたいして>てきとうの>ていこうりょくを>なまずるに>いたるまでは――>かんげんすればねこが>しんだと>いう>かわりに>ねこが>あがったと>いう>かたりが>いっぱんに>しようせらるるまでは――>よういに>かいすいよくは>できん。 >かいすいよくは>おってじっこうする>ことに>して、>うんどうだけは>とりあえず>やる>ことに>とりきめた。>どうも>にじゅう>せいきの>きょう>うんどうせん>のは>いかにも>ひんみんの>ようで>ひとぎきが>わるい。>うんどうを>せんと、>うんどうせん>のではない。>うんどうが>できんのである、>うんどうを>する>じかんが>ないのである、>よゆうが>ない>のだと>かんていさ>れる。>むかしは>うんどうした>ものが>おりすけと>わらわ>れた>ごとく、>いまでは>うんどうを>せぬ>ものが>かとうと>み>做>さ>れている。>われ>じんの>ひょうかは>ときと>ばあいに>おうじ>わがはいの>め>だまのごとく>へんかする。>わがはいの>め>だまは>ただちいさく>なったり>おおきく>なったり>するばかりだが、>にんげんの>しな>隲と>くると>しん>ぎゃくか>さまに>ひっくりかえる。>ひっくりかえっても>さしつかえはない。>ものには>りょうめんが>ある、>りょうたんが>ある。>りょうたんを>たたいてくろしろの>へんかを>どういつ>ぶつの>うえに>おこす>ところが>にんげんの>ゆうずうの>きく>ところである。>ほうすんを>ぎゃくか>さまに>してみるとすん>かたと>なる>ところに>あいきょうが>ある。>あまのはしだてを>こ>くらから>のぞいてみるとまたかくべつな>おもむきが>でる。>せくすぴやも>せんこ>ばんこ>せくすぴやでは>つまらない。>偶には>こ>くらから>はむれっとを>みて、>きみ>こりゃ>だめだよ>くらいに>いう>ものが>ないと、>ぶん>かいも>しんぽしないだろう。>だからうんどうを>わるく>いった>れんちゅうが>きゅうに>うんどうが>したく>なって、>おんなまでが>らけっとを>もっておうらいを>あるき>めぐったって>いっこう>ふしぎはない。>ただねこが>うんどうする>のを>きいた>かぜだなどと>わらいさえ>しなければよい。>さてわがはいの>うんどうは>いかなるしゅるいの>うんどうかと>ふしんを>いだく>ものが>あるかも>しれんからいちおうせつめいしようと>おもう。>ごしょうちのごとく>ふこうに>してきかいを>もつ>ことが>できん。>だからぼーるも>ばっとも>とりあつかい>かたに>こんきゅうする。>つぎには>きんが>ないからかう>わけに>いかない。>このふたつの>みなもと>いんから>してわがはいの>えらんだ>うんどうは>いちぶん>いらず>きかい>なしと>な>づくべき>しゅるいに>ぞくする>ものと>おもう。>そんなら、>のそのそ>あるくか、>あるいはまぐろの>きりみを>啣>えて馳>け>だす>ことと>かんがえるかも>しれんが、>ただ>よんほんの>あしを>りきがく>てきに>うんどうさ>せて、>ちきゅうの>いんりょくに>じゅんって、>だいちを>おうこうする>のは、>あまりたんかんで>きょうみが>ない。>いくら>うんどうと>なが>ついても、>しゅじんの>ときどき>じっこうする>ような、>よんでじのごとき>うんどうは>どうも>うんどうの>しんせいを>きたなが>す>しゃだろうと>おもう。>もちろん>ただの>うんどうでもある>しげきの>したに>はやらんとは>かぎらん。>かつおぶし>きょうそう、>さけ>さがしなどは>けっこうだがこれは>かんじんの>たいしょう>ぶつが>あっての>うえの>ことで、>このしげきを>とりさるとさくぜんとして>ぼっしゅみな>ものに>なってしまう。>けんしょう>てき>こうふんざいが>ないと>すればなにか>げいの>ある>うんどうが>してみたい。>わがはいは>いろいろかんがえた。>だいどころの>ひさしから>いえ>ねに>とびあがる>ほう、>いえ>ねの>てっぺんに>ある>ばいか>かたちの>かわらの>うえに>よんほん>あしで>たつ>すべ、>もの>ひ>さおを>わたる>こと――>これは>とうてい>せいこうしない、>たけが>つるつる>すべってつめが>たたない。>うしろから>ふいに>しょうともに>とびつく>こと、――>これは>すこぶる>きょうみの>ある>うんどうの>いちだがめったに>やるとひどい>めに>あうから、>たかだか>つきに>さんどくらいしか>こころみない。>かみぶくろを>あたまへ>かぶせ>ら>るる>こと――>これは>くるしいばかりで>はなはだ>きょうみの>とぼしい>ほうほうである。>ことに>にんげんの>あいてが>おらんと>せいこうしないからだめ。>つぎには>しょもつの>ひょうしを>つめで>ひき>かく>こと、――>これは>しゅじんに>みつかるとかならずどやさ>れる>きけんが>あるのみ>ならず、>わりあいに>てさきの>きようばかりで>そうしんの>きんにくが>はたらかない。>これらは>わがはいの>いわゆるきゅうしき>うんどうなる>ものである。>しんしきの>うちには>なかなかきょうみの>ふかい>のが>ある。>だいいちに>かまきり>かり。――>かまきり>かりは>ねずみ>かりほどの>だいうんどうで>ない>かわりに>それほどの>きけんが>ない。>なつの>はんから>あきの>はじめへ>かけてやる>ゆうぎとしては>もっとも>じょうじょうの>ものだ。>そのほうほうを>いうとまず>にわへ>でて、>いちひきの>かまきりを>さがし>だす。>じこうが>いいと>いちひきや>にひき>みつけ>だす>のは>ぞうさも>ない。>さてみつけ>だした>かまきり>くんの>そばへ>はっと>かぜを>きって馳>けていく。>するとすわ>こ>そと>いう>み>構を>してかまくびを>ふり>あげる。>かまきりでも>なかなかけなげな>もので、>あいての>りきりょうを>しらん>うちは>ていこうする>つもりでいるからおもしろい。>ふりあげた>かまくびを>みぎの>まえあしで>ちょっとまいる。>ふりあげた>くびは>やわらかいからぐにゃり>よこへ>まがる。>このときの>かまきり>くんの>ひょうじょうが>すこぶる>きょうみを>そえる。>おやと>いう>おもいいれが>じゅうぶん>ある。>ところを>いっそくとびに>きみの>うしろへ>めぐってこんどは>はいめんから>きみの>はねを>かるく>ひき>かく。>あのはねは>へいぜい>だいじに>たたんであるが、>ひきかき>かたが>はげしいと、>ぱっと>みだれてちゅうから>よしのがみの>ような>うす>しょくの>したぎが>あらわれる。>きみは>なつでも>ごくろう>せんばんに>にまいがさねで>おつに>きわまっている。>このとき>きみの>ながい>くびは>かならずうしろに>むきなおる。>あるときは>むかってくるが、>たいがいの>ばあいには>くびだけ>ぬっと>たててたっている。>こっちから>てだしを>する>のを>まちかまえてみえる。>せんぽうが>いつまでも>このたいどで>いては>うんどうに>ならんから、>あまりながく>なるとまたちょいと>いちほん>まいる。>これだけ>まいるとがんしきの>ある>かまきりなら>かならずにげだす。>それを>われ>むしゃらくに>むかってくる>のは>よほど>むきょういくな>やばん>てき>かまきりである。>もし>あいてが>このやばんな>ふるまいを>やると、>むかってきた>ところを>覘>い>すまして、>いやと>いうほど>はりつけてやる。>たいがいは>にさん>しゃくとばさ>れる>ものである。>しかしてきが>おとなしく>はいめんに>ぜんしんすると、>こっちは>きのどくだからにわの>たちきを>にさん>どあすかのごとく>めぐってくる。>かまきり>くんは>まだ>ごろく>すんしか>にげのびておらん。>もう>わがはいの>りきりょうを>しったからて>むかいを>する>ゆうきはない。>ただうおうさおうへ>にげまどうのみである。>しかしわがはいも>うおうさおうへ>おっかけるから、>きみは>しまいには>くるし>がってはねを>ふっていちだい>かつやくを>こころみる>ことが>ある。>がんらい>かまきりの>はねは>かれの>くびと>ちょうわして、>すこぶる>ほそながく>できあがった>ものだが、>きいてみるとまったくそうしょくようだ>そうで、>にんげんの>えいご、>ふつご、>どいつ>ごのごとく>ごうも>じつようには>ならん。>だからむようの>ちょうぶつを>りようしていちだい>かつやくを>こころみた>ところが>わがはいにたいして>あまりこう>のうの>あり>よう>やくが>ない。>なまえは>かつやくだがじじつは>じめんの>うえを>ひきずってあるくと>いうに>すぎん。>こうなるとしょうしょうきのどくな>かんは>あるがうんどうの>ためだからしかたが>ない。>ごめん>こうむってたちまちぜんめんへ>馳け>ぬける。>きみは>だせいで>きゅうかいてんが>できないからやはり>やむをえずぜんしんしてくる。>そのはなを>なぐりつける。>このとき>かまきり>くんは>かならずはねを>ひろげた>まま>仆>れる。>そのうえを>うんと>まえあしで>おさえてすこしく>きゅうそくする。>それからまたはなす。>はなしておいてまたおさえる。>ななとりこ>ななたて>ひろあきの>ぐんりゃくで>せめ>つける。>やくさん>じゅうふん>このじゅんじょを>くりかえして、>みうごきも>できなく>なった>ところを>み>すましてちょっとくちへ>啣>えてふってみる。>それからまたはきだす。>こんどは>じめんの>うえへ>ね>たぎり>うごかないから、>こっちの>てで>つっついて、>そのぜいで>とびあがる>ところを>またおさえ>つける。>これも>いやに>なってから、>さいごの>しゅだんとして>むしゃむしゃ>くってしまう。>ついでだからかまきりを>くった>ことの>ない>ひとに>はなしておくが、>かまきりは>あまりうまい>ものではない。>そうしてじよう>ぶんも>ぞんがい>すくない>ようである。>かまきり>かりに>ついでせみ>とりと>いう>うんどうを>やる。>たんに>せみと>いった>ところが>おなじものばかりではない。>にんげんにも>あぶら>やろう、>み>ん>みん>やろう、>おしい>つく>つく>やろうが>ある>ごとく、>せみにも>あぶらぜみ、>み>ん>みん、>おしい>つく>つくがある。>あぶらぜみは>しつこくていかん。>み>ん>み>んは>おうふうで>こまる。>ただとっておもしろい>のは>おしい>つく>つくである。>これは>なつの>すえに>ならないと>でてこない。>やっつ>ぐちの>ほころびから>あきかぜが>ことわり>なしに>はだを>なでてはっ>く>しょ>かぜを>ひいたと>いう>ころ|>おきに>おを>掉り>たて>てなく。>よく>なく>やつで、>わがはいから>みると>なく>のと>ねこに>とら>れるより>ほかに>てんしょくが>ないと>おもわ>れるくらいだ。>あきの>はつは>こいつを>とる。>これを>しょうしてせみ>とり>うんどうと>いう。>ちょっとしょくんに>はなしておくがいやしくも>せみと>なの>つく>いじょうは、>じめんの>うえに>ころがってはおらん。>じめんの>うえに>おちている>ものには>かならずありが>ついている。>わがはいの>とる>のは>このありの>りょうぶんに>ねころんでいる>やつではない。>たかい>きの>えだに>とまって、>おしい>つく>つくと>ないている>れんちゅうを>とらえる>のである。>これも>ついでだからはくがくなる>にんげんに>ききたいがあれは>おしい>つく>つくと>なく>のか、>つく>つく>おしいと>なく>のか、>そのかいしゃくしだいによっては>せみの>けんきゅうじょう>すくなからざる>せき>がかりが>あると>おもう。>にんげんの>ねこに>まさる>ところは>こんなところに>そんする>ので、>にんげんの>みずから>ほこる>てんも>またかような>てんに>ある>のだから、>いま>そくとうが>できないなら>よく>かんがえておいたら>よかろう。>もっともせみ>とり>うんどうじょうは>どっちに>しても>さしつかえはない。>ただこえを>しるべに>きを>のぼっていって、>せんぽうが>むちゅうに>なってないている>ところを>うんと>とらえるばかりだ。>これは>もっとも>かんりゃくな>うんどうに>みえてなかなかほねの>おれる>うんどうである。>わがはいは>よんほんの>あしを>ゆうしているからだいちを>いく>ことにおいては>あえて>たの>どうぶつには>おとるとは>おもわない。>すくなくとも>にほんと>よんほんの>すうがく>てき>ちしきから>はんだんしてみてにんげんには>まけない>つもりである。>しかしき>のぼりに>いたっては>だいぶ>わがはいより>こうしゃな>やっこが>いる。>ほんしょくの>さるは>べつものとして、>さるの>まっそんたる>にんげんにも>なかなかあなどるべからざる>てあいが>いる。>がんらいが>いんりょくに>さからっての>むりな>じぎょうだからできなくても>べつだんの>ちじょくとは>おもわんけれども、>せみ>とり>うんどうじょうには>すくなからざる>ふべんを>あたえる。>こうに>つめと>いう>りきが>ある>ので、>どうかこうか>のぼりは>するものの、>はたで>みるほど>らくでは>ござらん。>のみ>ならず>せみは>とぶ>ものである。>かまきり>くんと>ちがって>いちたび>とんでしまったがさいご、>せっかくの>き>のぼりも、>き>のぼらずと>なにの>択>む>ところ>なしと>いう>ひうんに>さいかいする>ことが>ないとも>かぎらん。>さいごに>ときどき>せみから>しょうべんを>かけ>られる>きけんが>ある。>あのしょうべんが>やや>ともすると>めを>覘って>しょ>ぐって>くる>ようだ。>にげる>のは>しかたが>ないから、>どうか>しょうべんばかりは>しで>れん>ように>いたしたい。>とぶ>まぎわに>溺りを>つかまつる>のは>いったい>どういう>しんり>てき>じょうたいの>せいり>てき>きかいに>およぼす>えいきょうだろう。>やはり>せつな>さの>あまりか>しらん。>あるいはてきの>ふいに>で>でて、>ちょっとにげだす>よゆうを>つくる>ための>ほうべんか>しらん。>そうするといかの>すみを>はき、>べらんめーの>とげ>ぶつを>みせ、>しゅじんが>ら>甸>ごを>ろうする>るいと>おなじこうもくに>はいるべき>じこうと>なる。>これも>せみ>がく>じょう|>忽>かせに>すべからざる>とい>だいである。>じゅうぶん>けんきゅうすればこれだけで>たしかに>はかせ>ろんぶんの>かちはある。>それは>よじだから、>そのくらいに>してまたほんだいに>かえる。>せみの>もっとも>しゅう>ちゅう>する>のは――>あつまり>ちゅうが>おかしければしゅうごうだが、>しゅうごうは>ちんぷだからやはり>しゅう>ちゅうに>する。――>せみの>もっとも>しゅう>ちゅう>する>のは>あおぎりである。>かん>めいを>あおぎりと>ごうする>そうだ。>ところがこの>あおぎりは>はが>ひじょうに>おおい、>しかもその>はは>みな|>うちわくらいな>だい>さであるから、>かれらが>なまい>かさなるとえだが>まるで>みえないくらい>しげっている。>これが>はなはだ>せみ>とり>うんどうの>ぼうがいに>なる。>こえは>すれどもすがたは>みえずと>いう>ぞくようは>とくに>わがはいの>ために>つくった>ものではなかろうかと>あやしま>れるくらいである。>わがはいは>しかたが>ないからただ>こえを>しるべに>いく。>したから>いっけんばかりの>ところで>あおぎりは>ちゅうもんどおり>にまたに>なっているから、>ここで>いちきゅうそくしては>うらから>せみの>しょざいちを>たんていする。>もっともここまで>くる>うちに、>がさがさと>おとを>たてて、>とびだす>きばやな>れんちゅうが>いる。>いちわ>とぶともう>いけない。>まねを>する>てんにおいて>せみは>にんげんに>おとらぬ>くらい>ばかである。>あとから>ぞくぞくとびだす。>すすむ々>にまたに>とうちゃくする>じぶんには>みつる>き|>さびとして>かたこえを>とどめざる>ことが>ある。>かつて>ここまで>のぼってきて、>どこを>どうみ>まわり>わしても、>みみを>どうふっても>せみ>きが>ないので、>でなおす>のも>めんどうだからしばらくきゅうそくしようと、>またの>うえに>じんどって>だいにの>きかいを>まちあわせていたら、>いつのまにか>ねむく>なって、>つい>くろ>甜>さと>うらに>あそんだ。>おやと>おもってめが>さめたら、>にまたの>くろ>甜>さと>うらから>にわの>しきいしの>うえへ>どたりと>おちていた。>しかしたいがいは>のぼる>たびに>ひとつは>とってくる。>ただきょうみの>うすい>ことには>きの>うえで>くちに>啣>えてしまわなくては>ならん。>だからしたへ>もってきてはきだす>ときは>おおかたしんでいる。>いくら>じゃらしても>ひっかいても>かくぜんたる>て>こたえが>ない。>せみ>とりの>みょうみは>じっと>しのんでおこなっておしい>きみが>いっしょうけんめいに>しっぽを>のばしたり>ちぢま>したり>している>ところを、>わっと>まえあしで>おさえる>ときに>ある。>このとき>つく>つく>きみは>ひめいを>あげて、>うすい>とうめいな>はねを>じゅうおうむじんに>ふう。>そのはやい>こと、>びじ>なる>ことは>ごんごどうだん、>じつに>せみ>せかいの>いちいかんである。>よは>つく>つく>きみを>おさえる>たびに>いつでも、>つく>つく>きみに>せいきゅうしてこの>びじゅつ>てき>えんげいを>みせてもらう。>それが>いやに>なるとごめんを>こうむってくちの>うちへ>ほおばってしまう。>せみに>よるとくちの>うちへ>はいいってまで>えんげいを>つづけている>のが>ある。>せみ>とりの>つぎに>やる>うんどうは>まつ>すべりである。>これは>ながく>かく>ひつようも>ないから、>ちょっとのべておく。>まつ>すべりと>いうとまつを>すべる>ように>おもうかも>しれんが、>そうでは>ない>やはり>き>のぼりの>いっしゅである。>ただせみ>とりは>せみを>とる>ために>のぼり、>まつ>すべりは、>のぼる>ことを>もくてきとして>のぼる。>これが>りょうしゃの>さである。>がんらい>まつは>ときわ>にてさいみょうじの>ごちそうを>してから>いらい|>きょうに>いたるまで、>いやに>ごつごつしている。>したがってまつの>みきほど>すべらない>ものはない。>てがかりの>いい>ものはない。>あし>かかりの>いい>ものはない。――>かんげんすればつめ>かかりの>いい>ものはない。>そのつめ>かかりの>いい>みきへ>いっきかせいに>馳>け>のぼる。>馳>け>のぼっておいて馳>け>さがる。>馳>け>さがるには>にほう>ある。>いちはさ>かさに>なってあたまを>じめんへ>むけておりてくる。>いちは>のぼった>ままの>しせいを>くずさずに>おを>したに>しておりる。>にんげんに>とうがどっちが>むずかしいか>しっ>てるか。>にんげんの>あ>さは>かな>りょうけんでは、>どうせ>おりる>のだからげこうに>馳け>おりる>ほうが>らくだと>おもうだろう。>それが>まちがっ>てる。>きみ>とうは>よしつねが>ひよどりごえを>おとした>ことだけを>こころえて、>よしつねで>さえ>したを>むいておりる>のだからねこ>なんぞは>むろん|>したた>むきで>たくさんだと>おもう>のだろう。>そうけいべつする>ものではない。>ねこの>つめは>どっちへ>むいてはえていると>おもう。>みんな>うしろへ>おれている。>それだからとびぐちの>ように>ものを>かけてひきよせる>ことは>できるが、>ぎゃくに>おしだす>ちからはない。>いま>わがはいが>まつのきを>ぜい>よく>馳>け>のぼったと>する。>するとわがはいは>がんらい>ちじょうの>ものであるから、>しぜんの>けいこうから>いえばわがはいが>ながく>まつきの>巓に>とまるを>もと>さんに>そういない、>ただおけばかならずおちる。>しかしてばなしで>おちては、>あまりはや>すぎる。>だからなんら>かのしゅだんをもって>このしぜんの>けいこうを>いくぶんか>ゆるめなければならん。>これ>すなわち>おりる>のである。>おちる>のと>おりる>のは>たいへんな>違の>ようだが、>そのみ>おもったほどの>ことではない。>おちる>のを>おそく>すると>おりる>ので、>おりる>のを>はやく>すると>おちる>ことに>なる。>おちると>おりる>のは、>ち>とりの>さである。>わがはいは>まつのきの>うえから>おちる>のは>いやだから、>おちる>のを>ゆるめておりなければならない。>すなわち>ある>ものを>もっておちる>そくどに>ていこうしなければならん。>わがはいの>つめは>まえ>もうす>とおり>かい|>うしろむきであるから、>もし>あたまを>うえに>してつめを>たてればこの>つめの>ちからは>ことごとく、>おちる>ぜいに>ぎゃくって>りようできる>わけである。>したがっておちるがへんじておりるに>なる。>じつに>みやすき>どうりである。>しかるに>またみを>ぎゃくに>してよしつね>りゅうに>まつのき|>えつを>やってみ>たまえ。>つめは>あっても>やくには>たたん。>ずるずる>すべって、>どこにも>じぶんの>からだ>りょうを>もち>こたえる>ことは>できなく>なる。>ここにおいてか>せっかく>おりようと>くわだてた>ものが>へんかしておちる>ことに>なる。>このとおり>ひよどりごえは>むずかしい。>ねこの>うちで>このげいが>できる>ものは>おそらく>わがはいのみであろう。>それだからわがはいは>このうんどうを>しょうしてまつ>すべりと>いう>のである。>さいごに>かき>めぐりについて>いちげんする。>しゅじんの>にわは>たけがきをもって>しかくに>しきら>れている。>椽>がわと>へいこうしている>いっぺんは>はちきゅう>かんも>あろう。>さゆうは>そうほう>とも>よんかんに>すぎん。>いま>わがはいの>いった>かき>めぐりと>いう>うんどうは>このかきの>うえを>おちない>ように>いっしゅうする>のである。>これは>やり>そんう>ことも>まま>あるが、>しゅび>よく>いくとお慰に>なる。>ことに>ところどころに>ねを>やいた>まるたが>たっているから、>ちょっときゅうそくに>べんぎが>ある。>きょうは>できが>よかったのであさから>ひるまでに>さん|>かえ>やってみたが、>やる>たびに>うまく>なる。>うまく>なる>たびに>おもしろく>なる。>とうとう>よんかえ>くりかえしたが、>よんかえ>めに>はんぶんほど>めぐり>かけたら、>となりの>やねから>からすが>さんわ>とんできて、>いっけんばかり>むかうに>れつを>ただしてとまった。>これは>すいさんな>やっこだ。>ひとの>うんどうの>妨を>する、>ことに>どこの>からすだか>せきも>ない>ぶん>ざいで、>ひとの>へいへ>とまるという>ほうが>ある>もんかと>おもったから、>とおる>んだ>おい>のぞき>たまえと>こえを>かけた。>まっさきの>からすは>こっちを>みてにやにや>わらっている。>つぎ>のは>しゅじんの>にわを>ながめている。>さんわ>めは>くちばしを>かきねの>たけで>ふいている。>なにか>くってきたに>違>ない。>わがはいは>へんとうを>まつ>ために、>かれらに>さんふんかんの>ゆうよを>あたえて、>かきの>うえに>たっていた。>からすは>つうしょうを>かん>さえもんと>いう>そうだが、>なるほど>かん>さえもんだ。>わがはいが>いくら>まっ>てても>あいさつも>しなければ、>とびも>しない。>わがはいは>しかたが>ないから、>そろそろあるき>だした。>するとまっさきの>かん>さえもんが>ちょいと>はねを>ひろげた。>やっと>わがはいの>いこうに>おそれてにげるなと>おもったら、>みぎ>むこうから>ひだり>むこうに>しせいを>かえただけである。>このやろう! >じめんの>うえなら>そのぶんに>すて>おく>のではないが、>いかんせん、>たださえ>ほねの>おれる>どうちゅうに、>かん>さえもんなどを>あいてに>している>よゆうが>ない。と>いってまたりつ>とまって>さんわが>たちのく>のを>まつ>のも>いやだ。>だいいち>そうまっていては>あしが>つづかない。>せんぽうは>はねの>ある>みぶんであるから、>こんなところへは>とまり>つけている。>したがってきにいればいつまでも>とうりゅうするだろう。>こっちは>これで>よんかえ>めだ>ただ>さえ>おおいた>ろう>れている。>いわんや>つなわたりにも>おとらざる>げいとう>けんうんどうを>やる>のだ。>なんらの>しょうがい>ぶつが>なくてさえ>おちんとは>ほしょうが>できんのに、>こんなくろしょうぞくが、>さんこも>ぜんとを>さえぎっては>よういならざる>ふつごうだ。>いよいよと>なればみずから>うんどうを>ちゅうししてかきねを>おりる>より>しかたが>ない。>めんどうだから、>いっそさよう>つかまつろうか、>てきは>たいせいの>ことでは>あるし、>ことには>あまりこのへんには>みなれぬ>じんたいである。>くち>くちばしが>おつに>とが>がってなんだか>てんぐの>けいし>この>ようだ。>どうせ>しつの>いい>やつでないには>きょくって>いる。>たいきゃくが>あんぜんだろう、>あまりふかいりを>してまんいちおちでも>したら>なおさらちじょくだ。と>おもっていると>ひだり>むこうを>した>からすが>あほうと>いった。>つぎ>のも>まねを>してあほうと>いった。>さいごの>やつは>ごてい>やすしにも>あほう>あほうと>にこえ>さけんだ。>いかに>おんこうなる>わがはいでも>これは>かんかできない。>だいいち>じこの>てい>ないで>からす>やからに>ぶじょくさ>れたと>あっては、>わがはいの>なまえに>かかわる。>なまえは>まだないからかかわり>ようが>なかろうと>いうなら>たいめんに>かかわる。>けっして>たいきゃくは>できない。>ことわざにも>うごうの>しゅうと>いうから>さんわだって>ぞんがい>よわいかも>しれない。>すすめるだけ>すすめと>どきょうを>すえて、>のそのそ>あるき>だす。>からすは>しらんかおを>してなにか>ごかたみに>はなしを>している>ようすだ。>いよいよ>きも>しゃくに>さわる。>かきねの>はばが>もう>ごろく>すんも>あったら>ひどい>めに>あわせてやる>んだが、>ざんねんな>ことには>いくら>おこっても、>のそのそとしか>あるか>れない。>ようやくの>こと|>せんぽうを>さる>こと>やくご>ろくすんの>きょりまで>きてもう>ひといきだと>おもうと、>かん>さえもんは>もうしあわせた>ように、>いきなりはね>搏を>して>いちに>しゃくとびあがった。>そのかぜが>とつぜんよの>かおを>ふいた>とき、>はっと>おもったら、>つい>ふみ>そと>ずして、>す>とんと>おちた。>これは>しくじったと>かきねの>したから>みあげると、>さんわ>とも>もとの>ところに>とまってうえから>くちばしを>そろえてわがはいの>かおを>みくだしている。>ずぶとい>やつだ。>ねめ>つけてやったがいっこう>きかない。>せを>まるく>して、>しょうしょう|>うなったが、>ますますだめだ。>ぞくじんに>れいみょうなる>しょうちょうしが>わからぬ>ごとく、>わがはいが>かれらに>むかってしめす>いかりの>きごうも>なんらの>はんのうを>ていしゅつしない。>かんがえてみるとむりの>ない>ところだ。>わがはいは>いままで>かれらを>ねことして>とりあつかっていた。>それが>あくるい。>ねこなら>このくらい>やればたしかに>こたえる>のだがあいにく>あいては>からすだ。>からすの>かん>おおやけと>あってみればいたしかたが>ない。>じつぎょう>かが>しゅじん|>く>さや>せんせいを>あっとうしようと>あせる>ごとく、>さいぎょうに>ぎんせいの>わがはいを>しんていするがごとく、>さいごう>たかもり>くんの>どうぞうに>かん>おおやけが>くそを>ひる>ような>ものである。>きを>みるに>さとし>なる>わがはいは>とうてい>だめと>みてとったから、>きれい>さっぱりと>椽>がわへ>ひきあげた。>もう>ばん>めしの>じこくだ。>うんどうも>いいが>どを>すごすと>いかぬ>もので、>からだ>ぜんたいが>なんとなく>緊りが>ない、>ぐたぐたの>かんが>ある。>のみ>ならず>まだ>あきの>とりつきで>うんどうちゅうに>てりつけ>られた>け>ごろもは、>にしびを>おもうぞんぶん>きゅうしゅうしたと>みえて、>ほてってたまらない。>けなから>しみ>だす>あせが、>ながれればと>おもう>のに>けの>ねに>あぶらの>ように>ねばり>つく。>せなかが>むずむず>する。>あせで>むずむず>する>のと>のみが>はってむずむず>する>のは>はんぜんと>くべつが>できる。>くちの>とどく>ところなら>かむ>ことも>できる、>あしの>たっする>りょうぶんは>ひき>かく>ことも>こころえに>あるが、>せきずいの>たてに>かよう>まんなかと>きたら>じぶんの>およぶ>きりでない。>こういう>ときには>にんげんを>み>かけてや>たらに>こすり>つけるか、>まつのきの>かわで>じゅうぶん>まさつじゅつを>おこなうか、>にもの>その>いちを>えらばんと>ふゆかいで>あんみんも>でき>かねる。>にんげんは>ぐな>ものであるから、>ねこなでごえで――>ねこなでごえは>にんげんの>わがはいにたいして>だす>こえだ。>わがはいを>めやすに>してかんがえればねこなでごえではない、>なで>られ>こえで>ある――>よろしい、>とにかく>にんげんは>ぐな>ものであるからなで>られ>こえで>ひざの>そばへ>よっていくと、>たいていの>ばあいにおいて>かれ>もしくはかのじょを>あいする>ものと>ごかいして、>わがなす>ままに>まかせる>のみか>おりおりは>あたまさえ>なでてくれる>ものだ。>しかるに>きんらい>わがはいの>け>ちゅうにのみと>ごうする>いっしゅの>きせいちゅうが>はんしょくしたのでめったに>よりそうと、>かならず頸>すじを>もってむこうへ>ほうりださ>れる。>わずかに>めに>はいるか>はいらぬか、>とるにも>たらぬ>むしの>ために>あいそを>つかしたと>みえる。>てを>ひるがえせばあめ、>てを>くつがえせばくもとは>このことだ。>こうが>のみの>せん|>疋や>にせんびきで>よく>まあ>こんなにげんきんな>まねが>できた>ものだ。>にんげん>せかいをつうじて>おこなわ>れる>あいの>ほうそくの>だいいち>じょうには>こうある>そうだ。――>じこの>りえきに>なる>あいだは、>すべからく>ひとを>あいすべし。――>にんげんの>とり>こが>がぜん>ひょうへんした>ので、>いくら>かゆ>ゆくても>じんりきを>りようする>ことは>できん。>だから>だいにの>ほうほうによって>まつ>かわ>まさつほうを>やるより>ほかに>ふんべつはない。>しから>ば>ちょっとこすってまいろうかと>また椽>がわから>ふり>かけたが、>いやこれも>りがい>しょう>つぐなわぬ>ぐさくだと>こころづいた。と>いう>のは>ほかでも>ない。>まつには>あぶらが>ある。>このあぶら>たる>すこぶる>しゅうちゃくしんの>つよい>もので、>もし>いちたび、>けの>さきへ>くっ>つけよ>う>ものなら、>かみなりが>なっても>ばる>ちっく>かんたいが>ぜんめつしても>けっして>はなれない。>しかのみ>ならず>ごほんの>けへ>こびりつくがはやいか、>じゅうほんに>まんえんする。>じゅうほん>やら>れたなと>きがつくと、>もう>さんじゅう>ほんひっかかっている。>わがはいは>たんぱくを>あいする>ちゃじん>てき>ねこである。>こんな、>しつこい、>どく>あくな、>ねちねち>した、>しゅうねんぶかい>やつは>だいいやだ。>たとい>てんかの>び>ねこと>いえどもごめん>こうむる。>いわんや>まつやにに>おいてを>やだ。>くるまやの>くろの>りょうめから>きたかぜに>じょうじてながれる>めくそと>えらぶ>ところ>なき>みぶんをもって、>このあわ>はいいろの>け>ころもを>だいなしに>するとは>あやしからん。>すこしは>かんがえてみるがいい。と>いった>ところ>できゃつ>なかなかかんがえる>き>やはない。>あのかわの>あたりへ>おこなってせなかを>つけるがはやいか>かならずべたりと>おいでに>なるに>きょくって>いる。>こんなむふんべつな>とみ>痴>きを>あいてに>しては>わがはいの>かおに>かかわるのみ>ならず、>ひいてわがはいの>けなみにかんする>わけだ。>いくら、>むずむず>したって>がまんするより>ほかに>いたしかたはあるまい。>しかしこの>にほうほう>とも>じっこうできんと>なるとはなはだ>こころぼそい。>いまにおいて>いちくふうしておかんと>しまいには>むずむず、>ねちねちの>けっか>びょうきに>かかるかも>しれない。>なにか>ふんべつはあるまいかなと、>あとと>あしを>おってしあんしたが、>ふと>おもいだした>ことが>ある。>うちの>しゅじんは>ときどき>てぬぐいと>せっけんをもって>ひょうぜんと>いずれ>へか>でていく>ことが>ある、>さんよん>じゅうふん>してかえった>ところを>みるとかれの>もうろうたる>かおいろが>すこしは>かっきを>おびて、>はれやかに>みえる。>しゅじんの>ような>きたな>く>しい>おとこに>このくらいな>えいきょうを>あたえるなら>わがはいには>もうすこしききめが>あるに>そういない。>わがはいは>ただで>さえ>このくらいな>きりょうだから、>これより>いろおとこに>なる>ひつようはない>ようなものの、>まんいちびょうきに>かかって>いちさい|>なにが>つきで>ようせつする>ような>ことが>あっては>てんかの>そうせいにたいして>もうしわけが>ない。>きいてみるとこれも>にんげんの>ひま>つぶしに>あんしゅつした>せんとう>なる>ものだ>そうだ。>どうせ>にんげんの>つくった>ものだからろくな>ものでないには>きょくって>いるがこのさいの>ことだからためしに>はいいってみる>のも>よかろう。>やってみてこう>げんが>なければよすまでの>ことだ。>しかしにんげんが>じこの>ために>せつびした>よくじょうへ>いるいの>ねこを>いれるだけの>ひろし>りょうが>あるだろうか。>これが>ぎもんである。>しゅじんが>すましてはいいるくらいの>ところだから、>よもや>わがはいを>ことわる>ことも>なかろうけれども>まんいち>おきのどく>さまを>くう>ような>ことが>あっては>がいぶんが>わるい。>これは>ひとまず>ようすを>みに>いくに>こした>ことはない。>みた>うえで>これなら>よいと>あたりが>ついたら、>てぬぐいを>啣>えてとびこんでみよう。>と>ここまで>しあんを>さだめた>うえで>のそのそと>せんとうへ>でかけた。 >よこちょうを>ひだりへ>おれるとむこうに>こうい>と>よ>たけの>ような>ものが>きつりつしてさきから>うすい>けむりを>はいている。>これ>すなわち>せんとうである。>わがはいは>そっと>うらぐちから>しのびこんだ。>うらぐちから>しのびこむ>のを>ひきょうとか>みれんとか>いうが、>あれは>ひょうからでなくては>ほうもんする>ことが>できぬ>ものが>しっとはんぶんに>はやし>たてる>くりごとである。>むかしから>りこうな>ひとは>うらぐちから>ふいを>おそう>ことに>きまっている。>しんし>ようせい|>かたの>だいに>かんだい>いちしょうの>ごぺーじに>そうでている>そうだ。>そのつぎの>ぺーじには>うらぐちは>しんしの>いしょに>してじしん>とくを>える>の>もんなりと>あるくらいだ。>わがはいは>にじゅう>せいきの>ねこだから>このくらいの>きょういくはある。>あんまりけいべつしては>いけない。>さてしのびこんでみると、>ひだりの>ほうに>まつを>わって>はちすんくらいに>した>のが>やまの>ように>つんであって、>そのとなりには>せきたんが>おかの>ように>もってある。>なぜまつ>たきぎが>やまの>ようで、>せきたんが>おかの>ようかと>きく>ひとが>あるかも>しれないが、>べつに>いみも>なにも>ない、>ただちょっとやまと>おかを>つかいわけただけである。>にんげんも>べいを>くったり、>とりを>くったり、>さかなを>くったり、>ししを>くっ>たり>いろいろの>わるもの>ぐいを>しつくした>あげく>ついに>せきたんまで>くう>ように>だらくした>のは>ふびんである。>いきあたりを>みるといっけんほどの>いりぐちが>あけはなしに>なって、>ちゅうを>のぞくとがん>がら>がん>のが>あんと>ものしずかである。>そのむこう>がわで>なにか>しきりに>にんげんの>こえが>する。>いわゆるせんとうは>このこえの>はっする>へんに>そういないと>だんていしたから、>まつ>たきぎと>せきたんの>あいだに>でき>てる>たにあいを>とおりぬけてひだりへ>めぐって、>ぜんしんすると>みぎてに>がらす>まどが>あって、>そのそとに>まるい>しょうおけが>さんかっけい|>すなわちぴらみっどのごとく>つみ>かさねて>ある。>まるい>ものが>さんかくに>つま>れる>のは>ふほんい>せんばんだろうと、>ひそかに>しょうおけ>しょくんの>いを>りょうと>した。>しょうおけの>みなみがわは>よんご>しゃくの>あいだ>いたが>あまって、>あたかも>わがはいを>むかえ>うる>ものの>ごとく>みえる。>いたの>たか>さは>じめんを>さる>やくいち>めーとるだからとびあがるには>ごあつらえの>じょうとうである。>よろしいと>いいながらひらりと>みを>おどら>すと>いわゆるせんとうは>はなの>さき、>めの>した、>かおの>まえに>ぶらついている。>てんかに>なにが>おもしろいと>いって、>いまだ>くわざる>ものを>くい、>いまだ>みざる>ものを>みるほどの>ゆかいはない。>しょくんも>うちの>しゅじんの>ごとく>いっしゅう>さんどくらい、>このせんとう>かいに>さんじゅう>ふん|>ないし>よんじゅう>ふんを>くらすなら>いいが、>もし>わがはいのごとく>ふろと>いう>ものを>みた>ことが>ないなら、>はやく>みるがいい。>おやの>しにめに>あわなくても>いいから、>これだけは>ぜひけんぶつするがいい。>せかい>ひろしと>いえどもこ>んな>きかんは>またと>あるまい。 >なにが>きかんだ? >なにが>きかんだって>わがはいは>これを>くちに>するを>憚>かるほどの>きかんだ。>このがらす>まどの>なかに>うじゃうじゃ、>があ>があ>さわいでいる>にんげんは>ことごとく>らたいである。>たいわんの>せいばんである。>にじゅう>せいきの>あだむである。>そもそもいしょうの>れきしを>ひもとけば――>ながい>ことだからこれは>といふぇるすどれっく>くんに>ゆずって、>ひもとくだけは>やめてやるが、――>にんげんは>まったくふくそうで>もっ>てる>のだ。>じゅうはち>せいきの>ころ>だいえいこく>ばすの>おんせん>じょうにおいて>ぼー・>なっしが>げんじゅうな>きそくを>せいていした>ときなどは>よくじょう>ないで>だんじょ>とも>かたから>あしまで>きもので>かくした>くらいである。>いまを>さる>こと>ろくじゅう>ねん|>まえ>これも>えいこくの>さる>とで>ずあん>がっこうを>せつりつした>ことが>ある。>ずあん>がっこうの>ことであるから、>らたい>が、>らたい>ぞうの>もしゃ、>もけいを>かいこんで、>ここ、>かしこに>ちんれつした>のは>よかったが、>いざ>かいこうしきを>きょこうする>いちだんに>なってとうきょく>しゃを>はじめ>がっこうの>しょくいんが>だいこんきゃくを>した>ことが>ある。>かいこうしきを>やると>すれば、>しの>しゅくじょを>しょうたいしなければならん。>ところがとうじの>きふじん>かたの>こうに>よるとにんげんは>ふくそうの>どうぶつである。>かわを>きた>さるの>こぶんではないと>おもっていた。>にんげんとして>きものを>つけない>のは>ぞうの>はなな>きがごとく、>がっこうの>せいとな>きがごとく、>へいたいの>ゆうきな>きがごとく>まったくその>ほんたいを>しっしている。>いやしくも>ほんたいを>しっしている>いじょうは>にんげんとしては>つうようしない、>じゅうるいである。>たとえ>もしゃもけい>にせよ>じゅうるいの>にんげんと>ごする>のは>きじょの>ひんいを>がいする>わけである。でありますからそばめ>とうは>しゅっせきごことわり>もうすと>いわ>れた。>そこでしょくいん>ともは>はなせない>れんちゅうだとは>おもったが、>なにしろ>おんなは>とうざい>りょうこくをつうじて>いっしゅの>そうしょくひんである。>べい>舂にも>なれん>しがんへいにも>なれないが、>かいこうしきには>かくべからざる>かそう>どうぐである。と>いう>ところから>しかたが>ない、>ごふく>やへ>おこなってくろ>ぬのを>さんじゅう>ごたん|>はちふん>ななかってきてれいの>じゅうるいの>にんげんに>ことごとく>きものを>きせた。>しつれいが>あっては>ならんと>ねんに>ねんを>いれてかおまで>きものを>きせた。>かように>してようやくの>こと|>とどこおり>なく>しきを>すましたと>いう>はなしが>ある。>そのくらい>いふくは>にんげんにとって>たいせつな>ものである。>ちかごろは>らたい>が>らたい>がと>いってしきりに>らたいを>しゅちょうする>せんせいもあるがあれは>あやまっている。>うまれてから>きょうに>いたるまで>いちにちも>らたいに>なった>ことが>ない>わがはいから>みると、>どうしても>まちがっている。>らたいは>まれ>臘、>ら>うまの>いふうが>ぶんげい>ふっこうじだいの>いんびの>かぜに>さそわ>れてから>はやり>だした>もので、>まれ>臘>じんや、>ら>うま>じんは>へいじょうから>らたいを>み>做>れていた>のだから、>これをもって>ふうきょう>じょうの>りがいの>かんけいが>あるなどとは>ごうも>おもいおよばなかった>のだろうがほくおうは>さむい>ところだ。>にっぽんで>さえ>はだかで>どうちゅうが>なる>ものかと>いうくらいだからどいつや>えい>よしとしで>はだかに>なっておればしんでしまう。>しんでしまっては>つまらないからきものを>きる。>みんなが>きものを>きればにんげんは>ふくそうの>どうぶつに>なる。>いちたび>ふくそうの>どうぶつと>なった>あとに、>とつぜんらたい>どうぶつに>であえばにんげんとは>みとめない、>ししと>おもう。>それだから>おう>しゅう>じん>ことに>ほっぽうの>おう>しゅう>じんは>らたい>が、>らたい>ぞうをもって>ししとして>とりあつかっていい>のである。>ねこに>おとる>ししと>にんていしていい>のである。>うつくしい? >うつくしくても>かまわんから、>うつくしい>ししと>み>做>せばいい>のである。>こういうとせいよう>ふじんの>れいふくを>みたかと>いう>ものもあるかも>しれないが、>ねこの>ことだからせいよう>ふじんの>れいふくを>はいけんした>ことはない。>きく>ところに>よるとかれらは>むねを>あらわし、>かたを>あらわし、>うでを>あらわしてこれを>れいふくと>しょうしている>そうだ。>あやしからん>ことだ。>じゅうよん>せいき>ごろまでは>かれらの>いでたちは>しかく>こっけいではなかった、>やはり>ふつうの>にんげんの>きる>ものを>きておった。>それが>なぜこんな>かとうな>けいすべ>し>りゅうに>てんかしてきたかは>めんどうだからのべない。>しる>ひとぞ>しる、>しらぬ>ものは>しらんかおを>しておればよろしかろう。>れきしは>とにかく>かれらは>かかる>いような>かぜ>たいを>してやかんだけは>とくとく>たるにも>かかわらず>ないしんは>しょうしょうにんげんらしい>ところも>あると>みえて、>にちが>でると、>かたを>すぼめる、>むねを>かくす、>うでを>つつむ、>どこも>かしこも>ことごとく>みえなく>してしまうのみ>ならず、>あしの>つめ>いちほんでも>ひとに>みせる>のを>ひじょうに>ちじょくと>かんがえている。>これで>かんがえても>かれらの>れいふく>なる>ものは>いっしゅの>とんちんかん>てき>さようによって、>ばかと>ばかの>そうだんから>せいりつした>ものだと>いう>ことが>わかる。>それが>くちおしければにっちゅうでも>かたと>むねと>うでを>だしていてみるがいい。>らたい>しんじゃだって>そのとおりだ。>それほどらたいが>いい>ものなら>むすめを>らたいに>して、>ついでに>じぶんも>はだかに>なってうえのこうえんを>さんぽでも>するがいい、>できない? >できない>のではない、>せいよう>じんが>やらないから、>じぶんも>やらない>のだろう。>げんに>このふごうり>きわまる>れいふくを>きていばってていこくほてるなどへ>で>かけるではないか。>そのいんねんを>たずねるとなににも>ない。>ただせいよう>じんが>きるから、>きると>いうまでの>ことだろう。>せいよう>じんは>つよいからむりでも>ばか>きていても>まねなければやりきれない>のだろう。>ながい>ものには>まか>れ>ろ、>つよい>ものには>おれ>ろ、>おもい>ものには>おさ>れ>ろと、>そうれ>ろ>つくしでは>きが>きかんではないか。>きが>きかんでも>しかたが>ないと>いうなら>かんべんするから、>あまりにっぽんじんを>えらい>ものと>おもっては>いけない。>がくもんと>いえどもその>とおりだがこれは>ふくそうに>かんけいが>ない>ことだから>いか>りゃくと>する。 >いふくは>かくのごとく>にんげんにも>だいじな>ものである。>にんげんが>いふくか、>いふくが>にんげんかと>いうくらい>じゅうような>じょうけんである。>にんげんの>れきしは>にくの>れきしに>あらず、>ほねの>れきしに>あらず、>ちの>れきしに>あらず、>たんに>いふくの>れきしであると>もうした>いくらいだ。>だからいふくを>つけない>にんげんを>みるとにんげんらしい>かんじが>しない。>まるで>ばけものに>かいこうした>ようだ。>ばけものでも>ぜんたいが>もうしあわせてばけものに>なれば、>いわゆるばけものは>きえ>てなく>なる>わけだからかまわんが、>それではにんげん>じしんが>だいに>こんきゃくする>ことに>なるばかりだ。>そのむかし>し>しぜんは>にんげんを>びょうどうなる>ものに>せいぞうしてよのなかに>ほうりだした。>だからどんな>にんげんでも>うまれる>ときは>かならずせきらである。>もし>にんげんの>ほんしょうが>びょうどうに>やすんずる>ものならば、>よろしく>このあかはだかの>ままで>せいちょうしてしかるべきだろう。>しかるに>せきらの>いちにんが>いうには>こうだれも>かれも>おなじでは>べんきょうする>かいが>ない。>ほねを>おった>けっかが>みえぬ。>どうか>して、>おれは>おれだ>だれが>みても>おれだと>いう>ところが>めに>つく>ように>したい。>それについては>なにか>ひとが>みてあっと>たまげる>ものを>からだに>つけてみたい。>なにか>くふうはあるまいかと>じゅうねんかん>かんがえてようやく>さるまたを>はつめいしてすぐさま>これを>はいて、>どうだ>おそれ>はいったろうと>いばってそこ>い>らを>あるいた。>これが>きょうの>しゃふの>せんぞである。>たんかんなる>さるまたを>はつめいする>のに>じゅうねんの>ながじつげつを>ついやした>のは>いささか>ことな>かんもあるが、>それは>きょうから>こだいに>さかのぼってみを>もうまいの>せかいに>おいてだんていした>けつろんと>いう>もので、>そのとうじに>これくらいな>だいはつめいはなかった>のである。>でかるとは「>よは>しこうす、>ゆえによは>そんざいす」という>みつごにでも>わかる>ような>しんりを>かんがえだす>のに>じゅうなん>ねんか>かかった>そうだ。>すべて>かんがえだす>ときには>ほねの>おれる>ものであるからさるまたの>はつめいに>じゅうねんを>ついやしたって>しゃふの>ちえには>でき>すぎると>いわねばなるまい。>さあさるまたが>できるとよのなかで>はばの>きく>のは>しゃふばかりである。>あまりしゃふが>さるまたを>つけててんかの>だいどうを>われ>ぶつ>かおに>おうこう|>濶>ふ>する>のを>にくらしいと>おもってまけんきの>ばけものが>ろくねんかん>くふうしてはおりと>いう>むようの>ちょうぶつを>はつめいした。>するとさるまたの>せいりょくは>とみに>おとろえて、>はおり>ぜんせいの>じだいと>なった。>やおや、>きぐすり>や、>ごふく>やは>みな>このだいはつめいかの>ばつりゅうである。>さるまた>き、>はおり>きの>あとに>くる>のが>はかま>きである。>これは、>なんだ>はおりの>くせにと>かんしゃくを>おこした>ばけものの>こうあんに>なった>もので、>むかしの>ぶし>いまの>かんいんなどは>みな>このたね>しょくである。>かように>ばけもの>ともが>われも>われ>もと>ことを>てらい>しんを>きそって、>ついには>つばめの>おに>かたどった>畸>かたちまで>しゅつげんしたが、>しりぞいてその>ゆらいを>あんずると、>なにも>むりやりに、>でたらめに、>ぐうぜんに、>まんぜんに>もちあがった>じじつでは>けっして>ない。>みな>かちたい>かち>たいの>ゆうもう>こころの>こってさまざまの>しんがたと>なった>もので、>おれは>てまえじゃないぞと>ふれてあるく>かわりに>こうむっている>のである。>してみるとこの>しんりから>していちだい>はっけんが>できる。>それは>ほかでも>ない。>しぜんは>しんくうを>いむ>ごとく、>にんげんは>びょうどうを>きらうと>いう>ことだ。>すでに>びょうどうを>きらってやむをえずいふくを>こつにくのごとく>かようにつけ>まとう>きょうにおいて、>このほんしつの>いちぶぶんたる、>これ>とうを>うち>やって、>もとの>もく>あみの>こうへい>じだいに>かえる>のは>きょうじんの>さたである。>よし>きょうじんの>めいしょうを>あまんじても>かえる>ことは>とうてい>できない。>かえった>れんちゅうを>かいめい>じんの>めから>みればばけものである。>たとえ>せかい>なんおく>まんの>じんこうを>あげてばけものの>いきに>ひきずり>おろしてこれなら>びょうどうだろう、>みんなが>ばけものだからはずかしい>ことはないと>あんしんしても>やっぱり>だめである。>せかいが>ばけものに>なった>よくじつから>またばけものの>きょうそうが>はじまる。>きものを>つけてきょうそうが>できなければばけもの>なりで>きょうそうを>やる。>あかはだかは>せきらで>どこまでも>さべつを>たててくる。>このてんから>みても>いふくは>とうてい>ぬぐ>ことは>できない>ものに>なっている。 >しかるに>いま>わがはいが>がんかに>みくだした>にんげんの>いちだんたいは、>このぬぐべからざる>さるまたも>はおりも>ないしはかまも>ことごとく>たなの>うえに>あげて、>ぶえんりょにも>ほんらいの>きょうたいを>しゅうもく>かんしの>うらに>ろしゅつしてたいら々>しかと>だんしょうを>たて>まに>している。>わがはいが>せんこく>いちだいきかんと>いった>のは>このことである。>わがはいは>ぶんめいの>しょくん>この>ために>ここに>つつしんで>そのいっぱんを>しょうかいする>の>えいを>ゆうする。 >なんだか>ごちゃごちゃ>していてなにに>から>きじゅつしていいか>わからない。>ばけものの>やる>ことには>きりつが>ないからちつじょ>たった>しょうめいを>する>のに>ほねが>おれる。>まず>ゆぶねから>のべよう。>ゆぶねだか>なんだか>わからないが、>おおがた>ゆぶねという>ものだろうと>おもうばかりである。>はばが>さんしゃくくらい、>ちょうは>いっけん>はんも>あるか、>それを>ふたつに>しきってひとつには>しろい>ゆが>はいいっている。>なにでも>やくとうとか>ごうする>のだ>そうで、>せっかいを>とかし>こんだ>ような>いろに>にごっている。>もっともただにごっている>のではない。>あぶら>ぎって、>おもた>げに>にごっている。>よく>きくと>くさってみえる>のも>ふしぎはない、>いちしゅうかんに>いちどしか>みずを>えき>えない>のだ>そうだ。>そのとなりは>ふつう>いっぱんの>ゆの>よしだがこれ>またもってとうめい、>瑩>てっなどとは>ちかってもうさ>れない。>てんすい>おけを>攪>き>まぜた>くらい>の>かちは>そのいろの>うえにおいて>じゅうぶん>あらわれている。>これからが>ばけものの>きじゅつだ。>おおいた>ほねが>おれる。>てんすい>おけの>ほうに、>つったっている>わかぞうが>ににん>いる。>たった>まま、>むかい>あってゆを>ざ>ぶ>ざ>ぶ>はらの>うえへ>かけている。>いい>なぐさみだ。>そうほう>とも>しょくの>くろい>てんにおいて>かんぜん>する>ところ>なきまでに>はったつしている。>このばけものは>だいぶ>逞>まし>いなと>みていると、>やがて>いちにんが>てぬぐいで>むねの>あたりを>なで>まわしながら「>きむ>さん、>どうも、>ここが>いたんでいけねえが>なにだろう」と>きくと>きむ>さんは「>そりゃい>さ、>いて>いう>やつは>いのちを>とるからね。>ようじんしねえと>あぶないよ」と>ねっしんに>ちゅうこくを>くわえる。「>だってこの>ひだりの>ほうだぜ」た>ひだり>はいの>ほうを>さす。「>そこが>いだ>あ>な。>ひだりが>いで、>みぎが>はいだよ」「>そうかな、>おら>あまた>いは>ここいらかと>おもった」と>こんどは>こしの>あたりを>たたいてみせると、>きむ>さんは「>そりゃせんきだ>あね」と>いった。>ところへ>にじゅう>ごろくの>うすい>ひげを>はやした>おとこが>どぶんと>とびこんだ。>すると、>からだに>ついていた>せっけんが>あかとともに>うき>あがる。>てつ>きの>ある>みずを>すかしてみた>ときの>ように>きらきらと>ひかる。>そのとなりに>あたまの>はげた>じいさんが>ごふん>かりを>とらえてなにか>べんじている。>そうほう>とも>あたまだけ>うかしている>のみだ。「>いや>こうとしを>とっては>だめ>さ>ね。>にんげんも>やきが>めぐっちゃわかい>ものには>かなわないよ。>しかしゆだけは>いまでも>あつい>のでないと>こころもちが>わるくてね」「>だんななんか>じょうぶな>ものですぜ。>そのくらい>げんきが>ありゃ>けっこうだ」「>げんきも>ない>の>さ。>ただびょうきを>しない>だけ>さ。>にんげんは>わるい>ことさえ>しなけりゃ>あ>ひゃくに>じゅうまでは>いきる>もんだからね」「>へえ、>そんなに>いきる>もんですか」「>いきるとも>ひゃくに>じゅうまでは>うけあう。>ごいしん>ぜんうしごめに>まがりぶちと>いう>はたもとが>あって、>そこに>いた>げなんは>ひゃくさん>じゅうだったよ」「>そいつは、>よく>いきた>もんですね」「>ああ、>あんまりいき>すぎてつい>じぶんの>としを>わすれてね。>ひゃくまでは>おぼえていましたがそれから>わすれてしまいましたと>いっ>てたよ。>それでわしの>しっていた>のが>ひゃくさん>じゅうの>ときだったが、>それで>しんだ>んじゃない。>それからどうなったか>わからない。>ことに>よるとまだいき>てるかも>しれない」と>いいながらそうから>のぼる。>ひげを>はやしている>おとこは>うんもの>ような>ものを>じぶんの>まわりに>まき>ちらしながらひとりで>にやにや>わらっていた。>いれ>かわってとびこんできた>のは>ふつう>いっぱんの>ばけものとは>ちがってせなかに>もよう>がを>ほり>つけている。>いわみ>しげたろうが>たちを>ふりかざして蟒を>たいじる>ところの>ようだが、>おしい>ことに>いまだ>しゅんこうの>きに>いたる>せん>ので、>蟒は>どこにも>みえない。>したがってしげたろう>せんせい>いささか>ひょうしぬけの>きみに>みえる。>とびこみながら「>へら>ぼうに>ゆたか>るいや」と>いった。>するとまた>いちにん>つづいてのりこんだ>のが「>こりゃ>どうも……>もうすこしあつくなくっちゃあ」と>かおを>しかめながらあつい>のを>がまんする>きしょくとも>みえたが、>しげたろう>せんせいと>かおを>みあわせて「>やあ>おやかた」と>あいさつを>する。>しげたろうは「>やあ」と>いったが、>やがて「>みん>さんは>どうしたね」と>きく。「>どうしたか、>じゃんじゃんが>すきだからね」「>じゃんじゃんばかりじゃねえ……」「>そうかい、>あのおとこも>はらの>よくねえ>おとこだからね。――>どういう>もんか>ひとに>すか>れねえ、――>どういう>ものだか、――>どうも>ひとが>しんようしねえ。>しょくにんて>え>ものは、>あんな>もんじゃ>ねえが」「>そうよ。>みん>さんな>ん>ざ>あ>こしが>ひくいんじゃねえ、>あたまが>たかけ>えんだ。>それだからどうも>しんようさ>れねえ>んだね」「>ほんとう>によ。>あれで>いちっ>ぱ>し>うでが>ある>つもりだから、――>つまり>じぶんの>そんだ>あ>な」「>しろがね>まちにも>ふるい>ひとが>なくなってね、>いま>じゃおけやの>げん>さんと>れんが>やの>たいしょうと>おやかた>ぐれ>えな>しゃだ>あ>な。>こ>ちと>ら>あ>こうしてここで>うまれた>もんだが、>みん>さんな>ん>ざ>あ、>どこから>きた>んだか>わかりゃ>しねえ」「>そうよ。>しかしよく>あれだけに>なったよ」「>うん。>どういう>もんか>ひとに>すか>れねえ。>ひとが>こうさいわね>え>からね」と>てっとうてつび>みん>さんを>こうげきする。 >てんすい>おけは>このくらいに>して、>しろい>ゆの>ほうを>みるとこれは>またひじょうな>おおいりで、>ゆの>なかに>ひとが>はいいっ>てると>うん>わんより>ひとの>なかに>ゆが>はいいっ>てると>いう>ほうが>てきとうである。>しかもかれらは>すこぶる>ゆうゆうかんかんたる>もので、>せんこくから>はいいる>ものは>あるがでる>ものは>いちにんも>ない。>こうはいいった>うえに、>いちしゅうかん>もとめておいたら>ゆも>よごれる>はずだと>かんしんしてなお>よく>そうの>なかを>みわたすと、>ひだりの>すみに>おし>つけ>られてく>さや>せんせいが>まっかに>なってすくんでいる。>かわいそうに>だれか>ろを>あけてだしてやればいい>のにと>おもう>のに>だれも>うごき>そうにも>しなければ、>しゅじんも>でようと>する>きしょくも>みせない。>ただじっと>してあかく>なっているばかりである。>これは>ごくろうな>ことだ。>なるべく>にせん>ごりんの>ゆせんを>かつようしようと>いう>せいしんから>して、>かように>あかく>なる>のだろうが、>はやく>あがらんと>ゆげに>あがるがと>しゅおもいの>わがはいは>まどの>たなから>すくなからず>しんぱいした。>するとしゅじんの>いっけん>おいてとなりに>うい>てる>おとこが>はちの>じを>よせながら「>これは>ちと>きき>すぎる>ようだ、>どうも>せなかの>ほうから>あつい>やつが>じりじり>わいてくる」と>あんに>れっせきの>ばけものに>どうじょうを>もとめた。「>なあに>これが>ちょうど>いいかげんです。>やくとうは>このくらいでないと>ききません。>わたしの>くに>なぞでは>このばいも>あつい>ゆへ>はいいります」と>じまんらしく>とき>たてる>ものが>ある。「>いったい>このゆは>なにに>きく>んでしょう」と>てぬぐいを>たたんでおうとつ>あたまを>かくした>おとこが>いちどうに>きいてみる。「>いろいろな>ものに>ききますよ。>なにでも>いいてえんだからね。>ごうぎだ>あね」と>いった>のは>やせた>き>うりの>ような>いろと>かたちとを>かね>えたる>かおの>しょゆうしゃである。>そんなに>きく>ゆなら、>もうすこしは>じょうぶ>そうに>なれ>そうな>ものだ。「>くすりを>いれ>たて>より、>さんにち>めか>よんにち>めが>ちょうど>いい>ようです。>きょう>とうは>はいいり>ごろですよ」と>ものしり>かおに>のべた>のを>みると、>ふくれ>かえった>おとこである。>これは>たぶん|>あか>ふとりだろう。「>のんでも>ききましょうか」と>どこからか>しらないがきいろい>こえを>だす>ものが>ある。「>ひえた>あとなどは>いっぱい>のんでねると、>き>たいに>しょうべんに>おきないから、>まあ>やってごらん>なさい」と>こたえた>のは、>どのかおから>でた>こえか>わからない。 >ゆぶねの>ほうは>これぐらいに>していたのまを>みわたすと、>いる>わ>いる>わ>えにも>ならない>あだむが>ずらりと>ならんでかくかってしだいな>しせいで、>かってしだいな>ところを>あらっている。>そのなかに>もっとも>おどろき>ろ>くべ>き>のは>あおむけに>ねて、>たかい>あかり>とを>ながめている>のと、>はらばいに>なって、>みぞの>なかを>のぞき>こんでいる>りょうあだむである。>これは>よほど>閑な>あだむと>みえる。>ぼうずが>いしかべを>むいてしゃがんでいると>うしろから、>こぼうずが>しきりに>かたを>たたいている。>これは>していの>かんけいじょう|>さんかいの>だいりを>つとめる>のであろう。>ほんとうの>さんかいも>いる。>かぜを>ひいたと>みえて、>このあついのにちゃんちゃんを>きて、>こばん>かたちの>おけから>ざ>あと>だんなの>かたへ>ゆを>あびせる。>みぎの>あしを>みるとおやゆびの>こに>ごろの>あかすりを>はさんでいる。>こちらの>ほうでは>しょうおけを>よく>はってみっつ>かかえこんだ>おとこが、>となりの>ひとに>せっけんを>つかえ>つかえと>いいながらしきりに>なが>だん>ぎを>している。>なにだろうと>きいてみるとこんな>ことを>いっていた。「>てっぽうは>がいこくから>わたった>もんだね。>むかしは>きり>あい>ばか>りさ。>がいこくは>ひきょうだからね、>それで>あんな>ものが>できた>んだ。>どうも>支>那じゃねえ>ようだ、>やっぱり>がいこくの>ようだ。>やわら>とう>ないの>ときにゃ>なかったね。>やわら>とう>ないは>やはり>せいわ>げんじ>さ。>なんでも>よしつねが>えぞから>まんしゅうへ>わたった>ときに、>えぞの>おとこで>たいへん|>がくの>できる>ひとが>くっ>ついていったて>え>はなししだね。>それでその>よしつねの>むすこが>だいめいを>せめた>んだがだいあきら>じゃこまるから、>みじろ>しょうぐん>へ>しを>よこして>さんせん>にんの>へいたいを>か>してくれろと>いうと、>さんだい>さまが>そいつを>とめておいてきさねえ。――>なんとか>いったっけ。――>なにでも>なんとか>いう>しだ。――>それでその>しを>にねん>とめておいてしまいに>ながさきで>じょろうを>みせた>んだがね。>そのじょろうに>できた>こが>わ>とう>ないさ。>それからくにへ>かえってみるとだいめいは>こくぞくに>ほろぼさ>れていた。……」>なにを>いう>のか>さっぱりわからない。>そのうしろに>にじゅう>ごろくの>いんきな>かおを>した>おとこが、>ぼんやりしてこの>ところを>しろい>ゆで>しきりに>たでている。>はれものか>なにかで>くるしんでいると>みえる。>そのよこに>としの>ころは>じゅうなな>はちで>きみとか>ぼくとか>なまいきな>ことを>べらべら>ちょう>した>っ>てる>のは>このきんじょの>しょせいだろう。>その>またつぎに>みょうな>せなかが>みえる。>しりの>なかから>かんちくを>おしこんだ>ように>せぼねの>ふしが>れきれきと>でている。>そうしてその>さゆうに>じゅうろく>むさしに>にたる>かたちが>よんこずつ>ぎょうぎ>よく>ならんでいる。>その>じゅうろく>むさ>しが>あかく>ただれてしゅういに>うみを>もっている>のもある。>こうじゅんじゅんに>かいてくると、>かく>ことが>おお>すぎてとうてい>わがはいの>てぎわには>その>いちまだらさえ>けいようする>ことが>できん。>これは>やっかいな>ことを>やり>はじめた>ものだと>しょうしょう|>へきえきしていると>いりぐちの>ほうに>あさぎ>ゆうの>きものを>きた>ななじゅうばかりの>ぼうずが>ぬっと>み>われた。>ぼうずは>うやうやしく>これらの>らたいの>ばけものに>いちれいして「>へ>い、>どなた>さまも、>まいにち>しょう>かわらず>ありが>とうぞんじます。>きょうは>しょうしょうごかん>うございますから、>どうぞ>ごゆる>くり――>どうぞ>しろい>ゆへ>でたり>はいいったり>して、>ゆるりと>ごあったまり>ください。――>ばんがしら>さんや、>どうか>ゆ>かげんを>よく>みてあげてな」と>よどみ>なく>のべ>たてた。>ばんがしら>さんは「>おーい」と>こたえた。>やわら>とう>ないは「>あいきょう>ものだね。>あれでなくては>しょう>がいは>できないよ」と>だいに>じいさんを>げきしょうした。>わがはいは>とつぜんこの>ことな>じいさんに>あってちょっとおどろき>ろ>いたからこっちの>きじゅつは>そのままに>して、>しばらくじいさんを>せんもんに>かんさつする>ことに>した。>じいさんは>やがて>いま|>のぼり>だての>よっつばかりの>おとこのこを>みて「>ぼっちゃん、>こちらへ>おいで」と>てを>だす。>しょうともは>だいふくを>ふみつけた>ような>じいさんを>みてたいへんだと>おもったか、>わ>ー>っと>ひめいを>あげてなき>だす。>じいさんは>すこしく>ふほんいの>きみで「>いや、>おなきか、>なに? >じいさんが>こわい? >いや、>これは>これは」と>かんたんした。>しかたが>ない>ものだからたちまちきほうを>てんじて、>しょうともの>おやに>むかった。「>や、>これは>みなもと>さん。>きょうは>すこしさむいな。>ゆうべ、>おうみ>やへ>はいいった>どろぼうは>なんと>いう>ばかな>やつ>じゃの。>あのとの>もぐりの>ところを>しかくに>きり>やぶっての。>そうしておまえの。>なにも>とらずに>ぎょう>んだ>げな。>ごめぐり>さんか>よばんでも>みえた>ものであろう」と>だいに>どろぼうの>むぼうを>びんしょうしたがまた>いちにんを>捉>ら>まえて「>はい>はい>ごかんう。>あなた>かたは、>ごわかいから、>あまりおかんじに>ならんかの」と>ろうじんだけに>ただ>いちにん>さむ>がっている。 >しばらくは>じいさんの>ほうへ>きを>とら>れてたの>ばけものの>ことは>まったくわすれていたのみ>ならず、>くるし>そうに>すくんでいた>しゅじんさえ>きおくの>なかから>きえさった>とき>とつぜんながしと>いたのまの>ちゅうかんで>おおきなこえを>だす>ものが>ある。>みるとまぎれも>なき>く>さや>せんせいである。>しゅじんの>こえの>ずぬけておおいなる>のと、>そのにごってきき>くるしい>のは>きょうに>はじまった>ことではないがばしょが>ばしょだけに>わがはいは>すくなからず>おどろき>ろ>いた。>これは>まさしく>ねっとうの>なかに>ちょうじかんの>あいだ>がまんを>してひたっておった>ため>ぎゃくじょうしたに>そういないと>とっさの>さいに>わがはいは>かんていを>つけた。>それも>たんに>びょうきの>しょいなら>とが>む>る>ことも>ないが、>かれは>ぎゃくじょうしながらも>じゅうぶん>ほんしんを>ゆうしているに>そういない>ことは、>なにの>ために>このほうがいの>どうまごえを>だしたかを>はなせばすぐわかる。>かれは>とるにも>たらぬ>なまいき>しょせいを>あいてに>おとなげも>ない>けんかを>はじめた>のである。「>もっと>さがれ、>おれの>しょうおけに>ゆが>はいいっていかん」と>どなる>のは>むろん>しゅじんである。>ものは>み>ようで>どうでも>なる>ものだから、>このどごうを>ただ>ぎゃくじょうの>けっかとばかり>はんだんする>ひつようはない。>まんにんの>うちに>いちにんくらいは>たかやま>ひこくろうが>さんぞくを>しか>した>よう>だく>らいに>かいしゃくしてくれるかも>しれん。>とうにん>じしんも>そのつもりで>やった>しばいかも>わからんが、>あいてが>さんぞくをもって>みずから>おらん>いじょうは>よきする>けっかは>でてこないに>きょくって>いる。>しょせいは>うしろを>ふりかえって「>ぼくは>もとから>ここに>いた>のです」と>おとなしく>こたえた。>これは>じんじょうの>こたえで、>ただその>ちを>さらぬ>ことを>しめしただけが>しゅじんの>おもいどおりに>ならんので、>そのたいどと>いい>げんごと>いい、>さんぞくとして>ののしり>かえすべき>ほどの>ことでもない>のは、>いかに>ぎゃくじょうの>きみの>しゅじんでも>わかっている>はずだ。>しかししゅじんの>どごうは>しょせいの>せき>そのものが>ふへいな>のではない、>せんこくから>このりょうにんは>しょうねんに>にあわず、>いやに>こうまんちきな、>きいた>かぜの>ことばかり>併べていた>ので、>しじゅうそれを>きかさ>れた>しゅじんは、>まったくこの>てんに>りっぷくした>ものと>みえる。>だからせんぽうで>おとなしい>あいさつを>しても>だまっていたのまへ>あがりは>せん。>こんどは「>なんだ>ばか>やろう、>ひとの>おけへ>きたな>ない>みずを>ぴちゃぴちゃ>はねかす>やつが>あるか」と>かつ>し>さった。>わがはいも>このこぞうを>しょうしょうこころにくく>おもっていたから、>このとき>しんじゅうには>ちょっとかいさいを>よんだが、>がっこう>きょういんたる>しゅじんの>げんどうとしては>穏か>ならぬ>ことと>おもうた。>がんらい>しゅじんは>あまりかた>すぎていかん。>せきたんの>たき>から>みた>ように>かさかさ>してしかもいやに>かたい。>むかし>はんにばるが>あるぷす>やまを>こえる>ときに、>みちの>まんなかに>あたっておおきな>いわが>あって、>どうしても>ぐんたいが>つうこうじょうの>ふべん>じゃまを>する。>そこではんにばるは>このおおきな>いわへ>すを>かけてひを>たいて、>やわらかに>しておいて、>それから>のこで>このおおいわを>かまぼこの>ように>きってとどこおり>なく>つうこうを>した>そうだ。>しゅじんのごとく>こんな>ききめの>ある>やくとうへ>に>だる>ほど>はいいっても>すこしも>こう>のうの>ない>おとこは>やはり>すを>かけてひあぶりに>するに>かぎると>おもう。>しからずんば、>こんなしょせいが>なんひゃく>にんでてきて、>なんじゅう>ねんかかったって>しゅじんの>がんこは>癒り>っ>こない。>このゆぶねに>ういている>もの、>このながしに>ごろごろしている>ものは>ぶんめいの>にんげんに>ひつような>ふくそうを>ぬぎ>すてる>ばけものの>だんたいであるから、>むろん>つねただし>じょうどうをもって>りっする>わけには>いかん。>なにを>したってかまわない。>はいの>ところに>いが>じんどって、>わ>とう>ないが>せいわ>げんじに>なって、>みん>さんが>ふしん>ようでも>よかろう。>しかし>いちたび>ながしを>でていたのまに>あがれば、>もう>ばけものではない。>ふつうの>じんるいの>せいそくする>しゃばへ>でた>のだ、>ぶんめいに>ひつようなる>きものを>きる>のだ。>したがってにんげんらしい>こうどうを>とらなければならん>はずである。>こんしゅじんが>ふんでいる>ところは>しきいである。>ながしと>いたのまの>さかいに>ある>しきいの>うえであって、>とうにんは>これから歓>げん>愉>しょく、>えんてんかつだつの>せかいに>ぎゃくもどりを>しようと>いう>まぎわである。>そのまぎわですら>かくのごとく>がんこで>あるなら、>このがんこは>ほんにんにとって>ろうとして>ぬくべからざる>やまい>きに>そういない。>びょうきなら>よういに>きょうせいする>ことは>できまい。>このびょうきを>いやす>ほうほうは>ぐこうに>よるとただひとつ>ある。>こうちょうに>いらいしてめんしょくしてもらう>こと|>すなわちこれなり。>めんしょくに>なればゆうずうの>きかぬ>しゅじんの>ことだからきっと>ろとうに>まように>きょく>っ>てる。>ろとうに>まよう>けっかはの>たれ>しにを>しなければならない。>かんげんすると>めんしょくは>しゅじんにとって>しの>えんいんに>なる>のである。>しゅじんは>このんでびょうきを>してき>こんでいるけれど、>しぬ>のは>だいいやである。>しなない>ていどにおいて>びょうきと>いう>いっしゅの>ぜいたくが>していたい>のである。>それだからそんなに>びょうきを>していると>ころすぞと>嚇>かせばおくびょうなる>しゅじんの>ことだからびりびりと>悸>え>あがるに>そういない。>この悸>え>あがる>ときに>びょうきは>きれいに>おちるだろうと>おもう。>それでも>おちなければそれまでの>こと>さ。 >いかに>ばかでも>びょうきでも>しゅじんに>かわりはない。>いちめし>くんおんを>おもんずと>いう>しじんも>ある>ことだからねこだって>しゅじんの>みのうえを>おもわない>ことはあるまい。>きのどくだと>いう>ねんが>むね>いっぱいに>なった>ため、>つい>そちらに>きが>とら>れて、>ながしの>ほうの>かんさつを>おこた>たっていると、>とつぜんしろい>ゆぶねの>ほうめんに>むかってくちぐちに>ののしる>こえが>きこえる。>ここにも>けんかが>たった>のかと>ふりむくと、>せまい>ざくろ>ぐちに>いっすんの>よちもないくらいに>ばけものが>とりついて、>けの>ある>すねと、>けの>ない>こと>いりみだれてうごいている。>おりから>しょしゅうの>ひは>くれ>るるに>なんな>んとして>ながしの>うえは>てんじょうまで>いちめんの>ゆげが>たて>かご>める。>かのばけものの>犇>く>さまが>そのあいだから>もうろうと>みえる。>あつい>あついと>いう>こえが>わがはいの>みみを>ぬき>ぬいてさゆうへ>ぬける>ように>あたまの>なかで>みだれ>あう。>そのこえには>きな>のも、>あおい>のも、>あかい>のも、>くろい>のもあるがかたみに>たたみ>なり>かかっていっしゅ>めいじょうすべからざる>おんきょうを>よくじょう>ないに>みなぎら>す。>ただこんざつと>迷>らんとを>けいようするに>てきした>こえと>いうのみで、>ほかには>なにの>やくにも>たたない>こえである。>わがはいは>ぼうぜんとして>このこうけいに>みいら>れたばかり>たちすくんでいた。>やがて>わ>ー>わ>ーと>いう>こえが>こんらんの>きょくどに>たっして、>これよりは>もう>いちほも>すすめぬと>いう>てんまで>はりつめ>られた>とき、>とつぜんむちゃくちゃに>おしよせ>おしかえしている>ぐんの>なかから>いちだい>ちょう>かんが>ぬっと>たちあがった。>かれの>みのたけを>みるとたの>せんせい>かたよりは>たしかに>さんずんくらいは>たかい。>のみ>ならず>かおから>ひげが>はえている>のか>ひげの>なかに>かおが>どうきょしている>のか>わからない>あか>つらを>そり>かえして、>ひざかりに>やぶれ>かねを>つく>ような>こえを>だして「>うめろ>うめ>ろ、>あつい>あつい」と>さけぶ。>このこえと>このかおばかりは、>かのふんぷんと>もつれ>あう>ぐんしゅうの>うえに>たかく>けっしゅつして、>そのしゅんかんには>よくじょう>ぜんたいが>このおとこ>いちにんに>なったと>おもわるる>ほどである。>ちょうじんだ。>にーちぇの>いわゆるちょうじんだ。>ま>ちゅうの>だいおうだ。>ばけものの>あたま>はりだ。と>おもってみていると>ゆぶねの>うしろで>おーいと>こたえた>ものが>ある。>おや>と>またも>そちらに>ひとみを>そらすと、>くら>憺として>ぶっしょくも>できぬ>なかに、>れいの>ちゃんちゃん>すがたの>さんかいが>くだけよと>いちかたまりりの>せきたんを>かまどの>なかに>なげいれる>のが>みえた。>かまどの>ふたを>くぐって、>このかたまりりが>ぱちぱちと>なる>ときに、>さんかいの>はんめんが>ぱっと>あかるく>なる。>どうじに>さんかいの>うしろに>ある>れんがの>かべが>くらをとおして>もえる>ごとく>ひかった。>わがはいは>しょうしょう|>ものすごく>なったからそうそうまどから>とびおりていえに>かえる。>かえりながらも>かんがえた。>はおりを>ぬぎ、>さるまたを>ぬぎ、>はかまを>ぬいでびょうどうに>なろうと>りきめる>せきららの>なかには、>またせきららの>ごうけつが>でてきてたの>ぐんしょうを>あっとうしてしまう。>びょうどうは>いくら>はだかに>なったって>え>られる>ものではない。 >かえってみるとてんかは>たいへいな>もので、>しゅじんは>ゆあがりの>かおを>てら>てら>ひからしてばんさんを>くっている。>わがはいが>椽>がわから>あがる>のを>みて、>のんきな>ねこだなあ、>いまごろ>どこを>あるいている>んだろうと>いった。>ぜんの>うえを>みると、>せんの>ない>くせに>にさん>ひん|>ごなを>ならべている。>そのうちに>さかなの>やいた>のが>いち|>疋>ある。>これは>なにと>しょうする>さかなか>しらんが、>なんでも>きのう>あたり>みだい>じょう>きんぺんで>やら>れたに>そういない。>さかなは>じょうぶな>ものだと>せつめいしておいたが、>いくら>じょうぶでも>こうやか>れ>たり>に>られたり>しては>たまらん。>たびょうに>してざん>喘を>たもつ>ほうが>よほど>けっこうだ。>こうかんがえてぜんの>そばに>すわって、>すきが>あったら>なにか>ちょうだいしようと、>みる>ごとく>みざるごとく>よそおっていた。>こんなよそおい>かたを>しらない>ものは>とうてい>うまい>さかなは>くえないと>あきらめなければいけない。>しゅじんは>さかなを>ちょっとつっついたが、>うまくないと>いう>かお>づけを>してはしを>おいた。>しょうめんに>ひかえたる>さいくんは>これ>またむごんの>まま>はしの>じょうげに>うんどうする>ようす、>しゅじんの>りょうあごの>りごうひらき>闔の>ぐあいを>ねっしんに>けんきゅうしている。「>おい、>そのねこの>あたまを>ちょっとなぐってみろ」と>しゅじんは>とつぜんさいくんに>せいきゅうした。「>なぐてば、>どうする>んですか」「>どうしても>いいからちょっとなぐってみろ」 >こうですかと>さいくんは>ひらてで>わがはいの>あたまを>ちょっとたたく。>いたくも>なんとも>ない。「>なかんじゃないか」「>ええ」「>もう>いち|>かえ>やってみろ」「>なに>かえ>やったって>おなじことじゃ>ありませんか」と>さいくん>またひらてで>ぽかと>まいる。>やはり>なんとも>ないから、>じっと>していた。>しかしその>なにの>ため>たる>やは>ちりょ>ふかき>われ>やからには>とみと>りょうかいし>がたい。>これが>りょうかいできれば、>どうかこうか>ほうほうも>あろうがただなぐってみ>ろだから、>なぐつ>さいくんも>こまるし、>なぐ>たれる>わがはいも>こまる。>しゅじんは>にどまで>おもいどおりに>ならんので、>しょうしょう|>あせれ>きみで「>おい、>ちょっとなく>ように>ぶってみろ」と>いった。 >さいくんは>めんどうな>かお>づけで「>なかしてなにに>なさる>んですか」と>といながら、>またぴしゃりと>おいでに>なった。>こうせんぽうの>もくてきが>わかればわけはない、>ないてさえ>やればしゅじんを>まんぞくさ>せる>ことは>できる>のだ。>しゅじんは>かくのごとく>ぐぶつだからいやに>なる。>なかせる>ためなら、>ためと>はやく>いえば>にかえも>さんかえも>よけいな>てすうは>しなくても>すむし、>わがはいも>いちどで>ほうめんに>なる>ことを>にども>さんども>くり>かえ>え>さ>れる>ひつようはない>のだ。>ただうってみろと>いう>めいれいは、>うつ>こと>それ>じしんを>もくてきと>する>ばあいの>ほかに>よう>うべ>きものでない。>うつ>のは>むこうの>こと、>なく>のは>こっちの>ことだ。>なく>ことを>はじめから>よきしてかかって、>ただうつと>いう>めいれいの>うちに、>こっちの>ずいい>たるべき>なく>ことさえ>ふくまっ>てる>ように>かんがえる>のは>しっけい>せんばんだ。>たにんの>じんかくを>おもんぜんと>いう>ものだ。>ねこを>ばかに>している。>しゅじんの>だかつのごとく>きらう>かねだ>くんなら>やり>そうな>ことだが、>せきららを>もってほこる>しゅじんとしては>すこぶる>ひれつである。>しかしみの>ところ>しゅじんは>これほど>けちな>おとこではない>のである。>だからしゅじんの>このめいれいは>こうかつの>きょくに>で>でた>のではない。>つまりちえの>たりない>ところから>わいた>ぼうふらの>ような>ものと>しいする。>めしを>くえばはらが>はるに>きわまっている。>きればちが>でるに>きょくって>いる。>ころせばしぬに>きわまっている。>それだからうてばなくに>きょくって>いると>そくだんを>やった>んだろう。>しかしそれは>おきのどくだがすこしろんりに>あわない。>そのかくで>いくとかわへ>おちればかならずしぬ>ことに>なる。>てんぷらを>くえばかならずげりする>ことに>なる。>げっきゅうを>もらえばかならずしゅっきんする>ことに>なる。>しょもつを>よめばかならずえらく>なる>ことに>なる。>かならずそうなっては>すこしこまる>ひとが>できてくる。>うてばかならずなかなければならんと>なるとわがはいは>めいわくである。>めじろの>ときの>かねと>どういつに>み>傚>さ>れては>ねこと>うまれた>かいが>ない。>まず>はらのうちで>これだけ>しゅじんを>へこましておいて、>しかる>あとにゃ>ーと>ちゅうもんどおり>ないてやった。 >するとしゅじんは>さいくんに>むかって「>いま>ないた、にゃ>あと>いう>こえは>かん>とう>しか、>ふくしか>なんだか>しっ>てるか」と>きいた。 >さいくんは>あまりとつぜんな>といなので、>なににも>いわない。>みを>いうとわがはいも>これは>せんとうの>ぎゃくじょうが>まださめない>ためだろうと>おもった>くらいだ。>がんらい>このしゅじんは>きんじょがっぺき>ゆうめいな>へんじんで>げんに>ある>ひとは>たしかに>しんけい>びょうだとまで>だんげんした>くらいである。>ところがしゅじんの>じしんは>えらい>もので、>おれが>しんけい>びょうじゃない、>よのなかの>やっこが>しんけい>びょうだと>がんばっている。>きんぺんの>ものが>しゅじんを>いぬ々と>よぶと、>しゅじんは>こうへいを>いじする>ため>ひつようだとか>ごうしてかれらを>ぶた々と>よぶ。>じっさいしゅじんは>どこまでも>こうへいを>いじする>つもりらしい。>こまった>ものだ。>こういう>おとこだから>こんなきもんを>さいくんに>たいって>ていしゅつする>のも、>しゅじんに>とっては>ちょうしょくまえの>しょうじけんかも>しれないが、>きく>ほうから>いわ>せるとちょっとしんけい>びょうに>ちかい>ひとの>いい>そうな>ことだ。>だからさいくんは>けむりに>まか>れた>きみで>なんとも>いわない。>わがはいは>むろん>なんとも>こたえようがない。>するとしゅじんは>たちまちおおきな>こえで「>おい」と>よびかけた。 >さいくんは>びっくりして「>はい」と>こたえた。「>そのはいは>かん>とう>しか>ふくしか、>どっちだ」「>どっちですか、>そんなばか>きた>ことは>どうでも>いいじゃ>ありませんか」「>いい>ものか、>これが>げんに>こくご>かの>ずのうを>しはいしている>だいもんだいだ」「>あら>まあ、>ねこの>なきごえ>がですか、>いやな>ことねえ。>だって、>ねこの>なきごえは>にほんご>じゃあ>ないじゃ>ありませんか」「>それ>だからさ。>それが>むずかしい>もんだい>なんだよ。>ひかくけんきゅうと>いう>んだ」「>そう」と>さいくんは>りこうだから、>こんなばかな>もんだいには>かんけいしない。「>それで、>どっちだか>わかった>んですか」「>じゅうような>もんだいだからそうきゅうには>ぶんらん>さ」と>れいの>さかなを>むしゃむしゃ>くう。>ついでに>そのとなりに>ある>ぶたと>いも>のに>ころばしを>くう。「>これは>ぶただな」「>え>え>ぶたでござん>す」「>ふん」と>だいけいべつの>ちょうしを>もってのみこんだ。「>さけを>もう>いっぱい>のもう」と>さかずきを>だす。「>こんやは>なかなかあがるのね。>もう>だいぶ>あかく>なっていらっしゃいますよ」「>のむとも――>おんざき>せかいで>いちばん>ながい>じを>しっ>てるか」「>ええ、>まえの>かんぱく>だじょうだいじんでしょう」「>それは>なまえだ。>ながい>じを>しっ>てるか」「>じって>よこもじですか」「>うん」「>しらないわ、――>ごしゅは>もう>いいでしょう、>これで>ごはんに>なさいな、>ねえ」「>いや、>まだのむ。>いちばん>ながい>じを>おしえてやろうか」「>ええ。>そうしたら>ごはんですよ」「>Archaiomelesidonophrunicherataと>いう>じだ」「>でたらめでしょう」「>でたらめな>ものか、>まれ>臘>ごだ」「>なにという>じな>の、>にほんごに>すれば」「>いみはしらん。>ただつづりだけ>しっ>てる>んだ。>ながく>かくと>ろくすん>さんふんくらいに>かける」 >たにんなら>さけの>うえで>いうべき>ことを、>しょうきで>いっている>ところが>すこぶる>きかんである。>もっともこんやに>かぎってさけを>む>あんに>のむ。>へいぜいなら>ちょこに>にはいと>きめている>のを、>もう>よんはい>のんだ。>にはいでも>ずいぶんあかく>なる>ところを>ばい>のんだ>のだからかおが>しょうひばしの>ように>ほてって、>さも>くるし>そうだ。>それでもまだやめない。「>もう>いっぱい」と>だす。>さいくんは>あまりの>ことに「>もう>ごよしに>なったら、>いいでしょう。>くるしいばかりですわ」と>にがにがしい>かおを>する。「>なに>くるしくっても>これからすこしけいこする>んだ。>おおまち>けいげつが>のめと>いった」「>けいげつって>なにです」>さすがの>けいげつも>さいくんに>あっては>いちぶんの>かちも>ない。「>けいげつは>げんこん>いちりゅうの>ひひょうかだ。>それが>のめと>いう>のだからいいに>きょくって>いるさ」「>ばかを>おっしゃい。>けいげつ>だって、>うめ>つきだって、>くるしい>思を>してさけを>のめ>なんて、>よけいな>ことですわ」「>さけばかりじゃない。>こうさいを>して、>どうらくを>して、>りょこうを>しろと>いった」「>なお>わるいじゃ>ありませんか。>そんなひとが>だいいちりゅうの>ひひょうかな>の。>まあ>あきれた。>さいしの>ある>ものに>どうらくを>すすめるなんて……」「>どうらくも>いいさ。>けいげつが>すすめなくっても>きんさえ>あればやるかも>しれない」「>なくってしあわせだわ。>いまから>どうらくなんぞ>はじめ>られちゃあたいへんですよ」「>たいへんだと>いうなら>よしてやるから、>そのかわり>もうすこしおっとを>だいじに>して、>そうしてばんに、>もっと>ごちそうを>くわ>せろ」「>これが>せいいっぱいの>ところですよ」「>そうか>しらん。>それじゃどうらくは>おってきんが>はいいり>しだい>やる>ことに>して、>こんやは>これで>やめよう」と>めし>ちゃ>わんを>だす。>なにでも>ちゃづけを>さんぜん>くった>ようだ。>わがはいは>そのよる>ぶたにく|>さんへんと>しおやきの>あたまを>ちょうだいした。        >はち >かき>めぐりと>いう>うんどうを>せつめいした>ときに、>しゅじんの>にわを>ゆい>にょう>ら>してある>たけがきの>ことを>ちょっとのべた>つもりであるが、>このたけがきの>そとが>すぐりんか、>すなわち>みなみ>となりの>じろう>ちゃん>とこと>おもっては>ごかいである。>やちんは>やすいがそこは>く>さや>せんせいである。>あずかっ>ちゃんや>じろう>ちゃんなどと>ごうする、>いわゆるちゃん>つきの>れんちゅうと、>うす>っ>へんな>かき>ひとえを>へだてておとなり>どうしの>しんみつなる>こうさいは>むすんでおらぬ。>このかきの>そとは>ごろく>かんの>くうちであって、>そのことごとく>る>ところに>ひのきが>蓊>しかと>ごろく>ほん|>併>んでいる。>椽>がわから>はいけんすると、>むこうは>しげった>もりで、>ここに>往>む>せんせいは>のなかの>いっけんやに、>むめいの>ねこを>ともに>してじつげつを>おくる>こうこの>しょしであるかのごとき>かんが>ある。>ただしひのきの>えだは>ふいちょうする>ごとく>みっせいしておらんので、>そのあいだから>ぐん>つるだてという、>なまえだけ>りっぱな>やす>げしゅくの>やすやねが>えんりょなく>みえるから、>しかく>せんせいを>そうぞうする>のには>よほど>ほねの>おれる>のは>むろんである。>しかしこの>げしゅくが>ぐん>つるだてなら>せんせいの>きょは>たしかに>がりょう>窟>くらいな>かちはある。>なまえに>ぜいは>かからんか>ら>ごかたみに>えら>そうな>やっこを>かってしだいに>つける>こととして、>このはば>ごろく>かんの>くうちが>たけがきを>そうて>とうざいに>はしる>こと>やくじゅう>けん、>それから、>たちまち鉤の>てに>くっきょくして、>がりょう>窟の>ほくめんを>とりかこんでいる。>このほくめんが>そうどうの>たねである。>ほんらいなら>くうちを>いき>つくしてまたあき>ち、とか>なんとか>いばっても>いいくらいに>いえの>にがわを>つつんでいる>のだが、>がりょう>窟の>しゅじんは>むろん>窟>ないの>れい>ねこたる>わがはい>す>ら>この>あき>ちには>てこずっている。>みなみがわに>ひのきが>はばを>きかしている>ごとく、>きたがわには>きりの>きが>ななはち>ほんぎょうれつしている。>もう>しゅうい>いちしゃくくらいに>のびているからげた>やさえ>つれてくればいい>あたいに>なる>んだが、>しゃくやの>かなし>さには、>いくら>きがついても>じっこうは>できん。>しゅじんにたいしても>きのどくである。>せんだって>がっこうの>こづかいが>きてえだを>いちほん>きっていったが、>そのつぎに>きた>ときは>しんらしい>きりの>まないた>げたを>はいて、>このあいだの>えだで>こしらえましたと、>ききも>せん>のに>ふいちょうしていた。>ずるい>やつだ。>きりは>あるがわがはい>およびしゅじん>かぞくにとっては>いちぶんにも>ならない>きりである。>たまを>いだいてつみ>ありと>いう>こごが>ある>そうだが、>これは>きりを>はやしてぜに>なしと>いっても>しかるべきもので、>いわゆるたからの>もちぐされである。>ぐ>なる>ものは>しゅじんに>あらず、>わがはいに>あらず、>やぬしの>でんべえである。>いないかな、>いないかな、>げた>やは>いないかなと>きりの>ほうで>さいそくしている>のに>しらん>めんを>してや>ちんばかり>とりたてに>くる。>わがはいは>べつに>でんべえに>うらもないからかれの>わるぐちを>このくらいに>して、>ほんだいに>もどってこの>くうちが>そうどうの>たねであると>いう>ちん>たんを>しょうかい|>つかまつるが、>けっして>しゅじんに>いっては>いけない。>これ>ぎりの>はなししである。>そもそもこの>くうちにかんして>だいいちの>ふつごう>なる>ことは>かきねの>ない>ことである。>ふきはらい、>ふき>とおし、>ぬけうら、>つうこうごめん>てんか>はれての>くうちである。>あると>いうとうそを>つく>ようで>よろしくない。>みを>いうと>あった>のである。>しかしはなしは>かこへ>さかのぼらんと>みなもと>いんが>わからない。>みなもと>いんが>わからないと、>いしゃでも>しょほうに>めいわく>する。>だからここへ>ひき>こしてきた>とうじから>ゆっくりと>はなし>はじめる。>ふき>とおしも>なつは>せいせいしてこころもちが>いい>ものだ、>ぶようじんだって>きんの>ない>ところに>とうなんの>ある>はずはない。>だからしゅじんの>いえに、>あらゆるへい、>かき、>ないしは>らんぐい、>さかもぎの>るいは>まったくふようである。>しかしながらこれは>くうちの>むこうに>じゅうきょ>する>にんげん>もしくはどうぶつの>しゅるい|>いかによって>けつ>せらるる>もんだいであろうと>おもう。>したがってこの>もんだいを>けっする>ためには>いきおい>むこうがわに>じんどっている>くんしの>せいしつを>めいかに>せん>ければならん。>にんげんだか>どうぶつだか>わからない>さきに>くんしと>しょうする>のは>はなはだ>そうけいの>ようではあるがたいてい>くんしで>あいだ>違はない。>りょうじょうのくんしなどと>いってどろぼう>さえ>くんしと>いう>よのなかである。>ただしこの>ばあいにおける>くんしは>けっして>けいさつの>やっかいに>なる>ような>くんしではない。>けいさつの>やっかいに>ならない>かわりに、>かずで>こなした>ものと>みえてたくさん>いる。>うじゃうじゃ>いる。>落>くも>かんと>しょうする>しりつの>ちゅうがっこう――>はちひゃくの>くんしを>いやが>うえに>くんしに>ようせいする>ために>まいつき>にえんの>げっしゃを>ちょうしゅうする>がっこうである。>なまえが>落>くも>かんだからふうりゅうな>くんしばかりかと>おもうと、>それが>そもそもの>あいだ>違に>なる。>そのしんようすべからざる>ことは>ぐん>つるだてに>つるの>おりざるごとく、>がりょう>窟に>ねこが>いる>ような>ものである。>がくしとか>きょうしとか>ごうする>ものに>しゅじん>く>さや>くんのごとき>き>違の>ある>ことを>しった>いじょうは>落>くも>かんの>くんしが>ふりゅう>かんばかりでないと>いう>ことが>わかる>わけだ。>それが>わからんと>しゅちょうするなら>まず>さんにちばかり>しゅじんの>うちへ>やどりに>きてみるがいい。 >まえ>もうす>ごとく、>ここへ>ひき>ごしの>とうじは、>れいの>くうちに>かきが>ないので、>落>くも>かんの>くんしは>くるまやの>くろのごとく、>のそのそと>きり>はたに>はいいり>こんできて、>はなしを>する、>べんとうを>くう、>ささの>うえに>ねころぶ――>いろいろの>ことを>やった>ものだ。>それからは>べんとうの>しがい|>すなわちたけの>かわ、>こしんぶん、>あるいはこぞうり、>こげた、>ふると>いう>なの>つく>ものを>たいがい>ここへ>すてた>ようだ。>むとんじゃくなる>しゅじんは>ぞんがい>へいきに>かまえて、>べつだんこうぎも>もうしこまずに>うち>すぎた>のは、>しらなかった>のか、>しっても>とがめん>つもりであった>のか>わからない。>ところがかれら>しょくん>こは>がっこうで>きょういくを>受>くるにしたがって、>だんだんくんしらしく>なった>ものと>みえて、>しだいに>きたがわから>みなみがわの>ほうめんへ>むけてさんしょくを>企>だててきた。>さんしょくと>いう>かたりが>くんしに>ふにあいなら>やめても>よろしい。>ただしほかに>ことばが>ない>のである。>かれらは>みずくさを>おうて>きょを>へんずる>さばくの>じゅうみんのごとく、>きりの>きを>さってひのきの>ほうに>すすんできた。>ひのきの>ある>ところは>ざしきの>しょうめんである。>よほど>だいたんなる>くんしでなければこれほどの>こうどうは>とれん>はずである。>いちりょうじつの>あと>かれらの>だいたんは>さらにいっそうの>だいを>くわえてだい々>たんと>なった。>きょういくの>けっかほど>おそれ>しい>ものはない。>かれらは>たんに>ざしきの>しょうめんに>逼る>のみ>ならず、>このしょうめんにおいて>うたを>うたい>だした。>なにと>いう>うたか>わすれてしまったが、>けっして>みそひともじの>るいではない、>もっと>かっぱつで、>もっと>ぞくじに>はいり>やすい>うたであった。>おどろき>ろ>いた>のは>しゅじんばかりではない、>わがはいまでも>かれら>くんしの>さいげいに>嘆>ふくしておぼえず>みみを>かたむけた>くらいである。>しかしどくしゃも>ごあんないであろうが、>嘆>ふくと>いう>ことと>じゃまと>いう>ことは>ときとして>りょうりつする>ばあいが>ある。>このりょうしゃが>このさい|>はからずも>あわして>いちと>なった>のは、>いまから>かんがえてみても>かえすがえす>ざんねんである。>しゅじんも>ざんねんであったろうが、>やむをえずしょさいから>とびだしていって、>ここは>きみ>とうの>はいいる>ところではない、>で>たまえと>いって、>にさん>どおいだした>ようだ。>ところがきょういくの>ある>くんしの>ことだから、>こんなことで>おとなしく>きく>わけが>ない。>おいださ>れればすぐはいいる。>はいいればかっぱつなる>うたを>うたう。>こうこえに>だんわを>する。>しかもくんしの>だんわだからいっぷう>ちがって、>おめ>えだ>の>しらねえ>のと>いう。>そんなことばは>ごいしん>まえは>おりすけと>くもすけと>さんすけの>せんもん>てき>ちしきに>ぞくしていた>そうだが、>にじゅう>せいきに>なってから>きょういくある>くんしの>まなぶ>ゆいいつの>げんごで>ある>そうだ。>いっぱんから>けいべつせら>れ>たる>うんどうが、>かくの>ごとく>きょう>かんげいせらるる>ように>なった>のと>どういつの>げんしょうだと>せつめいした>ひとが>ある。>しゅじんは>またしょさいから>とびだしてこの>くんし>りゅうの>ことばに>もっとも>たんのうなる>いちにんを>捉>まえて、>なぜここへ>はいいるかと>きつもんしたら、>くんしは>たちまち「>おめ>え、>しらねえ」の>じょうひんな>ことばを>わすれて「>ここは>がっこうの>しょくぶつ>えんかと>おもいました」と>すこぶる>げひんな>ことばで>こたえた。>しゅじんは>しょうらいを>いましめてはなしてやった。>はなしてやる>のは>かめの>この>ようで>おかしいが、>じっさいかれは>くんしの>そでを>とらえてだんぱんした>のである。>このくらい>やかましく>いったら>もう>よかろうと>しゅじんは>おもっていた>そうだ。>ところがじっさいは>おんな※>しの>じだいから>よきと>ちがう>もので、>しゅじんは>またしっぱいした。>こんどは>きたがわから>てい>ないを>おうだんしておもてもんから>ぬける、>おもてもんを>がらりと>あける>から>ごきゃくかと>おもうときり>はたの>ほうで>わらう>こえが>する。>けいせいは>ますますふおんである。>きょういくの>こう>はては>いよいよ>けんちょに>なってくる。>きのどくな>しゅじんは>こいつは>てに>あわんと、>それから>しょさいへ>たて>こもって、>うやうやしく>いちしょを>落>くも>かん>こうちょうに>まつって、>しょうしょうごとりしまりをと>あいがんした。>こうちょうも>ていちょうなる>へんしょを>しゅじんに>おくって、>かきを>するからまってくれと>いった。>しばらくすると>にさん>にんの>しょくにんが>きてはんにちばかりの>あいだに>しゅじんの>やしきと、>落>くも>かんの>さかいに、>たか>さ>さんしゃくばかりの>よつめ>かきが>できあがった。>これで>ようよう>あんしんだと>しゅじんは>き>こんだ。>しゅじんは>ぐぶつである。>このくらいの>ことで>くんしの>きょどうの>へんかする>わけが>ない。 >ぜんたい>じんに>からかう>のは>おもしろい>ものである。>わがはいの>ような>ねこで>す>ら、>ときどきは>とうけの>れいじょうに>からかってあそぶくらいだから、>落>くも>かんの>くんしが、>きの>きかない>く>さや>せんせいに>からかう>のは>しごく>もっともな>ところで、>これに>ふへいな>のは>おそらく、>からかわ>れる>とうにんだけであろう。>からかうと>いう>しんりを>かいぼうしてみるとふたつの>ようそが>ある。>だいいち>からかわ>れる>とうにんが>へいきで>すましていては>ならん。>だいに>からかう>ものが>せいりょくにおいて>にんずうにおいて>あいてより>つよくなくては>いかん。>このあいだ>しゅじんが>どうぶつ>えんから>かえってきてしきりに>かんしんしてはなした>ことが>ある。>きいてみるとらくだと>こいぬの>けんかを>みた>のだ>そうだ。>こいぬが>らくだの>しゅういを>しっぷうのごとく>かいてんしてほえ>たてると、>らくだは>なにの>きも>つかずに、>いぜんとして>せなかへ>こぶを>こしらえてつったった>ままで>ある>そうだ。>いくら>ほえても>くるっても>あいてに>せんので、>しまいには>いぬも>あいそを>つかしてやめる、>じつに>らくだは>むしんけいだと>わらっていたが、>それが>このばあいの>てきれいである。>いくら>からかう>ものが>じょうずでも>あいてが>らくだと>きては>せいりつしない。>さればと>いってししや>とらの>ように>せんぽうが>つよ>すぎても>ものに>ならん。>からかい>かける>や>いなや>やつざきに>さ>れてしまう。>からかうとはを>むきだしておこる、>おこる>ことは>おこるが、>こっちを>どうする>ことも>できないと>いう>あんしんの>ある>ときに>ゆかいは>ひじょうに>おおい>ものである。>なぜこんな>ことが>おもしろいと>いうとその>りゆうは>いろいろある。>まず>ひま>つぶしに>てきしている。>たいくつな>ときには>ひげの>かずさえ>かんじょうしてみたく>なる>ものだ。>むかし>し>ごくに>とうぜ>られた>しゅうじんの>いちにんは>ぶりょうの>あまり、>ぼうの>かべに>さんかっけいを>かさねてえがいてその>ひを>くらしたと>いう>はなしが>ある。>よのなかに>たいくつほど>がまんの>でき>にくい>ものはない、>なにか>かっきを>しげきする>じけんが>ないと>いきている>のが>つらい>ものだ。>からかうと>いう>のも>つまりこの>しげきを>つくってあそぶ>いっしゅの>ごらくである。>ただしたしょうせんぽうを>おこら>せるか、>じらせるか、>よわら>せるか>しなくては>しげきに>ならんから、>むかし>しから>からかうと>いう>ごらくに>ふける>ものは>ひとの>きを>しらない>ばか>だいみょうの>ような>たいくつの>おおい>もの、>もしくはじぶんの>なぐさみ>いがいは>こう>うるに>ひま>なき>ほど>あたまの>はったつが>ようちで、>しかもかっきの>つかいみちに>きゅうする>しょうねんかに>かぎっている。>つぎには>じこの>ゆうせいな>ことを>じっちに>しょうめいする>ものには>もっとも>かんべんな>ほうほうである。>ひとを>ころしたり、>ひとを>きず>けたり、>またはひとを>おとしいれたり>しても>じこの>ゆうせいな>ことは>しょうめいできる>わけであるが、>これらは>むしろ>ころしたり、>きず>けたり、>おとしいれたり>する>のが>もくてきの>ときに>よるべき>しゅだんで、>じこの>ゆうせいなる>ことは>このしゅだんを>すいこうした>あとに>ひつぜんの>けっかとして>おこる>げんしょうに>すぎん。>だからいっぽうには>じぶんの>せいりょくが>しめしたくって、>しかもそんなに>ひとに>がいを>あたえたくないと>いう>ばあいには、>からかう>のが>いちばん|>ごかっこうである。>たしょうひとを>きずけ>なければじこの>えらい>ことは>じじつの>うえに>しょうこだ>て>られない。>じじつに>なってでてこないと、>あたまの>うちで>あんしんしていても>ぞんがい>かいらくの>うすい>ものである。>にんげんは>じこを>恃>む>ものである。>いな恃>み>がたい>ばあいでも>恃>みたい>ものである。>それだからじこは>これだけ>恃>め>る>ものだ、>これなら>あんしんだと>いう>ことを、>ひとにたいして>じっちに>おうようしてみないと>きが>すまない。>しかもりくつの>わからない>ぞくぶつや、>あまりじこが>恃>みに>なり>そうも>なくておちつきの>ない>ものは、>あらゆるきかいを>りようして、>このしょうけんを>にぎろうと>する。>じゅうじゅつ>しが>ときどき>ひとを>なげてみたく>なる>のと>おなじことである。>じゅうじゅつの>あやしい>ものは、>どうか>じぶんより>よわい>やつに、>ただの>いち|>かえで>いいから>であってみたい、>しろうとでも>かまわないからほう>げて>みたいと>しごく>きけんな>りょうけんを>いだいてちょうないを>あるく>のも>これが>ためである。>そのたにも>りゆうは>いろいろあるが、>あまりながく>なるから>りゃくする>ことに>いたす。>ききたければかつおぶしの>いちおりも>もってならいに>くるがいい、>いつでも>おしえてやる。>いじょうに>とく>ところを>さんこうしてすいろんしてみると、>わがはいの>こうでは>おくやまの>さると、>がっこうの>きょうしが>からかうには>いちばん>てごろである。>がっこうの>きょうしをもって、>おくやまの>さるに>ひかくしては>もったいない。――>さるにたいして>もったいない>のではない、>きょうしにたいして>もったいない>のである。>しかしよく>にているからしかたが>ない、>ごしょうちの>とおり>おくやまの>さるは>くさりで>つなが>れている。>いくら>はを>むきだしても、>きゃっきゃ>っ>さわいでも>ひきかか>れる>き>やはない。>きょうしは>くさりで>つなが>れておらない>かわりに>げっきゅうで>しばら>れている。>いくら>からかったって>だいじょうぶ、>じしょくしてせいとを>ぶんなぐる>ことはない。>じしょくを>する>ゆうきの>ある>ような>ものなら>さいしょから>きょうしなどを>してせいとの>ごもりは>つとめない>はずである。>しゅじんは>きょうしである。>落>くも>かんの>きょうしではないが、>やはり>きょうしに>そういない。>からかうには>しごく>てきとうで、>しごく|>あんちょくで、>しごく>ぶじな>おとこである。>落>くも>かんの>せいとは>しょうねんである。>からかう>ことは>じこの>はなを>たかく>する>ゆえんで、>きょういくの>こう>はてとして>しとうに>ようきゅうしてしかるべき>けんりとまで>こころえている。>のみ>ならず>からかいでも>しなければ、>かっきに>みちた>ごたいと>ずのうを、>いかに>しようしてしかるべきか>じゅうぶんの>きゅうか>ちゅう|>もて>あましてこまっている>れんちゅうである。>これらの>じょうけんが>そなわればしゅじんは>じから>からかわ>れ、>せいとは>じから>からかう、>だれから>いわ>しても>ごうも>むりの>ない>ところである。>それを>おこる>しゅじんは>やぼの>きょく、>あいだ>抜の>こっちょうでしょう。>これから落>くも>かんの>せいとが>いかに>しゅじんに>からかったか、>これにたいして>しゅじんが>いかに>やぼを>きわめたかを>ちくいち>かいてごらんに>いれる。 >しょくんは>よつめ>かきとは>いかなるものであるか>ごしょうちであろう。>かぜとおしの>いい、>かんべんな>かきである。>われ>やからなどは>めの>あいだから>じゆうじざいに>おうらいする>ことが>できる。>こしらえたって、>こしらえなく>たっておなじ>ことだ。>しかし落>くも>かんの>こうちょうは>ねこの>ために>よつめ>かきを>つくった>のではない、>じぶんが>ようせいする>くんしが>もぐら>れん>ために、>わざわざしょくにんを>いれてゆい>にょう>ら>せた>のである。>なるほど>いくら>かぜとおしが>よく>できていても、>にんげんには>もぐれ>そうに>ない。>このたけを>もってくみあわせ>たる>よんすん>かくの>あなを>ぬける>ことは、>きよくにの>きじゅつ>し|>ちょう>せそん>そのひとと>いえ>ども>むずかしい。>だからにんげんにたいしては>じゅうぶん>かきの>こう>のうを>つくしているに>そういない。>しゅじんが>そのでき>のぼった>のを>みて、>これなら>よかろうと>よろこんだ>のも>むりはない。>しかししゅじんの>ろんりには>だいなる>あなが>ある。>このかきよりも>おおいなるあなが>ある。>どんしゅうの>さかなをも>もらすべき>おおあなが>ある。>かれは>かきは>踰>ゆべき>ものに>あらずとの>かていから>しゅったつしている。>いやしくも>がっこうの>せいとたる>いじょうは>いかに>そまつの>かきでも、>かきと>いう>なが>ついて、>ぶんかいせんの>くいきさえ>はんぜんすればけっして>らんにゅうさ>れる>き>やはないと>かていした>のである。>つぎにかれは>そのかていを>しばらくうち>くずして、>よし>らんにゅうする>ものが>あっても>だいじょうぶと>ろんだんした>のである。>よっつ>めがきの>あなを>もぐり>える>ことは、>いかなるこぞうと>いえ>ども>とうてい>できる>き>やはないかららんにゅうの>おそれは>けっして>な>いと>そく>じょう>してしまった>のである。>なるほど>かれらが>ねこでない>かぎりは>このしかくの>めを>ぬけてくる>ことは>しまい、>したくても>できまいが、>のり>踰>える>こと、>とびこえる>ことは>なにの>ことも>ない。>かえって>うんどうに>なっておもしろいくらいである。 >かきの>できた>よくじつから、>かきの>できぬ>まえと>どうように>かれらは>きたがわの>くうち>へ>ぽ>かり>ぽかりと>とびこむ。>ただしざしきの>しょうめんまでは>ふかいりを>しない。>もし>おい>かけ>られたら>にげるのに、>しょうしょうひまが>いるから、>あらかじめ>にげる>じかんを>かんじょうに>いれて、>とらえ>ら>るる>きけんの>ない>ところで>ゆうよくを>している。>かれらが>なにを>しているか>ひがしの>はなれに>いる>しゅじんには>むろん>めに>はいらない。>きたがわの>くうちに>かれらが>ゆうよくしている>じょうたいは、>きどを>あけてはんたいの>ほうがくから>鉤の>てに>まがってみるか、>またはこうかの>まどから>かきねごしに>ながめるより>ほかに>しかたが>ない。>まどから>ながめる>ときは>どこに>なにが>いるか、>ひとめ>めいりょうに>みわたす>ことが>できるが、>よしや>てきを>いくにん>みいだしたからと>いってとらえる>わけには>いかぬ。>ただまどの>こうしの>なかから>しかりつけるばかりである。>もし>きどから>うかいしててき>ちを>つこうと>すれば、>あしおとを>ききつけて、>ぽかり>ぽかりと>捉>まるまえに>むこうがわへ>おりてしまう。>おっとせいが>ひなた>ぼっ>こを>している>ところへ>みつりょうせんが>むかった>ような>ものだ。>しゅじんは>むろん>こうかで>はり>ばんを>している>わけではない。と>いってきどを>ひらいて、>おとが>したら>すぐとびだす>よういも>ない。>もし>そんなことを>やる>ひには>きょうしを>じしょくして、>そのほう>せんもんに>ならなければおっ>つかない。>しゅじん>かたの>ふりを>いうとしょさいからは>てきの>こえだけ>きこえてすがたが>みえない>のと、>まどからは>すがたが>みえるだけで>てが>だせない>ことである。>このふりを>かんぱしたる>てきは>こんなぐんりゃくを>こうじた。>しゅじんが>しょさいに>たて>こもっていると>たんていした>ときには、>なるべくおおきな>こえを>だしてわあわあ>いう。>そのなかには>しゅじんを>ひやかす>ような>ことを>きこえよが>しに>のべる。>しかもその>こえの>しゅっしょを>きわめて>ふふんみょうに>する。>ちょっときくとかきの>うちで>さわいでいる>のか、>あるいはむこうがわで>あばれている>のか>はんていし>にくい>ように>する。>もし>しゅじんが>で>かけてきたら、>にげだすか、>またははじめから>むこうがわに>いてしらんかおを>する。>またしゅじんが>こうかへ――>わがはいは>さいぜんから>しきりに>こうか>こうかと>きたない>じを>しようする>のを>べつだんの>こうえいとも>おもっておらん、>じつはめいわく>せんばんであるが、>このせんそうを>きじゅつする>うえにおいて>ひつようであるからやむをえない。――>すなわちしゅじんが>こうかへ>まかり>こしたと>みてとる>ときは、>かならずきりの>きの>ふきんを>はいかいしてわざと>しゅじんの>めに>つく>ように>する。>しゅじんが>もし>こうかから>しりんに>ひびく>だいおとを>あげてどなりつければてきは>あわてる>きしょくも>なく>ゆうぜんと>こんきょちへ>ひきあげる。>このぐんりゃくを>もちい>られると>しゅじんは>はなはだ>こんきゃくする。>たしかに>はいいっているなと>おもってすてっきを>もってで>かけるとせきぜんとして>だれも>いない。>いないかと>おもってまどから>のぞくとかならず>いちに>にんはいいっている。>しゅじんは>うらへ>めぐってみたり、>こうかから>のぞいてみたり、>こうかから>のぞいてみたり、>うらへ>めぐってみたり、>なんど>いっても>おなじことだが、>なんど>いっても>おなじことを>くりかえしている。>ほんめいに>つかれるとは>このことである。>きょうしが>しょくぎょうであるか、>せんそうが>ほんむであるか>ちょっとわからないくらい>ぎゃくじょうしてきた。>このぎゃくじょうの>ちょうてんに>たっした>ときに>したの>じけんが>たった>のである。 >じけんは>たいがい>ぎゃくじょうから>でる>ものだ。>ぎゃくじょうとは>よんでじのごとく>ぎゃく>かさに>のぼる>ので>ある、>このてんにかんしては>げーれんも>ぱらせるさすも>きゅうへいなる>扁>かささぎも>いぎを>うたう>る>ものは>いちにんも>ない。>ただどこへ>ぎゃくかさに>のぼるかが>もんだいである。>またなにが>ぎゃくかさに>のぼるかが>ぎろんの>ある>ところである。>こらい>おう>しゅう>じんの>でんせつに>よると、>われ>じんの>たいないには>よんしゅの>えきが>じゅんかんしておった>そうだ。>だいいちに>おこ>えきと>いう>やつが>ある。>これが>ぎゃくかさに>のぼると>おこり>だす。>だいにに>にぶ>えきと>な>づく>る>のが>ある。>これが>ぎゃくかさに>のぼるとしんけいが>にぶく>なる。>つぎには>う>えき、>これは>にんげんを>いんきに>する。>さいごが>けつえき、>これは>ししを>たけし>んに>する。>そのご>じんぶんが>すすむにしたがって>にぶ>えき、>おこ>えき、>う>えきは>いつのまにか>なくなって、>げんこんに>いたっては>けつえきだけが>むかしの>ように>じゅんかんしていると>いう>はなししだ。>だからもし>ぎゃくじょうする>ものが>あら>ば>けつえきより>ほかにはあるまいと>おもわ>れる。>しかるに>このけつえきの>ぶんりょうは>こじんによって>ちゃんと>きわまっている。>しょうぶんによって>たしょうの>ぞうげんは>あるが、>まず>たいてい>いちにんまえに>つけ>ごしょう>ごごうの>わりあいである。だによって、>この>ごしょう>ごごうが>ぎゃくかさに>のぼると、>のぼった>ところだけは>おき>んに>かつどうするが、>そのたの>きょくぶは>けつぼうを>かんじてつめたく>なる。>ちょうど>こうばん>しょう>だの>とうじ>じゅんさが>ことごとく>けいさつ>しょへ>つどって、>ちょうないには>いちにんも>なく>なった>ような>ものだ。>あれも>いがく>じょうから>しんだんを>すると>けいさつの>ぎゃくじょうと>いう>ものである。>でこの>ぎゃくじょうを>癒や>すには>けつえきを>じゅうぜんのごとく>たいないの>かくぶへ>へいきんに>ぶんぱいしなければならん。>そうするには>ぎゃくかさに>のぼった>やつを>したへ>くださなくては>ならん。>そのほうには>いろいろある。>いまは>こじんと>なら>れたがしゅじんの>せんくんなどは>ぬれ>てぬぐいを>あたまに>あててこたつに>あたっておら>れた>そうだ。>ずかんそくねつは>えんめいそくさいの>しるしと>しょうかん>ろんにも>でている>とおり、>ぬれ>てぬぐいは>ちょうじゅ>ほうにおいて>いちにちも>かくべからざる>ものである。>それでなければぼうずの>かんようする>しゅだんを>こころみるがよい。>いっしょふじゅうの>しゃもん>うんすい>あんぎゃの>衲>そうは>かならずき>しもいしがみを>やどと>すと>ある。>き>しもいしがみとは>なんぎょうくぎょうの>ためではない。>まったくのぼせを>さげる>ために>ろくそが>べいを>うすずきながらかんがえだした>ひほうである。>こころみに>いしの>うえに>すわってごらん、>しりが>ひえる>のは>あたりまえだろう。>しりが>ひえる、>のぼせが>さがる、>これ>またしぜんの>じゅんじょに>してごうも>うたぐを>はさむべき>よちはない。>かように>いろいろな>ほうほうを>もちいてのぼせを>さげる>くふうは>だいぶ>はつめいさ>れたが、>まだのぼせを>ひきおこす>よ>かたが>あんしゅつさ>れない>のは>ざんねんである。>いちがいに>かんがえると>のぼせは>そん>あってえきなき>げんしょうであるが、>そうばかり>そくだんしてならん>ばあいが>ある。>しょくぎょうに>よると>ぎゃくじょうは>よほど>たいせつな>もので、>ぎゃくじょうせんと>なににも>できない>ことが>ある。>そのなかで>もっとも>ぎゃくじょうを>おもんずる>のは>しじんである。>しじんに>ぎゃくじょうが>ひつようなる>ことは>きせんに>せきたんが>かくべからざる>ような>もので、>このきょうきゅうが>いちにちでも>とぎれるとかれ>れ>とうは>てを>こまぬいてめしを>くうより>ほかに>なんらの>のうも>ない>ぼんじんに>なってしまう。>もっとも>ぎゃくじょうは>き>違の>いみょうで、>き>違に>ならないと>かぎょうが>たち>いかんと>あっては>せけんていが>わるいから、>かれらの>なかまでは>ぎゃくじょうを>よぶに>ぎゃくじょうの>なを>もってしない。>もうしあわせていんすぴれーしょん、>いんすぴれーしょんと>さも>もったい>そうに>たたえている。>これは>かれらが>せけんを>まんちゃくする>ために>せいぞうした>なで>そのみは>まさに>ぎゃくじょうである。>ぷれー>とーは>かれらの>かたを>もってこの>たねの>ぎゃくじょうを>しんせいなる>きょうきと>ごうしたが、>いくら>しんせいでも>きょうきでは>ひとが>あいてに>しない。>やはり>いんすぴれーしょんと>いう>しんはつめいの>ばいやくの>ような>なを>つけておく>ほうが>かれらの>ために>よかろうと>おもう。>しかしかまぼこの>たねが>やまいもである>ごとく、>かんのうの>ぞうが>ちょっと>はちふんの>くちきである>ごとく、>かも>なんばんの>ざいりょうが>からすである>ごとく、>げしゅくやの>ぎゅうなべが>ばにくである>ごとく>いんすぴれーしょんも>じつはぎゃくじょうである。>ぎゃくじょうであってみればりんじの>き>違である。>すがもへ>にゅういんせずに>すむ>のは>たんに>りんじ>き>違であるからだ。>ところがこの>りんじの>き>違を>せいぞうする>ことが>こんなんな>のである。>いちしょうがいの>きょうじんは>かえって>でき>やすいが、>ふでを>とってかみに>むかう>あいだだけ>き>違に>する>のは、>いかに>こうしゃな>かみさまでも>よほど>ほねが>おれると>みえて、>なかなかこしらえてみせない。>かみが>つくってく>れん>いじょうは>じりきで>こしらえなければならん。>そこでむかしから>きょうまで>ぎゃくじょうじゅつも>またぎゃくじょうとりのけ>じゅつと>おなじく>だいに>がくしゃの>ずのうを>なやました。>あるひとは>いんすぴれーしょんを>える>ために>まいにち>しぶがきを>じゅうに>こずつ>くった。>これは>しぶがきを>くえばべんぴする、>べんぴすればぎゃくじょうは>かならずおこるという>りろんから>きた>ものだ。>またある>ひとは>かん>とっくりを>もっててっぽう>ふろへ>とびこんだ。>ゆの>なかで>さけを>のんだら>ぎゃくじょうするに>きょくって>いると>かんがえた>のである。>そのひとの>せつに>よるとこれで>せいこうしなければぶどう>さけの>ゆを>わかしてはいいれば>いち|>かえで>こう>のうが>あると>しんじ>きっている。>しかしきんが>ないのでついに>じっこうする>ことが>できなくてしんでしまった>のは>きのどくである。>さいごに>こじんの>まねを>したら>いんすぴれーしょんが>おこるだろうと>おもいついた>ものが>ある。>これは>ある>ひとの>たいど>どうさを>まねるとこころ>てき>じょうたいも>そのひとに>にてくると>いう>がくせつを>おうようした>のである。>よっぱらいの>ように>かんを>まいていると、>いつのまにか>さけのみの>ような>こころもちに>なる、>ざぜんを>してせんこう>いちほんの>あいだ>がまんしていると>どことなく>ぼうずらしい>きぶんに>なれる。>だからむかしから>いんすぴれーしょんを>うけた>ゆうめいの>おおやの>しょさを>まねればかならずぎゃくじょうするに>そういない。>きく>ところに>よればゆーごーは>かいそうせんの>うえへ>ねころんでぶんしょうの>しゅこうを>かんがえた>そうだから、>ふねへ>のってあおぞらを>みつめていればかならずぎゃくじょう|>受>ごうである。>すちーヴんそんは>はら>這に>ねてしょうせつを>かいた>そうだから、>うつ>ふしに>なってふでを>もてばきっと>ちが>ぎゃくかさに>のぼってくる。>かように>いろいろな>ひとが>いろいろの>ことを>かんがえだしたが、>まだだれも>せいこうしない。>まず>きょうの>ところでは>じんい>てき>ぎゃくじょうは>ふかのうの>ことと>なっている。>ざんねんだがいたしかたが>ない。>そうばん>ずいいに>いんすぴれーしょんを>おこし>える>じきの>とうらいするは>うたぐも>ない>ことで、>わがはいは>じんぶんの>ために>このじきの>いちにちも>はやく>きたらん>ことを>せつぼうする>のである。 >ぎゃくじょうの>せつめいは>このくらいで>じゅうぶんだろうと>おもうから、>これより>いよいよ>じけんに>とりかかる。>しかしすべての>だいじけんの>まえには>かならずしょうじけんが>おこる>ものだ。>だいじけんのみを>のべて、>しょうじけんを>いっする>のは>こらいから>れきし>かの>つねに>おちいる>へい>竇である。>しゅじんの>ぎゃくじょうも>しょうじけんに>あう>たびに>いっそうの>げきじんを>くわえて、>ついに>だいじけんを>ひきおこした>ので>あるから>して、>いくぶんか>そのはったつを>じゅんじょ>たててのべないと>しゅじんが>いかに>ぎゃくじょうしているか>わかり>にくい。>わかり>にくいと>しゅじんの>ぎゃくじょうは>くうめいに>きして、>せけんからは>よもや>それほどでもなかろうと>みくびら>れるかも>しれない。>せっかく>ぎゃくじょうしても>ひとから>てん>はれな>ぎゃくじょうと>うたわ>れなくては>はり>ごうが>ないだろう。>これからのべる>じけんは>だいしょうに>かからず>しゅじんに>とってめいよな>ものではない。>じけん>そのものが>ふめいよで>あるならば、>せめてぎゃくじょうなりとも、>しょうめいの>ぎゃくじょうであって、>けっして>ひとに>おとる>ものでないと>いう>ことを>めいかに>しておきたい。>しゅじんは>たにたいして>べつに>これと>いってほこるに>たる>せいしつを>ゆうしておらん。>ぎゃくじょうでも>じまんしなくては>ほかに>ほねを>おってかきたててやる>しゅが>ない。 >落>くも>かんに>むらがる>てき>ぐんは>きんじつに>いたっていっしゅの>だむだむだんを>はつめいして、>じゅうぶんの>きゅうか、>もしくはほうかごに>いたっておきに>きたがわの>くうちに>むかってほうかを>あびせかける。>このだむだむだんは>つうしょうを>ぼーると>たたえて、>すりこぎの>おおきなやつをもって>にんい>これを>てき>ちゅうに>はっしゃする>しかけである。>いくら>だむ>だむだって>落>くも>かんの>うんどうじょうから>はっしゃする>のだから、>しょさいに>たて>こもっ>てる>しゅじんに>あたる>き>やはない。>てきと>いえどもだんどうの>あまりとお>すぎる>のを>じかくせん>ことはない>のだけれど、>そこが>ぐんりゃくである。>りょじゅんの>せんそうにも>かいぐんから>かんせつ>しゃげきを>おこなっていだいな>こうを>そうしたと>いう>はなしであれば、>くうちへ>ころがり>おつる>ぼーると>いえどもそうとうの>こう>はてを>おさめ>えぬ>ことはない。>いわんや>いちはつを>おくる>たびに>そうぐん>りょくを>あわせてわ>ーと>いかくせい>だいおんせいを>だすに>おいてを>やである。>しゅじんは>きょうしゅくの>けっかとして>てあしに>かよう>けっかんが>しゅうしゅくせざるを>えない。>はんもんの>ごく>そこ>い>らを>迷>ついている>ちが>さかさに>のぼる>はずである。>てきの>けいは>なかなかこうみょうと>いうて>よろしい。>むかし>し>まれ>臘に>いすきらすと>いう>さっかが>あった>そうだ。>このおとこは>がくしゃ>さっかに>きょうつうなる>あたまを>ゆうしていたと>いう。>わがはいの>いわゆるがくしゃ>さっかに>きょうつうなる>あたまとは>かむろと>いう>いみである。>なぜあたまが>はげるかと>いえばあたまの>えいよう>ふそくで>けが>せいちょうするほど>かっきが>ないからに>そういない。>がくしゃ>さっかは>もっとも>おおく>あたまを>つかう>ものであってたいがいは>びんぼうに>きょくって>いる。>だからがくしゃ>さっかの>あたまは>みんな>えいよう>ふそくで>みんな>はげている。>さていすきらすも>さっかであるからしぜんの>ぜい>はげなくては>ならん。>かれは>つるつる>しか>たる>きんかん>あたまを>ゆうしておった。>ところがある>ひの>こと、>せんせい>れいの>あたま――>あたまに>そとゆきも>ふだんぎも>ないかられいの>あたまに>きょく>っ>てるが――>そのれいの>あたまを>ふりたて>ふりたて、>たいように>てらし>つけておうらいを>あるいていた。>これが>まちがいの>もとである。>はげ>あたまを>にちに>あててとお>かたから>みると、>たいへん>よく>ひかる>ものだ。>たかい>きには>かぜが>あたる、>ひかり>かる>あたまにも>なにか>あたらなくては>ならん。>このとき>いすきらすの>あたまの>うえに>いちわの>わしが>まっていたが、>みるとどこかで>なまとった>いち|>疋の>かめを>つめの>さきに>つかんだ>ままである。>かめ、>すっぽんなどは>びみに>そういないが、>まれ>臘>じだいから>かたい>こうらを>つけている。>いくら>びみでも>こうら>つきでは>どうする>ことも>できん。>かいろうの>おに>から>しょうは>あるがかめの>この>こうら>には>いまでさえ>ないくらいだから、>とうじは>むろん>なかったに>きょくって>いる。>さすがの>わしも>しょうしょうもてあました>おり>がら、>はるかの>げかいに>ぴかと>ひかった>ものが>ある。>そのとき>わしは>しめたと>おもった。>あの>ひかったもののうえへ>かめの>こを>おとしたなら、>こうらは>ただしく>くだけるに>ごく>わ>まった。>くだけた>あとから>まい>おりてなかみを>ちょうだいすればわけはない。>そうだ>そうだと>覗を>さだめて、>かのかめの>こを>たかい>ところから>あいさつも>なく>あたまの>うえへ>おとした。>あいにく>さっかの>あたまの>ほうが>かめのこうより>やわらかであった>ものだから、>かむろは>めちゃめちゃに>くだけてゆうめいなる>いすきらすは>ここに>むざんの>さいごを>とげた。>それは>そうと、>かいし>かねる>のは>わしの>りょうけんである。>れいの>あたまを、>さっかの>あたまと>しっておとした>のか、>またはかむろ>いわと>まちがえておとした>ものか、>かいけつしよう>しだいで、>落>くも>かんの>てきと>このわしとを>ひかくする>ことも>できるし、>またできなくも>なる。>しゅじんの>あたまは>いすきらすの>それのごとく、>またごれきれきの>がくしゃのごとく>ぴかぴか>ひかってはおらん。>しかし>ろくじょう>しきに>せよ>いやしくも>しょさいと>ごうする>いっしつを>ひかえて、>いねむりを>しながらも、>むずかしい>しょもつの>うえへ>かおを>かざす>いじょうは、>がくしゃ>さっかの>どうるいと>み>傚>さ>なければならん。>そうするとしゅじんの>あたまの>はげておらん>のは、>まだはげるべき>しかくが>ないからで、>そのうちに>はげるだろうとは>ちかぢか>このあたまの>うえに>おち>かかるべき>うんめいであろう。>してみれば落>くも>かんの>せいとが>このあたまを>め>かけてれいの>だむ>だむ>まるを>しゅう>ちゅう>する>のは>さくの>もっとも>じぎに>てきした>ものと>いわねばならん。>もし>てきが>このこうどうを>にしゅうかん>けいぞくするならば、>しゅじんの>あたまは>いふと>はんもんの>ため>かならずえいようの>ふそくを>うったえて、>きんかんとも>やかんとも>どう>つぼとも>へんかするだろう。>なお>にしゅうかんの>ほうげきを>くえばきんかんは>つぶれるに>そういない。>やかんは>もるに>そういない。>どう>つぼなら>ひびが>はいるに>きまっている。>この睹>やすき>けっかを>よそうせんで、>あくまでも>てきと>せんとうを>けいぞくしようと>くしんする>のは、>ただほんにんたる>く>さや>せんせいのみである。 >あるひの>ごご、>わがはいは>れいのごとく>椽>がわへ>でてごすいを>してとらに>なった>ゆめを>みていた。>しゅじんに>けいにくを>もってこいと>いうと、>しゅじんが>へ>えと>おそるおそるけいにくを>もってでる。>迷>ていが>きたから、>迷>ていに>かりが>くいたい、>かり>なべへ>おこなってあつらえ>ら>えてこいと>いうと、>かぶらの>こうのものと、>しお>せんべいと>いっしょに>めしあがりますとかりの>あじが>いたしますとれいのごとく>ちゃ>ら>っ>ほこを>いうから、>おおきなくちを>あいて、>う>ーと>うなっておどかしてやったら、>迷>ていは>あおく>なってやましたの>かり>なべは>はいぎょういたしました>がいかが>とり>けい>いましょうかと>いった。>それなら>ぎゅうにくで>かんべんするからはやく>にしかわへ>おこなってろーすを>いちきん>とってこい、>はやく>せんと>きさまから>くい>ころすぞと>いったら、>迷>ていは>しりを>はしょって馳け>で>した。>わがはいは>きゅうに>からだが>おおきく>なった>ので、>椽>がわ>いっぱいに>ねそべって、>迷>ていの>かえる>のを>まちうけていると、>たちまちいえじゅうに>ひびく>おおきなこえが>してせっかくの>うしも>くわぬ>あいだに>ゆめが>さめてわれに>かえった。>するといままで>おそるおそるわがはいの>まえに>ひれふしていたと>おもいのほかの>しゅじんが、>いきなりこうかから>とびだしてきて、>わがはいの>よこばらを>いやと>いうほど>けたから、>おやと>おもう>うち、>たちまちにわげたを>つっ>かけて>きどから>めぐって、>落>くも>かんの>ほうへ>かけていく。>わがはいは>とらから>きゅうに>ねこと>しゅうしゅくした>のだからなんとなく>きまりが>わるくもあり、>おかしくも>あったが、>しゅじんの>このけんまくと>よこばらを>けら>れた>いた>さとで、>とらの>ことは>すぐわすれてしまった。>どうじに>しゅじんが>いよいよ>しゅつばしててきと>こうせんするな>おもしろいわいと、>いたい>のを>がまんして、>あとを>したってうらぐちへ>でた。>どうじに>しゅじんがぬ>すっ>とうと>どなる>こえが>きこえる、>みるとせいぼうを>つけた>じゅうはち>きゅうに>なる>倔>きょうな>やっこが>いちにん、>よんつ>め>かきを>むこうへ>のりこえつつある。>やあ>おそかったと>おもう>うち、>かれの>せいぼうは>馳>け>あしの>しせいを>とってこんきょちの>ほうへ>韋>だてんのごとく>にげて>いく。>しゅじんはぬ>すっ>とうがだいに>せいこうした>ので、>またもぬ>すっ>とうとたかく>さけびながらおいかけていく。>しかしかの>てきに>おいつく>ためには>しゅじんの>ほうで>かきを>こさなければならん。>ふかいりを>すればしゅじん|>みずからが>どろぼうに>なる>はずである。>まえ>もうす>とおり>しゅじんは>りっぱなる>ぎゃくじょうかである。>こうぜいに>じょうじ>てぬ>すっと>うを>おい>かける>いじょうは、>ふうし>じしんが>ぬ>すっと>うに>なっても>おい>かける>つもりと>みえて、>ひきかえす>きしょくも>なく>かきの>ねもとまで>すすんだ。>いま>いちほで>かれは>ぬ>すっと>うの>りょうぶんに>はいらなければならんと>いう>まぎわに、>てき>ぐんの>なかから、>うすい>ひげを>ぜい>なく>はやした>しょうかんが>のこのこと>しゅつばしてきた。>りょうにんは>かきを>さかいに>なにか>だんぱんしている。>きいてみるとこんな>つまらない>ぎろんである。「>あれは>ほんこうの>せいとです」「>せいと>たるべき>ものが、>なにで>たの>てい>ないへ>しんにゅうする>のですか」「>いやぼーるが>つい>とんだ>ものですから」「>なぜことわって、>とりに>こない>のですか」「>これからよく>ちゅういします」「>そんなら、>よろしい」 >りゅう>あが>とら>闘の>そうかんが>あるだろうと>よきした>こうしょうは>かくのごとく>さんぶん>まと>なる>だんぱんをもって>ぶじに>じんそくに>ゆい>りょう>した。>しゅじんの>たけし>んなるは>ただいきごみだけである。>いざと>なると、>いつでも>これで>おしまいだ。>あたかも>わがはいが>とらの>ゆめから>きゅうに>ねこに>かえった>ような>かんが>ある。>わがはいの>しょうじけんと>いう>のは>すなわち>これである。>しょうじけんを>きじゅつした>あとには、>じゅんじょとして>ぜひだいじけんを>はなさなければならん。 >しゅじんは>ざしきの>しょうじを>ひらいてはら>這に>なって、>なにか>しあんしている。>おそらく>てきにたいして>ぼうぎょさくを>こうじている>のだろう。>落>くも>かんは>じゅぎょうちゅうと>みえて、>うんどうじょうは>ぞんがい>しずかである。>ただこうしゃの>いっしつで、>りんりの>こうぎを>している>のが>てに>とる>ように>きこえる。>ろうろうたる>おんせいで>なかなかうまく>のべ>たてている>のを>きくと、>まったくきのう>てき>ちゅうから>しゅつばしてだんぱんの>衝に>あたった>しょうぐんである。「……で>こうとくと>いう>ものは>たいせつな>ことで、>あちらへ>おこなってみると、>ふらんすでも>どいつでも>えい>よしとしでも、>どこへ>おこなっても、>このこうとくの>おこなわ>れておらん>くにはない。>またどんな>かとうな>ものでも>このこうとくを>おもんぜぬ>ものはない。>かなしいかな、>わがにっぽんに>あっては、>いまだ>このてんにおいて>がいこくと>きっこうする>ことが>できん>のである。>でこうとくと>もうすとなにか>あたらしく>がいこくから>ゆにゅうしてきた>ように>かんがえる>しょくんもあるかも>しれんが、>そうおもう>のは>だいなる>あやまりで、>むかし>じんも>ふうしの>みちかず>以て>これを>つらぬく、>ただひろ>のみ>矣と>いわ>れた>ことが>ある。>このじょと>もうす>のが>とりも>なおさず>こうとくの>しゅっしょである。>わたしも>にんげんであるからときには>おおきなこえを>してうたなど>うたってみたく>なる>ことが>ある。>しかしわたしが>べんきょうしている>ときに>りんしつの>ものなどが>ほうかする>のを>きくと、>どうしても>しょもつの>よめぬ>のが>わたしの>しょうぶんである。で>あるから>してじぶんが>とうし>せんでも>こうこえに>ぎんじたら>きぶんが>はればれしてよかろうと>おもう>ときで>す>ら、>もし>じぶんの>ように>めいわく>がる>ひとが>りんかに>すんでおって、>しらず>しらず>そのひとの>じゃまを>する>ような>ことが>あっては>すまんと>おもうて、>そういう>ときは>いつでも>ひかえる>のである。>こういう>わけだからしょくんも>なるべく>こうとくを>まもって、>いやしくも>ひとの>ぼうがいに>なると>おもう>ことは>けっして>やっては>ならん>のである。……」 >しゅじんは>みみを>かたむけて、>このこうわを>きんちょうしていたが、>ここに>いたってにやりと>わらった。>ちょっとこのに>やりの>いみを>せつめいする>ひつようが>ある。>ひにく>かが>これを>よんだら>このに>やりの>うらには>れいひょうてき>ぶんしが>かっていると>おもうだろう。>しかししゅじんは>けっして、>そんなひとの>わるい>おとこではない。>わるいと>いうより>そんなに>ちえの>はったつした>おとこではない。>しゅじんは>なぜわらったかと>いうとまったくうれしくってわらった>のである。>りんりの>きょうしたる>ものが>かように>つうせつなる>くんかいを>あたえるか>らは>このあとは>えいきゅう>だむだむだんの>らんしゃを>めんが>れるに>そういない。>とうぶんの>うち>あたまも>はげずに>すむ、>ぎゃくじょうは>いちじに>なおらんでも>じきさえ>くればぜんじ>かいふくするだろう、>ぬれ>てぬぐいを>いただいて、>こたつに>あたらなくとも、>き>しもいしがみを>やどと>しなく>とも>だいじょうぶだろうと>かんていしたから、>にやにやと>わらった>のである。>しゃっきんは>かならずかえす>ものと>にじゅう>せいきの>きょうにも>やはり>しょうじきに>かんがえるほどの>しゅじんが>このこうわを>まじめに>きく>のは>とうぜんであろう。 >やがて>じかんが>きたと>みえて、>こうわは>ぱたりと>やんだ。>たの>きょうしつの>かぎょうも>みな>いちどに>おわった。>するといままで>しつないに>みっぷうさ>れた>やおの>どうぜいは>ときのこえを>あげて、>たてものを>とびだした。>そのぜいと>いう>ものは、>いちしゃくほどな>はちのすを>たたき>おとした>ごとくである。>ぶんぶん、>わんわん>いうて>まどから、>とのくちから、>ひらきから、>いやしくも>あなの>ひらいている>ところなら>なにの>ようしゃも>なく>われがちに>とびだした。>これが>だいじけんの>ほったんである。 >まず>はちの>じんだてから>せつめいする。>こんなせんそうに>じんだても>なにも>ある>ものかと>いう>のは>まちがっている。>ふつうの>ひとは>せんそうとさえ>いえばすな>かわとか>ほうてんと>かまた>たびじゅんとか>そのほかに>せんそうはない>ものの>ごとくに>かんがえている。>すこしし>がかった>やばん>じんに>なると、>あき>りすがへ>く>とーの>しがいを>ひきずって、>とろいの>じょうへきを>さん匝>したとか、>つばめ>ぴと>ちょう>ひが>ながさか>きょうに>たけ>はちの>へび>ほこを>よこ>えて、>曹>みさおの>ぐん>ひゃくまん>にんを>ねめ>かえしたとか>おおげさな>ことばかり>れんそうする。>れんそうは>とうにんの>ずいいだがそれ>いがいの>せんそうはない>ものと>こころえる>のは>ふつごうだ。>たいこ>もうまいの>じだいに>あってこそ、>そんなばか>きた>せんそうも>おこなわ>れたかも>しれん、>しかしおうひらの>きょう、>だいにっぽんこく>ていとの>ちゅうしんにおいて>かくのごとき>やばん>てき>こうどうは>あり>うべからざる>きせきに>ぞくしている。>いかに>そうどうが>もちあがっても>こうばんの>やき>だ>いじょうに>でる>き>やはない。>してみるとがりょう>窟>しゅじんの>く>さや>せんせいと>落>くも>かん|>うら>やおの>けんじとの>せんそうは、>まず>とうきょう>し>あっていらいの>だいせんそうの>いちとして>かぞえても>しかるべきものだ。>ひだり>しが※>りょうの>せんを>きするに>あたっても>まず>てきの>じん>ぜいから>のべている。>こらいから>じょじゅつに>たくみ>なる>ものは>みな>このひっぽうを>もちいる>のが>つうそくに>なっている。だによって>わがはいが>はちの>じんだてを>はなす>のも>しさい>なかろう。>それでまず>はちの>じんだて>いかんと>みてあると、>よっつ>めがきの>そとがわに>じゅうれつを>かたち>ち>づく>った>いちたいが>ある。>これは>しゅじんを>せんとうせん>ないに>ゆうちする>しょくむを>おびた>ものと>みえる。「>こうさんしねえか」「>しね>え>しねえ」「>だめだ>だめだ」「>でてこねえ」「>おちねえ>かな」「>おちねえ>はずはねえ」「>ほえてみろ」「>わんわん」「>わんわん」「>わんわん>わんわん」>これからさきは>じゅうたい>そう>がかりと>なってとっかんの>こえを>あげる。>じゅうたいを>すこしみぎへ>はなれてうんどうじょうの>ほうめんには>ほう>たいが>けいしょうの>ちを>しめてじんちを>しいている。>がりょう>窟に>めんして>いちにんの>しょうかんが>すりこぎの>おおきなやっこを>もってひかえる。>これと>あいたいして>ごろく>かんの>かんかくを>とってまた>いちにん>たつ、>すりこぎの>あとに>また>いちにん、>これは>がりょう>窟に>かおを>むけてつったっている。>かくのごとく>いっちょくせんに>ならんでむかい>あっている>のが>ほうしゅである。>あるひとの>せつに>よるとこれは>べーすぼーるの>れんしゅうであって、>けっして>せんとうじゅんびではない>そうだ。>わがはいは>べーすぼーるの>なに>ぶつ>たるを>ほぐせぬ>もんもう>かんである。>しかしきく>ところに>よればこれは>べいこくから>ゆにゅうさ>れた>ゆうぎで、>きょう>ちゅうがく>ていど>いじょうの>がっこうに>おこなわるる>うんどうの>うちで>もっとも>りゅうこうする>ものだ>そうだ。>べいこくは>とっぴな>ことばかり>かんがえだす>くにがらであるから、>ほう>たいと>まちがえても>しかるべき、>きんじょ>めいわくの>ゆうぎを>にっぽんじんに>きょう>うべ>くだけ>それだけしんせつであったかも>しれない。>またべいこく>じんは>これをもって>しんに>いっしゅの>うんどうゆうぎと>こころえている>のだろう。>しかしじゅんすいの>ゆうぎでも>かように>しりんを>おどろかすに>たる>のうりょくを>ゆうしている>いじょうは>つかい>ようで>ほうげきの>ようには>じゅうぶん>たつ。>わがはいの>めをもって>かんさつした>ところでは、>かれらは>このうんどうじゅつを>りようしてほうかの>こうを>おさめんと>くわだてつつあるとしか>おもわ>れない。>ものは>いい>ようで>どうでも>なる>ものだ。>じぜんの>なを>かりてさぎを>働>ら>き、>いんすぴれーしょんと>ごうしてぎゃくじょうを>うれし>がる>ものが>ある>いじょうは>べーすぼーる>なる>ゆうぎの>したに>せんそうを>なさんとも>かぎらない。>あるる>ひとの>せつめいは>せけん>いっぱんの>べーすぼーるの>ことであろう。>いま>わがはいが>きじゅつする>べーすぼーるは>このとくべつの>ばあいに>かぎらるる>べーすぼーる>すなわち>おさむ>しろ>てき>ほうじゅつである。>これからだむだむだんを>はっしゃする>ほうほうを>しょうかいする。>ちょくせんに>しか>れ>たる>ほう>れつの>なかの>いちにんが、>だむだむだんを>みぎの>てに>にぎってすりこぎの>しょゆうしゃに>ほうり>つける。>だむだむだんは>なにで>せいぞうしたか>きょくがい>しゃには>わからない。>かたい>まるい>いしの>だんごの>ような>ものを>ごてい>やすしに>かわで>くるんでぬい>あわせた>ものである。>まえ>もうす>とおり>このだんがんが>ほうしゅの>いちにんの>しゅちゅうを>はなれて、>かぜを>きってとんでいくと、>むこうに>たった>いちにんが>れいの>すりこぎを>やっと>ふりあげて、>これを>たたき>かえす。>たまには>たたき>そこなった>だんがんが>ながれてしまう>こともあるが、>たいがいは>ぽ>かんと>おおきなおとを>たててたまね>かえる。>そのぜいは>ひじょうに>もうれつな>ものである。>しんけい>せい>いじゃく>なる>しゅじんの>あたまを>つぶすくらいは>よういに>できる。>ほうしゅは>これだけで>ことたる>のだが、>そのしゅうい>ふきんには>わたる>つぎ>ば>けんえんぺいが>うんかのごとく>つきそうて>いる。>ぽ>かーんと>すりこぎが>だんごに>あたる>や>いな>やわ>ー、>ぱちぱち>ぱ>ちと、>わめく、>てを>はくつ、>やれやれと>いう。>あたったろうと>いう。>これでも>きかねえかと>いう。>おそれいらねえかと>いう。>こうさんかと>いう。>これだけなら>まだしもであるが、>たたき>かえさ>れた>だんがんは>さんどに>いちど>かならずがりょう>窟>てい>ないへ>ころがり>こむ。>これが>ころがり>こまなければこうげきの>もくてきは>たっせ>られん>のである。>だむだむだんは>きんらい>しょところで>せいぞうするがずいぶんこうかな>ものであるから、>いかに>せんそうでも>そうじゅうぶんな>きょうきゅうを>あおぐ>わけに>いかん。>たいてい>いちたいの>ほうしゅに>ひとつ>もしくはふたつの>わりである。>ぽ>んと>なる>たびに>このきちょうな>だんがんを>しょうひする>わけには>いかん。>そこでかれらは>たま>じつと>しょうする>いちぶ>たいを>もうけて落>だんを>ひろってくる。>おち>ばしょが>よければひろう>のに>ほねも>おれないが、>そうげんとか>ひとの>てい>ないへ>とびこむとそうたやすくは>もどってこない。>だからへいぜいなら>なるべくろうりょくを>さける>ため、>ひろい>やすい>ところへ>うちおとす>はずであるが、>このさいは>はんたいに>でる。>もくてきが>ゆうぎに>ある>のではない、>せんそうに>そんする>のだから、>わざと>だむだむだんを>しゅじんの>てい>ないに>ふら>せる。>てい>ないに>ふら>せる>いじょうは、>てい>ないへ>はいいってひろわなければならん。>てい>ないに>はいいる>もっとも>かんべんな>ほうほうは>よつめ>かきを>こえるに>ある。>よっつ>めがきの>うちで>そうどうすればしゅじんが>おこり>ださなければならん。>しからずんばかぶとを>ぬいでこうさんしなければならん。>くしんの>あまり>あたまが>だんだんはげてこなければならん。 >いま>しも>てき>ぐんから>うちだした>いちだんは、>しょうじゅんあやまたず、>よつめ>かきを>とおりこしてきりの>した>はを>ふるいおとして、>だいにの>じょうへき|>すなわちたけがきに>めいちゅうした。>ずいぶんおおきな>おとである。>にゅーとんの>うんどうりつ>だいいちに>いわく>もし>たの>ちからを>か>うるに>あらざれば、>いちど>び>うごきだし>たる>ぶったいは>きんいつの>そくどをもって>ちょくせんに>うごく>ものと>す。>もし>このりつのみに>よってぶったいの>うんどうが>しはいせらるるならばしゅじんの>あたまは>このときに>いすきらすと>うんめいを>おなじく>したであろう。>こうに>してにゅーとんは>だいいち>そくを>ていむると>どうじに>だいに>そくも>せいぞうしてくれたのでしゅじんの>あたまは>あやうき>うちに>いちめいを>とりとめた。>うんどうの>だいに>そくに>いわく>うんどうの>へんかは、>くわえ>られ>たる>りょくに>ひれいす、>しかして>そのちからの>はたらく>ちょくせんの>ほうこうにおいて>おこる>ものと>す。>これは>なにの>ことだか>すこしく>わかり>かねるが、>かのだむだむだんが>たけがきを>つきとおして、>しょうじを>さき>やぶってしゅじんの>あたまを>はかいしなかった>ところをもって>みると、>にゅーとんの>おかげに>そういない。>しばらくすると>あんのごとく>てきは>てい>ないに>のりこんできた>ものと>さとし>しく、「>ここか」「>もっと>ひだりの>ほうか」などと>ぼうで>もってささの>はを>たたき>まわり>わる>おとが>する。>すべて>てきが>しゅじんの>てい>ないへ>のりこんでだむだむだんを>ひろう>ばあいには>かならずとくべつな>おおきなこえを>だす。>こっそりはいいって、>こっそりひろっては>かんじんの>もくてきが>たっせ>られん。>だむだむだんは>きちょうかも>しれないが、>しゅじんに>からかう>のは>だむだむだん>いじょうに>だいじである。>このときのごときは>とおくから>たまの>しょざいちは>はんぜんしている。>たけがきに>あたった>おとも>しっている。>あたった>ばしょも>わかっている、>しかして>そのおちた>じめんも>こころえている。>だからおとなしく>してひろえば、>いくらでも>おとなしく>ひろえる。>らいぷにっつの>ていぎに>よるとくうかんは>でき>うべき>どう>ざいげんしょうの>ちつじょである。>いろはに>ほへとは>いつでも>おなじじゅんに>あらわれてくる。>やなぎの>したには>かならずどじょうが>いる。>こうもりに>ゆう>つきは>つきものである。>かきねに>ぼーるは>ふにあいかも>しれぬ。>しかしまいにち>まいにち>ぼーるを>ひとの>てい>ないに>ほうり>こむ>ものの>めに>えいずる>くうかんは>たしかに>このはいれつに>なれている。>いちがん>みればすぐわかる>わけだ。>それを>かくのごとく>さわぎ>たてる>のは>必>竟>ずるに>しゅじんに>せんそうを>いどむ>さくりゃくである。 >こうなっては>いかに>しょうきょく>まと>なる>しゅじんと>いえどもおうせんしなければならん。>さっきざしきの>うちから>りんりの>こうぎを>きいてにやにや>していた>しゅじんは>ふんぜんと>してたちあがった。>もうぜんと>して馳け>で>した。>驀>しかとして>てきの>いちにんを>なまとった。>しゅじんに>しては>だいできである。>だいできには>そういないが、>みると>じゅうよん>ごの>しょうともである。>ひげの>はえている>しゅじんの>てきとして>すこしふにあいだ。>けれどもしゅじんは>これで>たくさんだと>おもった>のだろう。>わびいる>のを>むりに>ひっぱって椽>がわの>まえまで>つれてきた。>ここに>ちょっとてきの>さくりゃくについて>いちげんする>ひつようが>ある、>てきは>しゅじんが>きのうの>けんまくを>みてこの>ようすでは>きょうも>かならずじしんで>しゅつばするに>そういないと>さっした。>そのとき>まんいちにげ>そんじてだいそうが>つら>まっては>こと>めんどうに>なる。>ここは>いちねんせいか>にねんせいくらいな>しょうともを>たま>ひろいに>やってきけんを>さけるに>こした>ことはない。>よし>しゅじんが>しょうともを>つら>まえてぐず>ぐず>りくつを>こね>まわしたって、>落>くも>かんの>めいよには>かんけいしない、>こんなものを>だいにんきも>なく>あいてに>する>しゅじんの>ちじょくに>なるばかりだ。>てきの>こうは>こうであった。>これが>ふつうの>にんげんの>こうで>しごく>もっともな>ところである。>ただてきは>あいてが>ふつうの>にんげんでないと>いう>ことを>かんじょうの>うちに>いれる>のを>わすれたばかりである。>しゅじんに>これくらいの>じょうしきが>あればきのうだって>とびだしは>しない。>ぎゃくじょうは>ふつうの>にんげんを、>ふつうの>にんげんの>ていど>いじょうに>つるしあげて、>じょうしきの>ある>ものに、>ひじょうしきを>あたえる>ものである。>おんなだの、>しょうともだの、>くるま>ひきだの、>まごだ>のと、>そんなみさかい>いの>ある>うちは、>まだぎゃくじょうをもって>ひとに>ほこるに>たらん。>しゅじんのごとく>あいてに>ならぬ>ちゅうがく>いちねんせいを>なまとってせんそうの>ひとじちと>するほどの>りょうけんでなくては>ぎゃくじょうかの>なかまいりは>できない>のである。>かわいそうな>のは>ほりょである。>たんに>じょうきゅうせいの>めいれいによって>たま>ひろい>なる>ぞうひょうの>やくを>つとめたる>ところ、>うん>わるく>ひじょうしきの>てき>しょう、>ぎゃくじょうの>てんさいに>おいつめ>られて、>かき>こえる>あいだも>あら>ばこそ、>ていぜんに>ひき>すえ>られた。>こうなるとてき>ぐんは>あんかんと>みかたの>ちじょくを>みている>わけに>いかない。>われも>われ>もと>よつめ>かきを>のり>こしてきどぐちから>にわ>ちゅうに>みだれ>はいる。>そのかずは>やくいち>だーすばかり、>ずらりと>しゅじんの>まえに>ならんだ。>たいていは>うわぎ>もち>ょ>っ>ぎも>つけておらん。>しろ>しゃつの>うでを>まくって、>うでぐみを>した>のが>ある。>めんねるの>あらいざらしを>もうしわけに>せなかだけ>へ>のせている>のが>ある。>そうかと>おもうとしろの>ほ>もめんに>くろい>えんを>とってむねの>まんなかに>はなもじを、>おなじいろに>ぬいつけた>しゃらく>しゃもある。>いずれも>いっきとうせんの>もうしょうと>みえて、>たんばの>くには>ささやまから>さくや>ちゃくし>だてで>ござると>いわぬ>ば>かりに、>くろく>たくましく>きんにくが>はったつしている。>ちゅうがくなどへ>いれてがくもんを>さ>せる>のは>おしい>ものだ。>りょうしか>せんどうに>したら>さだめし>こっかの>ために>なるだろうと>おもわ>れるくらいである。>かれらは>もうしあわせた>ごとく、>すあしに>ももひきを>たかく>まくって、>きんかの>て>でんにでも>いき>そうな>ふうていに>みえる。>かれらは>しゅじんの>まえに>ならんだ>ぎり>もくぜんと>してひとことも>はっしない。>しゅじんも>くちを>ひらかない。>しばらくの>あいだ>そうほう>とも|>にらめ>くらを>している>なかに>ちょっとさっきが>ある。「>きさま>とうはぬ>すっ>とうか」と>しゅじんは>じんもんした。>たいき※である。>おくばで>囓>み>つぶした>かんしゃくだまが>ほのおと>なってはなの>あなから>ぬける>ので、>こばなが、>いちじるしく>おこってみえる。>えちごじしの>はなは>にんげんが>おこった>ときの>かっこうを>かたち>どってつくった>ものであろう。>それでなくては>あんなにおそれ>しく>しゅつ>くる>ものではない。「>いえ>どろぼうではありません。>落>くも>かんの>せいとです」「>うそを>つけ。>落>くも>かんの>せいとが>むだんで>ひとの>にわ>たくに>しんにゅうする>やっこが>あるか」「>しかしこの>とおり>ちゃんと>がっこうの>きしょうの>ついている>ぼうしを>こうむっています」「>にせものだろう。>落>くも>かんの>せいとなら>なぜむやみに>しんにゅうした」「>ぼーるが>とびこんだ>ものですから」「>なぜぼーるを>とびこま>した」「>つい>とびこんだ>んです」「>あやしからん>やつだ」「>いご>ちゅういしますから、>こんどだけ>ゆるしてください」「>どこの>なにものか>わからん>やつが>かきを>こえててい>ないに>ちんにゅうする>のを、>そうたやすく>ゆるさ>れると>おもうか」「>それでも落>くも>かんの>せいとに>違>ない>んですから」「>落>くも>かんの>せいとなら>なんねんせいだ」「>さんねんせいです」「>きっと>そうか」「>ええ」 >しゅじんは>おくの>ほうを>かえりみながら、>おい>こら>こらと>いう。 >さいたま>うまれの>ご>さんが>ふすまを>あけて、>へえと>かおを>だす。「>落>くも>かんへ>おこなってだれか>つれてこい」「>だれを>つれてまいります」「>だれでも>いいから>つれてこい」 >げじょは「>へえ」と>こたえが、>あまりていぜんの>こうけいが>みょうな>のと、>しの>おもむきが>はんぜんしない>のと、>さっきからの>じけんの>はってんが>ばかばかしいので、>たちも>せず、>すわりも>せず>にやにや>わらっている。>しゅじんは>これでも>だいせんそうを>している>つもりである。>ぎゃくじょうてき>びんわんを>だいに>ふっている>つもりである。>しかる>ところ>じぶんの>めし>し>たる>とうぜんこっちの>かたを>もつべき>ものが、>まじめな>たいどをもって>ことに>のぞまん>のみか、>ようを>いいつける>のを>ききな>がら>にやにや>わらっている。>ますますのぼせざるを>えない。「>だれでも>かまわんからよんでこいと>いうのに、>わからんか。>こうちょうでも>かんじでも>きょうとうでも……」「>あのこうちょう>さんを……」>げじょは>こうちょうと>いう>ことばだけ>しか>しらない>のである。「>こうちょうでも、>かんじでも>きょうとうでもと>いっている>のに>わからんか」「>だれも>おりませんでしたら>こづかいでも>よろしゅうございますか」「>ばかを>いえ。>こづかいなどに>なにが>わかる>ものか」 >ここに>いたってげじょも>やむをえんと>こころえた>ものか、「>へえ」と>いってでていった。>しの>しゅいは>やはり>のみこめん>のである。>こづかいでも>ひっぱってらいはせんかと>しんぱいしていると、>あに>けいらんや>れいの>りんりの>せんせいが>おもてもんから>のりこんできた。>へいぜんと>ざに>つくを>まちうけた>しゅじんは>ただちに>だんぱんに>とりかかる。「>ただいま>てい>ないに>このものどもが>らんにゅういたして……」と>ちゅうしんぐらの>ような>こふうな>ことばを>つかったが「>ほんとうに>ごこうの>せいとでしょうか」と>しょうしょうひにくに>ごびを>きった。 >りんりの>せんせいは>べつだんおどろいた>ようすも>なく、>へいきで>ていぜんに>ならんでいる>ゆうしを>ひととおり>み>まわり>わ>した>うえ、>もとのごとく>ひとみを>しゅじんの>ほうに>かえして、>したのごとく>こたえた。「>さよう>みんな>がっこうの>せいとであります。>こんなことの>ない>ように>しじゅうくんかいを>くわえておきますが……>どうも>こまった>もので……>なぜきみ>とうは>かきなどを>のりこす>のか」 >さすがに>せいとは>せいとで>ある、>りんりの>せんせいに>むかっては>ひとことも>ないと>みえてなんとも>いう>ものはない。>おとなしく>にわの>すみに>かたまってひつじの>ぐんが>ゆきに>あった>ように>ひかえている。「>まるが>はいいる>のも>しかたが>ないでしょう。>こうしてがっこうの>となりに>すんでいる>いじょうは、>ときどきは>ぼーるも>とんできましょう。>しかし……>あまりらんぼうですからな。>たとえ>かきを>のりこえるに>しても>しれない>ない>ように、>そっと>ひろっていくなら、>まだかんべんの>しようも>ありますが……」「>ごもっともで、>よく>ちゅういは>いたしますが>なんふん|>たにんずうの>ことで……>よく>これからちゅういを>せんと>いかんぜ。>もし>ぼーるが>とんだら>ひょうから>めぐって、>ごことわりを>してとらなければいかん。>いいか。――>ひろい>がっこうの>ことですからどうも>せわばかり>やけてしかたが>ないです。>でうんどうは>きょういくじょう>ひつような>ものでありますから、>どうも>これを>きんずる>わけには>まいり>かねるので。>これを>ゆるすとつい>ごめいわくに>なる>ような>ことが>できますが、>これは>ぜひ>ごようしゃを>ねがいたいと>おもいます。>そのかわり>こうごは>きっと>おもてもんから>めぐっておことわりを>いたした>うえで>とら>せますから」「>いや、>そうことが>わかればよろしいです。>たまは>いくら>ごなげに>なっても>さしつかえはないです。>ひょうから>きてちょっとことわってくださればかまいません。>ではこの>せいとは>あなたに>ごひきわたし>もうしますか>ら>おつれかえりを>ねがいます。>いや>わざわざごよびたて>もうしてきょうしゅくです」と>しゅじんは>れいによって>れいのごとく>りゅうとうだびの>あいさつを>する。>りんりの>せんせいは>たんばの>ささやまを>つれておもてもんから>落>くも>かんへ>ひきあげる。>わがはいの>いわゆるだいじけんは>これで>いちと>まず>らくちゃくを>つげた。>なにの>それが>だいじけんかと>わらうなら、>わらうがいい。>そんなひとには>だいじけんでないまでだ。>わがはいは>しゅじんの>だいじけんを>うつした>ので、>そんなひとの>だいじけんを>しるした>のではない。>しりが>きれてきょうどの>すえ>ぜいだなどと>わるぐち>する>ものが>あるなら、>これが>しゅじんの>とくしょくである>ことを>きおくしてもらいたい。>しゅじんが>こっけい>ぶんの>ざいりょうに>なる>のも>またこの>とくしょくに>そんする>ことを>きおくしてもらいたい。>じゅうよん>ごの>しょうともを>あいてに>する>のは>ばかだと>いうなら>わがはいも>ばかに>そういないと>どういする。>だからおおまち>けいげつは>しゅじんを>つら>まえていまだ>ちきを>めんがれずと>いうて>いる。 >わがはいは>すでに>しょうじけんを>じょし>りょうり、>いま>まただいじけんを>のべ>りょう>ったから、>これより>だいじけんの>あとに>おこる>よ>瀾を>えがき>で>だして、>ぜん>へんの>むすびを>つける>つもりである。>すべて>わがはいの>かく>ことは、>くちから>でまかせの>いいかげんと>おもう>どくしゃもあるかも>しれないがけっして>そんなけいそつな>ねこではない。>いちじ>いっくの>うらに>うちゅうの>いちだい>てつりを>ほうがんするは>むろんの>こと、>その>いちじ>いっくが>そう々>れんぞくすると>しゅび>しょう>おうじ>ぜんご>しょう>てらして、>瑣>だん>繊>はなしと>おもってうっかりと>よんでいた>ものが>忽>しか>ひょうへんしてよういならざる>ほうごと>なる>んだから、>けっして>ねころんだり、>あしを>だしてごぎょう>ごとに>いちどに>よむ>のだなどと>いう>ぶれいを>えんじては>いけない。>やなぎ>たかし>もとは>かん>しさ>これの>ぶんを>よむ>ごとに>ばらの>みずで>てを>きよめたと>いうくらいだから、>わがはいの>ぶんにたいしても>せめて>じばらで>ざっしを>かってきて、>ゆうじんの>ごあまりを>かりてあいだに>あわすと>いう>ふしまつだけはない>ことに>いたしたい。>これからのべる>のは、>わがはい|>みずから>よ>瀾と>ごうする>のだけれど、>よ>瀾なら>どうせ>つま>らんに>きょくって>いる、>よまんでも>よかろうなどと>おもうと>とんだ>こうかいを>する。>ぜひ>しまいまで>せいどくしなくては>いかん。 >だいじけんの>あった>よくじつ、>わがはいは>ちょっとさんぽが>したく>なったからひょうへ>でた。>するとむこう>よこちょうへ>まがろうと>いう>かくで>かねでんの>だんなと>すずきの>ふじ>さんが>しきりに>たちながらはなしを>している。>かねだ>くんは>くるまで>じたくへ>かえる>ところ、>すずき>くんは>かねだ>くんの>るすを>ほうもんしてひきかえす>とちゅうで>りょうにんが>ばったりと>であった>のである。>きんらいは>かねでんの>てい>ないも>ちんらしく>なくなったから、>めったに>あちらの>ほうがくへは>あしが>むかなかったが、>こうごめに>かかってみると、>なんとなく>ごなつかしい。>すずきにも>ひさびさだからよそながらはいがんの>えいを>えておこう。>こうけっしんしてのそのそ>ごりょうくんの>ちょりつしておらるる>そば>ちかく>あゆみよってみると、>しぜん>りょうくんの>だんわが>みみに>はいる。>これは>わがはいの>つみではない。>せんぽうが>はなしている>のが>わるい>のだ。>かねだ>くんは>たんていさえ>つけてしゅじんの>どうせいを>窺が>うく>らいの>ていどの>りょうしんを>ゆうしている>おとこだから、>わがはいが>ぐうぜん>きみの>だんわを>はいちょうしたって>おこらるる>き>やはあるまい。>もし>おこら>れたら>きみは>こうへいと>いう>いみを>ごしょうちない>のである。>とにかく>わがはいは>りょうくんの>だんわを>きいた>のである。>ききたくてきいた>のではない。>ききたくも>ない>のに>だんわの>ほうで>わがはいの>みみの>なかへ>とびこんできた>のである。「>ただいま>ごたくへ>うかがいました>ところで、>ちょうど>よい>ところで>ごめに>かかりました」と>ふじ>さんは>てい>やすしに>あたまを>ぴ>ょ>こ>つか>せる。「>うむ、>そうか>え。>じつはこないだから、>きみに>ちょっとあいたいと>おもっていたがね。>それは>よかった」「>へえ、>それは>こうつごうでございました。>なにか>ごようで」「>いやなに、>たいしたことでもない>の>さ。>どうでも>いい>んだが、>きみでないと>できない>ことな>んだ」「>わたしに>できる>ことなら>なにでも>やりましょう。>どんなことで」「>ええ、>そう……」と>かんがえている。「>なになら、>ごつごうの>とき>でなおしてうかがいましょう。>いつが>むべ>しゅう、>ございますか」「>なあに、>そんなたいした>ことじゃない>の>さ。――>それじゃせっかくだからたのもうか」「>どうか>ごえんりょなく……」「>あのへんじんね。>そら>きみの>きゅうゆう>さ。>く>さやとか>なんとか>いうじゃないか」「>え>え>く>さやが>どうか>しましたか」「>いえ、>どうも>せんがね。>あのじけん>いらい|>むなくそが>わるくってね」「>ごもっともで、>まったくく>さやは>ごう>慢ですから……>すこしは>じぶんの>しゃかい>じょうの>ちいを>かんがえているといい>のですけれども、>まるで>ひとりでんかですから」「>そこさ。>きんに>あたまは>さげん、>じつぎょう>か>なんぞ――とか>なんとか、>いろいろこなまいきな>ことを>いうから、>そんなら>じつぎょう>かの>うでまえを>みせてやろう、と>おもってね。>こないだから>だいぶ>よわら>している>んだが、>やっぱり>がんばっている>んだ。>どうも>つよし>じょうな>やっこだ。>おどろき>ろ>いたよ」「>どうも>そんとくと>いう>かんねんの>とぼしい>やつですからむ>あんに>やせがまんを>はる>んでしょう。>むかしから>ああいう>くせの>ある>おとこで、>つまりじぶんの>そんに>なる>ことに>きがつかない>んですからどしがたいです」「>あは>はは>ほんとに>どしがたい。>いろいろてを>えき>え>しなを>えき>えてやってみる>んだがね。>とうとう>しまいにがっこうの>せいとに>やらした」「>そいつは>みょうあんですな。>ききめが>ございましたか」「>これにゃ>あ、>やつも>だいぶ>こまった>ようだ。>もう>とおからず>らくじょうするに>きょくって>いる」「>そりゃけっこうです。>いくら>いばっても>たぜいに>ぶぜいですからな」「>そうさ、>いちにん>じゃあ>しかたがねえ。>それでだいぶ>よわった>ようだが、>まあ>どんなようすか>きみに>いってみてきてもらおうと>いう>の>さ」「>はあ、>そうですか。>なに>やくは>ありません。>すぐいってみましょう。>ようすは>かえりがけに>ごほうちを>いたす>ことに>して。>おもしろいでしょう、>あのがんこな>のが>いき>しょうちんしている>ところは、>きっと>けんぶつですよ」「>ああ、>それじゃかえりに>ごより、>まっているから」「>それではごめん>こうむります」 >おや>こんども>またこんたんだ、>なるほど>じつぎょう>かの>せいりょくは>えらい>ものだ、>せきたんの>燃>からの>ような>しゅじんを>ぎゃくじょうさ>せる>のも、>くもんの>けっか>しゅじんの>あたまが>はえ>すべりの>なんしょと>なる>のも、>そのあたまが>いすきらすと>どうようの>うんめいに>おちいる>のも>かいじつぎょう>かの>せいりょくである。>ちきゅうが>ちじくを>かいてんする>のは>なにの>さようか>わからないが、>よのなかを>うごかす>ものは>たしかに>きんである。>このきんの>くりきを>こころえて、>このきんの>いこうを>じゆうに>はっきする>ものは>じつぎょう>か>しょくんを>おいてほかに>いちにんも>ない。>たいようが>ぶじに>ひがしから>でて、>ぶじに>にしへ>はいる>のも>まったくじつぎょう>かの>おかげである。>いままでは>わからず>やの>きゅうそだいの>いえに>よう>なわ>れてじつぎょう>かの>ごりやくを>しらなかった>のは、>われながらふかくである。>それにしてもめい頑>ふれいの>しゅじんも>こんどは>すこしさとらず>ば>なるまい。>これでも>めい頑>ふれいで>おしとおす>りょうけんだと>あぶない。>しゅじんの>もっとも>きちょう>する>いのちが>あぶない。>かれは>すずき>くんに>あってどんな>あいさつを>する>のか>しらん。>そのもようで>かれの>さとり>ぐあいも>じから>ふんみょうに>なる。>ぐず>ぐず>してはおら>れん、>ねこだって>しゅじんの>ことだからだいに>しんぱいに>なる。>そうそうすずき>くんを>すりぬけてごさきへ>きたくする。 >すずき>くんは>あいかわらず>ちょうしの>いい>おとこである。>きょうは>かねでんの>ことなどは>おくびにも>ださない、>しきりに>あたりさわりの>ない>せけん>はなしを>おもしろ>そうに>している。「>きみ>すこしかおいろが>わるい>ようだぜ、>どうか>し>やせんか」「>べつに>どこも>なんとも>ないさ」「>でもあおいぜ、>ようじんせんと>いかんよ。>じこうが>わるいからね。>よるは>あんみんが>できるかね」「>うん」「>なにか>しんぱいでも>ありゃ>しないか、>ぼくに>できる>ことなら>なんでもするぜ。>えんりょなく>いい>たまえ」「>しんぱいって、>なにを?」「>いえ、>なければいいが、>もし>あればと>いう>こと>さ。>しんぱいが>いちばん>どくだからな。>よのなかは>わらっておもしろく>くらす>のが>えだよ。>どうも>きみは>あまりいんき>すぎる>ようだ」「>わらう>のも>どくだからな。>む>あんに>わらうと>しぬ>ことが>あるぜ」「>じょうだん>いっちゃいけない。>わらう>もんには>ふく|>きたるさ」「>むかし>し>まれ>臘に>くりしっぱすと>いう>てつがく>しゃが>あったが、>きみは>しるまい」「>しらない。>それが>どうした>の>さ」「>そのおとこが>わらい>すぎてしんだ>んだ」「>へえー、>そいつは>ふしぎだね、>しかしそりゃむかしの>ことだから……」「>むかし>しだって>いまだって>かわりが>ある>ものか。>ろばが>ぎんの>どんぶりから>いちじくを>くう>のを>みて、>おかしくってたまらなくってむ>あんに>わらった>んだ。>ところがどうしても>わらいが>とまらない。>とうとう>わらい>しにに>しんだ>んだ>あね」「は>はは>しかしそんなに>とめ>ども>なく>わらわなくっても>いいさ。>すこしわらう――>てきぎに、――>そうするといい>こころもちだ」 >すずき>くんが>しきりに>しゅじんの>どうせいを>けんきゅうしていると、>ひょうの>もんが>がらがらと>あく、>きゃくらいかと>おもうとそうでない。「>ちょっとぼーるが>はいいりましたから、>とら>してください」 >げじょは>だいどころから「>はい」と>こたえる。>しょせいは>うらてへ>めぐる。>すずきは>みょうな>かおを>してなんだ>いと>きく。「>うらの>しょせいが>ぼーるを>にわへ>なげこんだ>んだ」「>うらの>しょせい? >うらに>しょせいが>いる>のか>い」「>落>くも>かんと>いう>がっこう>さ」「>ああ>そうか、>がっこうか。>ずいぶんそうぞうしいだろうね」「>そうぞうしい>の>なに>のって。>ろくろく>べんきょうも>でき>やしない。>ぼくが>もんぶ>だいじんなら>さっそくへいさを>めいじてやる」「>ははは>だいぶ>おこったね。>なにか>しゃくに>さわる>ことでも>ある>のか>い」「>ある>の>ない>のって、>あさから>ばんまで>しゃくに>さわり>つづけだ」「>そんなに>しゃくに>さわるなら>こせばいいじゃないか」「>だれが>こす>もんか、>しっけい>せんばんな」「>ぼくに>おこったって>しかたが>ない。>なあに>しょうともだ>あね、>だ>ちゃっておけばいいさ」「>きみは>よかろうがぼくは>よくない。>きのうは>きょうしを>よびつけてだんぱんしてやった」「>それは>おもしろかったね。>おそれいったろう」「>うん」 >このとき>またかどぐちを>あけて「>ちょっとぼーるが>はいいりましたからとら>してください」と>いう>こえが>する。「>いやだいぶ>きたるじゃないか、>またぼーるだぜ>くん」「>うん、>ひょうから>くる>ように>けいやくした>んだ」「>なるほど>それであんなにくるんだね。>そうーか、>わかった」「>なにが>わかった>ん>だい」「>なに、>ぼーるを>とりに>くる>みなもと>いんがさ」「>きょうは>これで>じゅうろく>かえ>めだ」「>きみ>うるさくないか。>こない>ように>したら>いいじゃないか」「>こない>ように>する>ったって、>くるからしかたが>ないさ」「>しかたが>ないと>いえばそれまでだが、>そうがんこに>していないでも>よかろう。>にんげんは>かくが>あるとよのなかを>ころがっていく>のが>ほねが>おれてそんだよ。>まるい>ものは>ごろごろ>どこへでも>く>なしに>いけるがしかくな>ものは>ころがるに>ほねが>おれるばかりじゃない、>ころがる>たびに>かくが>すれていたい>ものだ。>どうせ>じぶん>いちにんの>よのなかじゃ>なし、>そうじぶんの>おもう>ように>ひとは>ならない>さ。>まあ>なんだね。>どうしても>きんの>ある>ものに、>たてを>ついちゃそんだね。>ただしんけいばかり>いためて、>からだは>わるく>なる、>ひとは>ほめてくれず。>むこうは>へいきな>もの>さ。>すわってひとを>つかいさえ>すればすむ>んだから。>たぜいに>ぶぜい>どうせ、>かなわない>のは>しれているさ。>がんこも>いいが、>たてとおす>つもりで>いる>うちに、>じぶんの>べんきょうに>さわったり、>まいにちの>ぎょうむに>はんを>およぼしたり、>とどのつまりが>ほねおりぞんの>くさ>が>もうけだからね」「>ごめん>なさい。>いま>ちょっとぼーるが>とびましたから、>うらぐちへ>めぐって、>とっても>いいですか」「>そら>またきたぜ」と>すずき>くんは>わらっている。「>しっけいな」と>しゅじんは>まっかに>なっている。 >すずき>くんは>もう>たいがい>ほうもんの>いを>はたしたと>おもったから、>それじゃしっけい>ちと>きた>ま>えと>かえっていく。 >いれ>かわってやってきた>のが>あまぎ>せんせいである。>ぎゃくじょうかが>じぶんで>ぎゃくじょうかだと>なのる>ものは>むかし>しから>れいが>すくない、>これは>しょうしょうへんだなと>さとった>ときは>ぎゃくじょうの>とうげは>もう>こしている。>しゅじんの>ぎゃくじょうは>きのうの>だいじけんの>さいに>さいこう>どに>たっした>のであるが、>だんぱんも>りゅうとうだび>たるに>かからず、>どうかこうか>しまつが>ついたのでその>ばん>しょさいで>つくづく>かんがえてみるとすこしへんだと>きがついた。>もっとも>落>くも>かんが>へんな>のか、>じぶんが>へんな>のか>うたぐを>そんする>よちは>じゅうぶん>あるが、>なにしろ>へんに>違>ない。>いくら>ちゅうがっこうの>となりに>いを>かまえたって、>かくのごとく>としが>ねんじゅう|>かんしゃくを>おこし>つづけは>ちと>へんだと>きがついた。>へんであってみればどうか>しなければならん。>どうする>ったって>しかたが>ない、>やはり>いしゃの>くすりでも>のんできも>しゃくの>みなもとに>わいろでも>つかっていぶするより>ほかに>みちはない。>こうさとったから>ひろ>かかりつけの>あまぎ>せんせいを>むかえてしんさつを>うけてみようと>いう>りょう>みを>おこした>のである。>けんか>おろか、>そのへんは>べつ>もんだいとして、>とにかく>じぶんの>ぎゃくじょうに>きがついただけは>しゅしょうの>こころざし、>きとくの>こころえと>いわなければならん。>あまぎ>せんせいは>れいのごとく>にこにこと>おちつき>はらって、「>どうです」と>いう。>いしゃは>たいてい>どうですというに>きわまっ>てる。>わがはいは「>どうです」と>いわない>いしゃは>どうも>しんようを>おく>きに>ならん。「>せんせい>どうも>だめですよ」「>え、>なに>そんなことが>ある>ものですか」「>いったい>いしゃの>くすりは>きく>ものでしょうか」 >あまぎ>せんせいも>おどろき>ろ>いたが、>そこは>おんこうの>ちょうじゃだから、>べつだんげきした>ようすも>なく、「>きかん>ことも>ないです」と>穏かに>こたえた。「>わたしの>いびょうなんか、>いくら>くすりを>のんでも>おなじことですぜ」「>けっして、>そんなことはない」「>ないですかな。>すこしは>よく>なりますかな」と>じぶんの>いの>ことを>ひとに>きいてみる。「>そうきゅうには、>癒りません、>だんだんききます。>いまでも>もとより>だいぶ>よく>なっています」「>そうですかな」「>やはり>きも>しゃくが>おこりますか」「>おこりますとも、>ゆめにまで>かんしゃくを>おこします」「>うんどうでも、>すこしなさったら>いいでしょう」「>うんどうすると、>なお>きも>しゃくが>おこります」 >あまぎ>せんせいも>あきれかえった>ものと>みえて、「>どれ>ひとつ>はいけんしましょうか」と>しんさつを>はじめる。>しんさつを>おわる>のを>まちかねた>しゅじんは、>とつぜんおおきな>こえを>だして、「>せんせい、>せんだって>さいみん>じゅつの>かいてある>ほんを>よんだら、>さいみん>じゅつを>おうようしててくせの>わるい>んだの、>いろいろな>びょうきだ>のを>なおす>ことが>できると>かいてあったですが、>ほんとうでしょうか」と>きく。「>ええ、>そういう>りょうほうも>あります」「>いまでも>やる>んですか」「>ええ」「>さいみん>じゅつを>かける>のは>むずかしい>ものでしょうか」「>なに>やくは>ありません、>わたしな>ども>よく>かけます」「>せんせいも>やる>んですか」「>ええ、>ひとつ>やってみましょうか。>だれでも>かからなければならん>りくつの>ものです。>あなたさえ>よければかけてみましょう」「>そいつは>おもしろい、>ひとつ>かけてください。>わたしも>とうから>かかってみたいと>おもった>んです。>しかしかかり>きりで>めが>さめないと>こまるな」「>なに>だいじょうぶです。>それじゃやりましょう」 >そうだんは>たちまちいっけつして、>しゅじんは>いよいよ>さいみん>じゅつを>かけ>ら>るる>ことと>なった。>わがはいは>いままで>こんなことを>みた>ことが>ないからこころ>ひそかに>よろこんでその>けっかを>ざしきの>すみから>はいけんする。>せんせいは>まず、>しゅじんの>めから>かけ>はじめた。>そのほうほうを>みていると、>りょうめの>うえ>まぶたを>うえから>したへと>なでて、>しゅじんが>すでに>めを>ねむっているにも>かからず、>しきりに>おなじほうこうへ>くせを>つけた>がっている。>しばらくすると>せんせいは>しゅじんに>むかって「>こうやって、>まぶたを>なでていると、>だんだんめが>おもたく>なるでしょう」と>きいた。>しゅじんは「>なるほど>おもく>なります>な」と>こたえる。>せんせいは>なお>おなじように>なで>おろし、>なで>おろし「>だんだんおもく>なりますよ、>ようござん>すか」と>いう。>しゅじんも>そのきに>なった>ものか、>なんとも>いわずに>だまっている。>おなじまさつほうは>また>さんよん>ふんくりかえさ>れる。>さいごに>あまぎ>せんせいは「>さあもう>ひらきませんぜ」と>いわ>れた。>かわいそうに>しゅじんの>めは>とうとう>つぶれてしまった。「>もう>ひらかん>のですか」「>え>え>もう>あきません」>しゅじんは>もくぜんと>してめを>ねむっている。>わがはいは>しゅじんが>もう>もうもくに>なった>ものと>おもいこんでしまった。>しばらくしてせんせいは「>あけるなら>ひらいてごらん>なさい。>とうてい>あけないから」と>いわ>れる。「>そうですか」と>いうがはやいか>しゅじんは>ふつうの>とおり>りょうめを>ひらいていた。>しゅじんは>にやにや>わらいながら「>かかりませんな」と>いうとあまぎ>せんせいも>おなじく>わらいながら「>ええ、>かかりません」と>いう。>さいみん>じゅつは>ついに>ふせいこうに>りょうる。>あまぎ>せんせいも>かえる。 >そのつぎに>きた>のが――>しゅじんの>うち>へ>このくらい>きゃくの>きた>ことはない。>こうさいの>すくない>しゅじんの>いえに>しては>まるで>うその>ようである。>しか>し>きたに>そういない。>しかもちんきゃくが>きた。>わがはいが>このちんきゃくの>ことを>いちげんでも>きじゅつする>のは>たんに>ちんきゃくであるがためではない。>わがはいは>せんこく>もうす>とおり>だいじけんの>よ瀾を>えがきつつある。>しかして>このちんきゃくは>このよ>瀾を>えがくに>かたって>いっすべからざる>ざいりょうである。>なにと>いう>なまえか>しらん、>ただかおの>ながい>うえに、>やぎの>ような>ひげを>はやしている>よんじゅう>ぜんごの>おとこと>いえばよかろう。>迷>ていの>びがく>しゃ>たるにたいして、>わがはいは>このおとこを>てつがく>しゃと>よぶ>つもりである。>なぜてつがく>しゃと>いうと、>なにも>迷>ていの>ように>じぶんで>ふり>ちらすからではない、>ただしゅじんと>たいわする>ときの>ようすを>はいけんしていると>いかにも>てつがく>しゃらしく>おもわ>れるからである。>これも>むかし>しの>どうそうと>みえてりょうにん>とも>おうたいふりは>しごく>うちとけた>ありさまだ。「>うん>迷>ていか、>あれは>いけに>うい>てる>きんぎょ>ふすまの>ように>ふわふわしているね。>せんだって>ゆうじんを>つれていちめんしきも>ない>かぞくの>もんぜんを>つうこうした>とき、>ちょっとよってちゃでも>のんでいこうと>いってひっぱり>こんだ>そうだがずいぶん|>のんきだね」「>それでどうしたい」「>どうしたか>きいても>みなかったが、――>そうさ、>まあ>てんぴんの>きじんだろう、>そのかわり>こうも>なにもない>まったくきんぎょ>ふすまだ。>すずきか、――>あれが>くる>のか>い、>へえー、>あれは>りくつは>わからんがせけん>てきには>りこうな>おとこだ。>きむ>とけいは>さげ>られる>たちだ。>しかしおくゆきが>ないからおちつきが>なくってだめだ。>えんかつ>えんかつと>いうが、>えんかつの>いみも>なにも>わかりは>せんよ。>迷>ていが>きんぎょ>ふすまなら>あれは>わらで>くくった>こんにゃくだね。>ただわるく>すべかで>ぶるぶる>ふ>えているばかりだ」 >しゅじんは>このきけいな>ひゆを>きいて、>だいに>かんしんした>ものらしく、>ひさしぶりで>はははと>わらった。「>そんなら>きみは>なに>だい」「>ぼくか、>そうさな>ぼくな>んかは――>まあ>じねんじょくらいな>ところだろう。>ながく>なってどろの>なかに>うまっ>てるさ」「>きみは>しじゅうたいぜんとして>きらくな>ようだが、>うらやましいな」「>なに>ふつうの>にんげんと>おなじように>している>ばかりさ。>べつに>うらやま>れるに>たるほどの>ことも>ない。>ただありがたい>ことに>ひとを>うらやむ>きも>おこらんから、>それだけいいね」「>かいけいは>ちかごろ>ゆたかかね」「>なに>おなじこと>さ。>たる>や>たらずさ。>しかしくうているからだいじょうぶ。>おどろかないよ」「>ぼくは>ふゆかいで、>きも>しゃくが>たってたまらん。>どっちを>むいても>ふへいばかりだ」「>ふへいも>いいさ。>ふへいが>たったら>おこしてしまえばとうぶんは>いい>こころもちに>なれる。>にんげんは>いろいろだから、>そうじぶんの>ように>ひとにも>なれと>すすめたって、>なれる>ものではない。>はしは>ひとと>おなじように>もたんと>めしが>くい>にくいが、>じぶんの>めん>麭は>じぶんの>かってに>きる>のが>いちばん>つごうが>いい>ようだ。>じょうずな>したて>やで>きものを>こしらえれば、>き>たてから、>からだに>あった>のを>もってくるが、>へたの>さいほうやに>あつらえたら>とうぶんは>がまんしないと>だめ>さ。>しかしよのなかは>うまく>した>もので、>きている>うちには>ようふくの>ほうで、>こちらの>こっかくに>あわしてくれるから。>いまの>よに>あう>ように>じょうとうな>りょうしんが>てぎわ>よく>うんでくれれば、>それが>こうふくな>の>さ。>しかしでき>そん>こ>なったら>よのなかに>あわないでがまんするか、>またはよのなかで>あわせるまで>しんぼうするより>ほかに>みちはなかろう」「>しかしぼくな>んか、>いつまで>たっても>あい>そうに>ないぜ、>こころぼそいね」「>あまりあわない>せびろを>むりに>きると>ほころびる。>けんかを>したり、>じさつを>したり>そうどうが>おこる>んだね。>しかしきみな>んか>ただおもしろくないと>いうだけで>じさつは>むろん>し>やせず、>けんかだって>やった>ことはあるまい。>まあまあ>いい>ほうだよ」「>ところがまいにち>けんかばかり>しているさ。>あいてが>でてこなくっても>おこっておればけんかだろう」「>なるほど>いちにん>けんかだ。>おもしろいや、>いくらでも>やるがいい」「>それが>いやに>なった」「>そんなら>よすさ」「>きみの>まえだがじぶんの>こころが>そんなに>じゆうに>なる>ものじゃない」「>まあ>ぜんたい>なにが>そんなに>ふへいな>ん>だい」 >しゅじんは>ここにおいて>落>くも>かん>じけんを>はじめとして、>いまど>しょうの>たぬきから、>ぴ>ん>すけ、>きしゃご>そのほか>あらゆるふへいを>あげてとうとうと>てつがく>しゃの>まえに>のべ>たてた。>てつがく>しゃ>せんせいは>だまってきいていたが、>ようやく>くちを>ひらいて、>かように>しゅじんに>とき>だした。「>ぴ>ん>すけや>きしゃごが>なにを>いったって>しらんかおを>しておればいいじゃないか。>どうせ>くだらん>のだから。>ちゅうがくの>せいとなんか>かまう>かちが>ある>ものか。>なに>ぼうがいに>なる。>だってだんぱんしても、>けんかを>しても>そのぼうがいは>とれん>のじゃないか。>ぼくは>そういう>てんに>なるとせいよう>じんより>むかし>しの>にっぽんじんの>ほうが>よほど>えらいと>おもう。>せいよう>じんの>やりかたは>せっきょく>てき>せっきょく>てきと>いってちかごろ|>おおいた>はやるが、>あれは>だいなる>けってんを>もっているよ。>だいいち>せっきょく>てきと>いったって>さいげんが>ない>はなししだ。>いつまで>せっきょく>てきに>やり>とおしたって、>まんぞくと>いう>いきとか>かんぜんと>いう>さかいに>いける>ものじゃない。>むこうに>ひのきが>あるだろう。>あれが>めざわりに>なるからとりはらう。>と>そのむこうの>げしゅくやが>またじゃまに>なる。>げしゅくやを>たいきょさ>せると、>そのつぎの>いえが>しゃくに>さわる。>どこまで>いっても>さいげんの>ない>はなしし>さ。>せいよう>じんの>やりくちは>みんな>これさ。>なぽれおんでも、>あれきさんだーでも>かってまんぞくした>ものは>いちにんも>ない>んだよ。>ひとが>きに>くわん、>けんかを>する、>せんぽうが>へいこうしない、>ほう>にわへ>うったえる、>ほう>にわで>かつ、>それで>らくちゃくと>おもう>のは>あいだ>違さ。>こころの>らくちゃくは>しぬまで>あせったって>かたづく>ことが>ある>ものか。>寡>じん>せいじが>いかんから、>だいぎせいたいに>する。>だいぎせいたいが>いかんから、>またなにかに>したく>なる。>かわが>なまいきだって>はしを>かける、>やまが>きに>くわんと>いって隧>どうを>ほりる。>こうつうが>めんどうだと>いっててつどうを>しく。>それで>えいきゅう>まんぞくが>できる>ものじゃない。>さればと>いってにんげんだ>もの>どこまで>せっきょく>てきに>がいを>とおす>ことが>できる>ものか。>せいようの>ぶんめいは>せっきょく>てき、>しんしゅ>てきかも>しれないがつまりふまんぞくで>いっしょうを>くらす>ひとの>つくった>ぶんめい>さ。>にっぽんの>ぶんめいは>じぶん>いがいの>じょうたいを>へんかさ>せてまんぞくを>もとめる>のじゃない。>せいようと>だいに>ちがう>ところは、>こんぽん>てきに>しゅういの>きょうぐうは>うごかすべからざる>ものと>いう>いちだい>かていの>したに>はったつしている>のだ。>おやこの>かんけいが>おもしろくないと>いっておう>しゅう>じんの>ように>このかんけいを>かいりょうしておちつきを>とろうと>する>のではない。>おやこの>かんけいは>ざいらいの>ままで>とうてい>うごかす>ことが>できん>ものとして、>そのかんけいの>したに>あんしんを>もとむる>しゅだんを>こう>ずるに>ある。>ふうふ>くんしんの>あいだがらも>そのとおり、>ぶし>まち>じんの>くべつも>そのとおり、>しぜん>そのものを>みる>のも>そのとおり。――>やまが>あってりんごくへ>いか>れなければ、>やまを>くずすと>いう>こうを>おこす>かわりに>りんごくへ>いかんでも>こまらないと>いう>くふうを>する。>やまを>こさなくともまんぞくだと>いう>こころもちを>ようせいする>のだ。>それだからきみ>み>たまえ。>ぜんけでも>じゅかでも>きっと>こんぽん>てきに>このもんだいを>つら>まえる。>いくら>じぶんが>えらくても>よのなかは>とうてい>いのごとくなる>ものではない、>らくじつを>かい>ら>すことも、>かもがわを>ぎゃくに>ながす>ことも>できない。>ただできる>ものは>じぶんの>こころだけだからね。>こころ>さえ>じゆうに>する>しゅうぎょうを>したら、>落>くも>かんの>せいとが>いくら>さわいでも>へいきな>ものではないか、>いまど>しょうの>たぬきでも>かまわんでおら>れ>そうな>ものだ。>ぴ>ん>すけなんか>ぐな>ことを>いったら>このばか>やろうと>すましておればしさい>なかろう。>なにでも>むかし>しの>ぼうずは>ひとに>きり>つけ>られた>とき|>でんこう>かげ>うらに>しゅんぷうを>きるとか、>なんとか>しゃれた>ことを>いったと>いう>はなしだぜ。>こころの>しゅうぎょうが>つんで>しょうきょくの>きょくに>たっすると>こんなれい>かつな>さようが>できる>のじゃないか>しらん。>ぼくな>んか、>そんなむずかしい>ことは>わからないが、>とにかく>せいよう>ひと>ふうの>せっきょく>しゅぎばかりが>いいと>おもう>のは>しょうしょうあやま>まっている>ようだ。>げんに>きみが>いくら>せっきょく>しゅぎに>はたらいたって、>せいとが>きみを>ひやかしに>くる>のを>どうする>ことも>できないじゃないか。>きみの>けんりょくで>あのがっこうを>へいさするか、>またはせんぽうが>けいさつに>うったえるだけの>わるい>ことを>やればかくべつだが、>さも>ない>いじょうは、>どんなに>せっきょく>てきに>で>たったて>かち>てっ>こないよ。>もし>せっきょく>てきに>でると>すればきんの>もんだいに>なる。>たぜいに>ぶぜいの>もんだいに>なる。>かんげんするときみが>かねもちに>あたまを>さげなければならんと>いう>ことに>なる。>しゅうを>恃>む>しょう>ともに>おそれいらなければならんと>いう>ことに>なる。>きみの>ような>びんぼうにんで>しかもたった>いちにんで>せっきょく>てきに>けんかを>しようと>いう>のが>そもそもきみの>ふへいの>たね>さ。>どうだい>わかったかい」 >しゅじんは>わかったとも、>わからないとも>いわずに>きいていた。>ちんきゃくが>かえった>あとで>しょさいへ>はいいってしょもつも>よまずに>なにか>かんがえていた。 >すずきの>ふじ>さんは>きんと>しゅうとに>したがえと>しゅじんに>おしえた>のである。>あまぎ>せんせいは>さいみん>じゅつで>しんけいを>しずめろと>じょげんした>のである。>さいごの>ちんきゃくは>しょうきょく>てきの>しゅうようで>あんしんを>えろと>せっぽうした>のである。>しゅじんが>いずれを>えらぶかは>しゅじんの>ずいいである。>ただこの>ままでは>とおさ>れないに>きわまっている。        >きゅう >しゅじんは>あばた>めんである。>ごいしん>まえは>あばたも>だいぶ>はやった>ものだ>そうだがにち>えい>どうめいの>きょうから>みると、>こんなかおは>いささか>じこう|>おくれの>かんが>ある。>あばたの>すいたいは>じんこうの>ぞうしょくと>はんぴれいしてちかき>しょう>らいには>まったくその>迹を>たつに>いたるだろうとは>いがく>じょうの>とうけいから>せいみつに>わりださ>れ>たる>けつろんであって、>わがはいのごとき>ねこと>いえ>ども>ごうも>うたぐを>はさむ>よちの>ないほどの>めいろんである。>げんこん>ちきゅう>じょうに>あ>ば>たっ>めんを>ゆうしてせいそくしている>にんげんは>なんにんくらい>あるか>しらんが、>わがはいが>こうさいの>くいき>ないにおいて>ださんしてみると、>ねこには>いちひきも>ない。>にんげんには>たった>いちにん>ある。>しかして>その>いちにんが>すなわち>しゅじんである。>はなはだ>きのどくである。 >わがはいは>しゅじんの>かおを>みる>たびに>かんがえる。>まあ>なにの>いんがで>こんなみょうな>かおを>しておくめん>なく>にじゅう>せいきの>くうきを>こきゅうしている>のだろう。>むかしなら>すこしは>はばも>きいたか>しらんが、>あらゆるあばたが>にのうでへ>たちのきを>めいぜ>られた>さっこん、>いぜんとして>はなの>あたまや>ほおの>うえへ>じんどってがんとして>うごかない>のは>じまんに>ならん>のみか、>かえって>あばたの>たいめんにかんする>わけだ。>できる>ことなら>いまの>うち>とりはらったら>よ>さ>そうな>ものだ。>あばた>じしんだって>こころぼそいに>ちがいない。>それともとうせい>ふしんの>さい、>ちかってらくじつを>ちゅうてんに>ばんかいせずんばやまずと>いう>いきごみで、>あんなにおうふうに>かお>いちめんを>せんりょうしている>のか>しらん。>そうするとこの>あばたは>けっして>けいべつの>いを>もってみるべき>ものでない。>とうとうたる>りゅうぞくに>こうする>ばんこ>ふまの>あなの>しゅうごうたいであって、>だいに>われ>じんの>そんけいに>あたいする>おうとつと>いってよろしい。>ただきたならしい>のが>けってんである。 >しゅじんの>しょうともの>ときに>うしごめの>やんぶし>まちに>あさだ>そうはくと>いう>かん>ほうの>めいいが>あったが、>このろうじんが>びょうかを>みまう>ときには>かならずかごに>のってそろり>そろりと>まいら>れた>そうだ。>ところがそうはく>ろうが>なくなら>れてその>ようしの>だいに>なったら、>かごが>たちまちじんりきしゃに>へんじた。>だからようしが>しんでその>またようしが>あとを>つづいだら>かずらね>ゆが>あんちぴりんに>ばけるかも>しれない。>かごに>のってとうきょう>し>ちゅうを>ねり>あるく>のは>そうはく>ろうの>とうじですら>あまり>み>っとも>いい>ものでは>なかった。>こんなまねを>してすましていた>ものは>きゅうへいな>もうじゃと、>きしゃへ>つみこま>れる>ぶたと、>そうはく>ろうと>のみであった。 >しゅじんの>あばたも>そのふ>わ>ざる>ごとにおいては>そうはく>ろうの>かごと>いっぱんで、>はたから>みるときのどくな>くらいだが、>かん>ほう>いにも>おとらざる>がんこな>しゅじんは>いぜんとして>こじょう>らくじつの>あばたを>てんかに>ばくろしつつまいにち>とうこうしてりー>どるを>おしえている。 >かくのごとき>まえ>せいきの>きの>ねんを>まんめんに>こくしてきょうだんに>たつ>かれは、>そのせいとにたいして>じゅぎょういがいに>だいなる>くんかいを>たれつつあるに>そういない。>かれは「>さるが>てを>もつ」を>はんぷくするよりも「>あばたの>がんめんに>およぼす>えいきょう」と>いう>だいもんだいを>ぞうさくも>なく>かいしゃくして、>ふげんの>あいだに>そのとうあんを>せいとに>あたえつつある。>もし>しゅじんの>ような>にんげんが>きょうしとして>そんざいしなく>なった>あかつきには>かれら>せいとは>このもんだいを>けんきゅうする>ために>としょかん>もしくははくぶつかんへ>馳け>つけて、>われ>じんが>みいらによって>えじぷと>じんを>ほうふつすると>どうていどの>ろうりょくを>ついやさねばならぬ。>このてんから>みるとしゅじんの>あばたも>めいめいの>うらに>みょうな>くどくを>施>こしている。 >もっともしゅじんは>このくどくを>施>こす>ために>かお>いちめんに>ほうそうを>たね>え>つけた>のではない。>これでも>じつは>たね>え>ほうそうを>した>のである。>ふこうに>してうでに>たね>えたと>おもった>のが、>いつのまにか>かおへ>でんせんしていた>のである。>そのころは>しょうともの>ことで>いまの>ように>いろけも>なにも>なかった>ものだから、>かゆい>かゆいと>いいながらむ>あんに>かお>ちゅう>ひき>かいた>のだ>そうだ。>ちょうど>ふんかざんが>はれつしてらヴ>ぁが>かおの>うえを>ながれた>ような>もので、>おやが>うんでくれた>かおを>だい>なしに>してしまった。>しゅじんは>おりおりさいくんに>むかってほうそうを>せぬ>うちは>たまの>ような>だんしであったと>いっている。>あさくさの>かんのう>さまで>せいよう>じんが>ふり>そってみた>くらい>きれいだったなどと>じまんする>ことさえ>ある。>なるほど>そうかも>しれない。>ただだれも>ほしょうじんの>いない>のが>ざんねんである。 >いくら>くどくに>なっても>くんかいに>なっても、>きたない>ものは>やっぱり>きたない>ものだから、>ぶっしんが>ついていらいと>いう>もの>しゅじんは>だいに>あばたについて>しんぱいし>だして、>あらゆるしゅだんを>つくしてこの>しゅうたいを>もみ>つぶそうと>した。>ところがそうはく>ろうの>かごと>ちがって、>いやに>なったからと>いうて>そうきゅうに>うち>やら>れる>ものではない。>こんだに>れきぜんと>のこっている。>このれきぜんが>たしょうきに>かかると>みえて、>しゅじんは>おうらいを>あるく>ど>ごとに>あばた>めんを>かんじょうしてあるく>そうだ。>きょう>なんにん>あばたに>であって、>そのあるじは>おとこか>おんなか、>そのばしょは>おがわまちの>かんこうばであるか、>うえのの>こうえんであるか、>ことごとく>かれの>にっきに>つけこんである。>かれは>あばたにかんする>ちしきにおいては>けっして>だれにも>ゆずるまいと>かくしんしている。>せんだって>ある>ようこうがえりの>ゆうじんが>きた>おり>なぞは、「>きみ>せいよう>じんには>あばたが>あるかな」と>きいた>くらいだ。>するとその>ゆうじんが「>そうだな」と>くびを>まげながらよ>ほど>かんがえた>あとで「>まあ>めったに>ないね」と>いったら、>しゅじんは「>めったに>なくっても、>すこしは>あるかい」と>ねんを>いれてきき>かえ>え>した。>ゆうじんは>きの>ない>かおで「>あっても>こじきか>りつ>ん>ぼうだよ。>きょういくの>ある>ひとにはない>ようだ」と>こたえたら、>しゅじんは「>そうかなあ、>にっぽんとは>すこしちがうね」と>いった。 >てつがく>しゃの>いけんによって>落>くも>かんとの>けんかを>おもい>とまった>しゅじんは>そのご>しょさいに>たて>こもってしきりに>なにか>かんがえている。>かれの>ちゅうこくを>いれてせいざの>うらに>れい>かつ>なる>せいしんを>しょうきょく>てきに>しゅうようする>つもりかも>しれないが、>がんらいが>きの>ちいさなにんげんの>くせに、>ああいんきな>ふところでばかり>していては>ろくな>けっかの>でよう>はずが>ない。>それより>えい>しょでも>しつに>いれてげいしゃから>らっぱ>ぶしでも>ならった>ほうが>はるかに>ましだとまでは>きがついたが、>あんな>へんくつな>おとこは>とうてい>ねこの>ちゅうこくなどを>きく>き>やはないから、>まあ>かってに>さ>せたら>よかろうと>ごろく>にちは>ちかよりも>せずに>くらした。 >きょうは>あれから>ちょうど>ななにち>めである。>ぜんけなどでは>いちなな>にちを>かぎってたいごしてみせるなどと>すご>じい>ぜいで>ゆい>跏>する>れんちゅうも>ある>ことだから、>うちの>しゅじんも>どうか>なったろう、>しぬか>いきるか>なんとか>かたづいたろうと、>のそのそ>椽>がわから>しょさいの>いりぐちまで>きてしつないの>どうせいを>ていさつに>およんだ。 >しょさいは>みなみ>むきの>ろくじょうで、>ひあたりの>いい>ところに>おおきなつくえが>すえてある。>ただおおきな>つくえでは>わかるまい。>なが>さ>ろくしゃく、>はば>さんじゃく>はちすん>だかさ>これに>かなうと>いう>おおきなつくえである。>むろん>でき>ごうの>ものではない。>きんじょの>たてぐ>やに>だんぱんしてしんだい|>けんつくえとして>せいぞうせしめたる>きたいの>しなものである。>なにの>ゆえに>こんなおおきな>つくえを>しんちょうして、>またなにの>ゆえに>そのうえに>ねてみ>ようなどという>りょうけんを>おこした>ものか、>ほんにんに>きいてみない>ことだからとみと>わからない。>ほんのいちじの>できごころで、>かかる>なんぶつを>かつぎ>こんだ>のかも>しれず、>あるいはことに>よるといっしゅの>せいしんびょう>しゃにおいて>われ>じんが>しばしば>みいだす>ごとく、>えんも>ゆかりも>ない>にこの>かんねんを>れんそうして、>つくえと>しんだいを>かってに>むすびつけた>ものかも>しれない。>とにかく>きばつな>かんがえである。>ただきばつだけで>やくにたたない>のが>けってんである。>わがはいは>かつて>しゅじんが>このつくえの>うえへ>ひるねを>してねがえりを>する>ひょうしに>椽>がわへ>ころげおちた>のを>みた>ことが>ある。>それ>いらい>このつくえは>けっして>しんだいに>てんようさ>れない>ようである。 >つくえの>まえには>うすっぺらな>めりんすの>ざぶとんが>あって、>たばこの>ひで>やけた>あなが>みっつほど>かたまっ>てる。>ちゅうから>みえる>わたは>うすくろい。>このざぶとんの>うえに>うしろむきに>かしこまっている>のが>しゅじんである。>ねずみいろに>よごれた>へこおびを>こま>むすびに>むすんだ>さゆうが>だらりと>あしの>うらへ>たれ>かかっている。>このおびへ>じゃれ>ついて、>いきなりあたまを>はら>れた>のは>こないだの>ことである。>めったに>よりつくべき>おびではない。 >まだかんがえている>のか>へたの>こうと>いう>喩も>ある>のにと>うしろから>のぞき>こんでみると、>つくえの>うえで>いやに>ぴかぴかと>ひかった>ものが>ある。>わがはいは>おもわず、>つづけざまに>にさん>ど|>まどかを>したが、>こいつは>へんだと>まぶしい>のを>がまんしてじっと>ひかる>ものを>みつめてやった。>するとこの>ひかりは>つくえの>うえで>うごいている>かがみから>でる>ものだと>いう>ことが>わかった。>しかししゅじんは>なにの>ために>しょさいで>かがみなどを>ふり>まわ>している>のであろう。>かがみと>いえばふろ>じょうに>あるに>きわまっている。>げんに>わがはいは>こんあさぶろ>じょうで>このかがみを>みた>のだ。>このかがみと>とくに>いう>のは>しゅじんの>うちには>これより>ほかに>かがみはないからである。>しゅじんが>まいあさ>かおを>あらった>あとで>かみを>わける>ときにも>このかがみを>もちいる。――>しゅじんの>ような>おとこが>かみを>わける>のかと>きく>ひともあるかも>しれぬが、>じっさいかれは>たの>ことに>ぶしょうなるだけ>それだけ>あたまを>ていねいに>する。>わがはいが>とうけに>まいってから>いまに>いたるまで>しゅじんは>いかなるえんねつの>ひと>いえどもごぶ>かりに>かりこんだ>ことはない。>かならず>にすんくらいの>なが>さに>して、>それを>おんたい>そうに>ひだりの>ほうで>わける>のみか、>みぎの>たんを>ちょっとはねかえしてすましている。>これも>せいしんびょうの>ちょうこうかも>しれない。>こんなきどった>わけ>かたは>このつくえと>いっこう>ちょうわしないと>おもうが、>あえて>たにんに>がいを>およぼすほどの>ことでないから、>だれも>なんとも>いわない。>ほんにんも>とくいである。>わけ>かたの>はいからな>のは>さておいて、>なぜあんなにかみを>ながく>する>のかと>おもったら>じつは>こういう>わけである。>かれの>あばたは>たんに>かれの>かおを>しんしょくせるのみ>ならず、>とくの>むかし>しに>のうてんまで>くいこんでいる>のだ>そうだ。>だからもし>ふつうの>ひとの>ように>ごぶ>かりや>みぶん>かりに>すると、>たんかい>けの>こんぽんから>なんじゅうと>なく>あばたが>あらわれてくる。>いくら>なでても、>さすっても>ぽつぽつが>とれない。>枯>のに>ほたるを>はなった>ような>もので>ふうりゅうかも>しれないが、>さいくんの>ぎょいに>はいらん>のは>もちろんの>ことである。>かみさえ>ながく>しておけばろけんしないですむ>ところを、>このんで>じこの>ひを>曝>くにも>あたらぬ>わけだ。>なろう>ことなら>かおまで>けを>はやして、>こっちの>あばたも>ないさいに>した>いくらいな>ところだから、>ただで>はえる>けを>ぜにを>だしてかりこま>せて、>わたしは>ずがいこつの>うえまで>てんねんとうに>やら>れましたよと>ふいちょうする>ひつようはあるまい。――>これが>しゅじんの>かみを>ながく>する>りゆうで、>かみを>ながく>する>のが、>かれの>かみを>わける>げんいんで、>そのげんいんが>かがみを>みる>わけで、>そのかがみが>ふろ>じょうに>ある>ゆえんで、>しこうしてその>かがみが>ひとつしか>ないと>いう>じじつである。 >ふろ>じょうに>あるべき>かがみが、>しかもひとつしか>ない>かがみが>しょさいに>きている>いじょうは>かがみが>はなれ>たましい>びょうに>かかった>のか>またはしゅじんが>ふろ>じょうから>もってきたに>そういない。>もってきたと>すればなにの>ために>もってきた>のだろう。>あるいはれいの>しょうきょく>てき>しゅうように>ひつような>どうぐかも>しれない。>むかし>し>あるる>がくしゃが>なんとか>いう>ちしきを>おとなうたら、>おしょう>りょうはだを>ぬいで>甎を>す>しておら>れた。>なにを>こしらえ>なさると>しつもんを>したら、>なに>さいま>きょうを>つくろうと>おもうていっしょうけんめいに>やっておる>ところ>じゃと>こたえた。>そこでがくしゃは>おどろき>ろ>いて、>なんぼめいそうでも>甎を>す>してかがみと>する>ことは>できまいと>いうたら、>おしょう>からからと>わらいながらそうか、>それじゃやめよ、>いくら>しょもつを>よんでも>みちは>わからぬ>のも>そんなものじゃ>ろと>ののしったと>いうから、>しゅじんも>そんなことを>きき>噛って>ふろ>じょうから>かがみでも>もってきて、>したりがおに>ふり>まわしている>のかも>しれない。>だいぶ>ぶっそうに>なってきたなと、>そっと>うかがっている。 >かくとも>しらぬ>しゅじんは>はなはだ>ねっしんなる>ようすをもって>いちはり>らいの>かがみを>みつめている。>がんらい>きょうという>ものは>きみの>わるい>ものである。>しんや|>ろうそくを>たてて、>ひろい>へやの>なかで>いちにん>きょうを>のぞき>こむには>よほどの>ゆうきが>いる>そうだ。>われ>やからなどは>はじめてとうけの>れいじょうから>かがみを>かおの>まえへ>おしつけ>られた>ときに、>はっと>ぎょうてんしてやしきの>まわりを>さんど|>馳>け>まわった>くらいである。>いかに>はくちゅうと>いえ>ども、>しゅじんの>ように>かく>いっしょうけんめいに>みつめている>いじょうは>じぶんで>じぶんの>かおが>こわく>なるに>そういない。>ただみてさえ>あまり>ぎみの>いい>かおじゃない。>やや>あってしゅじんは「>なるほど>きたない>かおだ」と>ひとりごとを>いった。>じこの>みにくを>じはくする>のは>なかなかみあげた>ものだ。>ようすから>いうとたしかに>き>違の>しょさだがいう>ことは>しんりである。>これが>もう>いちほ>すすむと、>おのれれの>しゅうあくな>ことが>こわく>なる。>にんげんは>われ>みが>こわ>ろ>しい>あくとうであると>いう>じじつを>てっこつ>とおる>ずいに>かんじた>ものでないと>くろうにんとは>うん>えない。>くろうにんでないととうてい>げだつは>できない。>しゅじんも>ここまで>きたら>ついでに「>おお>こわい」とでも>いい>そうな>ものであるがなかなかいわない。「>なるほど>きたない>かおだ」と>いった>あとで、>なにを>かんがえだしたか、>ぷ>うっと>ほお>っ>ぺたを>ふくらました。>そうしてふくれた>ほお>っ>ぺたを>ひらてで>にさん>ど|>たたいてみる。>なにの>まじないだか>わからない。>このとき>わがはいは>なんだか>このかおに>にた>ものが>あるらしいと>いう>かんじが>した。>よくよく>かんがえてみるとそれは>ご>さんの>かおである。>ついでだからご>さんの>かおを>ちょっとしょうかいするが、>それは>それは>ふくれた>ものである。>このあいだ>さるひとが>あなもりいなりから>ふぐの>ちょうちんを>みやげに>もってきてくれたが、>ちょうど>あのふぐ>ちょうちんの>ように>ふくれている。>あまりふくれ>かたが>ざんこくなのでめは>りょうほう>とも>ふんしつしている。>もっともふぐの>ふくれる>のは>まんへん>なく>まんまるに>ふくれる>のだが、>お>さんと>くると、>がんらいの>こっかくが>たかく>せいであって、>そのこっかく>どおりに>ふくれ>あがる>のだから、>まるで>みずけに>なやんでいる>ろっかく>とけいの>ような>ものだ。>ご>さんが>きいたら>さぞ>おこるだろうから、>ご>さんは>このくらいに>してまたしゅじんの>ほうに>かえるが、>かくのごとく>あらん>かぎりの>くうきをもって>ほお>っ>ぺたを>ふくらませたる>かれは>まえ>もうす>とおり>てのひらで>ほお>ぺたを>たたきながら「>このくらい>ひふが>きんちょうすると>あばたも>めに>つかん」と>またひとり>ごを>いった。 >こんどは>かおを>よこに>むけてはんめんに>こうせんを>うけた>ところを>かがみに>うつしてみる。「>こうしてみるとたいへん>めだつ。>やっぱり>まともに>ひの>むい>てる>ほうが>ひらに>みえる。>き>からだな>ものだなあ」と>だいぶ>かんしんした>ようすであった。>それからみぎの>てを>うんと>のして、>できるだけ>かがみを>えんきょりに>もっていってしずかに>じゅくししている。「>このくらい>はなれるとそんなでもない。>やはり>ちか>すぎると>いかん。――>かおばかりじゃない>なにでも>そんなものだ」と>さとった>ような>ことを>いう。>つぎに>かがみを>きゅうに>よこに>した。>そうしてはなの>ねを>ちゅうしんに>してめや>がくや>まゆを>いちどに>このちゅうしんに>むかってくしゃくしゃと>あつめた。>みるからに>ふゆかいな>ようぼうが>でき>のぼったと>おもったら「>いやこれは>だめだ」と>とうにんも>きがついたと>みえてそうそうやめてしまった。「>なぜこんなにどくどくしい>かおだろう」と>しょうしょうふしんの>からだで>かがみを>めを>さる>さんずんばかりの>ところへ>ひきよせる。>みぎの>ひとさしゆびで>こばなを>なでて、>なでた>ゆびの>あたまを>つくえの>うえに>あった>すいとり>しの>うえへ、>うんと>おしつける。>すいとら>れた>はなの>あぶらが>まる>る>く>しの>うえへ>うきだした。>いろいろな>げいを>やる>ものだ。>それからしゅじんは>はなの>あぶらを>とまつした>しとうを>てんじてぐいと>みぎ>めの>した>まぶたを>うらがえして、>ぞくに>いう>べっかんこうを>みごとに>やってのけた。>あばたを>けんきゅうしている>のか、>かがみと>にらめ>けいを>している>のか>そのへんは>しょうしょうふめいである。>きの>おおい>しゅじんの>ことだからみている>うちに>いろいろに>なると>みえる。>それ>どころではない。>もし>ぜんいをもって>こんにゃく>もんどうてきに>かいしゃくしてやればしゅじんは>けんしょう>じかくの>ほうべんとして>かように>かがみを>あいてに>いろいろな>しぐさを>えんじている>のかも>しれない。>すべて>にんげんの>けんきゅうと>いう>ものは>じこを>けんきゅうする>のである。>てんちと>いい>やまかわと>いい>じつげつと>いい>せいしんと>いうも>かいじこの>いみょうに>すぎぬ。>じこを>おいてたに>けんきゅうすべき>じこうは>だれ>じんにも>みいだし>えぬ>わけだ。>もし>にんげんが>じこ>いがいに>とびだす>ことが>できたら、>とびだす>とたんに>じこはなく>なってしまう。>しかもじこの>けんきゅうは>じこ>いがいに>だれも>してくれる>ものはない。>いくら>つかまつてやりたくても、>もらいたくても、>できない>そうだんである。>それだからこらいの>ごうけつは>みんな>じりきで>ごうけつに>なった。>ひとの>おかげで>じこが>わかるくらいなら、>じぶんの>だいりに>ぎゅうにくを>くわ>して、>かたいか>やわらかいか>はんだんの>できる>わけだ。>あさに>ほうを>きき、>ゆうに>みちを>きき、>梧>ぜんとうかに>しょかんを>てに>する>のは>みな>このじしょうを>ちょうはつする>の>ほうべんの>ぐに>すぎぬ。>ひとの>とく>ほうの>うち、>たの>べんずる>みちの>うち、>ないしは>ごしゃに>あまる>蠧>し>うずたか>うらに>じこが>そんざいする>ゆえんが>ない。>あればじこの>ゆうれいである。>もっとも>ある>ばあいにおいて>ゆうれいは>むれいより>まさるかも>しれない。>かげを>おえばほんたいに>ほうちゃくする>ときが>ないとも>かぎらぬ。>おおくの>かげは>たいてい>ほんたいを>はなれぬ>ものだ。>このいみで>しゅじんが>かがみを>ひねくっているなら>だいぶ>はなせる>おとこだ。>えぴくてたすなどを>う>呑に>してがくしゃ>ぶるよりも>はるかに>ましだと>おもう。 >かがみは>き>惚の>じょうぞうきである>ごとく、>どうじに>じまんの>しょうどくきである。>もし>ふか>きょえいの>ねんをもって>これにたいする>ときは>これほど>ぐぶつを>せんどうする>どうぐはない。>むかしから>ぞうじょうまんをもって>おのれを>がいし>たを※>うた>じせきの>さんぶんの>には>たしかに>かがみの>しょさである。>ふつ>こく>かくめいの>とうじ>ものずきな>ごいしゃ>さんが>かいりょうくび>きり>きかいを>はつめいしてとんだ>つみを>つくった>ように、>はじめて>かがみを>こしらえた>ひとも>さだめし>ね>さとしの>わるい>ことだろう。>しかしじぶんに>あいその>つき>かけた>とき、>じがの>いしゅくした>おりは>かがみを>みるほど>くすりに>なる>ことはない。>妍>みにく>りょうぜんだ。>こんなかおで>よく>まあ>ひとで>こうと>そり>かえって>きょうまで>くらさ>れた>ものだと>きがつくに>きまっている。>そこへ>きがついた>ときが>にんげんの>しょうがい>ちゅう>もっとも>ありがたい>き>ぶしである。>じぶんで>じぶんの>ばかを>しょうちしているほど>みこと>とく>みえる>ことはない。>このじかくせい>ばかの>まえには>あらゆるえら>がり>やが>ことごとく>あたまを>さげておそれいらねばならぬ。>とうにんは>こうぜんとして>われを>けいぶちょうしょうしている>つもりでも、>こちらから>みるとその>こうぜんたる>ところが>おそれいってあたまを>さげている>ことに>なる。>しゅじんは>かがみを>みておのれれの>ぐを>さとるほどの>けんじゃではあるまい。>しかしわが>かおに>いんせ>られる>あばたの>めいくらいは>こうへいに>よみ>える>おとこである。>かおの>みにくい>のを>じにんする>のは>こころの>賤>しきを>えとくする>楷>はしごにも>なろう。>たのもしい>おとこだ。>これも>てつがく>しゃから>やりこめ>られた>けっかかも>しれぬ。 >かように>かんがえな>がらな>おようすを>うかがっていると、>それともしらぬ>しゅじんは>おもうぞんぶん>あかんべえを>した>あとで「>おおいた>じゅうけつしている>ようだ。>やっぱり>まんせい>けつまくえんだ」と>いいながら、>ひとさしゆびの>よこ>つらで>ぐいぐいじゅうけつした>まぶたを>こすり>はじめた。>おおかたかゆい>のだろうけれども、>たださえ>あんなにあかく>なっている>ものを、>こうこすっては>たまるまい。>とおからぬ>うちに>しお>たいの>め>だまのごとく>ふらんするに>きまっ>てる。>やがて>めを>ひらいてかがみに>むかった>ところを>みると、>おおせるかな>どんよりとして>きたぐにの>ふゆぞらの>ように>くもっていた。>もっともへいじょうから>あまりはればれし>い>めではない。>こだいな>けいようしを>もちいるとこんとんとして>くろ>めと>はくがんが>剖>ばん>しないくらい>ばくぜんと>している。>かれの>せいしんが>もうろうとして>ふとくようりょう|>そこに>いっかんしている>ごとく、>かれの>めも>曖々>しか>昧々>しかとして>ちょう>えに>がんかの>おくに>ただようて>いる。>これは>たいどくの>ためだとも>いうし、>あるいはほうそうの>よはだとも>かいしゃくさ>れて、>ちいさい>じぶんは>だいぶ>やなぎの>むしや>あかがえるの>やっかいに>なった>ことも>ある>そうだが、>せっかく>ははおやの>たんせいも、>あるに>そのかい>あら>ばこそ、>きょうまで>うまれた>とうじの>ままで>ぼんやりしている。>わがはい>ひそかに>おもうに>このじょうたいは>けっして>たいどくや>ほうそうの>ためではない。>かれの>め>だまが>かように>かいじゅう>こんだくの>ひきょうに>ほうこうしている>のは、>とりも>なおさず>かれの>ずのうが>ふとおる>ふめいの>じっしつから>こうせいさ>れていて、>そのさようが>くら>憺>溟>濛の>きょくに>たっしているから、>しぜんと>これが>けいたいの>うえに>あらわれて、>しらぬ>ははおやに>いらぬ>しんぱいを>かけた>んだろう。>けむり>たってひ>あるを>しり、>まなこ>にごってぐなるを>あかす。>してみるとかれの>めは>かれの>こころの>しょうちょうで、>かれの>こころは>てんぽうせんのごとく>あなが>あいているから、>かれの>めも>またてんぽうせんと>おなじく、>おおきなわりあいに>つうようしないに>違>ない。 >こんどは>ひげを>ねじり>はじめた。>がんらいから>ぎょうぎの>よく>ない>ひげで>みんな>おもいおもいの>しせいを>とってはえている。>いくら>こじん>しゅぎが>はやる>よのなかだって、>こうまち々に>わがままを>つくさ>れては>もちぬしの>めいわくは>さこ>そと>おもいやら>れる、>しゅじんも>ここに>かんがみる>ところ>あってちかごろは>だいに>くんれんを>あたえて、>できる>かぎり>けいとうてきに>あんばいする>ように>じんりょくしている。>そのねっしんの>こう>はては>むなしからず>してさっこん>ようやく>ほちょうが>すこしととのう>ように>なってきた。>いままでは>ひげが>はえておった>のであるが、>このころは>ひげを>はやしている>のだと>じまんするくらいに>なった。>ねっしんは>なる>こうの>たびに>おうじてこぶせら>れる>ものであるから、>わがひげの>ぜんと>ゆうぼうなりと>みてとってしゅじんは>あさなゆうな、>てが>すいておればかならずひげに>むかってべんたつを>くわえる。>かれの>あむびしょんは>どいつ>こうてい>へいかの>ように、>こうじょうの>ねんの>おきな>ひげを>たくわえるに>ある。>それだからけあなが>よこ>むこうで>あろうとも、>げこうであろうとも>いささか>とんじゃくなく>じゅうわ>いちと>からげに>にぎっては、>うえの>ほうへ>ひっぱり>あげる。>ひげも>さぞかし>なんぎであろう、>しょゆうあるじたる>しゅじんすら>とき々は>いたい>こともある。>がそこが>くんれんである。>いなでも>応でも>さかに>しごき>あげる。>もんがいかんから>みるときの>しれない>どうらくの>ようであるが、>とうきょく>しゃだけは>しとうの>ことと>こころえている。>きょういくしゃが>いたずらに>せいとの>ほんしょうを>いためて、>ぼくの>てがらを>み>たまえと>ほこる>ような>もので>ごうも>ひなんすべき>りゆうはない。 >しゅじんが>まんこうの>ねっせいをもって>ひげを>ちょうれんしていると、>だいどころから>たかく>せいの>ご>さんが>ゆうびんが>まいりましたと、>れいのごとく>あかい>てを>ぬっと>しょさいの>なかへ>だした。>みぎてに>ひげを>つかみ、>ひだりてに>かがみを>もった>しゅじんは、>そのまま>いりぐちの>ほうを>ふり>かえる。>はちの>じの>おに>ぎゃくか>たちを>めいじた>ような>ひげを>みる>や>いなや>ごたかくは>いきなりだいどころへ>ひきもどして、>ははははと>おかまの>ふたへ>みを>もたしてわらった。>しゅじんは>へいきな>ものである。>ゆうゆうと>かがみを>おろしてゆうびんを>とりあげた。>だいいち>しんは>かっぱん>ずりで>なんだか>いかめしい>もじが>ならべてある。>よんでみるとはいけい|>いよいよ>ごたしょう|>ほうがこう>かいこすればにち>ろの>せんえきは>れんせんれんしょうの>ぜいに>じょうじてへいわ>こくふくを>つげ>われ>ちゅうゆう>ぎれつ>なる>しょうしは>いまや>かはん>ばんざい>こえ|>うらに>がいかを>そうし>こくみんの>かんきなにものか>これに>しかん>曩に>せんせんの>たいしょう>かんぱつせらるるや>ぎゆう>おおやけに>ほうじたる>しょうしは>ひさしく>ばんりの>いきょうに>ありてかつ>く>かん>あつの>くなんを>しのび>いちい>せんとうに>じゅうじし>いのちを>こっかに>ささげたる>の>しせいは>ながく>めい>して忘>るべからざる>ところ>なり>而>してぐんたいの>がいせんは>ほんつきをもって>殆>ん>どしゅうりょうを>つげんと>すよってほん>かいは>きたる>にじゅう>ごにちを>きし>ほんくない>いちせん>ゆうよの>しゅっせいしょうこう>かし>そつにたいし>ほんくみん>いっぱんを>だいひょうし>以て>いちだい>がいせんしゅくがかいを>ひらき>もよおし>けんてぐんじん>いぞくを>いしゃせんが>ため>め>ねっせい|>これを>むかえ>聊>かんしゃの>びちゅうを>あらわし>ど>就ては>かくいの>ごきょうさんを>あおぎ>此>せいてんを>きょこうする>の>こうを>え>ば>ほん>かいの>めんぼく|>ふかこれと>そん|>こう>かん|>なにとぞ>ごさんせい|>ふるって>ぎえん>あらん>ことを>ただ>かん>きぼうの>いたりに>こたえず>こう>けいぐと>あってさしだし>じんは>かぞく>さまである。>しゅじんは>もくどくいっかの>あと>ただちに>ふうの>なかへ>まき>おさめてしらんかおを>している。>ぎえんなどは>おそらく>し>そうに>ない。>せんだって>とうほく>きょうさくの>ぎえん>きんを>にえんとか>さんえんとか>だしてから、>あう>ひと|>ごとに>ぎえんを>とら>れた、>とら>れたと>ふいちょうしているくらいである。>ぎえんと>ある>いじょうは>さしだす>もので、>とら>れる>ものでないには>きょくって>いる。>どろぼうに>あった>のではあるまいし、>とら>れたとは>ふおんとうである。>しかるにも>かんせず、>とうなんにでも>かかったかの>ごとくに>おもっ>てるらしい>しゅじんが>いかに>ぐんたいの>かんげいだと>いって、>いかに>かぞく>さまの>かんゆうだと>いって、>ごうだんで>もち>かけたら>いざ>しらず、>かっぱんの>てがみくらいで>きんせんを>だす>ような>にんげんとは>おもわ>れない。>しゅじんから>いえばぐんたいを>かんげいする>まえに>まず>じぶんを>かんげいしたい>のである。>じぶんを>かんげいした>あとなら>たいていの>ものは>かんげいし>そうであるが、>じぶんが>あさゆうに>さしつかえる>あいだは、>かんげいは>かぞく>さまに>まかせておく>りょうけんらしい。>しゅじんは>だいに>しんを>とりあげたが「>や、>これも>かっぱんだ」と>いった。>じか>しゅうれいの>こうに>こう>しょきか>ますます>ごりゅうせいの>だん|>ほうがじょう>こう>ちん>ればほんこう>ぎも>ごしょうちの>とおり>さきおととし>いらい>にさん>やしん>かの>ため>めに>さまたげ>られ>いちじ>其>きょくに>たっし>こう>とく>とも>ぜれ>かい|>ふしょう>はり>さくが>たらざる>ところに>きいんすと>ぞんじ>ふかく>みずから>警>む>る>ところ>あり>が>たきぎ>甞>たん>そのく>からしの>けっか|>ようやく>茲に>どくりょく>以て>わがりそうに>てきするだけの>こうしゃ>しんちくひを>える>の>とを>こうじ>こう>其は>べつ>ぎにも>ぎょざ>なく>べっさつ>さいほうひじゅつ>こうようと>めいめいせる>しょさつ>しゅっぱんの>ぎに>ぎょざ|>こう>ほんしょは>ふしょう|>はり>さくが>たねん>くしんけんきゅうせる>こうげい>じょうの>げんり>げんそくに>ほう>とり>しんに>にくを>さき>ちを>しぼるの>思を>なしてちょじゅつせる>ものに>ぎょざ|>こう>よってほんしょを>あまねく>いっぱんの>かていへ>せいほんじっぴに>さしょうの>りじゅんを>ふしてごこうきゅうを>ねがい>いちめん|>しどう>はったつの>いちじょと>なすとどうじに>またいち>めんには>きんしょうの>りじゅんを>ちくせきしてこうしゃ>けんちくひに>とうつる>しんさんに>ぎょざ|>こう>よっては>ちかごろ|>なんとも>きょうしゅくの>いたりに>ぞんじ>そうろえどもほんこう>けんちくひ>ちゅうへ>ごきふ|>ひなる>かと>ごおぼしめし>し>茲に>ていとも>つかまつ|>こう>ひじゅつ>こうよう>いちぶを>ごこうきゅうの>うえ>ごじじょの>ほうへ>なりとも>ごぶんよ|>ひなる>した>こうて>ごさんどうの>いを>ごひょう>あきら|>ひなる>した>ど>ふしてこんがんつかまつ|>こう※々>けいぐ>だいにっぽん>じょし>さいほうさいこう>とう>だいがくいん>こうちょう  >ぬい>た>はり>さく >きゅうはいと>ある。>しゅじんは>このていちょう>なる>しょめんを、>れいたんに>まるめてぽんと>くず>かごの>なかへ>ほうり>こんだ。>せっかくの>はり>さく>くんの>きゅうはいも>が>たきぎ>甞>たんも>なにの>やくにも>たたなかった>のは>きのどくである。>だいさん>しんに>かかる。>だいさん>しんは>すこぶる>ふうがわりの>こうさいを>はなっている。>じょうぶくろが>こうはく>のだ>んだ>らで、>あめん>ぼうの>かんばんの>ごとく>はなやかなる>まんなかに>ちん>の>く>さや>せんせい|>とら>ひかと>はちふん>たいで>にくぶとに>みとめてある。>ちゅうから>おふとし>さんが>でるか>どうだか>うけあわないがひょうだけは>すこぶる>りっぱな>ものだ。>もし>われをもって>てんちを>りつ>すればひとくちに>してにし>えの>みずを>すい>つくすべく、>もし>てんちをもって>われを>りつ>すればわれは>そく>ち>陌>じょうの>ちりのみ。>すべからく>みち>え、>てんちと>われと>いんもの>こうしょうか>ある。……>はじめてなまこを>くい>だせる>ひとは>其>たんりょくに>於て>けいすべく、>はじめて>ふぐを>きっせる>かんは>其>ゆうきに>於て>おもんずべし。>なまこを>くえる>ものは>しんらんの>さいらいに>して、>ふぐを>きっせる>ものは>にちれんの>ぶんしんなり。>く>さや>せんせいの>しきに>いたっては>ただ>かんぴょうの>すみそを>しるのみ。>かんぴょうの>すみそを>くっててんかの>したる>ものは、>われ>いまだ>これを>みず。……>しんゆうも>なんじを>うるべし。>ちちははも>なんじに>わたし>あるべし。>あいじんも>なんじを>棄>つべし。>ふきは>かたより>たのみが>たかるべし。>爵>ろくは>いっちょうに>してうしなうべし。>なんじの>あたま>ちゅうに>ひぞうする>がくもんには>かびが>はえるべし。>なんじ>なにを>恃>まんと>するか。>てんちの>うらに>なにを>たのまんと>するか。>かみ? >かみは>にんげんの>くるしまぎれに>ねつぞうせる>どぐうのみ。>にんげんの>せつな>くその>ぎょうけつせる>におい>むくろのみ。>恃>む>ま>じきを>恃>んで>やすしと>いう。>咄々、>すいかん|>漫りに>うろんの>げんじを>ろうして、>まんさんとして>はかに>むかう。>あぶら>つきてあかり>みずから>めつ>す。>ごう>つきてなに>ぶつをか>のこす。>く>さや>せんせい>よろしく>ごちゃでも>あがれ。……>ひとを>ひとと>おもわざればかしこるる>ところ>なし。>ひとを>ひとと>おもわざる>ものが、>われを>われと>おもわざる>よを>いきどおるは>いか。>けん>きえいたつの>しは>ひとを>ひとと>おもわざるに>於て>え>たるがごとし。>ただ>たの>われを>われと>おもわぬ>ときに>於て>ふつぜんとして>いろを>さく>す。>にんいに>いろを>さく>し>きたれ。>ばか>やろう。……>われの>ひとを>ひとと>おもう>とき、>たの>われを>われと>おもわぬ>とき、>ふへい>かは>ほっさ>てきに>てん>ふる。>此>ほっさ>てき>かつどうを>なづけてかくめいと>いう。>かくめいは>ふへい>かの>しょいに>あらず。>けん>きえいたつの>しが>このんでさん>する>ところ>なり。>ちょうせんに>にんじん>た>し>せんせい>なにが>ゆえに>ふくせ>ざる。>ざいすがも  >てんとう>こうへい >さいはい >はり>さく>くんは>きゅうはいであったが、>このおとこは>たんに>さいはいだけである。>きふ>きんの>いらいでないだけに>ななはいほど>おうふうに>かまえている。>きふ>きんの>いらいではないがその>かわり>すこぶる>わかり>にくい>ものだ。>どこの>ざっしへ>だしても>ぼっしょに>なる>かちは>じゅうぶん>ある>のだから、>ずのうの>ふとうめいを>もってなる>しゅじんは>かならずすんだんすんだんに>ひきさいてしまうだろうと>思の>ほか、>うちかえし>うちかえし>よみなおしている。>こんなてがみに>いみが>あると>かんがえて、>あくまでその>いみを>きわめようという>けっしんかも>しれない。>およそてんちの>あいだに>わからん>ものは>たくさん>あるがいみを>つけてつかない>ものは>ひとつも>ない。>どんなむずかしい>ぶんしょうでも>かいしゃくしようと>すればよういに>かいしゃくの>できる>ものだ。>にんげんは>ばかであると>いおうが、>にんげんは>りこうであると>いおうがても>なく>わかる>ことだ。>それ>どころではない。>にんげんは>いぬであると>いっても>ぶたであると>いっても>べつに>くるしむほどの>めいだいではない。>やまは>ひくいと>いっても>かまわん、>うちゅうは>せまいと>いっても>さしつかえはない。>からすが>しろくてこまちが>しゅうふで>く>さや>せんせいが>くんしでも>とおらん>ことはない。>だからこんな>むいみな>てがみでも>なんとか>かとか>りくつさえ>つければどうとも>いみは>とれる。>ことに>しゅじんの>ように>しらぬ>えいごを>むりやりに>こじ>つけてせつめいし>とおしてきた>おとこは>なおさらいみを>つけた>がる>のである。>てんきの>あくるい>のに>なぜぐーど・>もーにんぐですかと>せいとに>とわ>れて>ななにちかん>かんがえたり、>ころん>ばすと>いう>なは>にほんごで>なんと>いいますかと>きか>れて>さんにち>さんばん>かかってこたえを>くふうするくらいな>おとこには、>かんぴょうの>すみそが>てんかの>しであろうと、>ちょうせんの>じん>さんを>くってかくめいを>おこそうと>ずいいな>いみは>ずいしょに>わきでる>わけである。>しゅじんは>しばらくしてぐーど・>もーにんぐ>りゅうに>このなんかいな>ごんくを>のみこんだと>みえて「>なかなかいみしんちょうだ。>なにでも>よほど>てつりを>けんきゅうした>ひとに>違>ない。>てん>はれな>けんしきだ」と>たいへん>しょうさんした。>このひとことでも>しゅじんの>ぐな>ところは>よく>わかるが、>ひるがえって>かんがえてみるといささか>もっともな>てんもある。>しゅじんは>なにに>よらず>わからぬ>ものを>ありがたがる>くせを>ゆうしている。>これは>あながち>しゅじんに>かぎった>ことでもなかろう。>わからぬ>ところには>ばかに>できない>ものが>せんぷくして、>はかるべからざる>へんには>なんだか>けだかい>こころもちが>おこる>ものだ。>それだからぞくじんは>わからぬ>ことを>わかった>ように>ふいちょうするにも>かからず、>がくしゃは>わかった>ことを>わからぬ>ように>こうしゃくする。>だいがくの>こうぎでも>わからん>ことを>ちょう>したる>ひとは>ひょうばんが>よくってわかる>ことを>せつめいする>ものは>じんぼうが>ない>のでも>よく>しれる。>しゅじんが>このてがみに>けいふくした>のも>いぎが>めいりょうであるからではない。>そのしゅしが>那>あたりに>そんするか>ほとんど>とらえ>がたいからである。>きゅうに>なまこが>でてきたり、>せつな>くそが>でてくるからである。>だからしゅじんが>このぶんしょうを>そんけいする>ゆいいつの>りゆうは、>どうかで>どうとく>けいを>そんけいし、>じゅかで>えき>けいを>そんけいし、>ぜんけで>臨>すみ>ろくを>そんけいすると>いっぱんで>まったくわからんからである。>ただしぜんぜんわからんでは>きが>すまんからかってな>ちゅうしゃくを>つけてわかった>かおだけは>する。>わからん>ものを>わかった>つもりで>そんけいする>のは>むかしから>ゆかいな>ものである。――>しゅじんは>うやうやしく>はちふん>たいの>めいひつを>まき>おさめて、>これを>きじょうに>おいた>まま>ふところでを>してめいそうに>しずんでいる。 >ところへ「>たのむ>たのむ」と>げんかんから>おおきなこえで>あんないを>こう>ものが>ある。>こえは>迷>ていの>ようだが、>迷>ていに>にあわず>しきりに>あんないを>たのんでいる。>しゅじんは>さきから>しょさいの>うちで>そのこえを>きいている>のだがふところでの>まま>ごうも>うごこうと>しない。>とりつぎに>でる>のは>しゅじんの>やくめでないという>しゅぎか、>このしゅじんは>けっして>しょさいから>あいさつを>した>ことが>ない。>げじょは>せんこく>せんたくせっけんを>かいに>でた。>さいくんは>はばかりである。>するととりつぎに>でべき>ものは>わがはいだけに>なる。>わがはいだって>でる>のは>いやだ。>するときゃくじんは>くつ>だっから>しき>だいへ>とびあがってしょうじを>あけはなってつかつか>のぼり>こんできた。>しゅじんも>しゅじんだがきゃくも>きゃくだ。>ざしきの>ほうへ>おこなったなと>おもうとふすまを>にさん>どあけたり>閉て>たり>して、>こんどは>しょさいの>ほうへ>やってくる。「>おい>じょうだんじゃない。>なにを>している>んだ、>ごきゃく>さんだよ」「>おや>きみか」「>おや>きみかも>ない>もんだ。>そこに>いるなら>なんとか>いえばいいのに、>まるで>あきやの>ようじゃないか」「>うん、>ちと>かんがえごとが>ある>もんだから」「>かんがえていたって>とおれ>くらいは>いえるだろう」「>うん>えん>ことも>ないさ」「>そう>かわらず>どきょうが>いいね」「>せんだってから>せいしんの>しゅうようを>りきめて>いる>んだ>もの」「>ものずきだな。>せいしんを>しゅうようしてへんじが>できなく>なった>ひには>らいきゃくは>ごなんだね。>そんなに>おちつか>れちゃこまる>んだぜ。>じつはぼく>ひとり>きた>んじゃないよ。>たいへんな>ごきゃく>さんを>つれてきた>んだよ。>ちょっとでてあってくれ>たまえ」「>だれを>つれてきた>ん>だい」「>だれでも>いいから>ちょっとでてあってくれた>ま>え。>ぜひ>きみに>あいたいと>いう>んだから」「>だれ>だい」「>だれでも>いいから>たち>たまえ」 >しゅじんは>ふところでの>まま>ぬっと>たちながら「>またひとを>かつぐ>つもりだろう」と>椽>がわへ>でてなにの>きも>つかずに>きゃくまへ>はいいり>こんだ。>するとろくしゃくの>ゆかを>しょうめんに>いちこの>ろうじんが>しゅくぜんと>たんざしてひかえている。>しゅじんは>おもわずふところから>りょうてを>だしてぺたりと>とうしの>そばへ>しりを>かたづけてしまった。>これでは>ろうじんと>おなじく>にしむきであるからそうほう>とも>あいさつの>しようがない。>むかし>かたぎの>ひとは>れい>羲は>やかましい>ものだ。「>さあ>どうぞ>あれへ」と>とこのまの>ほうを>さしてしゅじんを>促が>す。>しゅじんは>りょう>さんねん>まえまでは>ざしきは>どこへ>すわっても>かまわん>ものと>こころえていた>のだが、>そのご>ある>ひとから>とこのまの>こうしゃくを>きいて、>あれは>じょうだんの>あいだの>へんかした>もので、>じょうしが>すわ>わる>しょだと>さとっていらい>けっして>とこのまへは>よりつかない>おとこである。>ことに>みずしらずの>ねんちょう>しゃが>頑と>かまえている>のだからかみざ>どころではない。>あいさつさえ>ろくには>できない。>いちおうあたまを>さげて「>さあ>どうぞ>あれへ」と>むこうの>いう>とおりを>くりかえした。「>いや>それではごあいさつが>でき>かねますから、>どうぞ>あれへ」「>いえ、>それでは……>どうぞ>あれへ」と>しゅじんは>いいかげんに>せんぽうの>こうじょうを>まねている。「>どうも>そう、>ごけんそんでは>おそれいる。>かえって>てまえが>いたみいる。>どうか>ごえんりょなく、>さあ>どうぞ」「>ごけんそんでは……>おそれますから……>どうか」>しゅじんは>まっかに>なってくちを>もごもご>いわ>せている。>せいしん>しゅうようも>あまりこうかが>ない>ようである。>迷>てい>くんは>ふすまの>かげから>わらいながらたちみを>していたが、>もう>いい>じぶんだと>おもって、>うしろから>しゅじんの>しりを>おしやりながら「>まあ>で>たまえ。>そうとうしへ>くっついては>ぼくが>すわる>ところが>ない。>えんりょせずに>まえへ>で>たまえ」と>むりに>わりこんでくる。>しゅじんは>やむをえずまえの>ほうへ>すり>でる。「>く>さや>きみ>これが>ことごとく>きみに>うわさを>する>しずおかの>おじだよ。>はく>とうさん>これが>く>さや>くんです」「>いやはじめて>ごめに>かかります、>まいど>迷>ていが>でてごじゃまを>いたす>そうで、>いつか>さんじょうの>うえ>ごこうわを>はいちょういたそうと>ぞんじておりました>ところ、>さいわいきょうは>ごきんじょを>つうこういたした>もので、>おんれい|>つくり>うかがった>わけで、>どうぞ>ごみしり>おか>れましてこんご>とも|>よろしく」と>むかし>し>ふうな>こうじょうを>よどみ>なく>のべ>たてる。>しゅじんは>こうさいの>せまい、>むくちな>にんげんである>うえに、>こんなこふうな>じいさんとは>ほとんど>であった>ことが>ない>のだから、>さいしょから>たしょう|>ばうての>きみで>へきえきしていた>ところへ、>とうとうと>あびせかけ>られた>のだから、>ちょうせん>じん>さんも>あめん>ぼうの>じょうぶくろも>すっかり>わすれてしまってただ>くるしまぎれに>みょうな>へんじを>する。「>わたしも……>わたしも……>ちょっと伺がう>はずでありました>ところ……>なんふん>よろしく」と>いい>おわってあたまを>しょうしょうたたみから>あげてみるとろうじんは>いまだに>ひれふしているので、>はっと>きょうしゅくしてまたあたまを>ぴたりと>つけた。 >ろうじんは>こきゅうを>はかってくびを>あげながら「>わたしも>もとは>こちらに>やしきも>あって、>ながらく>ごひざもとで>くらした>もので>がすが、>がかいの>おりに>あちらへ>まいってから>とんと>でてこん>のでな。>いま>きてみるとまるで>ほうがくも>ぶんらんくらいで、――>迷>ていにでも>とも>れてあるいてもらわんと、>とてもようたしも>できません。>滄>くわの>へんとは>もうしながら、>ごにゅうこくいらい>さんひゃく>ねんも、>あのとおり>しょうぐんけの……」と>いい>かけると>迷>てい>せんせい>めんどうだと>こころえて「>おじ>さん>しょうぐんけも>ありがたいかも>しれませんが、>めいじの>だいも>けっこうですぜ。>むかしは>せきじゅうじな>んて>ものも>なかったでしょう」「>それはない。>せきじゅうじなどと>しょうする>ものは>まったくない。>ことに>みや>さまの>ごかおを>おがむなどと>いう>ことは>めいじの>みよでなくては>できぬ>ことだ。>わしも>ながいきを>した>おかげで>このとおり>きょうの>そうかいにも>しゅっせきするし、>きゅうでん>かの>ごこえも>きくし、>もう>これで>しんでも>いい」「>まあ>ひさしぶりで>とうきょう>けんぶつを>するだけでも>えですよ。>く>さや>くん、>おじはね。>こんど>せきじゅうじの>そうかいが>あるのでわざわざしずおかから>でてきてね、>きょう>いっしょに>うえのへ>でかけた>んだがいま>そのかえりがけ>なんだよ。>それ>だからこの>とおり>せんじつ>ぼくが>しらきやへ>ちゅうもんした>ふろっく>こーとを>きている>の>さ」と>ちゅういする。>なるほど>ふろっく>こーとを>きている。>ふろっく>こーとは>きているがすこしも>からだに>あわない。>そでが>なが>すぎて、>えりが>おっ>ひらいて、>せなかへ>いけが>できて、>わきのしたが>つるしあがっている。>いくら>ぶかっこうに>つくろうと>いったって、>こうまで>ねんを>いれてかたちを>くずす>わけには>ゆかないだろう。>そのじょうはく>しゃつと>しろ>えりが>はなればなれに>なって、>おっしゃ>むくと>あいだから>いんこう>ほとけが>みえる。>だいいち>くろい>えりかざりが>えりに>ぞくしている>のか、>しゃつに>ぞくしている>のか>はんぜんしない。>ふろっくは>まだがまんが>できるがはくはつの>ちょん>まげは>はなはだ>きかんである。>ひょうばんの>てっせんは>どうかと>めを>ちゅう>けるとひざの>よこに>ちゃんと>ひきつけている。>しゅじんは>このとき>ようやく>ほんしんに>たちかえって、>せいしん>しゅうようの>けっかを>ぞんぶんに>ろうじんの>ふくそうに>おうようしてしょうしょうおどろいた。>まさか>迷>ていの>はなしほどではなかろうと>おもっていたが、>あってみると>はなしいじょうである。>もし>じぶんの>あばたが>れきし>てき>けんきゅうの>ざいりょうに>なるならば、>このろうじんの>ちょん>まげや>てっせんは>たしかに>それ>いじょうの>かちが>ある。>しゅじんは>どうか>してこの>てっせんの>ゆらいを>きいてみたいと>おもったが、>まさか、>うちつけに>しつもんする>わけには>いかず、と>いってはなしを>と>きらす>のも>れいに>かけると>おもって「>だいぶ>ひとが>でましたろう」と>きわめて>じんじょうな>といを>かけた。「>いやひじょうな>ひとで、>それでその>ひとが>かいわしを>じろじろ>みる>ので――>どうも>きんらいは>にんげんが>ものみだかく>なった>ようで>がすな。>むかし>しは>あんなではなかったが」「>ええ、>さよう、>むかしは>そんなではなかったですな」と>ろうじんらしい>ことを>いう。>これは>あながち>しゅじんが>しっ>こうふりを>した>わけではない。>ただもうろうたる>ずのうから>いいかげんに>ながれだす>げんごと>みればさしつかえない。「>それにな。>みな>このかぶと>わりへ>めを>つけるので」「>そのてっせんは>だいぶ>おもい>ものでございましょう」「>く>さや>くん、>ちょっともってみ>たまえ。>なかなかおもいよ。>おじ>さん>もたしてごらん>なさい」 >ろうじんは>おもた>そうに>とりあげて「>しつれいで>がすが」と>しゅじんに>わたす。>きょうとの>くろたにで>さんけいじんが>はす>せい>ぼうの>たちを>いただく>ような>かたで、>く>さや>せんせい>しばらくもっていたが「>なるほど」と>いった>まま>ろうじんに>へんきゃくした。「>みんなが>これを>てっせん>てっせんと>いうが、>これは>かぶと>わりと>たたえててっせんとは>まるで>べつもので……」「>へえ、>なにに>した>ものでございましょう」「>かぶとを>わる>ので、――>てきの>めが>くらむ>ところを>うち>とった>もの>でが>す。>くすのき>まさしげ>じだいから>もちいた>ようで……」「>おじ>さん、>そりゃまさしげの>かぶと>わりですかね」「>いえ、>これは>だれ>のか>わからん。>しかしじだいは>ふるい。>たて>たけし>じだいの>さくかも>しれない」「>たて>たけし>じだいかも>しれないが、>かんげつ>くんは>よわっていましたぜ。>く>さや>くん、>いま>ひがえりに>ちょうど>いい>きかいだからだいがくを>とおりぬける>ついでに>りかへ>よって、>ぶつりの>じっけんしつを>みせてもらった>ところがね。>このかぶと>わりが>てつだ>ものだから、>じりょくの>きかいが>くるっておおさわぎさ」「>いや、>そんなはずはない。>これは>たて>たけし>じだいの>てつで、>せいの>いい>てつだからけっして>そんなおそれれはない」「>いくら>せいの>いい>てつだって>そうは>いきませんよ。>げんに>かんげつが>そういったからしかたが>ないです」「>かんげつという>のは、>あのがらす>たまを>すっている>おとこ>かい。>いまの>わか>さに>きのどくな>ことだ。>もうすこしなにか>やる>ことが>あり>そうな>ものだ」「>かあいそに、>あれだって>けんきゅうで>さあ。>あのたまを>すり>あげるとりっぱな>がくしゃに>なれる>んですからね」「>たまを>すり>あげてりっぱな>がくしゃに>なれるなら、>だれにでも>できる。>わしにでも>できる。>びーどろ>やの>しゅじんにでも>できる。>ああ>いう>ことを>する>ものを>かんどでは>たま>じんと>しょうした>もので>いたってみぶんの>かるい>ものだ」と>いいながらしゅじんの>ほうを>むいてあんに>さんせいを>もとめる。「>なるほど」と>しゅじんは>かしこまっている。「>すべて>いまの>よの>がくもんは>みな|>けいじかの>がくで>ちょっとけっこうな>ようだが、>いざと>なるとすこしも>やくには>たちませんてな。>むかしは>それと>ちがってさむらいは>みな|>いのちがけの>しょう>がいだから、>いざと>いう>ときに>ろうばいせぬ>ように>こころの>しゅうぎょうを>いたした>もので、>ごしょうちでも>あ>らっしゃろうがなかなかたまを>すったり>はりがねを>なったり>する>ような>たやすい>ものではなかったのでがすよ」「>なるほど」と>やはり>かしこまっている。「>おじ>さん>しんの>しゅうぎょうと>いう>ものは>たまを>する>かわりに>ふところでを>してすわりこん>でる>んでしょう」「>それだからこまる。>けっして>そんなぞうさの>ない>ものではない。>もうしは>もとめ>ほうしんと>いわ>れた>くらいだ。>邵>やすし>ふしは>こころ>ようはなと>といた>こともある。>またぶっけでは>なかみね>おしょうと>いう>のが>ぐ>ふたいてんと>いう>ことを>おしえている。>なかなかよういには>わからん」「>とうてい>わかり>っ>こありませんね。>ぜんたい>どうすればいい>んです」「>おまえは>さわ>菴>ぜんじの>ふどう>さとし>しんみょう>ろくという>ものを>よんだ>ことが>あるかい」「>いいえ、>きいた>ことも>ありません」「>こころを>どこに>おこうぞ。>てきの>みの>働に>こころを>おけば、>てきの>みの>働に>こころを>とらるる>なり。>てきの>たちに>こころを>おけば、>てきの>たちに>こころを>とらるる>なり。>てきを>きらんと>おもう>ところに>こころを>おけば、>てきを>きらんと>おもう>ところに>こころを>とらるる>なり。>わがたちに>こころを>おけば、>われ>たちに>こころを>とらるる>なり。>われ>きら>れじと>おもう>ところに>こころを>おけば、>きら>れじと>おもう>ところに>こころを>とらるる>なり。>ひとの>構に>こころを>おけば、>ひとの>構に>こころを>とらるる>なり。>とかくこころの>おき>どころはないと>ある」「>よく>わすれずに>あんしょうした>ものですね。>おじ>さんも>なかなかきおくが>いい。>ながいじゃ>ありませんか。>く>さや>くん>わかったかい」「>なるほど」と>こんども>なるほどで>すましてしまった。「なあ、>あなた、>そうで>ござりましょう。>こころを>どこに>おこうぞ、>てきの>みの>働に>こころを>おけば、>てきの>みの>働に>こころを>とらるる>なり。>てきの>たちに>こころを>おけば……」「>おじ>さん>く>さや>くんは>そんなことは、>よく>こころえている>んですよ。>ちかごろは>まいにち>しょさいで>せいしんの>しゅうようばかり>している>んですから。>きゃくが>あっても>とりつぎに>でないくらい>こころを>おきざりに>している>んだからだいじょうぶですよ」「>や、>それは>ごきとくな>ことで――>おまえなども>ちと>ごいっしょに>やったら>よかろう」「>へへ>へ>そんなひまは>ありませんよ。>おじ>さんは>じぶんが>らくな>からだだ>もんだから、>ひとも>あそん>でると>おもっていらっしゃる>んでしょう」「>じっさいあそん>でるじゃないかの」「>ところが閑>ちゅう>じから>忙>ありでね」「>そう、>そこつだからしゅうぎょうを>せんと>いかないと>いうのよ、>ぼうちゅう|>みずから>閑>ありと>いう>せいくは>あるが、>閑>ちゅう>みずから>忙>ありと>いう>のは>きいた>ことが>ない。>な>あ>く>さや>さん」「>ええ、>どうも>ききませんよ>うで」「>はははは>そうなっちゃあてき>わ>ない。>ときに>おじ>さん>どうです。>ひさしぶりで>とうきょうの>うなぎでも>くっちゃあ。>たけ>はでも>おごりましょう。>これからでんしゃで>いくとすぐです」「>うなぎも>けっこうだが、>きょうは>これからすい>はらへ>いく>やくそくが>あるから、>わしは>これで>ごめんを>こうむろう」「>ああ>すぎはらですか、>あのじいさんも>たっしゃですね」「>すぎはらではない、>すい>はら>さ。>おまえは>よく>あいだ>違ばかり>いってこまる。>たにんの>せいめいを>とりちがえる>のは>しつれいだ。>よく>きを>つけんといけない」「>だってすぎはらと>かいてあるじゃ>ありませんか」「>すぎはらと>かいてすい>はらと>よむ>の>さ」「>みょうですね」「>なに>みょうな>ことが>ある>ものか。>めいもく>よみと>いってむかしから>ある>こと>さ。>みみずを>わめいで>みみずと>いう。>あれは>め>みずの>めいもく>よみで。>えび>蟆の>ことをか>いると>いう>のと>おなじこと>さ」「>へえ、>おどろき>ろ>いたな」「>えび>蟆を>うちころすと>あおむきに>かえる。>それを>めいもく>よみに>かいると>いう。>とおる>かきを>すい>かき、>くき>りつを>くく>りつ、>みな>おなじことだ。>すぎはらを>すぎ>はらなどと>いう>のは>いなか>ものの>ことば>さ。>すこしきを>つけないと>ひとに>わらわ>れる」「>じゃ、>その、>すい>はらへ>これから>いく>んですか。>こまったな」「>なに>いやなら>おまえは>いかんでも>いい。>わし>いちにんで>いくから」「>いちにんで>いけますか>い」「>あるいては>むずかしい。>くるまを>やとっていただいて、>ここから>のっていこう」 >しゅじんは>かしこまってただちに>ご>さんを>くるまやへ>はしら>せる。>ろうじんは>ながながと>あいさつを>してちょん>まげ>あたまへ>やま>だか>ぼうを>いただいてかえっていく。>迷>ていは>あとへ>のこる。「>あれが>きみの>おじ>さんか」「>あれが>ぼくの>はく>とうさん>さ」「>なるほど」と>ふたたびざぶとんの>うえに>すわった>なり>ふところでを>してかんがえこんでいる。「>ははは>ごうけつだろう。>ぼくも>ああいう>おじ>さんを>もってしあわせな>もの>さ。>どこへ>つれていっても>あのとおり>なんだぜ。>きみ>おどろき>ろ>いたろう」と>迷>てい>くんは>しゅじんを>おどろき>ろかした>つもりで>だいに>よろこんでいる。「>なに>そんなに>おどろきゃ>しない」「>あれで>おどろかなけりゃ、>たんりょくの>据>った>もんだ」「>しかしあの>おじ>さんは>なかなかえらい>ところが>ある>ようだ。>せいしんの>しゅうようを>しゅちょうする>ところ>なぞは>だいに>けいふくしていい」「>けいふくしていいかね。>きみも>いまに>ろくじゅうくらいに>なるとやっぱり>あのおじ>みた>ように、>じこう>おくれに>なるかも>しれ>ないぜ。>しっかりしてくれた>ま>え。>じこう>おくれの>まわり>もちな>んか>きが>きかないよ」「>きみは>しきりに>じこう>おくれを>きに>するが、>ときと>ばあいに>よると、>じこう>おくれの>ほうが>えらい>んだぜ。>だいいち>いまの>がくもんと>いう>ものは>さきへ>さきへと>いくだけで、>どこまで>いったって>さいげんは>ありゃ>しない。>とうてい>まんぞくは>え>られ>やしない。>そこへ>いくととうよう>りゅうの>がくもんは>しょうきょく>てきで>だいに>あじが>ある。>こころ>そのものの>しゅうぎょうを>する>のだから」と>せんだって>てつがく>しゃから>うけたまわ>わった>とおりを>じせつの>ように>のべ>たてる。「>えらい>ことに>なってきたぜ。>なんだか>やぎ>どく>せん>くんの>ような>ことを>いっ>てるね」 >やぎ>どく>せんと>いう>なを>きいてしゅじんは>はっと>おどろき>ろ>いた。>じつはせんだって>がりょう>窟を>ほうもんしてしゅじんを>せつ>ふくに>およんでゆうぜんと>たち>かえった>てつがく>しゃと>いう>のが>とも>なおさず>このやぎ>どく>せん>くんであって、>こんしゅじんが>しか>つめらしく>のべ>たてている>ぎろんは>まったくこの>やぎ>どく>せん>くんの>受>うりな>のであるから、>しらんと>おもった>迷>ていが>このせんせいの>なを>あいだ>ふよう>かみの>さいに>もちだした>のは>あんに>しゅじんの>いちやづくりの>かりはなを>挫>いた>わけに>なる。「>きみ>どく>せんの>せつを>きいた>ことが>ある>のか>い」と>しゅじんは>けんのんだからねんを>おしてみる。「>きいた>の、>きかない>のって、>あのおとこの>せつと>きたら、>じゅうねん>まえ>がっこうに>いた>じぶんと>きょうと>すこしも>かわりゃ>しない」「>しんりは>そうかわる>ものじゃないから、>かわらない>ところが>たのもしいかも>しれない」「>まあ>そんな贔>まけが>あるからどく>せんも>あれで>たち>いく>んだね。>だいいち>はちきと>いう>なから>して、>よく>でき>てるよ。>あのひげが>きみ>まったくやぎだからね。>そうしてあれも>きしゅくしゃ>じだいから>あのとおりの>かっこうで>はえていた>んだ。>なまえの>どく>せんなども>ふった>もの>さ。>むかし>し>ぼくの>ところへ>とまりがけに>きてれいの>とおり>しょうきょく>てきの>しゅうようと>いう>ぎろんを>してね。>いつまで>たっても>おなじことを>くりかえしてやめないから、>ぼくが>きみ>もう>ねようじゃないかと>いうと、>せんせい>きらくな>もの>さ、>いやぼくは>ねむくないと>すまし>きって、>やっぱり>しょうきょく>ろんを>やるには>めいわく>したね。>しかたが>ないからきみは>ねむくなかろうけれども、>ぼくの>ほうは>たいへん>ねむい>のだから、>どうか>ねてくれた>ま>えと>たのむ>ように>してねかしたまでは>よかったが――>そのばん|>ねずみが>でてどく>せん>くんの>はなの>あ>たまを>噛ってね。>よる>なかに>おおさわぎさ。>せんせい>さとった>ような>ことを>いう>けれどもいのちは>いぜんとして>おしかったと>みえて、>ひじょうに>しんぱいする>の>さ。>ねずみの>どくが>そうしんに>まわるとたいへんだ、>きみ>どうか>してくれと>せめるには>へいこうしたね。>それから>しかたが>ないからだいどころへ>おこなってしへんへ>めしつぶを>はってごまかしてやった>あね」「>どうして」「>これは>はくらいの>こうやくで、>きんらい|>どいつの>めいいが>はつめいした>ので、>いんど>じんなどの>どくへびに>かま>れた>ときに>もちいるとそっこうが>ある>んだから、>これさえ>はっておけばだいじょうぶだと>いってね」「>きみは>そのじぶんから>ごまかす>ことに>みょうを>えていた>んだね」「……>するとどく>せん>くんは>ああいう>こうじんぶつだから、>まったくだと>おもってあんしんしてぐ>う>ぐ>う>ねてしまった>の>さ。>あくるひ>おきてみるとこうやくの>したから>いと>くずが>ぶらさがってれいの>やぎ>ひげに>ひっかかっていた>のは>こっけいだったよ」「>しかしあの>じぶんより>だいぶ>えらく>なった>ようだよ」「>きみ>ちかごろ>あった>のか>い」「>いちしゅうかんばかり>まえに>きて、>ながい>あいだ>はなしを>していった」「>どうりで>どく>せん>りゅうの>しょうきょく>せつを>ふり>まい>わ>すと>おもった」「>じつはその>とき|>だいに>かんしんしてしまったから、>ぼくも>だいに>ふんぱつしてしゅうようを>やろうと>おもっ>てる>ところ>なんだ」「>ふんぱつは>けっこうだがね。>あんまりひとの>いう>ことを>しんに>うけるとばかを>みるぜ。>いったい>きみは>ひとの>いう>ことを>なんでもかでも>しょうじきに>うけるからいけない。>どく>せんも>くちだけは>りっぱな>ものだがね、>いざと>なるとご互と>おなじものだよ。>きみ>きゅうねん>まえの>だいじしんを>しっ>てるだろう。>あのとき>きしゅくの>にかいから>とびおりてけがを>した>ものは>どく>せん>くんだけ>なんだからな」「>あれには>とうにん|>おおいた>せつが>ある>ようじゃないか」「>そうさ、>とうにんに>いわ>せるとすこぶる>ありがたい>もの>さ。>ぜんの>きほうは>たかし>峭な>もので、>いわゆるせっかの>きと>なるとこわいくらい>はやく>ぶつに>おうずる>ことが>できる。>ほかの>ものが>じしんだと>いってうろたえている>ところを>じぶんだけは>にかいの>まどから>とびおりた>ところに>しゅうぎょうの>こうが>あらわれてうれしいと>いって、>ちんばを>ひきながらうれし>がっていた。>まけ>惜>みの>つよい>おとこだ。>いったい|>ぜんとか>ほとけとか>いってさわぎたてる>れんちゅうほど>あやしい>のは>ないぜ」「>そうかな」と>く>さや>せんせい>しょうしょうこしが>よわく>なる。「>このあいだ>きた>とき>ぜんしゅう>ぼうずの>ねごと>みた>ような>ことを>なにか>いってったろう」「>うん>でんこう>かげ>うらに>しゅんぷうを>きるとか>いう>くを>おしえていったよ」「>そのでんこう>さ。>あれが>じゅうねん>まえからの>ごはこ>なんだからおかしいよ。>むさとし>ぜんじの>でんこうと>きたら>きしゅくしゃ>なか>だれも>しらない>ものはないくらいだった。>それに>せんせい>ときどき>せきこむと>まちがえてでんこう>かげ>うらを>さかさまに>しゅんぷう>かげ>うらに>でんこうを>きると>いうからおもしろい。>こんど>ためしてみ>たまえ。>むこうで>おちつき>はらってのべ>たてている>ところを、>こっちで>いろいろ>はんたいする>んだね。>するとすぐてんとうしてみょうな>ことを>いうよ」「>きみの>ような>いたずらものに>あっちゃかなわない」「>どっちが>いたずらしゃだか>わかりゃ>しない。>ぼくは>ぜん>ぼうずだの、>さとった>のは>だいいやだ。>ぼくの>きんじょに>みなみ>ぞういんと>いう>てらが>あるが、>あすこに>はちじゅうばかりの>いんきょが>いる。>それでこの>あいだの>はくうの>とき|>てらうちへ>かみなりが>おちていんきょの>いる>にわさきの>まつのきを>さいてしまった。>ところがおしょう>たいぜんとして>へいきだと>いうから、>よく>ききあわせてみるとから>つんぼ>なんだね。>それじゃたいぜん>たる>やくさ。>たいがい>そんなもの>さ。>どく>せんも>いちにんで>さとっていればいい>のだが、>やや>ともすると>ひとを>さそいだすからわるい。>げんに>どく>せんの>おかげで>ににんばかり>き>きょうに>さ>れているからな」「>だれが」「>だれ>がって。>いちにんは>り>の>とうぜん>さ。>どく>せんの>おかげで>だいに>ぜんがくに>こりかたまってかまくらへ>でかけていって、>とうとう>でさきで>き>きょうに>なってしまった。>えんかくじの>まえに>きしゃの>ふみきりが>あるだろう、>あのふみきり>ないへ>とびこんでれーるの>うえで>ざぜんを>する>んだね。>それで>むこうから>くる>きしゃを>とめてみせると>いう>だいきえん>さ。>もっともきしゃの>ほうで>とまってくれたからいちめいだけは>とりとめたが、>そのかわり>こんどは>ひに>はいってやけず、>みずに>はいっておぼれぬ>こんごうふえの>からだだと>ごうしててらうちの>はすいけへ>はいいってぶくぶく>あるき>めぐった>もんだ」「>しんだかい」「>そのときも>こう、>どうじょうの>ぼうずが>とおりかかってたすけてくれたが、>そのご>とうきょうへ>かえってから、>とうとう>ふくまくえんで>しんでしまった。>しんだ>のは>ふくまくえんだが、>ふくまくえんに>なった>げんいんは>そうどうで>むぎめしや>まんねん>漬を>くった>せいだから、>つまるところは>かんせつに>どく>せんが>ころした>ような>もの>さ」「>むやみに>ねっちゅうする>のも>よしあし>しだね」と>しゅじんは>ちょっとぎみの>わるいという>かお>づけを>する。「>ほんとうに>さ。>どく>せんに>やら>れた>ものが>もう>いちにん>どうそう>ちゅうに>ある」「>あぶないね。>だれ>だい」「>たてまち>ろううめ>きみさ。>あのおとこも>まったくどく>せんに>そそのかさ>れてうなぎが>てんじょう>する>ような>ことばかり>いっていたが、>とうとう>きみ>ほんものに>なってしまった」「>ほんものた>あ>なんだ>い」「>とうとう>うなぎが>てんじょう>して、>ぶたが>せんにんに>なった>の>さ」「>なにの>こと>だい、>それは」「>やぎが>どく>せんなら、>たてまちは>ぶた>せんさ、>あのくらい>くいいじの>きたない>おとこはなかったが、>あのくいいじと>ぜん>ぼうずの>わる>いじが>へいはつした>のだからたすからない。>はじめは>ぼくらも>きがつかなかったがいまから>かんがえるとみょうな>ことばかり>ならべていたよ。>ぼくの>うちなどへ>きてきみ>あのまつのきへ>かつれつが>とんでき>や>しませんかの、>ぼくの>くにでは>かまぼこが>いたへ>のっておよいでいます>のって、>しきりに>けいくを>はいた>もの>さ。>ただはいている>うちは>よかったがきみ>ひょう>のど>ぶへ>きんと>んを>ほりに>いきましょうと>促が>すに>いたっては>ぼくも>こうさんしたね。>それから>にさん>にちするとついに>ぶた>せんに>なってすがもへ>しゅうようさ>れてしまった。>がんらい>ぶた>なんぞが>き>きょうに>なる>しかくはない>んだが、>まったくどく>せんの>おかげで>あすこまで>こぎ>つけた>んだね。>どく>せんの>せいりょくも>なかなかえらいよ」「>へえ、>いまでも>すがもに>いる>のか>い」「>いるだ>んじゃない。>じだい>きょうで>だいきえんを>はいている。>ちかごろは>たてまち>ろううめなんて>なは>つまらないと>いう>ので、>みずから>てんとう>こうへいと>ごうして、>てんとうの>ごんげを>もってにんじている。>すさまじい>ものだよ。>まあ>ちょっといってみ>たまえ」「>てんとう>こうへい?」「>てんとう>こうへいだよ。>き>きょうの>くせに>うまい>なを>つけた>ものだね。>ときどきは>あな>たいらとも>かく>ことが>ある。>それでなにでも>せじんが>まよっ>てるからぜひ>すくってやりたいと>いう>ので、>むやみに>ゆうじんや>なにかへ>てがみを>で>すんだね。>ぼくも>よんご>つうもらったが、>ちゅうには>なかなかながい>やつが>あってふそくぜいを>にどばかり>とら>れたよ」「>それじゃぼくの>ところへ>きた>のも>ろううめから>きた>んだ」「>きみの>ところへも>きたかい。>そいつは>みょうだ。>やっぱり>あかい>じょうぶくろだろう」「>うん、>まんなかが>あかくてさゆうが>しろい。>いっぷう>かわった>じょうぶくろだ」「>あれ>はね、>わざわざ支>那から>とりよせる>のだ>そうだよ。>てんの>みちは>しろ>なり、>ちの>みちは>しろ>なり、>ひとは>ちゅうかんに>あってあかしと>いう>ぶた>せんの>かくげんを>しめした>んだって……」「>なかなかいんねんの>ある>じょうぶくろだね」「>き>きょうだけに>だいに>こった>もの>さ。>そうしてき>きょうに>なっても>くいいじだけは>いぜんとして>そんしている>ものと>みえて、>まいかい>かならずしょくもつの>ことが>かいてあるからきみょうだ。>きみの>ところへも>なんとか>いってきたろう」「>うん、>なまこの>ことが>かいてある」「>ろううめは>なまこが>すきだったからね。>もっともだ。>それから?」「>それからふぐと>ちょうせん>じん>さんか>なにか>かいてある」「>ふぐと>ちょうせん>じん>さんの>とりあわせは>うまいね。>おおかた>ふぐを>くってあたった>ら>ちょうせん>じん>さんを>せんじてのめとでも>いう>つもりな>んだろう」「>そうでもない>ようだ」「>そうでなくても>かまわない>さ。>どうせ>き>きょうだ>もの。>それ>っきり>かい」「>まだある。>く>さや>せんせい>ごちゃでも>あがれと>いう>くが>ある」「>あははは>ごちゃでも>あがれは>きびし>すぎる。>それでだいに>きみを>やりこめた>つもりに>違>ない。>だいできだ。>てんとう>こうへい>くん>ばんざいだ」と>迷>てい>せんせいは>おもしろ>がって、>だいに>わらい>だす。>しゅじんは>すくなからざる>みこと>けいをもって>はんぷく|>どくじゅした>しょかんの>さしだしにんが>きんぱく>つきの>きょうじんであると>しってから、>さいぜんの>ねっしんと>くしんが>なんだか>むだぼねの>ような>きが>してはらだたしくもあり、>またふうてん>びょうしゃの>ぶんしょうを>さほど>しんろうして翫>あじ>したかと>おもうとはずかしくもあり、>さいごに>きょうじんの>さくに>これほど>かんぷくする>いじょうは>じぶんも>たしょうしんけいに>いじょうが>ありは>せぬかとの>ぎねんも>ある>ので、>りっぷくと、>ざんきと、>しんぱいの>がっぺいした>じょうたいで>なんだか>おちつかない>かお>づけを>してひかえている。 >おりから>ひょう>こうしを>あら>らかに>あけて、>おもい>くつの>おとが>にた>あしほど>くつ>だっに>ひびいたと>おもったら「>ちょっとたのみます、>ちょっとたのみます」と>おおきなこえが>する。>しゅじんの>しりの>おもいに>はんして迷>ていは>またすこぶる>きがるな>おとこであるから、>ご>さんの>とりつぎに>でる>のも>またず、>とおれと>いいながらへだての>なかのまを>にた>あしばかりに>とびこえてげんかんに>おどり>だした。>ひとの>うちへ>あんないも>こわずに>つかつか>はいいり>こむ>ところは>めいわくの>ようだが、>ひとの>うちへ>はいいった>いじょうは>しょせい>どうよう>とりつぎを>つとめるからはなはだ>べんりである。>いくら>迷>ていでも>ごきゃく>さんには>そういない、>そのごきゃく>さんが>げんかんへ>しゅっちょうする>のに>しゅじんたる>く>さや>せんせいが>ざしきへ>かまえ>こんでうごかん>ほうはない。>ふつうの>おとこなら>あとから>ひきつづいてしゅつじんすべき>はずであるが、>そこが>く>さや>せんせいである。>へいきに>ざぶとんの>うえへ>しりを>おちつけている。>ただしおちつけている>のと、>おちついている>のとは、>そのおもむきは>だいぶ>にているが、>そのじっしつは>よほど>ちがう。 >げんかんへ>とびだした>迷>ていは>なにか>しきりに>べんじていたが、>やがて>おくの>ほうを>むいて「>おい>ごしゅじん>ちょっとごそくろうだがでてくれた>ま>え。>きみでなくっちゃ、>まにあわない」と>おおきなこえを>だす。>しゅじんは>やむをえずふところでの>ままの>そりの>そりと>でてくる。>みると>迷>てい>くんは>いちまいの>めいしを>にぎった>まま>しゃがんであいさつを>している。>すこぶる>いげんの>ない>こしつきである。>そのめいしには>けいしちょう>けいじ>じゅんさ|>よしだ>とら>くらと>ある。>とら>くら>くんと>ならんでたっている>のは>にじゅう>ごろくの>せの>たかい、>いなせな>とうざん>ずくめの>おとこである。>みょうな>ことに>このおとこは>しゅじんと>おなじく>ふところでを>した>まま、>むごんで>突>たっている。>なんだか>みた>ような>かおだと>おもってよくよく>かんさつすると、>みた>ような>どころじゃない。>このあいだ>しんや>ごらいほうに>なってやまのいもを>もっていか>れた>どろぼう>くんである。>おや>こんどは>はくちゅう>こうぜんと>げんかんから>おいでに>なったな。「>おい>このほうは>けいじ>じゅんさで>せんだっての>どろぼうを>つら>まえたから、>きみに>しゅっとうしろと>いう>んで、>わざわざおいでに>なった>んだよ」 >しゅじんは>ようやく>けいじが>ふみこんだ>りゆうが>わかったと>みえて、>あたまを>さげてどろぼうの>ほうを>むいててい>やすしに>ごじぎを>した。>どろぼうの>ほうが>とら>くら>きみより>おとこぶりが>いいので、>こっちが>けいじだと>はやがてんを>した>のだろう。>どろぼうも>おどろき>ろ>いたに>そういないが、>まさか>わたしが>どろぼうですよと>ことわる>わけにも>いかなかったと>みえて、>すましてたっている。>やはり>ふところでの>ままである。>もっともてじょうを>はめている>のだから、>だそうと>いっても>でる>き>やはない。>つうれいの>ものなら>このようすで>たいていは>わかる>はずだが、>このしゅじんは>とうせいの>にんげんに>にあわず、>むやみに>やくにんや>けいさつを>ありがたがる>くせが>ある。>おかみの>ごいこうと>なるとひじょうに>おそれ>しい>ものと>こころえている。>もっともりろん>じょうから>いうと、>じゅんさ>なぞは>じぶん>たちが>きんを>だしてばんにんに>やとっておく>の>だく>らいの>ことは>こころえている>のだが、>じっさいに>のぞむといやに>へえ>へえ>する。>しゅじんの>おやじは>そのむかし>ばすえの>なぬしであったから、>うえの>しゃに>ぴょこぴょこ>あたまを>さげてくらした>しゅうかんが、>いんがと>なってかように>こに>酬>った>のかも>しれない。>まことに>きのどくな>いたりである。 >じゅんさは>おかしかったと>みえて、>にやにや>わらいながら「>あしたね、>ごぜん>きゅうじまでに>にほんづつみの>ぶんしょまで>きてください。――>とうなん>ひんは>なんと>なにでしたかね」「>とうなん>ひんは……」と>いい>かけたが、>あいにくせんせい>たいがい>わすれている。>ただおぼえている>のは>たたら>さんぺいの>やまのいもだけである。>やまのいもなどは>どうでも>かまわんと>おもったが、>とうなん>ひんは……と>いい>かけてあとが>でない>のは>いかにも>よたろうの>ようで>ていさいが>わるい。>ひとが>ぬすま>れた>のなら>いざ>しらず、>じぶんが>ぬすま>れておきながら、>めいりょうの>こたえが>できん>のは>いちにんまえではない>しょうこだと、>おもいきって「>とうなん>ひんは……>やまのいも>いちはこ」と>つけた。 >どろぼうは>このとき>よほど>おかしかったと>みえて、>したを>むいてきものの>えりへ>あごを>いれた。>迷>ていは>あはははと>わらいながら「>やまのいもが>よほど>おしかったと>みえるね」と>いった。>じゅんさだけは>ぞんがい>まじめである。「>やまのいもは>でない>ようだがほかの>ぶっけんは>たいがい>もどった>ようです。――>まあ>きてみたら>わかるでしょう。>それでね、>さげわたしたら>うけしょが>はいるから、>いんぎょうを>わすれずに>もっておいで>なさい。――>きゅうじまでに>こなくっては>いかん。>にほんづつみ>ぶんしょです。――>あさくさ>けいさつ>しょの>かんかつないの>にほんづつみ>ぶんしょです。――>それじゃ、>さようなら」と>ひとりで>べんじてかえっていく。>どろぼう>くんも>つづいてもんを>でる。>てが>だせないので、>もんを>しめる>ことが>できないからあけはなしの>まま>おこなってしまった。>おそれいりながらも>ふへいと>みえて、>しゅじんは>ほおを>ふくらして、>ぴしゃりと>たて>きった。「>あははは>くんは>けいじを>たいへん>そんけいするね。>つねに>ああ>いう>きょうけんな>たいどを>もっ>てると>いい>おとこだが、>きみは>じゅんさだけに>てい>やすし>なんだからこまる」「>だってせっかく>しら>せてきてくれた>んじゃないか」「>しらせに>くる>ったって、>さきは>しょうばいだよ。>あたりまえに>あしらっ>てりゃ>たくさんだ」「>しかしただの>しょうばいじゃない」「>むろん>ただの>しょうばいじゃない。>たんていと>いう>いけすかない>しょうばいさ。>あたりまえの>しょうばいより>かとうだね」「>きみ>そんなことを>いうと、>ひどい>めに>あうぜ」「>ははは>それじゃけいじの>わるぐちは>やめに>しよう。>しかしけいじを>そんけいする>のは、>まだしもだが、>どろぼうを>そんけいするに>いたっては、>おどろかざるを>えんよ」「>だれが>どろぼうを>そんけいしたい」「>きみが>した>の>さ」「>ぼくが>どろぼうに>ちかづきが>ある>もんか」「>ある>もんかって>きみは>どろぼうに>おじぎを>したじゃないか」「>いつ?」「>たったいま|>へいしんていとうした>じゃないか」「>うま>しか>あ>いってら、>あれは>けいじだね」「>けいじが>あんな>なりを>する>ものか」「>けいじだからあんな>なりを>する>んじゃないか」「>がんこだな」「>きみこそ>がんこだ」「>まあ>だいいち、>けいじが>ひとの>ところへ>きてあんなにふところでなんか>して、>突>たっている>ものかね」「>けいじだって>ふところでを>しないとは>かぎるまい」「>そうもうれつに>やってきては>おそれいるがね。>きみが>おじぎを>する>あいだ>あいつは>しじゅうあの>ままで>たっていた>のだぜ」「>けいじだから>そのくらいの>ことは>あるかも>しれ>ん>さ」「>どうも>じしん>かだな。>いくら>いっても>きかないね」「>きかない>さ。>きみは>くちさきばかりで>どろぼうだ>どろぼうだと>いっ>てるだけで、>そのどろぼうが>はいる>ところを>みとどけた>わけじゃない>んだから。>ただそうおもってひとりで>ごうじょうを>はっ>てる>んだ」 >迷>ていも>ここにおいて>とうてい>さいどすべからざる>おとこと>だんねんした>ものと>みえて、>れいに>にず>だまってしまった。>しゅじんは>ひさしぶりで>迷>ていを>へこましたと>おもってだいとくいである。>迷>ていから>みるとしゅじんの>かちは>ごうじょうを>はっただけ>げらくした>つもりであるが、>しゅじんから>いうとごうじょうを>はっただけ>迷>ていより>えらく>なった>のである。>よのなかには>こんなとんちんかんな>ことは>まま>ある。>ごうじょうさえ>はり>とおせばかった>きで>いる>うちに、>とうにんの>じんぶつとしての>そうばは>はるかに>げらくしてしまう。>ふしぎな>ことに>がんこの>ほんにんは>しぬまで>じぶんは>めんぼくを>施>こした>つもりか>なにかで、>そのとき>いご>じんが>けいべつしてあいてに>してくれない>のだとは>ゆめにも>さとり>えない。>こうふくな>ものである。>こんなこうふくを>ぶた>てき>こうふくと>なづける>のだ>そうだ。「>ともかくも>あした>いく>つもりか>い」「>いくとも、>きゅうじまでに>らいいと>いうから、>はちじから>でていく」「>がっこうは>どうする」「>やすむさ。>がっこうなんか」と>擲>きつける>ように>いった>のは>たけしな>ものだった。「>えらい>ぜいだね。>やすんでも>いい>のか>い」「>いいとも>ぼくの>がっこうは>げっきゅうだから、>さしひか>れる>き>やはない、>だいじょうぶだ」と>まっすぐに>はくじょうしてしまった。>ずるい>ことも>ずるいが、>たんじゅんな>ことも>たんじゅんな>ものだ。「>きみ、>いく>のは>いいが>みちを>しっ>てる>かい」「>しる>ものか。>くるまに>のっていけばわけはないだろう」と>ぷんぷん>している。「>しずおかの>おじに>ゆずらざる>ひがし>きょう>どおり>なるには>おそれいる」「>いくらでも>おそれいるがいい」「>ははは>にほんづつみ>ぶんしょと>いう>のはね、>きみ>ただの>ところじゃないよ。>よしわらだよ」「>なんだ?」「>よしわらだよ」「>あのゆうかくの>ある>よしわらか?」「>そうさ、>よしわらと>うん>やあ、>とうきょうに>ひとつ>しかな>いやね。>どうだ、>おこなってみる>きか>い」と>迷>てい>くん>またからかい>かける。 >しゅじんは>よしはらと>きいて、>そいつは>と>しょうしょう|>しゅんじゅんの>からだであったが、>たちまちおもいかえして「>よしわらだろうが、>ゆうかくだろうが、>いったん>いくと>いった>いじょうは>きっと>いく」と>はいらざる>ところに>ちから>あじで>みせた。>ぐじんは>えてこんな>ところに>いじを>はる>ものだ。 >迷>てい>くんは「>まあ>おもしろかろう、>みてきた>ま>え」と>いったのみである。>いちはらんを>しょうじた>けいじ>じけんは>これで>ひとまず>らくちゃくを>つげた。>迷>ていは>それからしょう>かわらず>だべんを>ろうしてひぐれ>かた、>あまりおそく>なるとおじに>おこら>れると>いってかえっていった。 >迷>ていが>かえってから、>そこそこに>ばん>めしを>すまして、>またしょさいへ>ひきあげた>しゅじんは>ふたたびこうしゅしてしたの>ように>かんがえ>はじめた。「>じぶんが>かんぷくして、>だいに>みならおうと>した>やぎ>どく>せん>くんも>迷>ていの>はなしに>よってみると、>べつだんみならうにも>およばない>にんげんの>ようである。>のみ>ならず>かれの>しょうどうする>ところの>せつは>なんだか>ひじょうしきで、>迷>ていの>いう>とおり>たしょう|>ふうてん>てき>けいとうに>ぞくしても>おり>そうだ。>いわんや>かれは>れき>乎と>した>ににんの>き>きょうの>こぶんを>ゆうしている。>はなはだ>きけんである。>めったに>ちかよるとどうけいとう>ないに>ひきずりこま>れ>そうである。>じぶんが>ぶんしょうの>うえにおいて>きょうたんの>よ、>これこそ>だいけんしきを>ゆうしている>いじんに>そういないと>おもいこんだ>てんとう>こうへい>じじつ>なだち>まち>ろううめは>じゅんぜんたる>きょうじんであって、>げんに>すがもの>びょういんに>ききょしている。>迷>ていの>きじゅつが>ぼう>だいの>ざれ>げんにも>せよ、>かれが>ふうてん>いん>ちゅうに>せいめいを>擅>ままに>しててんとうの>しゅさいをもって>みずから>にん>ずるは>おそらく>じじつであろう。>こういう>じぶんも>ことに>よるとしょうしょうござっているかも>しれない。>どうき>しょう>もとめ、>どうるい>しょう>あつまると>いうから、>き>きょうの>せつに>かんぷくする>いじょうは――>すくなくとも>そのぶんしょう>げんじに>どうじょうを>ひょうする>いじょうは――>じぶんも>またき>きょうに>えんの>ちかい>もので>あるだろう。>よし>どうけい>ちゅうに>い>かせら>れんでも>のきを>くらべてきょうじんと>となり>あわせに>いを>ぼくすると>すれば、>さかいの>かべを>いちじゅう>うちぬいていつのまにか>どうしつないに>ひざを>つきあわせてだんしょうする>ことが>ないとも>かぎらん。>こいつは>たいへんだ。>なるほど>かんがえてみるとこのほど>じゅうから>じぶんの>のうの>さようは>われながらおどろくくらい>き>じょうに>みょうを>てんじ>へん>そばに>ちんを>そえている。>のうしょう>いちしゃくの>かがく>てき>へんかは>とにかく>いしの>うごいてこういと>なる>ところ、>はっしてげんじと>かする>へんには>ふしぎにも>ちゅうようを>しっした>てんが>おおい。>した>じょうに>りゅう>いずみ>なく、>わき>かに>せいふうを>しょうぜ>ざるも、>しこんに>きょうしゅう>あり、>すじ>あたまに>瘋>あじ>あるを>いかんせん。>いよいよ>たいへんだ。>ことに>よるともう>すでに>りっぱな>かんじゃに>なっている>のではないか>しらん。>まだこうに>ひとを>きず>けたり、>せけんの>じゃまに>なる>ことを>し>で>かさんから>やはり>ちょうないを>おいはらわ>れずに、>とうきょう>しみんとして>そんざいしている>のではなかろうか。>こいつは>しょうきょくの>せっきょくの>と>いう>だんじゃない。>まず>みゃくはくから>してけんさしなくては>ならん。>しかしみゃくには>かわりはない>ようだ。>あたまは>あついか>しらん。>これも>べつに>ぎゃくじょうの>きみでもない。>しかしどうも>しんぱいだ。」「>こうじぶんと>き>きょうばかりを>ひかくしてるいじの>てんばかり>かんじょうしていては、>どうしても>き>きょうの>りょうぶんを>だっする>ことは>でき>そうにも>ない。>これは>ほうほうが>わるかった。>き>きょうを>ひょうじゅんに>してじぶんを>そっちへ>ひきつけてかいしゃくするから>こんなけつろんが>でる>のである。>もし>けんこうな>ひとを>ほんいに>してその>そばへ>じぶんを>おいてかんがえてみた>ら>あるいははんたいの>けっかが>でるかも>しれない。>それには>まず>てぢかから>はじめなくては>いかん。>だいいちに>きょう>きた>ふろっく>こーとの>おじ>さんは>どうだ。>こころを>どこに>おこうぞ……>あれも>しょうしょうあやしい>ようだ。>だいにに>かんげつは>どうだ。>あさから>ばんまで>べんとう>じさんで>たまばかり>みがいている。>これも>ぼうぐみだ。>だいさんにと……>迷>てい? >あれは>ふざけ>めぐる>のを>てんしょくの>ように>こころえている。>まったくようせいの>き>きょうに>そういない。>だいよん>はと……>かねでんの>さいくん。>あのどく>あくな>こんじょうは>まったくじょうしきを>はずれている。>じゅんぜんたる>きじ>る>しに>きょく>っ>てる。>だいごは>かねだ>くんの>ばんだ。>かねだ>くんには>ごめに>かかった>ことはないが、>まず>あのさいくんを>うやうやしく>おっ>たてて、>きんしつ>ちょうわしている>ところを>みるとひぼんの>にんげんと>みたててさしつかえ>あるまい。>ひぼんは>き>きょうの>いみょうであるから、>まず>これも>どうるいに>しておいてかまわない。>それからと、――>まだある>ある。>落>くも>かんの>しょくん>こだ、>ねんれいから>いうとまだめばえだが、>そうきょうの>てんにおいては>いっせいを>そら>しゅう>するに>たる>てん>はれな>ごうの>ものである。>こうかぞえたててみるとたいていの>ものは>どうるいの>ようである。>あんがいこころじょうぶに>なってきた。>ことに>よるとしゃかいは>みんな>き>きょうの>より>ごうかも>しれない。>き>きょうが>しゅうごうして鎬を>けずってつかみあい、>いがみあい、>ののしり>あい、>うばいあって、>そのぜんたいが>だんたいとして>さいぼうの>ように>くずれたり、>もち>のぼったり、>もち>のぼったり、>くずれたり>してくらしていく>のを>しゃかいと>いう>のではないか>しらん。>そのなかで>たしょう|>りくつが>わかって、>ふんべつの>ある>やつは>かえって>じゃまに>なるから、>ふうてん>いんという>ものを>つくって、>ここへ>おしこめてで>られない>ように>する>のではないか>しらん。>するとふうてん>いんに>ゆうへいさ>れている>ものは>ふつうの>ひとで、>いんがいに>あばれている>ものは>かえって>き>きょうである。>き>きょうも>こりつしている>あいだは>どこまでも>き>きょうに>さ>れてしまうが、>だんたいと>なってせいりょくが>でると、>けんぜんの>にんげんに>なってしまう>のかも>しれない。>おおきなき>きょうが>きんりょくや>いりょくを>らんようしておおくの>しょうき>きょうを>しえきしてらんぼうを>はたらいて、>ひとから>りっぱな>おとこだと>いわ>れている>れいは>すくなくない。>なにが>なんだか>わからなく>なった」 >いじょうは>しゅじんが>とうや|>煢々>たる>ことうの>したで>ちんしじゅくりょした>ときの>こころ>てき>さようを>ありのままに>えがきだした>ものである。>かれの>ずのうの>ふとうめいなる>ことは>ここにも>しる>る>しく>あらわ>れている。>かれは>かいぜるに>にた>はちじ>ひげを>蓄>うる>にもかかわらずきょうじんと>じょうじんの>さべつさえ>なし>えぬ>くらいの>凡>くらである。>のみ>ならず>かれは>せっかく>このもんだいを>ていきょうしてじこの>しさくりょくに>うったえながら、>ついに>なんらの>けつろんに>たち>せず>してやめてしまった。>なにごとに>よらず>かれは>てっていてきに>かんがえる>のう>りょくの>ない>おとこである。>かれの>けつろんの>ぼうばくとして、>かれの>びこうから>へいしゅつする>あさひの>けむりのごとく、>ほそくしが>たきは、>かれの>ぎろんにおける>ゆいいつの>とくしょくとして>きおくすべき>じじつである。 >わがはいは>ねこである。>ねこの>くせに>どうして>しゅじんの>しんじゅうを>かく>せいみつに>きじゅつし>えるかと>うたがう>ものが>あるかも>しれんが、>このくらいな>ことは>ねこにとって>なにでも>ない。>わがはいは>これで>どくしんじゅつを>こころえている。>いつ>こころえたなんて、>そんなよけいな>ことは>きかんでも>いい。>ともかくも>こころえている。>にんげんの>ひざの>うえへ>のってねむっている>うちに、>わがはいは>わがはいの>やわらかな>け>ころもを>そっと>にんげんの>はらに>こすり>つける。>するといちどうの>でんきが>たってかれの>はらのうちの>いきさつが>てに>とる>ように>わがはいの>しんがんに>えいずる。>せんだってなどは>しゅじんが>やさしく>わがはいの>あたまを>なで>まわしながら、>とつぜんこの>ねこの>かわを>はいでちゃんちゃんに>したら>さぞ>あたたかで>よかろうと>とんでも>ない>りょうけんを>むらむらと>おこした>のを>そくざに>きどっておぼえず>ひ>やっと>した>ことさえ>ある。>こわい>ことだ。>とうや>しゅじんの>あたまの>なかに>たった>いじょうの>しそうも>そんなわけあいで>こうにも>しょくんに>ごほうどうする>ことが>できる>ように>あいなった>のは>わがはいの>だいに>えいよと>する>ところである。>ただししゅじんは「>なにが>なんだか>わからなく>なった」まで>かんがえてその>あと>はぐう>ぐ>う>ねてしまった>ので>ある、>あすに>なればなにを>どこまで>かんがえたか>まるで>わすれてしまうに>違>ない。>きょうこう>もし>しゅじんが>き>きょうについて>かんがえる>ことが>あると>すれば、>もう>いち|>かえ>でなおしてあたまから>かんがえ>はじめなければならぬ。>そうするとはたして>こんなけいろを>とって、>こんなかぜに「>なにが>なんだか>わからなく>なる」か>どうだか>ほしょうできない。>しかしなに>かえ>かんがえなおしても、>なんじょうの>けいろを>とってすすもうとも、>ついに「>なにが>なんだか>わからなく>なる」だけは>たしかである。        >じゅう「>あなた、>もう>ななじですよ」と>ふすま>ごしに>さいくんが>こえを>かけた。>しゅじんは>めが>さめている>のだか、>ねている>のだか、>むこう>むきに>なっ>たぎり>へんじも>しない。>へんじを>しない>のは>このおとこの>くせである。>ぜひ>なんとか>くちを>きらなければならない>ときは>うんと>いう。>この>うんも>よういな>ことでは>でてこない。>にんげんも>へんじが>うるさく>なるくらい>ぶしょうに>なると、>どことなく>おもむきが>あるが、>こんなひとに>かぎっておんなに>すか>れた>ためしが>ない。>げんざい>つれそう>さいくんで>す>ら、>あまりちんちょうしておらんよ>う>だから、>そのたは>おしてしるべしと>いっても>たいしたあいだ>違はなかろう。>おや>きょうだいに>みはなさ>れ、>あかの>たにんの>けいせいに、>かわい>がら>りょう>はずが>ない、と>ある>いじょうは、>さいくんにさえ>もてない>しゅじんが、>せけん>いっぱんの>しゅくじょに>きにいる>はずが>ない。>なにも>いせい>かんに>ふじんぼうな>しゅじんを>このさい>ことさらに>ばくろする>ひつようも>ない>のだが、>ほんにんにおいて>ぞんがいな>かんがえ>違を>して、>まったくとしまわりの>せいで>さいくんに>すか>れない>のだなどと>りくつを>つけていると、>迷の>たねであるから、>じかくの>いちじょにも>なろうかと>しんせつしんから>ちょっともうし>そえるまでである。 >いいつけ>られた>じこくに、>じこくが>きたと>ちゅういしても、>せんぽうが>そのちゅういを>むに>する>いじょうは、>むこうを>むいてう>んさえ>はっせ>ざる>いじょうは、>そのきょくは>おっとに>あって、>つまに>あらずと>ろんていしたる>さいくんは、>おそく>なっても>しりませんよと>いう>しせいで>ほうきと>はたきを>かついでしょさいの>ほうへ>おこなってしまった。>やがて>ぱた>ぱた>しょさい>ちゅうを>たたき>ちらす>おとが>する>のは>れいによって>れいのごとき>そうじを>はじめた>のである。>いったい>そうじの>もくてきは>うんどうの>ためか、>ゆうぎの>ためか、>そうじの>やくめを>おびぬ>わがはいの>かんちする>ところでないから、>しらんかおを>していればさしつかえない>ようなものの、>ここの>さいくんの>そうじほうの>ごときに>いたっては>すこぶる>むいぎの>ものと>いわざるを>えない。>なにが>むいぎであるかと>いうと、>このさいくんは>たんに>そうじの>ために>そうじを>しているからである。>はたきを>ひととおり>しょうじへ>かけて、>ほうきを>いちおうたたみの>うえへ>すべら>せる。>それで>そうじは>かんせいした>ものと>かいしゃくしている。>そうじの>みなもと>いんおよびけっかに>いたっては>みじんの>せきにん>だに>せおっておらん。>かるがゆえにきれいな>ところは>まいにち>きれいだが、>ごみの>ある>ところ、>ほこりの>せきって>いる>ところは>いつでも>ごみが>たまってほこりが>せきって>いる。>つげ>ついたちの※>ひつじと>いう>こじも>ある>ことだから、>これ>でもや>らんよりは>ましかも>しれない。>しかしやっても>べつだんしゅじんの>ためには>ならない。>ならない>ところを>まいにち>まいにち>ごくろうにも>やる>ところが>さいくんの>えらい>ところである。>さいくんと>そうじとは>たねんの>しゅうかんで、>きかい>てきの>れんそうを>かたちづくってがんとして>むすびつけ>られているにも>かかわらず、>そうじの>みに>いたっては、>さいくんが>いまだうまれ>ざる>いぜんのごとく、>はたきと>ほうきが>はつめいせら>れ>ざる>むかしのごとく、>ごうも>あがっておらん。>おもうに>このりょうしゃの>かんけいは>けいしき>ろんり>がくの>めいだいにおける>な>じの>ごとく>そのないようの>いかんに>かかわらず>けつごうせら>れた>ものであろう。 >わがはいは>しゅじんと>ちがって、>がんらいが>はや>おこしの>ほうだから、>このとき>すでに>くうふくに>なってまいった。>とうてい>うちの>もの>さえ>ぜんに>むかわぬ>さきから、>ねこの>みぶんをもって>あさめしに>あり>つける>わけの>ものではないが、>そこが>ねこの>あさまし>さで、>もしや>けむりの>たった>しるの>こうが>あわび>かいの>なかから、>うま>そうに>たちのぼっておりは>すまいかと>おもうと、>じっと>してい>られなく>なった。>はかない>ことを、>はかないと>しりながらたのみに>する>ときは、>ただその>たのみだけを>あたまの>なかに>えがいて、>うごかずに>おちついている>ほうが>とくさくであるが、>さてそうは>いかぬ>もので、>こころの>がんと>じっさいが、>あうか>あわぬか>ぜひとも>しけんしてみたく>なる。>しけんしてみればかならずしつぼうするに>きまっ>てる>ことです>ら、>さいごの>しつぼうを>みずから>じじつの>うえに>うけとるまでは>しょうちできん>ものである。>わがはいは>たまらなく>なってだいどころへ>はいで>した。>まず>へっ>ついの>かげに>ある>あわび>かいの>なかを>のぞいてみるとあんに>ちがわず、>ゆうべ>なめ>つくした>まま、>闃>しかとして、>あやしき>ひかりが>ひきまどを>もる>しょしゅうの>ひかげに>かがやいている。>ご>さんは>すでに>たき>りつの>めしを、>ごひつに>うつして、>いまや>しちりんに>かけた>なべの>なかを>かきまぜつつある。>かまの>しゅういには>わきあがってながれ>だした>べいの>しるが、>かさかさに>いくじょうと>なく>こびりついて、>ある>ものは>よしのがみを>はり>つけた>ごとくに>みえる。>もう>めしも>しるも>できている>のだからくわせても>よ>さ>そうな>ものだと>おもった。>こんなときに>えんりょする>のは>つまらない>はなしだ、>よしんば>じぶんの>もち>どおりに>ならなくっ>たってもともとで>そんは>いかない>のだから、>おもいきってあさめしの>さいそくを>してやろう、>いくら>いそうろうの>みぶんだって>ひもじいに>かわりはない。と>かんがえ>さだめた>わがはいはにゃ>あにゃ>あと>あまえる>ごとく、>訴>うるがごとく、>あるいはまた怨>ずるがごとく>ないてみた。>ご>さんは>いっこう>かえりみる>けしきが>ない。>うまれ>ついての>おたかくだからにんじょうに>うとい>のは>とうから>しょうちの>うえだが、>そこを>うまく>なき>たててどうじょうを>おこさ>せる>のが、>こっちの>てぎわである。>こんどはにゃ>ごにゃ>ごと>やってみた。>そのなきごえは>われながらひそうの>おとを>おびててんがいの>ゆうしを>してだんちょうの>思>あら>しむ>るに>たると>しんずる。>ご>さんは>恬として>かえりみない。>このおんなは>つんぼな>のかも>しれない。>つんぼでは>げじょが>つとまる>わけが>ないが、>ことに>よるとねこの>こえだけには>つんぼな>のだろう。>よのなかには>しきもうという>のが>あって、>とうにんは>かんぜんな>しりょくを>そなえている>つもりでも、>いしゃから>いわ>せると>かたわだ>そうだが、>このご>さんは>こえ>めくらな>のだろう。>こえ>めくらだって>かたわに>ちがいない。>かたわの>くせに>いやに>おうふうな>ものだ。>よなか>なぞでも、>いくら>こっちが>ようが>あるからあけてくれろと>いっても>けっして>あけてくれた>ことが>ない。>たまに>だしてくれたと>おもうとこんどは>どうしても>いれてくれない。>なつだって>よつゆは>どくだ。>いわんや>しもに>おいてを>やで、>のきしたに>たち>あかして、>ひのでを>まつ>のは、>どんなに>つらいか>とうてい>そうぞうが>できる>ものではない。>このあいだ>しめ>だしを>くった>とき>なぞは>のらいぬの>しゅうげきを>こうむって、>すでに>あやうく>みえた>ところを、>ようやくの>ことで>ものおきの>いえ>ねへ>かけ>のぼって、>しゅうや|>顫>え>つづけた>ことさえ>ある。>これ>とうは>かいご>さんの>ふにんじょうから>はいたいした>ふつごうである。>こんなものを>あいてに>してないてみせたって、>かんのうの>ある>はずはない>のだが、>そこが、>ひもじい>ときの>かみだのみ、>ひんの>ぬすみに>こいの>ふみと>いうくらいだから、>たいていの>ことなら>やるきに>なる。にゃ>ごおうにゃ>ごおうと>さんどめには、>ちゅういを>かんきする>ために>ことさらに>ふくざつ>なる>なき>かたを>してみた。>じぶんでは>べとヴぇんの>しんふぉにーにも>おとらざる>び>みょうの>おとと>かくしんしている>のだがご>さんには>なんらの>えいきょうも>しょうじない>ようだ。>ご>さんは>とつぜんひざを>ついて、>あげ>ばんを>いちまい>はね>のけて、>ちゅうから>かたずみの>よんすんばかり>ちょう>い>のを>いちほん>つかみ>だした。>それからその>ながい>やつを>しちりんの>かくで>ぽんぽんと>たたいたら、>ながい>のが>みっつほどに>くだけてきんじょは>すみの>こなで>まっくろく>なった。>しょうしょうは>しるの>なかへも>はいいったらしい。>ご>さんは>そんなことに>とんじゃくする>おんなではない。>ただちに>くだけ>たる>さんこの>すみを>なべの>しりから>しちりんの>なかへ>おしこんだ。>とうてい>わがはいの>しんふぉにーには>みみを>かたむけ>そうにも>ない。>しかたが>ないからしょうぜんと>ちゃのまの>ほうへ>ひきかえそうとして>ふろ>じょうの>よこを>とおりすぎると、>ここは>こんおんなのこが>さんにんで>かおを>あらっ>てる>さいちゅうで、>なかなかはんじょうしている。 >かおを>あらうと>いった>ところで、>うえの>ににんが>ようちえんの>せいとで、>さんばんめは>あねの>しりについてさえ>いか>れない>くらい>ちいさい>のだから、>せいしきに>かおが>あらえて、>きように>ごけしょうが>できる>はずが>ない。>いちばん>ちいさい>のが>ばけつの>なかから>ぬれ>ぞうきんを>ひきずりだしてしきりに>かお>ちゅう|>なで>まわり>わ>している。>ぞうきんで>かおを>あらう>のは>さだめし>こころもちが>わるかろうけれども、>じしんが>ゆる>たびに>おもち>ろ>い>わと>いう>こだから>このくらいの>ことは>あっても>おどろき>ろくに>たらん。>ことに>よると>やぎ>どく>せん>くん>より>さとっているかも>しれない。>さすがに>ちょうじょは>ちょうじょだけに、>あねをもって>みずから>にんじているから、>う>がい>ちゃわんを>からから>かんと>ほう>だして「>ぼうや>ちゃん、>それは>ぞうきんよ」と>ぞうきんを>とりに>かかる。>ぼうや>ちゃんも>なかなかじしん>かだからよういに>あねの>いう>ことな>んか>きき>そうに>しない。「>いやーよ、>ば>ぶ」と>いいながらぞうきんを>ひっぱり>かえした。>このば>ぶ>なる>かたりは>いかなるいぎで、>いかなるごげんを>ゆうしているか、>だれも>しっ>てる>ものが>ない。>ただこの>ぼうや>ちゃんが>かんしゃくを>おこした>ときに>おりおりごしように>なるばかりだ。>ぞうきんは>このとき>あねの>てと、>ぼうや>ちゃんの>てで>さゆうに>ひっぱら>れるから、>みずを>ふくんだ>まんなかから>ぽたぽた>しずくが>たれて、>ようしゃなく>ぼうやの>あしに>かかる、>あしだけなら>がまんするがひざの>あたりが>したたか>ぬれる。>ぼうやは>これでも>げんろくを>きている>のである。>げんろくとは>なにの>ことだと>だんだんきいてみると、>ちゅうがたの>もようなら>なにでも>げんろくだ>そうだ。>いったい>だれに>おそわってきた>ものか>わからない。「>ぼうや>ちゃん、>げんろくが>ぬれる>から>ごよし>なさい、ね」と>あねが>しゃれた>ことを>いう。>そのくせ>このあねは>つい>このあいだまで>げんろくと>すごろくとを>まちがえていた>ものしりである。 >げんろくで>おもいだしたからついでに>ちょう>したって>しまうが、>このこどもの>ことば>ちがいを>やる>ことは>おびただしい>もので、>おりおりひとを>ばかに>した>ような>あいだ>違を>いっ>てる。>かじで>きのこが>とんできたり、>ごちゃの>みその>じょがっこうへ>おこなったり、>えびす、>だいどころと>ならべたり、>あるる>ときなどは「>わたしゃ>わら>てんの>こじゃないわ」と>いうから、>よくよく>ききただしてみるとうらだなと>わら>てんを>こんどうしていたり>する。>しゅじんは>こんなあいだ>違を>きく>たびに>わらっているが、>じぶんが>がっこうへ>でてえいごを>おしえる>ときなどは、>これよりも>こっけいな>ごびゅうを>まじめに>なって、>せいとに>きか>せる>のだろう。 >ぼうやは――>とうにんは>ぼうやとは>いわない。>いつでも>ぼう>ばと>いう――>げんろくが>ぬれた>のを>みて「>もと>どこが>べた>い」と>いってなき>だした。>げんろくが>つめたくては>たいへんだから、>ご>さんが>だいどころから>とびだしてきて、>ぞうきんを>とりあげてきものを>ふいてやる。>このそうどうちゅう>ひかくてき>しずかであった>のは、>じじょ>のす>ん>こ>じょうである。>すん>こ>じょうは>むかう>むきに>なってたなの>うえから>ころがり>おちた、>おおしろいの>びんを>あけて、>しきりに>ごけしょうを>ほどこしている。>だいいちに>つっこんだ>ゆびをもって>はなの>あたまを>きゅーと>なでたからたてに>いちほん>しろい>すじが>とおって、>はなの>ありかが>いささか>ぶんめいに>なってきた。>つぎに>ぬりつけた>ゆびを>てんじてほおの>うえを>まさつしたから、>そこへ>もってきて、>これ>またしろいか>たまりが>でき>のぼった。>これだけ>そうしょくが>ととのった>ところへ、>げじょが>はいってきてぼう>ばの>きものを>ふいた>ついでに、>すん>この>かおも>ふいてしまった。>すん>こは>しょうしょうふまんの>からだに>みえた。 >わがはいは>このこうけいを>よこに>みて、>ちゃのまから>しゅじんの>しんしつまで>きてもう>おきたかと>ひそかに>ようすを>うかがってみると、>しゅじんの>あたまが>どこにも>みえない。>そのかわり>じゅうぶん>はんの>かぶとの>たかい>あしが、>やぐの>すそから>いちほん|>はみだしている。>あたまが>でていては>おこさ>れる>ときに>めいわくだと>おもって、>かく>もぐりこんだ>のであろう。>かめの>この>ような>おとこである。>ところへ>しょさいの>そうじを>してしまった>さいくんが>またほうきと>はたきを>かついでやってくる。>さいぜんの>ように>ふすまの>いりぐちから「>まだおおきに>ならない>のですか」と>こえを>かけた>まま、>しばらくたって、>くびの>でない>やぐを>みつめていた。>こんども>へんじが>ない。>さいくんは>いりぐちから>にほばかり>すすんで、>ほうきを>とんと>つきながら「>まだな>んですか、>あなた」と>かさねてへんじを>うけたまわ>わる。>このとき>しゅじんは>すでに>めが>さめている。>さめているから、>さいくんの>しゅうげきに>そな>うる>ため、>あらかじめ>やぐの>なかに>くび>もろとも>たて>こもった>のである。>くびさえ>ださなければ、>みのがしてくれる>ことも>あろうかと、>つまらない>ことを>たのみに>してねていた>ところ、>なかなかゆるし>そうも>ない。>しかし>だいいち>かいの>こえは>しきいの>うえで、>すくなくともいっけんの>かんかくが>あったから、>まず>あんしんと>はらの>うちで>おもっていると、>とんと>ついた>ほうきが>なんでも>さんしゃくくらいの>きょりに>おっていたには>ちょっとおどろき>ろ>いた。>のみ>ならず>だい>にの「>まだな>んですか、>あなた」が>きょりにおいても>おんりょうにおいても>まえよりも>ばいいじょうの>ぜいをもって>やぐの>なかまで>きこえたから、>こいつは>だめだと>かくごを>して、>ちいさなこえで>うんと>へんじを>した。「>きゅうじまでに>いらっしゃる>のでしょう。>はやく>なさらないと>まにあいませんよ」「>そんなに>いわなくても>いま>おきる」と>よぎの>そでぐちから>こたえた>のは>きかんである。>さいくんは>いつでも>このてを>くって、>おきるかと>おもってあんしんしていると、>またねこま>れ>つけているから、>ゆだんは>できないと「>さあおおき>なさい」と>せめ>たてる。>おきると>いうのに、>なお>おきろと>せめる>のは>きに>くわん>ものだ。>しゅじんのごとき>わがまましゃには>なお>きに>くわん。>ここにおいてか>しゅじんは>いままで>あたまから>こうむっていた>よぎを>いちどに>はねのけた。>みるとおおきな>めを>ふたつとも>ひらいている。「>なんだ>そうぞうしい。>おきると>いえばおきる>のだ」「>おきると>おっしゃっても>おおき>なさらんじゃ>ありませんか」「>だれが>いつ、>そんなうそを>ついた」「>いつ>でもですわ」「>ばかを>いえ」「>どっちが>ばかだか>わかりゃ>しない」と>さいくん>ぷんと>してほうきを>ついてまくらもとに>たっている>ところは>いさましかった。>このとき>うらの>くるまやの>こども、>はちっ>ちゃんが>きゅうに>おおきなこえを>してわーと>なき>だす。>はちっ>ちゃんは>しゅじんが>おこり>だしさえ>すればかならずなき>だすべく、>くるまやの>かみさんから>めいぜ>られる>のである。>かみさんは>しゅじんが>おこる>たんびに>はちっ>ちゃんを>なかしてこづかいに>なるかも>しれんが、>はちっ>ちゃんこそ>いい>めいわくだ。>こんなごふくろを>もったがさいご>あさから>ばんまで>なき>とおしに>ないていなくては>ならない。>すこしは>このへんの>じじょうを>さっしてしゅじんも>しょうしょうおこる>のを>さしひかえてやったら、>はちっ>ちゃんの>じゅみょうが>すこしは>のびるだろうに、>いくら>かねだ>くんから>たのま>れたって、>こんなぐな>ことを>する>のは、>てんとう>こうへい>きみよりも>はげしく>おいでに>なっている>ほうだと>かんていしても>よかろう。>おこる>たんびに>なかせ>られるだけなら、>まだよゆうも>ある>けれども、>かねだ>くんが>きんじょの>ごろ>つきを>やとっていまど>しょうを>きめ>こむ>たびに、>はちっ>ちゃんは>なかねばならん>のである。>しゅじんが>おこるか>おこらぬか、>まだはんぜんしない>うちから、>かならずおこるべき>ものと>よそうして、>はや>てまわしに>はちっ>ちゃんは>ないている>のである。>こうなるとしゅじんが>はちっ>ちゃんだか、>はちっ>ちゃんが>しゅじんだか>はんぜんしなく>なる。>しゅじんに>あてつけるに>てすうは>かからない、>ちょっと>はちっ>ちゃんに>けんつくを>くわせればなにの>くも>なく、>しゅじんの>よこっつらを>はった>わけに>なる。>むかし>し>せいようで>はんざい>しゃを>ところ>けいに>する>ときに、>ほんにんが>こっきょう>がいに>とうぼうして、>とらえ>られん>ときは、>ぐうぞうを>つくってにんげんの>かわりに>ひあぶりに>したと>いうが、>かれらの>うちにも>せいようの>こじに>つうぎょうする>ぐんしが>あると>みえて、>うまい>けいりゃくを>さづけた>ものである。>落>くも>かんと>いい、>はちっ>ちゃんの>ごふくろと>いい、>うでの>きかぬ>しゅじんにとっては>さだめし>にがてであろう。>そのほか>にがては>いろいろある。>あるいはちょうない>ちゅう>ことごとく>にがてかも>しれんが、>ただいまは>かんけいが>ないから、>だんだんなし>くずしに>しょうかいいたす>ことに>する。 >はちっ>ちゃんの>なきごえを>きいた>しゅじんは、>あさっぱらから>よほど>かんしゃくが>たったと>みえて、>たちまちがばと>ふとんの>うえに>おきなおった。>こうなるとせいしん>しゅうようも>やぎ>どく>せんも>なにも>あった>ものじゃない。>おきなおりながらりょうほうの>てで>ごしごしごしと>ひょうひの>むけるほど、>あたま>ちゅう>ひき>かき>まわす。>いちかげつも>たまっている>ふけは>えんりょなく、>頸>すじやら、>ねまきの>えりへ>とんでくる。>ひじょうな>そうかんである。>ひげは>どうだと>みるとこれは>またおどろき>ろ>くべく、>ぴ>ん>しか>とおっ>たっている。>もちぬしが>おこっているのにひげだけ>おちついていては>すまないとでも>こころえた>ものか、>いちほん>いちほんに>かんしゃくを>おこして、>かってしだいの>ほうがくへ>もうれつなる>ぜいをもって>とっしんしている。>これ>とてもなかなかの>けんぶつである。>きのうは>かがみの>てまえも>ある>ことだから、>おとなしく>どく>おつ>こうてい>へいかの>まねを>してせいれつした>のであるが、>ひとばん>ねればくんれんも>なにも>あった>ものではない、>ただちに>ほんらいの>めんぼくに>かえっておもいおもいの>しゅつで>たつに>もどる>のである。>あたかも>しゅじんの>いちやづくりの>せいしん>しゅうようが、>あくるひに>なると>ぬぐうがごとく>きれいに>きえさって、>うまれ>ついての>やちょ>てき>ほんりょうが>ただちに>ぜんめんを>ばくろし>くる>のと>いっぱんである。>こんならんぼうな>ひげを>もっている、>こんならんぼうな>おとこが、>よく>まあ>いままで>めんしょくにも>ならずに>きょうしが>つとまった>ものだと>おもうと、>はじめて>にっぽんの>ひろい>ことが>わかる。>ひろければこそ>かなだ>くんや>かねだ>くんの>いぬが>にんげんとして>つうようしている>のでもあろう。>かれらが>にんげんとして>つうようする>あいだは>しゅじんも>めんしょくに>なる>りゆうが>ないと>かくしんしているらしい。>いざと>なればすがもへ>はしがきを>とばしててんとう>こうへい>くんに>ききあわせてみれば、>すぐわかる>ことだ。 >このとき>しゅじんは、>きのう>しょうかいした>こんとんたる>たいこの>めを>せいいっぱいに>みはって、>むこうの>とだなを>きっと>みた。>これは>たか>さ>いちかんを>よこに>しきってじょうげとも|>かくに>まいの>ふくろどを>はめた>ものである。>したの>ほうの>とだなは、>ふとんの>すそと>すれすれの>きょりに>あるから、>おきなおった>しゅじんが>めを>あき>さえ>すれば、>てんねん>しぜん>ここに>しせんが>むく>ように>できている。>みるともようを>おいた>かみが>ところどころやぶれてみょうな>ちょうが>あからさまに>みえる。>ちょうには>いろいろな>のが>ある。>ある>ものは>かっぱん>すりで、>ある>ものは>にくひつである。>ある>ものは>うらがえしで、>ある>ものは>さかさまである。>しゅじんは>このちょうを>みるとどうじに、>なにが>かいてあるか>よみたく>なった。>いままでは>くるまやの>かみさんでも>とらえて、>はな>づらを>まつのきへ>こすり>つけてやろう>くら>いにまで>おこっていた>しゅじんが、>とつぜんこの>ほぐ>しを>よんでみたく>なる>のは>ふしぎの>ようであるが、>こういう>ようせいの>かんしゃく>もちには>ちんらしく>ない>ことだ。>しょうともが>なく>ときに>さいちゅうの>ひとつも>あてがえばすぐわらうといっぱんである。>しゅじんが>むかし>し>さる>ところの>みてらに>げしゅくしていた>とき、>ふすま>いちと>かさねを>へだててあまが>ごろく>にんいた。>あまなどと>いう>ものは>がんらい>いじの>わるい>おんなの>うちで>もっとも>いじの>わるい>ものであるが、>このあまが>しゅじんの>せいしつを>みぬいた>ものと>みえてじすいの>なべを>たたきながら、>いま>ないた>からすが>もう>わらった、>いま>ないた>からすが>もう>わらったと>ひょうしを>とってうたった>そうだ、>しゅじんが>あまが>だいいやに>なった>のは>このときからだと>いうが、>あまは>いやに>せよ>まったくそれに>違>ない。>しゅじんは>ないたり、>わらったり、>うれし>がったり、>かなし>がったり>ひと>いちばいも>する>かわりに>いずれも>ながく>つづいた>ことが>ない。>よく>いえばしゅうちゃくが>なくて、>しんきが>むやみに>てんずる>のだろうが、>これを>ぞくごに>ほんやくしてやさしく>いえばおくゆきの>ない、>うす>っ>へんの、>はな>っ>はだけ>つよい>だだっこである。>すでに>だだっこである>いじょうは、>けんかを>する>ぜいで、>むっくと>刎>ね>おきた>しゅじんが>きゅうに>きを>かえてふくろどの>ちょうを>よみに>かかる>のも>もっともと>いわねばなるまい。>だいいちに>めに>とまった>のが>いとう>ひろぶみの>ぎゃくか>たちである。>うえを>みるとめいじ>じゅういち>ねんくがつ>にじゅう>はちにちと>ある。>かんこく>とうかんも>このじだいから>ごふれいの>しっぽを>おっ>かけてあるいていたと>みえる。>たいしょう>このじぶんは>なにを>していた>んだろうと、>よめ>そうに>ない>ところを>むりに>よむとおおくら>きょうと>ある。>なるほど>えらい>ものだ、>いくら>ぎゃくか>たち>しても>おおくら>きょうである。>すこしひだりの>ほうを>みるとこんどは>おおくら>きょう>よこに>なってひるねを>している。>もっともだ。>ぎゃくか>たちでは>そうながく>つづく>き>やはない。>したの>ほうに>おおきなき>ばんで>なんじは>と>にじだけ>みえる、>あとが>みたいがあいにくろしゅつしておらん。>つぎの>ぎょうには>はやくの>にじだけ>でている。>こいつも>よみたいがそれ>ぎ>れ>で>てがかりが>ない。>もし>しゅじんが>けいしちょうの>たんていであったら、>ひとの>ものでも>かまわずに>ひっぺが>すかも>しれない。>たんていと>いう>ものには>こうとうな>きょういくを>うけた>ものが>ないからじじつを>あげる>ためには>なんでもする。>あれは>しまつに>いかない>ものだ。>がん>くばもうすこしえんりょを>してもらいたい。>えんりょを>しなければじじつは>けっして>あげ>させない>ことに>したら>よかろう。>きく>ところに>よるとかれらは>ら>お>きょこうをもって>りょうみんを>つみに>おとしいれる>ことさえ>ある>そうだ。>りょうみんが>きんを>だしてやとっておく>ものが、>やといぬしを>つみに>するなどと>きては>これ>またりっぱな>き>きょうである。>つぎに>めを>てんじてまんなかを>みるとまんなかには>おおいた>けんが>ちゅうがえりを>している。>いとう>ひろぶみで>さえ>ぎゃくか>たちを>するくらいだから、>おおいた>けんが>ちゅうがえりを>する>のは>とうぜんである。>しゅじんは>ここまで>よんできて、>そうほうへ>にぎりこぶしを>こしらえて、>これを>たかく>てんじょうに>むけてつきあげた。>あくびの>よういである。 >このあくびが>またくじらの>とお>吠の>ように>すこぶる>へんちょうを>きわめた>ものであったが、>それが>いちだんらくを>つげると、>しゅじんは>のそのそと>きものを>き>かえてかおを>あらいに>ふろ>じょうへ>でかけていった。>まち>かねた>さいくんは>いきなりふとんを>まくってよぎを>たたんで、>れいの>とおり>そうじを>はじめる。>そうじが>れいの>とおりである>ごとく、>しゅじんの>かおの>あらい>かたも>じゅうねんいちじつのごとく>れいの>とおりである。>せんじつ>しょうかいを>した>ごとく>いぜんとしてが>ーが>ー、>げ>ー>げ>ーを>じぞくしている。>やがて>あたまを>わけ>おわって、>せいよう|>てぬぐいを>かたへ>かけて、>ちゃのまへ>しゅつぎょに>なると、>ちょうぜんとして>ながひばちの>よこに>ざを>しめた。>ながひばちと>いうとけやきの>如>わ>きか、>どうの>そうおとしで、>せんぱつの>あねごが>たてひざで、>ながえんかんを>くろがきの>えんへ>たたきつける>さまを>そうけんする>しょくんも>ないとも>かぎらないが、>わがく>さや>せんせいの>ながひばちに>いたっては>けっして、>そんないきな>ものではない、>なにで>つくった>ものか>しろうとには>けんとうの>つかんくらい>こがな>ものである。>ながひばちは>ふきこんでてらてら>ひかる>ところが>しんじょうな>のだが、>このしろものは>けやきか>さくらか>きりか>がんらい>ふめいりょうな>うえに、>ほとんど>ふきんを>かけた>ことが>ない>のだからいんきで>ひきたたざる>こと|>おびただしい。>こんなものを>どこから>かってきたかと>いうと、>けっして>かった>さとしはない。>そんなら>もらったかと>きくと、>だれも>くれた>ひとはない>そうだ。>しから>ば>ぬすんだ>のかと>ただしてみると、>なんだか>そのへんが>あいまいである。>むかし>し>しんるいに>いんきょが>おって、>そのいんきょが>しんだ>とき、>とうぶん>るすばんを>たのま>れた>ことが>ある。>ところがそのご>いちこを>かまえて、>いんきょしょを>ひきはらう>さいに、>そこでじぶんの>ものの>ように>つかっていた>ひばちを>なにの>きも>なく、>つい>もってきてしまった>のだ>そうだ。>しょうしょうたちが>わるい>ようだ。>かんがえると>たちが>わるい>ようだがこんな>ことは>せけんに>おうおう>ある>ことだと>おもう。>ぎんこう>かなどは>まいにち>じんの>きんを>あつかい>つけている>うちに>ひとの>きんが、>じぶんの>きんの>ように>みえてくる>そうだ。>やくにんは>じんみんの>めしつかいである。>ようじを>べんじ>させる>ために、>あるけんげんを>い>たくした>だいりにんの>ような>ものだ。>ところがいにんさ>れた>けんりょくを>かさに>きてまいにち>じむを>しょりしていると、>これは>じぶんが>しょゆうしている>けんりょくで、>じんみんなどは>これについて>なんらの>喙を>よう>るる>りゆうが>ない>ものだなどと>くるってくる。>こんなひとが>よのなかに>じゅうまんしている>いじょうは>ながひばち>じけんをもって>しゅじんに>どろぼうこんじょうが>あると>だんていする>わけには>いかぬ。>もし>しゅじんに>どろぼうこんじょうが>あると>すれば、>てんかの>ひとには>みんな>どろぼうこんじょうが>ある。 >ながひばちの>そばに>じんどって、>しょくたくを>まえに>ひかえたる>しゅじんの>さんめんには、>せんこく>ぞうきんで>かおを>あらった>ぼう>ばと>ごちゃの>みその>がっこうへ>いくとん>こと、>おおしろい>罎に>ゆびを>つき>こんだ>すん>こが、>すでに>ぜい>そろいを>してあさめしを>くっている。>しゅじんは>いちおうこの>さんよしの>かおを>こうへいに>みわたした。>とん>この>かおは>なんばん>てつの>かたなの>つばの>ような>りんかくを>ゆうしている。>すん>こも>いもうとだけに>たしょうあねの>おもかげを>そんしてりゅうきゅう>ぬりの>しゅ>ぼんくらいな>しかくはある。>ただぼう>ばに>いたっては>ひとり>いさいを>はなって、>おもながに>でき>のぼっている。>ただしたてに>ながい>のなら>せけんに>そのれいも>すくなくないが、>このこ>のは>よこに>ながい>のである。>いかに>りゅうこうが>へんかし>やすくっ>たって、>よこに>ながい>かおが>はやる>ことはなかろう。>しゅじんは>じぶんの>こながらも、>つくづく>かんがえる>ことが>ある。>これでも>せいちょうしなければならぬ。>せいちょうする>どころではない、>そのせいちょうの>そくか>なる>ことは>ぜん>てらの>たけのこが>わかたけに>へんかする>ぜいで>おおきく>なる。>しゅじんは>またおおきく>なったなと>おもう>たんびに、>うしろから>おってに>せまら>れる>ような>きが>してひやひやする。>いかに>くうばく>なる>しゅじんでも>この>さんれいじょうが>おんなで>あるくらいは>こころえている。>おんなである>いじょうは>どうにか>かたづけなくては>な>らん>くらいも>しょうちしている。>しょうちしているだけで>かたづける>しゅわんの>ない>ことも>じかくしている。>そこでじぶんの>こながらも>すこしく>もてあましている>ところである。>もてあますくらいなら>せいぞうしなければいい>のだが、>そこが>にんげんである。>にんげんの>ていぎを>いうとほかに>なににも>ない。>ただはいらざる>ことを>ねつぞうしてみずから>くるしんでいる>ものだと>いえば、>それで>じゅうぶんだ。 >さすがに>こどもは>えらい。>これほど>おやじが>しょちに>きゅうしているとは>ゆめにも>しらず、>たのし>そうに>ごはんを>たべる。>ところがしまつに>おえない>のは>ぼう>ばである。>ぼう>ばは>とうねん>とって>さんさいであるから、>さいくんが>きを>きかして、>しょくじの>ときには、>さんさい>しか>たる>こがたの>はしと>ちゃわんを>あてがう>のだが、>ぼう>ばは>けっして>しょうちしない。>かならずあねの>ちゃわんを>うばい、>あねの>はしを>ひったくって、>もち>あつかい>わるい>やつを>むりに>もち>あつかっている。>よのなかを>みわたすとむのう>むさいの>こどもほど、>いやに>のさばり>でてえにも>ない>かんしょくに>のぼりた>がる>ものだが、>あのせいしつは>まったくこの>ぼう>ば>じだいから>ほうがしている>のである。>そのよってくる>ところは>かくのごとく>ふかい>のだから、>けっして>きょういくや>くんとうで>いやせる>ものではないと、>はやく>あきらめてしまう>のが>いい。 >ぼう>ばは>となりから>ぶんどった>いだいなる>ちゃわんと、>ちょうだいなる>はしを>せんゆうして、>しきりに>ぼういを>擅に>している。>つかいこなせない>ものを>むやみに>つかおうと>する>のだから、>ぜい>ぼういを>たくましく>せざるを>えない。>ぼう>ばは>まず>はしの>ねもとを>にほん>いっしょに>にぎった>まま>うんと>ちゃわんの>そこへ>突>こんだ。>ちゃわんの>なかは>めしが>はちふん>とおり>もりこま>れて、>そのうえに>みそしるが>いちめんに>みなぎっている。>はしの>ちからが>ちゃわんへ>つたわるやいなや、>いままで>どうか、>こうか、>へいきんを>たもっていた>のが、>きゅうに>しゅうげきを>うけたので>さんじゅう>どばかり>かたむいた。>どうじに>みそしるは>ようしゃ>なく>だらだらと>むねの>あたりへ>こぼれ>だす。>ぼう>ばは>そのくらいな>ことで>へきえきする>わけが>ない。>ぼう>ばは>ぼうくんである。>こんどは>つき>こんだ>はしを、>うんと>ちからいっぱい>ちゃわんの>そこから>刎>ね>あげた。>どうじに>ちいさなくちを>えんまで>もっていって、>刎>ね>あげ>られた>べい>つぶを>はいいるだけ>くちの>なかへ>じゅのうした。>うち>もらさ>れた>べい>つぶは>きいろな>しると>そう>わ>してはなの>あ>たまと>ほお>っ>ぺたと>顋と>へ、>やっと>かけごえを>してとびついた。>とびつき>そんじてたたみの>うえへ>こぼれた>ものは>ださんの>かぎりでない。>ずいぶんむふんべつな>めしの>くい>かたである。>わがはいは>つつしんで>ゆうめい>なる>かねだ>くん>および>てんかの>せいりょく>かに>ちゅうこくする。>おおやけ>とうの>たを>あつかう>こと、>ぼう>ばの>ちゃわんと>はしを>あつかう>がごと>くん>ば、>おおやけ>とうの>くちへ>とびこむ>べい>つぶは>きわめて>きんしょうの>ものである。>ひつぜんの>ぜいを>もってとびこむに>あらず、>と>迷を>してとびこむ>のである。>どうか>ごさいこうを>わずらわしたい。>せこに>たけた>びんわん>かにも>にあわしからぬ>ことだ。 >あねの>とん>こは、>じぶんの>はしと>ちゃわんを>ぼう>ばに>りゃくだつさ>れて、>ふそうおうに>ちいさなやつをもって>さっきから>がまんしていたが、>もともとちいさ>すぎる>のだから、>いっぱいに>もった>つもりでも、>あんと>あけると>さんくちほどで>くってしまう。>したがってひんぱんに>ごは>ちの>かたへ>てが>でる。>もう>よんぜん>かえて、>こんどは>ごはい>めである。>とん>こは>ごは>ちの>ふたを>あけておおきな>しゃもじを>とりあげて、>しばらくながめていた。>これは>くおうか、>よそうかと>まよっていた>ものらしいが、>ついに>けっしんした>ものと>みえて、>こげの>な>さ>そうな>ところを>み>はかっていっきく>い>しゃもじ>の>うえへ>のせたまでは>ぶなんであったが、>それを>うらがえして、>ぐいと>ちゃわんの>うえを>こいたら、>ちゃわんに>はいり>きらん>めしは>かたまり>まった>まま>たたみの>うえへ>ころがり>だした。>とん>こは>おどろき>ろ>く>けしきも>なく、>こぼれた>めしを>てい>やすしに>ひろい>はじめた。>ひろってなにに>するかと>おもったら、>みんな>ごは>ちの>ちゅうへ>いれてしまった。>すこしきたない>ようだ。 >ぼう>ばが>いちだい>かつやくを>こころみてはしを>刎>ね>あげた>ときは、>ちょうどと>ん>こが>めしを>よそい>りょう>った>ときである。>さすがに>あねは>あねだけで、>ぼう>ばの>かおの>いかにも>らんざつな>のを>みかねて「>あら>ぼう>ば>ちゃん、>たいへんよ、>かおが>ごぜん>つぶ>だらけよ」と>いいながら、>さっそくぼう>ばの>かおの>そうじに>とりかかる。>だいいちに>はなの>あ>たまに>きぐうしていた>のを>とりはらう。>とりはらってすてると>思の>ほか、>すぐじぶんの>くちの>なかへ>いれてしまった>のには>おどろき>ろ>いた。>それからほお>っ>ぺたに>かかる。>ここには>おおいた>ぐんを>なしてかずに>したら、>りょうほうを>あわせて>やくに>じゅうつぶも>あったろう。>あねは>たんねんに>いちつぶずつ>とっては>くい、>とっては>くい、>とうとう>いもうとの>かお>ちゅうに>ある>やっこを>ひとつ>のこらず>くってしまった。>このとき>ただいままでは>おとなしく>たくあんを>かじっていたす>ん>こが、>きゅうに>もり>だての>みそしるの>なかから>さつまいもの>くずれた>のを>しゃくい>だして、>ぜい>よく>くちの>うちへ>ほうり>こんだ。>しょくんも>ごしょうちであろうが、>しるに>した>さつまいもの>ねっした>のほど>くちじゅうに>こたえる>ものはない。>おとなですら>ちゅういしないと>やけどを>した>ような>こころもちが>する。>まして>すん>このごとき、>さつまいもに>けいけんの>とぼしい>ものは>むろん|>ろうばいする>わけである。>すん>こは>わっと>いいながらくちじゅうの>いもを>しょくたくの>うえへ>はきだした。>その>にさん|>かたが>どういう>ひょうしか、>ぼう>ばの>まえまで>すべってきて、>ちょうど>いいかげんな>きょりで>とまる。>ぼう>ばは>かたより>さつまいもが>だいすきである。>だいすきな>さつまいもが>めの>まえへ>とんできた>のだから、>さっそくはしを>ほうりだして、>て>つかみに>してむしゃむしゃ>くってしまった。 >せんこくから>このていたらくを>もくげきしていた>しゅじんは、>ひとことも>いわずに、>せんしんじぶんの>めしを>くい、>じぶんの>しるを>のんで、>このときは>すでに>ようじを>つかっている>さいちゅうであった。>しゅじんは>むすめの>きょういくにかんして>ぜっからだ>てき>ほうにんしゅぎを>とる>つもりと>みえる。>いまに>さんにんが>えびちゃ>しきぶか>ねずみ>しきぶかに>なって、>さんにんとも>もうしあわせた>ように>じょうふを>こしらえてしゅっぽんしても、>やはり>じぶんの>めしを>くって、>じぶんの>しるを>のんですましてみているだろう。>はたらきの>ない>ことだ。>しかしいまの>よの>はたらきの>あると>いう>ひとを>はいけんすると、>うそを>ついてひとを>つる>ことと、>さきへ>めぐってうまの>め>だまを>ぬく>ことと、>きょせいを>はってひとを>おどかす>ことと、>かまを>かけてひとを>おとしいれる>ことより>ほかに>なにも>しらない>ようだ。>ちゅうがくなどの>しょうねん>やからまでが>みようみまねに、>こうしなくては>はばが>きかないと>こころえちがいを>して、>ほんらいなら>せきめんしてしかるべき>のを>とくとくと>りこうしてみらいの>しんしだと>おもっている。>これは>はたらきてと>いう>のではない。>ごろつき>しゅと>いう>のである。>わがはいも>にっぽんの>ねこだからたしょうの>あいこくしんはある。>こんなはたらきてを>みる>たびに>なぐってやりたく>なる。>こんなものが>いちにんでも>ふえればこっかは>それだけおとろえる>わけである。>こんなせいとの>いる>がっこうは、>がっこうの>ちじょくであって、>こんなじんみんの>いる>こっかは>こっかの>ちじょくである。>ちじょくであるにも>かんらず、>ごろごろ>せけんに>ごろついている>のは>こころえ>がたいと>おもう。>にっぽんの>にんげんは>ねこほどの>きがいも>ないと>みえる。>なさけない>ことだ。>こんなごろつき>しゅに>くらべるとしゅじんなどは>はるかに>じょうとうな>にんげんと>いわなくては>ならん。>いくじの>ない>ところが>じょうとうな>のである。>むのうな>ところが>じょうとうな>のである。>ちょこざいでない>ところが>じょうとうな>のである。 >かくのごとく>はたらきの>ない>くい>かたをもって、>ぶじに>ちょうしょくを>すま>したる>しゅじんは、>やがて>ようふくを>きて、>くるまへ>のって、>にほんづつみ>ぶんしょへ>しゅっとうに>およんだ。>こうしを>あけた>とき、>しゃふに>にほんづつみという>ところを>しっ>てるかと>きいたら、>しゃふは>へ>へへと>わらった。>あのゆうかくの>ある>よしわらの>きんぺんの>にっぽん>つつみだぜと>ねんを>おした>のは>しょうしょう|>こっけいであった。 >しゅじんが>ちんらしく>くるまで>げんかんから>でかけた>あとで、>さいくんは>れいのごとく>しょくじを>すませて「>さあがっこうへ>おいで。>おそく>なりますよ」と>さいそくすると、>しょうともは>へいきな>もので「>あら、>でもきょうは>ごやすみよ」と>したくを>する>けしきが>ない。「>ごやすみな>もんですか、>はやく>なさい」と>しかる>ように>いってきか>せると「>それでもきのう、>せんせいが>ごきゅうだって、>おっしゃってよ」と>あねは>なかなかどうじない。>さいくんも>ここに>いたってたしょうへんに>おもった>ものか、>とだなから>こよみを>だしてくりかえしてみると、>あかい>じで>ちゃんと>おまつり>びと>でている。>しゅじんは>さいじつとも>しらずに>がっこうへ>けっきんとどけを>だした>のだろう。>さいくんも>しらずに>ゆうびんばこへ>ほうり>こんだ>のだろう。>ただし迷>ていに>いたっては>じっさいしらなかった>のか、>しってしらんかおを>した>のか、>そこは>しょうしょうぎもんである。>このはつめいに>おや>と>おどろき>ろ>いた>さいくんは>それじゃ、>みんなで>おとなしく>ぎょゆう>びな>さいと>ひろの>とおり>はりばこを>だしてしごとに>とりかかる。 >そのご>さんじゅう>ふんかんは>かない>へいおん、>べつだんわがはいの>ざいりょうに>なる>ような>じけんも>おこらなかったが、>とつぜんみょうな>ひとが>ごきゃくに>きた。>じゅうなな>はちの>じょがくせいである。>かかとの>まがった>くつを>はいて、>むらさきいろの>はかまを>ひきずって、>かみを>そろばん>たまの>ように>ふくらましてかってぐちから>あんないも>こわずに>のぼってきた。>これは>しゅじんの>めいである。>がっこうの>せいとだ>そうだが、>おりおりにちように>やってきて、>よく>おじさんと>けんかを>してかえっていく>ゆきえとか>いう>きれいな>なの>おじょうさんである。>もっともかおは>なまえほどでもない、>ちょっとひょうへ>でて>いちに>まち>あるけばかならずあえる>にんそうである。「>おばさん>きょうは」と>ちゃのまへ>つかつか>はいいってきて、>はりばこの>よこへ>しりを>おろした。「>おや、>よく>はやくから……」「>きょうは>だいさいじつですから、>あさの>うちに>ちょっとあがろうと>おもって、>はちじはん>ころから>いえを>でていそいできた>の」「>そう、>なにか>ようが>あるの?」「>いいえ、>ただあんまりごぶさたを>したから、>ちょっとあがった>の」「>ちょっとでなくっていいから、>ゆる>くり>あそんでいらっしゃい。>いまに>おじさんが>かえってきますから」「>おじさんは、>もう、>どこへ>かい>ら>しったの。>ちんらしい>のね」「>え>え>きょう>はね、>みょうな>ところへ>おこなったのよ。……>けいさつへ>おこなった>の、>みょうでしょう」「>あら、>なにで?」「>このはる|>はいいった>どろぼうが>つら>まった>んだって」「>それで>ひき>ごうに>ださ>れる>の? >いい>めいわくね」「>なあに>しなものが>もどるのよ。>とら>れた>ものが>でたからとりに>らいいって、>きのう>じゅんさが>わざわざきた>もんですから」「>おや、>そう、>それでなくっちゃ、>こんなにはやく>おじさんが>でかける>ことはないわね。>いつもなら>いまじぶんは>まだねていらっしゃる>んだわ」「>おじさんほど、>ねぼうはない>んですから……>そうしておこすとぷんぷん>おこるのよ。>けさな>んかも>ななじまでに>ぜひおこせと>いうから、>おこした>んでしょう。>するとやぐの>なかへ>もぐってへんじも>しない>んです>もの。>こっちは>しんぱいだから>にどめに>またおこすと、>よぎの>そでから>なにか>いうのよ。>ほんとうに>あきれかえってしまう>の」「>なぜそんなに>ねむい>んでしょう。>きっと>しんけい>すいじゃくな>んでしょう」「>なにですか」「>ほんとうに>むやみに>おこる>ほうね。>あれで>よく>がっこうが>つとまるのね」「>なに>がっこう>じゃおとなしい>んですって」「>じゃなお>あくるい>わ。>まるで>こんにゃく>閻>まね」「>なぜ?」「>なぜでも>こんにゃく>閻>まな>の。>だってこんにゃく>閻>まの>ようじゃ>ありませんか」「>ただおこるばかりじゃないのよ。>ひとが>みぎと>いえばひだり、>ひだりと>いえばみぎで、>なにでも>ひとの>いう>とおりに>した>ことが>ない、――>そりゃごうじょうですよ」「>てん>さぐ>おんなでしょう。>おじさんは>あれが>どうらくなのよ。>だからなにか>さ>せようと>おもったら、>う>らを>いうと、>こっちの>おもいどおりに>なるのよ。>こないだ>こうもりがさを>かってもらう>ときにも、>いらない、>いらな>いって、>わざと>いったら、>いらない>ことが>ある>ものかって、>すぐかってした>すった>の」「>ほ>ほ>ほ>ほ>うまいのね。>わたしも>これからそうしよう」「>そうな>さ>いよ。>それでなくっちゃそんだわ」「>こないだ>ほけん>かいしゃの>ひとが>きて、>ぜひ|>ごはいいんな>さ>いって、>すすめている>んでしょう、――>いろいろ>やくを>いって、>こういう>りえきが>ある>の、>ああいう>りえきが>ある>のって、>なにでも>いちじかんも>はなしを>した>んですが、>どうしても>はいいらないの。>うちだって>ちょちくは>なし、>こうしてしょうともは>さんにんも>あるし、>せめて>ほけんへでも>はいいってくれると>よっぽど>こころじょうぶな>んですけれども、>そんなことは>すこしも>かまわない>んです>もの」「>そうね、>もしもの>ことが>あるとふあん>こころだわね」と>じゅうなな>はちの>むすめに>にあわしからん>せたい>しみた>ことを>いう。「>そのだんぱんを>かげで>きいていると、>ほんとうに>おもしろいのよ。>なるほど>ほけんの>ひつようも>みとめないではない。>ひつような>ものだからかいしゃも>そんざいしている>のだろう。>しかししなない>いじょうは>ほけんに>はいいる>ひつようは>ないじゃないかって>ごうじょうを>はっている>んです」「>おじさんが?」「>ええ、>するとかいしゃの>おとこが、>それは>しななければむろん>ほけん>かいしゃは>いりません。>しかしにんげんの>いのちと>いう>ものは>じょうぶな>ようで>もろい>もので、>しらない>うちに、>いつ>きけんが>逼って>いるか>わかりませんと>いうとね、>おじさんは、>だいじょうぶ>しもべは>しなない>ことに>けっしんを>しているって、>まあ>むほうな>ことを>いう>んですよ」「>けっしんしたって、>しぬわねえ。>わたしな>んか>ぜひ|>きゅうだいする>つもりだった>けれども、>とうとう>らくだいしてしまったわ」「>ほけん>しゃいんも>そういうのよ。>じゅみょうは>じぶんの>じゆうには>なりません。>けっしんで>ちょうが>いきが>できる>ものなら、>だれも>しぬ>ものはございませんって」「>ほけん>かいしゃの>ほうが>しとうですわ」「>しとうでしょう。>それが>わからないの。>いえけっして>しなない。>ちかってしなな>いっていばる>の」「>みょうね」「>みょうですとも、>だいみょうですわ。>ほけんの>かけきんを>だすくらいなら>ぎんこうへ>ちょきんする>ほうが>はるかに>ましだって>すまし>きっている>んですよ」「>ちょきんが>あるの?」「>ある>もんですか。>じぶんが>しんだ>あとなんか、>ちっとも>かまう>こうな>んか>ない>んですよ」「>ほんとうに>しんぱいね。>なぜ、>あんな>なんでしょう、>ここへ>いらっしゃる>ほうだって、>おじさんの>ような>のは>いちにんも>いないわね」「>いる>ものですか。>むるいですよ」「>ちっと>すずき>さんにでも>たのんでいけんでも>してもらうといい>んですよ。>ああ>いう>おだやかな>ひとだと>よっぽど>らくですがねえ」「>ところがすずき>さんは、>うちじゃ>ひょうばんが>わるいのよ」「>みんな>ぎゃくなのね。>それじゃ、>あのほうが>いいでしょう――>ほら>あの>おちつい>てる――」「>やぎ>さん?」「>ええ」「>やぎ>さんには>だいぶ>へいこうしている>んですがね。>きのう>迷>てい>さんが>きてわるぐちを>いった>ものだから、>おもったほど>きかないかも>しれない」「>だっていいじゃ>ありませんか。>あんな>かぜに>おうように>おちついていれば、――>こないだ>がっこうで>えんぜつを>なすったわ」「>やぎ>さんが?」「>ええ」「>やぎ>さんは>ゆきえ>さんの>がっこうの>せんせいな>の」「>いいえ、>せんせいじゃないけども、>しゅくとく>ふじん>かいの>ときに>しょうたいして、>えんぜつを>していただいた>の」「>おもしろ>かって?」「>そうね、>そんなに>おもしろくも>なかったわ。>だけ>ども、>あのせんせいが、>あんな>ながい>かおな>んでしょう。>そうしててんじん>さまの>ような>ひげを>はやしている>もんだから、>みんな>かんしんしてきいていてよ」「>ごはなししって、>どんなごはなしなの?」と>さいくんが>きき>かけていると>椽>がわの>ほうから、>ゆきえ>さんの>はなしごえを>ききつけて、>さんにんの>こどもが>どたばた>ちゃのまへ>らんにゅうしてきた。>いままでは>たけがきの>そとの>くうちへ>でてあそんでいた>ものであろう。「>あら>ゆきえ>さんが>きた」と>ににんの>ねえさんは>うれし>そうに>おおきなこえを>だす。>さいくんは「>そんなに>さわがないで、>みんな>しずかに>しておすわ>わり>なさい。>ゆきえ>さんが>いま>おもしろい>はなしを>なさる>ところだから」と>しごとを>すみへ>かたづける。「>ゆきえ>さん>なんの>ごはなしし、>わたし>ごはなししが>だいすき」と>いった>の>はとん>こで「>やっぱり>かちかち>やまの>ごはなしし?」と>きいた>のは>すん>こである。「>ぼう>ばも>おはなち」と>いい>だした>さんじょは>あねと>あねの>あいだから>ひざを>まえの>ほうに>だす。>ただしこれは>ごはなしを>うけたまわ>わると>いう>のではない、>ぼう>ばも>またごはなしを>つかまつると>いう>いみである。「>あら、>またぼう>ば>ちゃんの>はなしだ」と>ねえさんが>わらうと、>さいくんは「>ぼう>ばは>あとで>なさい。>ゆきえ>さんの>ごはなしが>すんでから」と>賺か>してみる。>ぼう>ばは>なかなかきき>そうに>ない。「>いやーよ、>ば>ぶ」と>おおきなこえを>だす。「>おお、>よし>よし>ぼう>ば>ちゃんから>なさい。>なにと>いうの?」と>ゆきえ>さんは>けんそんした。「>あのね。>ぼう>たん、>ぼう>たん、>どこ>いく>のって」「>おもしろいのね。>それから?」「>わ>たちは>たんぼへ>いね>かり>いに」「>そう、>よく>しっ>てる>こと」「>おまえが>くうとじゃまに>なる」「>あら、>くうとじゃないわ、>くるとだわね」と>とん>こが>くちを>だす。>ぼう>ばは>そう>かわらず「>ば>ぶ」と>いっかつしてただちに>あねを>へきえきさ>せる。>しかしちゅうとで>くちを>ださ>れた>ものだから、>つづきを>わすれてしまって、>あとが>でてこない。「>ぼう>ば>ちゃん、>それ>ぎりなの?」と>ゆきえ>さんが>きく。「>あのね。>あとで>おならは>ごめんだよ。>ぷ>う、>ぷ>う>ぷ>うって」「>ほ>ほ>ほ>ほ、>いやだ>こと、>だれに>そんなことを、>おそわったの?」「>ご>さんに」「>わるい>ご>さんね、>そんなことを>おしえて」と>さいくんは>くしょうを>していたが「>さあこんどは>ゆきえ>さんの>ばんだ。>ぼうやは>おとなしく>きいている>のですよ」と>いうと、>さすがの>ぼうくんも>なっとくしたと>みえて、>それ>ぎり>とうぶんの>あいだは>ちんもくした。「>やぎ>せんせいの>えんぜつは>こんなのよ」と>ゆきえ>さんが>とうとう>くちを>きった。「>むかし>ある>つじの>まんなかに>おおきないし>じぞうが>あった>んですってね。>ところがそこが>あいにくうまや>くるまが>とおる>たいへん|>にぎやかな>ばしょだ>もんだからじゃまに>なってしようが>ない>んでね、>ちょうないの>ものが>たいせい>よって、>そうだんを>して、>どうして>このいし>じぞうを>すみの>ほうへ>かたづけたら>よかろうって>かんがえた>んですって」「>そりゃほんとうに>あった>はなしなの?」「>どうですか、>そんなことは>なんとも>おっしゃらなくってよ。――で>みんなが>いろいろ>そうだんを>したら、>そのちょうないで>いちばん>つよい>おとこが、>そりゃやくは>ありません、>わたしが>きっと>かたづけてみせますって、>いちにんで>そのつじへ>おこなって、>りょうはだを>ぬいで>あせを>ながしてひっぱった>けれども、>どうしても>うごかない>んですって」「>よっぽど>おもい>いし>じぞうなのね」「>ええ、>それでその>おとこが>つかれてしまって、>うちへ>かえってねてしまったから、>ちょうないの>ものは>またそうだんを>した>んですね。>するとこんどは>ちょうないで>いちばん>りこうな>おとこが、>わたしに>まかせてごらん>なさい、>いちばん>やってみますからって、>じゅうばこの>なかへ>ぼたもちを>いっぱい>いれて、>じぞうの>まえへ>きて、『>ここまで>おいで』と>いいながらぼたもちを>みせびらかした>んだって、>じぞうだって>くいいじが>はっ>てるからぼたもちで>つれるだろうと>おもったら、>すこしも>うごかない>んだって。>りこうな>おとこは>これでは>いけないと>おもってね。>こんどは>ひょうたんへ>おさけを>いれて、>そのひょうたんを>かたてへ>ぶらさげて、>かたてへ>ちょこを>もってまたじぞう>さんの>まえへ>きて、>さあのみ>たくはないかね、>のみたければここまで>おいでと>さんじかんばかり、>からかってみたがやはり>うごかない>んですって」「>ゆきえ>さん、>じぞう>さまは>ごはらが>へらないの」と>とん>こが>きくと「>ぼたもちが>たべたいな」と>すん>こが>いった。「>りこうな>ひとは>にど>とも>しくじったから、>そのつぎには>にせさつを>たくさん>こしらえて、>さあほしいだろう、>ほしければとりに>おいでと>さつを>だしたり>ひっこま>したり>したがこれも>まるで>えきに>たたない>んですって。>よっぽど>がんこな>じぞう>さまなのよ」「>そうね。>すこしおじさんに>にているわ」「>え>え>まるで>おじさんよ、>しまいにりこうな>ひとも>あいそを>つかしてやめてしまった>んですとさ。>それでその>あとからね、>おおきなほらを>ふく>ひとが>でて、>わたしなら>きっと>かたづけてみせますか>ら>ごあんしんなさいと>さも>たやすい>ことの>ように>うけあった>そうです」「>そのほらを>ふく>ひとは>なにを>した>んです」「>それが>おもしろいのよ。>さいしょに>はね>じゅんさの>ふくを>きて、>つけ>ひげを>して、>じぞう>さまの>まえへ>きて、>こら>こら、>うごかんと>そのほうの>ために>ならんぞ、>けいさつで>すてておかんぞと>いばってみせた>んですとさ。>いまの>よに>けいさつの>かりこえなんか>つかったって>だれも>ききゃ>しないわね」「>ほんとうね、>それで>じぞう>さまは>うごいたの?」「>うごく>もんですか、>おじさんです>もの」「>でもおじさんは>けいさつには>たいへん>おそれいっているのよ」「>あらそう、>あんな>かおを>して? >それじゃ、>そんなに>こわい>ことはないわね。>けれどもじぞう>さまは>うごかない>んですって、>へいきで>いる>んですとさ。>それで>ほら>吹は>たいへん|>おこって、>じゅんさの>ふくを>ぬいで、>つけ>ひげを>かみくず>かごへ>ほうり>こんで、>こんどは>おおがねもちの>ふくそうを>してでてきた>そうです。>いまの>よで>いうと>いわさき>だんしゃくの>ような>かおを>する>んですとさ。>おかしいわね」「>いわさきの>ような>かおって>どんなかおなの?」「>ただおおきな>かおを>する>んでしょう。>そうしてなにも>しないで、>またなにも>いわないでじぞうの>まわりを、>おおきなまきたばこを>ふかしながらほこういている>んですとさ」「>それが>なにに>なるの?」「>じぞう>さまを>けむりに>まく>んです」「>まるで>はなし>し>かの>しゃらくの>ようね。>しゅび>よく>けむりに>まいたの?」「>だめですわ、>あいてが>いしです>もの。>ごまかしも>たいていに>すればいいのに、>こんどは>でんか>さまに>ばけてきた>んだって。>ばかね」「>へえ、>そのじぶんにも>でんか>さまが>あるの?」「>ある>んでしょう。>やぎ>せんせいは>そうおっしゃってよ。>たしかに>でんか>さまに>ばけた>んだって、>おそれおおい>ことだがばけてきたって――>だいいち>ふけいじゃ>ありませんか、>ほらふきの>ぶんざいで」「>でんかって、>どのでんか>さまな>の」「>どのでんか>さまですか、>どのでんか>さまだって>ふけいですわ」「>そうね」「>でんか>さまでも>きかないでしょう。>ほらふきも>しようがないから、>とてもわたしの>てぎわでは、>あのじぞうは>どうする>ことも>できませんと>こうさんを>した>そうです」「>いい>きみね」「>ええ、>ついでに>ちょうえきに>やればいいのに。――でも>ちょうないの>ものは>たいそう>きを>もんで、>またそうだんを>ひらいた>んですが、>もう>だれも>ひきうける>ものが>ない>んで>よわった>そうです」「>それで>おしまい?」「>まだあるのよ。>いちばん>しまいにくるまやと>ごろ>つきを>たいせい>やとって、>じぞう>さまの>まわりを>わいわい>さわいであるいた>んです。>ただじぞう>さまを>いじめて、>いたたまれない>ように>すればいいと>いって、>よるひる|>こうたいで>さわぐ>んだって」「>ごくろう>さまです>こと」「>それでも>とりあわない>んですとさ。>じぞう>さまの>ほうも>ずいぶんごうじょうね」「>それから、>どうして?」と>とん>こが>ねっしんに>きく。「>それからね、>いくら>まいにち>まいにち>さわいでも>げんが>みえないので、>だいぶ>みんなが>いやに>なってきた>んですが、>しゃふや>ごろ>つきは>いくにちでも>にっとうに>なる>ことだからよろこんでさわいでいましたと>さ」「>ゆきえ>さん、>にっとうって>なに?」と>すん>こが>しつもんを>する。「>にっとうと>いう>のはね、>ごきんの>ことな>の」「>ごきんを>もらってなにに>するの?」「>ごきんを>もらってね。……>ほ>ほ>ほ>ほ>いや>なす>ん>こ>さんだ。――>それで>おばさん、>まいにち>まいばんから>さわぎを>していますとね。>そのとき>ちょうないに>ばか>たけと>いって、>なにも>しらない、>だれも>あいてに>しない>ばかが>いたんですってね。>そのばかが>このさわぎを>みておまえ>かたは>なにで>そんなに>さわぐ>んだ、>なんねん>かかっても>じぞう>ひとつ>うごかす>ことが>できない>のか、>かわいそうな>ものだ、と>いった>そうですって――」「>ばかの>くせに>えらいのね」「>なかなかえらい>ばかなのよ。>みんなが>ばか>たけの>いう>ことを>きいて、>ものは>ためしだ、>どうせ>だめだろうが、>まあ>たけに>やらしてみようじゃないかと>それから>たけに>たのむと、>たけは>いちも>にも>なく>ひきうけたが、>そんなじゃまな>さわぎを>しないでまあ>しずかに>しろと>くるまひきや>ごろ>つきを>ひきこま>してひょうぜんと>じぞう>さまの>まえへ>でてきました」「>ゆきえ>さん>ひょうぜんて、>ばか>たけの>おともだち?」と>とん>こが>かんじんな>ところで>きもんを>はなった>ので、>さいくんと>ゆきえ>さんは>どっと>わらい>だした。「>いいえ>おともだちじゃないのよ」「>じゃ、>なに?」「>ひょうぜんと>いう>のはね。――>いい>ようが>ないわ」「>ひょうぜんて、>いい>ようが>ないの?」「>そうじゃないのよ、>ひょうぜんと>いう>のはね――」「>ええ」「>そら>たたら>さんぺい>さんを>しっ>てるでしょう」「>ええ、>やまのいもを>くれてよ」「>あの>たたら>さん>みた>よう>なを>いうのよ」「>たたら>さんは>ひょうぜんなの?」「>ええ、>まあ>そうよ。――>それで>ばか>たけが>じぞう>さまの>まえへ>きてふところでを>して、>じぞう>さま、>ちょうないの>ものが、>あなたに>うごいてくれと>いうからうごいてやんな>さ>いと>いったら、>じぞう>さまは>たちまちそうか、>そんなら>はやく>そういえばいいのに、と>のこのこ>うごきだした>そうです」「>みょうな>じぞう>さまね」「>それからが>えんぜつよ」「>まだあるの?」「>ええ、>それから>やぎ>せんせいが>ね、>きょうは>ごふじんの>かいでありますが、>わたしが>かような>ごはなしを>わざわざいたした>のは>しょうしょうこうが>ある>ので、>こうもうすとしつれいかも>しれませんが、>ふじんという>ものは>とかくものを>する>のに>しょうめんから>ちかみちを>とおっていかないで、>かえって>とお>かたから>めぐり>くどい>しゅだんを>とる>へいが>ある。>もっともこれは>ごふじんに>かぎった>ことでない。>めいじの>だいは>だんしと>いえ>ども、>ぶんめいの>へいを>うけてたしょうじょせい>てきに>なっているから、>よく>いらざる>てすうと>ろうりょくを>ついやして、>これが>ほんすじで>ある、>しんしの>やるべき>ほうしんであると>ごかいしている>ものが>おおい>ようだが、>これ>とうは>かいかの>ごうに>そくばくさ>れた>畸>かたち>じである。>べつに>ろん>ずるに>およばん。>ただごふじんに>あっては>なるべく>ただいま>もうした>むかしばなしを>ごきおくに>なって、>いざと>いう>ばあいには>どうか>ばか>たけの>ような>しょうじきな>りょうけんで>ものごとを>しょりしていただきたい。>あなた>かたが>ばか>たけに>なればふうふの>あいだ、>よめ>しゅうとの>あいだに>おこる>いまわしき>かっとうの>さんぶいちは>たしかに>げんぜ>られるに>そういない。>にんげんは>こんたんが>あればあるほど、>そのこんたんが>たたってふこうの>みなもとを>なす>ので、>おおくの>ふじんが>へいきんだんしより>ふこうな>のは、>まったくこの>こんたんが>あり>すぎるからである。>どうか>ばか>たけに>なってください、と>いう>えんぜつな>の」「>へえ、>それで>ゆきえ>さんは>ばか>たけに>なる>きな>の」「>やだわ、>ばか>たけだなんて。>そんなものに>なり>たくはないわ。>かねでんの>とみこ>さん>なんぞは>しっけいだって>たいへん|>おこってよ」「>かねでんの>とみこ>さんて、>あのこうよこちょうの?」「>ええ、>あのはいから>さんよ」「>あのひとも>ゆきえ>さんの>がっこうへ>いくの?」「>いいえ、>ただふじん>かいだからぼうちょうに>きた>の。>ほんとうに>はいからね。>どうも>おどろき>ろ>い>ちまうわ」「>でもたいへん>いい>きりょうだって>いうじゃ>ありませんか」「>なみですわ。>ごじまんほど>じゃありませんよ。>あんなにごけしょうを>すればたいていの>ひとは>よく>みえるわ」「>それじゃゆきえ>さん>なんぞは>そのかたの>ように>ごけしょうを>すればかねだ>さんの>ばい>くらい>うつくしく>なるでしょう」「>あら>いやだ。>よくってよ。>しらないわ。>だけど、>あのほうは>まったくつくり>すぎるのね。>なんぼごきんが>あったって――」「>つくり>すぎても>ごきんの>ある>ほうが>いいじゃ>ありませんか」「>それも>そうだけれども――>あのほうこそ、>すこしばか>たけに>なった>ほうが>いいでしょう。>む>あんに>いばる>んです>もの。>このあいだも>なんとか>いう>しじんが>しんたいし>しゅうを>ささげたって、>みんなに>ふいちょうしている>んです>もの」「>こち>さんでしょう」「>あら、>あのほうが>ささげた>の、>よっぽど>ぶつ>すうきね」「>でもこち>さんは>たいへん>まじめな>んですよ。>じぶんじゃ、>あんな>ことを>する>のが>とうまえだとまで>おもっ>てる>んです>もの」「>そんなひとが>あるから、>いけない>んですよ。――>それからまだおもしろい>ことが>ある>の。>此>かん>だれか、>あのほうの>ところへ>つや>しょを>おくった>ものが>ある>んだって」「>おや、>いやらしい。>だれな>の、>そんなことを>した>のは」「>だれだか>わからない>んだって」「>なまえはないの?」「>なまえは>ちゃんと>かいてある>んだけれどもきいた>ことも>ない>ひとだって、>そうしてそれが>ながい>ながい>いっけん>ば>かりも>ある>てがみでね。>いろいろな>みょうな>ことが>かいてある>んですとさ。>わたしが>あなたを>こいって>いる>のは、>ちょうど>しゅうきょう>かが>かみに>あこがれている>ような>ものだの、>あなたの>ためならばさいだんに>そなえる>しょうひつじと>なってほふら>れる>のが>むじょうの>めいよである>の、>しんぞうの>かたち>ちが>さんかくで、>さんかくの>ちゅうしんに>きゅーぴっどの>やが>たって、>ふきやなら>おおあたりである>の……」「>そりゃまじめなの?」「>まじめな>んですとさ。>げんに>わたしの>ごともだちの>うちで>そのてがみを>みた>ものが>さんにん>ある>んです>もの」「>いやな>ひとね、>そんなものを>みせびらかして。>あのほうは>かんげつ>さんの>とこへ>ごよめに>いく>つもりな>んだから、>そんなことが>せけんへ>しれちゃこまるで>しょうに>ね」「>こまる>どころですか>だいとくいよ。>こんだ>かんげつ>さんが>きたら、>しらしてあげたら>いいでしょう。>かんげつ>さんは>まるで>ごぞんじ>ない>んでしょう」「>どうですか、>あのほうは>がっこうへ>おこなってたまばかり>みがいていらっしゃるから、>おおかたしらないでしょう」「>かんげつ>さんは>ほんとうに>あのほうを>ごもらいに>なる>きな>んでしょうかね。>ごきのどくだわね」「>なぜ? >ごきんが>あって、>いざってときに>ちからに>なって、>いいじゃ>ありませんか」「>おばさんは、>じきに>きん、>きんって>しなが>わるいのね。>きんより>あいの>ほうが>だいじじゃ>ありませんか。>あいが>なければふうふの>かんけいは>せいりつし>や>しないわ」「>そう、>それじゃゆきえ>さんは、>どんなところへ>ごよめに>いくの?」「>そんなこと>しる>もんですか、>べつに>なにも>ない>んです>もの」 >ゆきえ>さんと>おばさんは>けっこんじけんについて>なにか>べんろんを>たくましく>していると、>さっきから、>わからない>なりに>きんちょうしているとん>こが>とつぜんくちを>ひらいて「>わたしも>ごよめに>いきたいな」と>いい>だした。>このむてっぽうな>きぼうには、>さすが>せいしゅんの>きに>みちて、>だいに>どうじょうを>よ>すべき>ゆき>こう>さんも>ちょっとどくけを>ぬか>れた>からだであったが、>さいくんの>ほうは>ひかくてき>へいきに>かまえて「>どこへ>いきたい>の」と>えみな>がら>きいてみた。「>わたしねえ、>ほんとうはね、>しょうこん>しゃへ>ごよめに>いきたい>んだけれども、>すいどうばしを>わたる>のが>いやだから、>どうしようかと>おもっ>てる>の」 >さいくんと>ゆきえ>さんは>このめいとうを>えて、>あまりのことに>といかえす>ゆうきも>なく、>どっと>わらい>くずれた>ときに、>じじょ>のす>ん>こが>ねえさんに>むかってかような>そうだんを>もちかけた。「>ごねえ>さまも>しょうこん>しゃが>すき? >わたしも>だいすき。>いっしょに>しょうこん>しゃへ>ごよめに>いきましょう。ね? >いや? >いやなら>よいわ。>わたし>いちにんで>くるまへ>のってさっさと>いっ>ちまうわ」「>ぼう>ばも>いく>の」と>ついには>ぼう>ば>さんまでが>しょうこん>しゃへ>よめに>いく>ことに>なった。>かように>さんにんが>かおを>そろえてしょうこん>しゃへ>よめに>いけたら、>しゅじんも>さぞ>らくであろう。 >ところへ>くるまの>おとが>がらがらと>もんぜんに>とまったと>おもったら、>たちまちいせいの>いい>ごかえりと>いう>こえが>した。>しゅじんは>にほんづつみ>ぶんしょから>もどったと>みえる。>しゃふが>さしだす>おおきなふろしき>つつみを>げじょに>うけとら>して、>しゅじんは>ゆうぜんと>ちゃのまへ>はいいってくる。「>やあ、>きたね」と>ゆきえ>さんに>あいさつしながら、>れいの>ゆうめいなる>ながひばちの>そばへ、>ぽかりと>てに>たずさえた>とっくり>さまの>ものを>ほうりだした。>とっくり>さまと>いう>のは>じゅんぜんたる>とっくりでは>むろん>ない、と>いってはないけとも>おもわ>れない、>ただいっしゅ>いようの>とうきであるから、>やむをえずしばらくかように>もうした>のである。「>みょうな>とっくりね、>そんなものを>けいさつから>もらってい>ら>しったの」と>ゆきえ>さんが、>たおれた>やつを>おこしながらおじさんに>きいてみる。>おじさんは、>ゆきえ>さんの>かおを>みながら、「>どうだ、>いい>かっこうだろう」と>じまんする。「>いい>かっこうなの? >それが? >あんまりよか>あ>ないわ? >あぶら>つぼ>なんか>なにで>もっていらっ>しったの?」「>あぶら>つぼな>ものか。>そんなしゅみの>ない>ことを>いうからこまる」「>じゃ、>なあに?」「>はな>かつ>さ」「>はな>かつに>しちゃ、>くちが>しょうい>さ>すぎて、>いやに>どうが>はっ>てるわ」「>そこが>おもしろい>んだ。>おまえも>ぶふうりゅうだな。>まるで>おばさんと>えらぶ>ところ>なしだ。>こまった>ものだな」と>ひとりで>あぶら>つぼを>とりあげて、>しょうじの>ほうへ>むけてながめている。「>どうせ>ぶふうりゅうですわ。>あぶら>つぼを>けいさつから>もらってくる>ような>まねは>できないわ。>ねえ>おばさん」>おばさんは>それ>どころではない、>ふろしき>つつみを>といてさら>めに>なって、>とうなん>ひんを>けんべている。「>おや>おどろき>ろ>いた。>どろぼうも>しんぽしたのね。>みんな、>といてあらい>はりを>してあるわ。>ねえ>ちょいと、>あなた」「>だれが>けいさつから>あぶら>つぼを>もらってくる>ものか。>まっ>てる>のが>たいくつだから、>あす>こい>らを>さんぽしている>うちに>ほりり>だしてきた>んだ。>おんざき>なんぞには>わかるまいがそれでもちんぴんだよ」「>ちんぴん>すぎるわ。>いったい>おじさんは>どこを>さんぽした>の」「>どこって>にほんづつみ>かいわい>さ。>よしわらへも>はいいってみた。>なかなかさかりな>ところだ。>あのてつの>もんを>みた>ことが>あるかい。>ないだろう」「>だれが>みる>もんですか。>よしわら>なんて>せんぎょう>ふの>いる>ところへ>いく>いんねんが>ありません>わ。>おじさんは>きょうしの>みで、>よく>まあ、>あんなところへ>いか>れた>ものねえ。>ほんとうに>おどろき>ろ>いてしまうわ。>ねえ>おばさん、>おばさん」「>ええ、>そうね。>どうも>しなかずが>たりない>ようだ>こと。>これで>みんな>もどった>んでしょうか」「>もどらん>のは>やまのいも>ばか>りさ。>がんらい>きゅうじに>しゅっとうしろと>いいながら>じゅういち>じまで>また>せる>ほうが>ある>ものか、>これだからにっぽんの>けいさつは>いかん」「>にっぽんの>けいさつが>いけな>いって、>よしはらを>さんぽしちゃなお>いけないわ。>そんなことが>しれると>めんしょくに>なってよ。>ねえ>おばさん」「>ええ、>なるでしょう。>あなた、>わたしの>おびの>かたがわが>ない>んです。>なんだか>たりないと>おもったら」「>おびの>かたがわくらい>あきらめるさ。>こっちは>さんじかんも>またさ>れて、>たいせつの>じかんを>はんにち|>つぶしてしまった」と>にっぽん>ふくに>き>かえてへいきに>ひばちへ>もた>れてあぶら>つぼを>ながめている。>さいくんも>しかたが>ないと>あきらめて、>もどった>しなを>そのまま>とだなへ>しまい>こんでざに>かえる。「>おばさん、>このあぶら>つぼが>ちんぴんですとさ。>きたないじゃ>ありませんか」「>それを>よしわらで>かってい>ら>しったの? >まあ」「>なにが>まあだ。>わかりも>しない>くせに」「>それでもそんな>つぼなら>よしわらへ>いかなくっても、>どこにだって>あるじゃ>ありませんか」「>ところがない>んだよ。>めったに>ある>しなではない>んだよ」「>おじさんは>ずいぶん|>いし>じぞうね」「>またしょうともの>くせに>なまいきを>いう。>どうも>このころの>じょがくせいは>くちが>わる>る>くっていかん。>ちと>おんな>だいがくでも>よむがいい」「>おじさんは>ほけんが>いやでしょう。>じょがくせいと>ほけんと>どっちが>いやなの?」「>ほけんは>いやではない。>あれは>ひつような>ものだ。>みらいの>こうの>ある>ものは、>だれでも>はいいる。>じょがくせいは>むようの>ちょうぶつだ」「>むようの>ちょうぶつでも>いい>ことよ。>ほけんへ>はいいっても>いない>くせに」「>らいげつから>はいいる>つもりだ」「>きっと?」「>きっとだとも」「>およし>なさいよ、>ほけんなんか。>それ>よりか>その>かか>きんで>なにか>かった>ほうが>いいわ。>ねえ、>おばさん」>おばさんは>にやにや>わらっている。>しゅじんは>まじめに>なって「>おまえなどは>ひゃくも>にひゃくも>いきる>きだから、>そんなのんきな>ことを>いう>のだが、>もうすこしりせいが>はったつしてみ>ろ、>ほけんの>ひつようを>かん>ずるに>いたる>のは>とうまえだ。>ぜひ>らいげつから>はいいる>んだ」「>そう、>それ>じゃ>しかたが>ない。>だけどこないだの>ように>こうもりがさを>かってくださる>ごきんが>あるなら、>ほけんに>はいいる>ほうが>ましかも>しれないわ。>ひとが>いりません、>いりませんと>いう>のを>むりに>かってくださる>んです>もの」「>そんなに>いらなかった>のか?」「>ええ、>こうもりがさなんか>よくしか>ないわ」「>そんなら>かえすがいい。>ちょうどと>ん>こが>ほし>がっ>てるから、>あれを>こっちへ>まわしてやろう。>きょう>もってきたか」「>あら、>そりゃ、>あんまりだわ。>だって苛>いじゃ>ありませんか、>せっかく>かってくだすって>おきながら、>かえせ>なんて」「>いらないと>いうから、>かえせと>いう>の>さ。>ちっとも>苛>くはない」「>いらない>ことは>いらない>んですけれども、>苛>い>わ」「>わからん>ことを>いう>やつだな。>いらないと>いうからかえせと>いう>のに>苛>い>ことが>ある>ものか」「>だって」「>だって、>どうした>んだ」「>だって苛>い>わ」「>ぐだな、>おなじことばかり>くりかえしている」「>おじさんだって>おなじことばかり>くりかえしているじゃ>ありませんか」「>おまえが>くりかえすからしかたが>ないさ。>げんに>いらないと>いった>じゃないか」「>そりゃいいましたわ。>いらない>ことは>いらない>んですけれども、>かえす>のは>いやです>もの」「>おどろき>ろ>いたな。>ぼつ>ぶん>あかつきで>ごうじょうな>んだからしかたが>ない。>おまえの>がっこうじゃ>ろんり>がくを>おしえない>のか」「>よくってよ、>どうせ>むきょういくな>んですから、>なんとでも>おっしゃい。>ひとの>ものを>かえせだなんて、>たにんだって>そんなふにんじょうな>ことは>うんや>しない。>ちっと>ばか>たけの>まねでも>なさい」「>なにの>まねを>し>ろ?」「>ちと>しょうじきに>たんぱくに>なさいと>いう>んです」「>おまえは>ぐぶつの>くせ>に>やに>ごうじょうだよ。>それだかららくだいする>んだ」「>らくだいしたって>おじさんに>がくしは>だしてもらい>や>しないわ」 >ゆきえ>さんは>げん>ここに>いたってかんに>こたえざる>もののごとく、>さんぜんとして>いっきくの>なみだを>むらさきの>はかまの>うえに>おとした。>しゅじんは>茫>乎として、>そのなみだが>いかなるしんり>さように>きいんするかを>けんきゅうする>もののごとく、>はかまの>うえと、>俯つ>むいた>ゆきえ>さんの>かおを>みつめていた。>ところへ>ご>さんが>だいどころから>あかい>てを>しきい>えつに>そろえて「>おきゃく>さまが>いらっしゃいました」と>いう。「>だれが>きた>んだ」と>しゅじんが>きくと「>がっこうの>せいと>さんでございます」と>ご>さんは>ゆきえ>さんの>なきがおを>よこめに>ねめながらこたえた。>しゅじんは>きゃくまへ>でていく。>わがはいも>たねとり>けんにんげん>けんきゅうの>ため、>しゅじんに>お>してしのびやかに>椽へ>めぐった。>にんげんを>けんきゅうするには>なにか>はらんが>ある>ときを>えらばないといっこう>けっかが>でてこない。>へいぜいは>おおかたの>ひとが>おおかたの>ひとであるから、>みても>きいても>ちょう>ごうの>ないくらい>へいぼんである。>しかしいざと>なるとこの>へいぼんが>きゅうに>れいみょうなる>しんぴ>てき>さようの>ために>むくむくと>もちあがってきな>もの、>へんな>もの、>みょうな>もの、>ことな>もの、>いちと>くちに>いえばわがはい>ねこ>ともから>みてすこぶる>こうがくに>なる>ような>じけんが>いたる>ところに>おうふうに>あらわれてくる。>ゆきえ>さんの>こうるいのごときは>まさしく>そのげんしょうの>ひとつである。>かくのごとく>ふかしぎ、>ふかそくの>こころを>ゆうしている>ゆきえ>さんも、>さいくんと>はなしを>している>うちは>さほどとも>おもわなかったが、>しゅじんが>かえってきてあぶら>つぼを>ほうりだすやいなや、>たちまちし>りゅうに>蒸>汽>喞>とうを>そそぎ>かけたるごとく、>ぼつぜんとして>そのしんおうに>してきちすべから>ざる、>こうみょうなる、>びみょうなる、>きみょうなる、>れいみょうなる、>れいしつを、>惜>きも>なく>はつようし>りょう>った。>しかして>そのれいしつは>てんかの>じょせいに>きょうつうなる>れいしつである。>ただおしい>ことには>よういに>あらわれてこない。>いなあらわれる>ことは>にろくじちゅう>かんだん>なく>あらわれているが、>かくの>ごとく>けんちょに>灼>しか>へいことして>えんりょなくは>あらわれてこない。>こうに>してしゅじんの>ように>わがはいの>けを>やや>ともすると>さかさに>なでた>がる>つむじまがりの>きとく>かが>おったから、>かかる>きょうげんも>はいけんが>できた>のであろう。>しゅじんの>あとさえ>ついてあるけば、>どこへ>おこなっても>ぶたいの>やくしゃは>われ>しらず>うごくに>そういない。>おもしろい>おとこを>だんな>さまに>いただいて、>たんかい>ねこの>いのちの>うちにも、>だいぶ>おおくの>けいけんが>できる。>ありがたい>ことだ。>こんどの>おきゃくは>なにものであろう。 >みるととしごろは>じゅうなな>はち、>ゆきえ>さんと>おっつ、>かえっつの>しょせいである。>おおきなあたまを>ちの>すき>いてみえるほど>かりこんでだんご>っ>はなを>かおの>まんなかに>かためて、>ざしきの>すみの>ほうに>ひかえている。>べつに>これと>いう>とくちょうも>ないがずがいこつだけは>すこぶる>おおきい。>あお>ぼうずに>かってさえ、>ああおおきく>みえる>のだから、>しゅじんの>ように>ながく>のばしたら>さだめし>ひとめを>ひく>ことだろう。>こんなかおに>かぎってがくもんは>あまりできない>ものだとは、>かねて>より>しゅじんの>じせつである。>じじつは>そうかも>しれないがちょっとみると>なぽれおんの>ようで>すこぶる>いかんである。>きものは>つうれいの>しょせいのごとく、>さつまがすりか、>くるめがすりか>またいよ>かすりか>わからないが、>ともかくも>かすりと>なづけ>られ>たる>あわせを>そで>たんかに>きこなして、>したには>襯>ころもも>じゅばんもない>ようだ。>すあわせや>すあしは>いきな>ものだ>そうだが、>このおとこの>はなはだ>むさ>く>しい>かんじを>あたえる。>ことに>たたみの>うえに>どろぼうの>ような>おやゆびを>れきぜんと>みっつまで>しるしている>のは>まったくすあしの>せきにんに>そういない。>かれは>よつめの>あしあとの>うえへ>ちゃんと>すわって、>さも>きゅうくつ>そうに>かしこし>こまっている。>いったい>かしこまるべき>ものが>おとなしく>ひかえる>のは>べつだんきに>するにも>およばんが、>いがぐり>あたまの>つんつるてんの>らんぼうしゃが>きょうしゅくしている>ところは>なんとなく>ふちょうわな>ものだ。>とちゅうで>せんせいに>あってさえ>れいを>しない>のを>じまんに>するくらいの>れんちゅうが、>たとい>さんじゅう>ふんでも>ひとなみに>すわる>のは>くるしいに>違>ない。>ところを>うまれ>えてきょうけんの>くんし、>せいとくの>ちょうじゃであるかのごとく>かまえる>のだから、>とうにんの>くるしいに>かかわらず>そばから>みるとだいぶ>おかしい>のである。>きょうじょう>もしくはうんどうじょうで>あんなにそうぞうしい>ものが、>どうして>かように>じこを>箝>たば>する>ちからを>そなえているかと>おもうと、>あわれにもあるがこっけいでもある。>こうやって>いちにんずつ>そうたいに>なると、>いかに>ぐ※>なる>しゅじんと>いえどもせいとにたいして>いくぶんかの>おもみが>ある>ように>おもわ>れる。>しゅじんも>さだめし>とくいであろう。>ちり>せきって>やまを>なすと>いうから、>びびたる>いちせいとも>たぜいが>聚>ごう>すると>あなどるべからざる>だんたいと>なって、>はいせきうんどうや>すとらいきを>しでかすかも>しれない。>これは>ちょうど>おくびょうものが>さけを>のんでだいたんに>なる>ような>げんしょうであろう。>しゅうを>たのんでさわぎだす>のは、>ひとの>きに>よっぱらった>けっか、>しょうきを>とりおとし>たる>ものと>みとめてさしつかえ>あるまい。>それでなければかように>おそれいるとうん>わんより>むしろ>しょうぜんとして、>みずから>ふすまに>おしつけ>られているくらいな>さつまがすりが、>いかに>ろうきゅうだと>いって、>苟>めにも>せんせいと>なの>つく>しゅじんを>けいべつしようがない。>ばかに>できる>わけが>ない。 >しゅじんは>ざぶとんを>おしやりながら、「>さあ>お>しき」と>いったがいがぐり>せんせいは>かたく>なった>まま「>へえ」と>いってうごかない。>はなの>さきに>はげ>かかった>さらさの>ざぶとんが「>ごのんな>さ>い」とも>なんとも>いわずに>ちゃくせきしている>うしろに、>いきた>だいあたまが>つくねんと>ちゃくせきしている>のは>みょうな>ものだ。>ふとんは>のる>ための>ふとんで>みつめる>ために>さいくんが>かんこうばから>しいれてきた>のではない。>ふとんに>してしか>れずんば、>ふとんは>まさしく>そのめいよを>きそんせら>れ>たる>もので、>これを>すすめたる>しゅじんも>またいくぶんか>かおが>たたない>ことに>なる。>しゅじんの>かおを>つぶしてまで、>ふとんと>にらめ>くらを>している>いがぐり>くんは>けっして>ふとん>そのものが>いやな>のではない。>みを>いうと、>せいしきに>すわった>ことは>そふ>さんの>ほうじの>ときの>ほかは>うまれてから>めったに>ないので、>さき>っ>きからすでに>しびれが>きれ>かかってしょうしょうあしの>さきは>こんなんを>うったえている>のである。>それにも>かかわらず>しかない。>ふとんが>てもちぶさたに>ひかえているにも>かかわらず>しかない。>しゅじんが>さあおしきと>いう>のに>しかない。>やっかいな>いがぐり>ぼうずだ。>このくらい>えんりょするなら>たにんずう>あつまった>とき>もうすこしえんりょすればいいのに、>がっこうで>もうすこしえんりょすればいいのに、>げしゅくやで>もうすこしえんりょすればいいのに。>すま>じき>ところへ>き>けんを>して、>すべき>ときには>けんそんしない、>いな|>だいに>ろうぜきを>働>らく。>たちの>あくるい>いがぐり>ぼうずだ。 >ところへ>うしろの>ふすまを>すうと>あけて、>ゆきえ>さんが>いちわんの>ちゃを>うやうやしく>ぼうずに>きょうした。>へいぜいなら、>そら>さヴぇじ・>ちーが>でたと>ひやかす>のだが、>しゅじん>いちにんにたいして>す>ら>いたみいっている>うえへ、>みょうれいの>じょせいが>がっこうで>おぼえ>だての>おがさわら>りゅうで、>おつに>きどった>てつきを>してちゃわんを>つきつけた>のだから、>ぼうずは>だいに>くもんの>からだに>みえる。>ゆきえ>さんは>ふすまを>しめる>ときに>うしろから>にやにやと>わらった。>してみるとおんなは>どうねんぱいでも>なかなかえらい>ものだ。>ぼうずに>ひ>すればはるかに>どきょうが>すわっている。>ことに>せんこくの>むねんに>はらはらと>ながした>いってきの>こうるいの>あとだから、>このにやにやが>さらにめだってみえた。 >ゆきえ>さんの>ひきこんだ>あとは、>そうほう>むごんの>まま、>しばらくの>あいだは>からし>ぼう>していたが、>これでは>ごうを>する>ような>ものだと>きがついた>しゅじんは>ようやく>くちを>ひらいた。「>きみは>なんとか>いったけな」「>こい……」「>こい? >こい>なんとかだね。>なは」「>こい|>たけ>みぎ>えもん」「>ふるい>たけし>みぎ>えもん――>なるほど、>だいぶ>ながい>なだな。>いまの>なじゃない、>むかしの>なだ。>よんねんせいだったね」「>いいえ」「>さんねんせいか?」「>いいえ、>にねんせいです」「>かぶとの>くみかね」「>おつです」「>おつなら、>わたしの>かんとくだね。>そうか」と>しゅじんは>かんしんしている。>じつはこの>だいあたまは>にゅうがくの>とうじから、>しゅじんの>めに>ついている>んだから、>けっして>わすれる>どころではない。>のみ>ならず、>ときどきは>ゆめに>みるくらい>かんめいした>あたまである。>しかしのんきな>しゅじんは>このあたまと>このこふうな>せいめいとを>れんけつして、>そのれんけつした>ものを>また>にねん>おつ>ぐみに>れんけつする>ことが>できなかった>のである。>だからこの>ゆめに>みるほど>かんしんした>あたまが>じぶんの>かんとくぐみの>せいとであると>きいて、>おもわずそうかと>こころの>うらで>てを>はくった>のである。>しかしこの>おおきなあたまの、>ふるい>なの、>しかもじぶんの>かんとくする>せいとが>なにの>ために>いまごろ>やってきた>のか>とみと>推>りょうできない。>がんらい>ふじんぼうな>しゅじんの>ことだから、>がっこうの>せいとなどは>しょうがつだろうがくれだろうがほとんど>よりついた>ことが>ない。>よりついた>のは>ふるい>たけし>みぎ>えもん>くんをもって>こうしと>するくらいな>ちんきゃくであるが、>そのらいほうの>しゅいが>わか>らんには>しゅじんも>だいに>へいこうしているらしい。>こんなおもしろく>ない>ひとの>いえへ>ただ>あそびに>くる>わけも>なかろうし、>またじしょくかんこくなら>もうすこしこうぜんと>かまえ>こみ>そうだし、と>いってたけし>みぎ>えもん>くんなどが>いっしんじょうの>ようじ>そうだんが>ある>はずが>ないし、>どっちから、>どうかんがえても>しゅじんには>わからない。>たけし>みぎ>えもん>くんの>ようすを>みるとあるいはほんにん>じしんに>す>ら>なにで、>ここまで>まいった>のか>はんぜんしないかも>しれない。>しかたが>ないからしゅじんから>とうとう>ひょう>むこうに>ききだした。「>きみ>あそびに>きた>のか」「>そうじゃない>んです」「>それじゃようじかね」「>ええ」「>がっこうの>こと>かい」「>ええ、>すこしごはなしし>しようと>おもって……」「>うむ。>どんなことかね。>さあ>はなし>たまえ」と>いうと>たけし>みぎ>えもん>くん>かを>むかい>たぎり>なににも>いわない。>がんらい>たけし>みぎ>えもん>くんは>ちゅうがくの>にねんせいに>しては>よく>べん>ずる>かたで、>あたまの>おおきい>わりに>のう>りょくは>はったつしておらんが、>ちょう>した>る>ことにおいては>おつ>ぐみ>ちゅう|>鏘々>たる>ものである。>げんに>せんだって>ころん>ばすの>にっぽん>やくを>おしえろと>いってだいに>しゅじんを>こまら>した>はま>さに>このたけし>みぎ>えもん>くんである。>その鏘々>たる>せんせいが、>さいぜんから>どもの>おひめ>さまの>ように>もじもじ>している>のは、>なにか>うん>わくの>ある>ことでなくては>ならん。>たんに>えんりょのみとは>とうてい>うけとら>れない。>しゅじんも>しょうしょうふしんに>おもった。「>はなす>ことが>あるなら、>はやく>はなしたら>いいじゃないか」「>すこしはなし>にくい>ことで……」「>はなし>にくい?」と>いいながらしゅじんは>たけし>みぎ>えもん>くんの>かおを>みたが、>せんぽうは>いぜんとして>俯>むこうに>なっ>てるから、>なにごととも>かんていが>できない。>やむをえず、>すこしごせいを>かえて「>いいさ。>なにでも>はなすがいい。>ほかに>だれも>きいていや>しない。>わたしも>たごんは>しないから」と>おだやかに>つけくわえた。「>はなしても>いいでしょうか?」と>たけし>みぎ>えもん>くんは>まだまよっている。「>いいだろう」と>しゅじんは>かってな>はんだんを>する。「>でははなしますが」と>いい>かけて、>いがぐり>あたまを>むくりと>もちあげてしゅじんの>ほうを>ちょっとま>ぼ>し>そうに>みた。>そのめは>さんかくである。>しゅじんは>ほおを>ふくらましてあさひの>けむりを>ふきだしながらちょっとよこを>むいた。「>じつはその……>こまった>ことに>なっ>ちまって……」「>なにが?」「>なに>がって、>はなはだ>こまる>もんですから、>きた>んです」「>だからさ、>なにが>こまる>んだよ」「>そんなことを>する>こうはなかった>んですけれども、>はまだが>か>せ>か>せと>いう>もんですから……」「>はまだと>いう>のは>はまだ|>へいすけ>かい」「>ええ」「>はまだに>げしゅくりょうでも>か>した>のか>い」「>なに>そんなものを>か>した>んじゃ>ありません」「>じゃなにを>か>した>ん>だい」「>なまえを>か>した>んです」「>はまだが>きみの>なまえを>かりてなにを>した>ん>だい」「>つや>しょを>おくった>んです」「>なにを>おくった?」「>だから、>なまえは>はいして、>とうかんやくに>なると>いった>んです」「>なんだか>ようりょうを>えんじゃないか。>いったい>だれが>なにを>した>ん>だい」「>つや>しょを>おくった>んです」「>つや>しょを>おくった? >だれに?」「>だから、>はなし>にくいと>いう>んです」「>じゃきみが、>どこかの>おんなに>つや>しょを>おくった>のか」「>いいえ、>ぼくじゃない>んです」「>はまだが>おくった>のか>い」「>はまだでも>ない>んです」「>じゃだれが>おくった>ん>だい」「>だれだか>わからない>んです」「>ちっとも>ようりょうを>えないな。>ではだれも>おくらん>のか>い」「>なまえだけは>ぼくの>なな>んです」「>なまえだけは>きみの>なだって、>なにの>ことだか>ちっとも>わからんじゃないか。>もっと>じょうりを>たててはなすがいい。>がんらい>そのつや>しょを>うけた>とうにんは>だれか」「>かなだって>こうよこちょうに>いる>おんなです」「>あの>かねでんという>じつぎょう>かか」「>ええ」「>で、>なまえだけ>か>したとは>なにの>こと>だい」「>あすこの>むすめが>はいからで>なまいきだからつや>しょを>おくった>んです。――>はまだが>なまえが>なくちゃいけな>いっていいますから、>きみの>なまえを>かけって>いったら、>ぼくの>じゃつまらない。>ふるい>たけし>みぎ>えもんの>ほうが>い>いって――>それで、>とうとう>ぼくの>なを>か>してしまった>んです」「>で、>きみは>あすこの>むすめを>しっ>てる>のか。>こうさいでもある>のか」「>こうさいも>なにも>ありゃ>しません。>かおなんか>みた>ことも>ありません」「>らんぼうだな。>かおも>しらない>ひとに>つや>しょを>やるなんて、>まあ>どういう>りょうけんで、>そんなことを>した>ん>だい」「>ただみんなが>あいつは>なまいきで>いばっ>てるて>いうから、>からかってやった>んです」「>ますますらんぼうだな。>じゃきみの>なを>こうぜんと>かいておくった>んだな」「>ええ、>ぶんしょうは>はまだが>かいた>んです。>ぼくが>なまえを>か>してえんどうが>よる>あす>このうちまで>いってとうかんしてきた>んです」「>じゃ>さんにんで>きょうどうしてやった>んだね」「>え>え>、ですけれども、>あとから>かんがえると、>もし>あらわれてたいがくにでも>なるとたいへんだと>おもって、>ひじょうに>しんぱいして>にさん>にちは>ね>られない>んで、>なんだか>茫>やり>してしまいました」「>そりゃまたとんでも>ない>ばかを>した>もんだ。>それで>ぶんめい>ちゅうがく>にねんせい>ふるい>たけし>みぎ>えもんとでも>かいた>のか>い」「>いいえ、>がっこうの>ななんか>かきゃ>しません」「>がっこうの>なを>かかないだけ>まあ>よかった。>これで>がっこうの>なが>でてみるがいい。>それこそ>ぶんめい>ちゅうがくの>めいよにかんする」「>どうでしょう>たいこうに>なるでしょうか」「>そうさな」「>せんせい、>ぼくの>おやじ>さんは>たいへん>やかましい>ひとで、>それに>おかあさんが>けいぼですから、>もし>たいこうにでも>なろう>もんなら、>ぼく>あ>こまっ>ちまうです。>ほんとうに>たいこうに>なるでしょうか」「>だからめったな>まねを>しないがいい」「>する>きでもなかった>んですが、>つい>やってしまった>んです。>たいこうに>ならない>ように>できないでしょうか」と>たけし>みぎ>えもん>くんは>なき>だし>そうな>こえを>してしきりに>あいがんに>およんでいる。>ふすまの>かげでは>さいぜんから>さいくんと>ゆきえ>さんが>くすくす>わらっている。>しゅじんは>あくまでも>もったいぶって「>そうさな」を>くりかえしている。>なかなかおもしろい。 >わがはいが>おもしろいと>いうと、>なにが>そんなに>おもしろいと>きく>ひとが>あるかも>しれない。>きく>のは>もっともだ。>にんげんに>せよ、>どうぶつに>せよ、>おのれを>しる>のは>しょうがいの>だいじである。>おのれを>しる>ことが>できさえ>すればにんげんも>にんげんとして>ねこより>そんけいを>うけてよろしい。>そのときは>わがはいも>こんないたずらを>かく>のは>きのどくだからすぐさま>やめてしまう>つもりである。>しかしじぶんで>じぶんの>はなの>たか>さが>わからないとおなじ>ように、>じこの>なに>ものかは>なかなかけんとうが>つき>わるく>いと>みえて、>へいぜいから>けいべつしている>ねこに>むかってさえ>かような>しつもんを>かける>のであろう。>にんげんは>なまいきな>ようでも>やはり、>どこか>ぬけている。>ばんぶつの>れいだなどと>どこへでも>ばんぶつの>れいを>にない>であるくかと>おもうと、>これしきの>じじつが>りかいできない。>しかも恬として>へいぜんたるに>いたっては>ちと>いち※を>もよおしたく>なる。>かれは>ばんぶつの>れいを>せなかへ>かついで、>おれの>はなは>どこに>あるか>おしえてくれ、>おしえてくれと>さわぎたてている。>それなら>ばんぶつの>れいを>じしょくするかと>おもうと、>どういたしてしんでも>はなし>そうに>しない。>このくらい>こうぜんと>むじゅんを>してへいきで>い>られればあいきょうに>なる。>あいきょうに>なる>かわりには>ばかをもって>あまじなくては>ならん。 >わがはいが>このさい>たけし>みぎ>えもん>くんと、>しゅじんと、>さいくん>及>ゆきえ>じょうを>おもしろ>がる>のは、>たんに>がいぶの>じけんが>はちあわせを>して、>そのはちあわせが>はどうを>おつな>ところに>つたえるからではない。>じつはその>はち>ごうの>はんきょうが>にんげんの>こころに>ここ>べつべつの>ねいろを>おこすからである。>だいいち>しゅじんは>このじけんにたいして>むしろ>れいたんである。>たけし>みぎ>えもん>くんの>おやじ>さんが>いかに>やかましくって、>おっかさんが>いかに>きみを>ままこ>あつかいに>しようとも、>あんまりおどろき>ろかない。>おどろき>ろ>く>はずが>ない。>たけし>みぎ>えもん>くんが>たいこうに>なる>のは、>じぶんが>めんしょくに>なる>のとは>だいに>おもむきが>ちがう。>せんにん>ちかくの>せいとが>みんな>たいこうに>なったら、>きょうしも>いしょくの>とに>きゅうするかも>しれないが、>ふるい>たけし>みぎ>えもん>くん|>いちにんの>うんめいが>どうへんかしようと、>しゅじんの>あさゆうには>ほとんど>かんけいが>ない。>かんけいの>うすい>ところには>どうじょうも>じから>うすい>わけである。>みずしらずの>ひとの>ために>まゆを>ひそめたり、>はなを>かんだり、>たんそくを>する>のは、>けっして>しぜんの>けいこうではない。>にんげんが>そんなに>なさけぶかい、>おもいやりの>ある>どうぶつであるとは>はなはだ>うけとり>にくい。>ただよのなかに>うまれてきた>ふぜいとして、>ときどき>こうさいの>ために>なみだを>ながしてみたり、>きのどくな>かおを>つくってみせたり>するばかりである。>うん>わ>ば>ごまかし>せい>ひょうじょうで、>みを>いうとだいぶ>ほねが>おれる>げいじゅつである。>このごまかしを>うまく>やる>ものを>げいじゅつ>てき>りょうしんの>つよい>ひとと>いって、>これは>せけんから>たいへん>ちんちょうさ>れる。>だからひとから>ちんちょうさ>れる>にんげんほど>あやしい>ものはない。>ためしてみればすぐわかる。>このてんにおいて>しゅじんは>むしろ>つたなな>ぶるいに>ぞくすると>いってよろしい。>つたなだからちんちょうさ>れない。>ちんちょうさ>れないから、>ないぶの>れいたんを>ぞんがい>かくす>ところも>なく>はっぴょうしている。>かれが>たけし>みぎ>えもん>くんにたいして「>そうさな」を>くりかえしている>のでも>這>うらの>しょうそくは>よく>わかる。>しょくんは>れいたんだからと>いって、>けっして>しゅじんの>ような>ぜんにんを>きらっては>いけない。>れいたんは>にんげんの>ほんらいの>せいしつであって、>そのせいしつを>かくそうと>ちから>め>ない>のは>しょうじきな>ひとである。>もし>しょくんが>かかる>さいに>れいたん>いじょうを>のぞんだら、>それこそ>にんげんを>かいかぶったと>いわなければならない。>しょうじきですら>ふっていな>よに>それ>いじょうを>よきする>のは、>ばきんの>しょうせつから>しのや>しょうぶんごが>ぬけ>だして、>むこう>さんげん>りょうどなり>へ>はっけんでんが>ひき>こした>ときでなくては、>あてに>ならない>むりな>ちゅうもんである。>しゅじんは>まず>このくらいに>して、>つぎには>ちゃのまで>わらっ>てる>うなつらに>とりかかるが、>これは>しゅじんの>れいたんを>いちほ|>むこうへ>またいで、>こっけいの>りょうぶんに>おどりこんでうれし>がっている。>このうなつらには>たけし>みぎ>えもん>くんが>ずつうに>やんでいる>つや>しょ>じけんが、>ぶつだの>ふくいんのごとく>ありがたく>おもわ>れる。>りゆうは>ない>ただありがたい。>しいて>かいぼうすればたけ>みぎ>えもん>くんが>こまる>のが>ありがたい>のである。>しょくん>おんなに>むかってきいてごらん、「>あなたは>ひとが>こまる>のを>おもしろ>がってわらいますか」と。>きか>れた>ひとは>このといを>ていしゅつした>ものを>ばかと>いうだろう、>ばかと>いわなければ、>わざと>こんなといを>かけてしゅくじょの>ひんせいを>ぶじょくしたと>いうだろう。>ぶじょくしたと>おもう>のは>じじつかも>しれないが、>ひとの>こまる>のを>わらう>のも>じじつである。であると>すれば、>これからわたしの>ひんせいを>ぶじょくする>ような>ことを>じぶんでしてお>めに>かけますから、>なんとか>いっちゃいやよと>ことわる>のと>いっぱんである。>ぼくは>どろぼうを>する。>しかしけっして>ふどうとくと>いっては>ならん。>もし>ふどうとくだなどと>いえばぼくの>かおへ>どろを>ぬった>ものである。>ぼくを>ぶじょくした>ものである。と>しゅちょうする>ような>ものだ。>おんなは>なかなかりこうだ、>かんがえに>すじみちが>たっている。>いやしくも>にんげんに>うまれる>いじょうは>ふんだり、>けたり、>どやさ>れたり>して、>しかもひとが>ふり>むきも>せぬ>とき、>へいきで>いる>かくごが>ひつようで>あるのみ>ならず、>つばを>はき>かけ>られ、>くそを>たれ>かけ>られた>うえに、>おおきなこえで>わらわ>れる>のを>かいよく>おもわなくては>ならない。>それでなくては>かように>りこうな>おんなと>なの>つく>ものと>こうさいは>できない。>たけし>みぎ>えもん>せんせいも>ちょっとしたはずみから、>とんだあいだ>違を>してだいに>おそれいっては>いる>ようなものの、>かように>おそれいっ>てる>ものを>かげで>わらう>のは>しっけいだと>くらいは>おもうかも>しれないが、>それは>としが>いかない>ちきという>もので、>ひとが>しつれいを>した>ときに>おこる>のを>きが>ちいさいと>せんぽうでは>なづける>そうだから、>そういわ>れる>のが>いやなら>おとなしく>するがよろしい。>さいごに>たけし>みぎ>えもん>くんの>こころゆきを>ちょっとしょうかいする。>きみは>しんぱいの>ごんげである。>かのいだいなる>ずのうは>なぽれおんの>それが>こうみょう>しんをもって>じゅうまんせるがごとく、>まさに>しんぱいを>もってはちきれんと>している。>ときどき>そのだんご>っ>はなが>ぴくぴく>うごく>のは>しんぱいが>がんめん>しんけいに>つたって、>はんしゃさようのごとく>むいしきに>かつどうする>のである。>かれは>おおきなてつ>ほうがんを>のみくだした>ごとく、>はらのうちに>いかんとも>すべからざる>かたまり>まりを>いだいて、>このりょうさんにち>しょちに>きゅうしている。>そのせつな>さの>あまり、>べつに>ふんべつの>しゅっしょも>ないからかんとくと>なの>つく>せんせいの>ところへ>でむいたら、>どうか>たすけてくれるだろうと>おもって、>いやな>ひとの>いえ>へ>おおきなあたまを>さげに>まかり>こした>のである。>かれは>ひろ>がっこうで>しゅじんに>からかったり、>どうきゅうせいを>せんどうして、>しゅじんを>こまら>したり>した>ことは>まるで>わすれている。>いかに>からかおうとも>こまら>せようともかんとくと>なの>つく>いじょうは>しんぱいしてくれるに>そういないと>しんじているらしい。>ずいぶんたんじゅんな>ものだ。>かんとくは>しゅじんが>このんでなった>やくではない。>こうちょうの>いのちによって>やむをえずいただいている、>うん>わ>ば>迷>ていの>おじさんの>やまたかぼうしの>しゅるいである。>ただなまえである。>ただなまえだけでは>どうする>ことも>できない。>なまえが>いざと>いう>ばあいに>やくにたつなら>ゆき>こう>さんは>なまえだけで>みあいが>できる>わけだ。>たけし>みぎ>えもん>くんは>ただに>わがまま>なるのみ>ならず、>たにんは>おのれ>れ>に>むかってかならずしんせつでなくては>ならんと>いう、>にんげんを>かいかぶった>かていから>しゅったつしている。>わらわ>れるなどとは>思も>よらなかったろう。>たけし>みぎ>えもん>くんは>かんとくの>いえへ>きて、>きっと>にんげんについて、>いちの>しんりを>はつめいしたに>そういない。>かれは>このしんりの>ために>しょうらい>ますますほんとうの>にんげんに>なるだろう。>ひとの>しんぱいには>れいたんに>なるだろう、>ひとの>こまる>ときには>おおきなこえで>わらうだろう。>かくの>ごとくに>しててんかは>みらいの>たけし>みぎ>えもん>くんをもって>みたさ>れるであろう。>かねだ>くん>および>かねでん>れいふじんを>もってみたさ>れるであろう。>わがはいは>せつに>たけし>みぎ>えもん>くんの>ために>しゅんじも>はやく>じかくしてまにんげんに>なら>れん>ことを>きぼうする>のである。>しからずんばいかに>しんぱいするとも、>いかに>こうかいするとも、>いかに>ぜんに>うつるの>こころが>せつじつなりとも、>とうてい>かねだ>くんのごとき>せいこうは>え>られん>のである。>いな>しゃかいは>とおからず>してきみを>にんげんの>きょじゅうち>いがいに>ほうちくするであろう。>ぶんめい>ちゅうがくの>たいこうどころではない。 >かように>かんがえておもしろいなと>おもっていると、>こうしが>がらがらと>あいて、>げんかんの>しょうじの>かげから>かおが>はんぶん>ぬうと>でた。「>せんせい」 >しゅじんは>たけし>みぎ>えもん>くんに「>そうさな」を>くりかえしていた>ところへ、>せんせいと>げんかんから>よば>れた>ので、>だれだろうと>そっちを>みるとはんぶんほど>すじ>違に>しょうじから>はみだしている>かおは>まさしく>かんげつ>くんである。「>おい、>おはいいり」と>いっ>たぎり>すわっている。「>ごきゃくですか」と>かんげつ>くんは>やはり>かお>はんぶんで>ききかえしている。「>なに>かまわん、>まあ>ごあがり」「>じつはちょっとせんせいを>さそいに>きた>んですがね」「>どこへ>いく>ん>だい。>またあかさか>かい。>あのほうめんは>もう>ごめんだ。>せんだっては>むやみに>あるか>せ>られて、>あしが>ぼうの>ように>なった」「>きょうは>だいじょうぶです。>ひさしぶりに>でませんか」「>どこへ>でる>ん>だい。>まあ>ごあがり」「>うえのへ>おこなってとらの>なきごえを>きこうと>おもう>んです」「>つまらんじゃないか、>それより>ちょっとごのぼり」 >かんげつ>くんは>とうてい>とお>かたでは>だんぱんふちょうと>おもった>ものか、>くつを>ぬいでのそのそ>あがってきた。>れいのごとく>ねずみいろの、>しりに>つぎの>あたったず>ぼんを>はいているが、>これは>じだいの>ため、>もしくはしりの>おもい>ために>やぶれた>のではない、>ほんにんの>べんかいに>よるとちかごろ>じてんしゃの>けいこを>はじめてきょくぶに>ひかくてき>おおくの>まさつを>あたえるからである。>みらいの>さいくんをもって>矚>め>さ>れた>ほんにんへ>ぶんを>つけた>こいの>かたきとは>ゆめにも>しらず、「>やあ」と>いってたけし>みぎ>えもん>くんに>かるく>えしゃくを>して椽>がわへ>ちかい>ところへ>ざを>しめた。「>とらの>なきごえを>きいたって>つまらないじゃないか」「>ええ、>いま>じゃいけません、>これからかたがた>さんぽしてよる>じゅういち>じころに>なって、>うえのへ>いく>んです」「>へえ」「>するとこうえん>ないの>ろうぼくは>しんしんとして>ものすごいでしょう」「>そうさな、>ひるまより>すこしは>さびしいだろう」「>それでなにでも>なるべく>きの>しげった、>ひるでも>ひとの>とおらない>ところを>択って>あるいていると、>いつのまにか>べに>ちり>ばんじょうの>とかいに>すん>でる>きはなく>なって、>やまの>なかへ>まよいこんだ>ような>こころもちに>なるに>そういないです」「>そんなこころもちに>なってどうする>ん>だい」「>そんなこころもちに>なって、>しばらくたたずんでいるとたちまちどうぶつ>えんの>うちで、>とらが>なく>んです」「>そううまく>なくかい」「>だいじょうぶ>なきます。>あのなきごえは>ひるでも>りか>だいがくへ>きこえるくらいな>んですから、>しんや|>闃>さびとして、>よんもち>ひと>なく、>きき|>はだに>逼って、>ちみ>はなを>つく>さいに……」「>ちみ>はなを>つくとは>なにの>こと>だい」「>そんなことを>いうじゃ>ありませんか、>こわい>ときに」「>そうかな。>あんまりきかない>ようだが。>それで」「>それで>とらが>うえのの>ろうすぎの>はを>ことごとく>ふるいおとす>ような>ぜいで>なくでしょう。>ものすごいで>さあ」「>そりゃものすごいだろう」「>どうです>ぼうけんに>でかけませんか。>きっと>ゆかいだろうと>おもう>んです。>どうしても>とらの>なきごえは>よる>なかに>きかなくっちゃ、>きいたとは>いわ>れないだろうと>おもう>んです」「>そうさな」と>しゅじんは>たけし>みぎ>えもん>くんの>あいがんに>れいたんである>ごとく、>かんげつ>くんの>たんけんにも>れいたんである。 >このときまで>もくぜんとして>とらの>はなしを>うらやまし>そうに>きいていた>たけし>みぎ>えもん>くんは>しゅじんの「>そうさな」で>ふたたびじぶんの>みのうえを>おもいだしたと>みえて、「>せんせい、>ぼくは>しんぱいな>んですが、>どうしたら>いいでしょう」と>またききかえす。>かんげつ>くんは>ふしんな>かおを>してこの>おおきなあたまを>みた。>わがはいは>おもう>しさい>あってちょっとしっけいしてちゃのまへ>めぐる。 >ちゃのまでは>さいくんが>くすくす>わらいながら、>きょう>しょうの>やすちゃわんに>ばんちゃを>ろうろうと>そそいで、>あんちもにーの>ちゃたくの>うえへ>のせて、「>ゆきえ>さん、>はばかり>さま、>これを>だしてきてください」「>わたし、>いやよ」「>どうして」と>さいくんは>しょうしょうおどろき>ろ>いた>からだで>わらいを>はたと>とめる。「>どうしてでも」と>ゆきえ>さんは>やに>すました>かおを>そくせきに>こしらえて、>そばに>あった>よみうりしんぶんの>うえに>のしかかる>ように>めを>おとした。>さいくんは>もう>いちおう|>きょうしょうを>はじめる。「>あら>みょうな>ひとね。>かんげつ>さんですよ。>構>や>しないわ」「>でも、>わたし、>いやな>んです>もの」と>よみうりしんぶんの>うえから>めを>はなさない。>こんなときに>いちじも>よめる>ものではないが、>よんでいないなどと>あばか>れたら>またなき>だすだろう。「>ちっとも>はじか>しい>ごとはないじゃありませんか」と>こんどは>さいくん>わらいながら、>わざと>ちゃわんを>よみうりしんぶんの>うえへ>おしやる。>ゆきえ>さんは「>あら>ひとの>あくるい」と>しんぶんを>ちゃわんの>したから、>ぬこうと>する>ひょうしに>ちゃたくに>ひき>かかって、>ばんちゃは>えんりょなく>しんぶんの>うえから>たたみの>めへ>ながれこむ。「>それ>ごらん>なさい」と>さいくんが>いうと、>ゆきえ>さんは「>あら>たいへんだ」と>だいどころへ>馳け>で>していった。>ぞうきんでも>もってくる>りょうけんだろう。>わがはいには>このきょうげんが>ちょっとおもしろかった。 >かんげつ>くんは>それともしらず>ざしきで>みょうな>ことを>はなしている。「>せんせい|>しょうじを>はり>えき>えましたね。>だれが>はった>んです」「>おんなが>はった>んだ。>よく>はれているだろう」「>え>え>なかなかうまい。>あの>ときどき>おいでに>なる>ごじょう>さんが>おはりに>なった>んですか」「>うん>あれも>てつだった>の>さ。>このくらい>しょうじが>はれればよめに>いく>しかくは>あると>いっていばっ>てるぜ」「>へえ、>なるほど」と>いいながらかんげつ>くん>しょうじを>みつめている。「>こっちの>ほうは>たいらですが、>みぎの>たんは>かみが>あまってなみが>できていますね」「>あすこが>はり>たての>ところで、>もっとも>けいけんの>とぼしい>ときに>でき>のぼった>ところ>さ」「>なるほど、>すこしごてぎわが>おちますね。>あのひょうめんは>ちょうぜつてき>きょくせんで>とうてい>ふつうの>ふぁんくしょんでは>あらわ>せないです」と、>りがく>しゃだけに>むずかしい>ことを>いうと、>しゅじんは「>そうさね」と>いいかげんな>あいさつを>した。 >このようすでは>いつまで>たんがんを>していても、>とうてい>みこみが>ないと>おもいきった>たけし>みぎ>えもん>くんは>とつぜんかの>いだいなる>ずがいこつを>たたみの>うえに>おし>つけて、>むごんの>うらに>あんに>けつべつの>いを>あらわした。>しゅじんは「>かえるかい」と>いった。>たけし>みぎ>えもん>くんは>しょうぜんとして>さつまげたを>ひきずってもんを>でた。>かあいそに。>だ>ちゃっておくといわお>あたまの>ぎんでも>かいてけごん>たきから>とびこむかも>しれない。>もとを>ただせばかねでん>れいじょうの>はいからと>なまいきから>たった>ことだ。>もし>たけし>みぎ>えもん>くんが>しんだら、>ゆうれいに>なってれいじょうを>とりころしてやるがいい。>あんな>ものが>せかいから>いちにんや>ににん>きえ>てなく>なったって、>だんしは>すこしも>こまらない。>かんげつ>くんは>もっと>れいじょうらしい>のを>もらうがいい。「>せんせい>ありゃ>せいとですか」「>うん」「>たいへん>おおきなあたまですね。>がくもんは>できますか」「>あたまの>わりには>できないがね、>ときどき>みょうな>しつもんを>するよ。>こないだ>ころん>ばすを>やくしてした>さ>いってだいに>よわった」「>まったくあたまが>おおき>すぎますからそんな>よけいな>しつもんを>する>んでしょう。>せんせい>なんと>おっしゃいました」「>ええ? >なあに>いいかげんな>ことを>いってやくしてやった」「>それでも>やくす>ことは>やくした>んですか、>こりゃ>えらい」「>しょうともは>なにでも>やくしてやらないと>しんようせんからね」「>せんせいも>なかなかせいじ>かに>なりましたね。>しかしいまの>ようすでは、>なんだか>ひじょうに>げんきが>なくって、>せんせいを>こまら>せる>ようには>みえないじゃありませんか」「>きょうは>すこしよわっ>てる>んだよ。>ばかな>やっこだよ」「>どうした>んです。>なんだか>ちょっとみたばかりで>ひじょうに>かわいそうに>なりました。>ぜんたい>どうした>んです」「>なに>ぐな>こと>さ。>かねでんの>むすめに>つや>しょを>おくった>んだ」「>え? >あのだいあたま>がですか。>ちかごろの>しょせいは>なかなかえらい>もんですね。>どうも>おどろき>ろ>いた」「>きみも>しんぱいだろうが……」「>なに>ちっとも>しんぱいじゃ>ありません。>かえって>おもしろいです。>いくら、>つや>しょが>ふりこんだって>だいじょうぶです」「>そうきみが>あんしんしていればかまわないが……」「>かまわんですとも>わたしは>いっこう>かまいません。>しかしあの>だいあたまが>つや>しょを>かいたと>いうには、>すこしおどろき>ろ>きますね」「>それが>さ。>じょうだんに>した>んだよ。>あのむすめが>はいからで>なまいきだから、>からかってやろうって、>さんにんが>きょうどうして……」「>さんにんが>いちほんの>てがみを>かねでんの>れいじょうに>やった>んですか。>ますますきだんですね。>いちにんまえの>せいよう>りょうりを>さんにんで>くう>ような>ものじゃ>ありませんか」「>ところがてわけが>ある>んだ。>いちにんが>ぶんしょうを>かく、>いちにんが>とうかんする、>いちにんが>なまえを>か>す。>でいま>きた>のが>なまえを>か>した>やつ>なんだがね。>これが>いちばん|>ぐだね。>しかもかねでんの>むすめの>かおも>みた>ことがな>いっていう>んだぜ。>どうして>そんなむちゃな>ことが>できた>ものだろう」「>そりゃ、>きんらいの>だいできですよ。>けっさくですね。>どうも>あの>だいあたまが、>おんなに>ぶんを>やるなんて>おもしろいじゃ>ありませんか」「>とんだ>あいだ>違に>ならあね」「>なに>なったって>構>や>しません、>あいてが>かねでんです>もの」「>だってきみが>もらうかも>しれない>ひとだぜ」「>もらうかも>しれないからかまわない>んです。>なあに、>かねだな>んか、>構>や>しません」「>きみは>かまわなくっても……」「>なに>きん>ただって>構>や>しません、>だいじょうぶです」「>それなら>それで>いいとして、>とうにんが>あとに>なって、>きゅうに>りょうしんに>せめ>られて、>おそろしく>なった>ものだから、>だいに>きょうしゅくしてぼくの>うちへ>そうだんに>きた>んだ」「>へえ、>それで>あんなにしょうしょうと>している>んですか、>きの>ちいさい>こと>みえますね。>せんせい>なんとか>いっておやんな>すった>んでしょう」「>ほんにんは>たいこうに>なるでしょうかって、>それを>いちばん>しんぱいしている>の>さ」「>なにで>たいこうに>なる>んです」「>そんなあくるい、>ふどうとくな>ことを>したから」「>なに、>ふどうとくと>いうほどでもありませんやね。>構>や>しません。>きむ>た>じゃめいよに>おもってきっと>ふいちょうしていますよ」「>まさか」「>とにかく>かあいそですよ。>そんなことを>する>のが>わるいと>しても、>あんなにしんぱいさ>せちゃ、>わかい>おとこを>いちにん>ころしてしまいますよ。>ありゃ>あたまは>おおきいがひと>しょうは>そんなに>わるく>ありません。>はな>なんか>ぴくぴく>さ>せてかわいいです」「>きみも>だいぶ>迷>てい>みた>ように>のんきな>ことを>いうね」「>なに、>これが>じだい>しちょうです、>せんせいは>あまりむかし>し>ふうだから、>なにでも>むずかしく>かいしゃくなさる>んです」「>しかしぐじゃないか、>しりも>しない>ところへ、>いたずらに>つや>しょを>おくるなんて、>まるで>じょうしきを>かい>てるじゃないか」「>いたずらは、>たいがい>じょうしきを>かいていま>さあ。>すくっておやんな>さ>い。>くどくに>なりますよ。>あのようすじゃ>けごんの>たきへ>でかけますよ」「>そうだな」「>そうなさい。>もっと>おおきな、>もっと>ふんべつの>ある>だいそう>ともが>それ>どころじゃない、>わるい>いたずらを>してしらん>めんを>していますよ。>あんな>こを>たいこうさ>せるくらいなら、>そんなやつらを>かたっぱしから>ほうちくでも>しなくっちゃふこうへいで>さあ」「>それも>そうだね」「>それでどうで>すうえのへ>とらの>なきごえを>ききに>いく>のは」「>とら>かい」「>ええ、>ききに>いきましょう。>じつは>にさん>にちちゅうに>ちょっときこくしなければならない>ことが>できましたから、>とうぶん>どこへも>ごともは>できませんから、>きょうは>ぜひいっしょに>さんぽを>しようと>おもってきた>んです」「>そうか>かえる>のか>い、>ようじでもある>のか>い」「>え>え>ちょっとようじが>できた>んです。――>ともかくも>でようじゃ>ありませんか」「>そう。>それじゃでようか」「>さあ>いきましょう。>きょうは>わたしが>ばんさんを>おごりますから、――>それから>うんどうを>してうえのへ>いくとちょうど>よい>こくげんです」と>しきりに>促が>す>ものだから、>しゅじんも>そのきに>なって、>いっしょに>でかけていった。>あとでは>さいくんと>ゆきえ>さんが>えんりょの>ない>こえで>げらげら>けら>けら>からからと>わらっていた。        >じゅういち >とこのまの>まえに>ごばんを>ちゅうに>すえて迷>てい>くんと>どく>せん>くんが>たいざしている。「>ただはやらない。>まけた>ほうが>なにか>おごる>んだぜ。>いいかい」と>迷>てい>くんが>ねんを>おすと、>どく>せん>くんは>れいのごとく>やぎ>ひげを>ひっぱりながら、>こういった。「>そんなことを>すると、>せっかくの>きよし>戯を>ぞく>りょう>してしまう。>かけなどで>しょうぶに>こころを>うばわ>れては>おもしろくない。>せいはいを>どがいにおいて、>しらくもの>しぜんに>岫を>で>でて冉々>たる>ごとき>こころもちで>いちきょくを>りょう>してこそ、>こちゅうの>あじは>わかる>ものだよ」「>またきたね。>そんなせんこつを>あいてに>しちゃしょうしょうほねが>おれ>すぎる。>えんぜんたる>れつ>せん>でん>ちゅうの>じんぶつだね」「>む絃の>そきんを>たまじさ」「>むせんの>でんしんを>かけ>かね」「>とにかく、>やろう」「>きみが>しろを>もつ>のか>い」「>どっちでも>かまわない」「>さすがに>せんにんだけ>あっておうようだ。>きみが>しろなら>しぜんの>じゅんじょとして>ぼくは>くろだね。>さあ、>らいたまえ。>どこからでも>きた>ま>え」「>くろから>うつ>のが>ほうそくだよ」「>なるほど。>しから>ば>けんそんして、>じょうせきに>ここいらから>いこう」「>じょうせきに>そんなのはないよ」「>なくっても>かまわない。>しんき>はつめいの>じょうせきだ」 >わがはいは>せけんが>せまいからごばんと>いう>ものは>きんらいに>なってはじめてはいけんした>のだが、>かんがえればかんがえるほど>みょうに>できている。>ひろくも>ない>しかくな>いたを>せまくるしく>しかくに>しきって、>めが>くらむほど>ごたごたと>くろしろの>いしを>ならべる。>そうしてかったとか、>まけたとか、>しんだとか、>いきたとか、>あぶら>あせを>ながしてさわいでいる。>こうが>いちしゃく>よんぽうくらいの>めんせきだ。>ねこの>まえあしで>かき>ちらしても>めちゃめちゃに>なる。>ひきよせてむすべばくさの>あんにて、>かいくればもとの>のはらなりけり。>いり>ら>ざる>いたずらだ。>ふところでを>してばんを>ながめている>ほうが>はるかに>きらくである。>それも>さいしょの>さんよん>じゅう|>めは、>いしの>ならべかたでは>べつだん|>めざわりにも>ならないが、>いざ>てんか>わけめと>いう>まぎわに>のぞいてみると、>いやはや>ごきのどくな>ありさまだ。>しろと>くろが>ばんから、>こぼれおちるまでに>おし>あって、>ごかたみに>ぎゅーぎゅー>いっている。>きゅうくつだからと>いって、>となりの>やっこに>どいてもらう>わけにも>いかず、>じゃまだと>もうしてまえの>せんせいに>たいきょを>めいずる>けんりも>なし、>てんめいと>あきらめて、>じっと>してみうごきも>せず、>すくんでいるより>ほかに、>どうする>ことも>できない。>ごを>はつめいした>ものは>にんげんで、>にんげんの>しこうが>きょくめんに>あらわれる>ものと>すれば、>きゅうくつなる>ごいしの>うんめいは>せせこましい>にんげんの>せいしつを>だいひょうしていると>いっても>さしつかえない。>にんげんの>せいしつが>ごいしの>うんめいで>すいちする>ことが>できる>ものと>すれば、>にんげんとは>てんくう>うみ>濶の>せかいを、>われからと>ちぢめて、>おのれれの>たつ>りょうあし>いがいには、>どうあっても>ふみだせぬ>ように、>こがたな>ざいくで>じぶんの>りょうぶんに>なわばりを>する>のが>すきな>んだと>だんげんせざるを>えない。>にんげんとは>しいて>くつうを>もとめる>ものであると>ひとことに>ひょうしても>よかろう。 >のんきなる>迷>てい>くんと、>ぜん>き>ある>どく>せん>くんとは、>どういう>りょうけんか、>きょうに>かぎってとだなから>こごばんを>ひきずりだして、>このあつくるしい>いたずらを>はじめた>のである。>さすがに>ごりょうにん|>ごそろいの>ことだから、>さいしょの>うちは>かくじ>にんいの>こうどうを>とって、>ばんの>うえを>しろいしと>くろいしが>じゆうじざいに>とびかわ>していたが、>ばんの>ひろ>さには>かぎりが>あって、>よこ>たての>めもりは>いって>ごとに>うまっていく>のだから、>いかに>のんきでも、>いかに>ぜん>きが>あっても、>くるしく>なる>のは>あたりまえである。「>迷>てい>くん、>きみの>ごは>らんぼうだよ。>そんなところへ>はいいってくる>ほうはない」「>ぜん>ぼうずの>ごには>こんなほうはないかも>しれないが、>ほんいんぼうの>りゅうぎじゃ、>ある>んだからしかたが>ないさ」「>しかししぬばかりだぜ」「>しん>しをだも>じ>せず、>いわんや※>かたを>やと、>ひとつ、>こういくかな」「>そうおいでに>なったと、>よろしい。>くんぷう|>みなみより>きたって、>しんがり>閣|>びりょうを>しょうず。>こう、>ついでおけばだいじょうぶな>ものだ」「>おや、>ついだ>のは、>さすがに>えらい。>まさか、>つぐ>き>やはなかろうと>おもった。>ついで、>くりゃるな>やはた>かねをと、>こうやったら、>どうするかね」「>どうするも、>こうするも>ないさ。>いちけん>てんに>倚って>さむし――>ええ、>めんどうだ。>おもいきって、>きってしまえ」「>やや、>たいへん>たいへん。>そこを>きら>れちゃしんでしまう。>おい>じょうだんじゃない。>ちょっとまった」「>それだから、>さっきから>いわん>ことじゃない。>こうなっ>てる>ところへは>はいいれる>ものじゃない>んだ」「>はいいってしっけい|>つかまつり>こう。>ちょっとこの>しろを>とってくれた>ま>え」「>それも>まつ>のか>い」「>ついでに>そのとなり>のも>ひきあげてみてくれた>ま>え」「>ずうずうしいぜ、>おい」「でぃーおーわいおーゆーえすいーいーてぃーえっちいーびーおーわいか。――>なに>くんと>ぼくの>あいだがらじゃないか。>そんなみずくさい>ことを>いわずに、>ひきあげてくれた>ま>えな。>しぬか>いきるかと>いう>ばあいだ。>しばらく、>しばらくって>かどうから>馳け>で>してくる>ところだよ」「>そんなことは>ぼくは>しらんよ」「>しらなくっても>いいから、>ちょっとどけ>たまえ」「>きみ>さっきから、>ろく|>かえ>まったを>したじゃないか」「>きおくの>いい>おとこだな。>こうごは>きゅうに>ばい>し>まったを>つかまつり>こう。>だからちょっとどけ>たまえと>いう>のだ>あね。>きみもよ>っ>ぽ>どごうじょうだね。>ざぜんなんか>したら、>もうすこしはけ>そうな>ものだ」「>しかしこの>いしでも>ころさなければ、>ぼくの>ほうは>すこしまけに>なり>そうだから……」「>きみは>さいしょから>まけても>かまわない>りゅうじゃないか」「>ぼくは>まけても>かまわないが、>きみには>かた>したくない」「>とんだ>ごどうだ。>そう>かわらず>しゅんぷう>かげ>うらに>でんこうを>きっ>てるね」「>しゅんぷう>かげ>うらじゃない、>でんこう>かげ>うらだよ。>きみ>のは>ぎゃくだ」「>はははは>もう>たいていぎゃくかに>なっていい>じぶんだと>おもったら、>やはり>たしかな>ところが>あるね。>それ>じゃ>しかたが>ない>あきらめるかな」「>せいし>じだい、>むじょう>じんそく、>あきらめるさ」「>あーめん」と>迷>てい>せんせい>こんどは>まるで>かんけいの>ない>ほうめんへ>ぴしゃりと>いっせきを>くだした。 >とこのまの>まえで>迷>てい>くんと>どく>せん>くんが>いっしょうけんめいに>ゆえいを>あらそっていると、>ざしきの>いりぐちには、>かんげつ>くんと>こち>くんが>あいならんでその>そばに>しゅじんが>きいろい>かおを>してすわっている。>かんげつ>くんの>まえに>かつおぶしが>さんほん、>はだかの>まま>たたみの>うえに>ぎょうぎ>よく>はいれつしてある>のは>きかんである。 >このかつおぶしの>しゅっしょは>かんげつ>くんの>ふところで、>とりだした>ときは>だん>たかく、>てのひらに>かんじた>くらい、>はだかながらぬくもっていた。>しゅじんと>こち>くんは>みょうな>めを>してしせんを>かつおぶしの>うえに>そそいでいると、>かんげつ>くんは>やがて>くちを>ひらいた。「>じつは>よんにちばかり>まえに>くにから>かえってきた>のですが、>いろいろようじが>あって、>かたがた|>馳>け>あるいていた>ものですから、>つい>あがら>れなかった>のです」「>そういそいでくるには>およばない>さ」と>しゅじんは>れいのごとく>ぶあいきょうな>ことを>いう。「>いそいでく>んでも>いい>のですけれども、>このおみやげを>はやく>けんじょうしないと>しんぱいですから」「>かつおぶしじゃないか」「>ええ、>くにの>めいさんです」「>めいさんだって>とうきょうにも>そんなのは>あり>そうだぜ」と>しゅじんは>いちばん>おおきなやっこを>いちほん>とりあげて、>はなの>さきへ>もっていってにおいを>かいでみる。「>かいだって、>かつおぶしの>ぜんあくは>わかりませんよ」「>すこしおおきい>のが>めいさんたる>ゆえんかね」「>まあ>たべてごらん>なさい」「>たべる>ことは>どうせ>たべるが、>こいつは>なんだか>さきが>かけ>てるじゃないか」「>それだからはやく>もってこないと>しんぱいだと>いう>のです」「>なぜ?」「>なぜって、>そりゃねずみが>くった>のです」「>そいつは>きけんだ。>めったに>くうとぺすとに>なるぜ」「>なに>だいじょうぶ、>そのくらい>かじったって>がいは>ありません」「>ぜんたい>どこで>噛>った>ん>だい」「>ふねの>なか>でです」「>ふねの>ちゅう? >どうして」「>いれる>ところが>なかったから、>ヴぁいおりんと>いっしょに>ふくろの>なかへ>いれて、>ふねへ>のったら、>そのばんに>やら>れました。>かつおぶしだけなら、>いい>のですけれども、>たいせつな>ヴぁいおりんの>どうを>かつおぶしと>まちがえてやはり>しょうしょう|>噛りました」「>そそっかしい>ねずみだね。>ふねの>なかに>すん>でると、>そうみさかいが>なくなる>ものかな」と>しゅじんは>だれにも>わからん>ことを>いっていぜんとして>かつおぶしを>ながめている。「>なに>ねずみだから、>どこに>すん>でても>そそっかしい>のでしょう。>だからげしゅくへ>もってきても>またやら>れ>そうでね。>けんのんだからよるるは>ねどこの>なかへ>いれてねました」「>すこしきたない>ようだぜ」「>だからたべる>ときには>ちょっとおあらい>なさい」「>ちょっとくらいじゃきれいにゃ>なり>そうも>ない」「>それじゃあくでも>つけて、>ごしごし>みがいたら>いいでしょう」「>ヴぁいおりんも>いだいてねた>のか>い」「>ヴぁいおりんは>おおき>すぎるからいだいてねる>わけには>いかない>んですが……」と>いい>かけると「>なんだって? >ヴぁいおりんを>いだいてねたって? >それは>ふうりゅうだ。>いく>はるや>おもたき>びわの>だきしんと>いう>くもあるが、>それは>とおき>そのうえの>ことだ。>めいじの>しゅうさいは>ヴぁいおりんを>いだいてねなくっちゃこじんを>しのぐ>わけには>いかないよ。>かい>まきに>ながき>よる>まもる>や>ヴぁいおりんは>どうだい。>こち>くん、>しんたいしで>そんなことが>いえる>かい」と>むこうの>ほうから>迷>てい>せんせい>おおきなこえで>こっちの>だんわにも>かんけいを>つける。 >こち>くんは>まじめで「>しんたいしは>はいくと>ちがってそうきゅうには>できません。>しかしできた>あかつきには>もうすこしいきりょうの>きびに>ふれた>みょうおんが>でます」「>そうかね、>いきりょうは>おがらを>たいてむかえ>まつる>ものと>おもっ>てたが、>やっぱり>しんたいしの>ちからでも>ごらいりんに>なるかい」と>迷>ていは>まだごを>そっちのけに>してちょう>戯て>いる。「>そんなむだぐちを>たたくとまたまけ>けるぜ」と>しゅじんは>迷>ていに>ちゅういする。>迷>ていは>へいきな>もので「>かちたくても、>まけたくても、>あいてが>かまなかの>たこ>どうぜん>ても>あしも>だせない>のだから、>ぼくも>ぶりょうで>やむをえずヴぁいおりんの>ごなかまを>つかまつる>の>さ」と>いうと、>あいての>どく>せん>くんは>いささか>げきした>ちょうしで「>こんどは>きみの>ばんだよ。>こっちで>まっ>てる>んだ」と>いい>はなった。「>え? >もう>うった>のか>い」「>うったとも、>とうに>うったさ」「>どこへ」「>このしろを>はすに>のばした」「>な>あるほど。>このしろを>はすに>のばしてまけに>けりか、>そんなら>こっちはと――>こっちは――>こっちは>こっち>はとて>くれに>けりと、>どうも>いい>てが>ないね。>きみ>もう>いちかえ>うた>してやるからかってな>ところへ>ひとめ>うち>たまえ」「>そんなごが>ある>ものか」「>そんなごが>ある>ものかなら>うちましょう。――>それじゃこのか>どじめんへ>ちょっとまがっておくかな。――>かんげつ>くん、>きみの>ヴぁいおりんは>あんまりやすいからねずみが>ばかに>して噛>る>んだよ、>もうすこしいい>のを>ふんぱつしてかうさ、>ぼくが>以>ふとし>り>あから>さんひゃく>ねんまえの>ふるものを>とりよせてやろうか」「>どうか>ねがいます。>ついでに>おはらいの>ほうも>ねがいたい>もので」「>そんなふるい>ものが>やくにたつ>ものか」と>なににも>しらない>しゅじんは>いっかつに>して迷>てい>くんを>きわめ>つけた。「>きみは>にんげんの>ふるものと>ヴぁいおりんの>ふるものと>どういつ>ししている>んだろう。>にんげんの>ふるものでも>かねでん>ぼうのごとき>ものは>こんだに>りゅうこうしているくらいだから、>ヴぁいおりんに>いたっては>ふるいほどが>いい>の>さ。――>さあ、>どく>せん>くん>どうか>ごはやく>ねがおう。>けい>まさの>せりふじゃないがあきの>ひは>くれ>やすいからね」「>きみの>ような>せわしない>おとこと>ごを>うつ>のは>くつうだよ。>かんがえる>ひまも>なにも>ありゃ>しない。>しかたが>ないから、>ここへ>ひとめ>いれてめに>しておこう」「>おや>おや、>とうとう>いかしてしまった。>おしい>ことを>したね。>まさか>そこへは>うつまいと>おもって、>いささか>だべんを>ふってかんたんを>くだいていたが、>や>っ>ぱり>だめか」「>あたりまえ>さ。>きみ>のは>うつ>のじゃない。>ごまかす>のだ」「>それが>ほんいんぼう>りゅう、>かねでん>りゅう、>とうせい>しんし>りゅうさ。――>おい>く>さや>せんせい、>さすがに>どく>せん>くんは>かまくらへ>おこなって>まんねん>漬を>くっただけ>あって、>ものに>どうじないね。>どうも>たかし々>ふく々だ。>ごは>まずいが、>どきょうは>据>っ>てる」「>だからきみの>ような>どきょうの>ない>おとこは、>すこしまねを>するがいい」と>しゅじんが>うしろ>むこうの>ままで>こたえるやいなや、>迷>てい>くんは>おおきなあかい>したを>ぺろりと>だした。>どく>せん>くんは>ごうも>かんせざる>もののごとく、「>さあきみの>ばんだ」と>またあいてを>うながした。「>きみは>ヴぁいおりんを>いつ>ころから>はじめた>のか>い。>ぼくも>すこしならおうと>おもう>のだが、>よっぽど>むずかしい>ものだ>そうだね」と>こち>くんが>かんげつ>くんに>きいている。「>うむ、>いちと>とおりなら>だれにでも>で>きたるさ」「>おなじげいじゅつだからしいかの>しゅみの>ある>ものは>やはり>おんがくの>ほうでも>じょうたつが>はやいだろうと、>ひそかに>恃>む>ところが>ある>んだが、>どうだろう」「>いいだろう。>きみなら>きっと>じょうずに>なるよ」「>きみは>いつ>ころから>はじめた>のかね」「>こうとう>がっこう>じだい>さ。――>せんせい|>わたし>しの>ヴぁいおりんを>ならい>だした>てんまつを>おはなしした>ことが>ありましたかね」「>いいえ、>まだきかない」「>こうとう>がっこう>じだいに>せんせいでもあってやり>だした>のか>い」「>なあに>せんせいも>なにも>ありゃ>しない。>どくしゅうさ」「>まったくてんさいだね」「>どくしゅうなら>てんさいと>かぎった>ことも>なかろう」と>かんげつ>くんは>つんと>する。>てんさいと>いわ>れてつんと>する>のは>かんげつ>くんだけだろう。「>そりゃ、>どうでも>いいが、>どういう>かぜに>どくしゅうした>のか>ちょっときかし>たまえ。>さんこうに>したいから」「>はなしても>いい。>せんせい>はなししましょうかね」「>ああ>はなし>たまえ」「>いまでは>わかい>ひとが>ヴぁいおりんの>はこを>さげて、>よく>おうらいなどを>あるいておりますが、>そのじぶんは>こうとう>がっこう>せいで>せいようの>おんがくなどを>やった>ものは>ほとんど>なかった>のです。>ことに>わたしの>おった>がっこうは>いなかの>いなかで>あさうら>ぞうりさえ>ないと>いうくらいな>しつぼくな>ところでしたから、>がっこうの>せいとで>ヴぁいおりんなどを>ひく>ものは>もちろん>いちにんも>ありません。……」「>なんだか>おもしろい>はなしが>むこうで>はじまった>ようだ。>どく>せん>くん>いいかげんに>きりあげようじゃないか」「>まだかたづかない>ところが>にさん>かしょある」「>あっても>いい。>たいがいな>ところなら、>きみに>しんじょうする」「>そういったって、>もらう>わけにも>いかない」「>ぜんがく>しゃにも>にあわん>きちょうめんな>おとこだ。>それじゃいっきかせいに>やっ>ちまおう。――>かんげつ>きみ>なんだか>よっぽど>おもしろ>そうだね。――>あのこうとう>がっこうだろう、>せいとが>はだしで>とうこうする>のは……」「>そんなことは>ありません」「>でも、>みなな>はだしで>へい>しき>たいそうを>して、>めぐれ>みぎを>やる>んで>あしの>かわが>たいへん>あつく>なっ>てると>いう>はなしだぜ」「>まさか。>だれが>そんなことを>いいました」「>だれでも>いいよ。>そうしてべんとうには>いだいなる>にぎりめしを>いちこ、>なつみかんの>ように>こしへ>ぶらさげてきて、>それを>くう>んだって>いうじゃないか。>くうと>いうより>むしろ>くいつく>んだね。>するとちゅうしんから>うめぼしが>いちこ>でてきたる>そうだ。>このうめぼしが>でる>のを>たのしみに>しおけの>ない>しゅういを>いっしんふらんに>くい>かいてとっしんする>んだと>いうが、>なるほど>げんき|>おうせいな>ものだね。>どく>せん>くん、>きみの>きにいり>そうな>はなしだぜ」「>しつぼく>ごうけんで>たのもしい>きふうだ」「>まだたのもしい>ことが>ある。>あすこには>はい>ふきが>ない>そうだ。>ぼくの>ゆうじんが>あすこへ>ほうしょくを>している>ころ|>とげつほうの>しるしの>ある>はい>ふきを>かいに>でた>ところが、>とげっぽうどころか、>はいふきと>な>づくべき>ものが>いちこも>ない。>ふしぎに>おもって、>きいてみたら、>はい>ふきなどは>うらの>やぶへ>おこなってきってくればだれにでも>できるから、>うる>ひつようはないと>すましてこたえた>そうだ。>これも>しつぼく>ごうけんの>きふうを>あらわす>び>たんだろう、>ねえ>どく>せん>くん」「>うむ、>そりゃそれで>いいが、>ここへ>だめを>ひとつ>いれなくちゃいけない」「>よろしい。>だめ、>だめ、>だめと。>それで>かたづいた。――>ぼくは>そのはなしを>きいて、>じつに>おどろいたね。>そんなところで>きみが>ヴぁいおりんを>どくしゅうした>のは>みあげた>ものだ。※>どくに>してふ羣>なりと>すわえ>じに>あるがかんげつ>くんは>まったくめいじの>屈>はらだよ」「>屈>はらは>いやですよ」「>それじゃこんせいきの>うぇるてるさ。――>なに>せきを>あげてかんじょうを>し>ろ? >やに>ものがたい>せいしつだね。>かんじょうしなくっても>ぼくは>まけ>てるからたしかだ」「>しかしきまりが>つかないから……」「>それじゃきみ>やってくれた>ま>え。>ぼくは>かんじょうしょじゃない。>いちだいの>さいじん>うぇるてる>くんが>ヴぁいおりんを>ならい>だした>いつわを>きかなくっちゃ、>せんぞへ>すまないからしっけいする」と>せきを>はずして、>かんげつ>くんの>ほうへ>すり>だしてきた。>どく>せん>くんは>たんねんに>しろいしを>とっては>しろの>あなを>うめ、>くろいしを>とっては>くろの>あなを>うめて、>しきりに>くちの>うちで>けいさんを>している。>かんげつ>くんは>はなしを>つづける。「>とち>がらが>すでに>とち>がらだ>のに、>わたしの>くにの>ものが>またひじょうに>がんこなので、>すこしでも>にゅうじゃくな>ものが>おっては、>たけんの>せいとに>がいぶんが>わるいと>いって、>むやみに>せいさいを>げんじゅうに>しましたから、>ずいぶんやっかいでした」「>きみの>くにの>しょせいと>きたら、>ほんとうに>はなせないね。>がんらい>なにだって、>こんの>むじの>はかま>なんぞ>はく>ん>だい。>だいいち>あれ>から>しておつだね。>そうしてしお>ふうに>ふか>れ>つけている>せいか、>どうも、>いろが>くろいね。>おとこだからあれで>すむがおんなが>あれ>じゃさぞかし>こまるだろう」と>迷>てい>くんが>いちにん|>はいいるとかんじんの>はなしは>どっかへ>とんでおこなってしまう。「>おんなも>あのとおり>くろい>のです」「>それでよく>もらいてが>あるね」「>だっていっこく>ちゅう>ことごとく>くろい>のだからしかたが>ありません」「>いんがだね。>ねえ>く>さや>くん」「>くろい>ほうが>いいだろう。>しょうじ>しろいと>かがみを>みる>たんびに>き>惚が>でていけない。>おんなと>いう>ものは>しまつに>おえない>ぶっけんだからなあ」と>しゅじんは>喟>しかとして>たいそくを>もらした。「>だっていっこく>ちゅう>ことごとく>くろければ、>くろい>ほうで>うぬぼれは>しませんか」と>こち>くんが>もっともな>しつもんを>かけた。「>ともかくも>おんなは>ぜんぜんふひつような>ものだ」と>しゅじんが>いうと、「>そんなことを>いうとさいくんが>あとで>ごきげんが>わるいぜ」と>わらいながら迷>てい>せんせいが>ちゅういする。「>なに>だいじょうぶだ」「>いない>のか>い」「>しょうともを>つれて、>さっきでかけた」「>どうれで>しずかだと>おもった。>どこへ>おこなった>の>だい」「>どこだか>わからない。>かってに>でてあるく>のだ」「>そうしてかってに>かえってくる>のか>い」「>まあ>そうだ。>きみは>どくしんで>いいなあ」と>いうとこち>くんは>しょうしょうふへいな>かおを>する。>かんげつ>くんは>にやにやと>わらう。>迷>てい>くんは「>つまを>もつとみんな>そういう>きに>なる>の>さ。>ねえ>どく>せん>くん、>くんなども>さいくん>なんの>ほうだろう」「>ええ? >ちょっとまった。>よんろく>にじゅう>よん、>にじゅう>ご、>にじゅう>ろく、>にじゅう>ななと。>せまいと>おもったら、>よんじゅう>ろく|>め>あるか。>もうすこしかった>つもりだったが、>こしらえてみると、>たった>じゅうはち>めの>さか。――>なに>だって?」「>きみも>さいくん>なんだろうと>いう>の>さ」「>あはははは>べつだん>なんでも>ないさ。>ぼくの>つまは>がんらい>ぼくを>あいしている>のだから」「>そいつは>しょうしょうしっけいした。>それでこそ>どく>せん>くんだ」「>どく>せん>くんばかりじゃありません。>そんなれいは>いくらでも>ありますよ」と>かんげつ>くんが>てんかの>さいくんに>かわってちょっとべんごの>ろうを>とった。「>ぼくも>かんげつ>くんに>さんせいする。>ぼくの>こうでは>にんげんが>ぜったいの>いきに>はいるには、>ただふたつの>みちが>あるばかりで、>そのふたつの>みちとは>げいじゅつと>こいだ。>ふうふの>あいは>そのひとつを>だいひょうする>ものだから、>にんげんは>ぜひけっこんを>して、>このこうふくを>かん>うし>なければてんいに>そむく>わけだと>おもう>んだ。――が>どうでしょう>せんせい」と>こち>くんは>そう>かわらず>まじめで>迷>てい>くんの>ほうへ>むきなおった。「>ぎょめい>ろんだ。>しもべなどは>とうてい>ぜったいの>さかいに>はいいれ>そうも>ない」「>つまを>もらえばなお>はいいれ>やしない」と>しゅじんは>むずかしい>かおを>していった。「>ともかくも>われわれ>みこんの>せいねんは>げいじゅつの>れいきに>ふれてこうじょうの>いちろを>かいたくしなければじんせいの>いぎが>わからないですから、>まず>てはじめに>ヴぁいおりんでも>ならおうと>おもってかんげつ>くんに>さっきから>けいけんたんを>きいている>のです」「>そうそう、>うぇるてる>くんの>ヴぁいおりん>ものがたりを>はいちょうする>はずだったね。>さあ>はなし>たまえ。>もう>じゃまは>しないから」と>迷>てい>くんが>ようやく>ほうぼうを>おさめると、「>こうじょうの>いちろは>ヴぁいおりんなどで>あける>ものではない。>そんなゆうぎさんまいで>うちゅうの>しんりが>しれては>たいへんだ。>這>うらの>しょうそくを>しろうと>おもえばやはり>けんがいに>てを>撒>して、>ぜつごに>ふたたびそ>える>そこの>きはくが>なければだめだ」と>どく>せん>くんは>もった>い>ふって、>こち>くんに>くんかいじみた>せっきょうを>した>のは>よかったが、>こち>くんは>ぜんしゅうのぜの>じも>しらない>おとこだからとみと>かんしんした>よう>すも>なく「>へえ、>そうかも>しれませんが、>やはり>げいじゅつは>にんげんの>かつごうの>きょくちを>あらわした>ものだと>おもいますから、>どうしても>これを>すてる>わけには>まいりません」「>すてる>わけに>いかなければ、>おのぞみ>どおり>ぼくの>ヴぁいおりん>だんを>してきか>せる>ことに>しよう、>でいま>はなす>とおりの>しだいだからぼくも>ヴぁいおりんの>けいこを>はじめるまでには>だいぶ>くしんを>したよ。>だいいち>かう>のに>こまりましたよ>せんせい」「>そうだろう>あさうら>ぞうりが>ない>とちに>ヴぁいおりんが>ある>はずが>ない」「>いえ、>ある>ことは>ある>んです。>きんも>まえから>よういしてためたからさしつかえない>のですが、>どうも>かえない>のです」「>なぜ?」「>せまい>とちだから、>かっておればすぐみつかります。>みつかれば、>すぐなまいきだと>いうのでせいさいを>くわえ>られます」「>てんさいは>むかしから>はくがいを>くわえ>られる>ものだからね」と>こち>くんは>だいに>どうじょうを>あらわした。「>またてんさいか、>どうか>てんさい>よばわりだけは>ごめん>こうむりたいね。>それでね>まいにち>さんぽを>してヴぁいおりんの>ある>みせさきを>とおる>たびに>あれが>かえたら>よかろう、>あれを>てに>かかえた>こころもちは>どんなだろう、>ああほしい、>ああほしいと>おもわない>ひは>いちにちも>なかった>のです」「>もっともだ」と>ひょうした>のは>迷>ていで、「>みょうに>こった>ものだね」と>かいし>かねた>のが>しゅじんで、「>やはり>きみ、>てんさいだよ」と>けいふくした>のは>こち>くんである。>ただどく>せん>くんばかりは>ちょうぜんと>してひげを>よ>している。「>そんなところに>どうして>ヴぁいおりんが>あるかが>だいいち>ごふしんかも>しれないですが、>これは>かんがえてみるとあたりまえの>ことです。>なぜと>いうとこの>ちほうでも>じょがっこうが>あって、>じょがっこうの>せいとは>かぎょうとして>まいにち>ヴぁいおりんを>けいこしなければならない>のですから、>ある>はずです。>むろん>いい>のは>ありません。>ただヴぁいおりんと>いう>なが>かろうじて>つくくらいの>ものであります。>だからみせでも>あまりおもきを>おいていないので、>にさん>てこ>いっしょに>てんとうへ>つるしておく>のです。>それが>ね、>ときどき>さんぽを>してまえを>とおる>ときに>かぜが>ふき>つけたり、>こぞうの>てが>さわったり>して、>そら>おとを>だす>ことが>あります。>そのおとを>きくときゅうに>しんぞうが>はれつし>そうな>こころもちで、>いても>たっても>い>られなく>なる>んです」「>きけんだね。>みず>てんかん、>ひと>てんかんと>てんかんにも>いろいろしゅるいが>あるがきみ>のは>うぇるてるだけ>あって、>ヴぁいおりん>てんかんだ」と>迷>てい>くんが>ひやかすと、「>いやそのくらい>かんかくが>えいびんでなければしんの>げいじゅつかに>はなれないですよ。>どうしても>てんさい>はだだ」と>こち>くんは>いよいよ>かんしんする。「>え>え>じっさい|>てんかんかも>しれませんが、>しかしあの>ねいろだけは>き>からだですよ。>そのご>きょうまで>ずいぶんひきましたがあの>くらい>うつくしい>おとが>でた>ことが>ありません。>そうさなにと>けいようしていいでしょう。>とうてい>いい>あらわ>せないです」「>琳>琅※>鏘として>なるじゃないか」と>むずかしい>ことを>もちだした>のは>どく>せん>くんであったが、>だれも>とりあわなかった>のは>きのどくである。「>わたしが>まいにち>まいにち>てんとうを>さんぽしている>うちに>とうとう>このれいいな>おとを>さんど>ききました。>さんどめに>どうあっても>これは>かわなければならないと>けっしんしました。>たとえ>くにの>ものから>けんせきさ>れても、>たけんの>ものから>けいべつさ>れても――>よし>てっけん>せいさいの>ために>ぜっそくしても――>まかりまちがってたいこうの>しょぶんを>うけても――、>こればかりは>かわずに>い>られないと>おもいました」「>それが>てんさいだよ。>てんさいでなければ、>そんなに>おもいこめる>わけの>ものじゃない。>ともし>い。>ぼくも>どうか>して、>それほどもうれつな>かんじを>おこしてみたいと>ねんらい>こころがけているが、>どうも>いけないね。>おんがく>かいなどへ>おこなってできるだけ>ねっしんに>きいているが、>どうも>それほどに>かんきょうが>のらない」と>こち>くんは>しきりに>とも>や>まし>がっている。「>のらない>ほうが>しあわせだよ。>いまでこそ>へいきで>はなす>ような>ものの>そのときの>くるしみは>とうてい>そうぞうが>できる>ような>しゅるいの>ものではなかった。――>それからせんせい>とうとう>ふんぱつしてかいました」「>ふむ、>どうして」「>ちょうど>じゅういちがつの>てんちょうせつの>まえの>ばんでした。>くにの>ものは>そろってとまりがけに>おんせんに>いきましたから、>いちにんも>いません。>わたしは>びょうきだと>いって、>そのひは>がっこうも>やすんでねていました。>こんばんこそ>ひとつ>でてぎょうって>けんてのぞみの>ヴぁいおりんを>てに>いれようと、>ゆかの>なかで>そのことばかり>かんがえていました」「>にせやまいを>つかってがっこうまで>やすんだ>のか>い」「>まったくそうです」「>なるほど>すこしてんさいだね、>こりゃ」と>迷>てい>くんも>しょうしょうおそれいった>ようすである。「>やぐの>なかから>くびを>だしていると、>ひぐれが>まち>とおで>たまりません。>しかたが>ないからあたまから>もぐりこんで、>めを>ねむってまってみましたが、>やはり>だめです。>くびを>だすとはげしい>あきの>ひが、>ろくしゃくの>しょうじへ>いちめんにあたって、>かんかん>するには>かんしゃくが>おこりました。>うえの>ほうに>ほそながい>かげが>かたまって、>ときどき>あきかぜに>ゆすれる>のが>めに>つきます」「>なんだ>い、>そのほそながい>かげと>いう>のは」「>しぶがきの>かわを>むいて、>のきへ>つるしておいた>のです」「>ふん、>それから」「>しかたが>ないから、>ゆかを>でてしょうじを>あけて椽>がわへ>でて、>しぶがきの>あまぼしを>ひとつ>とってくいました」「>うまかったかい」と>しゅじんは>しょうきょうみた>ような>ことを>きく。「>うまいですよ、>あのあたりの>かきは。>とうてい>とうきょうな>どじゃあの>あじは>わかりませんね」「>かきは>いいがそれから、>どうしたい」と>こんどは>こち>くんが>きく。「>それからまたもぐってめを>ふさいで、>はやく>ひが>くれればいいがと、>ひそかに>しんぶつに>ねんじてみた。>やくさん>よんじかんも>たったと>おもう>ころ、>もう>よかろうと、>くびを>だすとあに>はか>らんや>はげしい>あきの>ひは>いぜんとして>ろくしゃくの>しょうじを>てらしてかんかん>する、>うえの>ほうに>ほそながい>かげが>かたまって、>ふわふわする」「>そりゃ、>きいたよ」「>なに>かえも>ある>んだよ。>それからゆかを>でて、>しょうじを>あけて、>あまぼしの>かきを>ひとつ>くって、>またねどこへ>はいいって、>はやく>ひが>くれればいいと、>ひそかに>しんぶつに>きねんを>こらした」「>やっぱり>もとの>ところじゃないか」「>まあ>せんせい>そうあせ>かずに>きいてください。>それから>やくさん>よんじかん>やぐの>なかで>しんぼうして、>こんどこそ>もう>よかろうと>ぬっと>くびを>だしてみると、>はげしい>あきの>ひは>いぜんとして>ろくしゃくの>しょうじへ>いちめんにあたって、>うえの>ほうに>ほそながい>かげが>かたまって、>ふわふわしている」「>いつまで>いっても>おなじことじゃないか」「>それからゆかを>でてしょうじを>あけて、>椽>がわへ>でてあまぼしの>かきを>ひとつ>くって……」「>またかきを>くった>のか>い。>どうも>いつまで>いっても>かきばかり>くっ>ててさいげんが>ないね」「>わたしも>じれったくてね」「>きみより>きい>てる>ほうが>よっぽど>じれったいぜ」「>せんせいは>どうも>せいきゅうだから、>はなしが>しに>くくってこまります」「>きく>ほうも>すこしは>こまるよ」と>こち>くんも>あんに>ふへいを>もらした。「>そうしょくんが>おこまりと>ある>いじょうは>しかたが>ない。>たいていに>してきりあげましょう。>ようするに>わたしは>あまぼしの>かきを>くっては>もぐり、>もぐっては>くい、>とうとう>のきばに>つるした>やつを>みんな>くってしまいました」「>みんな>くったら>ひも>くれたろう」「>ところがそういかないので、>わたしが>さいごの>あまぼしを>くって、>もう>よかろうと>くびを>だしてみると、>あいかわらず>はげしい>あきの>ひが>ろくしゃくの>しょうじへ>いちめんに>あたって……」「>ぼく>あ、>もう>ごめんだ。>いつまで>いっても>はてしが>ない」「>はなす>わたしも>あき>あき>します」「>しかしそのくらい>こんきが>あればたいていの>じぎょうは>じょうじゅするよ。>だまっ>てたら、>あしたの>あさまで>あきの>ひが>かんかん>する>んだろう。>ぜんたい>いつ>ころに>ヴぁいおりんを>かう>きな>ん>だい」と>さすがの>迷>てい>くんも>すこししんぼうし>きれなく>なったと>みえる。>ただどく>せん>くん>のみは>たいぜんとして、>あしたの>あさまででも、>あさっての>あさまででも、>いくら>あきの>ひが>かんかん>しても>どうずる>きしょくは>さらにない。>かんげつ>くんも>おちつき>はらった>もので「>いつ>かう>きだと>おっしゃるが、>ばんに>なり>さえ>すれば、>すぐかいに>でかける>つもりな>のです。>ただざんねんな>ことには、>いつ>あたまを>だしてみても>あきの>ひが>かんかん>している>ものですから――>いえその>ときの>わたし>しの>くるしみと>いったら、>とうてい>いま>あなた>かたの>ごじれに>なる>どころの>さわぎじゃないです。>わたしは>さいごの>あま>ひを>くっても、>まだにちが>くれない>のを>みて、※>しかとして>おもわずなきました。>こち>くん、>ぼくは>じつに>なさけなくってないたよ」「>そうだろう、>げいじゅつかは>ほんらい>たじょう>たこんだから、>ないた>ことには>どうじょうするが、>はなしは>もっと>はやく>しんこうさ>せたい>ものだね」と>こち>くんは>ひとが>いいから、>どこまでも>まじめで>こっけいな>あいさつを>している。「>しんこうさ>せたい>のは>やまやまだが、>どうしても>にちが>くれてくれない>ものだからこまる>の>さ」「>そうにちが>くれなくちゃきく>ほうも>こまるからやめよう」と>しゅじんが>とうとう>がまんが>し>きれなく>なったと>みえていい>だした。「>やめちゃなお>こまります。>これからが>いよいよ>かきょうに>はいる>ところですから」「>それじゃきくから、>はやく>ひが>くれた>ことに>したら>よかろう」「>では、>すこしごむりな>ごちゅうもんですが、>せんせいの>ことですから、>まげて、>ここは>にちが>くれた>ことに>いたしましょう」「>それは>こうつごうだ」と>どく>せん>くんが>すましてのべ>られたのでいちどうは>おもわず>どっと>ふきだした。「>いよいよ>よるに>はいった>ので、>まず>あんしんと>ほっと>ひといき>ついてくら>かか>むらの>げしゅくを>でました。>わたしは>せい>らい>そうぞうしい>ところが>いやですから、>わざと>べんりな>しないを>さけて、>ひと>迹>まれな>かんそんの>ひゃくしょう>かに>しばらくかぎゅうの>あんを>むすんでいた>のです……」「>ひと>迹の>まれなは>あんまりおおげさだね」と>しゅじんが>こうぎを>もうしこむと「>かぎゅうの>あんも>ぎょうさんだよ。>とこのま>なしの>よじょうはんくらいに>しておく>ほうが>しゃせいてきで>おもしろい」と>迷>てい>くんも>くじょうを>もちだした。>こち>くんだけは「>じじつは>どうでも>げんごが>してきで>かんじが>いい」と>ほめた。>どく>せん>くんは>まじめな>かおで「>そんなところに>すんでいては>がっこうへ>かよう>のが>たいへんだろう。>なんりくらい>ある>んですか」と>きいた。「>がっこうまでは>たった>よんご>ちょうです。>がんらい>がっこうから>してかんそんに>ある>んですから……」「>それじゃがくせいは>そのあたりに>だいぶ>やどを>とっ>てる>んでしょう」と>どく>せん>くんは>なかなかしょうちしない。「>ええ、>たいていな>ひゃくしょう>かには>いちにんや>ににんは>かならずいます」「>それで>ひと>迹>まれな>んですか」と>しょうめん>こうげきを>くわ>せる。「>え>え>がっこうが>なかったら、>まったくひと>迹は>まれですよ。……で>とうやの>ふくそうと>いうと、>ており>もめんの>わた>いりの>うえへ>きん>ぼたんの>せいふく|>がいとうを>きて、>がいとうの>ときんを>す>ぽりと>こうむってなるべく>ひとの>めに>つかない>ような>ちゅういを>しました。>おり>がら>かき>らくようの>じせつで>やどから>なんごう>かいどうへ>でるまでは>このはで>みちが>いっぱいです。>いちほ>はこぶ>ごとに>がさがさ>する>のが>きに>かかります。>だれか>あとを>つけてき>そうで>たまりません。>ふりむいてみるとひがしみね>てらの>もりが>こんもりと>くろく、>くらい>なかに>くらく>うつっています。>このひがしみね>てらと>いう>のは>まつだいら>かの>ぼだいしょで、>こうしんやまの>ふもとに>あって、>わたしの>やどとは>いちちょうくらいしか>隔って>いない、>すこぶる>ゆうすいな>ぼんさつです。>もりから>うえは>のべつ>まく>なしの>ほしづきよで、>れいの>あまのがわが>ながせがわを>すじ>違に>よこぎってすえは――>すえは、>そうですね、>まず>ぬの>哇の>ほうへ>ながれています……」「>ぬの>哇は>とっぴだね」と>迷>てい>くんが>いった。「>なんごう>かいどうを>ついに>にひのと>きて、>たか>だい>まちから>しないに>はいいって、>ふるしろ>まちを>とおって、>せんごく>まちを>まがって、>ほうじろ>まちを>よこに>みて、>とおり>まちを>いちちょうめ、>にちょうめ、>さんちょうめと>じゅんに>とおりこして、>それから>おわり>まち、>なごや>まち、>しゃちほこ>ほこ>まち、>かまぼこ>まち……」「>そんなに>いろいろな>まちを>とおらなくても>いい。>ようするに>ヴぁいおりんを>かった>のか、>かわない>のか」と>しゅじんが>じれった>そうに>きく。「>がっきの>ある>みせは>きむ>よし>すなわちかねこ>よし>ひょうえ>ほうですから、>まだなかなかです」「>なかなかでも>いいからはやく>かうがいい」「>かしこまりました。>それで>きん>よ>かたへ>きてみると、>みせには>らんぷが>かんかん>ともって……」「>またかん>かんか、>きみの>かんかんは>いちどや>にどで>すまない>んだからなんじゅうするよ」と>こんどは>迷>ていが>よぼうせんを>はった。「>いえ、>こんどの>かんかんは、>ほんのとおり>いちかえの>かんかんですから、>べつだんごしんぱいには>およびません。……>ほかげに>すかしてみるとれいの>ヴぁいおりんが、>ほのかに>あきの>あかりを>はんしゃして、>くり>こんだ>どうの>まるみに>つめたい>ひかりを>おびています。>つよく>はった>きんせんの>いちぶだけが>きらきらと>しろく>めに>うつります。……」「>なかなかじょじゅつが>うまいや」と>こち>くんが>ほめた。「>あれだな。>あのヴぁいおりんだなと>おもうと、>きゅうに>どうきが>してあしが>ふらふら>します……」「>ふ>ふん」と>どく>せん>くんが>はなで>わらった。「>おもわず馳>け>こんで、>こも>ふくろから>がまぐちを>だして、>がまぐちの>なかから>ごえん>さつを>にまい>だして……」「>とうとう>かったかい」と>しゅじんが>きく。「>かおうと>おもいましたが、>まて>しばし、>ここが>かんじんの>ところだ。>めったな>ことを>しては>しっぱいする。>まあ>よそうと、>きわどい>ところで>おもい>とまりました」「>なんだ、>まだかわない>のか>い。>ヴぁいおりん>いちてこで>なかなかひとを>ひっぱるじゃないか」「>ひっぱる>わけじゃない>んですが、>どうも、>まだかえない>んですからしかたが>ありません」「>なぜ」「>なぜって、>まだよいのくちで>ひとが>たいせい>とおる>んです>もの」「>かまわんじゃないか、>ひとが>にひゃく>や>さんひゃく>とおったって、>きみは>よっぽど>みょうな>おとこだ」と>しゅじんは>ぷんぷん>している。「>ただの>ひとなら>せんが>にせんでも>かまいませんがね、>がっこうの>せいとが>うでまくりを>して、>おおきなすてっきを>もってはいかいしている>んだからよういに>てを>だせませんよ。>ちゅうには>ちんでんとうなどと>ごうして、>いつまでも>くらすの>そこに>たまってよろこん>でる>のが>ありますからね。>そんなのに>かぎってじゅうどうは>つよい>のですよ。>めったに>ヴぁいおりんなどに>てだしは>できません。>どんなめに>あうか>わかりません。>わたしだって>ヴぁいおりんは>ほしいに>そういないですけれども、>いのちは>これでも>おしいですからね。>ヴぁいおりんを>ひいてころさ>れるよりも、>ひかずに>いき>てる>ほうが>らくですよ」「>それじゃ、>とうとう>かわずに>やめた>んだね」と>しゅじんが>ねんを>おす。「>いえ、>かった>のです」「>じれったい>おとこだな。>かうなら>はやく>かうさ。>いやなら>いやで>いいから、>はやく>かたを>つけたら>よ>さ>そうな>ものだ」「>え>へへ>へへ、>よのなかの>ことは>そう、>こっちの>おもう>ように>らちが>あく>もんじゃ>ありませんよ」と>いいながらかんげつ>くんは>れいぜんと「>あさひ」へ>ひを>つけてふかし>だした。 >しゅじんは>めんどうに>なったと>みえて、>ついと>たってしょさいへ>はいいったと>おもったら、>なんだか>ふるぼけた>ようしょを>いちさつ>もちだしてきて、>ごろりと>はら>這に>なってよみ>はじめた。>どく>せん>くんは>いつのまにや>ら、>とこのまの>まえへ>たいきょして、>ひとりで>ごいしを>ならべて>いちにん>すもうを>とっている。>せっかくの>いつわも>あまりながく>かかるのでききてが>いちにん>へり>ににん>へって、>のこるは>げいじゅつに>ちゅうじつなる>こち>くんと、>ながい>ことに>かつて>へきえきした>ことの>ない>迷>てい>せんせいのみと>なる。 >ながい>けむりを>ふうとよのなかへ>えんりょなく>ふきだした>かんげつ>くんは、>やがて>ぜんどうようの>そくどをもって>だんわを>つづける。「>こち>くん、>ぼくは>そのとき>こうおもったね。>とうてい>こりゃ>よいのくちは>だめだ、と>いってまよなかに>くればきむ>よしは>ねてしまうからなお>だめだ。>なにでも>がっこうの>せいとが>さんぽから>かえり>つくして、>そうしてきむ>よしが>まだねない>ときを>みはからってこなければ、>せっかくの>けいかくが>すいほうに>きする。>けれどもその>じかんを>うまく>み>けいう>のが>むずかしい」「>なるほど>こりゃ>むずかしかろう」「>でぼくは>そのじかんを>まあ>じゅうじ>ころと>みつもったね。>それでいまから>じゅうじ>ころまで>どこかで>くらさなければならない。>うちへ>かえってでなおす>のは>たいへんだ。>ともだちの>うちへ>はなしに>いく>のは>なんだか>きが>とがめる>ようで>おもしろく>なし、>しかたが>ないからそうとうの>じかんが>くるまで>しちゅうを>さんぽする>ことに>した。>ところがへいぜいならば>にじかんや>さんじかんは>ぶらぶら>あるいている>うちに、>いつのまにか>たってしまう>のだがその>よるに>かぎって、>じかんの>たつ>のが>おそい>の>なに>のって、――>ちあきの>思とは>あんな>ことを>いう>のだろうと、>しみじみかんじました」と>さも>かんじたらしい>かぜを>してわざと>迷>てい>せんせいの>ほうを>むく。「>こじんを>まつ>みに>つらき>おきごたつと>いわ>れた>ことが>あるからね、>またまたるる>みより>まつ>みは>つらいとも>あってのきに>つら>れた>ヴぁいおりんも>つらかったろうが、>あての>ない>たんていの>ように>うろうろ、>まごついている>きみは>なおさらつらいだろう。>るいるいとして>そうかの>いぬのごとし。>いややどの>ない>いぬほど>きのどくな>ものは>じっさいないよ」「>いぬは>ざんこくですね。>いぬに>ひかくさ>れた>ことは>これでも>まだありませんよ」「>ぼくは>なんだか>きみの>はなしを>きくと、>むかし>しの>げいじゅつかの>でんを>よむ>ような>きもちが>してどうじょうの>ねんに>こたえない。>いぬに>ひかくした>のは>せんせいの>じょうだんだからきに>かけずに>はなしを>しんこうした>ま>え」と>こち>くんは>いしゃした。>いしゃさ>れなくても>かんげつ>くんは>むろん>はなしを>つづける>つもりである。「>それからかち>まちから>ひゃくき>まちを>とおって、>りょうがえ>まちから>たかじょう>まちへ>でて、>けんちょうの>まえで>枯>やなぎの>かずを>かんじょうしてびょういんの>よこで>まどの>あかりを>けいさんして、>こんや>きょうの>うえで>まきたばこを>にほん>ふかして、>そうしてとけいを>みた。……」「>じゅうじに>なったかい」「>おしい>ことに>ならないね。――>こんや>きょうを>わたり>きってかわぞえに>ひがしへ>のぼっていくと、>あんまに>さんにん>あった。>そうしていぬが>しきりに>ほえましたよ>せんせい……」「>あきの>よながに>かわばたで>いぬの>とお>吠を>きく>のは>ちょっとしばいがかりだね。>きみは>おちうどと>いう>かくだ」「>なにか>わるい>ことでも>した>んですか」「>これからしようと>いう>ところ>さ」「>かわいそうに>ヴぁいおりんを>かう>のが>わるい>ことじゃ、>おんがく>がっこうの>せいとは>みんな>つみびとですよ」「>ひとが>みとめない>ことを>すれば、>どんないい>ことを>しても>つみびと>さ、>だからよのなかに>つみびとほど>あてに>ならない>ものはない。>耶>そも>あんな>よに>うまれればつみびと>さ。>こうだんし>かんげつ>くんも>そんなところで>ヴぁいおりんを>かえばつみびと>さ」「>それじゃまけてつみびとと>しておきましょう。>つみびとは>いいですが>じゅうじに>ならない>のには>よわりました」「>もう>いち|>かえ、>まちの>なを>かんじょうするさ。>それで>たりなければまたあきの>ひを>かんかん>させるさ。>それでも>おっ>つかなければまたあまぼしの>しぶがきを>さんだーすも>くうさ。>いつまでも>きくから>じゅうじに>なるまで>やり>たまえ」 >かんげつ>せんせいは>にやにやと>わらった。「>そうさきを>こさ>れては>こうさんするより>ほかは>ありません。>それじゃいっそくとびに>じゅうじに>してしまいましょう。>さてごやくそくの>じゅうじに>なってきむ>よしの>まえへ>きてみると、>よさむの>ころですから、>さすが>めぬきの>りょうがえ>まちも>ほとんど>ひとどおりが>たえて、>むこうから>くる>げたの>おとさえ>さびしい>こころもちです。>きむ>よしでは>もう>おおどを>たてて、>わずかに>くぐりどだけを>しょうじに>しています。>わたしは>なんとなく>いぬに>お>けら>れた>ような>こころもちで、>しょうじを>あけてはいいる>のに>しょうしょううす>ぎみが>わるかったです……」 >このとき>しゅじんは>きたならしい>ほんから>ちょっとめを>はずして、「>おい>もう>ヴぁいおりんを>かったかい」と>きいた。「>これからかう>ところです」と>こち>くんが>こたえると「>まだかわない>のか、>じつに>ながいな」と>ひとりごとの>ように>いってまたほんを>よみ>だした。>どく>せん>くんは>むごんの>まま、>しろと>くろで>ごばんを>たいはん|>うめてしまった。「>おもいきってとびこんで、>ときんを>こうむった>まま>ヴぁいおりんを>くれと>いいますと、>ひばちの>しゅういに>よんご>にんこぞうや>わかぞうが>かたまってはなしを>していた>のが>おどろいて、>もうしあわせた>ように>わたしの>かおを>みました。>わたしは>おもわずみぎの>てを>あげてときんを>ぐいと>まえの>ほうに>ひきました。>おい>ヴぁいおりんを>くれと>にどめに>いうと、>いちばん>まえに>いて、>わたしの>かおを>のぞき>こむ>ように>していた>こぞうが>へ>えと>さとし>たば>ない>へんじを>して、>たちあがってれいの>みせさきに>つるしてあった>のを>さんよん>てこ>いちどに>おろしてきました。>いくらかと>きくと>ごえん>にじゅう>せんだと>いいます……」「>おい>そんなやすい>ヴぁいおりんが>ある>のか>い。>おもちゃじゃないか」「>みんな>どうあたいかと>きくと、>へえ、>どれでも>かわりはございません。>みんな>じょうぶに>ねんを>いれて拵>ら>えてございますといいますから、>がまぐちの>なかから>ごえん>さつと>ぎんかを>にじゅう>せんだしてよういの>だいふろしきを>だしてヴぁいおりんを>つつみました。>このあいだ、>みせの>ものは>はなしを>ちゅうししてじっと>わたしの>かおを>みています。>かおは>ときんで>かくしてあるからわかる>き>やはない>のですけれども>なんだか>きが>せいていっこくも>はやく>おうらいへ>でたくてたまりません。>ようやくの>こと>ふろしき>つつみを>がいとうの>したへ>いれて、>みせを>でたら、>ばんがしらが>こえを>そろえてありがとうと>おおきなこえを>だした>のには>ひ>やっと>しました。>おうらいへ>でてちょっとみまわしてみると、>こう>だれも>いない>ようですが、>いちちょうばかり>むこうから>にさん>にんしてちょうない>ちゅうに>ひびけとばかり>しぎんを>してきます。>こいつは>たいへんだと>きむ>よしの>かくを>にしへ>おれてほり>たんを>くすり>おうし>どうへ>でて、>はんの>きむらから>こうしんやまの>すそへ>でてようやく>げしゅくへ>かえりました。>げしゅくへ>かえってみたら>もう>にじ>じゅうふん>まえでした」「>よどおし>あるいていた>ような>ものだね」と>こち>くんが>きのどく>そうに>いうと「>やっと>あがった。>やれやれ>ながい>どうちゅうすごろくだ」と>迷>てい>くんは>ほっと>いちと>いきついた。「>これからが>きき>どころですよ。>いままでは>たんに>じょまくです」「>まだある>のか>い。>こいつは>よういな>ことじゃない。>たいていの>ものは>きみに>あっちゃこんき>まけを>するね」「>こんきは>とにかく、>ここで>やめちゃほとけ>つくってたましい>いれずと>いっぱんですから、>もうすこしはなします」「>はなす>のは>むろん>ずいい>さ。>きく>ことは>きくよ」「>どうです>く>さや>せんせいも>おききに>なっては。>もう>ヴぁいおりんは>かってしまいましたよ。>え>え>せんせい」「>こんどは>ヴぁいおりんを>うる>ところ>かい。>うる>ところなんか>きかなくっても>いい」「>まだうる>どこじゃ>ありません」「>そんなら>なお>きかなくても>いい」「>どうも>こまるな、>こち>くん、>きみだけだね、>ねっしんに>きいてくれる>のは。>すこしちょう>ごうが>ぬけるがまあ>しかたが>ない、>ざっと>はなしてしまおう」「>ざっとでなくても>いいからゆる>くり>はなし>たまえ。>たいへん>おもしろい」「>ヴぁいおりんは>ようやくの>思で>てに>いれたが、>まず>だいいちに>こまった>のは>おき>しょだね。>ぼくの>ところへは>おおいた>じんが>あそびに>くるからめったな>ところへ>ぶらさげたり、>たて>かけたり>するとすぐろけんしてしまう。>あなを>ほってうめちゃほりだす>のが>めんどうだろう」「>そうさ、>てんじょう>うらへでも>かくしたかい」と>こち>くんは>きらくな>ことを>いう。「>てんじょうは>ないさ。>ひゃくしょう>かだ>もの」「>そりゃこまったろう。>どこへ>いれたい」「>どこへ>いれたと>おもう」「>わからないね。>とぶくろの>なかか」「>いいえ」「>やぐに>くるんでとだなへ>しまったか」「>いいえ」 >こち>くんと>かんげつ>くんは>ヴぁいおりんの>かくれがについて>かくのごとく>もんどうを>している>うちに、>しゅじんと>迷>てい>くんも>なにか>しきりに>はなしている。「>こりゃ>なにと>よむの>だい」と>しゅじんが>きく。「>どれ」「>この>にこう>さ」「>なに>だって? 〔きゅーゆーあいでぃーえいえるあいゆーでぃーいーえすてぃーえむゆーえるあいいーあーるえぬあいえすあい>amicitiae&あいえぬあいえむあいしーえい〕……>こりゃ>きみ|>ら>甸>ごじゃないか」「>ら>甸>ごは>わかっ>てるが、>なにと>よむの>だい」「>だってきみは>へいぜい>ら>甸>ごが>よめると>いっ>てるじゃないか」と>迷>てい>くんも>きけんだと>みてとって、>ちょっとにげた。「>むろん>よめるさ。>よめる>ことは>よめるが、>こりゃ>なんだ>い」「>よめる>ことは>よめるが、>こりゃ>なんだは>てひどいね」「>なにでも>いいから>ちょっとえいごに>やくしてみろ」「>み>ろは>はげしいね。>まるで>じゅうそつの>ようだね」「>じゅうそつでも>いいからなにだ」「>まあ>ら>甸>ごなどは>あとに>して、>ちょっとかんげつ>くんの>ごこうわを>はいちょう|>つかまつろうじゃないか。>いま>たいへんな>ところだよ。>いよいよ>ろけんするか、>しないか>ききいっぱつと>いう>あたけの>せきへ>かかっ>てる>んだ。――>ねえ>かんげつ>きみ>それからどうしたい」と>きゅうに>じょうきに>なって、>またヴぁいおりんの>なかまいりを>する。>しゅじんは>なさけなくも>とりのこさ>れた。>かんげつ>くんは>これに>ぜいを>えてかくし>しょを>せつめいする。「>とうとう>こつづらの>なかへ>かくしました。>このつづらは>くにを>でる>とき|>ごそぼ>さんが>せんべつに>くれた>ものですが、>なにでも>ごそぼ>さんが>よめに>くる>とき>もってきた>ものだ>そうです」「>そいつは>ふるものだね。>ヴぁいおりんとは>すこしちょうわしない>ようだ。>ねえ>こち>くん」「>ええ、>ちと>ちょうわせんです」「>てんじょう>うらだって>ちょうわしないじゃないか」と>かんげつ>くんは>こち>せんせいを>やりこめた。「>ちょうわは>しないが、>くには>なるよ、>あんしんし>たまえ。>あき>さびし>つづらに>かくす>ヴぁいおりんは>どうだい、>りょうくん」「>せんせい>きょうは>おおいた>はいくが>できますね」「>きょうに>かぎった>ことじゃない。>いつでも>はらのうちで>でき>てる>の>さ。>ぼくの>はいくにおける>ぞうけいと>いったら、>こほととぎす>こも>したを>まいておどろき>ろ>いたく>らいの>もの>さ」「>せんせい、>しき>さんとは>ごつき>ごうでしたか」と>しょうじきな>こち>くんは>しんそつな>しつもんを>かける。「>なに>つきあわなくっても>しじゅうむせん>でんしんで>かんたん>しょう>てらしていた>もんだ」と>むちゃくちゃを>いう>ので、>こち>せんせい>あきれてだまってしまった。>かんげつ>くんは>わらいながらまたしんこうする。「>それで>おき>しょだけは>できた>わけだが、>こんどは>だす>のに>こまった。>ただだすだけなら>ひとめを>かすめてながめるくらいは>やれん>ことはないが、>ながめたばかりじゃなににも>ならない。>ひかなければやくにたたない。>ひけばおとが>でる。>でればすぐろけんする。>ちょうど>むくげ>かきを>いちじゅう>へだててみなみ>となりは>ちんでんぐみの>とうりょうが>げしゅくしている>んだからけんのんだ>あね」「>こまるね」と>こち>くんが>きのどく>そうに>ちょうしを>あわせる。「>なるほど、>こりゃ>こまる。>ろんより>しょうこ>おとが>でる>んだから、>しょうとくの>きょくも>まったくこれで>しくじった>んだからね。>これが>ぬすみ>しょくを>するとか、>にせさつを>つくるとか>いうなら、>まだしまつが>いいが、>おんぎょくは>ひとに>かくしちゃできない>ものだからね」「>おとさえ>でなければどうでも>できる>んですが……」「>ちょっとまった。>おとさえ>でなけりゃと>いうが、>おとが>でなくても>かくし>りょう>せない>のが>あるよ。>むかし>し>ぼく>とうが>こいしかわの>みてらで>じすいを>している>じぶんに>すずきの>ふじ>さんと>いう>ひとが>いてね、>このふじ>さんが>たいへん|>あじ>淋が>すきで、>びーるの>とっくりへ>あじ>淋を>かってきては>いちにんで>たのしみに>のんでいた>の>さ。>あるひ|>ふじ>さんが>さんぽに>でた>あとで、>よせばいい>のに>く>さや>くんが>ちょっとぬすんでのんだ>ところが……」「>おれが>すずきの>あじ>淋などを>のむ>ものか、>のんだ>のは>きみだぜ」と>しゅじんは>とつぜんおおきな>こえを>だした。「>おや>ほんを>よん>でるからだいじょうぶかと>おもったら、>やはり>きい>てるね。>ゆだんの>できない>おとこだ。>みみも>はちちょう、>めも>はっちょうとは>きみの>ことだ。>なるほど>いわ>れてみるとぼくも>のんだ。>ぼくも>のんだには>そういないが、>はっかくした>のは>きみの>ほうだよ。――>りょうくん>まあ>きき>たまえ。>く>さや>せんせい>がんらい>さけは>のめない>のだよ。>ところを>ひとの>あじ>淋だと>おもっていっしょうけんめいに>のんだ>ものだから、>さあたいへん、>かお>ちゅう|>まっかに>はれ>のぼってね。>いやもう>ふためとは>み>られ>ない>あり>さま>さ……」「>だまっていろ。>ら>甸>ごも>よめない>くせに」「>はははは、>それで>ふじ>さんが>かえってきてびーるの>とっくりを>ふってみると、>はんぶん>いじょう>たりない。>なにでも>だれか>のんだに>そういないと>いう>ので>みまわしてみると、>たいしょう>すみの>ほうに>しゅ>どろを>ねり>かためた>にんぎょうの>ように>かたく>なってい>ら>あね……」 >さんにんは>おもわず哄>しかと>わらい>だした。>しゅじんも>ほんを>よみながら、>くすくすと>わらった。>ひとり>どく>せん>くんに>いたっては>きがいの>きを>ろうし>すぎて、>しょうしょうひろうしたと>みえて、>ごばんの>うえへ>のしかかって、>いつのまにや>ら、>ぐ>う>ぐ>う>ねている。「>まだおとが>しない>もので>ろけんした>ことが>ある。>ぼくが>むかし>し>うば>この>おんせんに>いって、>いちにんの>じじいと>あいやどに>なった>ことが>ある。>なにでも>とうきょうの>ごふく>やの>いんきょか>なにかだったがね。>まあ>あいやどだからごふく>やだろうが、>ふるぎ>やだろうが>かまう>ことはないが、>ただこまった>ことが>ひとつ>できてしまった。と>いう>のは>ぼくは>うば>こへ>ついてから>さんにち>めに>たばこを>きらしてしまった>の>さ。>しょくんも>しっ>てるだろうが、>あのうば>こと>いう>のは>やまの>なかの>いっけんやで>ただ>おんせんに>はいいってめしを>くうより>ほかに>どうも>こうも>しようの>ない>ふべんの>ところ>さ。>そこでたばこを>きらした>のだからごなんだね。>ものはないと>なるとなお>ほしく>なる>もので、>たばこが>ないなと>おもうやいなや、>いつも>そんなでない>のが>きゅうに>のみたく>なり>だしてね。>いじの>わるい>ことに、>そのじじいが>ふろしきに>いっぱい>たばこを>よういしてとざんしている>の>さ。>それを>すこしずつ>だしては、>ひとの>まえで>こざを>かいてのみ>たいだろうと>いわないばかりに、>すぱすぱ>ふかす>のだね。>ただふかすだけなら>かんべんの>しようもあるが、>しまいには>けむりを>わに>ふいてみたり、>たてに>ふいたり、>よこに>ふいたり、>ないしは>かんたん>ゆめの>まくらと>ぎゃくに>ふいたり、>またははなから>ししの>ほら>はいり、>ほら>かえりに>ふいたり。>つまりのみ>びらか>すんだね……」「>なにです、>のみ>びら>かすと>いう>のは」「>いしょう>どうぐなら>みせびらかす>のだが、>たばこだからのみ>びら>かすの>さ」「>へえ、>そんなくるしい>おもいを>なさるより>もらったら>いいでしょう」「>ところがもらわないね。>ぼくも>だんしだ」「>へえ、>もらっちゃいけない>んですか」「>いけるかも>しれないが、>もらわないね」「>それでどうしました」「>もらわないで偸>んだ」「>おや>おや」「>やっこさん>てぬぐいを>ぶらさげてゆに>でかけたから、>のむなら>ここだと>おもっていっしんふらん>だて>つづけに>のんで、>ああゆかいだと>おもう>まもなく、>しょうじが>からりと>あいたから、>おやと>ふりかえるとたばこの>もちぬし>さ」「>ゆには>はいいらなかった>のですか」「>はいいろうと>おもったら>きんちゃくを>わすれた>のに>きがついて、>ろうかから>ひきかえした>んだ。>ひとが>きんちゃくでも>とりゃ>し>まい>し>だいいち>それからが>しっけい>さ」「>なんとも>うん>えませんね。>たばこの>ごてぎわ>じゃ」「>はははは>じじいも>なかなかがんしきが>あるよ。>きんちゃくは>とにかくだが、>じいさんが>しょうじを>あけると>ににちかんの>ため>のみを>やった>たばこの>けむりが>むっと>するほど>しつの>なかに>こもっ>てるじゃないか、>あくじ>せんりとは>よく>いった>ものだね。>たちまちろけんしてしまった」「>じいさん>なんとか>いいましたか」「>さすが>としのこうだね、>なににも>いわずに>まきたばこを>ごろく>じゅうほん>はんしに>くるんで、>しつれいですが、>こんなそはで>よろしければどうぞ>おのみ>ください>ましと>いって、>またゆ>つぼへ>おりていったよ」「>そんなのが>えど>しゅみと>いう>のでしょうか」「>えど>しゅみだか、>ごふく>や>しゅみだか>しらないが、>それからぼくは>じいさんと>だいに>かんたん>しょう>てらして、>にしゅうかんの>あいだ>おもしろく>とうりゅうしてかえってきたよ」「>たばこは>にしゅうかん>なか>じいさんの>ごちそうに>なった>んですか」「>まあ>そんなところだね」「>もう>ヴぁいおりんは>かたついたかい」と>しゅじんは>ようやく>ほんを>ふせて、>おき>のぼりな>がら>ついに>こうさんを>もうしこんだ。「>まだです。>これからが>おもしろい>ところです、>ちょうど>いい>ときですからきいてください。>ついでに>あのごばんの>うえで>ひるねを>している>せんせい――>なんとか>いいましたね、>え、>どく>せん>せんせい、――>どく>せん>せんせいにも>きいていただきたいな。>どうです>あんなにねちゃ、>からだに>どくですぜ。>もう>おこしても>いいでしょう」「>おい、>どく>せん>くん、>おきた>おきた。>おもしろい>はなしが>ある。>おきる>んだよ。>そうねちゃどくだと>さ。>おくさんが>しんぱいだと>さ」「>え」と>いいながらかおを>あげた>どく>せん>くんの>やぎ>ひげを>つたわってすいえんが>ひとすじ>ながながと>ながれて、>かぎゅうの>はった>迹の>ように>れきぜんと>ひかっている。「>ああ、>ねむかった。>さんじょうの>しらくも>わがものうきに>にた>りか。>ああ、>いい>こころもちに>ねたよ」「>ねた>のは>みんなが>みとめている>のだがね。>ちっと>おきちゃどうだい」「>もう、>おきても>いいね。>なにか>おもしろい>はなしが>あるかい」「>これから>いよいよ>ヴぁいおりんを――>どうする>んだったかな、>く>さや>くん」「>どうする>のかな、>とんと>けんとうが>つかない」「>これから>いよいよ>ひく>ところです」「>これから>いよいよ>ヴぁいおりんを>ひく>ところだよ。>こっちへ>でてきて、>きき>たまえ」「>まだヴぁいおりん>かい。>こまったな」「>きみは>む絃の>そきんを>だんずる>れんちゅうだからこまらない>ほうな>んだが、>かんげつ>くんのは、>きい>きい>ぴいぴい>きんじょがっぺきへ>きこえる>のだからだいに>こまっ>てる>ところだ」「>そうかい。>かんげつ>くん>きんじょへ>きこえない>ように>ヴぁいおりんを>ひく>ほうを>しらんですか」「>しりませんね、>あるなら>うかがいたい>もので」「>うかがわなくても>ろじの>しろ>うしを>みればすぐわかる>はずだが」と、>なんだか>つうじない>ことを>いう。>かんげつ>くんは>ねぼけてあんな>ちん>ごを>ろうする>のだろうと>かんていしたから、>わざと>あいてに>ならないでわとうを>すすめた。「>ようやくの>ことで>いっさくを>あんしゅつしました。>あくるひは>てんちょうせつだから、>あさから>うちに>いて、>つづらの>ふたを>とってみたり、>かぶせてみ>たり>いちにち>そわそわしてくらしてしまいましたがいよいよ>にちが>くれて、>つづらの>そこで※が>なき>だした>とき>おもいきってれいの>ヴぁいおりんと>ゆみを>とりだしました」「>いよいよ>でたね」と>こち>くんが>いうと「>めったに>ひくとあぶないよ」と>迷>てい>くんが>ちゅういした。「>まず>ゆみを>とって、>きっさきから>つばもとまで>しらべてみる……」「>へたな>かたな>やじゃあるまいし」と>迷>てい>くんが>れいひょうした。「>じっさいこれが>じぶんの>たましいだと>おもうと、>さむらいが>とぎ>すました>めいとうを、>ちょうやの>ほかげで>さや>払を>する>ときの>ような>こころもちが>する>ものですよ。>わたしは>ゆみを>もった>まま>ぶるぶると>ふるえました」「>まったくてんさいだ」と>いう>こち>くんについて「>まったくてんかんだ」と>迷>てい>くんが>つけた。>しゅじんは「>はやく>ひいたら>よかろう」と>いう。>どく>せん>くんは>こまった>ものだと>いう>かお>づけを>する。「>ありがたい>ことに>ゆみは>ぶなんです。>こんどは>ヴぁいおりんを>おなじく>らんぷの>そばへ>ひきつけて、>うらおもて>とも>よく>しらべてみる。>このあいだ>やくご>ふんかん、>つづらの>そこでは>しじゅう|※が>ないていると>おもってください。……」「>なんとでも>おもってやるからあんしんしてひくがいい」「>まだひきゃ>しません。――>さいわいヴぁいおりんも>きずが>ない。>これなら>だいじょうぶと>ぬっ>くと>たちあがる……」「>どっかへ>いく>のか>い」「>まあ>すこしだまってきいてください。>そういっく>ごとに>じゃまを>さ>れちゃはなしが>できない。……」「>おい>しょくん、>だまる>んだと>さ。>しーしー」「>しゃべる>のは>きみだけだぜ」「>うん、>そうか、>これは>しっけい、>きんちょうきんちょう」「>ヴぁいおりんを>こわきに>いだい>こんで、>ぞうりを>つか>けたまま>にさん>ほそうの>とを>でたが、>まて>しばし……」「>そら>おいでな>すった。>なにでも、>どっかで>ていでんするに>違>ないと>おもった」「>もう>かえったって>あまぼしの>かきは>ないぜ」「>そうしょせんせいが>おまぜかえしに>なっては>はなはだ>いかんの>いたりだが、>こち>くん>いちにんを>あいてに>する>より>いたしかたが>ない。――>いい>かね>こち>くん、>にさん>ほでたがまたひきかえして、>くにを>でる>とき>さんえん>にじゅう>せんで>かった>あか>もうふを>あたまから>こうむってね、>ふっと>らんぷを>けすときみ|>まくらやみに>なってこんどは>ぞうりの>しょざいちが>はんぜんしなく>なった」「>いったい>どこへ>いく>ん>だい」「>まあ>きい>てたまい。>ようやくの>こと>ぞうりを>みつけて、>ひょうへ>でるとほしづきよに>かき>らくよう、>あか>もうふに>ヴぁいおりん。>みぎへ>みぎへと>つまさきあがりに>こうしんやまへ>さしかかってくると、>ひがしみね>てらの>かねが>ぼー>んと>もうふをとおして、>みみをとおして、>あたまの>なかへ>ひびき>わたった。>いつだと>おもう、>きみ」「>しらないね」「>きゅうじだよ。>これからあきの>よながを>たった>いちにん、>さんどう>はっちょうを>おおだいと>いう>ところまで>のぼる>のだが、>へいぜいなら>おくびょうな>ぼくの>ことだから、>おそれ>しくって>たまらない>ところだけれども、>いっしんふらんと>なるとふしぎな>もので、>こわいにも>こわくないにも、>もうとう>そんなねんは>てんで>こころの>なかに>おこらないよ。>ただヴぁいおりんが>ひき>たいばかりで>むねが>いっぱいに>なっ>てる>んだからみょうな>もの>さ。>このおおだいと>いう>ところは>こうしんやまの>みなみがわで>てんきの>いい>ひに>のぼってみると>あかまつの>あいだから>じょうかが>いちもくに>みくだせる>ちょうぼうけい>ぜっの>ひらちで――>そうさひろ>さは>まあ>ひゃくつぼも>あろうかね、>まんなかに>はちじょう>しきほどな>いちまいいわが>あって、>きたがわは>うの>ぬまと>いう>いけ>つづきで、>いけの>まわりは>さんかかえも>あろうと>いう>くすのきばかりだ。>やまの>なかだから、>ひとの>すん>でる>ところは>しょうのうを>とる>こやが>いちけん>あるばかり、>いけの>きんぺんは>ひるでも>あまりこころもちの>いい>ばしょじゃない。>さいわいこうへいが>えんしゅうの>ため>みちを>きりひらいてくれたから、>のぼる>のに>ほねは>おれない。>ようやく>いちまいいわの>うえへ>きて、>もうふを>しいて、>ともかくも>そのうえへ>すわった。>こんなさむい>ばんに>のぼった>のは>はじめてなんだから、>いわのうえへ>すわってすこしおちつくと、>あたりの>さびし>さが>しだい>しだいに>はらの>そこへ>しみ>わたる。>こういう>ばあいに>ひとの>こころを>みだす>ものは>ただこわいと>いう>かんじばかりだから、>このかんじさえ>ひきぬくと、>あまる>ところは>こう々>きよし々>たる>そら>れいの>きだけに>なる。>にじゅう>ふんほど>ぼうぜんと>している>うちに>なんだか>すいしょうで>つくった>ごてんの>なかに、>たった>いちにん>すん>でる>ような>きに>なった。>しかもその>いちにん>すん>でる>ぼく>のからだが――>いやからだばかりじゃない、>こころも>たましいも>ことごとく>かんてんか>なにかで>せいぞうさ>れた>ごとく、>ふしぎに>すき>とおってしまって、>じぶんが>すいしょうの>ごてんの>なかに>いる>のだか、>じぶんの>はらのうちに>すいしょうの>ごてんが>ある>のだか、>わからなく>なってきた……」「>とんだ>ことに>なってきたね」と>迷>てい>くんが>まじめに>からかう>あとに>ついて、>どく>せん>くんが「>おもしろい>きょうかいだ」と>すこしく>かんしんした>よう>すに>みえた。「>もし>このじょうたいが>ながく>つづいたら、>わたしは>あすの>あさまで、>せっかくの>ヴぁいおりんも>ひかずに、>茫>やり>いちまいいわの>うえに>すわっ>てたかも>しれないです……」「>きつねでも>いる>ところ>かい」と>こち>くんが>きいた。「>こういう>ぐあいで、>じたの>くべつも>なく>なって、>いきているか>しんでいるか>ほうがくの>つかない>ときに、>とつぜん|>うしろの>ふる>ぬまの>おくで>ぎゃーと>いう>こえが>した。……」「>いよいよ>でたね」「>そのこえが>とおく>はんきょうを>おこしてまんざんの>あきの>こずえを、>のわけとともに>わたったと>おもったら、>はっと>われに>かえった……」「>やっと>あんしんした」と>迷>てい>くんが>むねを>なで>おろす>まねを>する。「>たいし>いちばん>けんこん>しんなり」と>どく>せん>くんは>め>くば>せを>する。>かんげつ>くんには>ちっとも>つうじない。「>それから、>われに>かえってあたりを>み>まわり>わ>すと、>こうしんやま>いちめんは>しんとして、>あまだれほどの>おとも>しない。>はてな>いまの>おとは>なにだろうと>かんがえた。>ひとの>こえに>しては>するど>すぎるし、>とりの>こえに>しては>おおき>すぎるし、>さるの>こえに>しては――>このへんに>よもや>さるは>おるまい。>なにだろう? >なにだろうと>いう>もんだいが>あたまの>なかに>おこると、>これを>かいしゃくしようと>いうのでいままで>しずまりかえっていた>やからが、>ふんぜん>ざつぜん>かて>しかとして>あたかも>こん>のーと>でんか>かんげいの>とうじにおける>とじんし>きょうらんの>たいどをもって>のうりを>かけ>めぐる。>そのうちに>そうしんの>けあなが>きゅうに>あいて、>しょうちゅうを>ふきかけた>けずねの>ように、>ゆうき、>たんりょく、>ふんべつ、>ちんちゃくなどと>ごうする>おきゃくさまが>すう>すうと>じょうはつしていく。>しんぞうが>ろっこつの>したで>すて>てこを>おどり>だす。>りょうあしが>いかのぼりの>うなりの>ように>しんどうを>はじめる。>これは>たまらん。>いきなり、>もうふを>あたまから>かぶって、>ヴぁいおりんを>こわきに>かいこんでひょろひょろと>いちまいいわを>とびおりて、>いちもくさんに>さんどう>はっちょうを>ふもとの>ほうへ>かけ>おりて、>やどへ>かえってふとんへ>くるまってねてしまった。>いま>かんがえても>あんな>きみの>わるかった>ことはないよ、>こち>くん」「>それから」「>それで>おしまい>さ」「>ヴぁいおりんは>ひかない>のか>い」「>ひきたくっても、>ひか>れないじゃないか。>ぎゃーだ>もの。>きみだって>きっと>ひか>れないよ」「>なんだか>きみの>はなしは>ものたりない>ような>きが>する」「>きが>しても>じじつだよ。>どうです>せんせい」と>かんげつ>くんは>いちざを>み>まわり>わして>だいとくいの>よう>すである。「>はははは>これは>じょうでき。>そこまで>もっていくには>だいぶ>くしんさんたんたる>ものが>あった>のだろう。>ぼくは>だんしの>さんど>ら・>べろにが>とうほう>くんしの>くにに>しゅつげんする>ところかと>おもって、>いまが>いままで>まじめに>はいちょうしていた>んだよ」と>いった>迷>てい>くんは>だれか>さんど>ら・>べろにの>こうしゃくでも>きくかと>思の>ほか、>なににも>しつもんが>でないので「>さんど>ら・>べろにが>げっかに>たてごとを>ひいて、>以>ふとし>り>あ>ふうの>うたを>もりの>なかで>うたっ>てる>ところは、>きみの>こうしんやまへ>ヴぁいおりんを>かかえてのぼる>ところと>どうきょくに>していたくみ>なる>ものだね。>おしい>ことに>むこうは>つき>ちゅうの>じょうがを>おどろき>ろかし、>きみは>ふる>ぬまの>かい>たぬきに>おどろかさ>れた>ので、>きわどい>ところで>こっけいと>すうこうの>たいさを>きたした。>さぞ>いかんだろう」と>いちにんで>せつめいすると、「>そんなに>いかんではありません」と>かんげつ>くんは>ぞんがい>へいきである。「>ぜんたい>やまのうえで>ヴぁいおりんを>ひこうなんて、>はいからを>やるから、>おどかさ>れる>んだ」と>こんどは>しゅじんが>こくひょうを>くわえると、「>こうかん>このおに>窟>うらに>むかってせいけいを>いとなむ。>おしい>ことだ」と>どく>せん>くんは>たんそくした。>すべて>どく>せん>くんの>いう>ことは>けっして>かんげつ>くんに>わかった>ためしが>ない。>かんげつ>きみばかりではない、>おそらく>だれにでも>わからないだろう。「>そりゃ、>そうと>かんげつ>くん、>ちかごろでも>や>はり>がっこうへ>おこなってたまばかり>みがい>てる>のかね」と>迷>てい>せんせいは>しばらくしてわとうを>てんじた。「>いえ、>こないだ>うちから>くにへ>きせいしていた>もんですから、>ざんじ>ちゅうしの>すがたです。>たまも>もう>あきましたから、>じつはよそうかと>おもっ>てる>んです」「>だってたまが>みがけないと>はかせに>はなれんぜ」と>しゅじんは>すこしく>まゆを>ひそめたが、>ほんにんは>ぞんがい>きらくで、「>はかせですか、>えへへへへ。>はかせなら>もう>ならなくっても>いい>んです」「>でもけっこんが>のびて、>そうほう>こまるだろう」「>けっこんって>だれの>けっこんです」「>きみの>さ」「>わたしが>だれと>けっこんする>んです」「>かねでんの>れいじょう>さ」「>へええ」「>へえって、>あれほど>やくそくが>あるじゃないか」「>やくそくなんか>ありゃ>しません、>そんなことを>いいふらすなあ、>むこうの>かってです」「>こいつは>すこしらんぼうだ。>ねえ>迷>てい、>きみも>あのいっけんは>しっ>てるだろう」「>あのいっけんた、>はな>じけん>かい。>あのじけんなら、>きみと>ぼくが>しっ>てるばかりじゃない、>こうぜんの>ひみつとして>てんか>いっぱんに>しれわたっ>てる。>げんに>まんあさ>なぞでは>はなむこ>はなよめと>いう>ひょうだいで>りょうくんの>しゃしんを>しじょうに>掲>ぐるの>えいは>いつだろう、>いつだろうって、>うるさく>ぼくの>ところへ>ききに>くるくらいだ。>こち>くん>なぞは>すでに>えんおう>うたと>いう>いちだい>ちょうへんを>つくって、>さんかげつ|>まえから>まっ>てる>んだが、>かんげつ>くんが>はかせに>ならないばかりで、>せっかくの>けっさくも>たからの>もちぐされに>なり>そうで>しんぱいで>たまらない>そうだ。>ねえ、>こち>くん>そうだろう」「>まだしんぱいするほど>もち>あつかっては>いませんが、>とにかく>まんぷくの>どうじょうを>こめた>さくを>おおやけ>けに>する>つもりです」「>それ>み>たまえ、>きみが>はかせに>なるか>ならないかで、>しほうはっぽうへ>とんだ>えいきょうが>およんでくるよ。>すこししっかりして、>たまを>みがいてくれた>ま>え」「>へへ>へへ>いろいろごしんぱいを>かけてすみませんが、>もう>はかせには>ならないでも>いい>のです」「>なぜ」「>なぜって、>わたしには>もう>れきぜんと>した>にょうぼうが>ある>んです」「>いや、>こりゃ>えらい。>いつのまに>ひみつ>けっこんを>やった>のかね。>ゆだんの>ならない>よのなかだ。>く>さや>さんだた>いま>ごききおよびの>とおり>かんげつ>くんは>すでに>さいしが>ある>んだと>さ」「>こどもは>まだですよ。>そうけっこんして>いちと>つきも>たたない>うちに>こどもが>うまれちゃことで>さあ」「>がんらい>いつ>どこで>けっこんした>んだ」と>しゅじんは>よしん>はんじ>みた>ような>しつもんを>かける。「>いつって、>くにへ>かえったら、>ちゃんと、>うちで>まっ>てた>のです。>きょう>せんせいの>ところへ>もってきた、>このかつおぶしは>けっこんしゅくに>しんるいから>もらった>んです」「>たった>さんほん>いわう>のは>けちだな」「>なに>だくさんの>うちを>さんほんだけ>もってきた>のです」「>じゃおくにの>おんなだね、>やっぱり>いろが>くろい>んだね」「>ええ、>まっくろです。>ちょうど>わたしには>そうとうです」「>それでかねでんの>ほうは>どうする>き>だい」「>どうする>きでもありません」「>そりゃすこしぎりが>わるかろう。>ねえ>迷>てい」「>わるくも>ないさ。>ほかへ>やりゃ>おなじことだ。>どうせ>ふうふなんて>ものは>やみの>なかで>はちあわせを>する>ような>ものだ。>ようするに>はちあわせを>しないでも>すむ>ところを>わざわざはち>あわせる>んだからよけいな>こと>さ。>すでに>よけいな>ことなら>だれと>だれの>はちが>あったって>かまい>っ>こないよ。>ただきのどくな>のは>えんおう>うたを>つくった>こち>きみくらいな>もの>さ」「>なに>えんおう>うたは>つごうによって、>こちらへ>むけ>えき>えても>よろしゅうございます。>かねでん>かの>けっこんしきには>またべつに>つくりますから」「>さすが>しじんだけ>あってじゆうじざいな>ものだね」「>かねでんの>ほうへ>ことわったかい」と>しゅじんは>まだかねでんを>きに>している。「>いいえ。>ことわる>わけが>ありません。>わたしの>ほうでくれとも、>もらいたいとも、>せんぽうへ>もうしこんだ>ことは>ありませんから、>だまっていればたくさんです。――>なあに>だまっ>てても>たくさんですよ。>いまじぶんは>たんていが>じゅうにんも>にじゅう>にんも>かかっていちぶしじゅう>のこらず>しれていますよ」 >たんていと>いう>げんごを>きいた、>しゅじんは、>きゅうに>にがい>かおを>して「>ふん、>そんなら>だまっていろ」と>もうしわたしたが、>それでも>あき>たらなかったと>みえて、>なお>たんていについて>したの>ような>ことを>さも>だいぎろんの>ように>のべ>られた。「>ふよういの>さいに>ひとの>かいちゅうを>ぬく>のが>すりで、>ふよういの>さいに>ひとの>きょうちゅうを>つる>のが>たんていだ。>しらぬ>あいだに>あまどを>はずしてひとの>しょゆうひんを>偸>む>のが>どろぼうで、>しらぬ>あいだに>くちを>すべらしてひとの>こころを>よむ>のが>たんていだ。>だん>びらを>たたみの>うえへ>さしてむりに>ひとの>きんせんを>ちゃくふくする>のが>ごうとうで、>おどし>もんくを>いやに>ならべてひとの>いしを>きょう>うる>のが>たんていだ。>だからたんていと>いう>やつは>すり、>どろぼう、>ごうとうの>いちぞくで>とうてい>ひとの>かざかみに>おける>ものではない。>そんなやつの>いう>ことを>きくとくせに>なる。>けっして>まけるな」「>なに>だいじょうぶです、>たんていの>せんにんや>にせん>にん、>かざかみに>たいごを>ととのえてしゅうげきしたって>こわくは>ありません。>たま>すりの>めいじん>りがく>し>みずしま>かんげつで>さあ」「>ひやひやみあげた>ものだ。>さすが>しんこん>がくしほど>あってげんき|>おうせいな>ものだね。>しかしく>さや>さん。>たんていが>すり、>どろぼう、>ごうとうの>どうるいなら、>そのたんていを>つかう>かねだ>くんのごとき>ものは>なにの>どうるいだろう」「>くまさか>ちょう>はんくらいな>ものだろう」「>くまさかは>よかったね。>ひとつと>みえ>たる>ながのりが>ふたつに>なってぞ>しっせに>けりと>いうが、>あんな>からすがねで>しんだいを>つくった>こうよこちょうの>ながのりな>んかは>ごう>つく>はりの、>よく>はり>やだから、>いくつに>なっても>うせる>き>やは>ないぜ。>あんな>やつに>つかまったら>いんがだよ。>しょうがい>たたるよ、>かんげつ>くん>ようじんした>ま>え」「>なあに、>いいですよ。>あ>あら>ぶつ々>し>ぬすびとよ。>てなみは>さきにも>しり>つらん。>それにも>こりず>うち>はいるかって、>ひどい>めに>あわせてやり>ま>さあ」と>かんげつ>くんは>じじゃくとして>ほうせい>りゅうに>き※を>はいてみせる。「>たんていと>いえば>にじゅう>せいきの>にんげんは>たいていたんていの>ように>なる>けいこうが>あるが、>どういう>わけだろう」と>どく>せん>くんは>どく>せん>くんだけに>じきょく>もんだいには>かんけいの>ない>ちょうぜんたるしつもんを>ていしゅつした。「>ぶっかが>たかい>せいでしょう」と>かんげつ>くんが>こたえる。「>げいじゅつ>しゅみを>かいしないからでしょう」と>こち>くんが>こたえる。「>にんげんに>ぶんめいの>かくが>はえて、>こんぺいとうの>ように>いらいらする>から>さ」と>迷>てい>くんが>こたえる。 >こんどは>しゅじんの>ばんである。>しゅじんは>もった>い>ふった>くちょうで、>こんなぎろんを>はじめた。「>それは>ぼくが>だいぶ>かんがえた>ことだ。>ぼくの>かいしゃくに>よるととうせい>じんの>たんていてき>けいこうは>まったくこじんの>じかくしんの>つよ>すぎる>のが>げんいんに>なっている。>ぼくの>じかくしんと>なづける>のは>どく>せん>くんの>ほうで>いう、>けんしょうじょうぶつとか、>じこは>てんちと>どういったいだとか>いう>ごどうの>るいではない。……」「>おや>だいぶ>むずかしく>なってきた>ようだ。>く>さや>くん、>きみに>してそんな>だいぎろんを>ぜっとうに>ろうする>いじょうは、>かく>もうす>迷>ていも>はばかりながら>ごあとで>げんだいの>ぶんめいにたいする>ふへいを>どうどうと>いうよ」「>かってに>いうがいい、>いう>ことも>ない>くせに」「>ところがある。>だいに>ある。>きみ>なぞは>せんだっては>けいじ>じゅんさを>かみのごとく>うやまい、>またきょうは>たんていを>すり>どろぼうに>ひし、>まるで>むじゅんの>へん>かいだが、>しもべなどは>しゅうしいっかん|>ちちはは>みしょう>いぜんから>ただいまに>いたるまで、>かつて>じせつを>へんじた>ことの>ない>おとこだ」「>けいじは>けいじだ。>たんていは>たんていだ。>せんだっては>せんだってで>きょうは>きょうだ。>じせつが>かわらない>のは>はったつしない>しょうこだ。>した>ぐは>うつらずと>いう>のは>きみの>ことだ。……」「>これは>きびしい。>たんていも>そうまともに>くると>かわいい>ところが>ある」「>おれが>たんてい」「>たんていでないから、>しょうじきで>いいと>いう>のだよ。>けんかは>おやめ>おやめ。>さあ。>そのだいぎろんの>あとを>はいちょうしよう」「>いまの>ひとの>じかくしんと>いう>のは>じこと>たにんの>あいだに>さいぜんたる>りがいの>おおとり>みぞが>あると>いう>ことを>しり>すぎていると>いう>ことだ。>そうしてこの>じかくこころ>なる>ものは>ぶんめいが>すすむに>した>がって>いちにち>いちにちと>えいびんに>なっていくから、>しまいには>いっきょしゅいっとうそくも>しぜん>てんねんとは>できない>ように>なる。>へんれーと>いう>ひとが>すちーヴんそんを>ひょうしてかれは>かがみの>かかった>へやに>はいって、>かがみの>まえを>とおる>ごとに>じこの>かげを>うつしてみなければきが>すまぬ>ほど>しゅんじも>じこを>忘>るる>ことの>できない>ひとだと>ひょうした>のは、>よく>きょうの>すうせいを>いい>あらわしている。>ねても>おれ、>さめても>おれ、>このおれが>いたる>ところに>つけ>まつわっているから、>にんげんの>こういげんどうが>じんこう>てきに>こせ>つくばかり、>じぶんで>きゅうくつに>なるばかり、>よのなかが>くるしく>なるばかり、>ちょうど>みあいを>する>わかい>だんじょの>こころもちで>あさから>ばんまで>くらさなければならない。>ゆうゆうとか>しょうようとか>いう>じは>劃が>あっていみの>ない>ことばに>なってしまう。>このてんにおいて>いまだいの>ひとは>たんていてきである。>どろぼう>てきである。>たんていは>ひとの>めを>かすめてじぶんだけ>うまい>ことを>しようと>いう>しょうばいだから、>ぜい>じかくしんが>つよく>ならなくては>できん。>どろぼうも>つかまるか、>みつかるかと>いう>しんぱいが>ねんとうを>はなれる>ことが>ないから、>ぜい>じかくしんが>つよく>ならざるを>えない。>いまの>ひとは>どうしたら>おのれれの>りに>なるか、>そんに>なるかと>ねても>さめても>かんがえ>つづけだから、>ぜい>たんていどろぼうと>おなじく>じかくしんが>つよく>ならざるを>えない。>にろくじちゅう>きょときょと、>こそこそ>してはかに>はいるまで>いっこくの>あんしんも>えない>のは>いまの>ひとの>こころだ。>ぶんめいの>咒>のろいだ。>ばかばかしい」「>なるほど>おもしろい>かいしゃくだ」と>どく>せん>くんが>いい>だした。>こんなもんだいに>なるとどく>せん>くんは>なかなかひきこんでいない>おとこである。「>く>さや>くんの>せつめいは>よく>がいを>えている。>むかし>しの>ひとは>おのれれを>わすれろと>おしえた>ものだ。>いまの>ひとは>おのれれを>わすれるなと>おしえるからまるで>ちがう。>にろくじちゅう>きれと>いう>いしきをもって>じゅうまんしている。>それだからにろくじちゅう>たいへいの>ときはない。>いつでも>しょうねつ>じごくだ。>てんかに>なにが>くすりだと>いっておのれれを>わすれるより>くすりな>ことはない。>さんこう>げっか>にゅうむがとは>このしきょうを>咏じた>もの>さ。>いまの>ひとは>しんせつを>しても>しぜんを>かいている。>えい>よしとしの>ないすなどと>じまんする>こういも>ぞんがい>じかくしんが>はりきれ>そうに>なっている。>えいこくの>てんしが>いんどへ>あそびに>いって、>いんどの>おうぞくと>しょくたくを>ともに>した>ときに、>そのおうぞくが>てんしの>まえとも>こころづかずに、>つい>じこくの>がりゅうを>だしてじゃがいもを>て>つかみで>さらへ>とって、>あとから>まっかに>なって愧じ>はいったら、>てんしは>しらんかおを>してやはり>にほん>ゆびで>じゃがいもを>さらへ>とった>そうだ……」「>それが>えい>よしとし>しゅみですか」>これは>かんげつ>くんの>しつもんであった。「>ぼくは>こんなはなしを>きいた」と>しゅじんが>あとを>つける。「>やはり>えいこくの>ある>へいえいで>れんたいの>しかんが>たいせい>して>いちにんの>かしかんを>ごちそうした>ことが>ある。>ごちそうが>すんでてを>あらう>みずを>がらす>はちへ>いれてだしたら、>このかしかんは>えんかいに>なれんと>みえて、>がらす>はちを>くちへ>あててちゅうの>みずを>ぐ>うと>のんでしまった。>するとれんたい>ちょうが>とつぜんかしかんの>けんこうを>しゅくすと>いいながら、>やはり>ふ※>んがー・>ぼーるの>みずを>ひといきに>のみほした>そうだ。>そこでなみいる>しかんも>われ>おとらじと>みず>さかずきを>あげてかしかんの>けんこうを>しゅくしたと>いうぜ」「>こんなはなしも>あるよ」と>だまっ>てる>ことの>いやな>迷>てい>くんが>いった。「>かーらいるが>はじめておんな>すめらぎに>謁>した>とき、>きゅうていの>れいに>嫻>わぬ>へんぶつの>ことだから、>せんせい>とつぜんどうですといいながら、>どさりと>いすへ>こしを>おろした。>ところがおんな>すめらぎの>うしろに>たっていた>たいせいの>じじゅうや>かんじょが>みんな>くすくす>わらい>だした――>だした>のではない、>だそうと>した>の>さ、>するとおんな>すめらぎが>うしろを>むいて、>ちょっとなにか>しょう>ずを>したら、>たぜいの>じじゅう>かんじょが>いつのまにか>みんな>いすへ>こしを>かけて、>かーらいるは>めんぼくを>うしなわなかったと>いう>んだがずいぶんごねんの>はいった>しんせつも>あった>もんだ」「>かーらいるの>ことなら、>みんなが>たっ>てても>へいきだったかも>しれませんよ」と>かんげつ>くんが>たんぴょうを>こころみた。「>しんせつの>ほうの>じかくしんは>まあ>いいがね」と>どく>せん>くんは>しんこうする。「>じかくしんが>あるだけ>しんせつを>するにも>ほねが>おれる>わけに>なる。>きのどくな>こと>さ。>ぶんめいが>すすむにしたがって>さつばつの>きが>なくなる、>こじんと>こじんの>こうさいが>おだやかに>なるなどと>ふつういうがだいまちがい>さ。>こんなにじかくしんが>つよくって、>どうして>おだやかに>なれる>ものか。>なるほど>ちょっとみるとごく>しずかで>ぶじな>ようだが、>ご互の>あいだは>ひじょうに>くるしい>の>さ。>ちょうど>すもうが>どひょうの>まんなかで>よっつに>くんでうごかない>ような>ものだろう。>はたから>みるとへいおん>しごくだがとうにんの>はらは>なみを>うっているじゃないか」「>けんかも>むかし>しの>けんかは>ぼうりょくで>あっぱくする>のだからかえって>つみはなかったが、>ちかごろ>じゃなかなかこうみょうに>なっ>てるからなおなお>じかくしんが>ましてくる>んだね」と>ばんが>迷>てい>せんせいの>あたまの>うえに>めぐってくる。「>べーこんの>ことばに>しぜんの>ちからにしたがって>はじめてしぜんに>かつと>あるが、>いまの>けんかは>まさに>べーこんの>かくげん>どおりに>でき>のぼっ>てるからふしぎだ。>ちょうど>じゅうじゅつの>ような>もの>さ。>てきの>ちからを>りようしててきを>斃>す>ごとを>かんがえる……」「>またはすいりょく>でんきの>ような>ものですね。>みずの>ちからに>さからわないでかえって>これを>でんりょくに>へんかしてりっぱに>やくにたた>せる……」と>かんげつ>くんが>いい>かけると、>どく>せん>くんが>すぐその>あとを>ひきとった。「>だからひんじには>ひんに>ばくせ>られ、>とみ>じには>とみに>ばくせ>られ、>ゆう>ときには>ゆうに>ばくせ>られ、>き>じには>きに>ばくせ>られる>の>さ。>さいじんは>さいに>斃>れ、>ちしゃは>さとしに>やぶれ、>く>さや>くんの>ような>かんしゃく>もちは>かんしゃくを>りようさえ>すればすぐに>とびだしててきの>ぺてんに>かかる……」「>ひやひや」と>迷>てい>くんが>てを>たたくと、>く>さや>くんは>にやにや>わらいながら「>これで>なかなかそうあまくは>いかない>のだよ」と>こたえたら、>みんな>いちどに>わらい>だした。「>ときに>かねでんの>ような>のは>なにで>斃>れるだろう」「>にょうぼうは>はなで>斃>れ、>しゅじんは>いんごうで>斃>れ、>こぶんは>たんていで>斃れか」「>むすめは?」「>むすめは――>むすめは>みた>ことが>ないからなんとも>うん>えないが――>まず>きだおれか、>くいだおれ、>もしくはのんだ>くれの>るいだろう。>よもや>こい>たおれには>なるまい。>ことに>よるとそとうば>こまちの>ように>ゆきだおれに>なるかも>しれない」「>それは>すこしひどい」と>しんたいしを>ささげただけに>こち>くんが>いぎを>もうしたてた。「>だから応>む>しょ>じゅう>而>せい>其>しんと>いう>のは>だいじな>ことばだ、>そういう>きょうかいに>いたらんと>にんげんは>くるしくてならん」と>どく>せん>くん>しきりに>ひとり>さとった>ような>ことを>いう。「>そういばる>もんじゃないよ。>くんなどは>ことに>よるとでんこう>かげ>うらに>さか>たおれを>やるかも>しれ>ないぜ」「>とにかく>このぜいで>ぶんめいが>すすんでおこなった>ひ>にや>ぼくは>いき>てる>のは>いやだ」と>しゅじんが>いい>だした。「>えんりょはいらないからしぬさ」と>迷>ていが>げんかに>どうはする。「>しぬ>のは>なお>いやだ」と>しゅじんが>わからん>ごうじょうを>はる。「>うまれる>ときには>だれも>じゅっこうしてうまれる>ものは>ありませんが、>しぬ>ときには>だれも>くに>すると>みえますね」と>かんげつ>くんが>よそよそしい>かくげんを>のべる。「>きんを>かりる>ときには>なにの>き>なしに>かりるが、>かえす>ときには>みんな>しんぱいする>のと>おなじこと>さ」と>こんなときに>すぐへんじの>できる>のは>迷>てい>くんである。「>かりた>きんを>かえす>ことを>かんがえない>ものは>こうふくである>ごとく、>しぬ>ことを>くに>せん>ものは>こうふく>さ」と>どく>せん>くんは>ちょうぜんと>してしゅっせけん>てきである。「>きみの>ように>いうとつまり>ずぶとい>のが>さとった>のだね」「>そうさ、>ぜん>ごに>てつ>うし>めんの>てつ>うし>こころ、>うし>てつ>めんの>うし>てっしんと>いう>のが>ある」「>そうしてきみは>そのひょうほんと>いう>わけかね」「>そうでもない。>しかししぬ>のを>くに>する>ように>なった>のは>しんけい>すいじゃくと>いう>びょうきが>はつめいさ>れてから>いごの>ことだよ」「>なるほど>くんなどは>どこから>みても>しんけい>すいじゃくいぜんの>みんだよ」 >迷>ていと>どく>せんが>みょうな>かけあいを>のべつに>やっていると、>しゅじんは>かんげつ>こち>にくんを>あいてに>してしきりに>ぶんめいの>ふへいを>のべている。「>どうして>かりた>きんを>かえさずに>すますかが>もんだいである」「>そんなもんだいは>ありませんよ。>かりた>ものは>かえさなくちゃなりませんよ」「>まあ>さ。>ぎろんだから、>だまってきくがいい。>どうして>かりた>きんを>かえさずに>すますかが>もんだいである>ごとく、>どうしたら>しなずに>すむかが>もんだいである。>いな>もんだいであった。>れんきんじゅつは>これである。>すべての>れんきんじゅつは>しっぱいした。>にんげんは>どうしても>しななければならん>ことが>ぶんめいに>なった」「>れんきんじゅつ>いぜんから>ぶんめいですよ」「>まあ>さ、>ぎろんだから、>だまってきいていろ。>いいかい。>どうしても>しななければならん>ことが>ぶんめいに>なった>ときに>だいにの>もんだいが>おこる」「>へえ」「>どうせ>しぬなら、>どうして>しんだら>よかろう。>これが>だいにの>もんだいである。>じさつくらぶは>このだい>にの>もんだいとともに>おこるべき>うんめいを>ゆうしている」「>なるほど」「>しぬ>ことは>くるしい、>しかししぬ>ことが>できなければなお>くるしい。>しんけい>すいじゃくの>こくみんには>いきている>ことが>しよりも>はなはだしき>くつうである。>したがってしを>くに>する。>しぬ>のが>いやだからくに>する>のではない、>どうして>しぬ>のが>いちばん>よかろうと>しんぱいする>のである。>ただたいていの>ものは>ちえが>たりないからしぜんの>ままに>ほうてきしておく>うちに、>せけんが>いじめ>ころしてくれる。>しかし>いちと>くせ>ある>ものは>せけんから>なしくずしに>いじめ>ころさ>れてまんぞくする>ものではない。>かならずや>しに>かたに>ついてしゅじゅ>こうきゅうの>けっか、>嶄>しんな>めいあんを>ていしゅつするに>違>ない。だから>してせかい|>こうごの>すうせいは>じさつしゃが>ぞうかして、>そのじさつしゃが>かいどくそうてきな>ほうほうをもって>このよを>さるに>違>ない」「>だいぶ>ぶっそうな>ことに>なりますね」「>なるよ。>たしかに>なるよ。>あーさー・>じょーん>すと>いう>ひとの>かいた>きゃくほんの>なかに>しきりに>じさつを>しゅちょうする>てつがく>しゃが>あって……」「>じさつする>んですか」「>ところがおしい>ことに>しない>のだがね。>しかしいまから>せんねんも>たてばみんな>じっこうするに>そういないよ。>まんねんの>あとには>しと>いえばじさつより>ほかに>そんざいしない>ものの>ように>かんがえ>られる>ように>なる」「>たいへんな>ことに>なりますね」「>なる>よ>きっと>なる。>そうなるとじさつも>だいぶ>けんきゅうが>つんでりっぱな>かがくに>なって、>落>くも>かんの>ような>ちゅうがっこうで>りんりの>かわりに>じさつがくを>せい>かとして>さづける>ように>なる」「>みょうですな、>ぼうちょうに>でた>いく>らいの>ものですね。>迷>てい>せんせい>ごききに>なりましたか。>く>さや>せんせいの>ぎょめい>ろんを」「>きいたよ。>そのじぶんに>なると>落>くも>かんの>りんりの>せんせいは>こういうね。>しょくん>こうとくなどと>いう>やばんの>いふうを>ぼくしゅしては>なりません。>せかいの>せいねんとして>しょくんが>だいいちに>ちゅういすべき>ぎむは>じさつである。>しかして>おのれれの>このむ>ところは>これを>ひとに>施>こしてかなる>わけだから、>じさつを>いっぽ>てんかいしてたさつに>しても>よろしい。>ことに>ひょうの>きゅうそだい>ちん>の>く>さや>しのごとき>ものは>いきてござる>のが>おおいた>くつうの>ように>みうけ>ら>るるから、>いっこくも>はやく>ころしてしんぜる>のが>しょくんの>ぎむである。>もっともむかしと>ちがってきょうは>かいめいの>じせつであるからやり、>なぎなた>もしくはとびどうぐの>るいを>もちいる>ような>ひきょうな>ふるまいを>しては>なりません。>ただあてこすりの>こうしょうなる>ぎじゅつによって、>からかい>ころす>のが>ほんにんの>ため>くどくにも>なり、>またしょくんの>めいよにも>なる>のであります。……」「>なるほど>おもしろい>こうぎを>しますね」「>まだおもしろい>ことが>あるよ。>げんだいでは>けいさつが>じんみんの>せいめい>ざいさんを>ほごする>のを>だいいちの>もくてきと>している。>ところがその>じぶんに>なるとじゅんさが>いぬ>ごろしの>ような>こんぼうをもって>てんかの>こうみんを>ぼくさつしてあるく。……」「>なぜです」「>なぜって>いまの>にんげんは>せいめいが>だいじだからけいさつで>ほごする>んだが、>そのじぶんの>こくみんは>いき>てる>のが>くつうだから、>じゅんさが>じひの>ために>うちころしてくれる>の>さ。>もっともすこしきの>きいた>ものは>たいがい>じさつしてしまうから、>じゅんさに>うちころさ>れる>ような>やつは>よくよく>いくじな>しか、>じさつの>のうりょくの>ない>はくち>もしくはふぐ>しゃに>かぎる>の>さ。>それで>ころさ>れたい>にんげんは>かどぐちへ>はり>さつを>しておく>のだね。>なに>ただ、>ころさ>れたい>おとこ>ありとか>おんな>ありとか、>はりつけておけばじゅんさが>つごうの>いい>ときに>めぐってきて、>すぐしぼうどおり>と>はかってくれる>の>さ。>しがいかね。>しがいは>やっぱり>じゅんさが>くるまを>ひいてひろってあるく>の>さ。>まだおもしろい>ことが>できてくる。……」「>どうも>せんせいの>じょうだんは>さいげんが>ありませんね」と>こち>くんは>だいに>かんしんしている。>するとどく>せん>くんは>れいの>とおり>やぎ>ひげを>きに>しながら、>のそのそ>べんじ>だした。「>じょうだんと>いえばじょうだんだが、>よげんと>いえばよげんかも>しれない。>しんりに>てっていしない>ものは、>とかくがんぜんの>げんしょう>せかいに>そくばくせら>れてほうまつの>むげんを>えいきゅうの>じじつと>にんていした>がる>ものだから、>すこしとびはなれた>ことを>いうと、>すぐじょうだんに>してしまう」「>えんじゃく>いずくんぞ>たいほうの>こころざしを>ち>らん>やですね」と>かんげつ>くんが>おそれいると、>どく>せん>くんは>そうさと>いわぬばかりの>かお>づけで>はなしを>すすめる。「>むかし>し>すぺいんに>こるどヴぁと>いう>ところが>あった……」「>いまでも>ありゃ>しないか」「>あるかも>しれない。>こんじゃくの>もんだいは>とにかく、>そこの>ふうしゅうとして>ひぐれの>かねが>おてらで>なると、>いえいえの>おんなが>ことごとく>でてきてかわへ>はいいってすいえいを>やる……」「>ふゆも>やる>んですか」「>そのへんは>たしかに>しらんが、>とにかく>き賤>ろうにゃくの>べつ>なく>かわへ>とびこむ。>ただしだんしは>いちにんも>交>ら>ない。>ただとおくから>みている。>とおくから>みていると>ぼしょく>そうぜんたる>なみの>うえに、>しろい>はだが>もことして>うごいている……」「>してきですね。>しんたいしに>なりますね。>なんと>いう>ところですか」と>こち>くんは>らたいが>しゅつさえ>すればまえへ>のりだしてくる。「>こるどヴぁさ。>そこでちほうの>わかい>ものが、>おんなと>いっしょに>およぐ>ことも>できず、>さればと>いってとおくから>はんぜんその>すがたを>みる>ことも>ゆるさ>れない>のを>ざんねんに>おもって、>ちょっといたずらを>した……」「>へえ、>どんなしゅこう>だい」と>いたずらと>きいた>迷>てい>くんは>だいに>うれし>がる。「>おてらの>かね>つき>ばんに>わいろを>つかって、>にちぼつを>あいずに>つく>かねを>いちじかん>まえに>ならした。>するとおんななどは>あさ>ぼな>ものだから、>そら>かねが>なったと>いう>ので、>めいめい>かわぎしへ>あつまってはんじゅばん、>はんももひきの>ふくそうで>ざ>ぶり>ざ>ぶりと>みずの>なかへ>とびこんだ。>とびこみは>したものの、>いつもと>ちがってにちが>くれない」「>はげしい>あきの>ひが>かんかん>し>や>しないか」「>はしの>うえを>みるとおとこが>たいせい>たってながめている。>はずかしいがどうする>ことも>できない。>だいに>せきめんした>そうだ」「>それで」「>それでさ、>にんげんは>ただがんぜんの>しゅうかんに>まよわさ>れて、>こんぽんの>げんりを>わすれる>ものだからきを>つけないと>だめだと>いう>こと>さ」「>なるほど>ありがたい>ごせっきょうだ。>がんぜんの>しゅうかんに>まよわさ>れの>ごはなししを>ぼくも>ひとつ>やろうか。>このあいだ>ある>ざっしを>よんだら、>こういう>さぎしの>しょうせつが>あった。>ぼくが>まあ>ここで>しょが|>こっとう>てんを>ひらくと>する。>でてんとうに>おおやの>はばや、>めいじんの>どうぐ>るいを>ならべておく。>むろん|>にせものじゃない、>しょうじき>しょうめい、>うそ>いつわり>の>ない>じょうとう>ひんばかり>ならべておく。>じょうとう>ひんだからみんな>こうかに>きまっ>てる。>そこへ>もの>すうきな>ごきゃく>さんが>きて、>このもとのぶの>はばは>いくらだねと>きく。>ろくひゃく>えんなら>ろくひゃく>えんと>ぼくが>いうと、>そのきゃくが>ほしい>ことは>ほしいが、>ろくひゃく>えんでは>てもとに>もち>あわせが>ないから、>ざんねんだがまあ>みあわせよう」「>そういうと>きまっ>てる>かい」と>しゅじんは>そう>かわらず>しばいぎの>ない>ことを>いう。>迷>てい>くんは>ぬからぬ>かおで、「>まあ>さ、>しょうせつだよ。>いうと>しておく>んだ。>そこでぼくが>なに>だいは>かまいませんから、>おきにいったら>もっていらっしゃいと>いう。>きゃくは>そうも>いかないからと>ちゅうちょする。>それじゃげっぷで>いただきましょう、>げっぷも>ほそく、>ながく、>どうせ>これからごひいきに>なる>んですから――>いえ、>ちっとも>ごえんりょには>およびません。>どうです>つきに>じゅうえん>くらい>じゃ。>なになら>つきに>ごえんでも>かまいませんと>ぼくが>ごく>きさくに>いう>んだ。>それからぼくと>きゃくの>あいだに>にさんの>もんどうが>あって、>とど>ぼくが>かの>ほうげん>もとのぶの>はばを>ろくひゃく>えんただし>げっぷ>じゅうえん>はらいこみの>こと>で>うり>わたす」「>たいむすの>ひゃっかぜんしょ>みた>ようですね」「>たいむすは>たしかだが、>ぼく>のは>すこぶる>ふ慥だよ。>これからが>いよいよ>こうみょうなる>さぎに>とりかかる>のだぜ。>よく>きき>たまえ>つき>じゅうえんずつで>ろくひゃく>えんなら>なんねんで>かいさいに>なると>おもう、>かんげつ>くん」「>むろん>ごねんでしょう」「>むろん>ごねん。>で>ごねんの>さいげつは>ながいと>おもうか>たん>かいと>おもうか、>どく>せん>くん」「>いちねん>まんねん、>まんねん>いちねん。>たんかくもあり、>たんかくも>なしだ」「>なんだ>そりゃどうかか、>じょうしきの>ない>どうかだね。>そこで>ごねんの>あいだ>まいつき>じゅうえんずつ>はらう>のだから、>つまりせんぽうでは>ろくじゅう>かいはらえばいい>のだ。>しかしそこが>しゅうかんの>おそろしい>ところで、>ろくじゅう>かいも>おなじことを>まいつき>くりかえしていると、>ろくじゅう>いちかいにも>やはり>じゅうえん>はらう>きに>なる。>ろくじゅう>にかいにも>じゅうえん>はらう>きに>なる。>ろくじゅう>にかい>ろくじゅう>さんかい、>かいを>かさねるに>した>がってどうしても>きじつが>くれば>じゅうえん>はらわなくては>きが>すまない>ように>なる。>にんげんは>りこうの>ようだが、>しゅうかんに>まよって、>こんぽんを>わすれると>いう>だいじゃくてんが>ある。>そのじゃくてんに>じょうじてぼくが>なんどでも>じゅうえん>ずつ>まいつき>とくを>する>の>さ」「>はははは>まさか、>それほどわすれっぽくも>ならないでしょう」と>かんげつ>くんが>わらうと、>しゅじんは>いささか>まじめで、「>いや>そういう>ことは>まったくあるよ。>ぼくは>だいがくの>たいひを>まいつき>まいつき>かんじょうせずに>かえして、>しまいにむこうから>ことわら>れた>ことが>ある」と>じぶんの>はじを>にんげん>いっぱんの>はじの>ように>こうげんした。「>そら、>そういう>ひとが>げんに>ここに>いるからたしかな>ものだ。>だからぼくの>せんこく>のべた>ぶんめいの>みらい>きを>きいてじょうだんだなどと>わらう>ものは、>ろくじゅう>かいで>いい>げっぷを>しょうがい>はらってせいとうだと>かんがえる>れんちゅうだ。>ことに>かんげつ>くんや、>こち>くんの>ような>けいけんの>とぼしい>せいねん>しょくんは、>よく>ぼくらの>いう>ことを>きいてだまさ>れない>ように>しなくっちゃいけない」「>かしこまりました。>げっぷは>かならず>ろくじゅう>かいかぎりの>ことに>いたします」「>いやじょうだんの>ようだが、>じっさいさんこうに>なる>はなしですよ、>かんげつ>くん」と>どく>せん>くんは>かんげつ>くんに>むかい>だした。「>たとえばですね。>こんく>さや>くんか>迷>てい>くんが、>きみが>むだんで>けっこんした>のが>おんとうでないから、>かねだとか>いう>ひとに>しゃざいしろと>ちゅうこくしたら>きみ>どうです。>しゃざいする>りょうけんですか」「>しゃざいは>ごようしゃに>あずかりたいですね。>むこうが>あやまるなら>とくべつ、>わたしの>ほうでは>そんなよくは>ありません」「>けいさつが>きみに>あやまれと>めいじたら>どうです」「>なおなお>ごめん>こうむります」「>だいじんとか>かぞくなら>どうです」「>いよいよ>もってごめん>こうむります」「>それ>み>たまえ。>むかしと>いまとは>にんげんが>それだけかわっ>てる。>むかしは>おかみの>ごいこうなら>なにでも>できた>じだいです。>そのつぎには>おかみの>ごいこうでも>できない>ものが>できてくる>じだいです。>いまの>よは>いかに>でんかでも>かっかでも、>あるていどいじょうに>こじんの>じんかくの>うえに>のしかかる>ことが>できない>よのなかです。>はげしく>いえばせんぽうに>けんりょくが>あればあるほど、>のしかから>れる>ものの>ほうでは>ふゆかいを>かんじてはんこうする>よのなかです。>だからいまの>よは>むかし>しと>ちがって、>おかみの>ごいこうだからできない>のだと>いう>しんげんしょうの>あらわれる>じだいです、>むかし>しの>ものから>かんがえると、>ほとんど>かんがえ>られないくらいな>ことがらが>どうりで>とおる>よのなかです。>せたい>にんじょうの>へんせんと>いう>ものは>じつに>ふしぎな>もので、>迷>てい>くんの>みらい>きも>じょうだんだと>いえばじょうだんに>すぎない>のだが、>そのあたりの>しょうそくを>せつめいした>ものと>すれば、>なかなかあじが>あるじゃないですか」「>そういう>ちきが>でてくると>ぜひみらい>きの>つづきが>のべたく>なるね。>どく>せん>くんの>ごせつの>ごとく>いまの>よに>おかみの>ごいこうを>かさに>きたり、>たけやりの>にさん>ひゃくほんを>恃に>してむりを>おしとおそうと>する>のは、>ちょうど>かごへ>のってなんでも>かでも>きしゃと>きょうそうしようと>あせる、>じだい>おくれの>頑>ぶつ――>まあ>わからず>やの>ちょうほん、>からすがねの>ながのり>せんせいくらいの>ものだから、>だまってごてぎわを>はいけんしていればいいが――>ぼくの>みらい>きは>そんなとうざ>まにあわせの>しょうもんだいじゃない。>にんげん>ぜんたいの>うんめいにかんする>しゃかい>てき>げんしょうだからね。>つらつら>めした>ぶんめいの>けいこうを>たっかんして、>とおき>しょう>らいの>すうせいを>ぼくすると>けっこんが>ふかのうの>ことに>なる。>おどろき>ろ>く>なかれ、>けっこんの>ふかのう。>わけは>こうさ。>まえ>もうす>とおり>いまの>よは>こせい>ちゅうしんの>よである。>いっかを>しゅじんが>だいひょうし、>いちぐんを>だいかんが>だいひょうし、>いっこくを>りょうしゅが>だいひょうした>じぶんには、>だいひょうしゃ>いがいの>にんげんには>じんかくは>まるで>なかった。>あっても>みとめ>られなかった。>それが>がらりと>かわると、>あらゆるせいぞんしゃが>ことごとく>こせいを>しゅちょうし>だして、>だれを>みても>きみは>きみ、>ぼくは>ぼくだよと>いわぬばかりの>かぜを>する>ように>なる。>ふたりの>ひとが>とちゅうで>あえばうぬがにんげんなら、>おれも>にんげんだぞと>こころの>なかで>けんかを>かいながらいき>ちがう。>それだけこじんが>つよく>なった。>こじんが>びょうどうに>つよく>なったから、>こじんが>びょうどうに>よわく>なった>わけに>なる。>ひとが>おのれを>がいする>ことが>でき>にくく>なった>てんにおいて、>たしかに>じぶんは>つよく>なった>のだが、>めったに>ひとの>みのうえに>てだしが>ならなく>なった>てんにおいては、>あきらかに>むかしより>よわく>なった>んだろう。>つよく>なる>のは>うれしいが、>よわく>なる>のは>だれも>ありがたくないから、>ひとから>いちごうも>おかさ>れまいと、>つよい>てんを>あくまでこしゅするとどうじに、>せめて>はんけでも>ひとを>おかしてやろうと、>よわい>ところは>むりにも>ひろげたく>なる。>こうなるとひとと>ひとの>あいだに>くうかんが>なくなって、>いき>てる>のが>きゅうくつに>なる。>できるだけ>じぶんを>はりつめて、>はちきれるばかりに>ふくれ>かえってくるし>がってせいぞんしている。>くるしいからいろいろの>ほうほうで>こじんと>こじんとの>あいだに>よゆうを>もとめる。>かくのごとく>にんげんが>じごうじとくで>くるしんで、>そのくるしまぎれに>あんしゅつした>だいいちの>ほうあんは>おやこ>べっきょの>せいさ。>にっぽんでも>やまの>なかへ>はいいってみ>たまえ。>いっか>いちもん>ことごとく>いっけんの>うちに>ごろごろしている。>しゅちょうすべき>こせいも>なく、>あっても>しゅちょうしないから、>あれで>すむ>のだがぶんめいの>みんは>たとい>おやこの>あいだでも>お>かたみに>わがままを>はれるだけ>はらなければそんに>なるからいきおい>りょうしゃの>あんぜんを>ほじする>ためには>べっきょしなければならない。>おう>しゅうは>ぶんめいが>すすんでいるからにっぽんより>はやく>このせいどが>おこなわ>れている。>たまたま>おやこ>どうきょする>ものが>あっても、>むすこが>おやじから>りそくの>つく>きんを>かりたり、>たにんの>ように>げしゅくりょうを>はらったり>する。>おやが>むすこの>こせいを>みとめてこれに>そんけいを>はらえばこそ、>こんなびふうが>せいりつする>のだ。>このかぜは>そうばん>にっぽんへも>ぜひゆにゅうしなければならん。>しんるいは>とくに>はなれ、>おやこは>きょうに>はなれて、>やっと>がまんしている>ような>ものの>こせいの>はってんと、>はってんにつれて>これにたいする>そんけいの>ねんは>むせいげんに>のびていくから、>まだはなれなくては>らくが>できない。>しかしおやこ>きょうだいの>はなれたる>きょう、>もう>はなれる>ものはない>わけだから、>さいごの>ほうあんとして>ふうふが>わかれる>ことに>なる。>いまの>ひとの>こうでは>いっしょに>いるからふうふだと>おもっ>てる。>それが>おおきなりょうけんちがい>さ。>いっしょに>いる>ためには>いっしょに>いるに>じゅうぶん>なるだけ>こせいが>あわなければならないだろう。>むかし>しなら>もんくは>ないさ、>いたい>どうしんとか>いって、>めには>ふうふ>ににんに>みえるが、>ないじつは>いちにん>まえ>なんだからね。>それだからかいろうどうけつとか>ごうして、>しんでも>ひとつあなの>たぬきに>ばける。>やばんな>もの>さ。>いまは>そうは>ぎょうかな>いやね。>おっとは>あくまでも>おっとで>つまは>どうしたって>つまだからね。>そのつまが>じょがっこうで>あんどんばかまを>はいてろうこたる>こせいを>きたえあげて、>そくはつ>すがたで>のりこんでくる>んだから、>とてもおっとの>おもう>とおりに>なる>わけが>ない。>またおっとの>おもいどおりに>なる>ような>つまなら>つまじゃない>にんぎょうだからね。>けんぷじんに>なればなるほど>こせいは>すごいほど>はったつする。>はったつすればするほど>おっとと>あわなく>なる。>あわなければしぜんの>ぜい>おっとと>しょうとつする。>だからけん>つまと>なが>つく>いじょうは>あさから>ばんまで>おっとと>しょうとつしている。>まことに>けっこうな>ことだが、>けん>つまを>むかえればむかえるほど>そうほう>とも>くるしみの>ていどが>ましてくる。>みずと>あぶらの>ように>ふうふの>あいだには>さいぜん>たる>しきりが>あって、>それも>おちついて、>しきりが>すいへい>せんを>たもっていればまだしもだが、>みずと>あぶらが>そうほうから>働>ら>き>かける>のだからいえの>なかは>だいじしんの>ように>あがったり>さがったり>する。>ここにおいて>ふうふ>ざっきょは>お互の>そんだと>いう>ことが>しだいに>にんげんに>わかってくる。……」「>それで>ふうふが>わか>れる>んですか。>しんぱいだな」と>かんげつ>くんが>いった。「>わか>れる。>きっと>わか>れる。>てんかの>ふうふは>みんな>わかれる。>いままでは>いっしょに>いた>のが>ふうふであったが、>これからは>どうせいしている>ものは>ふうふの>しかくが>ない>ように>せけんから>め>さ>れてくる」「>するとわたし>なぞは>しかくの>ない>くみへ>へんにゅうさ>れる>わけですね」と>かんげつ>くんは>きわどい>ところで>のろけを>いった。「>めいじの>みよに>うまれてこう>さ。>しもべなどは>みらい>きを>つくるだけ>あって、>ずのうが>じせいより>いちに>ほずつ>まえへ>でているからちゃんと>いまから>どくしんで>いる>んだよ。>ひとは>しつれんの>けっかだなどと>さわぐが、>きんがん>しゃの>みる>ところは>じつに>あわれなほど>せんばくな>ものだ。>それは>とにかく、>みらい>きの>つづきを>はなすと>こうさ。>そのとき>いちにんの>てつがく>しゃが>てん>ふってはてんこうの>しんりを>しょうどうする。>そのせつに>いわく>さ。>にんげんは>こせいの>どうぶつである。>こせいを>めつ>すればにんげんを>めっすると>どうけっかに>おちいる。>いやしくも>にんげんの>いぎを>かんから>しめん>ためには、>いかなるあたいを>はらうとも>かまわないから>このこせいを>ほじするとどうじに>はったつせしめなければならん。>かの陋>習に>ばくせ>られて、>いやいやながら>けっこんを>しっこうする>のは>にんげん>しぜんの>けいこうに>はんした>ばんぷうであって、>こせいの>はったつせざる>もうまいの>じだいは>いざ>しらず、>ぶんめいの>きょう>なお>このへい>竇に>おちいって恬として>かえりみない>のは>はなはだしき>びゅうけんである。>かいかの>たかしお>どに>たっせる>いま>だいにおいて>にこの>こせいが>ふつういじょうに>しんみつの>ていどをもって>れんけつさ>れ>うべき>りゆうの>あるべき>はずが>ない。>この覩>やすき>りゆうは>あるにも>かんらず>むきょういくの>せいねん>だんじょが>いちじの>れつじょうに>から>れて、>漫に>ごう※の>しきを>きょ>ぐるは>はいとく>ぼつ>りんの>はなはだしき>しょいである。>われ>じんは>じんどうの>ため、>ぶんめいの>ため、>かれら>せいねん>だんじょの>こせい>ほごの>ため、>ぜんりょくを>あげ>このばんぷうに>ていこうせざるべからず……」「>せんせい>わたしは>そのせつには>ぜんぜんはんたいです」と>こち>くんは>このとき>おもいきった>ちょうしで>ぴたりと>ひらてで>ひざがしらを>たたいた。「>わたしの>こうでは>よのなかに>なにが>とうといと>いってあいと>びほど>とうとい>ものはないと>おもいます。>われ々を>いしゃし、>われ々を>かんぜんに>し、>われ々を>こうふくに>する>のは>まったくりょうしゃの>おかげであります。>われ>じんの>じょうそうを>ゆうびに>し、>ひんせいを>こうけつに>し、>どうじょうを>あらい>ね>する>のは>まったくりょうしゃの>おかげであります。>だからわれ>じんは>いつの>よ>いず>くに>うまれても>このふたつの>ものを>わすれる>ことが>できないです。>このふたつの>ものが>げんじつ>せかいに>あらわれると、>あいは>ふうふと>いう>かんけいに>なります。>びは>しいか、>おんがくの>けいしきに>わかれ>ます。>それだからいやしくも>じんるいの>ちきゅうの>ひょうめんに>そんざいする>かぎりは>ふうふと>げいじゅつは>けっしてめっする>ことはなかろうと>おもいます」「>なければけっこうだが、>こんてつがく>しゃが>いった>とおり>ちゃんと>めつ>してしまうからしかたが>ないと、>あきらめるさ。>なに>げいじゅつだ? >げいじゅつだって>ふうふと>おなじうんめいに>きちゃくする>の>さ。>こせいの>はってんという>のは>こせいの>じゆうと>いう>いみだろう。>こせいの>じゆうと>いう>いみは>おれは>おれ、>ひとは>ひとと>いう>いみだろう。>そのげいじゅつな>んか>そんざいできる>わけが>ないじゃないか。>げいじゅつが>はんじょうする>のは>げいじゅつかと>きょうじゅしゃの>あいだに>こせいの>いっちが>あるからだろう。>きみが>いくら>しんたいし>かだって>踏>はっても、>きみの>しを>よんでおもしろいと>いう>ものが>いちにんも>なくっちゃ、>きみの>しんたいしも>ごきのどくだがきみより>ほかに>よみてはなく>なる>わけだろう。>えんおう>うたを>いくへん>つくったって>はじまらないやね。>さいわいに>めいじの>きょうに>うまれたから、>てんかが>あがってあいどくする>のだろうが……」「>いえ>それほどでもありません」「>いまで>さえ>それほどでなければ、>じんぶんの>はったつした>みらい|>すなわちれいの>いちだい>てつがく>しゃが>でてひけっこんろんを>しゅちょうする>じぶんには>だれも>よみ>しゅはなく>なるぜ。>いやきみ>のだからよまない>のじゃない。>ひとびと>ここ>おのおの>とくべつの>こせいを>もっ>てるから、>ひとの>つくった>しぶんなどは>いっこう>おもしろくない>の>さ。>げんに>いまでも>えいこくなどでは>このけいこうが>ちゃんと>あらわれている。>げんこんえいこくの>しょうせつ>かちゅうで>もっとも>こせいの>いちじるしい>さくひんに>あらわ>れた、>めれじすを>み>たまえ、>じぇーむすを>み>たまえ。>よみては>きわめて>すくないじゃないか。>すくない>わけ>さ。>あんな>さくひんは>あんな>こせいの>ある>ひとでなければよんでおもしろくない>んだからしかたが>ない。>このけいこうが>だんだんはったつしてこんいんが>ふどうとくに>なる>じぶんには>げいじゅつも>かん>く>めつぼうさ。>そうだろう>きみの>かいた>ものは>ぼくに>わからなく>なる、>ぼくの>かいた>ものは>きみに>わからなく>なった>ひにゃ、>きみと>ぼくの>あいだには>げいじゅつも>くそも>ないじゃないか」「>そりゃそうで>すけれどもわたしは>どうも>ちょっかくてきに>そうおもわ>れない>んです」「>きみが>ちょっかくてきに>そうおもわ>れなければ、>ぼくは>きょく>さとし>てきに>そうおもうまで>さ」「>きょく>さとし>てきかも>しれないが」と>こんどは>どく>せん>くんが>くちを>だす。「>とにかく>にんげんに>こせいの>じゆうを>ゆるせばゆるすほど>ご互の>あいだが>きゅうくつに>なるに>そういないよ。>にーちぇが>ちょうじんなんか>かつぎだす>のも>まったくこの>きゅうくつの>やり>どころが>なくなってしかた>なしに>あんな>てつがくに>へんけいした>ものだね。>ちょっとみるとあれが>あのおとこの>りそうの>ように>みえるが、>ありゃ>りそうじゃない、>ふへい>さ。>こせいの>はってんした>じゅうきゅう>せいきに>すくんで、>となりの>ひとには>こころ>置>なく>めったに>ねがえりも>うてないから、>たいしょう>すこしやけに>なってあんな>らんぼうを>かき>ちらした>のだね。>あれを>よむとそうかいと>いうより>むしろ>きのどくに>なる。>あのこえは>ゆうもう>しょうじんの>こえじゃない、>どうしても>えんこん>つうふんの>おとだ。>それも>そのはず>さむかしは>いちにん>えらい>ひとが>あればてんか|>きゅうぜんとして>そのきかに>あつまる>のだから、>ゆかいな>もの>さ。>こんなゆかいが>じじつに>でてくればなにも>にーちぇ>みた>ように>ふでと>かみの>ちからで>これを>しょもつの>うえに>あらわす>ひつようが>ない。>だからほーまーでも>ちぇヴぃ・>ちぇーずでも>おなじく>ちょうじん>てきな>せいかくを>うつしても>かんじが>まるで>ちがうからね。>ようきださ。>ゆかいに>かいてある。>ゆかいな>じじつが>あって、>このゆかいな>じじつを>かみに>うつし>かえた>のだから、>にがみはない>はずだ。>にーちぇの>じだいは>そうは>いかないよ。>えいゆう>なんか>いちにんも>で>やしない。>でたって>だれも>えいゆうと>たて>やしない。>むかしは>こうしが>たった>いちにんだったから、>こうしも>はばを>きかした>のだが、>いまは>こうしが>いくにんも>いる。>ことに>よるとてんかが>ことごとく>あな>こかも>しれない。>だからおれは>こうしだよと>いばっても>圧が>きかない。>きかないからふへいだ。>ふへいだからちょうじんなどを>しょもつの>うえだけで>ふり>まわす>の>さ。>われ>じんは>じゆうを>ほっしてじゆうを>えた。>じゆうを>えた>けっか>ふじゆうを>かんじてこまっている。>それだからせいようの>ぶんめいなどは>ちょっといい>ようでも>つまりだめな>もの>さ。>これに>はんしてとうよう>じゃむかし>しから>こころの>しゅぎょうを>した。>そのほうが>ただしい>の>さ。>み>たまえ>こせい>はってんの>けっか>みんな>しんけい>すいじゃくを>おこして、>しまつが>つかなく>なった>とき、>おうじゃの>みん>とうとうたりと>いう>くの>かちを>はじめてはっけんするから。>むいに>してかすと>いう>かたりの>ばかに>できない>ことを>さとるから。>しかしさとったって>そのときは>もう>しようがない。>あるこーる>ちゅうどくに>かかって、>ああさけを>のまなければよかったと>かんがえる>ような>もの>さ」「>せんせい>かたは>おおいた>えんせい>てきな>ごせつの>ようだが、>わたしは>みょうですね。>いろいろうかがっても>なんとも>かんじません。>どういう>ものでしょう」と>かんげつ>くんが>いう。「>そりゃさいくんを>もち>だてだからさ」と>迷>てい>くんが>すぐかいしゃくした。>するとしゅじんが>とつぜんこんな>ことを>いい>だした。「>つまを>もって、>おんなは>いい>ものだなどと>おもうと>とんだ>あいだ>違に>なる。>さんこうの>ためだから、>おれが>おもしろい>ものを>よんできか>せる。>よく>きくがいい」と>さいぜん>しょさいから>もってきた>ふるい>ほんを>とりあげて「>このほんは>ふるい>ほんだが、>このじだいから>おんなの>わるい>ことは>れきぜんと>わかっ>てる」と>いうと、>かんげつ>くんが「>すこしおどろきましたな。>がんらい>いつ>ころの>ほんですか」と>きく。「>たます・>なっしと>いって>じゅうろく>せいきの>ちょしょだ」「>いよいよ>おどろき>ろ>いた。>そのじぶん>すでに>わたしの>つまの>わるぐちを>いった>ものが>ある>んですか」「>いろいろおんなの>わるぐちが>あるが、>そのうちには>ぜひ>きみの>つまも>はいいる>わけだからきくがいい」「>ええ>ききますよ。>ありがたい>ことに>なりましたね」「>まず>こらいの>けんてつが>じょせい>かんを>しょうかいすべしと>かいてある。>いいかね。>きい>てるかね」「>みんな>きい>てるよ。>どくしんの>ぼくまで>きい>てるよ」「>ありすとーとる>いわく>おんなは>どうせ>ろくでな>しなれば、>よめを>とるなら、>おおきなよめより>ちいさなよめを>とるべし。>おおきなろくで>なし>より、>ちいさなろくで>なしの>ほうが>わざわい>すくなし……」「>かんげつ>くんの>さいくんは>おおきい>かい、>ちいさいかい」「>おおきなろくで>なしの>ぶですよ」「>はははは、>こりゃ>おもしろい>ほんだ。>さああとを>よんだ」「>あるる>ひと>とう、>いかなるか>これ>さいだい>きせき。>けんじゃ>こたえていわく、>ていふ……」「>けんじゃって>だれですか」「>なまえは>かい>てない」「>どうせ>ふら>れた>けんじゃに>そういないね」「>つぎには>だいおじにすが>でている。>あるる>ひと>とう、>つまを>めとる>いずれの>ときに>おいてすべきか。>だいおじにす>こたえていわく>せいねんは>いまだ>し、>ろうねんは>すでに>おそし。と>ある」「>せんせい|>たるの>なかで>かんがえたね」「>ぴさごらす>いわく>てんかに>さんの>おそるべきもの>あり>いわく>ひ、>いわく>みず、>いわく>おんな」「>まれ>臘の>てつがく>しゃなどは>ぞんがい|>まが>濶な>ことを>いう>ものだね。>ぼくに>いわ>せると>てんかに>おそるべきもの>なし。>ひに>はいってやけず、>みずに>はいっておぼれず……」だけで>どく>せん>くん>ちょっといきづまる。「>おんなに>あってとろけずだろう」と>迷>てい>せんせいが>えんぺいに>でる。>しゅじんは>さっさと>あとを>よむ。「>そくらちすは>ふじょしを>おするは>にんげんの>さいだい>なんじと>いえり。で>もす>せ>にす>いわく>じん>もし>そのてきを>くるしめんと>せば、>わがおんなを>てきに>あずか>うるより>さくの>えたるは>あらず。>かていの>ふうはに>にちと>なく>よると>なく>かれを>こんぱいたつ>あたわざるに>いたり>ら>しむるを>えればなりと。>せねかは>ふじょと>むがくをもって>せかいにおける>にたいやくと>し、>まーか>す・>おー>れ>りあ>すは>じょしは>せいぎょし>かたき>てんにおいて>せんぱくに>にたりと>いい、>ぷろーたすは>じょしが>きらを>かざるの>せいへきをもって>そのてんぴんの>みにくを>おおうの>陋>さくに>もとづく>ものと>せり。>ヴぁれりあす>かつて>しょを>そのとも>ぼうに>おくってつげていわく>てんかに>なにごとも>じょしの>しのんでなし>えざる>もの>あらず。>ねがわくは>すめらぎ>てん|>憐を>たれて、>きみを>してかれらの>じゅっちゅうに>おちいら>しむるな>かれと。>かれ>またいわく>じょしとは>なぞ。>ゆうあいの>てきに>あらず>や。>避>くべ>からざる>くるしみに>あらず>や、>ひつぜんの>がいに>あらず>や、>しぜんの>ゆうわくに>あらず>や、>みつに>にたる>どくに>あらず>や。>もし>じょしを>棄>つるが>ふとくならば、>かれらを>すて>ざるは>いっそうの>かしゃくと>いわざるべからず。……」「>もう>たくさんです、>せんせい。>そのくらい>ぐさいの>わる>ぐちを>はいちょうすればもうしぶんは>ありません」「>まだ>よんご>ぺーじあるから、>ついでに>きいたら>どうだ」「>もう>たいていに>するがいい。>もう>おくがたの>ごかえりの>こくげんだろう」と>迷>てい>せんせいが>からかい>かけると、>ちゃのまの>ほうで「>しんや、>しん>や」と>さいくんが>げじょを>よぶ>こえが>する。「>こいつは>たいへんだ。>おくがたは>ちゃんと>いるぜ、>きみ」「>うふふふふ」と>しゅじんは>わらいながら「>かまう>ものか」と>いった。「>おくさん、>おくさん。>いつのまに>ごかえりですか」 >ちゃのまでは>しんとして>こたえが>ない。「>おくさん、>いま>のを>きいた>んですか。>え?」 >こたえは>まだない。「>いまの>はね、>ごしゅじんの>ごこうではないですよ。>じゅうろく>せいきの>なっし>くんの>せつ>ですからごあんしんなさい」「>ぞんじません」と>さいくんは>とおくで>かんたんな>へんじを>した。>かんげつ>くんは>くすくすと>わらった。「>わたしも>ぞんじませんでしつれいしました>あはははは」と>迷>てい>くんは>えんりょなく>わらっ>てると、>かどぐちを>あらあらしく>あけて、>たのむとも、>ごめんとも>いわず、>おおきなあしおとが>したと>おもったら、>ざしきの>とうしが>らんぼうに>あいて、>たたら>さんぺい>くんの>かおが>そのあいだから>あらわれた。 >さんぺい>くん>きょうは>いつに>にず、>まっしろな>しゃつに>おろし>だての>ふろっくを>きて、>すでに>いくぶんか>そうばを>くるわせ>てる>うえへ、>みぎの>てへ>おも>そうに>さげた>よんほんの>びーるを>なわ>ぐるみ、>かつおぶしの>そばへ>おくとどうじに>あいさつも>せず、>どっかと>こしを>おろして、>かつひざを>くずした>のは>めざましい>むしゃ>ふである。「>せんせい>いびょうは>きんらい>いいですか。>こうやって、>うちにばかり>い>なさるから、>いかん>たい」「>まだわるいとも>なんとも>いやし>ない」「>いわん>ばってんが、>かおいろは>よかな>かごたる。>せんせい>かおいろが>きです>ばい。>ちかごろは>つりが>いいです。>しながわから>ふねを>いちそう>やとい>うて――>わたしは>このまえの>にちように>いきました」「>なにか>つれたかい」「>なにも>つれません」「>つれなくっても>おもしろい>のか>い」「>こうぜんの>きを>やしなう>たい、>あなた。>どうで>す>あなた>がた。>つりに>いった>ことが>ありますか。>おもしろいですよ>つりは。>おおきなうみの>うえを>こぶねで>のり>まわり>わして>あるく>のですからね」と>だれかれの>ようしゃなく>はなしかける。「>ぼくは>ちいさなうみの>うえを>おおぶねで>のり>まわしてあるきたい>んだ」と>迷>てい>くんが>あいてに>なる。「>どうせ>つるなら、>くじらか>にんぎょでも>つらなくっちゃ、>つまらないです」と>かんげつ>くんが>こたえた。「>そんなものが>つれますか。>ぶんがく>しゃは>じょうしきが>ないですね。……」「>ぼくは>ぶんがく>しゃじゃ>ありません」「>そうですか、>なにですか>あなたは。>わたしの>ような>びじねす・>まんに>なるとじょうしきが>いちばん>たいせつですからね。>せんせい>わたしは>きんらい>よっぽど>じょうしきに>とんできました。>どうしても>あんな>ところに>いると、>そばが>そばだから、>おのずから、>そうなってしまうです」「>どうなってしまう>のだ」「>たばこ>でもですね、>あさひや、>しきしまを>ふかしていては>はばが>きかんです」と>いいながら、>すいくちに>きんぱくの>ついた>えじぷと>たばこを>だして、>すぱすぱ>すいだした、「>そんなぜいたくを>する>きんが>ある>のか>い」「>きんはな>かばってんが、>いまに>どうか>なる>たい。>このたばこを>すっ>てると、>たいへん>しんようが>ちがいます」「>かんげつ>くんが>たまを>みがくよりも>らくな>しんようで>いい、>てすうが>かからない。>けいべん>しんようだね」と>迷>ていが>かんげつに>いうと、>かんげつが>なんとも>こたえない>あいだに、>さんぺい>くんは「>あなたが>かんげつ>さんですか。>はかせにゃ、>とうとう>ならんですか。>あなたが>はかせに>ならん>ものだから、>わたしが>もらう>ことに>しました」「>はかせを>で>すか」「>いいえ、>かねでん>かの>れいじょうを>で>す。>じつはごきのどくと>おもうたです>たい。>しかしせんぽうで>ぜひ>もらうて>くれ>もらうて>くれと>いうから、>とうとう>もらう>ことに>きわめました、>せんせい。>しかしかんげつ>さんに>ぎりが>わるいと>おもってしんぱいしています」「>どうか>ごえんりょなく」と>かんげつ>くんが>いうと、>しゅじんは「>もらいたければもらったら、>いいだろう」と>あいまいな>へんじを>する。「>そいつは>おめでたい>はなしだ。>だからどんな>むすめを>もっても>しんぱいするがものはない>んだよ。>だれか>もらうと、>さっきぼくが>いった>とおり、>ちゃんと>こんなりっぱな>しんしの>ご|>むこ>さんが>できた>じゃないか。>こち>くん>しんたいしの>たねが>できた。>さっそくとりかかり>たまえ」と>迷>てい>くんが>れいのごとく>ちょうしづくと>さんぺい>くんは「>あなたが>こち>くんですか、>けっこんの>ときに>なにか>つくってくれませんか。>すぐかっぱんに>してかたがたへ>くばります。>たいようへも>だしてもらいます」「>え>え>なにか>つくりましょう、>いつ>ころ>ご|>いりようですか」「>いつでも>いいです。>いままで>つくった>うちでも>いいです。>そのかわりです。>ひろうの>とき>よんでごちそうするです。>しゃんぱんを>のませるです。>きみ>しゃんぱんを>のんだ>ことが>ありますか。>しゃんぱんは>うまいです。――>せんせい>ひろうかいの>ときに>がくたいを>よぶ>つもりですが、>こち>くんの>さくを>ふに>してそうしたら>どうでしょう」「>かってに>するがいい」「>せんせい、>ふに>してくださらんか」「>ばか>いえ」「>だれか、>このうちに>おんがくの>できる>ものは>おらんですか」「>らくだいの>こうほ>しゃ>かんげつ>くんは>ヴぁいおりんの>みょうしゅだよ。>しっかりたのんでみ>たまえ。>しかししゃんぱん>くらいじゃ>しょうちし>そうも>ない>おとこだ」「>しゃんぱんも>ですね。>いちびん>よんえんや>ごえんの>じゃよくないです。>わたしの>ごちそうする>のは>そんなやすい>のじゃないですが、>きみ>ひとつ>ふを>つくってくれませんか」「>ええ>つくりますとも、>いちびん>にじゅう>せんの>しゃんぱんでも>つくります。>なんなら>ただでも>つくります」「>ただは>たのみません、>おんれいは>するです。>しゃんぱんが>いやなら、>こういう>おんれいは>どうです」と>いいながらうわぎの>こも>ぶくろの>なかから>ななはち>まいの>しゃしんを>だしてばらばらと>たたみの>うえへ>おとす。>はんしんが>ある。>ぜんしんが>ある。>たっ>てる>のが>ある。>すわっ>てる>のが>ある。>はかまを>はい>てるがある。>ふりそでが>ある。>たかしまだが>ある。>ことごとく>みょうれいの>じょしばかりである。「>せんせい>こうほ>しゃが>これだけ>あるです。>かんげつ>くんと>こち>くんに>このうち>どれか>おんれいに>しゅうせんしても>いいです。>こりゃ>どうです」と>いちまい>かんげつ>くんに>つき>つける。「>いいですね。>ぜひしゅうせんを>ねがいましょう」「>これでも>いいですか」と>また>いちまい>つきつける。「>それも>いいですね。>ぜひしゅうせんしてください」「>どれを>で>す」「>どれでも>いいです」「>きみ>なかなかたじょうですね。>せんせい、>これは>はかせの>めいです」「>そうか」「>このほうは>せいしつが>ごく>いいです。>としも>わかいです。>これで>じゅうななです。――>これなら>じさんきんが>せんえん>あります。――>こっち>のは>ちじの>むすめです」と>いちにんで>べんじ>たてる。「>それを>みんな>もらう>わけにゃ>い>かないでしょうか」「>みんなですか、>それは>あまりよく>はりたい。>きみ|>いっぷたさい>しゅぎですか」「>たさい>しゅぎじゃないですが、>にくしょくろんしゃです」「>なにでも>いいから、>そんなものは>はやく>しまったら、>よかろう」と>しゅじんは>しかりつける>ように>いいはなった>ので、>さんぺい>くんは「>それじゃ、>どれも>もらわんですね」と>ねんを>おしながら、>しゃしんを>いちまい>いちまいに>ぽっけっとへ>おさめた。「>なんだ>いその>びーるは」「>おみ>や>げで>ござります。>まえいわいに>かくの>さかやで>かうて>らいました。>ひとつ>のんでください」 >しゅじんは>てを>はくって>げじょを>よんでせんを>ぬか>せる。>しゅじん、>迷>てい、>どく>せん、>かんげつ、>こちの>ごくんは>うやうやしく>こっぷを>ささげて、>さんぺい>くんの>つや>ふくを>しゅくした。>さんぺい>くんは>だいに>ゆかいな>ようすで「>ここに>いる>しょくんを>ひろうかいに>しょうたいしますが、>みんな>でてくれますか、>でてくれるでしょうね」と>いう。「>おれは>いやだ」と>しゅじんは>すぐこたえる。「>なぜですか。>わたしの>いっしょうに>いちどの>たいれいです>ばい。>でてくんな>さらんか。>すこしふにんじょうの>ごたるな」「>ふにんじょうじゃないが、>おれは>でないよ」「>きものが>ないですか。>はおりと>はかま>くらい>どうでも>します>たい。>ちと>ひとなかへも>でるがよ>かた>い>せんせい。>ゆうめいな>ひとに>しょうかいしてあげます」「>まっぴら>ごめんだ」「>いびょうが>癒ります>ばい」「>癒>らんでも>さしつかえない」「>そげんがんこ>はり>なさるなら>やむをえません。>あなたは>どうで>す>きてくれますか」「>ぼくかね、>ぜひ>いくよ。>できるなら>ばいしゃくにん>たるの>えいを>えた>いく>らいの>ものだ。>しゃんぱんの>さんさんくどや>はるの>よい。――>なに>なこうどは>すずきの>ふじ>さんだって? >なるほど>そこ>い>らだろうと>おもった。>これは>ざんねんだがしかたが>ない。>なこうどが>ににん>できても>おお>すぎるだろう、>ただの>にんげんとして>まさに>しゅっせきするよ」「>あなたは>どうです」「>ぼくですか、>いちさお>ふうげつ>閑>せいけい、>ひと>つり>しろ>蘋>べに>たで>かん」「>なにですか>それは、>とうし>せんですか」「>なんだか>わからんです」「>わからんですか、>こまります>な。>かんげつ>くんは>でてくれるでしょうね。>いままでの>かんけいも>あるから」「>きっと>でる>ことに>します、>ぼくの>つくった>きょくを>がくたいが>そうする>のを、>きき>おとす>のは>ざんねんですからね」「>そうですとも。>きみは>どうです>こち>くん」「>そうですね。>でてごりょうにんの>まえで>しんたいしを>ろうどくしたいです」「>そりゃゆかいだ。>せんせい>わたしは>うまれてから、>こんなゆかいな>ことはないです。>だからもう>いっぱい>びーるを>のみます」と>じぶんで>かってきた>びーるを>いちにんで>ぐいぐいのんでまっかに>なった。 >たんかい>あきの>ひは>ようやく>くれて、>まきたばこの>しがいが>さんを>みだす>ひばちの>なかを>みればひは>とくの>むかしに>きえている。>さすが>のんきの>れんちゅうも>すこしく>きょうが>つきたと>みえて、「>だいぶ>おそく>なった。>もう>かえろうか」と>まず>どく>せん>くんが>たちあがる。>つづいて「>ぼくも>かえる」と>くちぐちに>げんかんに>でる。>よせが>はねた>あとの>ように>ざしきは>さびしく>なった。 >しゅじんは>ゆうはんを>すましてしょさいに>はいる。>さいくんは>はださむの>じゅばんの>えりを>かきあわせて、>あらいざらしの>ふだん>ぎを>ぬう。>しょうともは>まくらを>ならべてねる。>げじょは>ゆに>いった。 >のんきと>みえる>ひとびとも、>こころの>そこを>たたいてみると、>どこか>かなしい>おとが>する。>さとった>ようでも>どく>せん>くんの>あしは>やはり>じめんの>ほかは>ふまぬ。>きらくかも>しれないが迷>てい>くんの>よのなかは>えに>かいた>よのなかではない。>かんげつ>くんは>たま>すりを>やめてとうとう>おくにから>おくさんを>つれてきた。>これが>じゅんとうだ。>しかしじゅんとうが>ながく>つづくとさだめし>たいくつだろう。>こち>くんも>いま>じゅうねん>したら、>む>あんに>しんたいしを>ささげる>ことの>ひを>さとるだろう。>さんぺい>くんに>いたっては>みずに>すむ>ひとか、>やまに>すむ>ひとか>ちと>かんていが>むずかしい。>しょうがい>さんむち>さけを>ごちそうしてとくいと>おもう>ことが>できればけっこうだ。>すずきの>ふじ>さんは>どこまでも>ころがっていく。>ころがればどろが>つく。>どろが>ついても>ころがれぬ>ものよりも>はばが>きく。>ねこと>うまれてひとの>よに>すむ>こと>もはや>にとしこしに>なる。>じぶんでは>これほどの>けんしき>かは>またと>あるまいと>おもうていたが、>せんだって>かー>てる・>むると>いう>みずしらずの>どうぞくが>とつぜん|>たいき※を>あげた>ので、>ちょっとびっくりした。>よくよく>きいてみたら、>じつは>ひゃくねん|>まえに>しんだ>のだが、>ふとしたこうき>こころから>わざと>ゆうれいに>なってわがはいを>おどろか>せる>ために、>とおい>めいどから>しゅっちょうした>のだ>そうだ。>このねこは>ははと>たいめんを>する>とき、>あいさつの>しるしとして、>いちひきの>さかなを>啣>えてでかけた>ところ、>とちゅうで>とうとう>がまんが>し>きれなく>なって、>じぶんで>くってしまったと>いうほどの>ふこう>ものだけ>あって、>さいきも>なかなかにんげんに>まけぬ>ほどで、>あるときなどは>しを>つくってしゅじんを>おどろかした>ことも>ある>そうだ。>こんなごうけつが>すでに>いちせいきも>まえに>しゅつげんしているなら、>わがはいの>ような>ろくで>なしは>とうに>ごひまを>ちょうだいしてむ>なんゆうさとに>きがしても>いい>はずであった。 >しゅじんは>そうばん>いびょうで>しぬ。>かねでんの>じいさんは>よくで>もう>しんでいる。>あきの>このはは>たいがい>おち>つくした。>しぬ>のが>ばんぶつの>じょう>ぎょうで、>いきていても>あんまりやくにたたないなら、>はやく>しぬだけが>けん>こいかも>しれない。>しょせんせいの>せつに>したがえばにんげんの>うんめいは>じさつに>きする>そうだ。>ゆだんを>すると>ねこも>そんなきゅうくつな>よに>うまれなくては>ならなく>なる。>おそるべきことだ。>なんだか>きが>くさくさ>してきた。>さんぺい>くんの>びーるでも>のんでちと>けいきを>つけてやろう。 >かってへ>めぐる。>あきかぜに>がたつく>とが>ほそめに>あい>てる>あいだから>ふきこんだと>みえてらんぷは>いつのまにか>きえているが、>つきよと>おもわ>れてまどから>かげが>さす。>こっぷが>ぼんの>うえに>みっつ>ならんで、>そのふたつに>ちゃいろの>みずが>はんぶんほど>たまっている。>がらすの>なかの>ものは>ゆでも>つめたい>きが>する。>まして>よさむの>つきかげに>てらさ>れて、>しずかに>ひけし>つぼと>ならんでいる>このえきたいの>ことだから、>くちびるを>つけぬ>さきから>すでに>さむくてのみたくも>ない。>しかしものは>ためしだ。>さんぺいなどは>あれを>のんでから、>まっかに>なって、>あつくるしい>いきづかいを>した。>ねこだって>のめばようきに>ならん>こともあるまい。>どうせ>いつ>しぬか>しれぬ>いのちだ。>なにでも>いのちの>ある>うちに>しておく>ことだ。>しんでから>ああざんねんだと>はかばの>かげから>くやんでも>おっ>つかない。>おもいきってのんでみろと、>ぜい>よく>したを>いれてぴちゃぴちゃ>やってみると>おどろいた。>なんだか>したの>さきを>はりで>ささ>れた>ように>ぴりりと>した。>にんげんは>なにの>よい>きょうで>こんな>くさった>ものを>のむ>のか>わからないが、>ねこには>とてものみ>きれない。>どうしても>ねこと>びーるは>せいが>あわない。>これは>たいへんだと>いちどは>だした>したを>ひきこめて>みたが、>またかんがえなおした。>にんげんは>くちぐせの>ように>りょうやく>ぐちに>くるしと>いってかぜなどを>ひくと、>かおを>しかめてへんな>ものを>のむ。>のむから癒>る>のか、>癒>る>のに>のむ>のか、>いままで>ぎもんであったがちょうど>いい>こうだ。>このもんだいを>びーるで>かいけつしてやろう。>のんではらのうちまで>にがく>なったら>それまでの>こと、>もし>さんぺいの>ように>ぜんごを>わすれるほど>ゆかいに>なればくうぜんの>もうけ>しゃで、>きんじょの>ねこへ>おしえてやっても>いい。>まあ>どうなるか、>うんを>てんに>まかせて、>やっつけると>けっしんしてふたたびしたを>だした。>めを>あいていると>のみ>にくいから、>しっかりねむって、>またぴちゃぴちゃ>はじめた。 >わがはいは>がまんに>がまんを>かさねて、>ようやく>いっぱいの>びーるを>のみほした>とき、>みょうな>げんしょうが>たった。>はじめは>したが>ぴりぴりして、>くちじゅうが>がいぶから>あっぱくさ>れる>ように>くるしかった>のが、>のむにしたがって>ようやく>らくに>なって、>いっぱい>めを>かたづける>じぶんには>べつだんほねも>おれなく>なった。>もう>だいじょうぶと>にはい>めは>なんなく>やっつけた。>ついでに>ぼんの>うえに>こぼれた>のも>ぬぐうがごとく>はら>ないに>おさめた。 >それからしばらくの>あいだは>じぶんで>じぶんの>どうせいを>うかがう>ため、>じっと>すくんでいた。>しだいに>からだが>あたたかに>なる。>めの>ふちが>ぽうっと>する。>みみが>ほてる。>うたが>うたいたく>なる。>ねこじゃ>ねこ>じゃがおどりたく>なる。>しゅじんも>迷>ていも>どく>せんも>くそを>くえと>いう>きに>なる。>かねでんの>じいさんを>ひっかいてやりたく>なる。>さいくんの>はなを>くい>かきたく>なる。>いろいろに>なる。>さいごに>ふらふらと>たちたく>なる。>たったら>よたよたあるきたく>なる。>こいつは>おもしろい>とそと>へ>でたく>なる。>でると>ごつき>さま>こんばんはと>あいさつしたく>なる。>どうも>ゆかいだ。 >とうぜんとは>こんなことを>いう>のだろうと>おもいながら、>あても>なく、>そこ>かしこと>さんぽする>ような、>しない>ような>こころもちで>しまり>の>ない>あしを>いいかげんに>はこば>せてゆくと、>なんだか>しきりに>ねむい。>ねている>のだか、>あるい>てる>のだか>はんぜんしない。>めは>あける>つもりだがおもい>こと|>おびただしい。>こうなればそれまでだ。>うみだろうが、>やまだろうがおどろき>ろかない>んだと、>まえあしを>ぐにゃりと>まえへ>だしたと>おもう>とたん>ぼ>ちゃんと>おとが>して、>はっと>いう>うち、――>やら>れた。>どうやら>れた>のか>かんがえる>かんが>ない。>ただやら>れたなと>きがつくか、>つかないのにあとは>めちゃくちゃに>なってしまった。 >われに>かえった>ときは>みずのうえに>ういている。>くるしいからつめで>もってや>たらに>かいたが、>かける>ものは>みずばかりで、>かくとすぐもぐってしまう。>しかたが>ないからあとあしで>とび>のぼっておいて、>まえあしで>かいたら、>がりりと>おとが>してわずかに>て>応が>あった。>ようやく>あたまだけ>うくからどこだろうと>み>まわり>わ>すと、>わがはいは>おおきなうの>なかに>おちている。>このうは>なつまで>みず>あおいと>しょうする>みずくさが>しげっていたがそのご>からすの>かん>おおやけが>きてあおいを>くい>つくした>うえに>ぎょうずいを>つかう。>ぎょうずいを>つかえばみずが>へる。>へればらいなくなる。>きんらいは>だいぶ>へってからすが>みえないなと>せんこく>おもったが、>わがはい>じしんが>からすの>かわりに>こんなところで>ぎょうずいを>つかおうなどとは>おもいも>よらなかった。 >みずから>えんまでは>よんすん|>よもある。>あしを>のばしても>とどかない。>とび>のぼっても>で>られない。>のんきに>していればしずむばかりだ。>もがけばがりがりと>うに>つめが>あたるのみで、>あたった>ときは、>すこしうく>きみだが、>すべればたちまちぐっと>もぐる。>もぐればくるしいから、>すぐがりがりを>やる。>そのうちからだがつかれてくる。>きは>あせるが、>あしは>さほど>きかなく>なる。>ついには>もぐる>ために>うを>かく>のか、>かく>ために>もぐる>のか、>じぶんでも>わかり>にくく>なった。 >そのとき>くるしいながら、>こうかんがえた。>こんなかしゃくに>あう>のは>つまりうから>うえ>へあがり>たいばかりの>がんである。>あがりたい>のは>やまやまであるがあがれない>のは>しれ>きっている。>わがはいの>あしは>さんずんに>たらぬ。>よし>みずの>めんに>からだが>ういて、>ういた>ところから>おもうぞんぶん>まえあしを>のばしたって>ごすんに>あまる>うの>えんに>つめの>かかり>ようが>ない。>うの>ふちに>つめの>かかり>ようが>なければいくらも>かいても、>あせっても、>ひゃくねんの>あいだ>みを>こなに>しても>で>られ>っ>こない。>で>られないと>わかり>きっている>ものを>でようと>する>のは>むりだ。>むりを>とおそうと>するからくるしい>のだ。>つまらない。>みずから>もとめてくるしんで、>みずから>このんでごうもんに>かかっている>のは>ばか>きている。「>もう>よ>そう。>かってに>するがいい。>がりがりは>これ>ぎり>ごめん>こうむるよ」と、>まえあしも、>あとあしも、>あたまも>おも>しぜんの>ちからに>まかせてていこうしない>ことに>した。 >しだいに>らくに>なってくる。>くるしい>のだか>ありがたい>のだか>けんとうが>つかない。>みずの>なかに>いる>のだか、>ざしきの>うえに>いる>のだか、>はんぜんしない。>どこに>どうしていても>さしつかえはない。>ただらくである。>いならく>そのもの>す>らも>かんじ>えない。>じつげつを>きりおとし、>てんちを>こな>韲>してふかしぎの>たいへいに>はいる。>わがはいは>しぬ。>しんでこの>たいへいを>える。>たいへいは>しななければえ>られぬ。>なむあみだぶつ>なむあみだぶつ。>ありがたい>ありがたい。>ていほん:「>なつめ>そうせき>ぜんしゅう>いち」>ちくま>ぶんこ、>ちくましょぼう   >いちきゅう>はちなな(>しょうわ>ろくに)>ねんきゅう>つきに>きゅうにち>だいいち>さつはっこうていほんの>おや>ほん:「>つかま>ぜんしゅう>るいじゅうばん>なつめ>そうせき>ぜんしゅう」>ちくましょぼう   >いちきゅう>なないち(>しょうわ>よんろく)>ねんよん>つき〜>いちきゅう>ななに(>しょうわ>よんなな)>ねんいち>つきにゅうりょく:>しばた>たくじ>こうせい:>わたなべ>みねこ(>いち)、>おのし>げ>ひ>こ(>に、>ご)、>たじり>みき>に(>さん)、>たかはし>しん>也(>よん、>なな、>はち、>じゅう、>じゅういち)、>しず(>ろく)、>せと>さえこ(>きゅう)>いちきゅう>きゅうきゅう>ねんきゅう>つきいち>ななにち>こうかい>にぜろ>ぜろよん>ねんに>つきご>にちしゅうせいあおぞら>ぶんこ>さくせいふぁいる:>このふぁいるは、>いんたーねっとの>としょかん、>あおぞら>ぶんこ(>http://www.aozora.gr.jp/)で>つくら>れました。>にゅうりょく、>こうせい、>せいさくに>あたった>のは、>ぼらんてぃあの>みなさんです。>でんしゃの>こんざつについて>てらだ>とらひこ >まんいん>でんしゃの>つり>かわに>すがって、>おさ>れ>つか>れ、>もま>れ、>ふま>れる>のは、>たしょうでも>きれつの>はいった>にくたいと、>そのために>はくじゃくに>なっている>しんけいとの>しょゆうしゃにとっては、>ほとんど>たえがたい>苛>せめである。>そのえいきょうは>たんに>そのば>かぎりでなくて、>げしゃした>あとの>すうじかん>ごまでも>けいぞくする。>それできんねん>なんぎな>まんせいの>びょうきに>かかっていらい、>わたしは>まんいん>でんしゃには>のらない>ことに、>すいた>でんしゃにばかり>のる>ことに>きめて、>それを>じっこうしている。 >かならずすいた>でんしゃに>のる>ために>とるべき>ほうほうは>きわめて>へいぼんで>かんたんである。>それは>すいた>でんしゃの>くるまで、>き>ながく>まつという>ほうほうである。 >でんしゃの>もっとも>こんざつする>じかんは>せんろと>ほうこうによって>だいたい>いっていしている>ようである。>このような>とくべつな>じかんだと、>いくら>まっても>なかなかすいた>でんしゃはな>さ>そうに>おもわ>れるが、>そういうじこくでも、>き>ながく>まっている>うちには、>まれに>いちだいぐらいは>かなりに>らくな>のが>まわってくる>のである。>これは>ふしぎな>ようであるが、>じつはふしぎでも>なんでもない、>とうぜんな>りゆうが>あっての>ことである。>このりゆうに>きの>ついた>のは、>しかしほんの>ちかごろで、>それまでは>たんに>ひとつの>じっけんてき>じじつとして>にんしきし、>りようしていただけであった。 >なんと>いっても>あまりこんざつの>はげしい>じこくには、>きたるでんしゃも>くる>でんしゃも、>ふつうの>いみの>まんいんは>とおりこした>とくべつの>ちょうえつてき>まんいんであるが、>それでもていりゅうじょに>たって、>ものの>じゅうぶんか>じゅうご>ふんも>かんさつしていると、>あいついでくる>くるまの>まんいんの>ていどに>おのずからな>いっていの>りつどうの>ある>ことに>きがつく。>ろくなな>だいも>まつ>あいだには、>かならずまんいんの>かくしゅの>へんかの>そうの>じゅんかんする>のを>みとめる>ことが>できる。 >このような>りつどうの>もっとも>せんめいに>みとめ>られる>のは、>それほどきょくたんには>こんざつしない、>まず>いわば>ちゅうとう>ていどの>こんざつを>しめす>じこくにおいてである。 >そういうじこくに、>こころみに>ある>ひとつの>ていりゅうじょに>たってみると、>いつでも>ほとんど>きまった>ように、>つぎの>ような>しゅう>き>てきの>げんしょうが>みとめ>られる。 >まず>ていりゅうじょに>きてみるとそこには>じゅうにん>ないし>にじゅう>にんの>むれが>あつまっている。>そうしてだいたすうの>ひとは>いずれも>ねっしんに>でんしゃの>くる>ほうこうを>きに>しておちつかない>ひょうじょうを>ろしゅつしている。>そのあいだに>むれの>にんずうは>だんだんに>ます>いっぽうである。>ごふんか>ななふんか>するとようやく>でんしゃが>くる。>するとおおぜ>いの>ひとびとは、>おりる>ひとを>まつだけの>じかん>さえ>おしむ>ように>さきを>あらそってのりこむ。>あたかも、>もう>それ>かぎりで、>あとから>くる>でんしゃは>えいきゅうに>ないかの>ように>あらそってのりこむ>のである。>しかしこういう>ばあいには>ほとんど>きまった>ように、>だいに>だいさんの>でんしゃが、>じかんに>してわずかに>すうじゅう>びょうながくて>にふん>いないの>かんかくを>おいて、>すぐあとから>つづいてくる。>だいいちの>では、>いりくちの>ふみだいまでも>ひとが>ぶらさがっているのに、>それが>まだはっしゃするか>しないくらいの>とき>おなじところに>きたる>だいにの>ものでは、>もう>つり>かわに>すがっている>ひとは>ほんの>いちにんか>ににんくらいであったり、>どうか>すると>ざせきに>くうかんが>できたり>する。>だいさんの>に>なると>おりる>ひとの>おりた>あとは>まるで>がら>あきの>くうしゃに>なる>ことも>けっして>めずらしくない。 >こういうすいた>くるまが>すうだい>つづくと、>それからまた>ごふん>あるいは>じゅうふんぐらいの>あいだは>しばらくくるまが>と>たえる。>そのあいだに>ていりゅうじょに>たつ>ひとの>かずは>ほぼ>いっていの>とうけいてき>ぞうかりつをもって>ましていく。>それが>にじゅう>にんさん>じゅうにんと>あつまった>ころに>やってくる>さいしょの>くるまは、>かならずすでに>はじめから>あるていどの>まんいんである。>それが>そこで>げしゃする>すうにんを>おろして、>しかして>にじゅう>にんさん>じゅうにんを>あらたに>しゅうようしなければならない>ことに>なる。>どうしても>のれなくてのり>そこねた>すうにんの>ふこうな>ひと>たちは、>さんじゅう>びょうも>まった>あとに、>あとから>きた>くるまの>ざせきに>ゆっくりこしを>かけて、>たとえばあつ>さの>ひならば、>あけはなった>まどから>ふき>はいる>すずかぜに>めを>ほそく>しながら、>えんりょなく>あしを>のばしてのっていく>のである。>そうしてもくてき>ちに>ついてみると、>すぐまえに>とまっている>だいいち>でんしゃは>あいかわらずまんいんで、>そのなかから>ひとと>ひととを>おしわけて、>どろたを>およぐ>ように>してやっと>げしゃする>ひと>たちと>ほとんど>どうじに>まち>じょうの>どを>ふむ>ような>ことも>めずらしくはない。 >わたしは>いつも>こうしたこんざつの>しゅう>き>てきな>はどうの「>みね」を>さけて「>たに」を>もとめる>ことに>している。>そうしてせいじょうな>ざせきに>ゆっくりこしを>かけて、>おちついた>きぶんに>なってざっしか>しょもつの>ような>ものを>よむ>ことに>している。>なみの>みねから>たにまで>まつ>ために>ついやす>じかんは>みじかい>ときで>すうじゅう>びょう、>ながくて>いちふんか>にぶんを>えつ>ゆる>ことは>まれな>くらいである。>そのあいだには>わたしは>そこらの>みせさきに>ある>しょうひんを>てんけんしたり、>あつまっている>ひと>たちの>かお>や>あるいはあおぞらに>うかぶ>くもの>けいたいを>けんきゅうしたり>する。>そうしたために>もし>このきんしょうな>じかんを>くうひしたとしても、>じょうしゃしてからの>すうじゅう>ふんかんに>からだを>きゅうそくさ>せ、>こういうときでなければちょっとよむ>きかいの>ない>ような>しゅるいの>よみものを>じゅうぺーじでも>よむと>すれば、>さしひき>して、>どうしても>このほうが>りえきであるとしか>おもわ>れない。>さらにわたしにとって>じゅうだいな>のは>げしゃごの>しんしんの>ひろうを>こうしてまぬかれる>ことである。 >もくてき>ちに>いちふん>ないし>にふん>はやく>とうちゃくする>ことが>それほどじゅうだいである>ような>ばあいは、>すくなくも>わたしの>ような>ものには>ほとんど>かいむであると>いっても>いい>のである。>わたしの>ような>ものでなくても、>げしゃごに>これくらいの>ときを>ろうひしないという>ほしょうを>し>うる>ひとが>なんにん>あるか>うたがわしい。 >このような>ことは>おそらく>わかり>きった>ことであって、>だれでも>しり>きっている>ことでなければならない。>それ>にもかかわらず、>だいたすうの>とうきょう>しない>でんしゃの>じょうきゃくは、>ながい>きゅうしの>あとに>くる>さいしょの>まんいん>でんしゃに>さきを>あらそってのらなければきが>すまない>ように>みえる。>これは>じぶんの>ような>ものには>ほとんど>りょうかいの>できない>こころもちであるが、>しかしよく>かんがえてみると、>これが>あるいはわが>こくみん>せいの>なにかの>ちょうしょと>いんねんが>あるかも>しれない。>たとえばにっぽんじんが>せんそうに>つよいと>いう>ような>じじつと>どこかで>れんかんしている>のかも>しれない。>あるいはまたいわゆる>げんだい>しそうと>しょうせ>ら>るる>ばくぜんとした>ものの>なんらかのぐしょう>てき>はつげんであるかも>しれない。>これについては>けいそつな>ひはんを>さけなければならない。 >しかしここで>わたしの>かんがえてみたいと>おもう>ことは、>そういうだいたすうの>こういの>ぜひの>もんだいではなくて、>そういういっぱん>じょうきゃくの>けいこうから>ひつぜんの>けっかとして>おこる>でんしゃ>こんざつの>りつどうにかんする>かがく>てき>あるいはすうり>てきの>もんだいである。 >もんだいを>かんたんに>する>ために、>つぎの>ような>ばあいを>かんがえてみる。>すなわち、>あるしゅうてんから>ある>いっていじかん>ごとに>はっしゃする>でんしゃが、>みな>いちような>そくどで>しんこうし、>またとちゅうの>ていりゅうじょでも>いっていじかんだけ>ていしゃする>ように>きていさ>れたと>する。>もし>このきていが>かんぜんに>じっこうさ>れれば、>そのせんろの>うえの>にんいの>いちてんを>でんしゃが>あいついでつうかする>じかん>かんかくは、>やはり>どれも>どういつでなければならない。>しかるに>じっさいうえは、>避>くべから>ざる>ざったの>ふくざつな>ぐうぜん>てき>げんいんの>ために、>このいっていであるべき>かんかくに>すこしずつの>いどうを>しょうじ、>りそう>てきには>たとえばてぃーであるべき>かんかくが>T+でるたてぃーと>なる。>このでるたてぃーは>せいふ>だいしょう>しゅじゅであって、>いわゆるがうすの>ごさ>かた>そく、>またはるいじの>かた>そくによって>ぶんぷさ>れる>ものであろう。>ひらたく>いえばはや>すぎる>のや>おそ>すぎる>のが>いろいろに>さくそうこうたいしてくる>わけである。>それに>かかわらず>へいきんの>かんかくは>やはりてぃーである>ことは>もちろんである。>すなわちでるたてぃーの>そうわは>れいに>なる>わけである。 >あるていりゅうじょに>でんしゃが>とうちゃくする>じこくの>そごの>じょうきょうは、>もし>ここの>くるまの>そくど>ならびにていりゅうじかんの>へいきんごさが>あたえ>られれば、>よういに>けいさんする>ことが>できるが、>ようするに>しゅっぱつてんからの>きょりが>おおきく>なるほど>おおきく>なる>のは>あきらかである。>だいたいにおいては>しゅっぱつてんからの>きょりの>へいほうこんに>ひれいすると>みてたいさはあるまい。 >だいしょう>しゅじゅな>じかん>ごさでるたてぃーが>どういうじゅんじょに>あいついでおこるかと>いう>ことも>やはり>またいっしゅの「>ぐうぜんの>かた>そく」に>しはいさ>れる。>このかた>そくは>あまりかんたんでないがまず>だいたいにおいては>へいきん>さんだい>めか>よんだい>め>ごとに>めだってはや>すぎる>もの>あるいはおそ>すぎる>ものが>くる>ことに>なる>のである。 >いじょうは>じょうきゃくという>いんしを>ぜんぜんどがいししての>ぎろんであるが、>つぎに>このいんしを>こうりょに>くわえると、>どうなるかという>もんだいに>うつる。 >じょうきゃくが>たんい>じかん>ないに>ひとつの>ていりゅうじょに>あつまってくる>わりあいは、>だいたいにおいては>それぞれの>じこくと>ばしょにより>おのおの>いっていの>へいきんち(>たとえばえぬ)が>あって、>じっさいうえは>やはり>そのへいきんちの>ちかくに>ぐうぜん>てき>へんいを>しめす>ものと>かんがえても>ふつごうはない。>そうするとひとつの>でんしゃが>しゅうようすべき>にんずうは、>へいきんじょう、>すぐまえの>でんしゃ>かぶとが>そこを>はっしゃしてからの>けいかじかんに>ひれいする>ものと>かんがえても>いい。>それでもし>かぶとの>でんしゃが>へいきんよりえい>だけ>はやく>でた>あとに>きた>おつ>でんしゃがびー>だけ>おそく>はっしゃすると、>おつ>でんしゃは>へいきんよりも>na+bだけ>おおくの>ひとを>しゅうようしなければならない>ことに>なる。 >あまりくわしい>けいさんなどは>りゃくして、>ごく>がいりゃくに>かんがえても、>ようするに>すこしおくれてていりゅうじょに>きた>くるまは、>すこしはやめに>そこに>きた>くるまよりも>とうけいてきに>たすうの>じょうきゃくを>しゅうようしなければならない>ことは>あきらかである。 >もちろん>げしゃする>ひとの>ことも>かんがえなければならないが、>いまの>もんだいには>これを>抽>き>さってかんがえる。 >そこでこの>ように>してしょうじる>じょうきゃく>すうの>たしょうが>でんしゃの>ていりゅうじかんに>いかなるえいきょうを>およぼすかを>つぎに>かんがえてみる。>じょうきゃくが>おおければおおい>ほど>これは>ながく>なる。>たとえ>それが>みんな>おとなしい>しんしばかりであっても、>のりこみに>ようする>じかんは>にんずうとともに>ます。>もし>げしゃする>ひとを>またずに>むりに>おしいろうと>したり、>あるいはしゃしょうと>あらそったり>する>ようだと>さらにていしゃじかんは>えんちょうさ>れる。>このように>してていりゅうじかんの>えんちょうした>けっかは>どうであるか。 >これは、>いうまでもなく>このおつ>でんしゃが>つぎの>ていりゅうじょに>ちゃくすべき>じかんを>おくらせる。>したがってつぎの>ていりゅうじょで>そのちこくの>ために>よけいに>しゅうようしなければならない>ぜんじゅつのえぬびーの>かずを>ぞうかさ>せる。>そのけっかは>さらにじゅんかんてきに、>そのつぎの>ていりゅうじょに>つく>じこくを>おくらせる、えいえぬでぃーえすおーおーえぬで、>このおつ>でんしゃの>こんざつは>だんだんに>ますばかりである。>もっとも>かんたんな>りそう>てきの>ばあいだと、>ていしゃかいすうに>ひとしい>羃>すうで>しゅうようにんずうが>ぞうかする>わけである。>じっさいには>くるまの>ようりょうに>せいげんさ>れるから、>そうむせいげんには>まさないだろうが、>ともかくも、「>こんだ>くるまは>ますますこむ>ような>けいこうを>もつ」という>けつろんには>たいしたごびゅうはない>はずである。 >こののろわ>れた>おつ>でんしゃの>つぎに>くる>へい>でんしゃは>どうであるか、>このへい>でんしゃが>だいいちの>ていりゅうじょに>くる>じこくが>きていの>じかん>どおりであったと>すると、>まえの>おつ>でんしゃがびー>とき>かん>おくれてくれた>おかげで、>へいきんよりはえぬびー>だけ>すくない>にんずうを>しゅうようすればよい>ことに>なる。>もし>このへい>でんしゃが>きていよりしー>とき>かん>おくれたとしても、>おつが>おくれなかった>ばあいよりは>やはりえぬびー>だけ>かじょう>しゅうようすうが>へる>わけである。>もし>へいが>きていよりしー>だけ>はやければ、>このでんしゃは>nb+cだけ>すくない>にんずうを>しゅうようしただけで>はっしゃが>できる。>このけっかは>どうなるか。>これは>あきらかに>おつ>へい>でんしゃの>かんかくを>しだい>しだいに>げんしょうし、>したがっておつの>こんざつと>へいの>くうきょを>ますますいちじるしく>する>ことに>きちゃくしていく>のである。 >ながい>せんろの>うえに>はじめ>とうかんかくに>はいれつさ>れた>でんしゃが、>うんてんにつれて>かんかくに>ふどうを>しょうじる。>そうしておくれる>ものと>すすむ>ものとが>とうけいじょう>さんまたは>よんの>へいきんしゅう>きで>あらわれると>すると、>じゃっかん>じの>あとに>じつげんさ>れる>うんてんじょうきょうは、>わたしが>このへんの>はじめに>きじゅつしたと>だいたい>おなじように>なる>わけである。>すなわち>さんよん>だいの>しゅう>きで、>いちじるしい>まんいん>しゃが>くりかえさ>れ、>それに>つぐ>にさん>だいは>これに>かかとを>せっして、>だんだんに>くうせきの>おおい>ものに>なる。>そうしてふたたびながい>かんかくを>おいて、>またおなじ>ことが>くりかえさ>れる>のである。 >いじょうは、>こと>がらを>できるだけ>かんたんに>ちゅうしょうしてえ>られた>りろん>じょうの>けっかである。>じっさいうえは、>いじょうの>ほかに>なお>あわせ>かんがえるべき>いくたの>いんしの>たすうに>ある>ことは>もちろんである。>しかしいじょうの>こうさつは>これら>いんし>ちゅうの>もっとも>じゅうようなる>ものに>かんした>もので、>これからの>けつろんが>だいたいにおいて>じじつと>あまりにけんかくした>ものではないと>いう>ことも>きょようさ>れるだろうと>しんじる。 >わたしは>このような>かんがえを>ただす>もくてきで、>ときどき|>もよりの>ていりゅうじょに>たって、>かいちゅうどけいを>てに>しては、>そこを>つうかする>でんしゃの>とらんしっとを>はかってみた。>その>いちれいとして>さる>ろくがつ>じゅうきゅう>にちの>ばん、>じんぼうちょうの>ていりゅうじょ>ちかくで>はちじ>ごろから>すうじゅう>ふんかん|>すがも>みた>かんを>おうふくする>でんしゃについて>おこなった>かんそくの>けっかを>つぎに>かかげてみよう。>ひょう>ちゅうの>じこくは、>どうていりゅうじょから>みなみへ>いちまちぐらいの>いっていてんを>つうかする>ときを>よんだ>ものである。>じかんの>したに>ふした>ふごうは>じょうきゃくの>たしょうを>しめす>もので、>これは>ほんのけんとうだけの>ものである。○は>いわゆるふつうの>まんいん、△は>ざせきは>ほぼ>まんいんだがつり>かわは>だいぶぶん>すいている>ていど、かけるは>くうせきの>おおい>いわゆるが>ら>あきの>ものである。◎は>きょくたんな>まんいん、かけるかけるは>にさん>にんぐらいしか>いない>ものを>しめす。 >このひょうで>みると、>たとえば>ごふん>ごとに>とおる>くるま>すうは>かなりの>へんかが>あるに>かかわらず、>そのへいきんすうは>きた>いき>みなみ>いき>ともに>ほぼ>どうようで、>やくに>ふんはんに>いちだいの>わりあいである。>しかしじっさいの>ここの>じかん>かんかくは、>みなみ>いきの>さいしょにおける>じゅういち>ふんさん>びょうぷらすという>きょくたんから、>わずか>じゅうに>びょうという>みじかい>きょくたんまで>へんかしている。>しかして>たしょうの>じょがいれいは>あるに>しても、>だいたいにおいて>ながい>かんかくの>あとには>ひかくてき>こんざつした>くるまが>くる>こと、>みじかい>かんかくの>あとには>すいた>くるまが>くる>ことが>わかるだろう。 >いま>これら>かくしゅの>かんかくの>ひんどについて>とうけいしてみると>つぎの>とおりである。>よんふん>いじょう    >よんかい  >│  >にふん>いか   >にさん>かいさん>ふんいじょう    >きゅうかい  >│  >いちふん>いか   >いちいち>かいに>ふんいじょう    >いちご>かい  >│  >よんじゅう>びょういか  >ごかい >これで>わかる>ように、>かんかくの>かいすうから>いうと、>ながい>かんかくの>かずは>いったいに>すくなくて、>みじかい>ものが>おおい。>ぜんたい>さんじゅう>はちかんかくの>なかで、>よんふん>いじょうの>ものは>よんかい、>すなわちぜんたいの>やくいち>わりぐらいの>ものである。>しかしここで>ごかいしてならない>ことは、>じょうきゃくが>これらの>ちょうたん>かんかくの>いずれに>そうぐうする>きかいが>おおいかという>もんだいと>なると、>これは>べつものに>なる>のである。>このてんを>あきらかに>するには、>かくかんかくの>かいすうに、>そのかんかくの>じかんを>じょうじた>せきの>わを>ひかくしてみなければならない。>こんこころみに>かんかくを>いちふん>ごとに>くべつぶんるいして、>かくくぶんないの>かんかく>かいすうに>そのくぶんの>へいきんじかん>すうを>じょうじたもののわを>もとめてみると、>かりに>ごふん>いじょうの>かんかくを>どがいししてけいさんしてみても、>にふん>いかの>ものにたいして>にふん>いじょう>ごふんまでの>ものの>このせきぶんの>ひは>にさん、>ごと>よんろく、>ご>すなわち>やくいちと>にの>ひに>なる。>もし>これに>ときどき>おこる>ごふん>いじょうの>かんかくを>くわえてけいさんすると、>このけんかくは>さらにいちじるしく>なる。 >これは>なにを>いみするか。 >ここの>じょうきゃくが>まったくぐうぜん>てきに>ひとつの>ていりゅうじょに>とうちゃくした>ときに、>ある>とくべつな>かんかくに>そうぐうするという>かくりつは、>あらゆるしゅるいの>かんかく>じかんと>そのかいすうとの>そうじょうせきの>そうわにたいする>そのとくべつな>かんかくの>かいすうと>じかんとの>せきの>ひで>あたえ>られる。>そこでたとえばまえの>れいについて>いえば>にふん>いかの>かんかくに>とびこむ>きかいは>さんどに>いちどで、>にふん>いじょう>ごふんまでの>ながい>かんかくに>ぶつかる>ほうは>さんどに>にどの>わりあいに>なる。>じっさいは>ごふん>いじょうの>ものが>かんじょうに>くわわるからおそらく>このわりあいは>よんどに>さんどぐらいに>なる>ばあいが>おおいだろうと>おもわ>れる。(>ていりゅうじょで>まつ>じかんの>かくりつを>ろんじるには、>もうすこしたちいる>ひつようが>あるが、>これは>りゃくしてのべない。)>いじょうは>ただ>いちれいに>すぎないが、>わたしの>かんそくした>そのたの>ばあいにも、>だいたい>これと>どうような>すうせいが>みとめ>られる>のである。 >それでともかくも、>まったくこりょなしに>いつでも>らいかかった>さいしょの>でんしゃに>とびのる>ひとにとっては、>すいたのにうまく>いき>あう>きかいが>すくなくて、>こんだ>のに>のる>きかいが>いちじるしく>おおい。>そういうけいけんの>きおくが>しぜんに>ひとびとの>あたまに>しみこむ。>おそらく>こみあっていた>たすうの>ばあいの>きおくは、>まれに>すいていた>しょうすうの>ばあいの>きおくよりも>つよく>しるし>めい>せら>れると>すると、>いじょうの>ひれいの>けんかくは、>しんり>てきに>へんかを>うけ、>かならずいくぶんか>こちょうさ>れてあたまに>のこるかも>しれない。>したがっておおくの>ひとは>ついつい>すいた>でんしゃの>そんざいを>わすれて、>すべての>ものが>まんいんである>ような>いんしょうを>もつ>ことに>なるかも>しれない。 >このさいごの>てんは>ふたしかだと>しても、>つぎの>けつろんは>まぬかれ>がたい、>すなわち「>らいかかった>さいしょの>でんしゃに>のる>ひとは、>すいた>くるまに>あう>きかいよりも>こんだ>のに>のる>きかいの>ほうが>かなりに>おおい。」 >このように>して、>こんだ>くるまには>ますますおおくの>ひとが>のると>すれば、>このでんしゃは>ますますきていじかんよりも>おくれる>ために、>さらにまたこんざつを>ます>かんじょうである。 >これを>せんじつめるとさいごに>でてくる>けつろんは>みょうな>ものに>なる。>すなわち「>だいいちに、>とうきょう>しない>でんしゃの>じょうきゃくの>だいたすうは――>たとえ>むいしきとは>いえ――>みずから>もとめてまんいん>でんしゃを>えらんでのっている。>だいにには、>そうする>ことによって、>みずから>それらの>まんいん>でんしゃの>まんいん>こんざつの>ていどを>ますますぞうしんする>ように>どりょくしている。」 >これは>いっけん>ぱらどくしかるに>きこえるかも>しれないが、>いじょうの>りろんの>とうぜんの>きけつとして>どうしても>やむをえない>ことである。>もし>これが>おかしいと>おもわ>れるなら、>それは>わたしの>ぎろんが>おかしい>のではなくて、>そういうじじつが>おかしい>のであろう。 >それでもし>このような>かたより>がちの>うんてんじょうきょうを>さけて、>もうすこしきんとうな>ぶんぱいを>えたいと>いうならば、>そのために>とるべき>ほうほうは>りろん>じょうからは>かんたんである。>だいいちには>でんしゃの>しゃしょう>なり>かんとくなりが、>ていいんの>れいこうを>きょうこうする>ことも>ひつようであるが、>それよりも、>じょうきゃく>じしんが、>いき>あたった>さいしょの>くるまに>どうでも>のるという>ようきゅうを>いくぶんでも>ひかえて、>さんじゅう>びょうないし>にふんぐらいの>きちょうな>じかんを>ぎせいに>しても、>つぎの>すいた>でんしゃに>のる>ような>ほうしんを>とる>のが>しょうけいである。>これが>ために>うしなわ>れた>さんじゅう>びょうないし>にふんの>うめあわせは>おそらく>もくてき>ちに>つく>まえに>すでに>ついてしまい>そうに>おもわ>れる。 >しかしまんいん>でんしゃを>きらうか>すくかは「>しゅみ」の>もんだいであろうから、>たすうの>じょうきゃくが>もし>まんいん>でんしゃに>さきを>あらそってのる>ことに>とくべつな>きょうみと>きょうらくを>かんじるならば、>それは>いたしかたが>ない。>そのしゅみの>ぜひを>ろんじる>ための>ひょうじゅんは>すうりや>かがくからは>もとめ>られない。 >むかしは、>ひとに>みちを>ゆずり、>ひとと>り>ふくを>わかつと>いう>ことが>びとくの>ひとつに>かぞえ>られた。>いまでは>それは>どうだか>わかり>かねる。>しかしそういう>びとくの>もんだいなどは>しばらくおいて、>たんに>こうり>てき>ないしりこ>てきの>たちばから>かんがえても、>すくなくも>でんしゃの>ばあいでは、>まんいん>しゃは>ひとに>ゆずって、>いちほ>おくれてすいた>くるまに>のる>ほうが、>じぶんの>ため>のみ>ならず>ひとの>ためにも>べんりで>あり「>のうりつ」の>いい>しょぎょうである>ように>おもわ>れる。>すくなくも>こんざつにたいする>とくべつな「>しゅみ」を>もたない>ひとびとにとっては>そうである。 >これは>よだんではあるが、>よく>かんがえてみると、>いわゆるじんせいの>こうろにおいても>ぞんがい>このでんしゃの>もんだいと>よく>にた>もんだいが>おおい>ように>おもわ>れてくる。>そういうばあいに、>やはり>どうでも>さいしょの>まんいん>でんしゃに>のろうという>りゅうぎの>ひとと、>すこしまっていてつぎの>くるまを>まちあわせようという>ひととの>にどおりが>ある>ように>みえる。 >このような>ばあいには>こと>がらが>あまりにふくざつで、>かんたんな>すうがくなどは>おうようする>すじみちさえ>わからない。>したがってでんしゃの>ばあいの>るいすいが>どこまで>てきようするか、>それは>まったくそうぞうも>できない。>したがってなおさらの>こと>このふたつの>ほうしん>あるいはりゅうぎの>ぜひぜんあくを>はんだんする>ことは>ひじょうに>こんなんに>なる。 >これは>おそらく>だれにも>むつかしい>もんだいであろう。>おそらく>これも>ぎろんには>ならない「>しゅみ」の>もんだいかも>しれない。>わたしは>ただついでながらでんしゃの>もんだいと>よく>にた>もんだいが>たにも>あると>いう>ことに>ちゅういを>うながしたいと>おもうまでである。>檸>檬>かじい>もとじろう >えたいの>しれない>ふきつな>かたまりが>わたしの>こころを>しじゅう|>圧>え>つけていた。>しょうそうと>いおうか、>けんおと>いおうか――>さけを>のんだ>あとに>しゅくすいが>ある>ように、>さけを>まいにち>のんでいると>しゅくすいに>そうとうした>じきが>やってくる。>それが>きた>のだ。>これは>ちょっといけなかった。>けっか>した>はいせん>かたるや>しんけい>すいじゃくが>いけない>のではない。>またせを>やく>ような>しゃっきんなどが>いけない>のではない。>いけない>のは>そのふきつな>かたまりだ。>いぜん>わたしを>よろこば>せた>どんなうつくしい>おんがくも、>どんなうつくしい>しの>いっせつも>しんぼうが>ならなく>なった。>ちくおんきを>きか>せてもらいに>わざわざでかけていっても、>さいしょの>にさん>しょうせつで>ふいに>たちあがってしまいたく>なる。>なにかが>わたしを>い>たまらず>さ>せる>のだ。>それでしじゅうわたしは>まちから>まちを>ふろうし>つづけていた。 >なぜだか>そのころ>わたしは>み>すぼら>し>くてうつくしい>ものに>つよく>ひきつけ>られた>のを>おぼえている。>ふうけいに>しても>こわれ>かかった>まちだとか、>そのまちに>しても>よそよそしい>おもてどおりよりも>どこか>したしみの>ある、>きたない>せんたくぶつが>ほしてあったり>がらくたが>ころがしてあったり>むさくるしい>へやが>のぞいていたり>する>うらどおりが>すきであった。>あめや>かぜが>むしばんでやがて>どに>かえってしまう、と>いった>ような>おもむきの>ある>まちで、>どべいが>くずれていたり>やなみが>かたむき>かかっていたり――>いきおいの>いい>のは>しょくぶつだけで、>ときと>すると>びっくりさ>せる>ような>ひまわりが>あったり>かんなが>さいていたり>する。 >ときどきわたしは>そんなみちを>あるきながら、>ふと、>そこが>きょうとではなくてきょうとから>なんひゃく>りも>はなれた>せんだいとか>ながさきとか――>そのような>しへ>こんじぶんが>きている>のだ――という>さっかくを>おこそうと>つとめる。>わたしは、>できる>ことなら>きょうとから>にげだしてだれ>いちにん>しらない>ような>しへ>おこなってしまいたかった。>だいいちに>あんせい。>がらんと>した>りょかんの>いっしつ。>せいじょうな>ふとん。>においの>いい>かやと>のりの>よく>きいた>ゆかた。>そこでいちがつ>ほど>なにも>おもわず>よこに>なりたい。>のぞみ>わくは>ここが>いつのまにか>そのしに>なっている>のだったら。――>さっかくが>ようやく>せいこうし>はじめると>わたしは>それからそれへ>そうぞうの>えのぐを>ぬりつけてゆく。>なんの>ことはない、>わたしの>さっかくと>こわれ>かかった>まちとの>にじゅう>うつしである。>そしてわたしは>そのなかに>げんじつの>わたし>じしんを>みうしなう>のを>たのしんだ。 >わたしは>またあの>はなびという>やつが>すきに>なった。>はなび>そのものは>だいに>だんとして、>あのやすっぽい>えのぐで>あかや>むらさきや>きや>あおや、>さまざまの>しま>もようを>もった>はなびの>たば、>なかやまでらの>ほし>くだり、>はな>かっせん、>かれすすき。>それからねずみ>はなびという>のは>ひとつずつ>わに>なっていてはこに>つめてある。>そんなものが>へんに>わたしの>こころを>唆>った。 >それからまた、>び>い>どろという>いろ|>がらすで>たいや>はなを>うちだしてある>おはじきが>すきに>なったし、>なんきんだまが>すきに>なった。>またそれを>なめてみる>のが>わたしにとって>なんとも>いえない>きょうらくだった>のだ。>あ>のび>い>どろの>あじほど>かすかな>すずしい>あじが>ある>ものか。>わたしは>おさない>とき>よく>それを>くちに>いれては>ちちははに>しから>れた>ものだが、>そのようじの>あまい>きおくが>おおきく>なっておち>魄>れた>わたしに>そ>えってくる>ゆえだろうか、>まったくあの>あじには>かすかな>さわやかな>なんとなくし>びと>いった>ような>みかくが>ただよってくる。 >さっしは>つくだろうがわたしには>まるで>きんが>なかった。とは>いえ>そんなものを>みてすこしでも>こころの>うごき>かけた>ときの>わたし>じしんを>なぐさめる>ためには>ぜいたくという>ことが>ひつようであった。>にせんや>さんせんの>もの――と>いってぜいたくな>もの。>うつくしい>もの――と>いってむきりょくな>わたしの>しょっかくに>むしろ>こびてくる>もの。――>そういった>ものが>しぜん>わたしを>なぐさめる>のだ。 >せいかつが>まだむしばま>れていなかった>いぜん>わたしの>すきであった>ところは、>たとえばまるぜんであった。>あかや>きの>おー>どころんや>おーどきにん。>しゃれた>きりこ>ざいくや>てんがな>ろここ>しゅみの>浮>もようを>もった>こはく>しょくや>ひすい>しょくの>こうすい>びん。>えんかん、>こがたな、>せっけん、>たばこ。>わたしは>そんなものを>みる>のに>しょういち>じかんも>ついやす>ことが>あった。>そしてけっきょく>いちとう>いい>えんぴつを>いちほん>かうくらいの>ぜいたくを>する>のだった。>しかしここも>もう>そのころの>わたしにとっては>おも>くるしい>ばしょに>すぎなかった。>しょせき、>がくせい、>かんじょうだい、>これらは>みな>しゃっきんとりの>ぼうれいの>ように>わたしには>みえる>のだった。 >ある>ちょう――>そのころ>わたしは>かぶとの>ともだちから>おつの>ともだちへという>ふうに>ともだちの>げしゅくを>てんてんとして>くらしていた>のだが――>ともだちが>がっこうへ>でてしまった>あとの>くうきょな>くうきの>なかに>ぽつねんと>いちにん>とりのこさ>れた。>わたしは>またそこから>ほうこうい>でなければならなかった。>なにかが>わたしを>おいたてる。>そしてまちから>まちへ、>さきに>いった>ような>うらどおりを>あるいたり、>だがし>やの>まえで>たち>とまったり、>かんぶつ>やの>いぬい>えびや>ぼうだらや>ゆばを>ながめたり、>とうとう>わたしは>にじょうの>ほうへ>てら>まちを>おり、>そこの>くだもの>やで>あしを>とめた。>ここで>ちょっとその>くだもの>やを>しょうかいしたい>のだが、>そのくだもの>やは>わたしの>しっていた>はんいで>もっとも>すきな>みせであった。>そこは>けっして>りっぱな>みせではなかった>のだが、>くだもの>や>こゆうの>うつくし>さが>もっとも>ろこつに>かんぜ>られた。>くだものは>かなり>こうばいの>きゅうな>だいの>うえに>ならべてあって、>そのだいという>のも>ふるびた>くろい>うるし>ぬりの>いただった>ように>おもえる。>なにか>はなやかな>うつくしい>おんがくの>かいそく>ちょうの>ながれが、>みる>ひとを>いしに>かしたという>ごるごんの>きめん――>てきな>ものを>さし>つけ>られて、>あんな>しきさいや>あんな>ヴぉりうむに>こりかたまったという>ふうに>くだものは>ならんでいる。>あおものも>やはり>おくへ>ゆけばゆくほど>うずたか>たかく>つま>れている。――>じっさいあそこの>にんじん>はの>うつくし>さなどは>もと>はれ>しかった。>それからみずに>つけてある>まめだとか>くわいだとか。 >またそこの>いえの>うつくしい>のは>よるだった。>てらまち>どおりは>いったいに>にぎわいかな>とおりで――と>いってかんじは>とうきょうや>おおさかよりは>ずっと>すんでいるが――>かざり>まどの>ひかりが>おびただしく>がいろへ>ながれでている。>それが>どうした>わけか>そのてんとうの>しゅういだけが>みょうに>くらい>のだ。>もともとかたほうは>くらい>にじょうどおりに>せっしている>まちかどに>なっているので、>くらい>のは>とうぜんであったが、>そのりんかが>てらまち>どおりに>ある>いえにも>かかわらず>くらかった>のが>りょうぜん>しない。>しかしその>いえが>くらくなかったら、>あんなにも>わたしを>ゆうわくするには>いたらなかったと>おもう。>もう>ひとつは>そのいえの>うちだした>ひさしな>のだが、>そのひさしが>め>ふかに>かんむり>った>ぼうしの>ひさしの>ように――>これは>けいようと>いうよりも、「>おや、>あそこの>みせは>ぼうしの>ひさしを>やけに>さげているぞ」と>おもわ>せるほどなので、>ひさしの>うえは>これも>まっくらな>のだ。>そうしゅういが>まっくらな>ため、>てんとうに>てん>けら>れた>いくつ>もの>でん>燈が>しゅううの>ように>あびせかける>けんらんは、>しゅういの>なにものにも>うばわ>れる>こと>なく、>ほしい>ままにも>うつくしい>ながめが>てらし>ださ>れている>のだ。>はだかの>でん>燈が>ほそながい>らせん>ぼうを>きりきり>めの>なかへ>さし>こんでくる>おうらいに>たって、>またきんじょに>ある>鎰>やの>にかいの>がらす>まどを>すかしてながめた>このくだもの>てんの>ながめほど、>そのときどきの>わたしを>きょうがら>せた>ものは>てらまちの>なかでも>まれだった。 >そのひ>わたしは>いつに>なく>そのみせで>かいものを>した。という>のは>そのみせには>めずらしい>檸>檬が>でていた>のだ。>檸>檬など>ごく>ありふれている。>がその>みせという>のも>み>すぼら>し>くはないまでも>ただあたりまえの>やおやに>すぎなかった>ので、>それまで>あまりみかけた>ことはなかった。>いったい>わたしは>あの檸>檬が>すきだ。>れもんえろうの>えのぐを>ちゅーぶから>しぼり>だしてかためた>ような>あのたんじゅんな>いろも、>それからあの>たけの>つまった>ぼうすいけいの>かっこうも。――>けっきょく>わたしは>それを>ひとつだけ>かう>ことに>した。>それからの>わたしは>どこへ>どうあるいた>のだろう。>わたしは>ながい>あいだ>まちを>あるいていた。>しじゅうわたしの>こころを>圧>え>つけていた>ふきつな>かたまりが>それを>にぎった>しゅんかんから>いくらか>たるんできたと>みえて、>わたしは>まちの>うえで>ひじょうに>こうふくであった。>あんなにしつよう>かった>ゆううつが、>そんなものの>いち顆で>まぎらさ>れる――>あるいはふしんな>ことが、>ぎゃくせつ>てきな>ほんとうであった。>それにしてもこころという>やつは>なんという>ふかしぎな>やつだろう。 >その檸>檬の>つめた>さは>たとえ>ようも>なく>よかった。>そのころ>わたしは>はいせんを>わるく>していていつも>しんたいに>ねつが>でた。>じじつ>ともだちの>だれかれに>わたしの>ねつを>みせびらかす>ために>ての>にぎり>あいなどを>してみる>のだが、>わたしの>てのひらが>だれの>よりも>あつかった。>そのあつい>ゆえだった>のだろう、>にぎっている>てのひらから>みうちに>ひた>み>とおってゆく>ような>そのつめた>さは>こころよい>ものだった。 >わたしは>なんども>なんども>そのかじつを>はなに>もっていっては>かいでみた。>それの>さんちだという>かりふぉるにやが>そうぞうに>のぼってくる。>かんぶんで>ならった「>うり>柑>しゃ>これ>げん」の>なかに>かいてあった「>はなを>なぐつ」という>ことばが>ことわれ>ぎ>れ>に>うかんでくる。>そしてふかぶかと>むね>いっぱいに>におやかな>くうきを>すいこめば、>ついぞ>むね>いっぱいに>こきゅうした>ことの>なかった>わたしの>しんたいや>かおには>ぬくい>ちの>ほとぼりが>のぼってきてなんだか>みうちに>げんきが>めざめてきた>のだった。…… >じっさいあんな>たんじゅんな>ひや>さとしや>しょっかくや>きゅうかくや>しかくが、>ずっと>むかしから>こればかり>さがしていた>のだと>いいたく>なった>ほど>わたしに>しっくりしたなんて>わたしは>ふしぎに>おもえる――>それが>あのころの>ことな>んだから。 >わたしは>もう>おうらいを>かろやかな>こうふんに>はずんで、>いっしゅ>ほこりかな>きもちさえ>かんじながら、>びてき>しょうぞくを>してまちを>濶>ふ>した>しじんの>ことなど>おもいうかべては>あるいていた。>よごれた>てぬぐいの>うえへ>のせてみたり>まんとの>うえへ>あてがってみたり>していろの>はんえいを>はかったり、>またこんな>ことを>おもったり、 ――>つまりは>このおも>さ>なんだな。―― >そのおも>さこそ>つねづ>ね>たずね>あぐんでいた>もので、>うたがいも>なく>このおも>さは>すべての>よい>もの>すべての>うつくしい>ものを>じゅうりょうに>かんさんしてきた>おも>さであるとか、>おもい>あがった>かいぎゃく>こころからそんな>ばかげた>ことを>かんがえてみたり――>なにが>さてわたしは>こうふくだった>のだ。 >どこを>どうあるいた>のだろう、>わたしが>さいごに>たった>のは>まるぜんの>まえだった。>へいじょうあんなにさけていた>まるぜんが>そのときの>わたしには>やすやすと>いれる>ように>おもえた。「>きょうは>ひとつ>はいってみてやろう」>そしてわたしは>ずかずか>はいっていった。 >しかしどうした>ことだろう、>わたしの>こころを>みたしていた>こうふくな>かんじょうは>だんだんにげていった。>こうすいの>びんにも>えんかんにも>わたしの>こころは>のしかかっては>ゆかなかった。>ゆううつが>たて>罩>めてくる、>わたしは>あるき>めぐった>ひろうが>でてきた>のだと>おもった。>わたしは>え>ほんの>たなの>まえへ>おこなってみた。>がしゅうの>おもたい>のを>とりだす>の>さえ>つねに>ましてちからが>いるな! と>おもった。>しかしわたしは>いちさつずつ>ぬきだしては>みる、>そしてあけては>みる>のだが、>こくめいに>はぐってゆく>きもちは>さらにわいてこない。>しかものろわ>れた>ことには>またつぎの>いちさつを>ひきだしてくる。>それも>おなじことだ。>それでいていちど>ばらばらと>やってみなくては>きが>すまない>のだ。>それ>いじょうは>たまらなく>なってそこへ>おいてしまう。>いぜんの>いちへ>もどす>ことさえ>できない。>わたしは>いくども>それを>くりかえした。>とうとう>おしまいには>ひごろから>だいすきだった>あんぐるの>だいだいいろの>おもい>ほんまで>なお>いっそうの>たえがた>さの>ために>おいてしまった。――>なんという>のろわ>れた>ことだ。>ての>きんにくに>ひろうが>のこっている。>わたしは>ゆううつに>なってしまって、>じぶんが>ぬいた>まま>つみかさねた>ほんの>ぐんを>ながめていた。 >いぜんには>あんなにわたしを>ひきつけた>え>ほんが>どうした>ことだろう。>いちまい>いちまいに>めを>さらし>おわってあと、>さてあまりにじんじょうな>しゅういを>みまわす>ときの>あのへんに>そぐわない>きもちを、>わたしは>いぜんには>このんであじわっていた>ものであった。……「>あ、>そうだ>そうだ」>そのとき>わたしは>たもとの>なかの>檸>檬を>憶>い>だした。>ほんの>しきさいを>ごちゃごちゃに>つみ>あげて、>いちど>この檸>檬で>ためしてみたら。「>そうだ」 >わたしに>またさきほどの>かろやかな>こうふんが>かえってきた。>わたしは>てあたり>しだいに>つみ>あげ、>またあわただしく>つぶし、>またあわただしく>きずき>あげた。>あたらしく>ひきぬいてつけくわえたり、>とりさったり>した。>きかいな>げんそうてきな>しろが、>そのたびに>あかく>なったり>あおく>なったり>した。 >やっと>それは>できあがった。>そしてかるく>跳り>あがる>こころを>せいしながら、>そのじょうへきの>いただきに>おそるおそる檸>檬を>すえつけた。>そしてそれは>じょうできだった。 >み>わたすと、>その檸>檬の>しきさいは>がちゃがちゃ>した>いろの>かい>ちょうを>ひっそりと>ぼうすいけいの>しんたいの>なかへ>きゅうしゅうしてしまって、>かーんと>さえ>かえっていた。>わたしは>ほこり>っぽい>まる>ぜんの>なかの>くうきが、>その檸>檬の>しゅういだけ>へんに>きんちょうしている>ような>きが>した。>わたしは>しばらくそれを>ながめていた。 >ふいに>だいにの>あいでぃあが>おこった。>そのきみょうな>たくらみは>むしろ>わたしを>ぎょっと>さ>せた。 ――>それを>そのままに>しておいてわたしは、>なに>くわぬ>かおを>してそとへ>でる。―― >わたしは>へんに>くすぐったい>きもちが>した。「>でていこうかなあ。>そうだでていこう」>そしてわたしは>すたすた>でていった。 >へんに>くすぐったい>きもちが>まちの>うえの>わたしを>ほほえま>せた。>まるぜんの>たなへ>おうごん>しょくに>かがやく>おそろしい>ばくだんを>しかけてきた>きかいな>あっかんが>わたしで、>もう>じゅうぶん>ごには>あのまるぜんが>びじゅつの>たなを>ちゅうしんとして>だいばくはつを>する>のだったら>どんなに>おもしろいだろう。 >わたしは>このそうぞうを>ねっしんに>ついきゅうした。「>そうしたら>あの>きづまりな>まるぜんも>こな>は>みじんだろう」 >そしてわたしは>かつどうしゃしんの>かんばん>がが>き>からだな>おもむきで>まちを>いろどっている>きょうごくを>くだっていった。>もり>こ>はる>あくたがわ>りゅうのすけ【>てきすと>ちゅうに>あらわれる>きごうについて】:>るび(>れい)>もり>こ>はる|:>るびの>つく>もじ>れつの>はじまりを>とくていする>きごう(>れい)>と|>らくようの:>にゅうりょくしゃ>ちゅう >おもに>がいじの>せつめいや、>ぼうてんの>いちの>してい(>れい)       >いち >あるはるの>ひぐれです。 >とうの>と|>らくようの>にしの>もんの>したに、>ぼんやり>そらを>あおいでゐる、>いちにんの>わかものが>ありました。 >わかものは>なは>もり>こ>はると>いつて、>もとは>かねもちの>むすこでしたが、>いまは>ざいさんを>ひ>ひ>つくして、>そのひの>くらしにも>こまる>くらい、>憐な>みぶんにな>つて>ゐる>のです。 >なにしろ>そのころ>らくようと>いへば、>てんかに>ならぶ>ものの>ない、>はんじょうを>きわめた>とですから、>おうらいには>まだしつ>きり>なく、>ひとや>くるまが>とおり>つて>ゐました。>もん>いっぱいに>とうつて>ゐる、>あぶらの>やうな>ゆうひの>ひかりの>なかに、>ろうじん>のか>ぶつた>しゃの>ぼうしや、>ど>みみ>ふるの>おんなの>きんの>みみわや、>はくばに>かざり>つた>いろ>いとの>たづなが、>たえず>ながれていく>ようすは、>まるで>えの>やうな>うつくし>さです。 >しかしもり>こ>はるは>そう>かわらず、>もんの>かべに>みを>凭>せて、>ぼんやり>そらばかり>ながめてゐました。>そらには、>もう>ほそい>つきが、>うらうらと>なびいた>かすみの>なかに、>まるで>つめの>あとかと>おもふ>ほど、>かすかに>しろく>うかんでゐる>のです。「>にちは>くれるし、>はらは>へるし、>そのうえ>もう>どこへ>ぎょう>つても、>とめてくれる>ところはな>ささう>だし――>こんなおもひを>していきてゐる>くらいなら、>いちそ>かわへでも>みを>なげて、>しんでしま>つた>かたが>ましかも>しれない。」 >もり>こ>はるは>ひとり>さつきから、>こんなとりとめも>ない>ことを>おもひ>めぐらしてゐた>のです。 >するとどこか>らや>つて>きたか、>とつぜんかれの>まえへ>あしを>とめた、>かため|>びょうの>ろうじんが>あります。>それが>ゆうひの>ひかりを>あびて、>おおきなかげを>もんへ>おとすと、>ぢ>つと>もり>こ>はるの>かおを>みながら、「>おまえは>なにを>かんがへてゐる>のだ。」と、>おうへいに>ことばを>かけました。「>わたしですか。>わたしは>こんや>ねる>ところも>ないので、>どうした>ものかと>かんがへてゐる>のです。」 >ろうじんの>たずね>かたが>きゅうでしたから、>もり>こ>はるは>さすがに>めを>ふせて、>おもはず>しょうじきな>こたえを>しました。「>さうか。>それは>か哀>さ>うだな。」 >ろうじんは>しばらく>なにごとか>かんがへてゐる>やうでしたが、>やがて、>おうらいに>さしてゐる>ゆうひの>ひかりを>ゆびさしながら、「>ではおれが>よい>ことを>ひとつ>きょう>へてやらう。>いま>このゆうひの>なかに>たつて、>おまえの>かげが>ちに>うつ>つた>ら、>そのあたまに>あたる>ところを>よる>ちゅうに>ほ>つて>みるがよい。>き>つと>くるまに>いっぱいの>おうごんが>うま>つて>ゐる>はずだから。」「>ほんた>うですか。」 >もり>こ>はるは>おどろいて、>ふせてゐた>めを>あげました。>ところが>さらにふしぎな>ことには、>あのろうじんは>どこへ>ぎょう>つたか、>もう>あたりには>それらしい、>かげも>かたちも>みあたりません。>そのかわり>そらの>つきの>いろは>まえよりも>なお>しろくな>つて、>やすみ>ない>おうらいの>ひとどおりの>うえには、>もう>きの>はやい>こうもりが>にさん>ひきひらひら>まい>つて>ゐました。       >に >もり>こ>はるは>いちにちの>うちに、>らくようの>とでも>ゆいいつ>じんといふ>だいかねもちに>なりました。>あのろうじんの>ことば>どおり、>ゆうひに>かげを>うつしてみて、>そのあたまに>あたる>ところを、>よる>ちゅうに>そつと>ほ>つて>みたら、>おおきなくるまにも>あまる>くらい、>おうごんが>ひとやま>でてきた>のです。 >だいかねもちにな>つた>もり>こ>はるは、>すぐに>りっぱな>いえを>がい>つて、>げん>むね>こうていにも>まけない>くらい、>ぜいたくな>くらしを>し>はじめました。>らん>りょうの>さけを>がいは>せるやら、>かつら>しゅうの>りゅうがんにくを>とりよせる>や>ら、>にちに>よんど>しょくの>かわる>ぼたんを>にわに>うえ>ゑ>さ>せるやら、>しろ>くじゃくを>なんわも>はなし>飼>ひに>するやら、>たまを>あつめる>や>ら、>にしきを>ぬいは>せるやら、>こうぼくの>くるまを>つくら>せるやら、>ぞうげの>いすを>あつらえ>へるやら、>そのぜいたくを>いちいち>かいてゐては、>いつにな>つても>このはなしが>おし>まひに>ならない>くらいです。 >するとかう>いふうわさを>きいて、>いままでは>みちで>いき>ごう>つても、>あいさつさ>へ>しなかつた>ともだちなどが、>あさゆう>あそび>にや>つて>きました。>それも>いちにち>ごとに>かずが>まして、>はんねんばかり>たつ>うちには、>らくようの>とに>なを>しら>れた>さいしや>びじんが>おおい>なかで、>もり>こ>はるの>かへ>こない>ものは、>いちにんも>ない>くらいにな>つて>し>まつた>のです。>もり>こ>はるは>このごきゃく>たちを>あいてに、>まいにち>さかもりを>ひらきました。>そのさかもりの>また>さかりな>ことは、>ちゅう々>くちには>つくさ>れません。>ごく>かいつまんだだけを>おはなししても、>もり>こ>はるが>きんの>さかずきに>せいようから>きた>ぶどう>さけを>くんで、>てんじく>うまれの>まほうつかいが>かたなを>のんでみせる>げいに>みとれてゐると、>そのま>はりには>にじゅう>にんの>おんな>たちが、>じゅうにんは>ひすいの>はすの>はなを、>じゅうにんは>めのうの>ぼたんの>はなを、>いづれも>かみに>かざりながら、>ふえや>きんを>ふし>おもしろく>そうしてゐると>いふ>けしきな>のです。 >しかしいくら>だいかねもちでも、>ごきんには>さいげんが>ありますから、>さすがに>ぜいたく>かの>もり>こ>はるも、>いちねん>にねんと>たつ>うちには、>だんだんびんぼうに>なり>だしました。>さ>う>するとにんげんは>はくじょうな>もので、>きのうまでは>まいにち>きた>ともだちも、>きょうは>もんの>まえを>つう>つて>さへ、>あいさつひとつ>していきません。>まして>とうとう>さんねん>めの>はる、>また>もり>こ>はるが>いぜんの>とおり、>いちもんなしにな>つて>みると、>ひろい>らくようの>との>なかにも、>かれに>やどを>かさうと>いふ>いえは、>いっけんも>なくな>つて>しまひました。>いや、>やどを>かす>ところか、>いまでは>わんに>いっぱいの>みずも、>めぐんでくれる>ものはない>のです。 >そこでかれは>あるひの>ゆうがた、>もういちど>あのらくようの>にしの>もんの>したへ>ぎょう>つて、>ぼんやり>そらを>ながめながら、>とほうに>くれてたつて>ゐました。>するとやはり>むかしの>やうに、>かため|>びょうの>ろうじんが、>どこからか>すがたを>あらわして、「>おまえは>なにを>かんがへてゐる>のだ。」と、>こえを>かけるではありませんか。 >もり>こ>はるは>ろうじんの>かおを>みると、>はずかし>さ>うに>かを>むいた>儘、>しばらくは>へんじも>しませんでした。>が、>ろうじんは>そのひも>しんせつ>さ>うに、>おなじことばを>くりかえしますから、>こちらも>まえと>おなじやうに、「>わたしは>こんや>ねる>ところも>ないので、>どうした>ものかと>かんがへてゐる>のです。」と、>おそるおそるへんじを>しました。「>さうか。>それは>か哀>さ>うだな、>ではおれが>よい>ことを>ひとつ>きょう>へてやらう。>いま>このゆうひの>なかへ>たつて、>おまえの>かげが>ちに>うつ>つた>ら、>そのむねに>あたる>ところを、>よる>ちゅうに>ほ>つて>みるがよい。>き>つと>くるまに>いっぱいの>おうごんが>うま>つて>ゐる>はずだから。」  >ろうじんは>かう>げん>つたと>おもふと、>こんども>また>ひとごみの>なかへ、>かき>けす>やうに>かくれてしまひました。 >もり>こ>はるは>そのよくじつから、>たちまち>てんか>だいいちの>だいかねもちに>かえりました。>とどうじにしょう>かわらず、>つかまつ>ほうだいな>ぜいたくを>し>はじめました。>にわに>さいてゐる>ぼたんの>はな、>そのなかに>ねむり>つて>ゐる>しろ>くじゃく、>それから>かたなを>のんでみせる、>てんじくから>きた>まほうつかい――>すべてが>むかしの>とおりな>のです。 >ですからくるまに>いっぱいあ>つた、>あのおびただしい>おうごんも、>また>さんねんばかり>たつ>うちには、>すつかり>なくな>つて>しまひました。       >さん「>おまえは>なにを>かんがへてゐる>のだ。」 >かため>びょうの>ろうじんは、>さんど>もり>こ>はるの>まえへ>きて、>おなじことを>とい>ひ>かけました。>もちろん>かれは>そのときも、>らくようの>にしの>もんの>したに、>ほそぼそと>かすみを>やぶ>つて>ゐる>みかづきの>ひかりを>ながめながら、>ぼんやり>たたずんでゐた>のです。「>わたしですか。>わたしは>こんや>ねる>ところも>ないので、>どうしようかと>思>つて>ゐる>のです。」「>さうか。>それは>か哀>さ>うだな。>ではおれが>よい>ことを>きょう>へてやらう。>いま>このゆうひの>なかへ>たつて、>おまえの>かげが>ちに>うつ>つた>ら、>そのはらに>あたる>ところを、>よる>ちゅうに>ほ>つて>みるがよい。>き>つと>くるまに>いっぱいの――」 >ろうじんが>ここまで>げん>ひ>かけると、>もり>こ>はるは>きゅうに>てを>あげて、>そのことばを>さえぎりました。「>いや、>おかねは>もう>はいらない>のです。」「>きんは>もう>はいらない? は>はあ、>ではぜいたくを>するには>とうとう>あきてし>まつたと>みえるな。」 >ろうじんは>しん>し>さうな>め>つきを>しながら、>ぢ>つと>もり>こ>はるの>かおを>みつめました。「>なに、>ぜいたくに>あきた>の>ぢや>ありません。>にんげんといふ>ものに>あいそが>つきた>のです。」 >もり>こ>はるは>ふへい>さうな>がおを>しながら、>つっけんどんに>かう>げん>ひました。「>それは>おもしろいな。>どうして>また>にんげんに>あいそが>つきた>のだ?」「>にんげんは>みな>はくじょうです。>わたしが>だいかねもちにな>つた>じには、>せじも>ついしょうも>します>けれど、>いったん>びんぼうにな>つて>ごらん>なさい。>やわら>しい>かお>さへも>してみせは>しません。>そんなことを>かんがへると、たと>ひ>もういちど>だいかねもちにな>つた>しょが、>なににも>ならない>やうな>きが>する>のです。」 >ろうじんは>もり>こ>はるの>ことばを>きくと、>きゅうに>にやにや>えみ>ひ>だしました。「>さうか。>いや、>おまえは>わかい>ものに>にあい>はず、>かんしんに>ものの>わかる>おとこだ。>ではこれからは>びんぼうを>しても、>やすらかに>くらしていく>つもりか。」 >もり>こ>はるは>ちよいと>ため>ら>ひました。>が、>すぐに>おもひ>き>つた>めを>あげると、>訴>へる>やうに>ろうじんの>かおを>みながら、「>それも>いまの>わたしには>できません。>ですからわたしは>あなたの>でしにな>つて、>せんじゅつの>しゅうぎょうを>したいと>おもふ>のです。>いいえ、>かくしては>いけません。>あなたは>どうとくの>たかい>せんにんで>せう。>せんにんでなければ、>いちやの>うちに>わたしを>てんか>だいいちの>だいかねもちに>する>ことは>できない>はずです。>どうか>わたしの>せんせいにな>つて、>ふしぎな>せんじゅつを>きょう>へてください。」 >ろうじんは>まゆを>ひそめた>儘、>しばらくは>だま>つて、>なにごとか>かんがへてゐる>やうでしたが、>やがて>また>につ>こり>えみ>ひながら、「>いかにも>おれは>がびさんに>すんでゐる、>てつ>かんむり>こといふ>せんにんだ。>はじめ>おまえの>かおを>みた>とき、>どこか>ものわかりが>こうささうだつたから、>にどまで>だいかねもちに>してやつた>のだが、>それほどせんにんに>なりたければ、>おれの>でしに>とり>たててやらう。」と、>こころよく>がんを>いれてくれました。 >もり>こ>はるは>よろこんだ>の、>よろこばない>のではありません。>ろうじんの>ことばが>まだおわらない>うちに、>かれは>だいちに>がくを>つけて、>なんども>てつ>かんむり>こに>ごじぎを>しました。「>いや、>さう>おんれいなどは>げん>つて>もらい>ふまい。>いくら>おれの>でしに>した>ところで、>りっぱな>せんにんに>なれるか>なれないかは、>おまえ>しだいで>きまる>ことだからな。――が、>うさぎも>かくも>ま>づ>おれと>いちし>よに、>がびさんの>おくへ>きてみるがよい。>おお、>こう、>ここに>たけ>つえが>いちほん>おちてゐる。>ではさっそくこれ>へ>じょうつて、>ひとっとびに>そらを>わたると>しよう。」 >てつ>かんむり>こは>そこに>あ>つた>あおだけを>いちほん>じつ>ひ>あげると、>くちの>なかに>じゅもんを>唱>へながら、>もり>こ>はると>いちし>よに>そのたけへ、>うまにでも>のる>やうに>またがりました。>するとふしぎではありませんか。>たけ>つえは>たちまち>りゅうの>やうに、>ぜい>よく>おおぞらへ>まい>ひ>じょう>つて、>はれ>わたり>つた>はるの>ゆうぞらを>がびさんの>ほうがくへ>とんでいきました。 >もり>こ>はるは>たんを>つぶしながら、>おそるおそるしたを>みくだしました。>が、>したには>ただ>あおい>やまやまが>ゆうあかりの>そこに>みえるばかりで、>あのらくようの>との>にしの>もんは、(>とうに>かすみに>まぎれた>ので>せう。)>どこを>さがしても>みあたりません。>そのうちに>てつ>かんむり>こは、>しろい>びんの>けを>かぜに>ふか>せて、>たからかに>うたを>唱>ひ>だしました。>あさに>ほっかいに>あそび、>くれには>そうご。>そで>うらの>あお>へび、>たん>き>あらなり。>さんたび>たけ>ひに>いれ>ども、>ひと>識>らず。>ろうぎんして、>ひ>すごす>ほら>にわ>みずうみ。       >よん >ににんを>のせた>あおだけは、>まもなくがびさんへ>まい>ひ>くだりました。 >そこは>ふかい>たにに>のぞんだ、>はばの>ひろい>いちまいいわの>うえでしたが、>よくよく>たかい>ところだと>みえて、>ちゅうくうに>たれた>ほくとの>ほしが、>ちゃわん>ほどの>おおき>さに>ひかり>つて>ゐました。>もとより>じんせきの>たえた>やまですから、>あたりは>しんと>しずまりかえ>つて、>やつと>みみには>ひる>ものは、>ごの>ぜっぺきに>はえてゐる、>きょく>りく>ねつた>いちかぶの>まつが、>こうこうと>よる>ふうに>なる>おとだけです。 >ににんが>このいわのうえに>くると、>てつ>かんむり>こは>もり>こ>はるを>ぜっぺきの>したに>すわら>せて、「>おれは>これからてんじょうへ>ぎょう>つて、>せいおうぼに>ごめにか>かつて>くるから、>おまえは>そのあいだ>ここに>すわ>つて、>おれの>かえる>のを>まつて>ゐるがよい。>たぶん>おれが>ゐなく>なると、>いろいろな>ましょうが>あらわれて、>おまえを>たぶらかさうと>するだらうが、たと>ひどんな>ことが>おこらうとも、>けっして>こえを>だす>のではないぞ。>もし>ひとことでも>くちを>きいたら、>おまえは>とうてい>せんにんに>はなれない>ものだと>かくごを>しろ。>よいか。>てんちが>さけても、>だま>つて>ゐる>のだぞ。」と>げん>ひました。「>だいじょうぶです。>けっして>こえ>なぞは>だしは>しません。>いのちが>なくな>つても、>だま>つて>ゐます。」「>さうか。>それを>きいて、>おれも>あんしんした。>ではおれは>ぎょう>つて>くるから。」 >ろうじんは>もり>こ>はるに>わかれを>つげると、>また>あのたけ>つえに>またが>つて、>よめにも>けずつた>やうな>やまやまの>そらへ、>ひともじに>きえてしまひました。 >もり>こ>はるは>たつた>いちにん、>いわのうえに>すわ>つた>儘、>せいに>ほしを>ながめてゐました。>するとあれこれ>はんじばかり>たつて、>ふかやまの>やきが>はださむく>うすい>きものに>とおり>だした>ころ、>とつぜんくうちゅうに>こえが>あ>つて、「>そこに>ゐる>のは>なにものだ。」と>しかりつけるではありませんか。 >しかしもり>こ>はるは>せんにんの>きょう>どおり、>なんとも>へんじを>しずに>ゐました。 >ところが>また>しばらく>すると、>やはり>おなじこえが>ひびいて、「>へんじを>しないとたちどころに、>いのちはない>ものと>かくごしろ。」と、>いかめしく>おどかし>つける>のです。 >もり>こ>はるは>もちろん>だま>つて>ゐました。 と、>どこから>とう>つて>きたか、>らんらんと>めを>ひからせた>とらが>いちひき、>こつぜんと>いわのうえに>おどり>うえ>つて、>もり>こ>はるの>すがたを>にらみながら、>いっせい>たかく>たけりました。>のみ>ならず>それ>とどうじに、>あたまの>うえの>まつの>えだが、>はげしく>ざわざわゆれたと>おもふと、>ごの>ぜっぺきの>いただきからは、>よんと>たる>ほどの>しろへびが>いちひき、>ほのおの>やうな>したを>はいて、>みる>みる>ちかくへ>おりてくる>のです。 >もり>こ>はるは>しかしへいぜんと、>まゆげも>うごかさずに>すわ>つて>ゐました。 >とらと>へびとは、>ひとつ>えじきを>狙>つて、>かたみに>すきでも>窺>ふのか、>しばらくは>睨>ごう>ひの>からだでしたが、>やがて>どちらが>さきとも>なく、>いちじに>もり>こ>はるに>とびかかりました。>が、>とらの>きばに>かま>れるか、>へびの>したに>のま>れるか、>もり>こ>はるの>いのちは>まばたく>うちに、>なくな>つて>しま>ふと>思>つた>とき、>とらと>へびとは>きりのごとく、>よる>ふうとともに>きえうせて、>ごには>ただ、>ぜっぺきの>まつが、>さつきの>とおり>こうこうと>えだを>ならしてゐるばかりな>のです。>もり>こ>はるは>ほ>つと>ひといき>しながら、>こんどは>どんなことが>おこるかと、>こころまちに>まつて>ゐました。 >するといちじんの>かぜが>ふき>たつて、>すみの>やうな>くろくもが>いちめんに>あたりを>とざす>や>いなや、>う>すむらさきの>いなづまが>やには>に>やみを>ふたつに>さいて、>すごじ>く>かみなりが>なりだしました。>いや、>かみなりばかりではありません。>それと>いちし>よに>瀑の>やうな>あめも、>いきなりどうどうと>ふりだした>のです。>もり>こ>はるは>このてんぺんの>なかに、>おそれ>きも>なく>すわ>つて>ゐました。>かぜのおと、>あめの>しぶき、>それから>たえま>ない>いなづまの>ひかり、――>しばらくは>さすがの>がびさんも、>くつがえるかと>おもふ>くらいでしたが、>そのうちに>みみをも>つんざく>ほど、>おおきならいめいが>とどろいたと>おもふと、>そらに>うずまいた>くろくもの>なかから、>まつ>あかな>いちほんの>ひばしらが、>もり>こ>はるの>あたまへ>おち>かかりました。 >もり>こ>はるは>おもはず>みみを>そもそも>へて、>いちまいいわの>うえへ>ひれふしました。>が、>すぐに>めを>ひらいてみると、>そらは>いぜんの>とおり>はれ>ど>つて、>むこうに>そびえた>やまやまの>うえにも、>ちゃわん>ほどの>ほくとの>ほしが、>やはり>きらきら>かがやいてゐます。>してみればいまの>だいあらしも、>あのとらや>しろへびと>おなじやうに、>てつ>かんむり>この>るすを>つけこんだ、>ましょうの>いたずらに>違>ひ>ありません。>もり>こ>はるは>ようやく>あんしんして、>がくの>ひやあせを>拭>ひながら、>また>いわのうえに>すわり>なおしました。 >が、>そのためいきが>まだきえない>うちに、>こんどは>かれの>すわ>つて>ゐる>まえへ、>きんの>よろいを>き>くだした、>みのたけ>さんたけも>あらうといふ、>おごそかな>かみ>しょうが>あらわれました。>かみ>すすむは>てに>みつまたの>戟を>もつて>ゐましたが、>いきなりその>戟の>きっさきを>もり>こ>はるの>むね>もとへ>むけながら、>めを>嗔>ら>せてしかりつける>のを>きけば、「>こら、>そのほうは>いったい>なに>ぶつだ。>このがびさんといふ>やまは、>てんち|>かいびゃくの>むかしから、>おれが>じゅうきょを>してゐる>ところだぞ。>それも>憚>らず>たつた>いちにん、>ここへ>あしを>ふみいれるとは、>よもや>ただの>にんげんではあるまい。>さあいのちが>おし>かつたら、>いっこくも>はやく>へんとうしろ。」と>げん>ふ>のです。 >しかしもり>こ>はるは>ろうじんの>ことば>どおり、>もくぜんと>くちを>つぐんでゐました。「>へんじを>しないか。――>しないな。>よし。>しなければ、>しないでかってに>しろ。>そのかわり>おれの>けんぞく>たちが、>そのほうを>ずたずたに>き>つて>しま>ふぞ。」 >かみ>すすむは>戟を>たかく>あげて、>むこうの>やまの>そらを>まねきました。>そのとたんに>やみ>がさつと>さけると、>おどろいた>ことには>むすうの>かみ>へいが、>くものごとく>そらに>たかし>みちて、>それが>かいやりや>かたなを>きらめか>せながら、>いまにも>ここへ>いちなだれに>せめよせようとして>ゐる>のです。 >このけしきを>みた>もり>こ>はるは、>おもはず>あつと>さけび>さ>うに>しましたが、>すぐに>また>てつ>かんむり>この>ことばを>おもひ>だして、>いっしょうけんめいに>だま>つて>ゐました。>かみ>すすむは>かれが>おそれない>のを>みると、>おこ>つたの>おこらない>のではありません。「>このつよし>じょう>しゃ>め。>どうしても>へんじを>しなければ、>やくそくどおり>いのちはと>つて>やるぞ。」 >かみ>すすむは>かう>わめくがはやいか、>みつまたの>戟を>ひらめか>せて、>いちつきに>もり>こ>はるを>つきころしました。>さうして>がびさんも>どよむ>ほど、>からからと>たかく>えみ>ひながら、>どことも>なく>きえてしまひました。>もちろん>このときは>もう>むすうの>かみ>へいも、>ふき>わたる>よる>かぜのおとと>いちし>よに、>ゆめの>やうに>きえうせた>あとだ>つたのです。 >ほくとの>ほしは>また>さむ>さ>うに、>いちまいいわの>うえを>てらし>はじめました。>ぜっぺきの>まつも>まえに>かわらず、>こうこうと>えだを>ならせてゐます。>が、>もり>こ>はるは>とうに>いきが>たえて、>あおむけに>そこへ>たおれてゐました。       >ご >もり>こ>はるの>からだは>いわのうえへ、>あおむけに>たおれてゐましたが、>もり>こ>はるの>たましいは、>せいに>からだから>ぬけだして、>じごくの>そこへ>おりていきました。 >このよと>じごくとの>あいだには、>やみ>あな>どうといふ>みちが>あ>つて、>そこは>ねんじゅうくらい>そらに、>こおりの>やうな>つめたい>かぜが>ぴ>ゆう>ぴ>ゆう>ふきすさんでゐる>のです。>もり>こ>はるは>そのかぜに>ふか>れながら、>しばらくは>ただ>このはの>やうに、>そらを>漂>つて>いきましたが、>やがて>もり>ら>どのといふ>がくの>かか>つた>りっぱな>ごてんの>まえへ>でました。 >ごてんの>まえに>ゐた>たいせいの>おには、>もり>こ>はるの>すがたを>みる>や>いなや、>すぐに>その>ま>はりを>とり>まいて、>かいの>まえへ>ひき>据>ゑま>した。>かいの>うえには>いちにんの>おうさまが、>まつ>くろな>ほうに>きんの>かんむりをか>ぶつて、>いかめしく>あたりを>にらんでゐます。>これは>かねてうわさに>きいた、>閻>ま>だいおうに>違>ひ>ありません。>もり>こ>はるは>どうなる>ことかと>おもひながら、>おそるおそるそこへ>ひざまずいてゐました。「>こら、>そのほうは>なにの>ために、>がびさんの>うえへ>すわ>つて>ゐた?」 >閻>ま>だいおうの>こえは>かみなりの>やうに、>かいの>うえから>ひびきました。>もり>こ>はるは>さっそくその>といに>こたえ>へようと>しましたが、>ふと>また>おもひ>だした>のは、「>けっして>くちを>きくな。」と>いふ>てつ>かんむり>この>いましめの>ことばです。>そこでただ>あたまを>たれた>儘、>おしの>やうに>だま>つて>ゐました。>すると閻>ま>だいおうは、>もつて>ゐた>てつの>しゃくを>あげて、>かお>ちゅうの>ひげを>さかだてながら、「>そのほうは>ここを>どこだと>おもふ? >そくに>へんとうを>すればよし、>さもなければときを>うつさず、>じごくの>かしゃくに>ぐうはせてくれるぞ。」と、>たけし>たけ>だかに>ののしりました。 >が、>もり>こ>はるは>そう>かわらず>くちびる>ひとつ>うごかしません。>それを>みた>閻>ま>だいおうは、>すぐに>おに>どもの>ほうを>むいて、>あらあらしく>なにか>げん>ひ>つけると、>おに>どもは>いちどに>かしこ>つて、>たちまち>もり>こ>はるを>ひきたてながら、>もり>ら>どのの>そらへ>まい>ひ>のぼりました。 >じごくには>だれでも>ち>つて>ゐる>とおり、>けんの>やまや>ちのいけの>そとにも、>しょうねつ>じごくといふ>ほむらの>たにや>ごっかん>じごくといふ>こおりの>うみが、>まっくらな>そらの>したに>ならんでゐます。>おに>ども>はさう>いふじごくの>なかへ、>かわるがわる>もり>こ>はるを>ほうり>こみました。>ですからもり>こ>はるは>むざんにも、>けんに>むねを>つらぬか>れるやら、>ほむらに>かおを>やか>れるやら、>したを>ぬか>れるやら、>かわを>はがれる>や>ら、>てつの>きねに>つか>れるやら、>あぶらの>なべに>に>られるやら、>どくへびに>のうみそを>吸>はれる>や>ら、>くまたかに>めを>しょく>はれる>や>ら、――>そのくるしみを>かずへ>たててゐては、>とうてい>さいげんが>ない>い、>あらゆるせめくに>ぐうは>さ>れた>のです。>それでももり>こ>はるは>がまんづよく、>ぢ>つと>はを>しょく>ひし>ばつた>儘、>ひとことも>くちを>ききませんでした。 >これには>さすがの>おに>どもも、>あきれかえ>つて>し>まつた>ので>せう。>もういちど>よるの>やうな>そらを>とんで、>もり>ら>どのの>まえへ>きつて>くると、>さつきの>とおり>もり>こ>はるを>かいの>したに>ひき>据>ゑながら、>ごてんの>うえの>閻>ま>だいおうに、「>このつみびとは>どうしても、>ものを>げん>ふ>きしょくが>ございません。」と、>くちを>そろいへてごんじょうしました。 >閻>ま>だいおうは>まゆを>ひそめて、>しばらく>しあんに>くれてゐましたが、>やがて>なにか>おもひ>ついたと>みえて、「>このおとこの>ちちははは、>ちくしょうどうに>おちてゐる>はずだから、>さっそくここへ>ひきたててこい。」と、>いちひきの>おにに>うん>ひ>つけました。 >おには>たちまち>かぜに>じょうつて、>じごくの>そらへ>まい>ひ>のぼりました。と>おもふと、>また>ほしが>ながれる>やうに、>にひきの>ししを>かりたてながら、>さつと>もり>ら>どのの>まえへ>おりてきました。>そのししを>みた>もり>こ>はるは、>おどろいた>の>おどろかない>のではありません。>なぜかと>いへばそれは>にひきとも、>かたちは>み>すぼら>し>い>やせ>うまでしたが、>かおは>ゆめにも>わすれない、>しんだ>ちちははの>とおりでしたから。「>こら、>そのほうは>なにの>ために、>がびさんの>うえに>すわ>つて>ゐたか、>まつ>すぐに>はくじょうしなければ、>こんどは>そのほうの>ちちははに>いたい>おもひを>さ>せてやるぞ。」 >もり>こ>はるは>かう>おどかさ>れても、>やはり>へんとうを>しずに>ゐました。「>このふこう>しゃ>めが。>そのほうは>ちちははが>くるしんでも、>そのかた>さへ>つごうが>よければ、>よいと>思>つて>ゐる>のだな。」 >閻>ま>だいおうは>もり>ら>どのも>くずれる>ほど、>すご>じい>こえで>わめきました。「>うて。>おに>ども。>その>にひきの>ちくしょうを、>にくも>ほねも>うちくだいてしまへ。」 >おに>どもは>いっせいに「>はつ」と>こたえ>へながら、>てつの>むちをと>つて>たちのぼると、>しほうはっぽうから>にひきの>うまを、>みれん>みしゃく>なく>うちのめしました。>むち>はり>うりうと>かぜを>せつ>つて、>ところ>いやはず>あめの>やうに、>うまの>ひにくを>うちやぶる>のです。>うまは、――>ちくしょうにな>つた>ちちははは、>くるし>さ>うに>みを>もだえて、>めには>ちの>なみだを>うかべた>儘、>みても>ゐ>られない>ほど|>いななき>たてました。「>どうだ。>まだその>ほうは>はくじょうしないか。」 >閻>ま>だいおうは>おに>どもに、>しばらく>むちの>てを>やめ>させて、>もういちど>もり>こ>はるの>こたえを>うながしました。>もう>そのときには>にひきの>うまも、>にくは>さけ>ほねは>くだけて、>いきも>たえだえに>かいの>まえへ、>たおれ>ふしてゐた>のです。 >もり>こ>はるは>ひっしにな>つて、>てつ>かんむり>この>ことばを>おもひ>だしながら、>緊>く>めを>つぶ>つて>ゐました。>するとその>とき>かれの>みみには、>殆>こえと>はい>へない>くらい、>かすかな>こえが>でんは>つて>きました。「>しんぱいを>おしでない。>わたし>たちは>どうな>つても、>おまえさ>へ>しあわせに>なれる>のなら、>それより>けっこうな>ことはない>のだからね。>だいおうが>なんと>おっしゃ>つても、>げん>ひたくない>ことは>だま>つて>ごしゅつで。」 >それは>確に>なつかしい、>ははおやの>こえに>違>ひ>ありません。>もり>こ>はるは>おもはず、>めを>あきました。>さうして>うまの>いちひきが、>ちから>なく>ちじょうに>たおれた>儘、>かなし>さ>うに>かれの>かおへ、>ぢ>つと>めを>やつて>ゐる>のを>みました。>ははおやは>こんなくるしみの>なかにも、>むすこの>こころを>おもひや>つて、>おに>どもの>むちに>うた>れた>ことを、>うらむ>きしょく>さへも>みせない>のです。>だいかねもちに>なればごせじを>げん>ひ、>びんぼうにんに>なればくちも>きかない>せけんの>ひと>たちに>くらべると、>なにといふ>ありがたい>こころざしで>せう。>なにといふ>けなげな>けっしんで>せう。>もり>こ>はるは>ろうじんの>いましめも>わすれて、>ころぶ>やうに>そのがわへ>はしり>よると、>りょうてに>はんしの>うまの>頸を>いだいて、>はらはらと>なみだを>おとしながら、「>おかあさん。」と>いっせいを>さけびました。……       >ろく >そのこえに>きがついてみると、>もり>こ>はるは>やはり>ゆうひを>あびて、>らくようの>にしの>もんの>したに、>ぼんやり>たたずんでゐる>のでした。>かすんだ>そら、>しろい>みかづき、>たえま>ない>ひとや>くるまの>なみ、――>すべてが>まだがびさんへ、>いかない>まえと>おなじことです。「>どうだな。>おれの>でしにな>つた>しょが、>とてもせんにんに>はなれは>すまい。」>かため|>びょうの>ろうじんは>びしょうを>ふくみながらげん>ひました。「>なれません。>なれませんが、>しかしわたしは>なれなかつた>ことも、>はんつて>うれしい>きが>する>のです。」 >もり>こ>はるは>まだめに>なみだを>うかべた>儘、>おもはず>ろうじんの>てを>にぎりました。「>いくら>せんにんに>なれた>ところが、>わたしは>あのじごくの>もり>ら>どのの>まえに、>むちを>うけてゐる>ちちははを>みては、>だま>つて>ゐる>わけには>いきません。」「>もし>おまえが>だま>つて>ゐたら――」と>てつ>かんむり>こは>きゅうに>げんな>かおにな>つて、>ぢ>つと>もり>こ>はるを>みつめました。「>もし>おまえが>だま>つて>ゐたら、>おれは>そくざに>おまえの>いのちを>たつて>しま>はうと>思>つて>ゐた>のだ。――>おまえは>もう>せんにんに>なりたいと>いふ>もちも>もつて>ゐまい。>だいかねもちに>なる>ことは、>もとより>あいそが>つきた>はずだ。>ではおまえは>これからあと、>なにに>なつ>たら>よいと>おもふな。」「>なににな>つても、>にんげんらしい、>しょうじきな>くらしを>する>つもりです。」 >もり>こ>はるの>こえには>いままでに>ない>はればれした>ちょうしが>罩>つて>ゐました。「>そのことばを>わすれるなよ。>ではおれは>きょう>かぎり、>にどと>おまえには>ぐうはないから。」 >てつ>かんむり>こは>かう>げん>ふ>ないに、>もう>あるき>だしてゐましたが、>きゅうに>また>あしを>とめて、>もり>こ>はるの>ほうを>ふりかえると、「>おお、>こう、>いま>おもひ>だしたが、>おれは>たいざんの>みなみの>ふもとに>いっけんの>いえを>もつて>ゐる。>そのいえを>はたけ>ごと>おまえに>やるから、>さっそくぎょう>つて>じゅう>ま>ふが>よい。>いまごろは>ちょうど>かの>ま>はりに、>ももの>はなが>いちめんに>さいてゐるだらう。」と、>さも>ゆかい>さ>うに>つけ>かへ>ました。(>たいしょう>きゅうねん>ろくがつ)>ていほん:「>げんだい>にっぽん>ぶんがく>たいけい >よんさん >あくたがわ>りゅうのすけ>しゅう」>ちくましょぼう   >いちきゅう>ろくはち(>しょうわ>よんさん)>ねんはち>つきに>ごにち>しょはん>だいいち>さつはっこうにゅうりょく:>j.utiyama>こうせい:>のぐち>えいじ>いちきゅう>きゅうはち>ねんご>つきに>ぜろにち>こうかい>にぜろ>ぜろよん>ねんさん>つきいち>ににち>しゅうせいあおぞら>ぶんこ>さくせいふぁいる:>このふぁいるは、>いんたーねっとの>としょかん、>あおぞら>ぶんこ(>http://www.aozora.gr.jp/)で>つくら>れました。>にゅうりょく、>こうせい、>せいさくに>あたった>のは、>ぼらんてぃあの>みなさんです。>くもの>いと>あくたがわ>りゅうのすけ【>てきすと>ちゅうに>あらわれる>きごうについて】:>るび(>れい)>はすいけの>ふち|:>るびの>つく>もじ>れつの>はじまりを>とくていする>きごう(>れい)>ちょうど|>じごくの>そこに:>にゅうりょくしゃ>ちゅう >おもに>がいじの>せつめいや、>ぼうてんの>いちの>してい   (>すうじは、じぇいあいえすえっくす>ぜろに>いちさんの>めん>くてん>ばんごう、>またはていほんの>ぺーじと>ぎょう>すう)(>れい)※        >いち >あるひの>ことでございます。>ごしゃか>さまは>ごくらくの>はすいけの>ふちを、>ひとりで>ぶらぶら>ごあるきに>なっていらっしゃいました。>いけの>なかに>さいている>はすの>はなは、>みんな>だまの>ように>まっしろで、>そのまんなかに>ある>きんいろの>ずいからは、>なんとも>うん>えない>よい>においが、>たえま>なく>あたりへ>あふれております。>ごくらくは>ちょうど>あさな>のでございましょう。 >やがて>ごしゃか>さまは>そのいけの>ふちに>ごたたずみに>なって、>みずの>めんを>おおっている>はすの>はの>あいだから、>ふと>したの>ようすを>ごらんに>なりました。>このごくらくの>はすいけの>したは、>ちょうど|>じごくの>そこに>あたっておりますから、>すいしょうの>ような>みずを>すき>てっして、>さんとの>かわや>はりの>やまの>けしきが、>ちょうど|>のぞき>めがねを>みる>ように、>はっきりと>みえる>のでございます。 >するとその>じごくの>そこに、※>陀>たと>いう>おとこが>いちにん、>ほかの>つみびとと>いちしょに>うごめいている>すがたが、>ごめに>とまりました。>この※>陀>たと>いう>おとこは、>ひとを>ころしたり>いえに>ひを>つけたり、>いろいろあくじを>はたらいた>だいどろぼうでございますが、>それでもたったひとつ、>よい>ことを>いたした>おぼえが>ございます。と>もうします>のは、>あるとき>このおとこが>ふかい>はやしの>なかを>とおりますと、>ちいさなくもが>いちひき、>みち>ばたを>はっていく>のが>みえました。>そこで※>陀>たは>さっそくあしを>あげて、>ふみ>ころそうと>いたしましたが、「>いや、>いや、>これも>ちいさいながら、>いのちの>ある>ものに>ちがいない。>そのいのちを>む>あんに>とると>いう>ことは、>いくら>なにでも>かわいそうだ。」と、>こうきゅうに>おもいかえして、>とうとう>そのくもを>ころさずに>たすけてやったからでございます。 >ごしゃか>さまは>じごくの>ようすを>ごらんに>なりながら、>この※>陀>たには>くもを>たすけた>ことが>ある>のを>おおもいだしに>なりました。>そうしてそれだけの>よい>ことを>した>ほうには、>できるなら、>このおとこを>じごくから>すくいだしてやろうと>ごかんがえに>なりました。>さいわい、>がわを>みますと、>ひすいの>ような>いろを>した>はすの>はの>うえに、>ごくらくの>くもが>いちひき、>うつくしい>ぎんいろの>いとを>かけております。>ごしゃか>さまは>そのくもの>いとを>そっと>ごてに>ごとりに>なって、>たまの>ような>びゃくれんの>あいだから、>はるか>かに>ある>じごくの>そこへ、>まっすぐに>それを>ご|>くだし>なさいました。        >に >こちらは>じごくの>そこの>ちのいけで、>ほかの>つみびとと>いちしょに、>ういたり>しずんだり>していた※>陀>たでございます。>なにしろ>どちらを>みても、>まっくらで、>たまに>そのくら>くらから>ぼんやり>うき>のぼっている>ものが>あると>おもいますと、>それは>おそれ>しい>はりの>やまの>はりが>ひかる>のでございますから、>そのこころぼそ>さと>いったら>ございません。>そのうえ>あたりは>はかの>なかの>ように>しんと>しずまりかえって、>たまに>きこえる>ものと>いっては、>ただつみびとが>つく>びな>たんそくばかりでございます。>これは>ここへ>おちてくるほどの>にんげんは、>もう>さまざまな>じごくの>せめくに>つかれはてて、>泣>こえを>だす>ちからさえ>なく>なっている>のでございましょう。>ですからさすが>だいどろぼうの※>陀>たも、>やはり>ちのいけの>ちに>むせびながら、>まるで>しに>かかった>かえるの>ように、>ただもがいてばかり>おりました。 >ところがある>ときの>ことでございます。>なにげなく※>陀>たが>あたまを>あげて、>ちのいけの>そらを>ながめますと、>そのひっそりと>した>くらの>なかを、>とおい>とおい>てんじょうから、>ぎんいろの>くもの>いとが、>まるで>ひとめに>かかる>のを>おそれる>ように、>ひとすじ>ほそく>ひかりながら、>するすると>じぶんの>うえへ>たれてまいる>のではございませんか。※>陀>たは>これを>みると、>おもわずてを>はくって>よろこびました。>このいとに>すがり>ついて、>どこまでも>のぼっていけば、>きっと>じごくから>ぬけ>だせる>のに>そういございません。>いや、>うまく>いくと、>ごくらくへ>はいる>ことさえも>できましょう。>そうすれば、>もう>はりの>やまへ>おいあげ>られる>ことも>なく>なれば、>ちのいけに>しずめ>られる>ことも>ある>はずはございません。 >こうおもいましたから※>陀>たは、>さっそくその>くもの>いとを>りょうてで>しっかりと>つかみながら、>いっしょうけんめいに>うえへ>うえへと>たぐり>のぼり>はじめました。>もとより>だいどろぼうの>ことでございますから、>こういう>ことには>むかしから、>なれ>きっている>のでございます。 >しかしじごくと>ごくらくとの>あいだは、>なに>ばんりと>なく>ございますから、>いくら>あせってみた>ところで、>よういに>うえへは>で>られません。>やや>しばらくのぼる>なかに、>とうとう※>陀>たも>くたびれて、>もう>いちたぐりも>うえの>ほうへは>のぼれなく>なってしまいました。>そこで>しかたが>ございませんから、>まず>ひとやすみ>やすむ>つもりで、>いとの>ちゅうと>にぶ>ら>おりながら、>はるかに>めのしたを>みくだしました。 >すると、>いっしょうけんめいに>のぼった>かいが>あって、>さっきまで>じぶんが>いた>ちのいけは、>いまでは>もう>くらの>そこに>いつのまにか>かくれております。>それからあの>ぼんやり>ひかっている>おそれ>しい>はりの>やまも、>あしの>したに>なってしまいました。>このぶんで>のぼっていけば、>じごくから>ぬけ>だす>のも、>ぞんがい>わけが>ないかも>しれません。※>陀>たは>りょうてを>くもの>いとに>からみながら、>ここへ>きてから>なんねんにも>だした>ことの>ない>こえで、「>しめた。>しめた。」と>わらいました。>ところがふと>きがつきますと、>くもの>いとの>したの>ほうには、>かず>げんも>ない>つみびと>たちが、>じぶんの>のぼった>あとを>つけて、>まるで>ありの>ぎょうれつの>ように、>やはり>うえへ>うえへ>いっしんに>よじのぼってくるではございませんか。※>陀>たは>これを>みると、>おどろいた>のと>おそれ>しい>のとで、>しばらくは>ただ、>ばかの>ように>おおきなくちを>ひらいた>まま、>めばかり>うごかしておりました。>じぶん>いちにんでさえ>ことわれ>そうな、>このほそい>くもの>いとが、>どうして>あれだけの>にんずうの>おもみに>こたえる>ことが>できましょう。>もし>まんいちとちゅうで>ことわれたと>いたしましたら、>せっかく>ここへまで>のぼってきた>このかんじんな>じぶんまでも、>もとの>じごくへ>さかおとしに>おちてしまわなければなりません。>そんなことが>あったら、>たいへんでございます。>が、>そういう>なかにも、>つみびと>たちは>なんひゃくと>なく>なんせんと>なく、>まっくらな>ちのいけの>そこから、>うようよと>はい>のぼって、>ほそく>ひかっている>くもの>いとを、>いちれつに>なりながら、>せっせと>のぼってまいります。>いまの>なかに>どうか>しなければ、>いとは>まんなかから>ふたつに>ことわれて、>おちてしまう>のに>ちがい>ありません。 >そこで※>陀>たは>おおきなこえを>だして、「>こら、>つみびと>ども。>このくもの>いとは>おのれの>ものだぞ。>おまえ>たちは>いったい>だれに>ひろ>いて、>のぼってきた。>おりろ。>おりろ。」と>わめきました。 >そのとたんでございます。>いままで>なんとも>なかった>くもの>いとが、>きゅうに※>陀>たのぶ>ら>くだっている>ところから、>ぷ>つりと>おとを>たててことわれました。>ですから※>陀>たも>たまりません。>あっと>いう>まもなくかぜを>きって、>こまの>ように>くるくる>まわりながら、>みる>みる>なかに>くらの>そこへ、>まっさか>さまに>おちてしまいました。 >あとには>ただごくらくの>くもの>いとが、>きらきらと>ほそく>ひかりながら、>つきも>ほしも>ない>そらの>ちゅうとに、>みじかく>たれているばかりでございます。        >さん >ごしゃか>さまは>ごくらくの>はすいけの>ふちに>たって、>このいちぶ|>しじゅうを>じっと>みていらっしゃいましたが、>やがて※>陀>たが>ちのいけの>そこへ>いしの>ように>しずんでしまいますと、>かなし>そうな>ごかおを>な>さりながら、>またぶらぶら>ごあるきに>なり>はじめました。>じぶんばかり>じごくから>ぬけ>だそうと>する、※>陀>たの>むじひな>こころが、>そうしてその>こころ>そうとうな>ばつを>うけて、>もとの>じごくへ>おちてしまった>のが、>ごしゃか>さまの>ごめから>みると、>あさま>しく>おぼしめし>さ>れた>のでございましょう。 >しかしごくらくの>はすいけの>はすは、>すこしも>そんなことには>とんじゃくいたしません。>そのたまの>ような>しろい>はなは、>ごしゃか>さまの>ごあしの>まわりに、>ゆらゆら>がくを>うごかして、>そのまんなかに>ある>きんいろの>ずいからは、>なんとも>うん>えない>よい>においが、>たえま>なく>あたりへ>あふれております。>ごくらくも>もう>うまに>ちかく>なった>のでございましょう。(>たいしょう>ななねん>しがつ>じゅうろく>にち)>ていほん:「>あくたがわ>りゅうのすけ>ぜんしゅう>に」>ちくま>ぶんこ、>ちくましょぼう   >いちきゅう>はちろく(>しょうわ>ろくいち)>ねんいち>ぜろつき>にはち>にちだい>いちさつ>はっこう   >いちきゅう>きゅうろく(>へいせい>はち)>ねんなな>つきいち>ごにち>だいいち>いちさつ>はっこうおや>ほん:>ちくま>ぜんしゅう>るいじゅうばん>あくたがわ>りゅうのすけ>ぜんしゅう   >いちきゅう>なないち(>しょうわ>よんろく)>ねんさん>つき〜>いちいち>つきにゅうりょく:>ひらやま>まこと、>のぐち>えいじ>こうせい:>もり>みつ>じゅんじ>いちきゅう>きゅうなな>ねんいち>いちつき>いちぜろ>にちこうかい>にぜろ>ぜろよん>ねんに>つきご>にちしゅうせいあおぞら>ぶんこ>さくせいふぁいる:>このふぁいるは、>いんたーねっとの>としょかん、>あおぞら>ぶんこ(>http://www.aozora.gr.jp/)で>つくら>れました。>にゅうりょく、>こうせい、>せいさくに>あたった>のは、>ぼらんてぃあの>みなさんです。>みかん>あくたがわ>りゅうのすけ >あるくもり>つた>ふゆの>ひぐれである。>わたしは>よこすか>はつ>のぼり>にとう>きゃくしゃの>すみに>こしを>くだして、>ぼんやり>はっしゃの>ふえを>まつて>ゐた。>とうに>でん>燈の>ついた>きゃくしゃの>なかには、>ちん>ら>しく>わたしの>そとに>いちにんも>じょうきゃくは>ゐなかつた。>そとを>のぞくと、>う>すくらい>ぷらつとふおおむにも、>きょうは>めずらしく>みおくりの>ひとかげ>さへ>あとを>たつて、>ただ、>おりに>いれ>られた>こいぬが>いちひき、>ときどき>かなし>さ>うに、>ほえ>たててゐた。>これらは>そのときの>わたしの>こころもちと、>ふしぎな>くらい>につかは>しい>けしきだ>つた。>わたしの>あたまの>なかには>うん>ひや>うの>ない>ひろうと>けんたいとが、>まるで>ゆき>くもりの>そらの>やうな>どん>より>した>かげを>おとしてゐた。>わたしは>がいとうの>ぽつけつとへ>ぢ>つと>りょうてをつつこんだ>儘、>そこには>いつて>ゐる>ゆうかんを>だしてみようと>うん>ふ>げんき>さへ>おこらなかつた。 >が、>やがて>はっしゃの>ふえが>な>つた。>わたしは>かすかな>こころの>くつろぎを>かんじながら、>ごの>まど>わくへ>あたまを>もた>せて、>めの>まえの>ていしゃじょうが>ずるずると>あとずさりを>はじめる>のを>まつとも>なく>まち>かま>へてゐた。>ところが>それよりも>さきに>けたたましい>ひよりげたの>おとが、>かいさつぐちの>ほうから>きこえ>だしたと>おもふと、>まもなくしゃしょうの>なにか>うん>ひ>ののしる>こえとともに、>わたしの>の>つて>ゐる>にとう>しつの>とが>がらりと>ひらいて、>じゅうさん>よんの>こむすめが>いちにん、>あわただしく>ちゅうへ>はい>つて>きた、>とどうじに>いちつづ>しりと>ゆれて、>おもむろに>きしゃは>うごきだした。>いちほん>づ>つ>めを>くぎ>つて>いく>ぷらつとふおおむの>はしら、>おきわすれた>やうな>うん>すいしゃ、>それから>しゃないの>だれかに>しゅうぎの>れいを>うん>つて>ゐる>あかぼう――>さう>うん>ふすべては、>まどへ>ふき>つける>ばいえんの>なかに、>みれんがましく>あとへ>たおれてぎょう>つた。>わたしは>ようやく>ほ>つと>した>こころもちにな>つて、>まきたばこに>ひを>つけながら、>はじめて>ものうい>睚を>あげて、>まえの>せきに>こしを>くだしてゐた>こむすめの>かおを>いちべつした。 >それは>あぶらけの>ない>かみを>ひつ>つめの>いちょうがえしに>ゆい>つて、>よこ>なでの>あとの>ある>ひび>だらけの>りょうほおを>きもちの>わるい>ほど>あかく>ほてら>せた、>いかにも>いなかものらしい>むすめだ>つた。>しかもあか>じみた>もえぎ>しょくの>けいとの>えりまきが>だらりと>たれ>か>つた>ひざの>うえには、>おおきなふろしき>つつみが>あつた。>そのまた>つつみを>いだいた>しもやけの>ての>なかには、>さんとうの>あかぎっぷが>だいじ>さ>うに>し>つかり>にぎら>れてゐた。>わたしは>このこむすめの>げひんな>かおだ>ちを>このまなかつた。>それからかのじょの>ふくそうが>ふけつな>のも>やはり>ふかいだ>つた。>さいごに>その>にとうと>さんとうとの>くべつさへも>べんへ>ない>ぐどんな>こころが>はらだた>し>かつた。>だからまきたばこに>ひを>つけた>わたしは、>ひとつには>このこむすめの>そんざいを>わすれたいと>うん>ふ>こころもちも>あ>つて、>こんどは>ぽつけつとの>ゆうかんを>まんぜんとひざの>うえへ>ひろげてみた。>すると其>じ>ゆうかんの>しめんに>おちてゐた>そと>ひかりが、>とつぜんでん>燈の>ひかりに>へん>つて、>すりの>わるい>なに>らんかの>かつじが>いがいな>くらい|>鮮に>わたしの>めの>まえへ>うかんできた。>うん>ふまでも>なく>きしゃは>いま、>よこすかせんに>おおい>隧>どうの>さいしょの>それへは>い>つたのである。 >しかしその>でん>燈の>ひかりに>てらさ>れた>ゆうかんの>しめんを>みわたしても、>やはり>わたしの>ゆう>うつを>なぐさむべく、>せけんは>あまりにへいぼんな>できごとばかりで>もち>せつ>つて>ゐた。>こうわもんだい、>しんぷ>しんろう、>とくしょくじけん、>しぼうこうこく――>わたしは>隧>どうへは>い>つた>いっしゅん>あいだ、>きしゃの>はし>つて>ゐる>ほうこうが>ぎゃくに>なつた>やうな>さっかくを>かんじながら、>それらの>さくばくと>した>きじから>きじへ>殆>きかい>てきに>めを>とおした。>が、>そのあいだも>もちろん>あのこむすめが、>あたかも>ひぞくな>げんじつを>にんげんに>した>やうな>おももちで、>わたしの>まえに>すわ>つて>ゐる>ことを>たえず>いしきせずには>ゐ>られなかつた。>この隧>どうの>なかの>きしゃと、>このいなかものの>こむすめと、>さうして>また>このへいぼんな>きじに>うま>つて>ゐる>ゆうかんと、――>これが>しょうちょうでなくてなんで>あらう。>ふかかいな、>かとうな、>たいくつな>じんせいの>しょうちょうでなくてなんで>あらう。>わたしは>いっさいが>くだらなくな>つて、>よみかけた>ゆうかんを>ほうりだすと、>また>まど>わくに>あたまを>靠>せながら、>しんだ>やうに>めを>つぶ>つて、>うつらうつらし>はじめた。 >それからいくぶんか>すぎた>あとで>あつた。>ふと>なにかに>おどさ>れた>やうな>こころもちが>して、>おもはず>あたりを>み>まは>すと、>いつのまにか>れいの>こむすめが、>むこうがわから>せきを>わたしの>となりへ>うつして、>しきに>まどを>あけようとして>ゐる。>が、>おもい>がらす>とは>ちゅう々>おもふ>やうに>あがらないらしい。>あのひび>だらけの>ほおは>いよいよ>あかくな>つて、>ときどき|>はな>はなを>すすり>こむ>おとが、>ちいさないきの>きれる>こえと>いちし>よに、>せは>しなく>みみへ>はい>つて>くる。>これは>もちろん>わたしにも、>いくぶんながらどうじょうを>ひくに>たる>ものには>そういな>かつた。>しかしきしゃが>いま|>しょうに>隧>どうの>くちへ>さしかからうとして>ゐる>ことは、>ぼしょくの>なかに>枯>そうばかり>めい>い>りょうがわの>さんぷくが、>まぢかく>まどがわに>さこ>つて>きた>のでも、>すぐに>がてんの>いく>ことで>あつた。にも>かんらず>このこむすめは、>わざわざしめてある>まどの>とを>くださうと>する、――>そのりゆうが>わたしには>のみ>こめなかつた。>いや、>それが>わたしには、>たんに>このこむすめの>きまぐれだとしか>かんがへ>られなかつた。>だからわたしは>はらの>そこに>いぜんとして>けわしい>かんじょうを>蓄>へながら、>あのしもやけの>てが>がらす>とを>もたげようとして>あくせんくとうする>ようすを、>まるで>それが>えいきゅうに>せいこうしない>ことでも>いのる>やうな>れいこくな>めで>ながめてゐた。>するとまもなくすご>じい>おとを>はためか>せて、>きしゃが>隧>どうへ>なだれこむとどうじに、>こむすめの>あけようと>した>がらす>とは、>とうとう>ばたりと>したへ>おちた。>さうして>そのしかくな>あなの>なかから、>すすを>溶>した>やうな>どすぐろい>くうきが、>にわかに>いきぐるしい>けむりにな>つて、>ほり々と>しゃないへ>みなぎり>だした。>がんらい|>いんこうを>がいしてゐた>わたしは、>しゅきんを>かおに>あてる>ひま>さへ>なく、>このけむりを>まんめんに>あびせ>られた>おかげで、>殆>いきも>つけない>ほど|>せきこまなければならなかつた。>が、>こむすめは>わたしに>とんじゃくする>きしょくも>みえず、>まどから>そとへ>くびを>のばして、>やみを>ふく>かぜに>いちょうがえしの>びんの>けを>そよが>せながら、>ぢ>つと>きしゃの>すすむ>ほうこうを>みや>つて>ゐる。>そのすがたを>ばいえんと>でん>燈の>ひかりとの>なかに>ながめた>とき、>もう>まどの>そとが>みる>みる>あくな>つて、>そこから>どの>においや>枯>そうの>においや>みずの>においが>ひやかに>ながれ>こんでこなかつたなら、>うたて>せき>やんだ>わたしは、>このみしらない>こむすめを>あたまごなしに>しかりつけてでも、>また>もとの>とおり>まどの>とを>しめ>させた>のに>そういな>かつた>のである。 >しかしきしゃは>そのじぶんには、>もう>やす々と>隧>どうを>すべり>ぬけて、>枯>そうの>やまと>やまとの>あいだに>はさま>れた、>あるまずしい>まちは>づれの>ふみきりに>とおりか>かつて>ゐた。>ふみきりの>ちかくには、>いづれも>み>すぼら>し>い>わら>やねや>かわら>やねが>ごみごみと>せまくるしく>たて>こんで、>ふみきり>ばんが>ふる>ので>あらう、>ゆい|>いちりゅうの>う>すしろい>はたが>ものう>げに>ぼしょくを>ゆら>つて>ゐた。>やつと>隧>どうを>でたと>おもふ――>そのとき>その蕭>さくと>した>ふみきりの>さくの>むこうに、>わたしは>ほおの>あかい>さんにんの>おとこのこが、>めじろおしに>ならんでたつて>ゐる>のを>みた。>かれらは>みな、>このどんてんに>おし>すくめ>られたかと>おもふ>ほど>、そろい>つて>せが>ていかつた。>さうして>また>このまちは>づれの>いんさん>たる>ふうぶつと>おなじやうな>いろの>きものを>きてゐた。>それが>きしゃの>とおる>のを>あおぎ>みながら、>いっせいに>てを>あげるがはやいか、>いたいけな>のどを>たかく>そらせて、>なんとも>いみの>わからない>かんせいを>いっしょうけんめいに>ほとばしら>せた。>するとその>しゅんかんである。>まどから>はんしんを>のりだしてゐた>れいの>むすめが、>あのしもやけの>てを>つと>のばして、>ぜい>よく>さゆうに>ふ>つたと>おもふと、>たちまち>こころを>おどら>すばかり>だんな>ひの>いろに>そめ>まつて>ゐる>みかんが>およそ>いつつ>むっつ、>きしゃを>みおく>つた>こども>たちの>うえへ>ばらばらと>そらから>ふ>つて>きた。>わたしは>おもはず>いきを>のんだ。>さうして>せつなに>いっさいを>りょうかいした。>こむすめは、>おそらくは>これからほうこうさきへ>おもむかうとして>ゐる>こむすめは、>そのふところに>ぞうしてゐた>いく顆の>みかんを>まどから>なげて、>わざわざふみきりまで>みおくりに>きた>おとうと>たちの>ろうに>むくいた>のである。 >ぼしょくを>おびた>まちは>づれの>ふみきりと、>ことりの>やうに>こえを>あげた>さんにんの>こども>たちと、>さうして>そのうえに>らん>おとする>鮮な>みかんの>いろと――>すべては>きしゃの>まどの>そとに、>まばたく>ひまも>なく>とおりすぎた。>が、>わたしの>こころの>うえには、>せつない>ほど>はつ>きりと、>このこうけいが>やきつけ>られた。>さうして>そこから、>ある|>えたいの>しれない>ろうな>こころもちが>わき>うえ>つて>くる>のを>いしきした。>わたしは>こうぜんと>あたまを>あげて、>まるで>べつじんを>みる>やうに>あのこむすめを>ちゅうしした。>こむすめは>いつか>もう>わたしの>まえの>せきに>かえ>つて、>ふそう>へん>ひび>だらけの>ほおを>もえぎ>しょくの>けいとの>えりまきに>うめながら、>おおきなふろしき>つつみを>抱>へた>しゅに、>し>つかりと>さんとう>きっぷを>にぎ>つて>ゐる。………… >わたしは>このとき>はじめて、>うん>ひや>うの>ない>ひろうと>けんたいとを、>さうして>また>ふかかいな、>かとうな、>たいくつな>じんせいを>僅に>わすれる>ことが>できた>のである。>とろつこ>あくたがわ>りゅうのすけ【>てきすと>ちゅうに>あらわれる>きごうについて】:>るび(>れい)>りょうへいの|:>るびの>つく>もじ>れつの>はじまりを>とくていする>きごう(>れい)>まいにち|>むら>はずれへ、:>にゅうりょくしゃ>ちゅう >おもに>がいじの>せつめいや、>ぼうてんの>いちの>してい(>れい)>おしてく>よう。 >おだわら>あたみ>かんに、>けいべんてつどう>ふせつの>こうじが>はじめ>まつた>のは、>りょうへいの>やっつの>としだ>つた。>りょうへいは>まいにち|>むら>はずれへ、>そのこうじを>けんぶつに>ぎょう>つた。>こうじを――>とい>つた>しょが、>ただ>とろつこで>どを>うんぱんする――>それが>おもしろ>さに>みに>ぎょう>つたのである。 >とろつこの>うえには>どこうが>ににん、>どを>つんだ>あとに>たたずんでゐる。>とろつこは>やまを>くだる>のだから、>ひとでを>かりずに>はし>つて>くる。>あおる>やうに>しゃだいが>うごいたり、>どこうの>はんてんの>すそが>ひらついたり、>ほそい>せんろが>しな>つたり――>りょうへいは>そんなけしきを>ながめながら、>どこうに>なりたいと>おもふ>ことが>ある。>せめては>いちどでも>どこうと>いちし>よに、>とろつこへ>のりたいと>おもふ>こともある。>とろつこは>むら>はずれの>ひらちへ>くると、>しぜんと>ぼうところに>とめ>まつて>しま>ふ。>とどうじにどこう>たちは、>みがるに>とろつこを>とびおりるがはやいか、>そのせんろの>しゅうてんへ>くるまの>どを>ぶちまける。>それからこんどは>とろつこを>おし>おし、>もと>きた>やまの>ほうへ>のぼり>はじめる。>りょうへいは>そのとき>のれないまでも、>おす>こと>さへ>できたらと>おもふ>のである。 >あるゆうがた、――>それは>にがつの>しょじゅんだ>つた。>りょうへいは>ふたつ>かの>おとうとや、>おとうとと>おなじとしの>となりの>こどもと、>とろつこの>おいてある>むら>はずれへ>ぎょう>つた。>とろつこは>どろ>だらけにな>つた>儘、>うすあかるい>なかに>ならんでゐる。>が、>そのそとは>どこを>みても、>どこう>たちの>すがたは>みえなかつた。>さんにんの>こどもは>おそるおそる、>いちばん|>たんに>ある>とろつこを>おした。>とろつこは>さんにんの>ちからが>そろいふと、>とつぜんごろりと>しゃりんを>ま>はした。>りょうへいは>このおとに>ひやりと>した。>しかし>にどめの>しゃりんの>おとは、>もう>かれを>おどろかさなかつた。>ごろり、>ごろり、――>とろつこ>はさう>うん>ふ>おととともに、>さんにんの>てに>おさ>れながら、>そろそろせんろを>とう>つて>ぎょう>つた。 >そのうちに>あれこれ>じゅうけん>ほど>くると、>せんろの>こうばいが>きゅうに>なり>だした。>とろつこも>さんにんの>ちからでは、>いくら>おしても>うごかなく>な>つた。>どうか>すればくるまと>いちし>よに、>おしもどさ>れ>さ>うにも>なる>ことが>ある。>りょうへいは>もう>よいと>思>つたから、>とししたの>ににんに>あいずを>した。「>さあ、>のらう?」 >かれらは>いちどに>てを>はなすと、>とろつこの>うえへ>とびの>つた。>とろつこは>さいしょ|>じょ>ろに、>それから>みる>みる>ぜい>よく、>ひといきに>せんろを>くだり>だした。>そのとたんに>つき>あたりの>ふうけいは、>たちまち>りょうがわへ>わかれる>やうに、>ずんずん>めの>まえへ>てんかいしてくる。――>りょうへいは>かおに>ふき>つける>ひの>くれの>かぜを>かんじながらほとんど>うちょうてんにな>つて>しま>つた。 >しかしとろつこは>にさん>ぶんのご、>もう>もとの>しゅうてんに>とめ>まつて>ゐた。「>さあ、>もういちど>おす>ぢ>やあ。」 >りょうへいは>とししたの>ににんと>いちし>よに、>また>とろつこを>おしあげに>かか>つた。>が、>まだしゃりんも>うごかない>うちに、>とつぜんかれらの>あとには、>だれかの>あしおとが>きこえ>だした。>のみ>ならず>それは>きこえ>だしたと>おもふと、>きゅうに>かう>うん>ふ>どなり>こえに>へん>つた。「>このやろう! >だれに>たつて>とろに>さわ>つた?」 >其>ところには>ふるい>しるし>はんてんに、>きせつはずれの>むぎわら>ぼうをか>ぶつた、>せの>たかい>どこうが>たたずんでゐる。――>さう>うん>ふ>すがたが>めには>ひつた>とき、>りょうへいは>とししたの>ににんと>いちし>よに、>もう>ごろく>けんにげだしてゐた。――>それ>ぎり>りょうへいは>しの>かえりに、>にんきの>ない>こうじじょうの>とろつこを>みても、>にどと>の>つて>みようと>思>つた>ことはない。>ただ>そのときの>どこうの>すがたは、>いまでも>りょうへいの>あたまの>どこかに、>はつ>きり>した>きおくを>のこしてゐる。>うすあかりの>なかに>ほのめいた、>ちいさい>きいろの>むぎわら>ぼう、――>しかしその>きおくさへも、>とし>ごとに>しきさいは>うすれるらしい。 >そのご>じゅうにち>あまりた>つてから、>りょうへいは>また>たつた>いちにん、>うま>すぎの>こうじじょうに>たたずみながら、>とろつこの>くる>のを>ながめてゐた。>するとどを>つんだ>とろつこの>そとに、>まくらぎを>つんだ>とろつこが>いち輛、>これは>ほんせんに>なる>はずの、>ふとい>せんろを>とう>つて>きた。>このとろつこを>おしてゐる>のは、>ににんとも>わかい>おとこだ>つた。>りょうへいは>かれらを>みた>ときから、>なんだか>したしみ>やすい>やうな>きが>した。「>このひと>たちならばしから>れない。」――>かれは>さう>おもひながら、>とろつこの>がわへ>かけてぎょう>つた。「を>ぢ>さん。>おして>やらうか?」 >そのなかの>いちにん、――>しまの>し>やつを>きてゐる>おとこは、>俯>むきに>とろつこを>おした>儘、>思>つた>どおり>こころよい>へんじを>した。「>おお、>おしてく>よう。」 >りょうへいは>ににんの>あいだには>ひると、>ちからいっぱい>おし>はじめた。「>われは>ちゅう々>ちからが>あるな。」 >たの>いちにん、――>みみに>まきたばこを>はさんだ>おとこも、>かう>りょうへいを>ほめてくれた。 >そのうちに>せんろの>こうばいは、>だんだんらくに>なり>はじめた。「>もう>おさなく>とも>よい。」――>りょうへいは>いまにも>うん>はれるかと>ないしん>きがかりで>ならなかつた。>が、>わかい>ににんの>どこうは、>まえよりも>こしを>おこし>たぎり、>もくもくと>くるまを>おし>つづけてゐた。>りょうへいは>とうとう>こ>らへ>きれずに、>怯>づ>怯>づこ>んな>ことを>たずねてみた。「>いつまでも>おしてゐてよい?」「>よいとも」 >ににんは>どうじに>へんじを>した。>りょうへいは「>やさしい>ひと>たちだ」と>思>つた。 >ごろく>まち>あまり>おし>つづけたら、>せんろは>もういちど>きゅう>こうばいにな>つた。>其>ところには>りょうがわの>みかん>はたけに、>きいろい>みが>いくつも>ひを>うけてゐる。「>のぼり>ろの>ほうが>よい、>いつまでも>おさ>せてくれるから。」――>りょうへいは>そんなことを>かんがへながら、>ぜんしんで>とろつこを>おす>やうに>した。 >みかん>はたけの>あいだを>のぼりつめると、>きゅうに>せんろは>くだりにな>つた。>しまの>し>やつを>きてゐる>おとこは、>りょうへいに「>や>い、>のれ」と>うん>つた。>りょうへいは>じかに>とびの>つた。>とろつこは>さんにんが>のりうつるとどうじに、>みかん>はたけの>においを>あおりながら、>ひた>すべりに>せんろを>はしりだした。「>おすよりも>のる>ほうが>ずつと>よい。」――>りょうへいは>はおりに>かぜを>はらま>せながら、>あたりまえの>ことを>かんがへた。「>いきに>おす>ところが>おおければ、>かえりに>また>のる>ところが>おおい。」――>さ>うも>また>かんがへたり>した。 >たけ>やぶの>ある>ところへ>くると、>とろつこは>しずかに>はしる>のを>とめた。>さんにんは>またまえの>やうに、>おもい>とろつこを>おし>はじめた。>たけ>やぶは>いつか>ぞうきばやしにな>つた。>つまさきあがりの>ところどころには、>あかさびの>せんろも>みえない>ほど、>らくようの>たま>つて>ゐる>ばしょも>あつた。>そのみちを>やつと>のぼり>き>つた>ら、>こんどは>たかい>がけの>むこうに、>ひろびろと>うすらさむい>うみが>あけた。>とどうじにりょうへいの>あたまには、>あまり>とおく>らい>すぎた>ことが、>きゅうに>はつ>きりと>かんじ>られた。 >さんにんは>また>とろつこ>へ>じょうつた。>くるまは>うみを>みぎに>しながら、>ざつぼくの>えだの>したを>はし>つて>ぎょう>つた。>しかしりょうへいは>さつきの>やうに、>おもしろい>きもちに>はなれなかつた。「>もう>きつて>くれればよい。」――>かれ>はさ>うも>ねんじてみた。>が、>いく>ところまで>いきつかなければ、>とろつこも>かれらも>かえれない>ことは、>もちろん>かれにも>わかり>せつ>つて>ゐた。 >そのつぎに>くるまの>とめ>まつた>のは、>きりくずした>やまを>せおい>つて>ゐる、>わらや>ねの>ちゃみせの>まえだ>つた。>ににんの>どこうは>そのみせへは>ひると、>ちちのみ>じを>おぶつた>うえ>さんを>あいてに、>ゆうゆうと>ちゃなどを>のみ>はじめた。>りょうへいは>ひとり>いらいらしながら、>とろつこの>ま>はりを>ま>はつて>みた。>とろつこには>がんじょうな>しゃだいの>いたに、>はねか>へ>つた>どろが>かわいてゐた。 >しょうじの>あと>ちゃみせを>でてきしなに、>まきたばこを>みみに>はさんだ>おとこは、(>そのときは>もう>はさんでゐなかつたが)>とろつこの>がわに>ゐる>りょうへいに>しんぶんしに>つつんだ>だがしを>くれた。>りょうへいは>れいたんに「>なんゆうう」と>うん>つた。>が、>じかに>れいたんに>しては、>あいてに>すまないと>おもひ>なおした。>かれは>そのれいたん>さを>とり>繕>ふ>やうに、>つつみ>かしの>ひとつを>くちへ>いれた。>かしには>しんぶんしに>あつたらしい、>せきゆの>においが>しみついてゐた。 >さんにんは>とろつこを>おしながらゆるい>けいしゃを>とう>つて>ぎょう>つた。>りょうへいは>くるまに>てを>かけてゐても、>こころは>そとの>ことを>かんがへてゐた。 >そのさかを>むこうへ>くだり>きると、>また>おなじやうな>ちゃみせが>あつた。>どこう>たちが>そのなかへは>ひつた>あと、>りょうへいは>とろつこに>こしを>かけながら、>かえる>ことばかり>きに>してゐた。>ちゃみせの>まえには>はなの>さいた>うめに、>にしびの>ひかりが>きえか>かつて>ゐる。「>もう>にちが>くれる。」――>かれ>はさ>う>かんがへると、>ぼんやり>こしかけても>ゐ>られなかつた。>とろつこの>しゃりんを>け>つて>みたり、>いちにんでは>うごかない>のを>しょうちしな>がら>うん>うん>それを>おしてみたり、――>そんなことに>きもちを>まぎらせてゐた。 >ところが>どこう>たちは>でてくると、>くるまの>うえの>まくらぎに>てを>かけながら、>むぞうさに>かれに>かう>うん>つた。「>われは>もう>かえんな。>おれ>たちは>きょうは>むかう>とまりだから。」「>あんまりかえりが>おそく>なるとわれの>いえでも>しんぱいするず>ら。」 >りょうへいは>いっしゅん>かん|>あっけに>とら>れた。>もう>あれこれ>くらく>なる>こと、>きょねんの>くれ>ははと>いわむらまで>きたが、>きょうの>とは>その>さんよん>ばいある>こと、>それを>いまから>たつた>いちにん、>あるいてかえらなければならない>こと、――>さう>うん>ふ>ことが>いちじに>わかつた>のである。>りょうへいは>ほとんど>なき>さ>うにな>つた。>が、>ないても>しかたが>ないと>思>つた。>ないてゐる>ばあいではないとも>思>つた。>かれは>わかい>ににんの>どこうに、>と>つて>つけた>やうな>ごじぎを>すると、>どんどんせんろ>でん>ひに>はしりだした。 >りょうへいは>しょうじ>むがむちゅうに>せんろの>がわを>はしり>つづけた。>そのうちに>ふところの>かし>つつみが、>じゃまに>なる>ことに>きがついたから、>それを>ろそくへ>ほうりだす>つぎ>しゅに、>いたぞうりも>其>しょへ>ぬぎすててしま>つた。>するとうすい>たびの>うらへ>ぢかに>こいしが>しょく>ひ>こんだが、>あしだけは>はるかに>かるくな>つた。>かれは>ひだりに>うみを>かんじながら、>きゅうな>さかじを>かけ>のぼり>つた。>ときどき>なみだが>こみあげてくると、>しぜんに>かおが>いがんでくる。――>それは>むりに>がまんしても、>はなだけは>たえず>くう>くう>な>つた。 >たけ>やぶの>がわを>かけ>ぬけると、>ゆうやけの>した>ひがねやまの>そらも、>もう>ほてりが>きえか>かつて>ゐた。>りょうへいは>いよいよ>きが>きでなかつた。>ゆきと>かえりと>かわる>せ>ゐか、>けしきの>違>ふ>のも>ふあんだ>つた。>するとこんどは>きものまでも、>あせの>ぬれ>どおり>つたのが>きにな>つたから、>やはり>ひっしに>かけ>つづけた>なり、>はおりを>ろそくへ>ぬいですてた。 >みかん>はたけへ>くる>ころには、>あたりは>くらく>なる>いっぽうだ>つた。「>いのち>さへ>たすかれば――」>りょうへい>はさう>おもひながら、>すべ>つても>つま>づいても>はし>つて>ぎょう>つた。 >や>つと>とおい>ゆうやみの>なかに、>むら>はずれの>こうじじょうが>みえた>とき、>りょうへいは>いちおもひに>なき>たくな>つた。>しかしその>ときも>べそは>かいたが、>とうとう>なかずに>かけ>つづけた。 >かれの>むらへは>ひつて>みると、>もう>りょうがわの>いえいえには、>でん>燈の>ひかりが>さし>ごう>つて>ゐた。>りょうへいは>そのでん>燈の>ひかりに>あたまから>あせの>ゆげの>たつ>のが、>かれ>じしんにも>はつ>きり>わかつた。>いどばたに>みずを>くんでゐる>おんな>しゅうや、>はたけから>きつて>くる>おとこしゅは、>りょうへいが>あえぎ>あえぎ>はしる>のを>みては、「>おい>どうしたね?」などと>こえを>かけた。>が、>かれは>むごんの>儘、>ざっか>やだの>とこやだの、>あかるい>いえの>まえを>はしり>すぎた。 >かれの>いえの>かどぐちへ>かけ>こんだ>とき、>りょうへいは>とうとう>おおごえに、>わ>つと>なき>ださずには>ゐ>られなかつた。>そのなきごえは>かれの>しゅういへ、>いちじに>ちちや>ははを>あつまら>せた。>ことに>ははは>なんとか>うん>ひながら、>りょうへいの>からだを>抱>へる>やうに>した。>が、>りょうへいは>てあしを>もがきながら、>すすりあげ>すすりあげ>なき>つづけた。>そのこえが>あまり>げきし>かつ>たせ>ゐか、>きんじょの>おんな>しゅうも>さんよん>にん、>うすぐらい>かどぐちへ>しゅう>つて>きた。>ちちははは>もちろん>そのひと>たちは、>くちぐちに>かれの>なく>訣を>たずねた。>しかしかれは>なんと>うん>はれても>なき>たてるより>そとに>しかたがなかつた。>あの>とおい>みちを>かけ>とおしてきた、>いままでの>こころぼそ>さを>ふり>かえると、>いくら>おおごえに>なき>つづけても、>たりない>きもちに>せまら>れながら、…… >りょうへいは>にじゅう>ろくの>とし、>さいしと>いちし>よに>とうきょうへ>でてきた。>いまでは>あるざっし>しゃの>にかいに、>こうせいの>しゅひつを>にぎ>つて>ゐる。>が、>かれは>どうか>すると、>ぜんぜんなにの>りゆうも>ないのに、>そのときの>かれを>おもひ>だす>ことが>ある。>ぜんぜんなにの>りゆうも>ないのに?――>じんろうに>つかれた>かれの>まえには>いまでも>やはり>そのときの>やうに、>うすぐらい>やぶや>さかの>ある>みちが、>こまごまと>いちすぢ>だんぞくしてゐる。……(>たいしょう>じゅういち>ねんにがつ)>ていほん:「>げんだい>にっぽん>ぶんがく>たいけい >よんさん >あくたがわ>りゅうのすけ>しゅう」>ちくましょぼう   >いちきゅう>ろくはち(>しょうわ>よんさん)>ねんはち>つきに>ごにち>しょはん>だいいち>さつはっこうにゅうりょく:>j.utiyama>こうせい:>のぐち>えいじ>いちきゅう>きゅうはち>ねんさん>つきに>さんにち>こうかい>にぜろ>ぜろよん>ねんさん>つきいち>さんにち>しゅうせいあおぞら>ぶんこ>さくせいふぁいる:>このふぁいるは、>いんたーねっとの>としょかん、>あおぞら>ぶんこ(>http://www.aozora.gr.jp/)で>つくら>れました。>にゅうりょく、>こうせい、>せいさくに>あたった>のは、>ぼらんてぃあの>みなさんです。>さかの> 坂野|まさのり>正則|きょうは>今日は|まみゅうだ>きょうは> 今日は|だいがくに>大学に|